菅井誠美
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菅井 誠美(すがい まさみ、1849年3月16日(嘉永2年2月22日)[1] - 1931年(昭和6年)3月18日[2])は、幕末の薩摩藩士、明治期の内務・警察官僚。官選県知事。旧姓・佐藤。
経歴
[編集]薩摩藩士・佐藤夢介の三男として生まれる[1]。明治3年(1870年)4月、菅井誠貫の養子となる[3]。
その後、新政府に出仕し警視庁に勤務。1877年1月、同郷の警視庁警部、中原尚雄たちと帰郷し、西郷隆盛らの動向を探索中に私学校党に捕えられ、西南戦争勃発の遠因となった[1]。
その後、熊本県書記官、宮城県警部長、神奈川県警部長などを歴任。1893年1月、三池集治監典獄に就任。看守の服務、囚徒の動作の内規化に尽力し、監獄運営の改善に取り組んだ。1899年1月、愛知県書記官に転任。さらに警視庁警視・総監官房主事を務めた[4]。
1902年12月、栃木県知事に就任。同年2月の足尾台風による風水害からの復旧に尽力[5]。1904年1月、愛媛県知事に転任。同年11月17日に知事を休職。その後、私立獣医学校長を務めた[1]。
栄典・授章・授賞
[編集]- 位階
- 勲章等