「ペリエーレース」の版間の差分
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== 参考文献 == |
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* アポロドーロス『ギリシア神話』[[高津春繁]]訳、[[岩波文庫]](1953年) |
* アポロドーロス『ギリシア神話』[[高津春繁]]訳、[[岩波文庫]](1953年) |
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* [[パウサニアス]]『ギリシア記』飯尾都人訳、龍溪書舎(1991年) |
* [[パウサニアス (地理学者)|パウサニアス]]『ギリシア記』飯尾都人訳、龍溪書舎(1991年) |
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* 高津春繁『ギリシア・ローマ神話辞典』、[[岩波書店]](1960年) |
* 高津春繁『ギリシア・ローマ神話辞典』、[[岩波書店]](1960年) |
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* カール・ケレーニイ『ギリシアの神話 英雄の時代』[[植田兼義]]訳、[[中公文庫]](1985年) |
* カール・ケレーニイ『ギリシアの神話 英雄の時代』[[植田兼義]]訳、[[中公文庫]](1985年) |
2021年11月15日 (月) 10:35時点における版
ペリエーレース(古希: Περιήρης, Periērēs)は、ギリシア神話の人物である。長母音を省略してペリエレスとも表記される。同名の複数の人物が知られている。それらは、
である。以下に説明する。
ゴルゴポネーの夫
この人物はメッセーネーの王で、ペルセウスの娘ゴルゴポネーと結婚したが、その出自について大きく2つの意見がある。それは、
の2つである。
いずれもアポロドーロスが述べており、1についてはカール・ケレーニイや[3]ロバート・グレーヴスがこの説をとっているが[4]、古代ではむしろ2の説をとる者が多かったとアポロドーロスは述べている[2]。
ペリエーレースはゴルゴポネーとの間にテュンダレオース、イーカリオス、アパレウス、レウキッポスをもうけたが[2][5]、異説も多い。
たとえば2人の子供はアパレウスとレウキッポスで[6][7]、テュンダレオースとイーカリオスの父はゴルゴポネーの再婚相手オイバロスであるとか[8]、オイバロスはペリエーレース(キュノルタスの子)の子で、オイバロスとニュムペーのバテイアからテュンダレオス、ヒッポコオーン、イーカリオスが生まれたとか言われる[9]。
系図
メノイケウスの御者
この人物は、テーバイ王家に属するメノイケウス(ペンテウスの子孫)に仕える御者で、テーバイとオルコメノスの戦争の原因をつくった。
ペリエーレースは、オンケーストス(海神ポセイドーンの神域)で、オルコメノスの王クリュメノスを石を投じて重傷を負わせた。クリュメノスはオルコメノスで死亡したが、そのとき息子のエルギーノスにテーバイに復讐を命じた。この結果オルコメノスとテーバイの間に戦争が起こり、テーバイは20年間賠償することで停戦した。テーバイは後にヘーラクレースによって解放された[10]。