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2020年12月26日 (土) 10:39時点における版
櫻内辰郎 さくらうち たつろう | |
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生年月日 | 1886年3月13日 |
出生地 | 鳥取県米子市 |
没年月日 | 1954年11月14日(68歳没) |
出身校 |
早稲田大学政治経済科修学[1][2] (推薦校友)[1] |
所属政党 |
(立憲民政党→) (緑風会→) (国民民主党→) 改進党 |
親族 |
兄・櫻内幸雄 甥・櫻内義雄 姪孫婿・桜内文城 姪曾孫・太田誠一 |
選挙区 | 全国区 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1947年5月3日 - 1953年5月2日 |
選挙区 | 東京都第1区 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1928年2月21日 - 1932年1月21日 |
櫻内 辰郎(さくらうち たつろう、1886年(明治19年)3月13日 - 1954年(昭和29年)11月14日)は、日本の実業家、政治家。元衆議院議員、参議院議員。
1928年、東京府1区から立憲民政党に属し衆院議員に選出され、次期選挙にも当選した[3]。1947年には東京都から参院議員に当選した[3]。国民民主党最高委員、参院予算、大蔵、外務各委員長を務めた[3]。
経歴
鳥取県西伯郡米子町(現・米子市)で生まれた[4]。島根県士族・櫻内和一郎の二男[5]。櫻内家は江戸時代、広瀬藩主・松平家の家臣だった。廃藩の頃、櫻内家にはいった松平家からの頂戴金と士族に対する政府の御下げ渡し金を資本にして父・和一郎はあれこれと事業に手を出したが、うまくいかず次第に食いつぶしてしまった[6]。
辰郎は早稲田大学政治経済科で学んだ(1930年に推薦校友となる)[1]。亀崎銀行に入り、常務取締役に挙げられた[7]。興國銀行取締役を経て、日本人造絹絲会社を創立し常務取締役に就任した[7]。櫻組工業、日本コナミルク各会社取締役となった[4][7]。このほか大連株式商品取引所理事長、百軒店土地建物[7]、東海ラミー紡績、桜内商事各社長なども歴任した[3]。
1928年(昭和3年)、第16回衆議院議員総選挙に旧東京都第1区から民政党公認で立候補し初当選、2年後の第17回衆議院議員総選挙でも前回同様旧東京都第1区から民政党公認で立候補し2度目の当選。戦後平和日本確立連盟理事長、東邦石油、朝鮮産金、日本興産各社長を歴任[8]。1947年(昭和22年)参議院議員に当選した。
人物
趣味は読書[1]。宗教はキリスト教[1][5]。クリスチャンである[9]。住所は東京市芝区車町[7](現・東京都港区)。
家族・親族
- 櫻内家
- 父・和一郎(1850年 - ?、旧広瀬藩士、島根県士族)
- 兄・幸雄(1880年 - 1947年、島根県士族[7]、実業家、政治家) - 商工相・農相・蔵相等を歴任した。
- 妻・明枝(1889年 - ?、静岡、星野憲治の四女)[2]
- 男・英男[7][10](1917年 - ?、アポロ学園歯科衛生士専門学校経営)[11]
- 長女・本子(東京音楽学校ピアノ科生徒) - 1933年2月16日、芝高輪車町44の自宅にて、青酸カリで服毒自殺して死亡。享年21。当時のゴシップ誌の一部は、その原因が母・明枝の不倫にあると報じている[9]。
- 二男[7]
- 三男[7][10]
- 四男[7][10]
- 三女[7][10]
- 四女[7][10]
- 親戚
脚注
- ^ a b c d e 『早稲田大学紳士録 昭和15年版』サ402 - 403頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年5月12日閲覧。
- ^ a b 『人事興信録 第9版』サ121頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年5月12日閲覧。
- ^ a b c d 『政治家人名事典』235頁。
- ^ a b 『衆議院議員略歴 第1回乃至第19回』355頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年5月12日閲覧。
- ^ a b 『大衆人事録 第12版 東京篇』東京324頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年5月12日閲覧。
- ^ 『櫻内家の人々』32頁
- ^ a b c d e f g h i j k l 『人事興信録 第11版 上』サ173頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年1月13日閲覧。
- ^ 『第十六版人事興信録(上)』さ五九頁より
- ^ a b 『実話ビルディング 猟奇近代相』39 - 57頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年3月7日閲覧。
- ^ a b c d e f 『人事興信録 第13版 上』サ125頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年9月13日閲覧。
- ^ 2015年2月19日、往訪: アポロ歯科衛生士専門学校(東京都中野区上高田)。本学卒業生(旧制東洋女子歯科医学専門学校指定後13回生)が創設した歯科衛生士学校の沿革と現況について(東洋学園史料室)