ロビン・ウィリアムズ
ロビン・マクローリン・ウィリアムズ(英: Robin McLaurin Williams、1951年7月21日 – 2014年8月11日)はアメリカ合衆国の俳優・コメディアンである。即興劇の才能や[2]、映画・ドラマ・コメディ作品で幅広いキャラクターを即席的に演じたことで[3][4]、史上最高のコメディアンのひとりに数えられることもしばしばであった[5][6][7]。アカデミー賞1回[注釈 3]、プライムタイム・エミー賞2回、ゴールデングローブ賞6回、グラミー賞5回、全米映画俳優組合賞2回の功績を持ち(ロビン・ウィリアムズの受賞とノミネートの一覧も参照)、2005年にはゴールデングローブ賞 セシル・B・デミル賞も受賞している。変性性認知症を発症した世界的コメディアンの最期は、世界中に大きな衝撃と悲しみを与えた[8]。
経歴
[編集]ウィリアムズは1970年代半ばにサンフランシスコ・ロサンゼルスでスタンダップコメディを始め、その後複数枚のコメディ・アルバムをリリースした[9]。ABCのシットコム『モーク&ミンディ』(1978年 – 1982年)で演じたエイリアンのモーク役で人気を得た[10]。最初の主演映画は1980年の『ポパイ』である。
『ガープの世界』(1982年)、『ハドソン河のモスコー』(1984年)、『レナードの朝』(1990年)、『インソムニア』(2002年)、『ストーカー』(2002年)、『ディア・ダディ 嘘つき父さんの秘密』(2009年)などのドラマ映画に出演して高い評価を得た。またコメディ作品・ファミリー作品では『フック』(1991年)、『トイズ』(1992年)、『ミセス・ダウト』(1993年)、『ジュマンジ』(1995年)、『ジャック』・『バードケージ』(1996年)、『フラバー』(1997年)、『パッチ・アダムス トゥルー・ストーリー』(1998年)、『RV』(2006年)、『ナイト ミュージアム』シリーズ(2006年〜2014年)に出演している。声優としては、『アラジン』のジーニー役(1992年)、『ロボッツ』(2005年)、『ハッピー フィート』シリーズ(2006年・2011年)などへ出演している。
ウィリアムズはキャリアを通して薬物乱用とうつ病に苦しんだ。2014年8月には自宅で死亡している状態で発見され[11]、状況的に自殺と判断された。未亡人となったスーザン・シュナイダーからは、パーキンソン病の診断を受けており、うつ症状・不安障害・パラノイアを経験していたと発表されたが[12]、剖検では「びまん性レビー小体病」("diffuse Lewy body disease") が指摘され[13][12]、同じレビー小体病理であるレビー小体型認知症の症状でウィリアムズの症状が説明できるとの専門的意見もある[14][15][13][注釈 4]。
コメディアンになるまで
[編集]ウィリアムズはイリノイ州シカゴの聖ルカ病院で[16]、1951年7月21日に生まれた。生年に関しては1952年とするものもあるが[注釈 5]、2007年7月4日発表のインタビューでは「55歳」と述べており[17]、2008年にファンサイトで行われたインタビューでも1951年生まれと明言している[18]。父ロバート・フィッツジェラルド・ウィリアムズ(英: Robert Fitzgerald Williams、1906年 – 1987年)はフォード・モーターのリンカーン=マーキュリー部門の上級役員であった[19][20]。母ローリー・マクローリン(英: Laurie McLaurin、1922年 – 2001年)はミシシッピ州ジャクソンでモデル業をしており、母の高祖父はミシシッピ州選の上院議員・州知事を務めたアンセルム・J・マクローリンであった[21]。ウィリアムズには異母兄のロバート(愛称トッド)と[22]、異父兄のマクローリンがいる[23]。母はクリスチャン・サイエンスの信者だったが、ウィリアムズは父方の信仰である米国聖公会に従って育てられた[24][25]。2001年にテレビ番組『アクターズ・スタジオ・インタビュー』で行われたインタビューでウィリアムズは、自分のユーモアへ最初に大きな影響を与えたのは母で、母の気を惹くために彼女を笑わせようとしていたことを明かしている[26]。
ウィリアムズはイリノイ州レイクフォレストの公立小学校(ゴートン小学校、英: Gorton Elementary School)、同じ学区の公立中学校ディア・パス中学校(英: Deer Path Junior High School)に通った[27]。
高校で演劇部に入るまで、内気な性格を乗り越えられない静かな子どもだったと自ら振り返っている[28]。一方で友人たちからはとても面白い人物だったと言われている[27]。
1963年遅く、ウィリアムズが12歳の時に、父がデトロイトへ転勤することになった。家族はミシガン州ブルームフィールドヒルズ郊外に引っ越して、20エーカー (8 ha)の敷地に40部屋もあるファームハウスに住み[19]、ウィリアムズ自身も私立のデトロイト・カントリー・デイ・スクールに通った[27][29]。学業は優秀で、学校のレスリング部に入り、級長にも選ばれた[30]。
両親共働きだったため、メイドがウィリアムズの養育を手伝い、このメイドは彼の1番の仲間にもなった。16歳で父が早期退職したため、一家はカリフォルニア州ティブロンに移った[19][31][32]。
転居に伴い、ウィリアムズはラークスパー近郊のレッドウッド高校に転校した。
1969年の卒業時、彼は同級生の投票で「1番成功しそうにない人」("Most Likely Not to Succeed") と「1番面白い人」("Funniest") に選ばれたという[33]。
高校卒業後はクレアモントのクレアモント・マッケナ大学に進んで政治学を専攻したが、演技の道を追い求めて中退した[19][34]。
その後はケントフィールドのコミュニティ・カレッジ、カレッジ・オブ・マリンで演劇を3年学んだ。カレッジ・オブ・マリンの演劇学教授であるジェイムズ・ダンは、ミュージカル『オリバー!』で演じたフェイギン役で、ウィリアムズの役者としての素質はすぐ明らかになったと回顧している。ウィリアムズは芝居中にしばしば即興劇を繰り出し、他のキャストが笑いを堪えられなくなることも多かったという[35]。ある日リハーサルが遅くまで続いた後、妻に電話したダンはウィリアムズが「何か特別なものになるだろう」と述べた[35]。
1973年、ウィリアムズはニューヨーク・ジュリアード音楽院の全額支給奨学金を得た(グループ6、1973 – 1976年)。入学同期は20人で、この年ジョン・ハウスマンが教鞭を執るアドバンス・プログラムに合格したのはウィリアムズとクリストファー・リーヴの2人きりだった。ウィリアム・ハート、マンディ・パティンキンもウィリアムズの同期である[36][37]。伝記作家のジーン・ドーシンヴィルによれば、ジュリアードではフランクリン・シールズとルームメイトだった[38]。リーヴはジュリアードの新入生として会ったウィリアムズの第一印象として、次のように述べている。
「[ウィリアムズ]は絞り染めのシャツにトラックスーツのズボンを履いていて、早口に喋っていた。ひとりの人間があんなに沢山のエネルギーを秘めているなんて初めてだった。彼は膨らましてすぐに解き放たれた、縛られてない風船のようだった。彼がクラスの壁や廊下を実際に跳ね回るさまを、驚嘆の目で見つめていた。彼が『オン』だったと言っても控えめなくらいだろう」
"He wore tie-dyed shirts with tracksuit bottoms and talked a mile a minute. I'd never seen so much energy contained in one person. He was like an untied balloon that had been inflated and immediately released. I watched in awe as he virtually caromed off the walls of the classrooms and hallways. To say that he was 'on' would be a major understatement." — クリストファー・リーヴ、"Still Me"[37](邦題『車椅子のヒーロー : あの名俳優クリストファー・リーブが綴る「障害」との闘い』)
ウィリアムズとリーヴはイーディス・スキナー(英: Edith Skinner)が教える方言のクラスに通った(リーヴはスキナーの発声・スピーチ指導は世界有数と述べている)。リーヴによれば、スキナーはウィリアムズ本人と、瞬時に異なるアクセントをいくつも披露できる彼の能力に当惑していたという。彼らの最初の演技教官はマイケル・カーンで、カーンもまた「この人間ダイナモに等しく困惑していた」("equally baffled by this human dynamo")[37]。周囲は既にウィリアムズを面白い人物と評価していたが、カーンは彼のふざけた行為をただのスタンダップコメディだと批判した。後にウィリアムズはテネシー・ウィリアムズの『イグアナの夜』で老人を演じ、批評家たちを黙らせた。リーヴはこの時に関して、「彼はただ老人『だった』。彼の仕事に驚嘆し、運命が我々を一緒にしてくれたことに大きな喜びを感じた」("He simply was the old man. I was astonished by his work and very grateful that fate had thrown us together.") と述べている[37]。ふたりはリーヴが2004年に亡くなるまで親友であり続け、ウィリアムズの息子ザックもふたりの友情は「別々の母から生まれた兄弟」("brothers from another mother") のようだったと語っている[39]。
1974年から1976年の夏、ウィリアムズはサウサリートのレストラン「ザ・トライデント」の給仕助手として働いた[40]。ウィリアムズは3年生になった1976年、ハウスマンの勧めでジュリアードを去ることになるが[41][42]、これはジュリアードでウィリアムズに教えるものは最早ないというハウスマンの判断によるものだった[36][43]。ジュリアードで教えたジェラルド・フリードマンは、ウィリアムズは「天才」("genius") であり、学校の保守的・古典的な指導方法は彼に合っていなかったので、彼の退学に驚いた人はいなかったと述べている[44]。
キャリア
[編集]1976〜1983年:スタンダップコメディと『モーク&ミンディ』
[編集]1976年、26歳の頃ウィリアムズはサンフランシスコ・ベイエリアでスタンダップコメディを始めた[45]。最初のパフォーマンスはサンフランシスコのコメディ・クラブ「ホーリー・シティ・ズー」で行い、彼はバーテンダーから少しずつ出世した[46]。1960年代、サンフランシスコはロック・ミュージック、ヒッピー、ドラッグ使用、性革命の中心地であったが、批評家のジェラルド・ナックマンは、1970年代遅くにウィリアムズが「コメディのルネサンス」("comedy renaissance") を牽引したと述べている[9]:6。ウィリアムズはこの時期に「ドラッグと喜び」("drugs and happiness") を見出したと話しており、「自分史上最高の脳がめちゃくちゃになる」("the best brains of my time turned to mud") のを目の当たりにした[36]。その後はロサンゼルスに移り、ザ・コメディ・ストアをはじめとしたクラブでのスタンダップコメディを続けた。1977年、彼はロサンゼルスでテレビプロデューサーのジョージ・シュラッターと出会い、シュラッターが手掛けた番組『ラフ・イン』のリバイバルに出演しないかと持ちかけられる。番組は1977年遅くに放送され、これがウィリアムズのテレビデビュー作となった[36]。この年、ウィリアムズはHBOのために、L.A.インプロヴでのショーに出演している[47]。
『ラフ・イン』のリバイバルは失敗したが、ウィリアムズはこれを機にテレビ番組のキャリアに足を踏み入れ、同時にロクシー・シアターなどのコメディクラブでスタンダップコメディを披露しながら、即興劇のスキルを磨き続けた[36][48]。彼はイングランドのザ・ファイティング・コックスでも公演した[49]。
ウィリアムズと40年来の仲であったデイヴィッド・レターマンは、ザ・コメディ・ストアで行われた最初の公演を観た時を思い返し、「[ウィリアムズ]はハリケーンのように現れた」("He came in like a hurricane")と評した上で、このクラブで自分もスタンダップコメディをやっていたことから、「なんてこった、自分にもショービジネスのチャンスが来るぞ」("Holy crap, there goes my chance in show business.")と考えたという[50]。ウィリアムズが初めてクレジットされた映画は、1977年の低予算コメディ『キャン・アイ・ドゥ・イット……ティル・アイ・ニード・グラスィズ?』(原題)での端役だった。最初の主演作は1980年の映画『ポパイ』でのタイトルロールで、テレビ番組で見せていた演技力を存分に活かした(映画自体は興行的に失敗した)[51][52]。
『モーク&ミンディ』
[編集]『ラフ・イン』のリバイバルとNBCの『リチャード・プライアー・ショー』に出演した後、ウィリアムズはゲイリー・マーシャルの手掛けるテレビシリーズ『ハッピーデイズ』で、異星人モーク役を演じることになった(1978年、シーズン5エピソード22 (My Favorite Orkan) )[36][26]。俳優の急な降板で急遽役を得ることになったウィリアムズだったが、オーディションで椅子に掛けるよう勧められたのにまくし立て、その風変わりなユーモアセンスはプロデューサーの印象に強く残った[53]。モーク役では語りやフィジカル・コメディの大半を即興で行い、高く鼻に掛かった声で話し、脚本のほとんどを自分で手掛けた。キャストやスタッフたち、テレビ会社の重役までも、彼の演技に深く感銘を受けたという。重役たちが演技を観た4日後には、競合他社を寄せ付けないためにウィリアムズと契約が結ばれたほどだった[54]。
モークの視聴者人気から、パム・ドーバーを相手役にしたスピンオフ・シットコム『モーク&ミンディ』が放送されることになり(1978 – 1982年)、この番組でも喋り・身動きといったウィリアムズの即興力が遺憾なく発揮された。『ハッピーデイズ』でも同じキャラクターを演じていたが、舞台は1950年代後半のミルウォーキーから、放送時分のボールダー(コロラド州)に変更された。『モーク&ミンディ』は、最盛期には週6000万人が視聴し、ウィリアムズを「スーパースター」に仕立て上げた[36]。
画像外部リンク | |
---|---|
en:File:Robin williams by michael dressler 1979.jpg:ドレスラーが1979年に撮影した『タイム』誌の表紙写真 |
モークの人気を受けて、ポスター、塗り絵本、弁当箱など様々なグッズが販売された[55]。第1シーズンの大成功から、1979年3月12日にはウィリアムズが『タイム』誌の表紙を飾るほどになった[56][57]。マイケル・ドレスラーが撮影した表紙写真は、ウィリアムズの死後すぐにスミソニアン博物館の国立肖像画美術館に展示され、追悼の場となった[58]。また1979年8月23日には『ローリング・ストーン』誌の表紙を飾り、この時の写真はリチャード・アヴェドンが撮影した[59][60]。
番組の大成功からウィリアムズはスタンダップコメディをより多くの観衆に届けられるようになり、1970年代終わりから1980年代を通して、HBOのコメディ特番 "Off The Wall"(1978年)、"An Evening with Robin Williams"(1983年)、『ア・ナイト・アット・ザ・メット』(1986年、メトロポリタン歌劇場)などに出演している[61]。また、1979年にニューヨークのナイトクラブ「コパカバーナ」で行ったライブショーを収録したアルバム "Reality ... What a Concept" で、グラミー賞コメディ・アルバム賞を獲得している[62]。
1982〜1999年:映画スターダムへ
[編集]1982年の映画『ガープの世界』で主役を演じたウィリアムズは、作品に関して「スクリーン上ではある種の狂気が欠けていたかもしれないが、重要な核を持っていた」と考えた[注釈 6]。映画批評家のロジャー・イーバートは彼の演技を評して、「ロビン・ウィリアムズはガープ役を比較的もっともらしく、時に平凡な人物として演じたが、映画は彼の陽気な向こう見ずさと、彼を取り巻く無秩序状態の不調和な対比には邪魔されなかったようだ」と書いている[63]。1983年には『ロビン・ウィリアムズの大混戦サバイバル特訓』、1986年には『クラブ・パラダイス』など、この後も非主役でいくつかの映画に出演したが、キャリアを底上げするほどにはならなかった[46]。
1986年、ウィリアムズはアラン・アルダ、ジェーン・フォンダと共に第58回アカデミー賞の司会を務めた[64]。翌1987年にはスケッチ・コメディ特番『キャロル、カール、ウーピー・アンド・ロビン』(原題)に出演し、キャロル・バーネット、カール・ライナー、ウーピー・ゴールドバーグと共演した。また、様々なトークショーで引っ張りだことなり、『ザ・トゥナイト・ショー・スターリング・ジョニー・カーソン』や[65]、『レイト・ナイト・ウィズ・デイヴィッド・レターマン』に出演し、中でも後者には50回も出演した[50]。主演作で最初に大ヒットしたのは1987年の『グッドモーニング, ベトナム』(バリー・レヴィンソン監督作品)で、アカデミー主演男優賞ノミネート、またゴールデングローブ賞 映画部門 主演男優賞 (ミュージカル・コメディ部門)受賞という栄誉を勝ち取った[26]。作品の舞台はベトナム戦争中の1965年で、ウィリアムズは、兵士たちをコメディと皮肉で元気づけていた実在のラジオDJエイドリアン・クロンナウアを演じた。彼には脚本なしに演じる許可が出ており、実際その台詞の大半は即興劇であったという。作中ウィリアムズは、ウォルター・クロンカイト、ゴーマー・パイル、エルヴィス・プレスリー、ミスター・エド、リチャード・ニクソンなど、様々な人物の物真似を披露した[46]。製作を務めたマーク・ジョンソンは「僕らはただカメラを回すだけだった」("We just let the cameras roll.") と振り返り、ウィリアムズは「どのテイクでも何か新しいものをひねり出していた」("managed to create something new for every single take".) と述べている[66]。
次いで1988年にはオフ=ブロードウェイのリンカーン・センターで上演された『ゴドーを待ちながら』でスティーヴ・マーティンと共演した[67][68]。『ミセス・ダウト』(1993年)や『パッチ・アダムス トゥルー・ストーリー』(1998年)など、哀愁とコメディを共存させた作品が彼の役の多くを占めるようになる[69]。没後の追悼記事ではウィリアムズが演じた役の幅広さ・多様性に多大なる衝撃を受けたとの言説もあった[70]。1989年、『いまを生きる』では私立学校の英語教師を演じたが、終盤の感情的シーンに関しては「一世代の心を強く動かし」、ポップカルチャーの一角になったとまで評された[71]。心理学者役を演じた『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち』(1997年)では、実際の心理学者たちに多大な影響を与えたとも指摘されている[72]。1990年の映画『レナードの朝』では、原作本を書いた医師オリバー・サックスがモデルの医師を演じた。後にサックスは、ウィリアムズの演技に対する姿勢は「ある種の天才」("form of genius") だったと語っている。1991年には、『フック』で大人になったピーター・パン役を演じ、このために25ポンド (11 kg)も減量した[73]。『フック』の製作を務めたマイク・メダヴォイは、ダスティン・ホフマンとウィリアムズが互いに共演したがっていると聞いていて、意図的にこのふたりを組ませるようスティーヴン・スピルバーグ監督に進言していた(ウィリアムズもスピルバーグ作品に出られることに喜んでいた)[74]。『バロン』(1988年)と『フィッシャー・キング』(1991年)でウィリアムズを起用したテリー・ギリアムは、ウィリアムズは「躁状態から狂気、さらに優しく傷付きやすい状態へ移り変わる」能力を持っており、「宇宙で最も独創的な精神を持っていた。彼のような人はどこにもいない」と評している[75]。
ウィリアムズは複数のアニメ映画で声優業もこなしているが、中でも1992年のディズニー映画『アラジン』で演じたジーニー役は彼のために書かれた役だった。監督陣はこの役を書くことにはリスクもあったと認めている[76]。当初ウィリアムズはディズニー映画であるので、として役を固辞したが、その理由は映画関連商品の販売でスタジオを儲けさせたくないというものだった[77]。彼は次のような条件を付けて役を引き受けた。
「当時伝えたのは自分は声優をやる、ということで、それはつまりアニメーションの伝統の一部になりたいからやるんだということだ。自分のこどもたちに何かしたい。何かを売るということは求めていない——バーガーキングとか、おもちゃ屋とか、店のようには」 — ロビン・ウィリアムズ、「ニューヨーク・マガジン」(後に「ワシントン・ポスト」で引用)[77]
ウィリアムズの台詞の大半はまたしても即興劇で、録音は約30時間分のテープとなり[19]、その中でエド・サリヴァン、ジャック・ニコルソン、ロバート・デ・ニーロ、グルーチョ・マルクス、ロドニー・デンジャーフィールド、ウィリアム・バックリー・ジュニア、ピーター・ローレ、アーノルド・シュワルツェネッガー、アーセニオ・ホールなど多くの著名人を物真似した[78]。映画は1992年の最高興収を記録し、ウィリアムズのジーニー役も本人にとって最も認知され愛された役のひとつになった。ジーニー役では第50回ゴールデングローブ賞の特別功労賞を含め、多くの映画賞に輝いている[79]。ウィリアムズの演技はアニメーション作品にスター俳優が配役される機会を増やした[80]。またウィリアムズ本人も、2009年にジーニー役でディズニー・レジェンドへ数えられている[81]。1994年には続編映画『アラジン ジャファーの逆襲』が製作されたが、ディズニー社が『アラジン』宣伝でのジーニーの使用に関してウィリアムズと結んでいた合意を反故にしたため、ウィリアムズは続投を拒否した(代わりにダン・カステラネタがジーニー役を演じた)。ウォルト・ディズニー・スタジオのトップがジェフリー・カッツェンバーグからジョー・ロスに代わった後、ロスはウィリアムズへ公式に謝罪した[82]。その後1996年に製作された映画第3作『アラジン完結編 盗賊王の伝説』ではジーニー役に復帰している[83]。同時期には『不思議の森の妖精たち』(1992年)でも声優を務めている。
この時期、ウィリアムズは『ハドソン河のモスコー』(1984年)、『奇蹟の輝き』(1998年)、『アンドリューNDR114』(1999年)などに出演している[84]。1997年には、コメディアンビリー・クリスタルと共に、『フレンズ』第3シーズンへ台本なしのカメオ出演した[85]。同じ年にはクリスタルと共にウディ・アレン監督作品『地球は女で回ってる』(1997年)に出演したが、これはウィリアムズとクリスタルが舞台でよく共演していたことを知っていたアレンによる采配だった[86]。
『いまを生きる』と『フィッシャー・キング』で更に2度アカデミー主演男優賞にノミネートされた後、ウィリアムズは『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち』でアカデミー助演男優賞(1998年)を獲得した[26]。
2000〜2014年:こども向け映画とテレビ番組への回帰
[編集]2000年4月、ウィリアムズはAudible限定配信のトークショーでホスト(司会)を務めることになった[87][88]。同年の第72回アカデミー賞授賞式では、直前に死去したメアリー・ケイ・バーグマンに代わり、主題歌賞にノミネートされていた「ブレイム・カナダ」(『サウスパーク/無修正映画版』)を歌唱した[89]。映画界に進出した後もウィリアムズはスタンダップコメディの仕事を綿々と続けており、2002年7月にはワンマンショー『ロビン・ウィリアムズ:ライヴ・オン・ブロードウェイ』(原題、"Robin Williams: Live on Broadway")を開催し、後にDVD化した[90]。2004年には、コメディ・セントラルが発表した「史上最高のスタンダップ100人」において13位に選出された[91]。2006年にはニコロデオン・キッズ・チョイス・アワードにサプライズゲストとして登場し[92]、同年1月30日に放送された『エクストリーム・メイクオーバー:ホーム・エディション』にも出演した[93]。2002年のワンマンショーから6年の休止を経て、2008年8月には26都市ツアー「ウェポンズ・オブ・セルフ=デストラクション」(原題、"Weapons of Self-Destruction")の実施を発表した。ツアーは2009年9月末から12月3日のニューヨーク公演まで約3ヶ月にわたるもので、同年12月8日にはこの様子がHBOスペシャルで放送された[94]。
2000年代はじめにかけては、それまでのキャリアよりダークな役に好んで挑戦した。2002年の映画『インソムニア』において、ウィリアムズはアル・パチーノ演じるロサンゼルス警察の刑事に追い回される殺人者を演じた[95]。同年には心理スリラー『ストーカー』に出演し、店へ現像しにくる家族に長年執着する写真技師を演じてサターン主演男優賞を受賞した[96]。2004年にはSF・心理スリラー映画『ファイナル・カット』に出演した。テレビ番組では『フーズ・ライン・イズ・イット・エニウェイ?』の第3シーズン第9話[97]、『LAW & ORDER:性犯罪特捜班』のエピソードゲストとしても出演している。2006年には5本の映画に出演し、『ロビン・ウィリアムズのもしも私が大統領だったら…』では政治風刺に取り組み、心理スリラー映画『ザ・ナイト・リスナー』(原題、日本未公開)では、友情を育んでいたこどもが実在しないかもしれないことに気付いたラジオ番組司会を演じた[84]。
ウィリアムズは映画『ハリー・ポッター』シリーズでルビウス・ハグリッド役を演じたがっていたが、第1作の監督クリス・コロンバスがキャストを「イギリス人限定」にするという方針だったため、断られた[98][注釈 7]。アニメ映画声優としての出演も続け、『ロボッツ』(2005年)、『ハッピー フィート』シリーズ(第1作は2006年、第2作は2011年製作)、『エブリワンズ・ヒーロー』(2006年、ノンクレジット)などに出演している。2001年の実写映画『A.I.』ではホログラフのDr.ノウに声を当てた。また、ウォルト・ディズニー・ワールド・リゾート(マジック・キングダム)にかつてあったアトラクション「ザ・タイムキーパー」では、時を駆けるロボット・タイムキーパーの声を演じた[99][注釈 8]。
2010年、ウィリアムズはロバート・デ・ニーロと共に「サタデー・ナイト・ライブ」のスケッチに出演し、2012年にはFXのテレビシリーズ『ルイー』と『ウィルフレッド』にそれぞれ本人役で出演した[100]。2011年にはラジヴ・ジョゼフの『バグダッド動物園のベンガルタイガー』で、演劇でのブロードウェイデビューを飾った(作品は2011年3月31日にリチャード・ロジャース劇場で幕開け)。この演技でドラマ・リーグ賞の俳優部門にノミネートされている[101][102]。2013年5月にはCBSで主演新シリーズ『クレイジーワン ぶっ飛び広告代理店』が始まったが、1シーズンで打ち切られた[103][104]。生前最後に封切られた映画は『余命90分の男』(2014年)で、余命告知を受けた男が人生を変えようともがくコメディ作品だった[105]。没後、『ナイト ミュージアム/エジプト王の秘密』(同シリーズ第3作)、『ロビン・ウィリアムズのクリスマスの奇跡』、『シークレット・ロード』、『ミラクル・ニール!』(声のみの出演)の4作が遺作として公開された[106]。
芸風と影響
[編集]芸風、創作に関与したもの
[編集]ウィリアムズは、スタンダップコメディを演じるストレスも相まって、キャリア初期から薬物乱用や飲酒に逃れていた[9]:34–35。ステージ上では飲酒も薬物使用もしなかったが、二日酔いで舞台に上がったことはあると認めている[75]。コカインを使用していた時期には、舞台上で偏執病(パラノイア)を起こしたこともあった[75]。このような赤裸々な独白を受けて、映画評論家のヴィンセント・キャンビーのように、ウィリアムズの「創作的過程が完全な崩壊に繋がらないか」心配する者もいた[107]。
一方のウィリアムズは、世界情勢の絶え間ない変化により、芸のアイデアは尽きないという安心感を持っていた[75]。ショーの競争的な性質からか、ウィリアムズが強く否定しても、彼に自分のジョークを盗まれたと主張するコメディアンは何人もいた[75][108][109]。デイヴィッド・ブレナーは、ウィリアムズの代理人と対峙して、ウィリアムズが自分のジョークを使っているのを1回でも聞いたら身体的危害を加えると脅迫していた、と記している[110][111]。ウーピー・ゴールドバーグはウィリアムズを擁護する側で、コメディアンが同業他者の内容を使わずにいるのは難しく、同じようなことは今までずっと行われてきたと述べた[112]。ウィリアムズはこうした批判を避けるため、他のコメディアンのパフォーマンスを観に行くのは止めてしまった[112]。
1992年に『プレイボーイ』誌で行われたインタビューで、ウィリアムズは仕事と人生のバランスを損なう恐怖に襲われたことはないか問われ、こう答えた。この段落では創作力や切れ味を失うのではと恐れて、直前に自殺していたジャージ・コジンスキーに触れ、自分ならそういうリスクは乗り越えられるだろうと話している。これに関し、自分にとっての重要事項を話すことを厭うなという父の教えが、自信を高める糧だった、と述べていた[75]。
「なまくらでかちこちになってしまったら、とかいう恐怖や、何かを言うことに心配とか過度の恐れを抱くようになったら、物事を喋ったり連発したり話したりができなくなるのでは、という気持ちがある。[中略] 挑戦するのを止めたら、恐怖を抱いてしまうだろう」
"There's that fear—if I felt like I was becoming not just dull but a rock, that I still couldn't speak, fire off or talk about things, if I'd start to worry or got too afraid to say something. ... If I stop trying, I get afraid." — ロビン・ウィリアムズ、『プレイボーイ』、1992年[75]
影響を受けた人物
[編集]ウィリアムズは自身が影響を受けたコメディアンとしてジョナサン・ウィンタース、ピーター・セラーズ、ニコルズ&メイ、レニー・ブルースなどの名前を挙げ、高いウィットのレベルで、より知的な聴衆を惹き付けることになった彼らの能力を賞賛していた[9]:43。またジェイ・レノのアドリブを織り交ぜた速攻力や、シド・シーザーもお気に入りで、彼らの演技は「貴重だ」"precious" と述べている[75]。
中でもジョナサン・ウィンタースは、8歳時にテレビで初めて観た頃から特別な存在であり、キャリアを通じてインタビューの度に彼への敬意を示していた[9]:259[113]。ふたりはウィリアムズの出世作『モーク&ミンディ』でも共演している[113]。「何でも可能になって、何でも面白くなる」ウィンタースの創意工夫に刺激を受け、「自由な形でよくて、物事の中と外に出入りするのは本当に簡単なのだ、というアイデアを教えてくれた」と回想している[注釈 9]。
また、リチャード・プライヤーが薬物乱用やアルコール依存の問題も含め、自身の人生を舞台上で赤裸々に話す様子に影響を受けているとも語り、自分のパフォーマンスにも同様の内容を取り入れているとした。個人的な内容をコメディの形に落とし込むのは「セラピーよりも安上がり」("cheaper than therapy") で、鬱積したエネルギーや感情を解き放つ手段なのだと述べている[9]:121。
私生活
[編集]結婚とこどもたち
[編集]1977年から翌78年まで、ウィリアムズはロサンゼルスでコメディアンのエレイン・ブースラーと同棲生活を送っていた[114]。その後、1978年6月に最初の妻ヴァレリー・ヴェラルディ(英: Valerie Velardi)と結婚した[115]。ヴェラルディとは、1976年にサンフランシスコのタヴァーンでバーテンダーとして働いていた頃に知り合った。1983年には長男ザッカリー・ピム・"ザック"・ウィリアムズ(英: Zachary Pym "Zak" Williams)が生まれている[116]。1988年に夫婦は離婚したが、この前後複数の女性問題が発覚し、一部は訴訟沙汰になっていた[117]。
1986年にはザッカリーのナニーだったマーシャ・ガルセスとの関係が報じられたが[118]、前妻ヴェラルディは、2018年のドキュメンタリー番組『ロビン・ウィリアムズ 笑顔の裏側』で、ガルセスとの関係はヴェラルディと破局した後に始まったと述べている[119]。1989年4月30日にウィリアムズとガルセスが結婚した時、ガルセスは既に妊娠6ヶ月だった。ガルセスとの間にはゼルダ・ウィリアムズ(1989年生まれ)、コディ・アラン・ウィリアムズ(英: Cody Alan Williams、1991年生まれ)がいる。2008年3月、ガルセスは妥協できない不和があるとして離婚を申し立て、2010年に離婚が成立した[120][121][122]。ウィリアムズは1987年にゲームソフト『ゼルダの伝説』をプレイして以来のファンで、長女ゼルダの名前はシリーズのゼルダ姫から取られており、2011年には『ゼルダの伝説 時のオカリナ 3D』のイギリス版CMで親子共演した[123][124]。
2011年10月22日には、3番目の妻でグラフィック・デザイナーのスーザン・シュナイダー(英: Susan Schneider)とセント・ヘレナ (カリフォルニア州)で結婚した[125][126][127]。その後はサンフランシスコのシー・クリフに邸宅を構えた[120]。
趣味
[編集]ニューヨークでウィリアムズはウェストサイドYMCAランナーズ・クラブ(英: The West Side YMCA runners club)に所属しており、1975年にはセントラル・パークで行われた10キロランで34分21秒の記録を出している[128]。お気に入りの本はアイザック・アシモフのファウンデーションシリーズ、こどもの頃のお気に入りは『ライオンと魔女』(C・S・ルイスによるナルニア国物語第1作)で、後者は自身のこどもたちにも読ませていた[129]。
ウィリアムズはテーブルトークRPG、テレビゲーム両方が大好きだった[130][131][132]。ゲームショウに招かれて出演することもしばしばだった[133][134][135]。またアニメやフィギュア収集も趣味で、長女ゼルダには「フィギュア貯蔵家」("figurine hoarder") とまで言われている[136]。2004年のアニメ映画『APPLESEED』に登場するデュナンのフィギュアも所蔵していた[136]。映画『イノセンス』(『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』の続編)や『新世紀エヴァンゲリオン』などのファンでもあり、『妄想代理人』シリーズに関しては今敏監督のサイン入りDVDを所有していた[136][137][138]。
サイクリングも趣味だったが、スポーツは薬物乱用問題からの脱却を目指して始めた一面もあった。次第にウィリアムズは自転車コレクターとなり、プロのロードレース (自転車競技)ファンになって、ツール・ド・フランスなどを現地観戦しに行くほどになった[139][140]。2016年にはウィリアムズのこどもたちが、父の所有していた自転車87台をオークションにかけ、収益からチャレンジド・アスリーツ財団とクリストファー・アンド・ダナ・リーヴ財団へ寄付することが発表された[141]。前者は身体障害者のアスリート挑戦を支援する団体、後者はジュリアード時代からの盟友で脊髄損傷のため四肢麻痺になったクリストファー・リーヴの名を冠する団体で、ウィリアムズは生前から支援していた[142][143][144]。ウィリアムズはリーヴ夫妻の遺児ウィルの後見人を申し出るなど(リーヴの妻ダナ・リーヴは2006年没)、学生時代からの強い絆で結ばれていた[145]。
信仰
[編集]ウィリアムズは米国聖公会の教えに従って育てられ、自分でも時折そう実感していたようである。トークショウ出演時、映画『ライセンス・トゥ・ウェディング』で演じた風変りなフランク牧師についての見解を語った際、「シカゴのプロテスタント、米国聖公会派の人で、要はライトバージョンのカトリック。半分は信仰で、半分は罪悪感。それを想定してるんです」と、笑いをまじえつつ述べている[146]。また「名誉ユダヤ人」とも自認しており[147]、2008年にイスラエルが60回目の独立記念日を迎えた時には、多くのセレブリティと共に映った動画がタイムズ・スクエアで流され、建国記念を祝った[148]。
慈善活動
[編集]1986年、ウィリアムズはウーピー・ゴールドバーグやビリー・クリスタルと共にコミック・リリーフUSAを立ち上げた。HBOで毎年チャリティ番組が放送され、ウィリアムズが亡くなる2014年までに8000万アメリカ合衆国ドルを集めたことが報じられている[149]。コミック・リリーフのクリエイターを務めるボブ・ズムダは、ウィリアムズ自身裕福な家に生まれて恵まれていると感じていたが、自分より苦しい人に何かしたいと考えていたと明かしている[150]。
識字率や女性の権利、更に退役軍人への支援も続けていた。米国慰問協会の慰問に何度も参加し、13の国で約9万人の兵士を楽しませた[151][152]。イラクやアフガニスタンにも足を運んでいる [153]。
2番目の妻マーシャとは、「ウィンドフォール財団」(英: The Windfall Foundation)を立ち上げて様々な慈善事業を行った。1999年12月には慈善団体チルドレンズ・プロミス(英: Children's Promise)を支援するため、ローリング・ストーンズの『イッツ・オンリー・ロックン・ロール』を世界各地のセレブリティとカバーするミュージックビデオに出演し(BBC製作)、フランス語で歌唱した[154]。
2010年のカンタベリー地震を受けて、彼は自主公演 "Weapons of Self Destruction" の収益をクライストチャーチへ全額寄付した(半額は赤十字社、半額は市長が立ち上げた基金に寄付された)[155][156]。テネシー州メンフィスにあるセント・ジュード・チルドレンズ・リサーチ・ホスピタルの支援も行っていた[157]。死の数か月前にはチャリティで、ニュージーランドの末期がん患者へビデオメッセージを送っていた[158]。
アルコール依存と薬物乱用問題
[編集]1970年代後半から80年代前半にかけて、ウィリアムズはコカインを常用していた[26][159]。親友ジョン・ベルーシが1982年に薬物乱用で死亡したこと(ふたりでパーティした翌日のことだった)、息子ザックが生まれたことから、ウィリアムズはアルコール・薬物の両方を断ち切った[75][26][159]。ベルーシの死後すぐ、ウィリアムズは運動とサイクリングを始め、自転車店のオーナーであるトニー・トムに「サイクリングが自分の人生を救ってくれた」と語っていた[160][161][162]。
2003年、ウィリアムズは映画『ビッグホワイト』(2005年)を撮影していたアラスカ州で断酒を破った[159]。2006年にはニューバーグ (オレゴン州)の薬物乱用リハビリ施設でアルコール依存症と診断された[163][164]。2010年のインタビューでは、禁酒を維持できなかったことは認めつつも、コカイン使用には戻らなかったと述べた[159]。2014年半ばには、再びアルコール依存の問題を抱えて、センター・シティ (ミネソタ州)にあるヘイゼルデン財団依存症治療センターに入所した[165]。
健康問題
[編集]2009年3月、ウィリアムズはワンマンツアーを延期して入院し、クリーヴランド・クリニックで大動脈弁置換・僧帽弁修復・不整脈治療の外科手術を受けた[166][167][168][169]。
ウィリアムズの広報担当者であるマーラ・バックスバウム(英: Mara Buxbaum)は、死の直前彼が深刻なうつ病に悩んでいたと明かした[170]。妻スーザン・シュナイダーは、死の直前ウィリアムズは断酒を守っていたものの、初期のパーキンソン病と診断されていたこと、パーキンソン病の診断に関して本人には「公表する準備ができていなかった」ことを明かした[171][172][173]。剖検では脳内にびまん性のレビー小体沈着があり、パーキンソン病と同じくレビー小体病理のレビー小体型認知症が様々な症状の原因だったのではないかと指摘された[174][175][注釈 4]。
妻シュナイダーは、ウィリアムズ没後2年の2016年に、医学雑誌「Neurology」へエッセイを寄稿している[173]。この中でシュナイダーは、症状が2013年10月に出現し始めたこと、突然の恐怖や不安症、不眠症に悩まされていたと話し、「ロビンは自分が精神を失っていくのを自覚していて」「『自分の頭を再起動したいんだ』と言い続けていた」と述べた[173]。
死
[編集]2014年8月11日、ウィリアムズがカリフォルニア州マリン郡パラダイス・ケイの自宅で死亡しているのが発見された[11][176][177]。2014年11月に出された剖検の最終報告書では、死因は自殺企図の「縊頚による窒息」で、違法薬物や中毒量のアルコールは検出されなかったという(常用薬の濃度も治療域内だった)[178]。報告書にはウィリアムズがうつ病・不安障害を抱えていたことも追記された[179][180]。また脳組織の病理から、彼が「びまん性レビー小体型認知症」("diffuse Lewy body dementia")〔ママ〕 だった可能性が示唆された[174]。最後の妻スーザン・シュナイダーは、後年レビー小体型認知症に関して「夫の頭の中のテロリスト」("the terrorist inside my husband's brain") と表現している("Neurology"、2016年)[173]。また、『ガーディアン』紙のインタビューでは、「わたしたちが文化として持つ、うつ病や脳の病気に関する語彙がどんなに少ないことか。うつ病はレビー小体病の症状のひとつで、精神科領域ではなく——脳神経内科学に根ざすものだったのです。彼の脳はばらばらになっていました」と述べた[181]。"Neurology" に後年掲載されたシュナイダーの手記では、生前は原因特定に難渋し、同じくレビー小体病理で運動症状が主体のパーキンソン病と診断されていたことが明かされている[173]。
レビー小体型認知症協会(アメリカ合衆国)は、剖検報告書で使用された「びまん性レビー小体型認知症」("diffuse Lewy body dementia")〔ママ〕 という単語に関して、病態を示す「びまん性レビー小体病」(英語では英: "diffuse Lewy body disease: DLBD"の方が一般的な医療単語)と、そこから派生するふたつの認知症病態(認知症を伴うパーキンソン病か、レビー小体型認知症か)について明確に区別している[13][注釈 10]。LBDAからは次のような声明が発表された。
ニューカッスル大学老年精神医学の教授で、レビー小体型認知症を研究するイアン・G・マッキースは、ウィリアムズの症状と剖検所見はレビー小体型認知症で説明できると述べた[14]。一方長女ゼルダは2015年のインタビューで、父の自殺の原因は重要でないと考えており、憶測でものは語りたくないとの立場を示した[186]。
ウィリアムズの遺体はサン・アンセルモのモンテズ・チャペル・オブ・ザ・ヒルズ(英: Monte's Chapel of the Hills)で火葬され、遺灰は2014年8月12日にサンフランシスコ湾で散骨された[187][188][189][190][191]。遺産の処遇を巡っては、実子たちと最後の妻シュナイダーの間で法廷係争となったが、2015年秋に決着が報じられた[192][193]。
余波と追悼
[編集]ウィリアムズの死は瞬く間に世界中を駆け巡った。エンタメ業界だけでなく、彼の友人やファンがSNSやメディアでその死に触れた[194]。最後の妻シュナイダーは、「自分が夫にして1番の親友を失っただけでなく、この世界も、最も愛されたアーティストかつ最も美しい人間のひとりを失った。悲しみにひどく打ちひしがれている」と述べた[195]。長女で俳優のゼルダ・ウィリアムズは、「彼がいなくなったことで、この世界は永遠にちょっぴり暗くなって、彩りも笑いも少し減るのだろう」と述べた[196]。自らもパーキンソン病で、治療に関する研究の支援財団を持つ俳優マイケル・J・フォックスは、診断以前からフォックスの財団へ長年寄付を続けていたウィリアムズに感謝し、その死を悼んだ[197]。
当時のアメリカ合衆国大統領バラク・オバマも次のような声明でウィリアムズの死を悼んだ。
死から遡ること1ヶ月前、ウィリアムズはモンティ・パイソンが10日にわたって行ったライブ公演『モンティ・パイソン 復活ライブ!』(2014年7月)の最終日に登場する予定だったが[注釈 14]、友人でもあるエリック・アイドルによると、ウィリアムズが「ひどいうつ状態に苦しんでいた」ため出演がキャンセルされた[200]。後にこの公演はディスク化され、その中でグループはウィリアムズに献辞を贈っている[200]。
2014年8月12日、国際青少年デーのオープニングイベントに合わせて国際連合本部ビルでウィリアムズが讃えられた。当時の国際連合事務総長潘基文らも出席する中、事務次長補トマス・ガスが国際連合経済社会理事会の講壇上に立ち、映画『いまを生きる』の台詞を読み上げて追悼した[201]。ジミー・ファロンは自身の番組『ザ・トゥナイト・ショー・スターリング・ジミー・ファロン』で、同作の「おお船長! 我が船長!」(ウォルト・ホイットマン作)のシーンを再現した[202]。
ウィリアムズの死後すぐ、ディズニー・チャンネル、ディズニーXD、ディズニージュニアでは、1週間『アラジン』がCMフリーで放送され、各放送のクレジット前にジーニーの追悼画が挿入された[203]。舞台での活躍を讃えるため、2014年8月14日の夕方にはブロードウェイの灯りが消灯された[204]。この夜、ミュージカル版『アラジン』のキャストは観客と共に『フレンド・ライク・ミー』を歌い、彼の功績を讃えた(ウィリアムズはこの曲でアカデミー歌曲賞などにノミネートされている)[205]。
多くのファンがハリウッド・ウォーク・オブ・フェームの星や[206]、テレビ番組・映画のロケ地となった場所など、ウィリアムズゆかりの場所に即席の記念碑を立てた。後者の例としては『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち』で使われたボストン・パブリック・ガーデン[207]、『ミセス・ダウト』の撮影に使われたパシフィック・ハイツ (サンフランシスコ)の家[208]、『ジュマンジ』が撮影されたニューハンプシャー州キーン・パリッシュ・シューズ[209]、『モーク&ミンディ』で使われたコロラド州ボルダーの家などである[210]。
2014年8月25日に行われた第66回プライムタイム・エミー賞では、近しい友人で共演も多かったコメディアンビリー・クリスタルが弔辞を述べ、その中で「コメディ銀河の中で最も輝く星」(英: "the brightest star in our comedy galaxy")とウィリアムズを評した[211]。弔辞の後には『ザ・トゥナイト・ショー』初登場シーンなど、ウィリアムズがこれまで披露したコメディシーンがいくつも流された[212][211]。またデイヴィッド・レターマン(『レイト・ショー』)、コナン・オブライエン、セス・マイヤーズ(『レイト・ナイト』)、ジミー・キンメル(『ジミー・キンメル・ライブ!』)、ジミー・ファロン(『ザ・トゥナイト・ショー』、先述)などのトークショー司会者たちが、それぞれの番組でウィリアムズを追悼した[213]。
2014年9月9日、公共放送サービス (PBS) でキャリアを振り返った1時間の追悼番組が放送され[214]、同年9月27日には、サンフランシスコへ多くのスターやセレブリティが集まって追悼集会が行われた[215]。イギリスのヘヴィメタルバンド・アイアン・メイデンは「ティアーズ・オブ・ア・クラウン」(原題、英: "Tears of a Clown")という曲を作ってウィリアムズに捧げ、翌2015年に発売されたアルバム『魂の書〜ザ・ブック・オブ・ソウルズ〜』に収録した[216]。
2016年2月29日、ゴールデン・ゲート・ブリッジから北に向かった国道101号線のトンネル(入口のアーチを利用して虹が描かれている)に、「ロビン・ウィリアムズ・トンネル」という名前が付けられた[217]。2017年には、サンフランシスコのゴールデン・ゲート・パーク内にあり、毎年コメディ・デイの会場となるシャロン草地(英: Sharon Meadow)が、「ロビン・ウィリアムズ草地」(英: Robin Williams Meadow)と改称された[218]。
2018年、HBOで彼の人生とキャリアを追ったドキュメンタリーが制作されることになった。マリナ・ゼノヴィチ監督がメガホンを取った『ロビン・ウィリアムズ 笑顔の裏側』は、HBOだけでなくサンダンス映画祭でも上映された[219]。同年にはサンフランシスコのマーケット・ストリートにウィリアムズの壁画が描かれた[220][221]。『ニューヨーク・タイムズ』紙のデイヴ・イツコフは2014年からウィリアムズの伝記を書き始め[222]、2018年に "Robin" として発表した[223][224]。
2020年8月、ヴァーティカル・エンターテインメントからレビー小体型認知症との闘病を描く新作ドキュメンタリー『ロビンズ・ウィッシュ』(原題、英: "Robin's Wish")のトレイラーが公開された。作品は2020年9月1日にデジタル配信された[225]。2022年5月にリリースされたNetflixの特別番組『ザ・ホール: ジョージ・カーラン、ロビン・ウィリアムズ、ジョーン・リバース、リチャード・プライヤーを称える』で、ウィリアムズはニューヨーク州ジェームズタウンにある国立コメディ・センターの殿堂入りすることになった[226]。
社会からの認識とレガシー
[編集]当初スタンダップ・コメディアンやテレビ番組スターとして活躍していたウィリアムズだが、キャリアの後半にかけては映画俳優となり、シリアスなドラマ作品もこなすようになった。エンターテインメント業界と世間一般の双方から、彼は「国の宝」("national treasure") と考えられていた[75][227]。
舞台上での活力と即興力は、その後の世代のスタンダップ・コメディアンにとって目標となった。薬物乱用やアルコール依存、うつ状態などの個人的問題を、コメディの形で赤裸々に明かした様子を賞賛するコメディアンも多い[228]。メディア学者のデレク・A・バーリルは、人生について至極率直に話していたことから、「彼が様々なメディアを通じてポップ・カルチャーに成し遂げた最大の功績は、ロビン・ウィリアムズという人であったことそれ自体かもしれない」と述べた[228]。
ウィリアムズは型にはまらない特徴的なコメディ人格を広く自由に表現したので、ジム・キャリーをはじめとした後進のコメディアンたちがこぞって物真似をし[230]、サンフランシスコのコメディが発展する道筋を築いた。ジャド・アパトーは『ローリング・ストーン』誌のインタビューで、様々な要素を持って矢継ぎ早に即興劇を繰り広げるスタイルは、他のコメディアンに多大なインスピレーション・影響を与えたが、誰かが真似できるようなものではない、と述べている[229]。
映画作品での演技は、映画業界内外の俳優双方に影響を与えた。代表作『ミセス・ダウト』を監督したクリス・コロンバスは、ウィリアムズの仕事ぶりを見るのは「魔法のようで特権だった。彼の演技は自分たちが見たどれとも似通っておらず、どこか精神的で、他の世界から来たような感じがあった」と述べている[231]。『ワシントン・ポスト』紙のアリッサ・ローゼンバーグは、ウィリアムズのフィルモグラフィを振り返ってその役の多様さに打ちのめされた、と述べ、「ウィリアムズが我々を成長させてくれた」(英: "Williams helped us grow up.)と締めくくっている[70]。
フィルモグラフィと受賞歴
[編集]キャリア中ウィリアムズには様々な賞が贈られており、1997年の映画『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち』ではアカデミー助演男優賞を獲得している[232]。その他ゴールデングローブ賞は名誉賞も合わせて全6回受賞しており、映画部門 主演男優賞 (ミュージカル・コメディ部門)を3回(1987年:『グッドモーニング, ベトナム』、1991年:『フィッシャー・キング』、1993年:『ミセス・ダウト』)、『アラジン』のジーニー役で映画部門声優特別賞[79]、また2005年にはセシル・B・デミル賞を獲得している[233]。また、プライムタイム・エミー賞と全米映画俳優組合賞は2回、グラミー賞は5回受賞した[234][235]。
映画
[編集]公開年 | 邦題 原題 |
役名 | 備考 | 日本語吹替 |
---|---|---|---|---|
1977年 | セクシー・ジョーク2/ところかまわず立てちゃダーメ!! Can I Do It 'Till I Need Glasses? |
弁護士 / 歯が痛い男 | ||
1980年 | ポパイ Popeye |
ポパイ | いかりや長介(フジテレビ版) 内海賢二(機内上映版) | |
1982年 | ガープの世界 The World According to Garp |
ガープ | 富山敬 | |
1983年 | ロビン・ウィリアムズの大混戦サバイバル特訓 The Survivors |
ドナルド | ||
1984年 | ハドソン河のモスコー Moscow on the Hudson |
ウラジミール・イワノフ | ゴールデングローブ賞 主演男優賞 (ミュージカル・コメディ部門) ノミネート | |
1986年 | 明日へのタッチダウン The Best of Times |
ジャック・ダンディー | ||
クラブ・パラダイス Club Paradise |
ジャック・モニカー | |||
ミッドナイト・ニューヨーカー Seize the Day |
トミー・ウィルヘルム | |||
1987年 | グッドモーニング, ベトナム Good Morning, Vietnam |
エイドリアン・クロンナウア | アカデミー主演男優賞 ノミネート ゴールデングローブ賞 主演男優賞 (ミュージカル・コメディ部門) 受賞 英国アカデミー賞 主演男優賞 ノミネート |
安原義人(VHS版) 江原正士(フジテレビ版) |
1988年 | バロン The Adventures of Baron Munchausen |
月の王 | クレジット表記なし | 川久保潔(ソフト版) 緒方賢一(機内上映版) 富山敬(フジテレビ版) |
1989年 | いまを生きる Dead Poets Society |
ジョン・キーティング | アカデミー主演男優賞 ノミネート ゴールデングローブ賞 主演男優賞 (ドラマ部門) ノミネート 英国アカデミー賞 主演男優賞 ノミネート |
堀勝之祐(ソフト版) 江原正士(フジテレビ版) |
1990年 | キャデラック・マン Cadillac Man |
ジョーイ・オブライエン | 安原義人(VHS版) 山路和弘(テレビ東京版) | |
レナードの朝 Awakenings |
マルコム・セイヤー医師 | ゴールデングローブ賞 主演男優賞 (ドラマ部門) ノミネート ナショナル・ボード・オブ・レビュー賞 男優賞 受賞 |
樋浦勉(ソフト版) 角野卓造(日本テレビ版) 堀勝之祐(機内上映版) | |
1991年 | 愛と死の間で Dead Again |
コジー・カーライル | 麦人 | |
殺人ピエロ狂騒曲 Shakes the Clown |
インストラクター | |||
フィッシャー・キング The Fisher King |
ペリー | アカデミー主演男優賞 ノミネート ゴールデングローブ賞 主演男優賞 (ミュージカル・コメディ部門) 受賞 |
池田勝 | |
フック Hook |
ピーター・バニング | 樋浦勉 | ||
1992年 | トイズ Toys |
レスリー・ゼボ | 安原義人 | |
アラジン Aladdin |
ジーニー | 声の出演 | 山寺宏一 | |
1993年 | ミセス・ダウト Mrs. Doubtfire |
ダニエル・ヒラード | 製作・出演 ゴールデングローブ賞 主演男優賞 (ミュージカル・コメディ部門) 受賞 |
山寺宏一(ソフト版、テレビ朝日版) 江原正士(フジテレビ版) |
1995年 | 9か月 Nine Months |
Dr. コスヴィッチ | 江原正士 | |
ジュマンジ Jumanji |
アラン・パリッシュ | 江原正士(VHS・DVD版、BD版、フジテレビ版、テレビ朝日版) | ||
1996年 | バードケージ The Birdcage |
アーマンド・ゴールドマン | 安原義人(ソフト版) 羽佐間道夫(フジテレビ版) | |
ジャック Jack |
ジャック・パウエル | 山寺宏一(ソフト版) 江原正士(フジテレビ版) | ||
シークレット・エージェント The Secret Agent |
暗殺者 | クレジット表記なし | 大塚芳忠 | |
ハムレット Hamlet |
鑑定人 | |||
1997年 | ファーザーズ・デイ Fathers' Day |
デイル・パトリー | 山寺宏一 | |
地球は女で回ってる Deconstructing Harry |
メル | |||
フラバー Flubber |
フィリップ・ブレイナード教授 | 山寺宏一 | ||
グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち Good Will Hunting |
ショーン・マグワイア | アカデミー助演男優賞 受賞 ゴールデングローブ賞 助演男優賞 ノミネート 全米映画俳優組合賞助演男優賞 受賞 |
樋浦勉(ソフト版) TBA(機内上映版) | |
1998年 | パッチ・アダムス トゥルー・ストーリー Patch Adams |
パッチ・アダムス | ゴールデングローブ賞 主演男優賞 (ミュージカル・コメディ部門) ノミネート | 原康義 |
奇蹟の輝き What Dreams May Come |
クリス・ニールセン | 野島昭生 | ||
1999年 | 聖なる嘘つき/その名はジェイコブ Jakob the Liar |
ジェイコブ・ハイエム | 出演・製作総指揮 | 江原正士 |
アンドリューNDR114 Bicentennial Man |
アンドリュー・マーティン | 江原正士(ソフト版) 堀内賢雄(日本テレビ版) | ||
2001年 | A.I. Artificial Intelligence: AI |
ドクター・ノウ | 声の出演 | 小川真司(ソフト版) 岩崎ひろし(TBS版) |
ハリー・ポッターと賢者の石 Harry Potter and the Philosopher's Stone |
試合の観客 | カメオ出演 | ||
2002年 | ストーカー One Hour Photo |
サイ・パリッシュ | 放送映画批評家協会賞 主演男優賞 ノミネート | 江原正士 |
デス・トゥ・スムーチー Death to Smoochy |
レインボー・ランドルフ | |||
インソムニア Insomnia |
ウォルター・フィンチ | 寺杣昌紀(ソフト版) 岩崎ひろし(テレビ朝日版) 江原正士(テレビ東京版) | ||
2004年 | ファイナル・カット The Final Cut |
アラン・ハックマン | 樋浦勉 | |
最高のともだち House of D |
パパス | 江原正士 | ||
NOEL ノエル Noel |
チャーリー・ボイド / 司祭 | クレジット表記なし | 牛山茂 | |
2005年 | ロボッツ Robots |
フェンダー | 声の出演 | 山寺宏一 |
ビッグホワイト The Big White |
ポール・バーネル | 大塚芳忠 | ||
2006年 | RV RV |
ボブ・マンロー | 江原正士 | |
ロビン・ウィリアムズのもしも私が大統領だったら… Man of the Year |
トム・ドブス | |||
ハッピー フィート Happy Feet |
ラモン / ラブレイス | 声の出演 | 山寺宏一 | |
2007年 | ナイト ミュージアム Night at the Museum |
セオドア・ルーズベルト | 岩崎ひろし | |
ライセンス・トゥ・ウェディング License to Wed |
フランク牧師 | |||
奇跡のシンフォニー August Rush |
マックスウェル・ウィザード・ウォラス | 安原義人 | ||
2009年 | 精神科医ヘンリー・カーターの憂欝 Shrink |
ホールデン | ||
ディア・ダディ 嘘つき父さんの秘密 World's Greatest Dad |
ランス・クレイトン | |||
ナイト ミュージアム2 Night at the Museum: Battle of the Smithsonian |
セオドア・ルーズベルト | 岩崎ひろし | ||
オールド・ドッグ Old Dogs |
ダン・レイバーン | 安原義人 | ||
2011年 | ハッピー フィート2 踊るペンギンレスキュー隊 Happy Feet Two |
ラモン / ラブレイス | 声の出演 | 山寺宏一 |
2013年 | グリフィン家のウエディングノート The Big Wedding |
モナハン神父 | 岩崎ひろし | |
大統領の執事の涙 Lee Daniels' The Butler |
ドワイト・D・アイゼンハワー | 小島敏彦(ソフト版) 樋浦勉(BSジャパン版) | ||
フェイス・オブ・ラブ The Face of Love |
ロジャー・スティルマン | |||
2014年 | シークレット・ロード Boulevard |
ノーラン・マック | ||
余命90分の男 The Angriest Man in Brooklyn |
ヘンリー・アルトマン | 安原義人 | ||
ロビン・ウィリアムズのクリスマスの奇跡 A Merry Friggin' Christmas |
ヴァージル・ミッチラー | |||
ナイト ミュージアム/エジプト王の秘密 Night at the Museum: Secret of the Tomb |
セオドア・ルーズベルト / ガルーダの声 | 岩崎ひろし | ||
2015年 | ミラクル・ニール! Absolutely Anything |
犬のデニス | 声の出演 | |
2023年 | ワンス・アポン・ア・スタジオ -100年の思い出- Once Upon a Studio |
ジーニー[236] | 声の出演 (ライブラリ出演) |
山寺宏一 |
テレビシリーズ
[編集]放映年 | 邦題 原題 |
役名 | 備考 | 日本語吹替 |
---|---|---|---|---|
1978年 - 1979年 | ハッピーデイズ Happy Days |
モーク | 2エピソード 『Mork & Mindy』のモークと同じキャラクター |
|
1978年 - 1982年 | モーク&ミンディ Mork & Mindy |
モーク | 94エピソード 『ハッピーデイズ』のスピンオフ作品 |
山崎唯 |
1982年 | フェアリーテール・シアター Faerie Tale Theatre |
カエル・ロビン王子 | 1エピソード | |
1994年 | ホミサイド/殺人捜査課 Homicide: Life on the Street |
ロバート・エリソン | 1エピソード | |
1997年 | フレンズ Friends |
トマス | 1エピソード | 中村秀利 |
2008年 | LAW & ORDER:性犯罪特捜班 Law & Order: Special Victims Unit |
メリット・ローク | 1エピソード | |
2013年 - 2014年 | クレイジーワン ぶっ飛び広告代理店 The Crazy Ones |
サイモン・ロバーツ | 22エピソード |
ディスコグラフィ
[編集]- Reality ... What a Concept(カサブランカ・レコード、1979年)
- Throbbing Python of Love(カサブランカ、1983年)
- ア・ナイト・アット・ザ・メット A Night at the Met(コロムビア・レコード、1986年)
- Live 2002(コロムビア、2002年)
- Weapons of Self Destruction(ソニー・ミュージック、2009年)
日本語吹き替え
[編集]主に担当したのは、以下の人物である。
- 江原正士
- 『グッドモーニング, ベトナム』(フジテレビ版)で初担当。ウィリアムズの専属(フィックス)として知られる。
- 江原はウィリアムズの吹き替えに関しては、彼はストレスの強いしゃべり方をするため、そのアクセントを日本語に合わせるため仕込みに相当時間をかけると語った[237]。そして日本人にはわかりにくい、人物のモノマネやギャグをよく披露するウィリアムズに対して、彼自身によるモノマネもあまり似ておらず、彼に似せようと思うのではなく彼がやろうとしているキャラクターをつかむようにして演じているという[238][237]。
- ウィリアムズを初めて吹き替えた『グッドモーニング, ベトナム』で「アメリカ側の勝手な正義感」をアドリブにより表現し、制作局から賞が贈られた[238]。『ミセス・ダウト』のフジテレビ版では、普通なら原語を流用するオリジナルのスクリプトにも記載されていなかった冒頭の早口気味なイタリア語の歌も、翻訳を担当した松崎広幸[注釈 15]が昔から江原と親しく[240]、松崎が「速く喋れる江原さんだから歌ってもらおう」と耳から起こす形で歌詞を採って、吹き替えで歌うことになった[238][240]。その歌を吹き替える際に、ウィリアムズは独特のタメが入るため、尺どおりに歌うとうまく合わないといい、ウィリアムズのタメをつかむために、電車に乗っているときにも歌を聴いたりするなど、歌を合わせるのに苦労したと語った[238][237]。
- 『アンドリューNDR114』では、ウィリアムズが演じるロボットのアンドリューを、吹き替えでロボットであることをどのように表現するかが大きなポイントで[241]、その役作りとして最初はぎこちない話し方で喋り、アンドリューがバージョンアップしてだんだんと人間味を帯びてきたとき、人間的な表現で自然な台詞になるようにしたと語った[241]。
- 2023年には作品名は不明であるものの、ウィリアムズの旧作を一つ、新たに録音したと話している[242]。
- 山寺宏一
- 『アラジン』のジーニー役で初担当。江原と並ぶウィリアムズの声優として知られている[243][244]。
- ウィリアムズの代表作の一つである『ミセス・ダウト』はソフト版とテレビ朝日版の計2回吹き替えを担当。「主人公と同じく七色の声色を使い分けた」とされており[245]、2023年現在もなお「芸達者ぶりを発揮する山寺宏一吹き替えも一級品」「吹き替え名仕事」と評されるなど高い評価を得ている[246][247]。
- ウィリアムズが亡くなった際には、追悼のコメントを残している[248]。後年にもウィリアムズの吹き替えを通じて大変勉強になったと語っており[249]、ウィリアムズには心から感謝していると述べている[250]。
- 安原義人
- 『グッドモーニング, ベトナム』(VHS版)で初担当。主に初期の作品を担当した。
- 岩崎ひろし
- 『A.I.』(TBS版)で初担当。主に晩年の作品を多く担当した。
- 樋浦勉
- 『レナードの朝』(ソフト版)で初担当。以後、複数の代表作で声を当てた。
このほかにも、富山敬、大塚芳忠、野島昭生、原康義、池田勝、角野卓造なども声を当てている。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 英: Valerie Velardi
- ^ 英: Susan Schneider
- ^ 『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち』(1997年)でアカデミー助演男優賞受賞。その他、『グッドモーニング, ベトナム』(1987年)、『いまを生きる』(1989年)、『フィッシャー・キング』(1991年)でいずれも主演男優賞にノミネートされている。
- ^ a b パーキンソン病とレビー小体型認知症では、いずれもレビー小体が神経細胞に蓄積するが、このうち運動症状が主体か認知症症状が主体かにより、前者後者の診断に分かれる。
- ^ "The Robin Williams Scrapbook"、"The Life and Humor of Robin Williams: A Biography"、"Robin Williams: A Biography"など[要ページ番号]。
- ^ 原文:"What about Garp?—I think Garp is a wonderful film. It may have lacked a certain madness onscreen, but it had a great core."[46]
- ^ コロンバスはウィリアムズの代表作『ミセス・ダウト』(1993年)の監督でもある。結局ハグリッド役はスコットランド出身のロビー・コルトレーンが演じた。
- ^ このアトラクションはディズニーランド・パーク (パリ)と東京ディズニーランドでは「ビジョナリアム」として運営されており、どちらも現地キャストにより吹き替えられている。
- ^ 原文:"that anything is possible, that anything is funny ... He gave me the idea that it can be free-form, that you can go in and out of things pretty easily."[9]:260
- ^ パーキンソン病とレビー小体型認知症は、どちらも神経細胞にレビー小体と呼ばれる封入体が蓄積することで知られ[182][183]、まとめて「レビー小体病理」と呼ばれることもある[184]。このうち、運動症状(パーキンソニズム)が当初主体で後に認知症症状が出現するものを「認知症を伴うパーキンソン病」(PDD)、認知症が先に出るものを「レビー小体型認知症」(DLB) と区別しているが、結局慢性期にはパーキンソニズム・認知症症状どちらも出現することも多く、両者の明確な区別は難しいとされている[185]。
- ^ 原文:"According to his wife, Robin Williams was battling “the early stages of Parkinson's disease” before his death. In early PD, Lewy bodies are generally limited in distribution, but in DLB, the Lewy bodies are spread widely throughout the brain, as was the case with Robin Williams. [段落区切り]Dr. Dickson, who has reviewed the autopsy and coroner’s report, further states, “Mr. Williams was given a clinical diagnosis of PD and treated for motor symptoms. The report confirms he experienced depression, anxiety and paranoia, which may occur in either Parkinson's disease or dementia with Lewy bodies.”"[13]
- ^ 『レナードの朝』、『パッチ・アダムス トゥルー・ストーリー』などで医師役を演じている。
- ^ 原文では「最高」に当たる部分は "bangarang" と書かれている。これは映画『フック』に登場した表現であり[198]、この作品でウィリアムズは大人になったピーター・パンを演じている。
- ^ スケッチ「恐怖のブラックメイル」"Brackmail" に出演予定だった。ライブ最終日の様子はディスク化されているが、このパートには代わりにマイク・マイヤーズが出演している[200]。
- ^ 江原が司会を務めたフジテレビの『二か国語』にも、音信不通となった外国人番組台本作家の代役として参加し、番組終了まで担当した[238][239]。
出典
[編集]- ^ Finke, Nikki. “WME Signs Robin Williams: CAA Furious”. 2023年2月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年3月12日閲覧。
- ^ Kahn, Mattie (12 August 2014). "When Norm Macdonald Met Robin Williams – 'The Funniest Man in The World'". ABC News. 2014年8月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年10月19日閲覧。
- ^ “Say What? Robin Williams' Most Iconic Character Voices”. VH1 News (August 12, 2014). November 5, 2018時点のオリジナルよりアーカイブ。November 4, 2018閲覧。
- ^ “Remembering Robin Williams – the man with 1000 voices”. GQ Magazine UK (August 10, 2017). November 5, 2018時点のオリジナルよりアーカイブ。November 4, 2018閲覧。
- ^ “The 25 Funniest People Of All Time”. Business Insider. November 26, 2018時点のオリジナルよりアーカイブ。November 26, 2018閲覧。
- ^ “50 Best Stand-Up Comics of All Time”. Rolling Stone. オリジナルのJuly 15, 2020時点におけるアーカイブ。 July 15, 2020閲覧。.
- ^ “The 50 Best Stand-up Comics of All Time”. Paste Magazine. July 19, 2021時点のオリジナルよりアーカイブ。July 15, 2020閲覧。
- ^ “ロビン・ウィリアムズさんの自殺、妻が明かす「本当の原因」とは”. 2024年8月2日閲覧。
- ^ a b c d e f g Nachman, Gerald (2003). Seriously Funny: The Rebel Comedians of the 1950s and 1960s. New York City: Pantheon Books. ISBN 978-0-375-41030-7
- ^ “Robin Williams Has Been Voted Funniest Person Ever”. Grintage Ireland. November 26, 2018時点のオリジナルよりアーカイブ。November 26, 2018閲覧。
- ^ a b Martin, Nick (13 August 2014). "San Francisco Neighbours Mourn Robin Williams". Sky News. 2014年8月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年8月13日閲覧。
- ^ a b Gallman S (4 November 2015). "Robin Williams' widow speaks: Depression didn't kill my husband". CNN. 2015年11月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年4月6日閲覧。
- ^ a b c d “LBDA Clarifies Autopsy Report on Comedian, Robin Williams”. レビー小体型認知症協会 (November 10, 2014). August 12, 2020時点のオリジナルよりアーカイブ。April 19, 2018閲覧。
- ^ a b McKeith IG. "Robin Williams had dementia with Lewy bodies—so, what is it and why has it been eclipsed by Alzheimer's?". The Conversation. 2016年11月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年4月6日閲覧。
- ^ Robbins R (30 September 2016). "How Lewy body dementia gripped Robin Williams". Scientific American. 2018年4月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年4月9日閲覧。
- ^ “Chicago Native Robin Williams Recalled 'Good Times' Growing Up Here”. CBS Local (August 11, 2014). August 12, 2014時点のオリジナルよりアーカイブ。August 18, 2014閲覧。
- ^ Monk, Katherine (July 4, 2007). “Marriage 101 with Robin Williams”. オリジナルのNovember 7, 2012時点におけるアーカイブ。 February 8, 2008閲覧。
- ^ Stuurman, Linda (2008年7月12日). “RWF talks with Robin Williams: Proost!”. The Robin Williams Fansite. 2011年7月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年3月5日閲覧。
- ^ a b c d e Kornbluth, Jesse (22 November 1993). "Robin Williams' Change Of Life: Fighting For His Family In His New Film, 'Mrs. Doubtfire,' And In Real Life". New York. K-III Magazine Corporation. pp. 34–41. 2015年4月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年8月20日閲覧。
- ^ Shipman, Robert (13 August 2014). "Genealogy buffs find Williams' roots in Evansville". The Washington Times. 2014年8月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年8月15日閲覧。
- ^ Rubenstein, Steve (8 September 2001). "Laurie Williams – comedian's mother". San Francisco Chronicle. 2014年10月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年11月25日閲覧。
- ^ McLellan, Dennis (August 18, 2007). “R. Todd Williams, 69; winery founder, comic's brother”. Los Angeles Times. October 6, 2014時点のオリジナルよりアーカイブ。February 10, 2008閲覧。
- ^ “Robin Williams' Half-brother Is An All-out Fan”. Chicago Tribune (1991年12月25日). 2014年8月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年10月20日閲覧。
- ^ Gristwood, Sarah (18 June 1998). "Bobbin' Robin". Mail & Guardian. 2006年10月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年12月26日閲覧。
- ^ Topel, Fred (July 3, 2007). “Robin Williams on License to Wed”. CanMag. October 6, 2014時点のオリジナルよりアーカイブ。December 26, 2007閲覧。
- ^ a b c d e f James Lipton (host) (June 10, 2001). "Robin Williams". Inside the Actors Studio. シーズン7. Episode 710. Bravo. 2007年2月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。
- ^ a b c Cullotta, Karen Ann (2014年8月13日). “Robin Williams' childhood in Lake Forest remembered”. p. 7. 2014年8月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年8月15日閲覧。
- ^ Terry Gross (host) (3 August 2006). "Robin Williams: 'The Night Listener'". Fresh Air from WHYY (Radio). National Public Radio. 2017年12月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年4月4日閲覧。
- ^ Moore, Mary Ellen (1979). Robin Williams. Grosset & Dunlap. ISBN 978-0-448-17128-9 August 12, 2014閲覧。
- ^ Strauss, Valerie (11 August 2014). "How high school changed Robin Williams' life". The Washington Post. 2014年10月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年8月13日閲覧。
- ^ Weber, Bruce (28 May 1989). "Robin Williams, the Comic, Confronts Robin Williams, the Actor". The New York Times. p. A1. 2014年8月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年8月24日閲覧。
- ^ Klemesrud, Judy [in 英語] (15 April 1984). "Robin Williams Dons an Emigre's Guise". The New York Times. p. A21. 2014年8月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年8月24日閲覧。
- ^ Landrum, Gene N. (2007). Paranoia & Power: Fear & Fame of Entertainment Icons. Morgan James Publishing. pp. 30–31. ISBN 978-1-60037-274-2
- ^ Golum, Rob (August 12, 2014). “Robin Williams, Oscar Winner, Dies After Hanging Himself”. Bloomberg News. October 11, 2014時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年3月6日閲覧。
- ^ a b Hansen, Megan (2014年8月11日). “'We knew him as a neighbor': Marin remembers Robin Williams”. 2014年8月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年8月13日閲覧。 “James Dunn, drama professor at College of Marin, taught Williams for three years. [中略] "I first knew he was more talented than the other kids when he played Fagin in 'Oliver!' We were having light board issues and by midnight had only made it through half the musical. At one point he started talking to a baton he was carrying, and the baton talked back. It cut the tension and he had people laughing in hysterics. I remember calling my wife at 2 a.m. and telling her that this young man was going to be something special," Dunn said.”
- ^ a b c d e f g Maslon, Laurence; Kantor, Michael (2008). Make 'Em Laugh: The Funny Business of America. New York City: Twelve. pp. 241–244. ISBN 978-0-446-50531-4
- ^ a b c d Reeve, Christopher (1998). Still Me. New York City: Random House. pp. 167–172. ISBN 978-0-679-45235-5
- ^ Dorsinville, Jean M. (2011). Franklyn V.E. Seales: Life of an Artist. iUniverse. p. 164. ISBN 978-1-4620-3331-7. オリジナルのNovember 12, 2020時点におけるアーカイブ。 October 28, 2020閲覧。
- ^ “Robin Williams' son remembers his dad and Christopher Reeve's friendship”. Fox News (November 23, 2014). November 23, 2014時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年3月6日閲覧。
- ^ “We'll Always Love You Robin!”. Thetridentrestaurant.com (August 13, 2015). September 16, 2018時点のオリジナルよりアーカイブ。September 16, 2018閲覧。
- ^ Feeney, Nolan (August 12, 2014). “Listen to Robin Williams Talk About His Struggles on an April 26, 2010 Podcast”. Time. オリジナルの2014-09-22時点におけるアーカイブ。 August 22, 2014閲覧。.
- ^ "WTF with Marc Maron – Remembering Robin Williams". WTF with Marc Maron. 11 August 2014. 2014年8月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年10月21日閲覧。
- ^ "For Juilliard, Ex-Student Hams It Up". The New York Times. AP通信. 18 May 1991. 2012年11月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年8月12日閲覧。
- ^ Blair, Caroline (August 12, 2014). “NC Comedian: Robin Williams Was My Hero, My Influence”. Time Warner Cable News. オリジナルのAugust 19, 2014時点におけるアーカイブ。 2024年3月12日閲覧。
- ^ “Robin Williams' heart never strayed far from San Francisco” (英語). San Francisco Chronicle (August 12, 2014). June 28, 2020時点のオリジナルよりアーカイブ。June 27, 2020閲覧。
- ^ a b c d Zehme, Bill (February 25, 1988). “Robin Williams: The Rolling Stone Interview”. Rolling Stone: 29–32. オリジナルのMarch 3, 2018時点におけるアーカイブ。 August 18, 2014閲覧。.
- ^ “Young Robin Williams at the Los Angeles Improv, 1977”. YouTube. 2014年9月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年3月7日閲覧。
- ^ “Robin Williams Live at the Roxy 1978”. 2015年5月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年8月31日閲覧。
- ^ Sharman, Jon (2014年8月12日). “Comedy night organiser remembers Robin Williams surprise performance at Fighting Cocks” (英語). Your Local Guardian. March 4, 2024時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年3月4日閲覧。
- ^ a b Lockett, Dee (August 19, 2014). “Letterman Remembers the First Time He Met Robin Williams”. Slate. October 23, 2014時点のオリジナルよりアーカイブ。October 23, 2014閲覧。
- ^ Rea, Steven (August 13, 2014). “Robin Williams, 63, comic genius”. The Philadelphia Inquirer. March 4, 2016時点のオリジナルよりアーカイブ。August 18, 2014閲覧。
- ^ Spitznagel, Eric (August 12, 2014). “Popeye Is the Best Movie Robin Williams Ever Made”. Vanity Fair. August 13, 2014時点のオリジナルよりアーカイブ。August 13, 2014閲覧。
- ^ “Robin Williams Biography”. Biography Channel. 2012年7月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年9月27日閲覧。
- ^ “'Happy Days' Cast Reveals How Robin Williams Got Cast as a "Martian" in Show's "Worst Script"”. The Hollywood Reporter. (November 20, 2014). オリジナルのAugust 10, 2018時点におけるアーカイブ。 August 10, 2018閲覧。.
- ^ “Mork & Mindy”. retrojunk.com. October 24, 2014時点のオリジナルよりアーカイブ。August 12, 2014閲覧。
- ^ “Robin Williams – March 12, 1979”. Time. (2014). オリジナルのAugust 14, 2014時点におけるアーカイブ。 August 12, 2014閲覧。.
- ^ “How Robin Williams Went From Unknown To Star in 5 Months”. Time. (March 12, 1979). オリジナルのAugust 12, 2014時点におけるアーカイブ。 August 13, 2014閲覧。.
- ^ Forgione, Mary (12 August 2014). "The lighter side of Robin Williams, now at National Portrait Gallery". Los Angeles Times. 2014年8月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年8月14日閲覧。
- ^ Williams, Robin. Rolling Stone, May 18, 2006
- ^ “A History of Comedy Stars on the Cover of Rolling Stone”. Rolling Stone. (June 1, 2011). オリジナルのAugust 20, 2014時点におけるアーカイブ。 August 19, 2014閲覧。.
- ^ Benedictus, Leo (6 December 2012). "Comedy gold: Robin Williams' A Night at the Met". The Guardian. London, England. 2019年6月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年12月3日閲覧。
- ^ “Grammy Award Nominees 1980 – Grammy Award Winners 1980”. Awardsandshows.com. June 13, 2017時点のオリジナルよりアーカイブ。August 9, 2019閲覧。
- ^ ロジャー・イーバート. “The World According to Garp”. Roger Ebert. February 3, 2024閲覧。 “Although Robin Williams plays Garp as a relatively plausible, sometimes ordinary person, the movie never seems bothered by the jarring contrast between his cheerful pluckiness and the anarchy around him.”
- ^ O'Connor, John J (26 March 1986). "The Academy Awards Ceremony". The New York Times. 2014年8月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年8月12日閲覧。
- ^ Robin Williams is Hilarious / Carson Tonight Show - Johnny Carson - YouTube2024年3月8日閲覧。
- ^ Anderegg, Michael, ed (1991). Inventing Vietnam: The War in Film and Television. Culture And The Moving Image: Vol 6. Philadelphia: Temple University Press. p. 238. ISBN 978-0-87722-862-2
- ^ Kuchwara, Michael [in 英語] (26 November 1988). "Still 'Waiting for Godot': Robin Williams, Steve Martin play it for laughs". The Free Lance–Star. Associated Press. 2020年11月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年10月23日閲覧。
- ^ Rich, Frank [in 英語] (7 November 1988). "Review/Theater: 'Godot': The Timeless Relationship of 2 Interdependent Souls". The New York Times. 2015年5月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年1月22日閲覧。
- ^ Monk, Katherine (August 12, 2014). “A clown and his demons: Robin Williams mixed zany comedy, sharp satire and pathos (with video)”. The Vancouver Sun. オリジナルのAugust 14, 2014時点におけるアーカイブ。 August 12, 2014閲覧。
- ^ a b Rosenberg, Alyssa (August 11, 2014). “How Robin Williams helped us grow up”. The Washington Post. オリジナルのOctober 29, 2014時点におけるアーカイブ。
- ^ Goodman, Jessica (11 August 2014). "Robin Williams and the 'O Captain' Scene That Inspired a Generation". HuffPost. 2014年10月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年10月23日閲覧。
The scene in which his students recite "O Captain! My Captain," an homage to Walt Whitman's poem, has become an indelible part of pop culture.
- ^ Neale, Ryan Thomas (August 12, 2014). “Requiem for a Therapist: A Tribute to Robin Williams”. HuffPost. August 19, 2014時点のオリジナルよりアーカイブ。October 23, 2014閲覧。
- ^ Rolling Stone, February 21, 1991, p. 26.
- ^ Medavoy, Mike (2002). You're Only as Good as Your Next One: 100 Great Films, 100 Good Films, and 100 for Which I Should Be Shot. Young, Josh (contributor). New York: Simon & Schuster (Altria). p. 228. ISBN 978-0-7434-0054-1
- ^ a b c d e f g h i j Grobel, Lawrence (January 1992). “Playboy Interview: Robin Williams”. Playboy (Beverly Hills, California: Playboy Enterprises). オリジナルのJanuary 19, 2016時点におけるアーカイブ。 . "Director Terry Gilliam has worked with Williams twice, most recently The Fisher King and earlier in The Adventures of Baron Munchausen, in which Williams appeared as a giant-headed man in the moon. "The thing with Robin is, he has the ability to go from manic to mad to tender and vulnerable," says Gilliam, who was a founding member of Monty Python. "He's the most unique mind on the planet. There's nobody like him out there.""
- ^ Turning Robin Williams into 'Aladdin's' Genie. ABC News. 15 August 2014. 2021年12月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。YouTubeより。
- ^ a b McDonald, Soraya Nadia (15 August 2014). "Robin Williams almost didn't make 'Aladdin,' and a generation of children is grateful that he did". The Washington Post. 2017年12月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年9月10日閲覧。
Yet, he almost didn't make the movie because he had deep philosophical differences with Disney and its sweeping commercialism. Williams didn't want to become a party to selling Disney-licensed bric-a-brac. / "The one thing I said was I will do the voice," Williams told New York magazine. "I'm doing it basically because I want to be part of this animation tradition. I want something for my children. One deal is, I just don't want to sell anything — as in Burger King, as in toys, as in stuff."
- ^ Labrecque, Jeff (August 12, 2014). “Robin Williams in 'Aladdin': Animator Eric Goldberg remembers drawing Genie”. Entertainment Weekly. オリジナルのAugust 18, 2014時点におけるアーカイブ。 August 18, 2014閲覧。.
- ^ a b “Golden Globes, USA (1993)”. IMDb. January 7, 2021閲覧。
- ^ Meslow, Scott (October 28, 2011). “How Celebrities Took Over Cartoon Voice Acting”. The Atlantic. オリジナルのJuly 31, 2018時点におけるアーカイブ。 August 17, 2014閲覧。.
- ^ "2009 Disney Legends Award Recipients to Be Honored During D23 Expo in Anaheim". Reuters. 1 September 2009. 2013年12月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年1月26日閲覧。
- ^ Welkos, Robert (24 October 1994). "Abracadabra: Disney, Robin Williams Quit Feud". Los Angeles Times. 2017年6月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年7月12日閲覧。
- ^ Cerone, Daniel Howard [in 英語] (27 September 1995). "Genie Grants Disney's Video Wish : Marketing: Robin Williams will reprise his 'Aladdin' role in 'King of Thieves,' continuing the emergence of direct-to-video projects as an industry gold mine". Los Angeles Times. 2021年5月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年8月15日閲覧。
- ^ a b “Robin Williams”. AllMovie. February 20, 2015時点のオリジナルよりアーカイブ。August 12, 2014閲覧。
- ^ Cook, Jon (1997年4月4日). “Comedians Crystal and Williams in "Friends" episode”. canoe.ca. 2014年8月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年8月12日閲覧。
- ^ Lax, Eric (2007). Conversations with Woody Allen: His Films, the Movies, and Moviemaking. New York City: Knopf Doubleday. p. 52. ISBN 978-0375415333
- ^ "Robin Williams and Audible Announce New Weekly Internet Program". Business Wire. The Free Library. 6 January 2000. 2018年11月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年11月21日閲覧。
- ^ Frauenfelder, Mark (December 1, 2002). “Living online”. Playboy 49 (12): 41.
- ^ Ostroff, Joshua (12 August 2014). "That Time Robin Williams Sang 'Blame Canada' At The 2000 Oscars (VIDEO)". The Huffington Post Canada. 2024年3月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年3月12日閲覧。
- ^ Robin Williams: Live on Broadway - インターネット・ブロードウェイ・データベース - 2024年3月9日閲覧。
- ^ 100 Greatest Stand-Ups of All Time - IMDb - 2024年3月9日閲覧。
- ^ "Kids' Choice Awards". CBS News. 1 April 2006. 2014年8月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年8月12日閲覧。
- ^ "Quick Takes: An 'Extreme Makeover' salute to military families". Los Angeles Times. Associated Press. 3 November 2011. 2014年12月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年8月12日閲覧。
- ^ Gans, Andrew (July 8, 2009). “HBO to Air Robin Williams' Weapons of Self-Destruction” (英語). March 6, 2016時点のオリジナルよりアーカイブ。June 27, 2020閲覧。
- ^ “Insomnia (2002)”. AllMovie. February 14, 2015時点のオリジナルよりアーカイブ。August 12, 2014閲覧。
- ^ “One Hour Photo (2002)”. AllMovie. March 14, 2014時点のオリジナルよりアーカイブ。August 12, 2014閲覧。
- ^ Whose Line Is It Anyway?. シーズン3. Episode 9. 16 November 2000.
- ^ "He really wanted to be in the movie". News.com.au. 2 January 2017. 2017年1月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年1月15日閲覧。
- ^ Veness, Susan (2009). The Hidden Magic of Walt Disney World: Over 600 Secrets of the Magic Kingdom, Epcot, Disney's Hollywood Studios, and Animal Kingdom. Vero Beach, Florida: Adams Media. p. 74. ISBN 978-1-4405-0432-7. オリジナルのSeptember 30, 2015時点におけるアーカイブ。 July 17, 2015閲覧。
- ^ Stanhope, Kate (August 11, 2014). “Robin Williams Dies of Suspected Suicide at 63”. TVガイド. August 12, 2014時点のオリジナルよりアーカイブ。October 23, 2014閲覧。
- ^ Isherwood, Charles (31 March 2011). "Ghostly Beast Burning Bright in Iraq". The New York Times. 2014年8月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年8月12日閲覧。
- ^ Lewis, Jessica (2011年4月25日). “2011 Drama League Nominations Announced - Complete List!”. Broadway world. 2024年3月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年3月9日閲覧。
- ^ Rose, Lacey; Goldberg, Lesley (May 10, 2013). “CBS Orders Chuck Lorre's 'Mom,' Robin Williams' 'Crazy Ones,' Will Arnett Comedy, More”. The Hollywood Reporter. オリジナルのOctober 31, 2013時点におけるアーカイブ。 July 25, 2013閲覧。.
- ^ Littleton, Cynthia (May 10, 2014). “CBS Renews 'Mentalist', Cancels 'Crazy Ones', 'Hostages', 'Intelligence' & 2 More”. Variety. オリジナルのMay 11, 2014時点におけるアーカイブ。 August 12, 2014閲覧。.
- ^ Hachard, Tomas (22 May 2014). "The 'Angriest' Robin Williams Sadly Becomes The Inspirational One". NPR. 2018年9月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年9月13日閲覧。
- ^ Elavsky, Cindy [in 英語] (24 August 2014). "Celebrity Extra". Downriver Sunday Times. King Features. 2019年4月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年9月5日閲覧。
- ^ Herbert, Emily (November 15, 2014). Robin Williams: When the Laughter Stops 1951–2014. London, England: John Blake Publishing Ltd.. ISBN 978-1-78418-300-4. OCLC 889523094. オリジナルのDecember 26, 2016時点におけるアーカイブ。 August 26, 2016閲覧. "his "creative process could reverse into a complete meltdown""
- ^ Gardner, Chris (4 October 2017). "Robin Williams Accused of Stealing Jokes in Comedy Tell-All Book". The Hollywood Reporter (英語). 2018年7月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年7月20日閲覧。
- ^ “Robin Williams: Prince of Thieves” (英語). Kempa.com. July 21, 2018時点のオリジナルよりアーカイブ。July 20, 2018閲覧。
- ^ Zoglin, Richard (2008). Comedy at the Edge. Bloomsbury USA. ISBN 978-1-58234-624-3
- ^ Sims, David (28 July 2015). "In Conan O'Brien Versus Twitter Comedians, Whose Joke Is It Anyway?". The Atlantic (アメリカ英語). 2018年7月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年7月20日閲覧。
- ^ a b Giles, Jeff (February 21, 1991). “Robin Williams: Fears of a Clown”. Rolling Stone. オリジナルのAugust 15, 2014時点におけるアーカイブ。 August 17, 2014閲覧. "Whoopi Goldberg, who thinks Williams is "the cat's pajamas," says in her friend's defense: "They made it sound as if Robin were taking their livelihood away. Comics do this all the time. Someone says a great line, and it stays with you, and you use it. We had 'Make my day.' Everybody was saying it, is that theft?""
- ^ a b "Jonathan Winters Dead: 'Mork and Mindy' Star Dies At Age 87". HuffPost. 12 April 2013. 2014年11月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年10月23日閲覧。
- ^ Florio, Angelica (17 July 2018). "How This Influential Female Comic Completely Changed Robin Williams' Life". Bustle. 2024年3月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年3月11日閲覧。
- ^ Browne, David (September 11, 2014). “Robin Williams, 1951–2014”. Rolling Stone: 38–47.
- ^ Darrach, Brad (February 22, 1988). “A Comic's Crisis of the Heart”. People. オリジナルの2011-02-02時点におけるアーカイブ。 August 13, 2014閲覧。.
- ^ Holahan, David. "Robin Williams bio revelations: Infidelity, substance abuse, insecurity over Jim Carrey". USA Today. 2021年7月28日閲覧。
- ^ Mikelbank, Peter; Clehane, Diane; Dagostino, Mark (April 14, 2008). “Robin Williams Surprise Split”. People February 6, 2023閲覧。.
- ^ LaSalle, Mick [in 英語] (11 July 2018). "Robin Williams gets his just due in documentary 'Come Inside My Mind'". San Francisco Chronicle. 2018年10月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年10月25日閲覧。
- ^ a b Hochman, David (September 9, 2013). “Still Crazy: Years after Mork and Buffy, Robin Williams and Sarah Michelle Gellar hope to rope us in with a new sitcom”. TV Guide: 16–19. ISSN 0039-8543.
- ^ Garchik, Leah (March 27, 2008). “Robin Williams' wife files for divorce after nearly 19 years”. San Francisco Chronicle. オリジナルのMarch 29, 2008時点におけるアーカイブ。 2024年3月6日閲覧。
- ^ "結婚19年目のロビン・ウィリアムズ、離婚へ". シネマトゥデイ. 27 March 2008. 2013年2月1日閲覧。
- ^ "[EU] What Links a Hollywood Legend and his daughter to one of the greatest video game franchises of all time?". Nintendo World Report. 15 June 2011. 2023年12月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年3月11日閲覧。
- ^ Rosenberg, Jared (15 June 2011). "Ocarina of Time 3D Commercial Stars Robin Williams". Nintendo World Report. 2023年10月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年3月11日閲覧。
- ^ Chaney, Jen (24 October 2011). "Robin Williams and Susan Schneider reportedly wed". The Washington Post. 2018年10月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年8月18日閲覧。
- ^ Ravitz, Justin (October 24, 2011). “Robin Williams Weds!”. USウィークリー. オリジナルのOctober 26, 2011時点におけるアーカイブ。 October 24, 2014閲覧。.
- ^ "御年60歳のロビン・ウィリアムズ、3度目の結婚!お相手は一回り以上年下のデザイナー!". シネマトゥデイ. 25 October 2011. 2013年2月1日閲覧。
- ^ Glover, Bob (2014). “Robin Williams, My Teammate”. ランナーズ・ワールド. オリジナルのJuly 11, 2020時点におけるアーカイブ。 July 11, 2020閲覧。.
- ^ "Robin Williams. It's time for a convoluted stream of consciousness. Ask Me Anything!". Reddit.com. 25 September 2013. 2014年8月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年8月12日閲覧。
- ^ Szymanski, Mike (21 August 2002). "Robin Williams Confesses to Another Addiction ... the Internet". Zap2it. Chicago, Illinois: Tribune Media Services. 2002年10月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年8月22日閲覧。
- ^ DeMaria, Rusel; Wilson, Johnny L. (2003). High Score!: The Illustrated History of Electronic Games (2nd ed.). New York: McGraw-Hill. p. 154. ISBN 978-0-07-223172-4. オリジナルのFebruary 15, 2017時点におけるアーカイブ。 January 23, 2017閲覧。
- ^ Graser, Marc (August 13, 2014). “Robin Williams to Be Memorialized in 'World of Warcraft'”. Variety (Los Angeles, California). オリジナルのAugust 16, 2014時点におけるアーカイブ。 August 16, 2014閲覧。.
- ^ Boutin, Paul (January 6, 2006). “Live coverage of Google Keynote with Robin Williams”. Engadget. October 6, 2014時点のオリジナルよりアーカイブ。February 6, 2023閲覧。
- ^ Terdiman, Daniel (May 11, 2006). “Robin Williams yucks it up for 'Spore'”. CNET. August 20, 2014時点のオリジナルよりアーカイブ。August 19, 2014閲覧。
- ^ “Dungeons and Dragons Game Day at London Dungeon”. Viewlondon.co.uk. 2007年7月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年8月29日閲覧。
- ^ a b c Peters, Megan (17 May 2018). "Robin Williams' Daughter Asks Fans To Help Identify His Massive Anime Collection". Comic Book. 2018年8月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年2月9日閲覧。
- ^ “Robin Williams loved Anime, I did not know that ... (from user babysaidmaybe)”. Imgur (March 5, 2017). November 12, 2020時点のオリジナルよりアーカイブ。February 9, 2020閲覧。
- ^ Macdonald, Christopher (5 May 2005). "More Robin Williams on Anime". Anime News Network. 2020年8月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年2月9日閲覧。
- ^ Murphy, Brian. "Tour de Lance: 100 percent pure". ESPN. 2007年2月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年6月29日閲覧。
- ^ Koeppel, Dan (2003). “Robin Williams Profile – Robin Williams: "I'm Lucky to Have Bikes in My Life"”. Bicycling Magazine. オリジナルのSeptember 3, 2014時点におけるアーカイブ。 September 2, 2014閲覧。.
- ^ Christopher & Dana Reeve Foundation (2016-10-14work=PR Newswire). “Robin Williams' Beloved Bicycle Collection to be Auctioned to Benefit Challenged Athletes Foundation and Reeve Foundation”. 2024年3月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年3月11日閲覧。
- ^ “CAF Remembers Robin Williams”. triathlete. Outside (2014年). 2024年3月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年3月11日閲覧。
- ^ “Robin Williams’ $20m (and Counting) Gift to Adaptive Athletes”. AMPLITUDE (2020年7月15日). 2024年3月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年3月11日閲覧。
- ^ Smart, Jack (2024年2月1日). “Christopher Reeve and Robin Williams' Friendship: From College Roommates to Becoming 'Brothers from Another Mother'”. People. 2024年3月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年3月11日閲覧。
- ^ World Entertainment News Network (2014年8月12日). “Robin Williams to Care for Christopher and Dana Reeve’s Son”. HOLLYWOOD. 2024年3月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年3月11日閲覧。
- ^ Johnson, Caitlin A. (2007年7月3日). “A "License" to Laugh”. CBS News. 2012年2月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年3月27日閲覧。 “"I have that idea of Chicago protestant, Episcopal — Catholic light: half the religion, half the guilt," he told Early Show co-anchor Hannah Storm when asked about how he saw his latest character.”
- ^ Borschel, Amanda (12 August 2014). "'Honorary Jew' Robin Williams, 63, found dead". The Times of Israel. Associated Press. 2014年8月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年8月12日閲覧。
- ^ “Celebrity Salute to Israel @ Times Square” (May 13, 2008). August 13, 2014時点のオリジナルよりアーカイブ。August 12, 2014閲覧。
- ^ Brown, Carolyn M. (August 12, 2014). “Robin Williams, Whoopi Goldberg and Billy Crystal Raised $80 Million For Homeless”. blackenterprise.com. October 25, 2014時点のオリジナルよりアーカイブ。October 24, 2014閲覧。
- ^ Finn, Natalie (August 12, 2014). “Billy Crystal and Whoopi Goldberg React in Kind to Robin Williams' Death: "No Words"”. E!. October 23, 2014時点のオリジナルよりアーカイブ。October 25, 2014閲覧。
- ^ Thompson, Mark (August 12, 2014). “The Military Absolutely Loved Robin Williams”. Time. オリジナルのAugust 9, 2019時点におけるアーカイブ。 .
- ^ On Patrol, USO, Fall 2014, p. 8
- ^ Bronstein, Phil [in 英語] (9 February 2005). "Good Morning, Iraq". San Francisco Chronicle. 2007年3月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年9月4日閲覧。
- ^ "Stones cover enters festive race". BBC News. 10 December 1999. 2005年11月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年7月14日閲覧。
- ^ Greenhill, Marc (16 November 2010). "Robin Williams' quake donation". Stuff. 2014年8月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年8月11日閲覧。
- ^ “Robin Williams donates proceeds to Canterbury quake” (2010年11月16日). 2010年11月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年11月11日閲覧。
- ^ “Celebrity Involvement at St. Jude”. St. Jude. June 14, 2012時点のオリジナルよりアーカイブ。July 7, 2012閲覧。
- ^ 市川遥 (18 August 2014). "ロビン・ウィリアムズさん、死の数か月前に末期がん患者の願いをかなえていた". シネマトゥデイ. 2024年3月12日閲覧。
- ^ a b c d Aitkenhead, Decca (20 September 2010). "Robin Williams: 'I was shameful, did stuff that caused disgust—that's hard to recover from'". The Guardian. London, England. 2014年8月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年8月12日閲覧。
Williams used to be a big-drinking cocaine addict, but quit both before the birth of his eldest son in 1983, and stayed sober for 20 years. On location in Alaska in 2003, however, he started drinking again. He brings this up himself, and the minute he does he becomes more engaged.[中略]He didn't take up cocaine again, because "I knew that would kill me". I'd have thought it would be a case of in for a penny – "In for a gram?" he smiles. "No. Cocaine – paranoid and impotent, what fun. There was no bit of me thinking, ooh, let's go back to that. Useless conversations until midnight, waking up at dawn feeling like a vampire on a day pass. No."
- ^ "(video) Robin Williams Told Friend 'Cycling Saved My Life' Post-Cocaine Days". ABC News. 13 August 2014. 2014年8月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年8月16日閲覧。
- ^ Duke, Alan (14 August 2014). "Robin Williams was in early stages of Parkinson's disease, wife reveals". CNN. 2014年8月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年8月16日閲覧。
- ^ Gay, Jason (14 August 2014). "Robin Williams and Dario Pegoretti: The Comedian and the Bike Builder". The Wall Street Journal. 2014年8月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年8月18日閲覧。(要購読契約)
- ^ "Robin Williams Comes Clean on 'GMA'". ABC News. New York City: ABC]. 2 October 2006. 2010年9月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年8月29日閲覧。
- ^ Duke, Alan (4 March 2009). "Robin Williams, short of breath, takes a break". Atlanta, Georgia: CNN. 2014年8月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年8月12日閲覧。
- ^ Errico, Marcus (August 11, 2014). “Robin Williams Dead of Apparent Suicide at 63”. Yahoo!. August 12, 2014時点のオリジナルよりアーカイブ。August 12, 2014閲覧。
- ^ “Robin Williams to undergo heart surgery”. Today. Associated Press. (March 5, 2009). オリジナルのOctober 24, 2014時点におけるアーカイブ。 October 29, 2014閲覧。
- ^ Doheny, Kathleen. “Robin Williams' Heart Surgery: Road to Recovery”. WebMD. 2019年12月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年12月19日閲覧。
- ^ "Robin Williams' heart surgery goes 'extremely well'". Atlanta, Georgia: CNN. 23 March 2009. 2014年10月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年5月22日閲覧。
- ^ "ロビン・ウィリアムズ、心臓手術から順調に回復". シネマトゥデイ. 25 March 2009. 2013年2月1日閲覧。
- ^ Duke, Alan (12 August 2014). "Robin Williams dead; family, friends and fans are 'totally devastated'". CNN. 2014年8月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年8月16日閲覧。
- ^ "Robin Williams 'had Parkinson's'". BBC News. 14 August 2014. 2014年8月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年8月14日閲覧。
Susan Schneider said her husband had been sober but "not yet ready to share publicly" his struggles with Parkinson's.
- ^ Ryder, Taryn (2014年8月15日). “Wife: Robin Williams Had Parkinson's Disease, His Sobriety Intact Before Death”. Yahoo!. 2014年8月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年8月15日閲覧。
- ^ a b c d e Schneider Williams, Susan (September 27, 2016). “The terrorist inside my husband's brain” (英語). Neurology 87 (13): 1308–1311. doi:10.1212/WNL.0000000000003162. PMID 27672165. オリジナルのJuly 22, 2020時点におけるアーカイブ。 July 23, 2020閲覧. "Robin was losing his mind and he was aware of it ... He kept saying, 'I just want to reboot my brain.'""
- ^ a b "Robin Williams coroner's report finds no illegal drugs or alcohol in system". Daily News. New York. 2014年11月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年11月11日閲覧。
- ^ “Robin Williams suffered from a common form of dementia that many people don't know about”. Quartz (October 2, 2016). October 5, 2016時点のオリジナルよりアーカイブ。October 6, 2016閲覧。
- ^ Itzkoff, Dave; Fitzsimmons, Emma G.; Weber, Bruce (11 August 2014). "Robin Williams, Oscar-Winning Comedian, Dies at 63". The New York Times. 2020年1月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年8月11日閲覧。
- ^ "米俳優ロビン・ウィリアムズさん死去、自殺か". AFPBB News. フランス通信社. 12 August 2014. 2024年3月11日閲覧。
- ^ "California: Robin Williams's Autopsy Shows No Illicit Drugs". The New York Times. Associated Press. 7 November 2014. 2014年11月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年11月9日閲覧。
The autopsy results found that the actor had taken prescription medications, but in "therapeutic concentrations." The coroner ruled Mr. Williams' death a suicide that resulted from asphyxia due to hanging. His death had been preliminarily ruled a suicide, with sheriff's officials saying he hanged himself with a belt.
- ^ "No Alcohol Or Drugs Involved in Death of Robin Williams". NBC News. 7 November 2014. 2019年1月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年12月20日閲覧。
- ^ Stucker, Matthew (7 November 2014). "Robin Williams' death ruled suicide". CNN. 2014年11月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年11月7日閲覧。
- ^ Freeman, Hadley (1 January 2021). "Robin Williams's widow: 'There were so many misunderstandings about what had happened to him'". The Guardian. 2022年11月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年3月23日閲覧。
After Williams died, it was widely reported that he had been suffering from depression, alcoholism, or both. To Schneider, this shows "how we as a culture don't have the vocabulary to discuss brain disease in the way we do about depression. Depression is a symptom of LBD and it's not about psychology – it's rooted in neurology. His brain was falling apart." Williams had struggled with addictions in the past, but Schneider Williams says that wasn't the problem this time.
- ^ 井関栄三 (December 2005). "13.レビー小体型認知症(dementia with Lewy bodies)". 日本神経病理学会. 2024年3月12日閲覧。
- ^ 椎野顯彦. "4. レビー小体病 (Lewy body disease)". 専門医のための認知症テキスト. 滋賀医科大学神経難病研究センター. 2024年3月12日閲覧。
- ^ 「第7章 Lewy小体型認知症」『認知症診療ガイドライン2017』、245頁 。2024年3月12日閲覧。「とくにレム期睡眠時の筋緊張異常はレビー小体病理に非常に特異性が高く,[後略]」
- ^ 櫻井, 博文「パーキンソン病とレビー小体型認知症」『心身医学』第60巻第4号、2020年、315-320頁、doi:10.15064/jjpm.60.4_315、2024年3月12日閲覧。
- ^ "Robin Williams' daughter, Zelda, discusses the lives her father touched". Entertainment. Christian Today. 28 February 2015. 2024年3月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年3月12日閲覧。
Zelda, however, refused to speculate. "Diseases, until we find out how they work, we don't have an explanation," she said. "So there's no one I can offer." In regards to why her father took her life, she said that that question was "not important to ask," and that she didn't "think there's a point."
- ^ "Robin Williams' Ashes Scattered Over San Francisco Bay". NBC News. 22 August 2014. 2024年3月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年3月12日閲覧。
- ^ Ford, Dana (21 August 2014). "Robin Williams' ashes scattered in San Francisco Bay". CNN. 2016年5月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年8月21日閲覧。
- ^ “Death Certificate Indicates Robin Williams Cremated, Ashes Scattered In San Francisco Bay”. CBS Local (August 21, 2014). August 26, 2014時点のオリジナルよりアーカイブ。September 16, 2014閲覧。
- ^ "ロビン・ウィリアムズさん、遺灰は海に散布". CNN.co.jp. 22 August 2014. 2016年7月1日閲覧。
- ^ 馬場, かんな (22 August 2014). "ロビン・ウィリアムズさん、遺灰が海にまかれる". ハリウッドニュース. 2021年7月12日閲覧。
- ^ 中野渉 (3 November 2015). "ロビン・ウィリアムズさんの自殺、妻が明かす「本当の原因」とは". ハフポスト. 2024年3月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年3月12日閲覧。
- ^ "R・ウィリアムズさんの遺産相続争い和解". SANKEI EXPRESS. 5 October 2015. 2015年11月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年3月12日閲覧。
- ^ Derschowitz, Jessica (12 August 2014). "Robin Williams tributes pour in from Hollywood". CBS News. 2014年10月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年10月29日閲覧。
- ^ "Beloved Comic, Actor Robin Williams Dead at 63". NBC. 12 August 2014. 2014年8月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年10月29日閲覧。
This morning, I lost my husband and my best friend, while the world lost one of its most beloved artists and beautiful human beings," his wife Susan Schneider said in a statement Monday. "I am utterly heartbroken.
- ^ “Robin Williams' Family: 'The World is Forever a Little Darker'”. Variety. (August 12, 2014). オリジナルのDecember 22, 2014時点におけるアーカイブ。 August 12, 2014閲覧. "[前略], but the entire world is forever a little darker, less colorful and less full of laughter in his absence."※同じ記事には息子2名と2番目の妻マーシャ・ガルセス・ウィリアムズも寄稿している。
- ^ 岩崎昌子 (15 August 2014). "ロビン・ウィリアムズのパーキンソン病公表にマイケル・J・フォックスが深悼". GQ JAPAN. 2024年3月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年3月12日閲覧。
- ^ "bangarangの意味・使い方・読み方". Weblio英和辞書. 2024年3月12日閲覧。
- ^ “President Obama on the Passing of Robin Williams: "He Was One of a Kind"”. White House (August 11, 2014). December 21, 2018時点のオリジナルよりアーカイブ。March 5, 2019閲覧。 “Robin Williams was an airman, a doctor, a genie, a nanny, a president, a professor, a bangarang Peter Pan, and everything in between. But he was one of a kind. He arrived in our lives as an alien—but he ended up touching every element of the human spirit. He made us laugh. He made us cry. He gave his immeasurable talent freely and generously to those who needed it most—from our troops stationed abroad to the marginalized on our own streets.[後略]”
- ^ a b c Collis, Clark (November 11, 2014). “Monty Python reunion: Eric Idle on his late friend Robin Williams”. Entertainment Weekly. オリジナルのAugust 22, 2019時点におけるアーカイブ。 August 22, 2019閲覧. "“Robin was supposed to come and do the last night,” says Idle, [中略] “And all the time I was getting emails from him, and he was going downhill. Then he said he could come, but he didn’t want to be onstage. I said, ‘I totally get that.’ Because he was suffering from severe depression. Through my friend Bobcat Goldthwait we were in touch, and in the end he said, ‘I can’t come, I’m sorry, but I love you very much.’ We realized afterwards he was saying goodbye.”"
- ^ “International Youth Day Event: Mental Health Matters” (英語). United Nations Photo. 2020年6月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年6月27日閲覧。
- ^ Idato, Michael (14 August 2014). "Robin Williams death: Jimmy Fallon fights tears, pays tribute with 'Oh Captain, My Captain'". The Sydney Morning Herald. 2014年9月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年11月15日閲覧。
- ^ Lewis, Hilary (August 14, 2014). “Disney Networks to Air 'Aladdin' in Honor of Robin Williams”. The Hollywood Reporter. オリジナルのMarch 29, 2020時点におけるアーカイブ。 .
- ^ “Robin Williams honored on Broadway with dimmed lights, 'Aladdin' tribute”. NBC News (August 14, 2014). January 28, 2018時点のオリジナルよりアーカイブ。January 28, 2018閲覧。
- ^ Simakis, Andrea (14 August 2014). "Broadway's 'Aladdin' cast honors Robin Williams with song". The Plain Dealer. 2014年10月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年10月29日閲覧。
- ^ "Fans mourn Robin Williams at Hollywood Walk of Fame star, autopsy pending". Los Angeles Daily News. City News Service. 12 August 2014. 2014年8月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年8月16日閲覧。
- ^ MacQuarrie, Brian; Crimaldi, Laura (12 August 2014). "Boston fans remember Robin Williams". The Boston Globe. 2014年8月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年8月15日閲覧。
- ^ Rocha, Veronica (13 August 2014). "Robin Williams memorial grows outside 'Mrs. Doubtfire' house". Los Angeles Times. 2014年8月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年8月16日閲覧。
- ^ “Keene theater to host free 'Jumanji' screening after star's death” (August 15, 2014). June 14, 2020時点のオリジナルよりアーカイブ。March 19, 2018閲覧。
- ^ Bacle, Ariana (August 12, 2014). “Fans remember Robin Williams at 'Mork and Mindy' house”. Entertainment Weekly. オリジナルのAugust 15, 2014時点におけるアーカイブ。 August 15, 2014閲覧。.
- ^ a b Sacks, Ethan (25 August 2014). "Emmys 2014: Robin Williams given emotional tribute by good friend Billy Crystal". Daily News. New York. 2014年8月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年8月26日閲覧。
- ^ Therrell, Lane (August 22, 2014). “Billy Crystal Emmys Tribute to Robin Williams Expected to Honor Humor”. Guardian Liberty Voice. May 26, 2023時点のオリジナルよりアーカイブ。May 25, 2023閲覧。
- ^ “Robin Williams late-night tributes: Jimmy Fallon, Seth Meyers and Conan O'Brien share memories”. The Washington Post. (August 13, 2014). オリジナルのMarch 6, 2019時点におけるアーカイブ。 March 4, 2019閲覧。
- ^ Weinstein, Shelli (September 2, 2014). “Robin Williams Tribute Special to Air on PBS”. Variety. オリジナルのApril 17, 2023時点におけるアーカイブ。 May 25, 2023閲覧。.
- ^ Barnes, Mike (September 27, 2014). “Robin Williams' Life Celebrated at San Francisco Tribute Attended by Family, Industry Friends”. The Hollywood Reporter. オリジナルのMay 25, 2023時点におけるアーカイブ。 May 25, 2023閲覧。.
- ^ “Iron Maiden dedicate new song 'Tears Of A Clown' to Robin Williams” (August 24, 2015). September 6, 2015時点のオリジナルよりアーカイブ。December 15, 2022閲覧。
- ^ "Robin Williams tunnel officially gets new signs". San Francisco Chronicle. March 2016. 2016年10月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年1月2日閲覧。
- ^ “Golden Gate Park meadow renamed for Robin Williams”. San Francisco Chronicle (December 22, 2017). March 14, 2020時点のオリジナルよりアーカイブ。January 9, 2020閲覧。
- ^ Gleiberman, Owen (January 20, 2018). “Sundance Film Review: 'Robin Williams: Come Inside My Mind'”. Variety. オリジナルのJuly 18, 2018時点におけるアーカイブ。 July 10, 2018閲覧。.
- ^ "San Francisco mural honors Robin Williams". Los Angeles Times. 30 August 2018. 2018年9月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年9月9日閲覧。
- ^ Rodriguez, Joe Fitzgerald (29 August 2018). "Artist paints Robin Williams mural for free on SF's Market Street". San Francisco Examiner. 2018年8月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年5月22日閲覧。
- ^ Lewis, Andy (August 27, 2014). “Robin Williams Bio in the Works”. The Hollywood Reporter. オリジナルのMay 25, 2023時点におけるアーカイブ。 May 25, 2023閲覧。.
- ^ Itzkoff, Dave (May 15, 2018). Robin. New York: Henry Holt and Company. ISBN 9781627794244. OCLC 1035944986
- ^ 賀来比呂美 (22 March 2018). "パム・ドーバー、故ロビン・ウィリアムズのセクハラ行為を暴露". CinemaCafe.net. 2024年3月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年3月12日閲覧。
- ^ Huff, Lauren (August 6, 2020). “Robin Williams' final days detailed in touching trailer for new documentary Robin's Wish”. Entertainment Weekly. オリジナルのAugust 6, 2020時点におけるアーカイブ。 August 7, 2020閲覧。.
- ^ “The Hall — National Comedy Center, Jamestown, NY”. National Comedy Center. May 25, 2023閲覧。
- ^ Friedman, Roger (August 13, 2014). “Glenn Close on Friend and Colleague: "Robin Williams Was a World Treasure"” (英語). Showbiz411.com. May 17, 2022時点のオリジナルよりアーカイブ。May 25, 2023閲覧。
- ^ a b Goodale, Gloria (12 August 2014). "Robin Williams: His unscripted riffs were not merely funny, but observant". The Christian Science Monitor. Los Angeles. ISSN 0882-7729. 2022年6月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年5月25日閲覧。
Nonetheless, it was this effort to find himself that may lie at the heart of his most valuable gift, says Derek A. Burrill, associate professor of Media and Cultural Studies at UC Riverside in Calif. "Probably the most important contribution he made to pop culture, across so many different media, was as Robin Williams the person," he says via e-mail.
- ^ a b Browne, David (September 11, 2014). “Robin Williams, 1951–2014”. Rolling Stone: 38–47. オリジナルのAugust 29, 2016時点におけるアーカイブ。 August 26, 2016閲覧. ""You can't look at any modern comic and say, 'That's the descendant of Robin Williams, because it's not possible to be a Robin Williams rip-off," Judd Apatow says. "He was doing something so unique that no one could even attempt their version of it. He raised the bar for what it's possible to do, and made an enormous amount of us want to be comedians. He looked like he was having so much fun.""
- ^ "Jim Carrey Impersonates Robin Williams" - YouTube
- ^ “Valley native Chris Columbus speaks about life with Robin Williams”. vindy.com (August 13, 2014). August 19, 2014時点のオリジナルよりアーカイブ。October 24, 2014閲覧。 “Columbus said in his statement. “To watch Robin work was a magical and special privilege. His performances were unlike anything any of us had ever seen, they came from some spiritual and otherworldly place. He truly was one of the few people who deserved the title of ‘genius.’”
- ^ “Robin Williams”. Television Academy. August 7, 2020時点のオリジナルよりアーカイブ。January 28, 2020閲覧。
- ^ “Robin Williams”. goldenglobes.com. July 31, 2020時点のオリジナルよりアーカイブ。January 28, 2020閲覧。
- ^ “Robin Williams – Artist”. National Academy of Recording Arts and Sciences. 2020年9月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年8月2日閲覧。 “"ARTIST ROBIN WILLIAMS WINS 5 NOMINATIONS 9"”
- ^ “Robin Williams | Biography, Movies, Awards, Death, & Facts”. Encyclopædia Britannica. June 27, 2019時点のオリジナルよりアーカイブ。January 28, 2020閲覧。
- ^ “After Robin Williams Fans Criticized His Genie Being Used In New Disney Short, Josh Gad Provided Clarity | Cinemablend”. web.archive.org (2023年6月23日). 2023年11月17日閲覧。
- ^ a b c “江原正士さんに聞く”. フジテレビ. 2001年9月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年4月27日閲覧。
- ^ a b c d e とり・みき (2004). とり・みきの映画吹替王. 洋泉社. p. 178-183. ISBN 4896918371
- ^ “Vol.344 <前編>映像翻訳家 松崎広幸さん”. 翻訳学校 フェロー・アカデミー. 2015年11月14日閲覧。
- ^ a b “松崎さんに聞く”. フジテレビ. 2001年9月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年5月29日閲覧。
- ^ a b “DVDの秘密”. ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント. 2004年8月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年5月31日閲覧。
- ^ 2023年2月『NHK ラジオ深夜便 時代を創った声』出演時の発言より
- ^ 吉田啓介のツイート(2023年7月19日)
- ^ 吉田啓介のツイート(2023年7月19日)
- ^ “ミセス・ダウト”. スターチャンネル. 2023年12月22日閲覧。
- ^ ムービープラスのツイート(2023年6月16日)
- ^ ムービープラスのツイート(2023年4月15日)
- ^ 山寺宏一より今週の一言 2014/08/25 13:08(アーカイブ)
- ^ 【声優】山寺宏一さん日本音声製作者連盟 - アニメ音響制作 外国映画・海外ドラマ
- ^ “山寺宏一、実写版「アラジン」でもジーニーに声当てる「大切で特別な存在」”. 映画ナタリー. (2019年3月26日) 2019年3月26日閲覧。
参考文献
[編集]- David, Jay (1999). The Life and Humor of Robin Williams: A Biography. New York: Quill. ISBN 978-0-688-15245-1
- Dougan, Andy (1999). Robin Williams: A Biography. Thunder's Mouth Press. ISBN 978-1-56025-213-9
- Spignesi, Stephen J. (1997). The Robin Williams Scrapbook. Secaucus, NJ: Carol Pub.. ISBN 978-0-8065-1891-6
発展資料
[編集]- "The Life and Death of Robin Williams". ABC News. 2020. 12 August 2014. 2014年8月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年8月13日閲覧。
- Travers, Peter. “Peter Travers on 9 of His Favorite Robin Williams Performances – Rolling Stone's film critic weighs in on the late actor and comedian's best work”. Rolling Stone .
- Weisman, Aly (2014年8月13日). “Robin Williams set up a 3-part trust fund for his kids amid money troubles before death”. Business Insider 2024年3月12日閲覧。
外部リンク
[編集]- ロビン・ウィリアムズ - インターネット・ブロードウェイ・データベース
- ロビン・ウィリアムズ - IMDb
- ロビン・ウィリアムズ - TCM Movie Database
- ロビン・ウィリアムズ - C-SPAN