上埴生郡
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上埴生郡(かみはぶぐん)は、伊甚屯倉の分割により成立した上総国(千葉県)の古代からの郡。明治維新を経て1897年(明治30年)、長柄郡と合併して長生郡が発足し廃止された。
古代
[編集]郡域には4世紀後半の築造とされる能満寺古墳があり、古墳時代前期における首長勢力の存在をうかがわせ、伊甚国造の本拠地とみられている。また『日本書紀』卷18安閑天皇元年(534年)4月1日条には伊甚屯倉献上の記事があり、南側の夷隅郡を中心とする地域に屯倉が設けられたが、文末に「今分ちて郡として、上総国に属く」とあるので、伊甚屯倉は夷隅郡のみならず、当郡や長柄郡にもおよぶ広大な屯倉であったと推測され、その分割により当郡も成立したとされている[1]。
宝亀5年(774年)に上総介となり赴任した藤原黒麻呂が、現在の茂原市付近の牧を入手し開墾して藻原荘が成立した[注 1]。その後、藻原荘は黒麻呂の曾孫菅根らによって興福寺に施入されたことが、『朝野群載』所収の寛平2年8月5日の施入帳にみえる[2]。
郷
[編集]- 埴生[注 2]、埴石、小田、坂本、横栗、何家
式内社
[編集]神名帳 | 比定社 | 集成 | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
社名 | 読み | 格 | 付記 | 社名 | 所在地 | 備考 | |
埴生郡 1座(大) | |||||||
玉前神社 | タマサキノ | 名神大 | 玉前神社 | 千葉県長生郡一宮町一宮 | 上総国一宮 | [1] |
明治維新後
[編集]1878年(明治11年)に行政区画として発足した当時の郡域は、現在の行政区画では概ね以下の区域にあたる。
郡発足までの沿革
[編集]知行 | 村数 | 村名 | |
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幕府領 | 旗本領 | 44村 | 佐坪村、●市野々村、中原村、●又富村、千手堂村、須田村、石神村、小沢村、茗荷沢村、●報恩寺村、竹林村、八幡原村、○大井村、西湖村、長井村、葛田村、三ヶ谷村、●中善寺村、綱島村、野牛村、台田村、●千田村、芝原村、米満村、長楽寺村、小生田村、●地引村、給田村、今泉村、本台村、森村、関原村、岩川村、●早野村、上永吉村、下永吉村、蔵持村、岩撫村、上小野田村、●矢貫村、山内村、棚毛村、坂本村、山崎村 |
幕府領・旗本領 | 1村 | 久原村 | |
幕府領・藩領 | 幕府領・旗本領・上総久留里藩 | 1村 | 下小野田村 |
旗本領・上総鶴牧藩 | 1村 | 立木村 | |
旗本領・下総高岡藩 | 1村 | 水沼村 |
- 慶応4年7月2日(1868年8月19日) - 鶴牧藩領、久留里藩領、高岡藩領の全域、幕府・旗本領の一部(茗荷沢村、竹林村、給田村の全域、立木村、下永吉村、坂本村の各一部)を除く全域が安房上総知県事の管轄となる。
- 明治初年に矢貫村が長南宿に改称。
- 明治元年
- 明治4年
- 1873年(明治6年)6月15日 - 木更津県が印旛県に統合して千葉県が発足。
- 1874年(明治7年) - 大井村、西湖村、長井村、葛田村、久原村が合併して豊原村が発足。
郡発足以降の沿革
[編集]- 1878年(明治11年)11月2日 - 郡区町村編制法の千葉県での施行により、行政区画としての上埴生郡が発足。「長柄上埴生郡役所」が長柄郡茂原町に設置され、長柄郡とともに管轄。上埴生郡としたのは同じく千葉県に属する下総国の埴生郡(→下埴生郡)と区別するためである。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、上埴生郡に以下の6村が発足。
- 1890年(明治23年)3月12日 - 武丘村が町制施行改称して庁南町となる(1町5村)。
- 1897年(明治30年)4月1日 - 郡制の施行により、長柄郡・上埴生郡の区域をもって長生郡が発足。同日上埴生郡廃止。
行政
[編集]- 長柄・上埴生郡長
代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
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1 | 明治11年(1878年)11月2日 | |||
明治30年(1897年)3月31日 | 長柄郡との合併により上埴生郡廃止 |
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]参考文献
[編集]- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 12 千葉県、角川書店、1984年3月1日。ISBN 4040011201。
- 加藤謙吉・他 『日本古代史地名事典』 雄山閣、2007年、ISBN 978-4-639-01995-4
- 旧高旧領取調帳データベース
関連項目
[編集]先代 ----- |
行政区の変遷 - 1897年 |
次代 長生郡 |