岡山県立高梁高等学校
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岡山県立高梁高等学校 | |
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北緯34度48分4.1秒 東経133度37分8.1秒 / 北緯34.801139度 東経133.618917度座標: 北緯34度48分4.1秒 東経133度37分8.1秒 / 北緯34.801139度 東経133.618917度 | |
過去の名称 | 岡山県高梁中学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 岡山県 |
学区 |
(普通科)備北学区 (家政科)全県学区 |
併合学校 |
順正高等女学校 岡山県高梁高等女学校 岡山県立吉備北陵高等学校 |
設立年月日 | 1881年(明治14年) |
創立者 |
福西志計子(私立向町縫製所) 岡山県(県立高梁尋常中学校) |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 単位制 |
設置学科 |
普通科 家政科 |
学期 | 2学期制 |
学校コード | D133210000267 |
高校コード | 33133D |
所在地 | 〒716-0004 |
岡山県高梁市内山下38番地 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
岡山県立高梁高等学校(おかやまけんりつ たかはしこうとうがっこう)は、岡山県高梁市内山下にある県立の全日制高等学校。岡山県下においても明治時代では、岡山(現・朝日高校)、津山、高梁、矢掛の4校しか県立中学(現在の高校に相当)がなく、岡山中に次ぐ2番目に古い歴史がある[1]。
特色
[編集]普通科と家政科の2科を置く。なお、普通科・家政科とも年間2学期制であり、単位制によって自由に授業を選択できる方式である。
高梁市においては最も歴史のある中等教育機関とされている。特に、中途併合となった順正女学校(現・家政科)は、岡山県下において初めて設立された女学校であるため、本学の家政科は県内において最も歴史の古い中等教育機関としての家政科と言える。
同校が立地する場所は備中松山城の出張所として平時に藩主が滞在した尾根小屋の跡地である。そのため当校は同城が建つ臥牛山の中腹に立つ、山丘と城壁に囲まれた立地であり、中庭には光風館と呼ばれる茶室と、江戸時代の大名であり庭師である小堀政一(遠州)が手懸けた心字池を囲む庭がある。
学科
[編集]- 普通科
- 家政科
教育方針
[編集]- 明朗で秩序ある学園の創造
- 聡明で品位ある人格の形成
- 健康で実践力のある社会人の育成
沿革
[編集]岡山県立高梁高等学校
[編集]- 1949年(昭和24年)8月 - 下記の二校を岡山県立高梁高等学校に統合
- 普通科(内山下本校)と家政科(伊賀町分校)を設置
- 1967年(昭和42年)4月 - 伊賀町分校の家政科を内山下本校に統合させ、伊賀町分校を正式に廃する
- 前年、伊賀町分校の設備所有権を新設校である順正短期大学に移譲(下記)
- 1972年(昭和47年)3月 - 温知寮(男子寮)・天体観測ドーム新築
- 1973年(昭和48年)3月 - 泉寮(女子寮)・創立記念会館新築
- 1980年(昭和55年)3月 - 光風館再建
- 2003年(平成15年)4月 - 二学期制導入
- 2004年(平成16年)4月 - 単位制導入
- 2006年(平成18年)4月 - 吉備北陵高校(在校生卒業までの2008年(平成20年)3月まで存続)と再編合併し新・高梁高校になる
順正高等女学校
[編集]→「福西志計子」も参照
- 1881年(明治14年)12月 - 福西志計子が高梁町大字向町に縫製所を創立する
- 1885年(明治18年)1月 - 縫製所に文学科を加え順正女学校として改組する
- 1895年(明治28年)7月 - 高梁市大字頼久寺町に新築移転
- 1908年(明治41年)4月 - 高梁市大字伊賀町に事務本拠を移転。私立順正高等女学校に改称
- 1921年(大正10年)4月 - 県営移管、岡山県順正高等女学校に改称
- 1943年(昭和18年)4月 - 岡山県高梁高等女学校に改称
- 1948年(昭和23年)4月 - 岡山県立高梁第二高等学校に改称
- (1949年(昭和24年)- 岡山県が県立高校の再編を開始。高梁第一高校との統合及び伊賀町校舎の廃止を打診される)
- (昭和30年代 - 伊賀町校舎の廃止を巡り、本学卒業生および高梁市民を中心に「廃止反対もしくは短大・大学の設置」を求める運動が起こされる)
- (1966年(昭和41年)9月 - 高梁高等学校、旧校舎跡を新設される学校に譲授。高梁市および大学設置運動団体、新設校に「順正」の名を遺すように働きかけ、受け入れられる)
- (1967年(昭和42年)4月 - 旧・伊賀町校舎の地に、新設校・順正短期大学が開学される。以降は同校の項目を参照)
高梁中学校
[編集]- 1895年(明治28年)8月 - 岡山県高梁尋常中学校を高梁町大字向町に設立
- 1899年(明治32年)4月 - 岡山県高梁中学校に改称
- 1900年(明治33年)10月 - 高梁市大字内山下の現在地に校舎新築移転
- 1901年(明治34年)5月 - 岡山県立高梁中学校に改称
- 1948年(昭和23年)4月 - 岡山県立高梁第一高等学校に改称
アクセス
[編集]著名な出身者
[編集]政治家・軍人
[編集]軍人
[編集]政治家
[編集]- 則井万寿雄(1900年卒:衆議院議員、岡山県議会議長、高梁正教員養成所(現・方谷學舎高等学校)開設)
- 清水比庵(1902年卒:日光町長(現・栃木県日光市)、歌人・書家・画家、日光市初の名誉市民)
- 赤木桁平(1908年卒:衆議院議員、文芸評論家、軍事評論家)
- 福本柳一(1914年卒:内務官僚・愛媛県知事、埼玉県知事、愛知県知事、全日本空輸副社長)
- 小倉基(1948年卒:東京都渋谷区長、東京都議会議長)
- 近藤隆則(1977年卒:元・高梁市長)
- 石田芳生(1985年卒:現・高梁市長)
- 大椿裕子(1992年卒:参議院議員)
学者
[編集]学長・総長経験者
[編集]- 林癸未夫(1895 - 1896年転:早稲田大学総長代理、経済学者)
- 小出廉二(1915年卒:明治大学学長、民法学者、新見市名誉市民)
- 村井資長(1921 - 1924年転:第10代早稲田大学総長)
- 赤木五郎(1927年卒:医師、第5代岡山大学学長、初代川崎医科大学学長)
- 赤木攻(1963年卒:大阪外国語大学学長(現・大阪大学)・名誉教授、元アース製薬社外取締役、秋篠宮家学術顧問)
名誉教授
[編集]- 加藤元一(1909年卒:慶応義塾大学医学部名誉教授、戦前のノーベル医学・生理学賞候補、米国生理学会の名誉会員)
- 井上硬(1912年卒:京都大学医学部名誉教授)
- 藤岡一男(1928年卒:秋田大学名誉教授)
- 土井康作(1972年卒:鳥取大学名誉教授)
教授・研究者
[編集]- 横山有策(1900年卒:早稲田大学教授、英文学者)
- 長野新十郎(1902年卒:大阪無線電気学校(現・大阪電気通信大学)の初代校長)
- 板野新夫(1905年卒:卒業後渡米、ミシガン州立大学卒、マサチューセッツ大学助教授、土壌微生物研究の第一人者)
- 中島重(1907年卒:同志社大学教授、法学者・社会学者・キリスト教思想家)
- 米川正夫(1909年卒:早稲田大学教授、ロシア文学者)
- 多胡謙治(1913年卒:東京女子歯科医学専門学校(現・神奈川歯科大学)教授 )
- 中原重樹(1914年卒:茨城大学教授、明治大学教授、日本食肉科学会初代会長)
- 宇野弘蔵(1915年卒:東京帝国大学教授、マルクス経済学者)
- 森谷克己(1921年卒:京城帝国大学教授、経済史学者)
- 田村雄一(1922年卒:京都大学教授、大気電気学者)
- 横山復次(1928年卒:長崎医科大学教授、岐阜薬科大学教授、エーザイ研究所所長、薬品化学者)
- 天野昇(1940年卒:東芝の後、日本原子力研究所副理事長、日本原子力学会副会長)
- 安本美典(1952年卒:産業能率大学教授、統計的情報学・古代史学)
- 福本晃(1954年卒:鳥取大学客員教授、松下電器副理事)
- 赤木昭治(1954年卒:東京農業大学教授)
- 深井晃子(1962年卒:お茶の水女子大学名誉博士、静岡文化芸術大学教授、キュレーター・服飾研究家)
- 間野博行(1978年卒:医師、国立がん研究センター研究所長、2022年度朝日賞受賞)
- 和田佐規子(1980年卒:比較文学者)
実業家・銀行家
[編集]代表取締役経験者
[編集]- 神社柳吉(1902年卒:第3代倉敷紡績社長)
- 田邊隆二(1903年卒:京都電燈社長、初代関西配電(後の関西電力)社長)
- 守分十(1908年卒:第3代中国銀行頭取、中興の祖、岡山市・倉敷市名誉市民)
- 森寿五郎(1910年卒:第7代丸善石油社長・会長、初代関西電力副社長、経済団体連合会理事)
- 戸田止戈夫(1916年卒:初代戸田工業社長・創業者)
- 立林文二(1922年卒:第5代トマト銀行社長)
- 日野西義輝(1924年卒:日本電気化学社長、日立ランプ取締役、村井資長の兄)
- 宮原正吾(1934年卒:第3代備前信用金庫理事長(現・備前日生信用金庫))
- 橋本徹(1953年卒:第19代富士銀行(現・みずほFG)頭取、みずほFG名誉顧問、ドイツ証券会長)
- 森澤寛二(1953年卒:伊藤忠商事副社長・顧問)
- 小池明夫(1966年卒:第3代・第5代JR北海道取締役)
- 田井一郎(1968年卒:東芝副社長、東光高岳社外取締役、日本精工社外取締役)
- 沼田伸彦(1975年卒:第13代サンテレビ社長、デイリースポーツ社長)
取締役・その他経験者
[編集]- 藤岡郊二(1901年卒:倉敷紡績・倉敷絹織(現・クラレ)取締役)
- 木口重彦(1901年卒:日本加工織布取締役)
- 池田亮次(1905年卒:日立製作所取締役、創業期社員、同社の発展に貢献)
- 信原済夫(1905年卒:三井物産機械部参事、1940年東京五輪用選手宿舎建設に関与)
- 小山美登四(1906年卒:台湾銀行支配人代理、台湾高雄州協議会員、岡山県議会議員)
- 板野道夫(1921年卒:関西電力取締役)
- 金澤覚太郎(1924年卒:ラジオ東京(現TBSテレビ)設立時編集局長、日本教育テレビ(現テレビ朝日)編成局次長)
- 翁孝文(1924年卒:倉敷紡績取締役)
- 有田英世(1947年卒:資生堂取締役)
- 橋本實(1950年卒:日本鋼管取締役、JFE物流特別顧問、従弟は橋本龍太郎、橋本大二郎)
- 中村博信(1969年卒:現・朝日放送グループホールディングス取締役)
- 神尾均(1975年卒:JFEコンテイナー取締役)
芸能・文化人
[編集]- 秋岡保治(1905年卒:神社本庁総長)
- 加藤精一(1907年卒:俳優)
- 吉田能安(1909年卒:弓道家・全日本弓道連盟設立)
- 中川紫郎(1910年卒:映画監督)
- 石川達三(1919 - 1922年転:芥川賞作家、ノーベル文学賞候補)
- 皆見鵬三(1929年卒:画家・多摩美術学校助手)
- 高木聖鶴(1941年卒:書家、内閣総理大臣賞受賞、文化勲章受賞)
- 小倉忠夫(1945年卒:飛び級卒業、大原美術館館長、美術評論家)
- 大西茂(1946年卒:美術家、数学者)
- 水野晴郎(1952年卒:映画評論家・映画監督・倉敷芸術科学大学教授・大阪芸術大学客員教授・タレント)
- 伊達美徳(1956年卒:建築家、都市計画家)
- 佐藤勝彦(1958年卒:画家・書家・陶芸家)
- 樋口修(1968年卒:建築家)
- 島谷弘幸(1972年卒:国立文化財機構・現理事長)
- 平松伸二(1974年卒:漫画家)
スポーツ
[編集]- 赤木恭平(1950年卒:世界ボウリング連盟終身名誉会長、JOC名誉委員)
- 向井正剛(1953年卒:岡山唯一の甲子園優勝監督、仙台大学学長、Jリーグ創設認可、JOC初代事務局長)
- 立木正夫(1959年卒:日本バレーボール協会会長、サントリー取締役)
弁護士
[編集]- 西村禎一郎(1901年卒:大阪弁護士会副会長、村井銀行大阪支店副支配人)
- 大室亮一(1912年卒:初代法務省・人権擁護局長、南京事件(松井石根陸軍大将)の弁護士)
- 高木益郎(1915年卒:弁護士、関西大学法学部教授)
官僚
[編集]活動家
[編集]- 松田壽比古(1912年卒:松田享爾の兄、キリスト教伝道者・白雨会所属)
- 西雅雄(1915年卒:共産党機関誌『マルクス主義』の編集者、宇野弘蔵に影響を与えた)
- 松田享爾(1915年卒:黒崎幸吉門下、キリスト教伝道者・白雨会所属、内務官僚)
- 池田亮一(1923年卒:コミュニスト、赤旗編集長、熱海事件の中心人物)
順正高等女学校出身者
[編集]ゆかりの人物
[編集]姉妹校協定
[編集]脚注
[編集]- ^ “私の履歴書 元明治大学学長 小出廉二”. J-stage. 2024年11月17日閲覧。
関連項目
[編集]- 岡山県高等学校一覧
- 旧制中等教育学校の一覧 (岡山県)
- 日本の家庭に関する学科設置高等学校一覧
- 吉備国際大学短期大学部 - 旧・伊賀町分校舎。旧称・順正短期大学。学校法人順正学園が運営。
- 順正高等看護福祉専門学校 - 順正短大の附設校として設立された看護専門学校。学校法人順正学園が運営。
- 吉備国際大学 - 順正短大の上位後身校となる私立大学。学校法人順正学園が運営。
- 高等女学校
- 旧制中学校