森寿五郎
もり ひさごろう 森 寿五郎 | |
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生誕 |
1891年3月20日 日本・岡山県高梁市 |
死没 |
1983年1月8日(91歳没) 日本・大阪府大阪市 |
死因 | 老衰 |
出身校 | 東京帝国大学 |
職業 | 事業家 |
肩書き |
日本発送電副総裁 関西電力副社長 丸善石油社長 阪神高速道路公団理事長 経済団体連合会理事 |
親 |
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栄誉 |
藍綬褒章 勲二等瑞宝章 |
森 寿五郎(もり ひさごろう、1891年(明治24年)3月20日 - 1983年(昭和58年)1月8日)は、日本の経営者、工学博士。岡山県高梁市出身[1]。
経歴
[編集]生い立ち
[編集]1891年(明治24年)岡山県川上郡落合村福地(現・高梁市落合町)に信原忠吉の四男として生まれる[2]。この後、川上郡成羽町中村にある森家の養子となる。地元の旧制高梁中学(現・岡山県立高梁高等学校)を経て、第三高等学校を1914年(大正3年)に卒業し、1919年(大正8年)に東京帝国大学工学部電気工学科を卒業[1]した。
電力会社へ入社
[編集]卒業と同時に、宇治川電気へ入社。翌年、日本電力に移り、試験係長、大阪変電所長、発電・送電各課長、送電総務理事などを歴任し順調に出世した。1950年(昭和25年)10月、59歳で日本発送電副総裁に就任し、翌年、1951年(昭和26年)5月に関西電力が発足すると同時に、関西電力副社長に就任した[1]。関西電力では、黒四ダム(黒部第四ダム)建設など大事業の技術陣の総指揮を執った。1962年(昭和37年)同社相談役に退く。
電力会社での活躍が認められ、1963年、72歳の時に丸善石油社長に就任し、1967年には会長に就任した[1]。また、その後1967年から1971年までに阪神高速道路公団理事長を務め、関西経済連合会常任理事、経済団体連合会理事も務めた[1][3]。この間、大阪国際サイエンスクラブ理事長・大阪科学技術センター副会長・関西電気協会会長などに就任、1964年(昭和39年)から亡くなる1983年(昭和58年)まで関西在住の岡山県人会「近畿おかやま会」会長を務めた。
1955年に藍綬褒章を受章し、1972年11月に勲二等瑞宝章を受章した[1]。
1983年1月8日老衰のために大阪市の関西電力病院で死去[3]。91歳没。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所 編『人事興信録 第31版 下』人事興信所、1981年。