大西茂
Shigeru Onishi | |
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生誕 |
November 2, 1928 Takahashi City, Okayama Prefecture, Japan |
死没 | December 2, 1994 | (aged 66)
国籍 | Japanese |
教育 | Hokkaido University |
職業 | Visual artist |
大西 茂(おおにし しげる、1928年11月2日 - 1994年12月2日)は、日本の美術家、数学者。
来歴
[編集]大西は岡山県高梁市出身。1953年北海道大学理学部数学科を卒業し、同大学修士課程修了後、博士課程に一年在籍。その後理学部数学研究室に籍を置き、位相幾何学の研究を続ける。大西は独自の研究を「超無限の研究」と名付ける。 大学在学中に、写真技術を独学し、自身の数学研究を写真作品として表現する試みを始める。
大西は制作の目的について当時の写真雑誌に執筆している。
「対象の成立状態を知ること—これが私の作画の目的で、『存在可能性』とか『任意選択の可能性』などの超数学命題Metamathematic propositionを追求しようとする気持ちが基礎になっています。」[1]
1955年、なびす画廊(東京)で写真作品の個展を開催したときは、瀧口修造と金丸重嶺が展覧会パンフレットに文章を寄せた。翌年、国際的に興った主観主義写真の運動を紹介する「国際主観主義写真展」に作品を出品。その翌年には瀧口の企画でタケミヤ画廊で二回目の個展「第2回大西茂印画展」が開催される。
写真作品とともに、1950年代後半より、墨による抽象画を描き始めるが、それが来日中のフランスの美術評論家ミシェル・タピエの目にとまる。
1957年、タピエの企画による当時フランスを中心にして興った絵画運動アンフォルメルを紹介する国際展「世界・現代芸術展」に作品を展示。その後、タピエは大西の墨象の作品を、堂本尚郎、今井俊満、勅使河原蒼風、そして具体美術協会の作家の作品とともに、アンフォルメルとの関連で積極的にヨーロッパで紹介した。
主要な展覧会
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1956年「第1回国際主観主義写真展」サンケイカメラ主催、日本橋高島屋(東京)
1957年「第2回大西茂印画展」タケミヤ画廊(東京)
「世界/現代芸術展」ブリヂストン美術館(東京)、大丸百貨店(大阪)
1958年「大阪国際芸術祭—新しい絵画 世界展:アンフォルメルと具体」なんば高島屋(大阪)他巡回
1959年「新しい芸術—絵画と彫刻の国際展」パラッツォ・グラネリ(トリノ、イタリア)
1965年「ル・バロック・ジェネラリゼ」国際美学研究所(トリノ、イタリア)
1985年「絵画の嵐・1950年代」国立国際美術館(大阪)
2002年「戦後岡山の美術—前衛達の姿」岡山県立美術館(岡山)
2016年「あの時みんな熱かった!アンフォルメルと日本の美術」京都国立近代美術館
2021-2022年「Shigeru Onishi: The Possibility of Existende」フォーム写真美術館(アムステルダム)
2022-2023年「Shigeru Onishi: In Search of Meta-Infinite」ボンバス・ヘンス・アートセンター(バレンシア)
脚注
[編集]- ^ 『「解説・データ」『別冊アトリエ—新しい写真』』アトリエ出版社、1957年5月、141-142頁 。