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菅井誠美

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
菅井誠美

菅井 誠美(すがい まさみ、1849年3月16日(嘉永2年2月22日[1] - 1931年昭和6年)3月18日[2])は、幕末薩摩藩士明治期の内務警察官僚。官選県知事。旧姓・佐藤。

経歴

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薩摩藩士・佐藤夢介の三男として生まれる[1]。明治3年(1870年4月、菅井誠貫の養子となる[3]

その後、新政府に出仕し警視庁に勤務。1877年1月、同郷の警視庁警部中原尚雄たちと帰郷し、西郷隆盛らの動向を探索中に私学校党に捕えられ、西南戦争勃発の遠因となった[1]

その後、熊本県書記官宮城県警部長神奈川県警部長などを歴任。1893年1月、三池集治監典獄に就任。看守の服務、囚徒の動作の内規化に尽力し、監獄運営の改善に取り組んだ。1899年1月、愛知県書記官に転任。さらに警視庁警視・総監官房主事を務めた[4]

1902年12月、栃木県知事に就任。同年2月の足尾台風による風水害からの復旧に尽力[5]1904年1月、愛媛県知事に転任。同年11月17日に知事を休職。その後、私立獣医学校長を務めた[1]

栄典・授章・授賞

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位階
勲章等

脚注

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  1. ^ a b c d 『新編日本の歴代知事』917頁。
  2. ^ 『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 1 (政治・経済・社会篇)』646頁。
  3. ^ 『人事興信録』初版、1149頁。
  4. ^ 『名典獄評伝 : 明治・大正・昭和三代の治蹟』101-103頁。
  5. ^ 『新編日本の歴代知事』265頁。
  6. ^ 『官報』第5937号「叙任及辞令」1903年4月21日。
  7. ^ 『官報』号外「叙任及辞令」1907年3月31日。
  8. ^ 『官報』第7578号・付録「辞令」1908年9月28日。

参考文献

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  • 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
  • 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。
  • 『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 1 (政治・経済・社会篇)』日外アソシエーツ株式会社、2012年。
  • 『人事興信録』初版、人事興信所、1903年。
  • 重松一義『名典獄評伝 : 明治・大正・昭和三代の治蹟』日本行刑史研究会、1984年。