アヴィアーノ空軍基地
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アヴィアーノ空軍基地 Base aerea di Aviano Aviano Air Base | |||||||||
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IATA: AVB - ICAO: LIPA | |||||||||
概要 | |||||||||
国・地域 | イタリア | ||||||||
所在地 | フリウリ=ヴェネツィア・ジュリア州・アヴィアーノ | ||||||||
種類 | 軍用 | ||||||||
所有者 | イタリア国防省 | ||||||||
運営者 |
イタリア空軍 アメリカ空軍 | ||||||||
標高 | 125.8 m (413 ft) | ||||||||
座標 | 北緯46度01分53秒 東経012度35分49秒 / 北緯46.03139度 東経12.59694度 | ||||||||
公式サイト | www.aviano.af.mil | ||||||||
地図 | |||||||||
アヴィアーノ空軍基地の位置 | |||||||||
滑走路 | |||||||||
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出典:SkyVector Aeronautical Charts[1] | |||||||||
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空港の一覧 |
アヴィアーノ空軍基地(アヴィアーノくうぐんきち、イタリア語: Base aerea di Aviano)は、フリウリ=ヴェネツィア・ジュリア州のアヴィアーノに位置するイタリア空軍の基地である。
在欧アメリカ空軍の第31戦闘航空団が所在しており、B61核爆弾などの核兵器が保管されている[2]。
概要
[編集]アヴィアーノ空軍基地は、1911年にイタリア政府が空軍パイロットの養成のために建設した飛行場で、1914年に勃発した第一次世界大戦では作戦機の出撃基地として使用された[3]。
1939年に勃発した第二次世界大戦では、イタリア空軍と同盟国のドイツ空軍が使用していたが、1945年にイギリス軍が基地を接収、1947年にイタリアへ返還された[3]。
1994年4月1日、アメリカ合衆国のホームステッド空軍基地から第31戦闘航空団が移駐し、活動を開始した[4]。
北大西洋条約機構(NATO)による1994年のボスニア・ヘルツェゴビナ紛争介入、1999年のコソボ紛争介入の際には活動拠点の一つとして使用された[5][6]。また、2011年のリビア内戦中のリビア飛行禁止空域におけるオデッセイの夜明け作戦でも主要基地として機能し、同年3月31日の作戦終了後に実施されたユニファイド・プロテクター作戦においても、10月31日の作戦終了まで作戦機の受け入れを行った[4]。
所在部隊
[編集]アヴィアーノ空軍基地には、以下の部隊が所在している[7][8]。
- 第3空軍隷下
- 航空部隊司令部
- アヴィアーノ空軍基地コマンド
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ “LIPA - Aviano Airport” (英語). SkyVector. 2019年5月9日閲覧。
- ^ “Armi nucleari in Italia: Dove, come, perché” (イタリア語) (24 April 2013-04-24). 2023年9月22日閲覧。
- ^ a b 青木謙知「アメリカ空軍の基地」『世界の航空戦力 アメリカ空軍』、イカロス出版、2018年10月、120頁、ISBN 978-4-8022-0421-7。
- ^ a b “A History of the 31st Fighter Wing” (英語). 31st FW Historian. 2013年2月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年7月2日閲覧。
- ^ “Operation Deliberate Force: Ten years on” (英語). NATO. 2013年7月2日閲覧。
- ^ “Operation Allied Force” (英語). Air Force Historical Studies Office. 2013年12月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年7月2日閲覧。
- ^ “Fact Sheets” (英語). Aviano Air Base. US Air Force. 2019年5月15日閲覧。
- ^ “Comando Aeroporto di Aviano” (イタリア語). Aeronautica Militare. 2021年5月29日閲覧。
関連項目
[編集]- チェルミス・ロープウェイ切断事件 - アヴィアーノ空軍基地所属のアメリカ海兵隊機が引き起こした、ロープウェイのケーブル切断事件。