「今井耕」の版間の差分
表示
削除された内容 追加された内容
→参考文献: 修正。 |
|||
2行目: | 2行目: | ||
== 経歴 == |
== 経歴 == |
||
[[滋賀県]]出身<ref name=gi>『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』76頁。</ref>。長浜農学校卒<ref name=gi/>。卒業後は同校教諭や栗太農学校教諭を務める<ref name=gi/>。[[1946年]]の[[第22回衆議院議員総選挙]]で滋賀県から無所属で立候補して当選し、当選後は[[国民協同党]]に入った(その後所属は[[国民民主党 (日本 1950 |
[[滋賀県]]出身<ref name=gi>『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』76頁。</ref>。長浜農学校卒<ref name=gi/>。卒業後は同校教諭や栗太農学校教諭を務める<ref name=gi/>。[[1946年]]の[[第22回衆議院議員総選挙]]で滋賀県から無所属で立候補して当選し、当選後は[[国民協同党]]に入った(その後所属は[[国民民主党 (日本 1950)|国民民主党]]→[[改進党]]→[[日本民主党]]→自由民主党)。以来当選6回<ref name=shin>『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』74頁。</ref>。[[第2次鳩山一郎内閣]]建設政務次官、衆議院決算委員長などを歴任した<ref name=gi/><ref name=shin/>。[[1960年]]の[[第29回衆議院議員総選挙]]で落選、政界を引退した。1976年死去。 |
||
== 脚注 == |
== 脚注 == |
2020年12月26日 (土) 10:40時点における版
今井 耕(いまい こう、1896年2月 - 1976年1月18日)は、日本の政治家。自由民主党衆議院議員(6期)。
経歴
滋賀県出身[1]。長浜農学校卒[1]。卒業後は同校教諭や栗太農学校教諭を務める[1]。1946年の第22回衆議院議員総選挙で滋賀県から無所属で立候補して当選し、当選後は国民協同党に入った(その後所属は国民民主党→改進党→日本民主党→自由民主党)。以来当選6回[2]。第2次鳩山一郎内閣建設政務次官、衆議院決算委員長などを歴任した[1][2]。1960年の第29回衆議院議員総選挙で落選、政界を引退した。1976年死去。
脚注
参考文献
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。ISBN 9784816918056