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イチョウ属の学名 {{snamei|Ginkgo}} は、日本語「銀杏」に由来している<ref name="Webster">[[#Webster|Webster 1958]], p.772</ref><ref name="NewCollege">[[#NewCollege|竹林ほか 2010]], p.759</ref><ref name="iwanami"/>。[[英語]] にも{{lang|en|ginkgo}} {{ipa|ˈgɪŋkoʊ}} として取り入れられている{{refnest|group=註|一部では{{ipa|ˈgɪŋg''k''oʊ}}、{{ipa|ˈʤɪŋkoʊ}}とも<ref name="Genius"/>。}}<ref name="Webster"/><ref name="NewCollege"/><ref name="Genius">[[#Genius|小西・南出 2006]], p.834</ref>。ほかにも男性名詞として、[[ドイツ語]] {{lang|de|Ginkgo, Ginko}} {{ipa|ˈgɪŋko}} <ref>{{cite book|和書|author=[[濱川祥枝]]・[[信岡資生]]監修、[[新田春夫]]編集主幹|title=クラウン独和辞典 第5版|publisher=[[三省堂]]|date=2014-01-01|origdate=1991-03-01|isbn=978-4-385-12011-9|page=585}}</ref><ref name="Variant">[[#Variant|柴田 2001]], pp.35-42</ref> や [[フランス語]] {{lang|fr|ginkgo}} {{ipa|ʒɛ̃ŋko}} <ref>{{cite book|和書|author=[[山田爵|山田𣝣]]・[[宮原信]] 監修、[[中條屋進]]・[[丸山義博]]・[[ガブリエル・メランベルジェ]]・[[吉川一義]] 編|title=ディコ仏和辞典|publisher=[[白水社]]|page=736|date=2003-03-10|isbn=978-4-560-00038-0}}</ref>、[[イタリア語]] {{lang|it|ginkgo}} <ref>{{cite book|和書|author=[[藤村昌昭]]監修、[[杉本裕之]]・[[谷口真生子]]編|title=デイリーコンサイズ伊和・和伊辞典|publisher=[[三省堂]]|page=432|isbn=978-4-385-12265-6|date=2013-04-01}}</ref> など諸言語に取り入れられている。
イチョウ属の学名 {{snamei|Ginkgo}} は、日本語「銀杏」に由来している<ref name="Webster">[[#Webster|Webster 1958]], p.772</ref><ref name="NewCollege">[[#NewCollege|竹林ほか 2010]], p.759</ref><ref name="iwanami"/>。[[英語]] にも{{lang|en|ginkgo}} {{ipa|ˈgɪŋkoʊ}} として取り入れられている{{refnest|group=註|一部では{{ipa|ˈgɪŋg''k''oʊ}}、{{ipa|ˈʤɪŋkoʊ}}とも<ref name="Genius"/>。}}<ref name="Webster"/><ref name="NewCollege"/><ref name="Genius">[[#Genius|小西・南出 2006]], p.834</ref>。ほかにも男性名詞として、[[ドイツ語]] {{lang|de|Ginkgo, Ginko}} {{ipa|ˈgɪŋko}} <ref>{{cite book|和書|author=[[濱川祥枝]]・[[信岡資生]]監修、[[新田春夫]]編集主幹|title=クラウン独和辞典 第5版|publisher=[[三省堂]]|date=2014-01-01|origdate=1991-03-01|isbn=978-4-385-12011-9|page=585}}</ref><ref name="Variant">[[#Variant|柴田 2001]], pp.35-42</ref> や [[フランス語]] {{lang|fr|ginkgo}} {{ipa|ʒɛ̃ŋko}} <ref>{{cite book|和書|author=[[山田爵|山田𣝣]]・[[宮原信]] 監修、[[中條屋進]]・[[丸山義博]]・[[ガブリエル・メランベルジェ]]・[[吉川一義]] 編|title=ディコ仏和辞典|publisher=[[白水社]]|page=736|date=2003-03-10|isbn=978-4-560-00038-0}}</ref>、[[イタリア語]] {{lang|it|ginkgo}} <ref>{{cite book|和書|author=[[藤村昌昭]]監修、[[杉本裕之]]・[[谷口真生子]]編|title=デイリーコンサイズ伊和・和伊辞典|publisher=[[三省堂]]|page=432|isbn=978-4-385-12265-6|date=2013-04-01}}</ref> など諸言語に取り入れられている。
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イチョウ綱が既に絶滅していた[[ヨーロッパ]]では、本種イチョウは、[[オランダ商館]]付の医師で『[[日本誌]]』の著者である[[ドイツ人]]の[[エンゲルベルト・ケンペル]]による『[[廻国奇観]] (諸国奇談、''{{lang|la|Amoenitatum exoticarum}}'')』([[1712年]])の「日本の植物相({{lang|la|Flora Japonica}})」<ref>{{cite|first=Engelbert|last=Kaempfer|author-link=エンゲルベルト・ケンペル|chapter=Flora Japonica|title=Amoenitates Exoticae|volume=Fasc. V|date=1712}})</ref> において初めて紹介されたが、そこで初めて“{{lang|ja-Latn|Ginkgo}}”という綴りが用いられた<ref name="iwanami"/><ref name="Michel">[[#Michel|Michel 2011]], pp.1-5</ref>。
イチョウ綱が既に絶滅していた[[ヨーロッパ]]では、本種イチョウは、[[オランダ商館]]付の医師で『[[日本誌]]』の著者である[[ドイツ人]]の[[エンゲルベルト・ケンペル]]による『[[廻国奇観]] (諸国奇談、''{{lang|la|Amoenitatum exoticarum}}'')』([[1712年]])の「日本の植物相({{lang|la|Flora Japonica}})」<ref>{{cite|first=Engelbert|last=Kaempfer|author-link=エンゲルベルト・ケンペル|chapter=Flora Japonica|title=Amoenitates Exoticae|volume=Fasc. V|date=1712}})</ref> において初めて紹介されたが、そこで初めて“{{lang|ja-Latn|Ginkgo}}”という綴りが用いられた<ref name="iwanami"/><ref name="Michel">[[#Michel|Michel 2011]], pp.1-5</ref>。


ケンペルは[[1689年]]から[[1691年]]の間、[[長崎市|長崎]]の[[出島]]にいたが、その間に[[中村てき斎|中村惕斎]]『[[訓蒙図彙]]』([[1666年]])の写本を2冊入手した{{refnest|group=註|現在はどちらも[[大英図書館]]の東洋収蔵品 ({{lang|en|the Oriental Collections}})に所管されている<ref name="Michel"/>。}}<ref name="Michel"/>。ケンペルが得たイチョウに関する情報は『訓蒙図彙』2版 (1686)の「巻十八 果蓏」で書かれている<ref name="Michel"/>。ケンペルは[[日本語]]が読めなかったので、参照番号をそれぞれの枠に振った<ref name="Michel"/>。ケンペルのもつ写本の植物の項目の殆どには見出しの隣に2つ目の番号が振られていた<ref name="Michel"/>。ケンペルの所有していた写本では、イチョウの枝の図の横に269、漢字の見出しには34と番号が振られている<ref name="Michel"/>。多くの日本の文献は、助手の[[今村英生|今村源右衛門]]から教わったと考えられるが、交易所の通訳であった[[馬田市郎兵衛]]、[[名村権八]]と[[楢林鎮山|楢林新右衛門]]もケンペルの[[植物学]]の研究に重要な影響を与えたことが、イギリスの医師でありこの時代随一の蒐集家であった[[ハンス・スローン]]が保管していたケンペルの備忘録により分かっている<ref name="Michel"/>。これらの参照番号はケンペルが日本に滞在していた時の備忘録でも見られる<ref name="Michel"/>。''{{lang|la|Collectanea Japonica}}'' と題された手稿<ref>British Library, Sloane Collection 3062</ref>には、『訓蒙図彙』の漢字の見出しがリスト化されているページがあり、34番目の見出しで “{{lang|ja-Latn|Ginkjo}}” もしくは “{{lang|ja-Latn|Ginkio}}” と書くべきところを、誤って“{{lang|ja-Latn|Ginkgo}}”と表記されている<ref name="Michel"/>。つまり、ケンペルの「日本の植物相」以降、現在まで引き継がれている “{{lang|ja-Latn|Ginkgo}}” という綴りは、ケンペルの郷里[[レムゴー]]での[[誤植]]や誤解釈などの出版の際のミスではなく、ケンペル自身の日本での小さな誤記によるものであったと考えられる<ref name="Michel"/>
ケンペルは[[1689年]]から[[1691年]]の間、[[長崎市|長崎]]の[[出島]]にいたが、その間に[[中村惕斎]]『[[訓蒙図彙]]』([[1666年]])の写本を2冊入手した{{refnest|group=註|現在はどちらも[[大英図書館]]の東洋収蔵品 ({{lang|en|the Oriental Collections}})に所管されている<ref name="Michel"/>。}}<ref name="Michel"/>。ケンペルが得たイチョウに関する情報は『訓蒙図彙』2版 (1686)の「巻十八 果蓏」で書かれている<ref name="Michel"/>。ケンペルは[[日本語]]が読めなかったので、参照番号をそれぞれの枠に振った<ref name="Michel"/>。ケンペルのもつ写本の植物の項目の殆どには見出しの隣に2つ目の番号が振られていた<ref name="Michel"/>。ケンペルの所有していた写本では、イチョウの枝の図の横に269、漢字の見出しには34と番号が振られている<ref name="Michel"/>。多くの日本の文献は、助手の[[今村英生|今村源右衛門]]から教わったと考えられるが、交易所の通訳であった[[馬田市郎兵衛]]、[[名村権八]]と[[楢林鎮山|楢林新右衛門]]もケンペルの[[植物学]]の研究に重要な影響を与えたことが、イギリスの医師でありこの時代随一の蒐集家であった[[ハンス・スローン]]が保管していたケンペルの備忘録により分かっている<ref name="Michel"/>。これらの参照番号はケンペルが日本に滞在していた時の備忘録でも見られる<ref name="Michel"/>。''{{lang|la|Collectanea Japonica}}'' と題された手稿<ref>British Library, Sloane Collection 3062</ref>には、『訓蒙図彙』の漢字の見出しがリスト化されているページがあり、34番目の見出しで “{{lang|ja-Latn|Ginkjo}}” もしくは “{{lang|ja-Latn|Ginkio}}” と書くべきところを、誤って“{{lang|ja-Latn|Ginkgo}}”と表記されている<ref name="Michel"/>。つまり、ケンペルの「日本の植物相」以降、現在まで引き継がれている “{{lang|ja-Latn|Ginkgo}}” という綴りは、ケンペルの郷里[[レムゴー]]での[[誤植]]や誤解釈などの出版の際のミスではなく、ケンペル自身の日本での小さな誤記によるものであったと考えられる<ref name="Michel"/>
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ケンペルの''{{lang|la|Collectanea Japonica}}'' における“{{lang|la|g}}”は実際は“{{lang|la|y}}”を意図しているとよく論じられる<ref name="Michel"/>。例えば、[[#NewCollege|竹林ほか (2010)]]などでは“{{lang|en|Ginkgo}}”は''{{lang|ja-Latn|Ginkyo}}''の“{{lang|la|y}}”を“{{lang|la|g}}”と誤記したことに基づくとされている<ref name="NewCollege"/><ref name="etymonline"/>。しかしケンペルの筆記体の両文字ははっきり異なっており、ラテン語や諸外国語を書くとき、この時代の習慣通りに“{{lang|la|y}}”には“{{lang|la|ÿ}}”のように2点上に付けて用いるため、“{{lang|la|g}}”とはっきり区別される<ref name="Michel"/>。ケンペルの日本語の他の語彙の綴りには他にも「きょう」を含むものもあり、これによっても示される<ref name="Michel"/>。ケンペルの日本語の語彙の表現は、ある音素では表記揺れが激しく、短母音と長母音の大きな違いを明らかに見落としていた。例えば、ケンペルがドイツ語の発音になかった 「じ」や「じゃ」という日本語の発音を区別するのは難しく、出島にいたほかの西洋人と同じようにある音素を無視するか、不正確だが母国語と似ていると思った音を当てる傾向があった<ref name="Michel"/>。しかしこれは「きょ」や「ぎょ」の場合は異なり、一貫して“{{lang|ja-Latn|kio/gio}}”または“{{lang|ja-Latn|kjo/gjo}}”を用いている<ref name="Michel"/>。ときにケンペルは西洋人の高度な外国語学習者でも難しかった「きょ」と「きよ」という発音の区別ができていた<ref name="Michel"/>。『廻国奇観』に書かれた日本の植物名の調査からも同様に“Ginkgo”の綴りだけが奇異な例外であると結論づけられる<ref name="Michel"/>。}}。

2020年8月13日 (木) 02:24時点における版

イチョウ
イチョウの葉
保全状況評価[1]
ENDANGERED
(IUCN Red List Ver.2.3 (1994))
分類
: 植物界 Plantae
階級なし : 維管束植物 Tracheophyta
階級なし : 大葉植物 Euphyllophyta
階級なし : 種子植物 Spermatophyta
: 裸子植物門 Gymnospermae
(イチョウ植物門 Ginkgophyta)
: イチョウ綱 Ginkgoopsida
: イチョウ目 Ginkgoales
: イチョウ科 Ginkgoaceae
: イチョウ属 Ginkgo
: イチョウ G. biloba
学名
Ginkgo biloba L. (1771)[1][2]
和名
イチョウ
英名
Ginkgo, Maidenhair Tree
変種栽培品種
本文参照
黄葉した秋のイチョウ

イチョウ銀杏[3][4]公孫樹[3][4]鴨脚樹[3][4][5]学名Ginkgo biloba)は、中国原産の裸子植物で、落葉性の高木である[6]。日本では街路樹や公園樹として観賞用に[7][6][8][9][8]、また寺院や神社の境内に多く植えられ[7][6][8]、食用[7]、漢方[10][11]、材用[12]としても栽培される。樹木の名としてはほかにギンキョウ(銀杏)[13]ギンナン(銀杏)[4]ギンナンノキ[14]と呼ばれる。ふつう「ギンナン」は後述する種子を指す[9][15]ことが多い。

街路樹など日本では全国的によく見かける樹木であり[9]、特徴的な広葉を持っているが広葉樹[註 1]ではなく[16]、裸子植物ではあるが針葉樹ではない[16]

世界で最古の現生樹種の一つである[10]。イチョウ類は地史的にはペルム紀に出現し[17][18]中生代(特にジュラ紀[19])まで全世界的に繁茂した[7][20][18]。世界各地で葉の化石が発見され、日本では新第三紀漸新世[18]山口県の大嶺炭田からバイエラ属 Baiera[21]、北海道からイチョウ属の Ginkgo adiantoides Heer. などの化石が発見されている[22]。しかし新生代に入ると各地で姿を消し日本でも約100年前に絶滅したため[17]、本種イチョウが唯一現存する種である[18]。現在イチョウは、「生きている化石[23]として国際自然保護連合 (IUCN)のレッドリスト絶滅危惧種 (Endangered)に指定されている[1]

種子(あるいはそのうち内種皮および胚珠)を銀杏(ぎんなん)というが、しばしばこれは「イチョウの“実”」と呼ばれ、食用として流通している[3][24][9]。銀杏は、中毒を起こし得るもので死亡例も報告されており、摂取にあたっては一定の配慮を要する(詳しくは後述)。

名称・呼称

「イチョウ」

中国語で、葉の形をアヒルの足に見立てて 鴨脚拼音: yājiǎo イアチァオ)と呼ぶので、そこから転じたとする説がある[3][20][14]。加納 (2008)では、「鴨脚」の中世漢語 ia-kiauの訛りであるとされる[25][24]。しかし、室町時代の国語辞典『下学集』では、「銀杏」の文字に「イチヤウ」および「ギンキヤウ」と振り、その異名に挙げる「鴨脚」には「アフキヤク」と振られており、イチヤウはあくまでも銀杏の音としてギンキヤウと併記され、鴨脚の音とはされていない[26]。なお、鴨脚の名は中国では11世紀の梅堯臣 (1002 - 1060)や欧陽脩 (1007 - 1072)の詩に見られ、その種子は「鴨脚子」と呼ばれていた[27]

それに対し、「イチョウ」の語は「銀杏」の代の近古音唐音)が転じたものとする説もある[13][3]1481年頃に成立した一条兼良の『尺素往来』や1486年の『類集文字抄』、1492年頃の『新撰類聚往来』にも「鴨脚」はなく、「銀杏」に「イチヤウ」とのみ振られており、これを支持する[26][27]。「いちょう」の歴史的仮名遣は「いちやう」であるが、もとは「いてふ」とする例が多かった[4]。この「いてふ」という仮名は「一葉」に当てたからだとされる[3]。1450年頃に成立した『長倉追罰記』には幔幕に描かれた家紋について「大石の源左衛門はいてうの木」と表記される[27]

「ギンナン」

種子は銀杏(ギンナン)と呼ばれるが、11世紀前半に上記「鴨脚子」から入貢のため改称され、用いられるようになったと考えられる[27]。明代李時珍著『本草綱目』に記載されている「銀杏」は、銀杏の初出が呉端の『日用本草』(1329年)であるとする[28]。漢名の「銀杏」は種子が白いためである[24]。「銀杏」の中世漢語iən-hiəngであり[25]、銀杏の唐音である『ギンアン』が転訛し(連声)、ギンナンと呼ばれるようになったものと考えられる[13][24]

学名

属名 Ginkgo

中村惕斎の『訓蒙図彙』に描かれる銀杏。
ゲーテのGingo biloba (1815)の新版。

イチョウ属の学名 Ginkgo は、日本語「銀杏」に由来している[29][30][18]英語 にもginkgo /ˈgɪŋkoʊ/ として取り入れられている[註 2][29][30][31]。ほかにも男性名詞として、ドイツ語 Ginkgo, Ginko /ˈgɪŋko/ [32][33]フランス語 ginkgo /ʒɛ̃ŋko/ [34]イタリア語 ginkgo [35] など諸言語に取り入れられている。

イチョウ綱が既に絶滅していたヨーロッパでは、本種イチョウは、オランダ商館付の医師で『日本誌』の著者であるドイツ人エンゲルベルト・ケンペルによる『廻国奇観 (諸国奇談、Amoenitatum exoticarum)』(1712年)の「日本の植物相(Flora Japonica)」[36] において初めて紹介されたが、そこで初めて“Ginkgo”という綴りが用いられた[18][37]

ケンペルは1689年から1691年の間、長崎出島にいたが、その間に中村惕斎訓蒙図彙』(1666年)の写本を2冊入手した[註 3][37]。ケンペルが得たイチョウに関する情報は『訓蒙図彙』2版 (1686)の「巻十八 果蓏」で書かれている[37]。ケンペルは日本語が読めなかったので、参照番号をそれぞれの枠に振った[37]。ケンペルのもつ写本の植物の項目の殆どには見出しの隣に2つ目の番号が振られていた[37]。ケンペルの所有していた写本では、イチョウの枝の図の横に269、漢字の見出しには34と番号が振られている[37]。多くの日本の文献は、助手の今村源右衛門から教わったと考えられるが、交易所の通訳であった馬田市郎兵衛名村権八楢林新右衛門もケンペルの植物学の研究に重要な影響を与えたことが、イギリスの医師でありこの時代随一の蒐集家であったハンス・スローンが保管していたケンペルの備忘録により分かっている[37]。これらの参照番号はケンペルが日本に滞在していた時の備忘録でも見られる[37]Collectanea Japonica と題された手稿[38]には、『訓蒙図彙』の漢字の見出しがリスト化されているページがあり、34番目の見出しで “Ginkjo” もしくは “Ginkio” と書くべきところを、誤って“Ginkgo”と表記されている[37]。つまり、ケンペルの「日本の植物相」以降、現在まで引き継がれている “Ginkgo” という綴りは、ケンペルの郷里レムゴーでの誤植や誤解釈などの出版の際のミスではなく、ケンペル自身の日本での小さな誤記によるものであったと考えられる[37] [註 4]

なお、Webster (1958)では ginkgo は、日本語の ginko, gingkoに由来するとしている[29]が、日本語の「銀杏」が「ギンコウ」と読む事実はない[註 5][註 6]小西・南出 (2006)では中国語の銀杏(ぎんきょう)からとしている[31]が、この読みは日本語であり正しくない。

このケンペルの綴りが引き継がれて、カール・フォン・リンネ1771年、著書『Mantissa plantarum. Generum editionis VI. Et specierum editionis II』でイチョウの属名Ginkgo として記載した[18][41]MouleThommen は、Ginkyo bilobaに修正すべきだと主張し[42]、牧野(1988)[43]では、ケンペルの著書中ではkjokgoに書き誤ったのであり、直すならGinkjoであるというが、植物命名規則においては恣意的に学名を変更することはできないとされている[33]。1712年のケンペルのGinkgoという誤った綴りは命名規約上有効ではなく、それを引用した1771年のリンネの命名Ginkgo bilobaが命名上有効であり、リンネは誤植をしなかったため、訂正することができないと考えられる[33]

ginkgo は発音や筆記に戸惑う綴りであり、通俗的にkg を入れ替えてしばしば gingko と記される[29][31][33]。このほか、ゲーテは『西東詩集 (West-östlicher Diwan)』「ズライカの書」(1819年)で、「銀杏の葉」Ginkgo bilobaという詩を綴っているが、ゲーテ全集初版以降、印刷では "Gingo biloba"と表記されている[33]。これはUnseld (1999)[44]によれば、ゲーテは科学者として学名 Ginkgo biloba を正しく認識していたが、詩人として Gingo という語を創作して付けたという[33]

種小名 biloba

種小名bilobaラテン語による造語で、「2つの裂片 (two lobes)」の意味であり、葉が大きく2浅裂することに由っている[7]

英名

英語では "maidenhair tree" ともいう[10][45][46][47]。"maidenhair" は通常はホウライシダ属 Adiantumのシダ(= maidenhair fern)を指し、英語の"maiden" には「処女名詞)」または「処女の(形容詞)」の意味がある[45][46][47]maidenhair treeという語は maidenhair fernによく似ているためであるとされる[39]。語源はよく議論されてこなかったが、葉がよく似たホウライシダを表す maidenhairとともに、陰毛が形作る三角形から名付けられたと考えられている[48]。「木の全体が女性の髪形に似ているため」と美化した説明もなされる[49]

ほかにも fossil tree[10](化石の木)、Japanese silver apricot[10](日本の銀色の)、baiguo[10](白果)、yinhsing[10](銀杏)などと呼ばれる。

その他漢名

漢名(異名)の「公孫樹」は長寿の木であり、祖父(公)が植えると孫が実(厳密には種子)を食べることができるという伝承に基づいている[24][8]漢方中国医学)では『日用本草』[註 7]にみられるように[27]、「白果(びゃっか[50]はっか[24]」と呼ばれることが多い[24][11]

分類学上の位置

本種は現生ではまたは レベル以下全てで単型の種であるとされ、イチョウ植物門 Ginkgophyta維管束植物門 Tracheophyta[18]または裸子植物門 Gymnospermae[51]とされることも多い)・イチョウ綱 Ginkgoopsida・イチョウ目 Ginkgoales・イチョウ科 Ginkgoaceae・イチョウ属 Ginkgo に属する唯一の現生種である[7][18]

上位分類

イギリスで産出したジュラ紀のイチョウ属、Ginkgo huttoniiの葉の化石
アメリカの始新世ヤプレシアンの地層で産出した本種 Ginkgo bilobaの葉の化石。

現在、化石を含めた裸子植物は種子植物から被子植物を除いた側系統群であるとされ、この場合側系統群を認めない立場からは裸子植物門は解体されてソテツ植物門 Cycadophyta、イチョウ植物門 Ginkgophytaグネツム植物門 Gnetophyta球果植物門 Pinophyta の4植物門に分類される[52]。本種イチョウは現生で唯一この イチョウ植物門 Ginkgophyta に属している[52]。イチョウは雄性配偶子として自由運動可能な精子を作るが、これはソテツと共通である[52]。そのためソテツ類とイチョウ類を合わせてソテツ類(ソテツ綱)とすることもあった[53][54]。なお、1896年の「精子の発見」以前は球果植物(マツ綱)のイチイ科に置かれていた[42]

これら4分類群は形態的には大きくかけ離れているが、Hasebe et al.(1992)による分子系統解析の結果、現生裸子植物は単系統群であることが分かり[55]、現在これはChaw et al.(2000)などほとんどの研究 [56]で支持されている[57][58]。裸子植物は従来、門の階級に置かれ裸子植物門 Gymnospermae とされてきた[51]が、近年では門により上位の分類群である維管束植物門 Tracheophyta を立てることがある[59]。イチョウ類はその下に小葉類 Microphyllophytinaヒカゲノカズラ類 Lycophytina)を除いた維管束植物である大葉植物亜門(真葉植物亜門)Euphyllophyta を置き、その下の分類群である イチョウ綱 Ginkgopsida とされる[59]

この綱にはイチョウ目 Ginkgoales 1イチョウ科 Ginkgoaceae 1のみが属しているが、これはペルム紀から中生代に繁栄した植物群である[7][19][18][17]。いずれも現生では本種のみが属する[7]

下位分類

オハツキイチョウの種子

現生はGinkgo biloba 1種のみしか知られていないが、変異が見られ、下位分類群として94品種が知られている[19]。代表的な変種または品種は以下のものである。食用の銀杏の品種は種子の節を参照。

  • var. laciniata Hort.[60] キレハイチョウ[61] - 「切れ葉」の意。
  • var. variegata Henry フイリイチョウ[61] - 「斑入り」の意。葉に黄白色の斑が入るもの[14]
  • var. epiphylla Makino オハツキイチョウ[61][7] - 「お葉付き」の意。葉に種子が付くもの[20]epiphylla は葉上生の意である[7]
  • var. pendula Hort.[62] シダレイチョウ[61] - 「枝垂れ」の意。
  • cv. tubifolia ラッパイチョウ[61] - ラッパのような筒状の葉を付けるもの[6]

形態

イチョウのシュートの横断面。ポリクローム染色で呈色されたもので、直径4 mm。

本格的な木本性の植物であり[52]、樹高20 - 30 m、幹直径2 mの落葉高木となる[7]。大きいものは樹高40 - 45 m、直径4 - 5 mに達する[7][63]。茎は真正中心柱をもち、形成層の活動は活発で、発達した二次木部を形成する[52]。多数の太い枝を箒状に出し、長大な卵形の樹冠を形成する[7]。樹皮はコルク質がやや発達して柔らかく、淡黄褐色で粗面[7]。若い樹皮は褐色から灰褐色で、縦に長い網目状であるが、成長とともに縦方向に裂けてコルク層が厚く発達する[64]。枝には長枝と短枝があり、どちらも無毛である[7]。樹形は単幹だけでなく株立ちのこともある[64]冬芽は円錐形で、多数の芽鱗に覆われる[7]

色づいた「北金ヶ沢のイチョウ」(青森県)
いくつもの乳根(乳柱)が発達している。

葉身は扇形で長い葉柄を持つ(長柄[7]。葉柄は3 - 8 cm、葉身長4 - 8 cm、葉幅は5 - 7 cm[6][9]葉脈は原始的な平行脈を持ち、二叉分枝(二又分枝)して付け根から先端まで伸びる[52][63]。中央脈はなく、多数の脈が基部から開出し葉縁に達する[7]。このように葉脈が二又に分かれ、網目を作らない脈系を二又脈系dichotomous system)と呼ぶ[65]。葉の上端は不規則の波状縁となり、基本的に葉の中央部は浅裂となるが、深裂となるものもあり[7][63][6]、栽培品種では差異が大きい。若いものや徒長枝ほど切れ込みがよく入り、複数の切れ込みがあるものもある[6]。切れ込みのほとんどないものもあり[9]、剪定されていない老木では切れ込みのない葉が多い[6]葉脚楔形[63]雌雄異株であり、葉の輪郭で雌雄を判別できるという俗説があるが、実際には生殖器の観察が必要である[66]。葉は表裏ともに無毛[63]。葉の付き方は長枝上では螺旋状に互生し、短枝上では束生である[7][63][6]。また、落葉前の葉は鮮やかな黄色黄葉[7]、並木道などは秋の風物詩である。黄葉したイチョウはいちょうもみじ(銀杏黄葉)と呼ばれる[3]。落葉した後、翌春には古い枝から再び葉が芽吹くように見えるが、実際は葉柄が付くのに必要な長さ1 mm程度の短い枝が新しくでき、そこに新葉が付く[67]

ラッパのような筒状の葉を付けるラッパイチョウなどの変異も見られる[6]。また、葉の縁に不完全に発達した葯または胚珠、種子が生じる変種オハツキイチョウ G. biloba var. epiphylla Makino と呼び、本種の系統を示す重要な形質だと考えられている[7]。天然記念物に指定されているものもあるが、あまり珍しくない[7]矢頭 (1964)では変種として区別する必要がないとしている[7]

樹木としては長寿で、各地に幹周が10 mを超えるような巨木が点在している[註 8]。老木になると幹や大枝から円錐形の気根状突起を生じることがあり、これをイチョウの乳と呼ぶ[14][68][9]。これは「乳根」や「乳頭」、「乳柱」ともよばれる[64]。若木のうちから乳を作る個体は、チチイチョウ(乳銀杏)と呼ばれ[69][14]、古来、日本各地で安産や子育ての信仰対象とされてきた。造園ではチチノキ[12]とも呼ばれる。この乳は不定芽や発育を妨げられた短枝、あるいはそれから発育した潜伏芽に由来し、内部の構造は材とは違って柔らかい細胞からなり、多量の澱粉を貯蔵している[20]

IUCNレッドリスト1997年版で希少種 (Rare) に、1998年版で絶滅危惧(絶滅危惧II類)に評価された[1]

生殖

黄葉前の葉と種子
黄葉した葉と種子

雌雄異株で、生殖器短枝上につく[7][52]風媒花であり、雄花花粉は風により遠方まで飛散し、かなりの遠距離でも受粉可能である[70]

雌株の花
雄株の花

日本の関東地方など、北半球温帯では 4 - 5月に新芽が伸び開花する[63]。裸子植物なので、受粉様式は被子植物と異なる。まず開花後4月に受粉[52]した花粉は、雌花の胚珠端部の花粉室に数ヶ月保持され、その間に胚珠は直径約2 cm程度に肥大し、花粉内では数個の精子が作られる。9 - 10月頃、精子は放出され、花粉室から1個の精子のみが造卵器に泳いで入り、ここで受精が完了する[52]。受精によって胚珠は成熟を開始し、10 - 11月頃に種子は成熟して落果する[7]

種子は、球形から広楕円形で、長さ 1 - 2 cmの石果様を呈する[7][63]。外種皮は橙黄色で、軟化し臭気を発する[7]。内皮は堅く、紡錘形で、長さ約 1 cmで黄白色である[7]。普通は2稜あるが、3稜のものも少なくなく、子葉は2または3個[7]。1 kg当りの種子数は約900個である[7]。実生の発芽率は高い[69]

雌性生殖器官

本種の雌性生殖器官(雌花[7])は、花柄の先端に通常2個の胚珠が付く構造をしている[52]。胚珠は柄の先端の「襟」と呼ばれる構造(退化した心皮[7])に囲まれているが、ほぼむき出しの状態である[52]。胚珠は1枚の肉厚の珠皮珠心を包み込んでいて、珠皮は肉質外層、硬い石層、肉質内層の3層構造からなる[52]

本種の雌性配偶体や造卵器の形成過程はソテツに類似している[52]。遊離核分裂による多核性段階を経て、細胞壁の発達した多細胞段階になる[52]。造卵器は通常2個作られるが、1個から5個までの変異がある[52]。始原細胞は珠孔側の表皮細胞であり、並層分裂により中央細胞と第一次首細胞ができ、それがすぐに垂直分裂をして2個の首細胞となる[52]

雄性生殖器官

雄性器官も短枝葉腋上に大胞子嚢穂(雄花[7])として形成される[52]。雄花は尾状花序様で[7]、軸上に多数の付属体(雄蕊[7])が付き、各付属体は通常2個の小胞子嚢(葯[7])を先端につける[52]。小胞子嚢の中の小胞子母細胞が分裂し、4分子の小胞子(核相: n)をつくる[52]

雄性配偶体はソテツに似ており、花粉散布時には生殖細胞、花粉管細胞、2個の前葉体細胞の4細胞性の構造をとる[52]。花粉が風で胚珠まで運ばれると、珠孔にできた受粉滴に付着して胚珠の内部に運ばれる[52]。生殖細胞は不稔細胞と精原細胞に分裂し、精原細胞はもう一度分裂し2個の精子となる[52]。花粉は分枝する花粉管を伸ばし、吸器として働く[52]

精子

裸子植物の雄性配偶子は花粉によって運ばれ、うちグネツム類や球果植物では花粉粒から花粉管を伸ばして胚嚢まで有性配偶子が運ばれるが、本種及びソテツは花粉管から自由運動可能な精子が放出されて受精が行われる[52]

1895年、帝国大学(現、東京大学)理科大学植物学教室の助手平瀬作五郎が、種子植物として初めて鞭毛をもって遊泳するイチョウの精子を発見した[52][71][72]。平瀬は当時、ギンナンの内部にあった生物らしきものを寄生虫と考えたが、当時助教授であった池野成一郎に見せたところ、池野は精子であると直感したという[52]。その後の観察で、精子が花粉管を出て動き回ることを確認し、平勢は1896年(明治29年)10月20日に発行された『植物学雑誌』第10巻第116号に「いてふノ精虫ニ就テ」[73]という論文を発表した[7][52][註 9]。裸子植物であるイチョウが被子植物と同じように胚珠(種子)を進化させながら、同時に雄性生殖細胞として原始的な精子を持つということは、進化的に見てシダ植物種子植物の中間的な位置にあるということを示している[71]。この業績は1868年明治維新以降、欧米に学んで近代科学を発展させようとした黎明期において、世界に誇る研究として国際的にも高く評価された[71][72]。後年、平瀬はこの功績によって学士院恩賜賞を授与されている[71]加藤 (1999) は、当時植物園教室は小石川植物園内にあり、身近にイチョウが植えられて研究材料として簡単に利用できる状態であったということが、この研究の一助となったとしている[71]。精子の発見された樹は樹高25 m、直径約1.5 m の雌木であり、今日も小石川植物園に現存している[7]

分布と伝播

耐寒耐暑性があり、強健で抵抗力も強いので、日本では北海道から沖縄県まで広く植栽されている[70]北半球ではメキシコシティからアンカレッジ南半球ではプレトリアからダニーデンの中・高緯度地方に分布し、極地方や赤道地帯には栽植されない。年平均気温が0 - 20℃の降水量500 - 2000 mmの地域に分布している[23][61]

自生地は確認されていないが中国原産とされる[3][70]。中国でも10世紀以前に記録はなく[27]、古い記録としては、欧陽脩が『欧陽文忠公集』(1054年)に書き記した珍しい果実のエピソードが確実性の高いものとして知られる[15][76][27]。それに先立ち、現在の中国安徽省宣城市付近に自生していたものが、11世紀初めに当時の北宋王朝の都があった開封に植栽されたという李和文による記録があり、中国でイチョウが広くみられるようになったのは、それ以降であるという説が有力である[76]。中国の安徽省および浙江省には野生状のものがあり、他の針葉樹・広葉樹と混生して森林を作っている[7]

その後、仏教寺院などに盛んに植えられ、日本にも薬種などとして伝来したとみられるが、年代には古墳飛鳥時代説、奈良平安時代説、鎌倉時代説、室町時代説など諸説あるものの、憶測や風説でしかないものも混じっている[15][26]六国史平安時代の王朝文学にも記載がなく、鶴岡八幡宮の大銀杏(「隠れイチョウ」)を根拠とする説も根拠性には乏しいため、1200年代までにはイチョウは日本に伝来していなかったと考えられている[26][27]行誉により1445年頃に書かれた問答式の辞書『壒嚢鈔』には深根輔仁本草和名』(914年)にも記述がないとある[27]

1323年至治3年)に当時の寧波から日本の博多に航行中に沈没した新安沈没船[註 10]の海底遺物のなかからイチョウが発見されている[15][76][27]1370年頃に成立したとみられる『異制庭訓往来』が文字資料としては最古と考えられる[76][27]。そのため、1300年代に貿易船により輸入品としてギンナンが伝来したと考えられる[27]南北朝時代近衛道嗣の日記『愚管記』(1381年)には銀杏の木について[76]、室町時代の国語辞書『下学集』(1444年)にも樹木として記載がある[27]。また、15世紀の『新撰類聚往来』[78]には、果実・種子としての銀杏(イチャウ)が記載されている。室町中期にはイチョウの木はかなり一般化し、1500年代には種子としても樹木としても人々の日常生活に深く入り込んでいったと考えられる[27]

幹周 8m 以上の巨樹イチョウの日本列島における分布は、東日本89本(雄株81・雌株8)、中部日本21本(雄株15・雌株6)、西日本50本(雄株24・雌株26)となっている[79]

ヨーロッパには1692年、ケンペルが長崎から持ち帰った種子から始まり、オランダのユトレヒトやイギリスのキュー植物園で栽培され、開花したという[80]1730年ごろには生樹がヨーロッパに導入され[81]18世紀にはドイツをはじめヨーロッパ各地での植栽が進み、1815年にはゲーテが『銀杏の葉 (Gingo biloba)』と名付けた恋愛詩を記している[33]

利用

木材

イチョウの年輪

木材としての知名度は低い[12]。組織は針葉樹のものと似ている[12]。材は黄白色で、心材と辺材の色の差はほとんどない[7][12]。早材と晩材の差が少ないため、年輪ははっきりとせず広葉樹材のようであり、材は緻密で均一、柔らかいため加工性に優れる[12][70]。肌目は精で、木理は通直で、反曲折裂および収縮が少なく、歪みが出にくい良材である[7][12][70]。木材の中に異形細胞をもち、その中に金平糖型のシュウ酸カルシウムを含む[12]。気乾比重は0.55で、やや軽軟で、耐久性は低い[12]。器具・建具・家具・彫刻[7][12][70]、カウンターの天板・構造材・造作材・水廻りなど広範に利用されており、碁盤将棋盤にも適材とされる[9][12]。ただし、カヤに比べ音が良くないため評価は低い[12]。その他、古くは鶏屋のまな板に好まれた[12]。用材はほかに和服の裁ち板としても使われる[14]

植栽

イチョウの盆栽

土地を選ばず生育し、萌芽力がさかんで、病虫害が少なく、強い剪定にも耐えるため、庭園樹、公園樹、街路樹、防風樹、防火樹などとして植栽される[70]。日本では庭園や公園に植栽されたり[63]、寺社の境内にも多く植えられる[7][9]が、大規模な造林地になっているものはない[12]。古い社寺の境内には樹齢数百年を経たと称される「大銀杏」が多くみられる[64]。外国の植物園でもよく見られる[7]盆栽にも利用される[9][70][69]。盆栽は実生または挿し木によって作られる[69]チチイチョウはよく盆栽につくられる[69]。高木になるため庭木としての利用は少ないが、成長が遅いチチイチョウは庭木としても用いられる[14]

また、樹皮が厚く、コルク質で気泡があるため、耐火力に優れているとみなされ、防火植林に用いられる[7][70]江戸時代火除け地に多く植えられた。大正時代関東大震災の際には延焼を防いだ例もあったため、防災を兼ねて次項で記載する街路樹にイチョウが多く植えられるようになったという。これを提案したのは造園家の長岡安平であったことが、2019年12月27日放送の『チコちゃんに叱られる!』で取り上げられた[82]

街路樹

病害や虫害がほとんどなく[7][14]、黄葉時の美しさ[19]と、大気汚染剪定、火災に強いという特性[14]から、街路樹としても利用される[7][6][8][9]。2007年の国土交通省の調査によれば、街路樹として57万本のイチョウが植えられており、樹種別では最多本数。東京都の明治神宮外苑や、大阪市御堂筋の街路樹[50]などが、銀杏並木として知られている。大阪を代表する御堂筋のイチョウ並木は、1966年時点で樹齢約50年、867本(うち雌株111本)あった[68][註 11]。雌株では秋期に落下した種子(銀杏)が異臭の原因となる場合があるので[7]、街路樹への採用にあたっては、果実のならない雄株のみを選んで植樹される場合もある[83]。移植は容易で、大木であっても移植することができる[14]

著名なイチョウの木

北金ヶ沢のイチョウ - 樹齢1,000年以上とされる。
対馬にある琴の大イチョウ

日本には樹齢1,000年以上と称されるイチョウの巨樹が各地にある[11][註 12]。そのため、ソテツと同様に天然記念物に指定され保護されているものも多い[20]社会や文化とのかかわりの項も参照。

食用

イチョウの葉や種子は古くから薬用に利用され、中国の『神農本草経』や『本草綱目』に遡る[99]。健康な一般成人では、イチョウは適切な量であれば食用として安全である[10]。しかし生もしくは加熱したイチョウ種子は、有毒であり深刻な副作用を起こす可能性がある[10]

種子

ぎんなん(生)[100]
100 gあたりの栄養価
エネルギー 717 kJ (171 kcal)
34.8 g
食物繊維 1.6 g
1.6 g
飽和脂肪酸 0.16 g
一価不飽和 0.48 g
多価不飽和 0.60 g
4.7 g
ビタミン
ビタミンA相当量
(3%)
24 µg
チアミン (B1)
(24%)
0.28 mg
リボフラビン (B2)
(7%)
0.08 mg
ナイアシン (B3)
(8%)
1.2 mg
パントテン酸 (B5)
(25%)
1.27 mg
ビタミンB6
(5%)
0.07 mg
葉酸 (B9)
(11%)
45 µg
ビタミンC
(28%)
23 mg
ビタミンE
(17%)
2.5 mg
ビタミンK
(3%)
3 µg
ミネラル
カリウム
(15%)
710 mg
カルシウム
(1%)
5 mg
マグネシウム
(14%)
48 mg
リン
(17%)
120 mg
鉄分
(8%)
1.0 mg
亜鉛
(4%)
0.4 mg
(13%)
0.25 mg
他の成分
水分 57.4 g
水溶性食物繊維 0.2 g
不溶性食物繊維 1.4 g
ビオチン (B7) 6.2 µg

ビタミンEはα─トコフェロールのみを示した[101]
%はアメリカ合衆国における
成人栄養摂取目標 (RDIの割合。

イチョウの種子は、銀杏(ぎんなん)といい、硬い内種皮(殻)の中に含まれる胚乳(さね、核、仁)が食用となる[20][7][5]。実と説明されることもある[6]が、果実ではない[102]。これを食用とするのは日本や中国など、東アジアにおける習慣である[103]。これは中国の本草学図書である『紹興本草』(1159年)にも記載される[11]。薬用(漢方)として利用されていたことが、代の龔廷賢1581年に著した『萬病回春』に記されている[11]。鎮咳作用があるとされる[50][104]

仁は直径1 cm程度の紡錘形[9]で、新鮮な状態では光合成色素クロロフィルの存在により緑色を呈するが、収穫後は殻付きで保存しても常温に置くと短期間のうちに黄色に褪色化する[105]。加熱により半透明の鮮やかな緑色になるが[106]、加熱を続けると微酸性である死んだ細胞の内容物との作用でクロロフィルのマグネシウムがはずれ、黄褐色のフェオフィチンとなる[105]茶碗蒸しやなどおこわなどの具に使われたり[11]、煮物や鍋物、揚げ物炒め物など広汎な料理に用いられ[107]としても用いられる[106][108]。和食料理のあしらいとして欠かせない食材で、殻は割り、渋皮は弱火で炒るか、ゆでるときれいにむける[106]。韓国では、露店でも炒った銀杏を販売している。加工品としては砂糖漬やオリーブ油漬、水煮などの瓶詰や缶詰が売られている[107]デンプンが豊富に含まれ[107]、モチモチとした食感と独特の歯ごたえがある。ほかにもレシチンエルゴステリンパントテン酸カリウムカロチンビタミンCも含有している[107][109]。ただ、独特の苦味[107]および外種皮には悪臭[14][9]がある。秋の食材[19]だが、加熱して真空パック詰めにした商品は年中手に入る。

銀杏は古くはの凶作時の備蓄食糧に使われたといわれており、今日では日本全土で生産されているが、特に愛知県稲沢市(旧:中島郡祖父江町)は銀杏の生産量日本一である[109][110]。ぎんなん採取を目的としたイチョウの栽培は1841年天保11年)、祖父江町に富田栄左衛門がのちの「久寿(久治)」となるイチョウ苗を植えたことに始まるとされる[109][111]。愛知県ではぎんなん収穫用に畑で低く仕立てられ、栽培される[14]。佐賀県でも嬉野市塩田町ウンシュウミカンからの転作としてよく栽培される[104]。ぎんなんの収穫を目的とした栽培品種があり、大粒晩生の「藤九郎」、大粒中生の「久寿(久治)」、大粒早生の「喜平」、中粒早生の「金兵衛」、中粒中生の「栄神」などが主なものとして挙げられる[111]。「藤九郎」は岐阜県瑞穂市(旧穂積町)、「久寿(久治)」「金兵衛」「栄神(栄信)」は愛知県稲沢市(旧祖父江町)、「長瀬」は愛知県海部郡発祥の品種である[112]

熟すと肉質化した外種皮が異臭を放つ[113]。異臭の主成分は下記の皮膚炎の原因となるギンコール酸である[113]。異臭によりニホンザルネズミなどの動物は食べようとしないが、アライグマは食べると言われている[114]。この外種皮を塗ると黒子が取れるとする薬効が『昭興本草』(1159年)にある[27]。旬に先走って収穫される「走り」のぎんなんは、翡翠に似た鮮やかな緑色を呈し、やわらかく匂いも少ないことから通常の時期に収穫されるものより高級とされる[115][116]。また銀杏にはアナカルド酸が含まれ、Nostocシアノバクテリアの糸状体に対して強力な殺菌活性を有しながらも、毒性を示さない極低濃度では明瞭なホルモゴニア分化誘導活性を示す[117]

毒性

イチョウの種子は皮膚炎及び食中毒を起こすことが知られている。1379年の『種樹書』にはすでに銀杏に毒性のあることが記載されている[11]。銀杏中毒になる危険性があるため、日本では「歳の数以上は食べてはいけない」という言い伝えがある[103]

皮膚炎

外種皮には乳白色の乳液があり、それにはアレルギー性皮膚炎を誘発するギンコールビロボールといったギンコール酸(ギンゴール酸)と呼ばれるアルキルフェノール類の脱炭酸化合物を含んでいる[99][42]。これはウルシウルシオールと類似し、かぶれなどの皮膚炎を引き起こす[113]。イチョウの乾葉は、シミなどに対する防虫剤として用いられる[70]。これは、ギンコール・ギンコール酸が葉にも含まれているからである[99]

食中毒(銀杏中毒[103]

食用とする種子にはビタミンB6の類縁体4'-O-メチルピリドキシン (4'-O-methylpyridoxine, MPN) が含まれている[118][113][119]が、これはビタミンB6に拮抗して(抗ビタミンB6作用)ビタミンB6欠乏となりGABAの生合成を阻害し、まれに痙攣などを引き起こす[113]。銀杏の大量摂取により中毒を発症するのは小児に多く、成人では少ない[103]。大人の場合かなりの数を摂取しなければ問題はないが、1日5-6粒程度でも中毒になることがあり、特に報告数の70%程度が5歳未満の小児である[120]。小児では7個以上、大人では40個以上の摂取で発症するとされる[103]

太平洋戦争前後などの食糧難の時代に中毒報告が多く、大量に摂取したために死に至った例もある[103]。1960年代以降銀杏中毒は減少に転じ、1970年代以降死亡例はない[103]。上記の通りビタミンB6欠乏により中毒が起こるため、食糧事情の改善に伴う栄養状態の改善により減少したと考えられている[103]

症状は主に下痢嘔気嘔吐等の消化器症状および縮瞳眩暈痙攣振戦等の中枢神経症状で、加えて不整脈発熱、呼吸促拍等の症状も報告されている[103]

イチョウ葉の薬理効果

ドイツではイチョウの成分が医薬品と認められている
ギンコライドの構造式

イチョウ葉にはフラボノイドテルペノイドアルキルフェノール類が含まれる[99]

主要なフラボノイド成分はビフラボンフラボノールフラボンであり、このうちイチョウ葉エキスのビフラボン含有量は僅かである[99]。ビフラボンはアメントフラボン、アメントフラボンの誘導体であるビロベチンギンクゲチンイソギンクゲチンシアドビチシン5'-メトキシビロベチンが含まれている[99]。フラボノール及びフラボノール配糖体は約20種が含まれており、主要なアグリコンケンフェロールケルセチンイソラムネチンミリセチンなどで、配糖体の糖部に多いのはグルコースラムノースルチノースなどである[99]。また、2種類のプロアントシアニジンも報告されており、イチョウ葉エキスには約7%含まれている[99]

テルペノイドにはともにイチョウに特有な物質であるギンコライドおよびビロバライドがあり、イチョウ葉エキス中には前者2.9%、後者3.1%が含まれている[99]。ギンコライドはtert-ブチル基を持ち、6個の5員環からなる「籠型構造」を有するジテルペンである[99]。これまでにギンコライドA、ギンコライドB、ギンコライドC、ギンコライドJ、ギンコライドMの5種類が見つかっている[99]。ただしこのうちギンコライドMは根皮のみから見つかっている[99]。ビロバライドもtert-ブチル基を持つが、4個の5員環を持つセスキテルペンである[99]

アルキルフェノール類であるギンコール酸は葉にも含まれる[99]。ギンコール酸はヒトの癌細胞に対する増殖抑制作用が知られている[99]

生理作用

イチョウ葉エキスの生理作用は主に抗酸化作用と血液凝固抑制作用、神経保護作用、抗炎症作用であり、その他、血液循環改善作用、血圧上昇抑制作用、血糖上昇抑制作用の報告もある[121][99]

イチョウ葉エキス中のフラボノイド類には、脂質過酸化、血小板凝集、炎症反応などに関係する活性酸素フリーラジカルの消去作用、血小板凝集の阻害効果、炎症細胞からの活性酸素産生の抑制作用が認められる[121]。イチョウ葉エキスEGb761はヒドロキシラジカルペルオキシラジカルスーパーオキシドラジカルに対して消去作用を示すことが知られている[99]

また、イチョウ葉エキスの中のギンコライドBは特異的な血小板活性化因子の阻害物質ということが確認され、脳梗塞動脈硬化の予防の効果が期待されている[121]

有効性

中国では古くから薬用に用いられていたが、イチョウ葉エキスが現代医学において効果があると示されたのは1960年代、ドイツの製薬会社で開発されたイチョウ葉エキスが脳や末梢の血流改善に使用されたことに端を発する[99]。ただし中国でもイチョウ葉を薬用とするようになったのはおそらく朝以降であると考えられている[11]。『本草品彙精要』には胸悶心痛や激しい動悸、痰喘咳嗽、水様の下痢白帯を治すとある[11]

EGb761を用いた臨床試験において、記憶力衰退の改善、認知症の改善、眩暈や耳鳴り、頭痛など脳機能障害の改善、不安感の解消などの有効性が報告されている[99][122][121]。しかしアメリカ国立補完統合衛生センターによる高齢者3,000人を対象とした研究では、イチョウには認知症もしくは認知機能低下の予防や緩和には役に立たないとされている[10]

抽出

日本と欧米では製造方法が異なり[121]、日本では健康食品として使用されるため食品衛生法の規制により、エタノール抽出が行われるが、欧米ではアセトン抽出が行われている[99]。欧米のアセトン抽出によるイチョウ葉エキスはEGb761というコードネームがつけられ、この薬理学研究は多数行われている[99]。イチョウ葉エキスで特定されている成分は、含量がエキス全体の半分にも満たないフラボノイドやテルペノイドなどであるため、フラボノイドやテルペノイドなどの含有量が同じであってもアセトン抽出品とエタノール抽出品が同等かどうかの判断はできない[121]

雑誌などでイチョウ葉茶の作り方が掲載されることがあるが、イチョウ葉を集めてきて、自分で調製したお茶にはかなり多量のギンコール酸が含まれると予想され、推奨されない[121]

規格

ドイツでは、フラボノイド22 - 27%、テルペノイド5 - 7%(ビロバライド2.6 - 3.2%、ギンコライドA,B,C 2.8 - 3.4%)、ギンコール酸5 ppm以下の規格を満たすイチョウ葉エキス医薬品として認証されており[123]、日本においても公益財団法人 日本健康・栄養食品協会がイチョウ葉エキス食品に対し、イチョウ葉エキスを20 mg以上含有し、ギンコール酸を5 ppm以下とするよう基準を設けている[121][124]。しかし、同協会の認証を受けていない商品についてはそういった基準はない。なお、イチョウ葉は日本からドイツフランスへ輸出されている[125]

日本では、イチョウ葉を素材とした健康食品は食品として流通している[126]が、医薬品として認可されておらず、食品であるため効能を謳うことはできない。しかし、消費者に対し過大な期待を抱かせたり、医薬品医療機器等法で問題となるような広告も散見される[123]

国民生活センターのレポートによると、アレルギー物質であるギンコール酸、有効物質であるテルペノイド、フラボノイドの含有量には製法と原料由来の大きな差がみられる。また、「お茶として長時間煮詰めると、ドイツの医薬品規格以上のギンコール酸を摂取してしまう場合がある」とし、異常などが表れた場合は、すぐに利用を中止し医師へ相談するよう呼び掛けている[123]

副作用

イチョウ葉エキスの摂取による副作用として、まれに軽度の胃腸障害、頭痛、アレルギー性皮膚炎が知られる[121]。240 mg以上のイチョウ葉エキスの摂取や医薬品規格を満たさないものの接種では、安全性は明確になっていない[121]。また、出血傾向も認められる[123][127]。まれな副作用としては、スティーブンス・ジョンソン症候群下痢、吐き気、筋弛緩発疹口内炎などが報告されている。

相互作用

イチョウ葉エキスには血液の抗凝固促進作用があり、アスピリンなど抗凝固作用を持つ薬との併用には注意を要する[121]インスリン分泌にも影響を及ぼすため、糖尿病患者が摂取する場合は医師と相談した方がよい。また、抗うつ剤や肝臓で代謝されやすい薬(CYP2C9、CYP1A2、CYP2D6、CYP3A4の基質となる医薬品[註 13])も相互作用が生じる可能性がある[128][129]。原因は明らかでないものの、トラゾドンとイチョウ葉エキスを摂取した高齢のアルツハイマー病患者が、昏睡状態に陥った例も報告されている[121]。利尿剤との併用により、高血圧を起こしたとの報告も1例ある[127]

社会や文化とのかかわり

伝承・民俗

イチョウは日本では神社寺院などに多く植栽され、全国的に、民家に植えるのはどちらかといえば忌み嫌われる傾向にある[130]

上沢寺のオハツキイチョウ(山梨県身延町)

イチョウに関しては多くの伝承が伝わっている[130]。「杖銀杏」とは、空海親鸞日蓮といった高僧・名僧が携えた杖を地面に刺したものが成長し、根を張り、枝葉を生じたというもので、東京都港区麻布善福寺の「善福寺のイチョウ」(国指定天然記念物)、山梨県南巨摩郡身延町の「上沢寺のオハツキイチョウ」(国の天然記念物)などはその一例である[130][131]。また、しばしば見かける「逆さ銀杏」とは枝葉が下を向いて生えることを称しており、「善福寺のイチョウ」「上沢寺のイチョウ」のほか、京都市下京区の「西本願寺の逆さイチョウ」(京都市天然記念物)などが有名であるが、それ以外にも全国各地に点在している[130][131][132]

古いイチョウの樹に生じる気根にふれたり、気根を削って煎じたものを飲んだりすると乳の出がよくなるという「乳イチョウ」の古木も全国各地にみられる[130]川崎市影向寺のイチョウや仙台市宮城野区の「苦竹のイチョウ(姥銀杏)」(宮城県天然記念物)、富山県氷見市の「上日寺のイチョウ」(国の天然記念物)、千葉県南房総市の「高照寺の乳イチョウ」(千葉県天然記念物)が特に知られている[130][133][134][135][136]。青森県西津軽郡深浦町の「北金ヶ沢のイチョウ」(国の天然記念物)は「垂乳根(たらちね)の公孫樹」とも呼ばれて崇敬されてきた樹で、母乳の不足する女性が青森県内はもとより秋田県北海道からも願掛けに訪れ、気根にお神酒と米を供えて祈る風習が1980年代半ばまで続いていたといわれる[137]徳島県板野郡上板町乳保神社のイチョウ(国の天然記念物)も「乳イチョウ」で、これは神社名の由来になった樹木であり、神木である[138]。ここでは気根の先を白紙で結んでおくと病気平癒や乳の出がよくなるといった御利益があると信じられてきた[138]

「子授け銀杏」には、東京都豊島区法明寺鬼子母神堂境内のイチョウが知られ、その木を女性が抱き、その葉や樹皮を肌につけると子宝が授かるという伝承がある[130]

「泣き銀杏」には、千葉県市川市弘法寺のイチョウが有名で、弘法寺1世日頂が養父富木常忍の勘当を受けて、この木の周りを泣きながら読経したという伝承に由来する[130]。各地の「泣き銀杏」の伝承には、さまざまなタイプがある[130]

世相・社会

明治年間、日比谷通りの拡幅工事が実施されてイチョウの木が伐採されようとしたとき、造園家の本多静六が「私の首をかける」として伐採に反対したのが、東京都千代田区日比谷公園内にある「首かけイチョウ」である[139]。日比谷公園は、1903年に本多によって造園され、イチョウは25日かけてレールを用いて同地に移植された。

小説家橋本治は、東大紛争のさなかの1968年(昭和43年)、東京大学在学中に、東京大学駒場祭のポスターに「とめてくれるなおっかさん 背中のいちょうが泣いている 男東大どこへ行く」というコピーを打っている。それは、背中に銀杏のバッジ刺青風に描いたヤクザ風の男のセリフであり、勘亭流で書かれたものであった[140]

イチョウは火災に強く、生命力が旺盛なところから「復興のシンボル」とされることがある。千代田区大手町の「震災イチョウ」は1923年関東大震災にともなう周囲の火災から唯一焼失を免れた個体であり[91]栃木県宇都宮市旭町の大いちょう1945年宇都宮空襲で被災し、いったんは焼け焦げたものの、翌春に芽吹いたものである[141]

文学・詩歌

世界的には上述したように、ドイツのヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテの恋愛詩「銀杏の葉」 Gingo biloba(1815) (『西東詩集』「ズライカの書」所収)が知られるが、宮沢賢治童話に『いてふの実』という作品がある[142]

短歌としては、次の歌が有名である[143]

  • 金色のちひさき鳥のかたちして銀杏ちるなり夕日の岡に  与謝野晶子

山川登美子増田雅子との合著詩歌集『恋衣』に収載されている短歌である[143]。何百、何千というイチョウの葉が夕日のなかを舞い散るさまは、まるで、おびただしい数の鳥が飛び交うようだという、きわめて鮮やかな視覚的イメージを読者にあたえ、上句よりどこか童画のような印象も呼び起こされる秀歌である[143]

俳句においては、「銀杏(ぎんなん)」の季語は秋である[144]。また、「銀杏散る(いちょうちる、いてふちる)」「銀杏黄葉(いちょうもみじ、いてふもみぢ )」はともに晩秋の季語[145][146]、「銀杏落葉(いちょうおちば、いてふおちば)」は初冬の[147]、「銀杏の花」は晩春のそれぞれ季語となっている[148]。晩秋に黄葉して、それが散って路面に敷かれると、あたりがたいへん明るくなり、それを詠んだ句もある[149]

  • いてふ葉や止まる水も黄に照す  三宅嘯山
  • 北は黄にいてふぞ見ゆる大徳寺  黒柳召波
  • 銀杏の花や鎌倉右大臣  内藤鳴雪
  • 青々と池持つ寺や銀杏の実  原石鼎
  • 寺の井に竹簀の蓋や銀杏の実  原石鼎
  • 子等に落ちて黄なる歓喜や銀杏の実  原石鼎
  • とある日の銀杏もみぢの遠眺め  久保田万太郎
  • ごみ箱のどれにも銀杏黄葉溢る  右城暮石
  • 暮れてなほ公孫樹もみぢの明るけれ  辻本草坡
  • 銀杏が落ちたる後の風の音  中村汀女
  • 銀杏を焼きてもてなすまだぬくし  星野立子
  • ぎんなん拾ふ外科医にて今日若き母  加藤楸邨

「銀杏城」「銀杏の都」

熊本城の大銀杏

日本三名城の一つ熊本城は、別名「銀杏城(ぎんなんじょう)」と呼ばれている[108][150]。これは加藤清正が熊本城を築城した際、天守の傍にイチョウが植えられたためとされる[150][註 14]。現在生えているイチョウは二代目である[150]

これが機縁となって熊本市の木は銀杏となっており、熊本市は「銀杏の都」と呼ばれることがある[151]熊本大学校章にもイチョウが用いられており[151]、熊本市にはかつて銀杏学園短期大学という私立短期大学もあった。

かつて鹿児島本線で運行していた急行列車ぎんなん」(475系急行)[152]、2018年11月30日まで北九州-熊本間を運行していた高速バスぎんなん号[153]などは、それに由来する。

姓氏

賀茂御祖神社(下鴨神社)のとして知られる日本の姓氏に鴨脚(いちょう)氏がある[154][155][5][註 15]幕末期に孝明天皇に仕えた鴨脚克子などが知られる。また銀杏(いちょう、ぎんなん、ぎんな)氏という姓氏もある[4]

家紋

三つ銀杏
銀杏鶴

イチョウの葉を象った紋所は「銀杏(いちょう)」として古くから用いられた[3]公家では、藤原北家花山院流飛鳥井家のみが用いており、当主が十六葉、嗣子が十二葉、庶子が六葉、一門が八葉の銀杏を図案化した紋を用い、家臣に賜与するものには三葉を用いるなどの規則があった[140][156]武家では、越前国鯖江藩藩主であった間部氏が「丸に三つ引両」とともに「三つ銀杏」を使用した[140]。また、源義仲の末裔を称し、関東管領上杉氏に仕えた大石氏が「銀杏の二葉」だったとの記録がある[156]江戸幕府旗本では、間部・大石氏のほか、岸・土方・林・町田・大柴・渋江・水島・森・平田・藤野・竹村・坪内・大岡・青木・大熊・長谷部の諸氏が銀杏紋を用いた[140]。なお、沼田頼輔『日本紋章学』には、徳川氏葵紋を家紋とする以前は銀杏紋を家紋としていたのではないかという見解が記されている[140][註 16]

ユニークなものでは、銀杏の葉を飛んでいるの形に図案化した銀杏鶴(いちょうづる)という紋所が知られ、江戸歌舞伎小屋中村座の定紋となっている[157]

髪型

銀杏返し

女性の髪の結い方で、(もとどり)を二分し、左右に曲げてそれぞれ輪を作り毛先を元結で根に結んだ髪型を銀杏返し(いちょうがえし)と呼ぶ[3]。この髪型は江戸中期から少女の髪形として行われ、明治以降は中年向きの髪形となった[3]。また、島田髷の先を銀杏の葉の形に広げたものを銀杏髷(いちょうまげ、いちょうわげ)と呼び、この髷の中に浅葱色または紫の無地の縮緬を巻き込んだものを銀杏崩し(いちょうくずし)と呼ぶ[3]。ただし、銀杏髷は江戸時代の男性の髷である銀杏頭(いちょうがしら)のことを指すこともある[3]。これは二つ折りにした髻の刷毛先を銀杏の葉のように広げたものである[3]武家の結い方で、髷の刷毛先を銀杏葉形に大きく広げた結い方を大銀杏(おおいちょう)と呼び、現在では相撲で十両以上の力士が行う[158]

銀杏形

イチョウの特徴的な葉の形を銀杏形(いちょうがた)といい、上記の紋所や髪型の呼称として親しまれてきた[3]。ほかにも特徴的な葉の形になぞらえ、様々なものの命名に用いられてきた。たとえば、野菜を縦十文字に四つ割りにすることを銀杏切り(いちょうぎり)という[3]。また、末広のの足を銀杏脚(いちょうあし)、末広の下駄の歯を銀杏歯(いちょうば)という[3]。 雄のオシドリ Aix galericulata (Linnaeus1758)の両脇の羽はイチョウの葉に似るため「銀杏羽(いちょうば)」と呼ばれる[3]

イチョウの名を冠した生物

イチョウハクジラ Mesoplodon ginkgodensの頭骨。下顎の一対の歯が銀杏形をしている。

アートのなかの銀杏

その他

遊助(上地雄輔)の楽曲に「いちょう」がある。大喜利 (笑点)では、レギュラー出演者の三遊亭小遊三が、解答の際に銀杏拾いのネタを良く用いる [註 17]

自治体等の木

日本においては、本種は馴染み深い木である[160]。そのため、各自治体のシンボルマークや市町村の木、校章などに採用されてきた[註 18]

都道府県の木

東京都シンボルマーク
  • 東京都[12][108] - 都のシンボルマークはその形状から都の木であるイチョウの葉をデザインしたものと説明される[19]場合があるが、都ではアルファベットの「T」が由来としておりイチョウの葉を由来とする説を明確に否定している[162]
  • 神奈川県[12][108]
  • 大阪府[12][108] - 本種は2014年現在、大阪府の管理する街路樹で最も本数が多く、大阪市でもシラカシおよびトウカエデに次いで第3位となっている[160]。なお1985年時点では、大阪市の街路樹としてトウカエデに次いで2位であった[160]

市の木

所沢市のマンホールに描かれたイチョウの葉

特別区の木

町の木

村の木

行政区の木

大学の木

東京大学のロゴマーク
大阪大学のロゴマーク
  • 東京大学 - 銀杏の葉をモチーフにしたものが大学のシンボルマークになっている[220][221]。銀杏並木でも知られる[90]
  • 大阪大学 - 銀杏の葉をモチーフにしたものが大学のシンボルマークになっている[220]。1963年以降「いちょう祭」と呼ばれる学祭が開かれている[222]
  • 熊本大学 - 校章が銀杏をモチーフにしたものである[223]

日本国外

ドイツ環境財団(DUS)のロゴマーク

日本国外の自治体

ソウルの成均館明倫堂前に立つイチョウの大樹。1519年に植えられたとされ、成均館大学校のシンボルマークもイチョウの葉になっている

脚注

註釈

  1. ^ 形態的には幅広い葉を持つ木を指し、具体的には被子植物の双子葉類の樹木を意味する[16]
  2. ^ 一部では/ˈgɪŋgkoʊ//ˈʤɪŋkoʊ/とも[31]
  3. ^ 現在はどちらも大英図書館の東洋収蔵品 (the Oriental Collections)に所管されている[37]
  4. ^ ケンペルのCollectanea Japonica における“g”は実際は“y”を意図しているとよく論じられる[37]。例えば、竹林ほか (2010)などでは“Ginkgo”はGinkyoの“y”を“g”と誤記したことに基づくとされている[30][39]。しかしケンペルの筆記体の両文字ははっきり異なっており、ラテン語や諸外国語を書くとき、この時代の習慣通りに“y”には“ÿ”のように2点上に付けて用いるため、“g”とはっきり区別される[37]。ケンペルの日本語の他の語彙の綴りには他にも「きょう」を含むものもあり、これによっても示される[37]。ケンペルの日本語の語彙の表現は、ある音素では表記揺れが激しく、短母音と長母音の大きな違いを明らかに見落としていた。例えば、ケンペルがドイツ語の発音になかった 「じ」や「じゃ」という日本語の発音を区別するのは難しく、出島にいたほかの西洋人と同じようにある音素を無視するか、不正確だが母国語と似ていると思った音を当てる傾向があった[37]。しかしこれは「きょ」や「ぎょ」の場合は異なり、一貫して“kio/gio”または“kjo/gjo”を用いている[37]。ときにケンペルは西洋人の高度な外国語学習者でも難しかった「きょ」と「きよ」という発音の区別ができていた[37]。『廻国奇観』に書かれた日本の植物名の調査からも同様に“Ginkgo”の綴りだけが奇異な例外であると結論づけられる[37]
  5. ^ 藤堂ほか (2007)では「銀杏」の読みとして「ギンキョウ」「イチョウ」「ギンナン」が挙げられているが、その他の読みはない。また、新潮社 (2008)では「いちょう」「ぎんなん」のほかに姓氏として「ぎんな」の読みを挙げているが、その他の読みはない。
  6. ^ 」には慣用音として「キョウ」、漢音として「コウ」、呉音として「ギョウ」、唐音として「アン」の読みがある[40]
  7. ^ 1329年、呉瑞。原版は現存せず、1525年の重刊八巻本が大谷大学に所蔵されている[28]
  8. ^ 環境省によれば、北金ヶ沢のイチョウ(青森県深浦町)が日本有数の巨木で、地上約1.3 mの位置での幹周が22 mを超えている。
  9. ^ 池野成一郎自身は、1896年[74]、ソテツの精子を発見している[72][75]
  10. ^ 1975年に新安沖で発見された[77]
  11. ^ それに加え、大阪市公園部で街路樹として管理しているイチョウは、1964年5月時点で847本であった[68]
  12. ^ ただし、多くの植物が詠まれている古今和歌集などの古典にはイチョウに相当する植物の記述はなく、また成長が著しく速いため、その多くは古くても、樹齢 600 - 700年 程度だと考えられている[11]
  13. ^ たとえば、ジアゼパムワルファリントリアゾラムハロペリドールなど。
  14. ^ 清正は、朝鮮出兵での蔚山城籠城戦で食料不足に苦しんだ経験にもとづき、籠城の際の食料確保のために銀杏を植えたといわれることもあるが、俗説である可能性も高い[150]
  15. ^ 京都市左京区下鴨宮河町にある鴨脚家庭園(いちょうけていえん)2006年(平成18年)3月31日に第24回京都市文化財に指定された、賀茂御祖神社の祝の現存する唯一の屋敷に設けられた庭園である[154][155]
  16. ^ 沼田が根拠としたのは、三河岡崎松応寺にある松平広忠家康の父)の墓所の玉垣の内外に「剣銀杏紋」が付されていること、増上寺安国殿(家康廟所)に家康遺愛の神木として銀杏が植えられていることなどである[140]
  17. ^ この他、座布団10枚の景品として神宮のイチョウ並木で拾った銀杏が進呈されたことがある(1994年10月30日放送分・獲得者は三遊亭楽太郎)。
  18. ^ かつてイチョウを「市町村の木」指定していた自治体は以下の通りである。現在は合併などにより、消滅している。
    北海道檜山支庁爾志郡熊石町、青森県上北郡百石町上北町、 宮城県古川市・栗原郡築館町・登米郡迫町豊里町、秋田県仙北郡六郷町仙北町仙南村、山形県東田川郡立川町、福島県南会津郡伊南村、茨城県行方郡麻生町、埼玉県:北埼玉郡騎西町、新潟県東頸城郡浦川原村・西頸城郡能生町、岐阜県土岐郡笠原町、愛知県中島郡祖父江町、 滋賀県坂田郡米原町、岡山県真庭郡八束村[161]、広島県比婆郡高野町、高知県香美郡香北町、福岡県鞍手郡若宮町・朝倉郡杷木町、大分県大野郡緒方町犬飼町・日田郡大山町・下毛郡本耶馬渓町・宇佐郡院内町、宮崎県東諸県郡高岡町

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参考文献

植物・イチョウに関する文献

語学・文化に関する文献

外部リンク

関連項目

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