猿島郡
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人口31,563人、面積69.7km²、人口密度453人/km²。(2024年12月1日、推計人口)
以下の2町を含む。
郡域
[編集]1879年(明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、上記2町から五霞町を除き、下記を加えた区域にあたる。
古代
[編集]式内社
[編集]神名帳 | 比定社 | 集成 | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
社名 | 読み | 格 | 付記 | 社名 | 所在地 | 備考 | |
猿島郡 | |||||||
近代以降
[編集]1896年(明治29年)に、西葛飾郡と合併して発足し、郡制を施行[1]。当初の郡役所は境町にあった[1]。現在の郡域は、境町と利根川対岸の五霞町の2町からなる。
沿革
[編集]- 「旧高旧領取調帳」に記載されている明治初年時点での支配は以下の通り。●は村内に寺社領が存在。下記のほか、諸川新田、生子新田、幸田新田、猫実新田、神田山新田、大口新田、内ノ山村(いずれも幕府領)が存在したが、記載されていない。内ノ山村は沓掛村に、その他は同名の村に含まれているものと推測される。また、東山田村(新田)、東山田新田吉左衛門受は東山田村に、馬立村(新田)は馬立村に含める。(1町81村)
知行 | 村数 | 村名 | |
---|---|---|---|
幕府領 | 幕府領 | 20村 | ●諸川村、●仁連村、東山田村、東山田村(新田)、東山田新田吉左衛門受、長左衛門新田、逆井村、●生子村、●沓掛村、大浜新田、弓田村、●馬立村、馬立村(新田)、平八新田、勘助新田、●幸田村、大口村、庄右衛門新田、●猫実村、●神田山村 |
旗本領 | 2村 | 五部村、北山田村 | |
幕府領・旗本領 | 1村 | 山村 | |
藩領 | 下総関宿藩 | 1町46村 | 谷貝村、志鳥村、横塚村、稲尾村、猿山村、下砂井村、栗山村、蛇池村、長井戸村、上小橋村、下小橋村、西泉田村、山崎村、菅谷村、内門村、大歩村、境町、染谷村、●伏木村、●借宿村、半谷村、●冨田村、●寺久村、一ノ谷村、浦向村、金岡村、百戸村、●若林村、●三村、上出島村、●駒跿村、長須村、●鵠戸村、●岩井村、●辺田村、下出島村、●長谷村、中里村、●大谷口村、●小泉村、●桐ノ木村、●小山村、●莚打村、●矢作村、大崎村、法師戸村 |
下総古河藩 | 2村 | 駒込村、上片田村 | |
下野壬生藩 | 2村 | 下片田村、大和田村 | |
下総関宿藩・丹後峰山藩 | 1村 | 上和田村 | |
幕府領・藩領 | 幕府領・下野壬生藩 | 1村 | 新和田村 |
旗本領・下野壬生藩 | 1村 | 山田村 | |
幕府領・旗本領・下総関宿藩 | 1村 | 塚崎村 |
- 慶応4年6月27日(1868年8月15日) - 幕府領・旗本領が常陸知県事の管轄となる。
- 明治2年2月9日(1869年3月21日) - 常陸知県事の管轄地域に若森県を設置。
- 明治4年
- 1873年(明治6年)6月15日 - 印旛県が木更津県と統合して千葉県が発足。
- 1875年(明治8年)5月7日 - 千葉県管下の下総国のうち利根川以北の区域が茨城県に移管。
- 1878年(明治11年)12月2日 - 郡区町村編制法の茨城県での施行により、行政区画としての猿島郡が発足。境町に「猿島西葛飾郡役所」が設置され、西葛飾郡とともに管轄。
- 1886年(明治19年) - 馬立村新田と大浜新田が合併して大馬新田となる。(1町80村)
町村制以降の沿革
[編集]- 1889年(明治22年)
- 3月31日 - 下記の町村の統合が行われる。(1町17村)
- 静村 ← 横塚村、塚崎村、稲尾村、志鳥村(現・境町)
- 長田村 ← 長井戸村、猿山村、蛇池村、下砂井村、栗山村、西泉田村、上小橋村(現・境町)
- 八俣村 ← 北山田村、谷貝町、東山田村、長左衛門新田、山田村(現・古河市)
- 幸島村 ← 新和田村、大和田村、仁連町、上片田村、下片田村、駒込村、五部村、上和田村、諸川町、諸川新田(現・古河市)
- 猿島村 ← 下小橋村、山崎村、内門村、大歩村、染谷村、浦向村、金岡村(現・境町)
- 森戸村 ← 伏木村、百戸村、一ノ谷村、若林村(現・境町)
- 生子菅村 ← 生子村、生子新田、菅谷村(現・坂東市)
- 逆井山村 ← 逆井村、山村(現・坂東市)
- 七重村 ← 半谷村、富田村、借宿村、駒跿村、寺久村、三村、上出島村(現・坂東市)
- 沓掛村 ← 沓掛村、内野山村(現・坂東市)
- 弓馬田村 ← 弓田村、馬立村、幸田村(現・坂東市)
- 飯島村 ← 大馬新田、平八新田、勘助新田、幸田新田、猫実新田、神田山新田、大口新田、庄右衛門新田(現・坂東市)
- 神大実村 ← 神田山村、大口村、猫実村(現・坂東市)
- 岩井村 ← 岩井村、辺田村、鵠戸村(現・坂東市)
- 七郷村 ← 法師戸村、矢作村、大崎村、小泉村、大谷口村、下出島村、中里村(現・坂東市)
- 中川村 ← 長谷村、桐木村、小山村、莚打村(現・坂東市)
- 境町(単独町制。現・境町)
- 長須村(単独村制。現・坂東市)
- 4月1日 - 上記1町17村が町村制を施行。
- 3月31日 - 下記の町村の統合が行われる。(1町17村)
- 1896年(明治29年)
- 1899年(明治32年)4月1日
- 1900年(明治33年)7月4日 - 岩井村が町制施行し、岩井町となる。(3町22村)
- 1923年(大正12年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
- 1926年(大正15年)7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
- 1932年(昭和7年)7月1日 - 新郷村伊賀袋、立崎の一部が埼玉県北埼玉郡川辺村(現加須市)に編入。
- 1935年(昭和10年)時点での当郡の面積は301.85平方km、人口は120,810人(男58,643人・女62,167人)[2]。
- 1950年(昭和25年)8月1日 - 古河町が市制施行し、古河市となり郡より離脱。(2町22村)
- 1954年(昭和29年)3月20日 - 沓掛村が町制施行し、沓掛町となる。(3町21村)
- 1955年(昭和30年)
- 1956年(昭和31年)4月1日 - 沓掛町・富里村が合併し、富里町が発足。富里町は即日改称して猿島町となる。(3町3村)
- 1968年(昭和43年)1月1日 - 総和村が町制施行し、総和町となる。(4町2村)
- 1969年(昭和44年)1月1日 - 三和村(みわむら)が町制施行、即日改称し、三和町(さんわまち)となる。(5町1村)
- 1972年(昭和47年)4月1日 - 岩井町が市制施行し、岩井市となり郡より離脱。(4町1村)
- 1996年(平成8年)6月1日 - 五霞村が町制施行し、五霞町となる。(5町)
- 2005年(平成17年)
変遷表
[編集]自治体の変遷
明治22年4月1日 | 明治22年 - 大正15年 | 昭和元年 - 昭和29年 | 昭和30年 - 昭和64年 | 平成元年 - 現在 | 現在 | ||
---|---|---|---|---|---|---|---|
境町 | 境町 | 境町 | 昭和30年3月16日 境町 |
境町 | 境町 | ||
静村 | 静村 | 静村 | |||||
長田村 | 長田村 | 長田村 | |||||
猿島村 | 猿島村 | 猿島村 | |||||
森戸村 | 森戸村 | 森戸村 | |||||
岩井村 | 明治33年7月4日 町制 |
岩井町 | 昭和30年3月1日 岩井町 |
昭和47年4月1日 市制 |
平成17年3月22日 坂東市 |
坂東市 | |
七重村 | 七重村 | 七重村 | |||||
弓馬田村 | 弓馬田村 | 弓馬田村 | |||||
飯島村 | 飯島村 | 飯島村 | |||||
神大実村 | 神大実村 | 神大実村 | |||||
七郷村 | 七郷村 | 七郷村 | |||||
中川村 | 中川村 | 中川村 | |||||
長須村 | 長須村 | 長須村 | |||||
沓掛村 | 沓掛村 | 昭和29年3月20日 町制 |
沓掛町 | 昭和31年4月1日 猿島町 | |||
生子菅村 | 生子菅村 | 生子菅村 | 昭和30年2月1日 富里村 | ||||
逆井山村 | 逆井山村 | 逆井山村 | |||||
幸島村 | 幸島村 | 幸島村 | 昭和30年2月11日 三和村 |
昭和44年1月1日 町制 |
平成17年9月12日 古河市 |
古河市 | |
八俣村 | 八俣村 | 八俣村 | |||||
結城郡 名崎村 |
結城郡 名崎村 |
結城郡 名崎村 | |||||
西葛飾郡 古河町 |
明治29年3月29日 猿島郡 |
昭和25年8月1日 市制 |
古河市 | ||||
西葛飾郡 新郷村 |
明治29年3月29日 猿島郡 |
新郷村 | 昭和30年3月15日 古河市に編入 | ||||
西葛飾郡 勝鹿村 |
明治29年3月29日 猿島郡 |
勝鹿村 | 昭和30年3月16日 総和村 |
昭和43年1月1日 町制 | |||
西葛飾郡 岡郷村 |
明治29年3月29日 猿島郡 |
岡郷村 | |||||
西葛飾郡 桜井村 |
明治29年3月29日 猿島郡 |
桜井村 | |||||
西葛飾郡 香取村 |
明治29年3月29日 猿島郡 |
香取村 | |||||
西葛飾郡 五霞村 |
明治29年3月29日 猿島郡 |
五霞村 | 五霞村 | 平成8年6月1日 町制 |
五霞町 |
地理
[編集]首都・東京から60 km圏にあって、利根川沿岸の低湿地と中央部の猿島台地からなる。飯沼や長井戸沼など多くの沼地は干拓され、水田として利用されている[1]。主産業は近郊農業で土地の大部分が農地に利用されており、旧三和町・総和町があった現在の古河市や境町では工業化が進展して、丘里・北利根・配電盤など工業団地が造成された地域がある[1]。
郡の中心部を鉄道が通過しておらず、県最西端の古河市を通るJR古河駅を利用する。道路網は発達しており、国道や県道が縦横に走っており、北端を国道125号、南端を国道354号が東西に走り、南北方向に国道4号が貫く。近年は高速道路である首都圏中央連絡自動車道(圏央道)の開発が進められ、一部で開通している。1964年(昭和39年)に開通した境大橋は、県西地域と東京都心へと結ぶ短絡路にあたり、交通量が多い[1]。
行政
[編集]- 猿島・西葛飾郡長
代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | 不明 | 明治11年(1878年)12月2日 | 不明 | |
2 | 不明 | 不明 | 明治29年(1896年)3月31日 | 西葛飾郡との合併により旧・猿島郡廃止 |
- 猿島郡長
代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | 不明 | 明治29年(1896年)4月1日 | 不明 | |
2 | 浅沼直治[3] | 不明 | 不明 | |
3 | 不明 | 不明 | 大正15年(1926年)6月30日 | 郡役所廃止により、廃官 |
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 大植四郎 編『国民過去帳 明治之巻』尚古房、1935年 。
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 8 茨城県、角川書店、1983年12月1日。ISBN 4040010809。
- 旧高旧領取調帳データベース
- 高橋昭 著、茨城新聞社編 編『茨城県大百科事典』茨城新聞社、1981年、458頁。「猿島郡」
先代 ------ |
行政区の変遷 - 1896年 |
次代 猿島郡(第2次) |
先代 猿島郡(第1次)・西葛飾郡 |
行政区の変遷 1896年 - (第2次・統合後) |
次代 (現存) |