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北隆館

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
北隆館
正式名称 株式会社 北隆館
英文名称 Hokuryukan co.,ltd.
現況 事業継続中
種類 株式会社
市場情報 非上場
出版者記号 8326
取次会社 日本出版販売,トーハン
取次コード 7733
法人番号 8010401027468 ウィキデータを編集
設立日 1891年10月1日
代表者 代表取締役社長 福田久子
本社郵便番号 〒153-0051
本社所在地 東京都目黒区上目黒3-17-8
資本金 1200万円
定期刊行物 アグリバイオ
関係する人物 福田金次郎(創業者)
外部リンク http://www.hokuryukan-ns.co.jp/[1]
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北隆館(ほくりゅうかん)は、日本出版社1891年明治24年)創立[1]

『牧野日本植物圖鑑』をはじめとする図鑑などを出版[1]

概要

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1891年(明治24年)に新聞取次店として創業し、1894年(明治27年)に「北隆館」と改称した[2]。1895年(明治28年)には雑誌取引に進出する[2]。明治期においては雑誌を主力商品としていたが、大正時代になると書籍にも注力するようになる[2]。1925年(大正14年)には四大取次店とまで称された[2]。明治末には『少国民』や『少年倶楽部』といった少年雑誌を創刊。明治時代から昭和初期に『植物図鑑』や『日本動物図鑑』、並びに『日本昆蟲図鑑』などの図鑑を発行しており、これら自然科学書が現在の源流とされる。戦時下で取次が集約された後は出版専業となり、現在は図鑑や辞典などの自然科学書や介護などの福祉関係・医学関連などを主とした出版を行っている。平成12年にはデジタル化に伴い『CD-ROM版原色牧野植物大図鑑』を刊行している。

沿革

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  • 1891年明治24年)10月、福田金次郎により創立[1]。北陸を中心に新聞・雑誌・書籍の卸売業務を行う。
  • 1897年(明治30年)、少年雑誌「少国民」を創刊。
  • 1908年(明治41年)10月、東京博物学研究会編纂、牧野富太郎校訂の『植物図鑑』を参文社と共に発行[3]
  • 1919年(大正8年)10月、株式会社へ改組。
  • 1932年(昭和7年)、『日本昆蟲図鑑』を発行。
  • 1941年(昭和16年)6月、戦時下統制で配本の供給安定のために企業整備となり、取次業務を日本出版配給統制株式会社に移譲統合。
  • 1981年(昭和56年)、月刊医学誌「アレルギーの臨床」(The Allergy in Practice)を発行。
  • 1986年(昭和61年)、ヒューマンサイエンス財団の研究誌として、バイオテクノロジーの応用をテーマとした月刊医学誌「BIO Clinica」を創刊。

商号の使用

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株式会社北隆館は、類似する商号を用いる「株式会社図鑑の北隆館」に対して、商号の使用禁止及び商号変更請求を求める裁判を行い、1976年12月、東京地裁は、北隆館の商号使用差止請求を認めた(東京地裁 昭和51年12月24日、判タ353号・255頁)[4]

ニュー・サイエンス社

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ニュー・サイエンス社は北隆館の姉妹会社[1]。1965年(昭和40年)設立[1]

出典

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  1. ^ a b c d e 会社沿革”. 北隆館/ニュー・サイエンス社. 2015年9月22日閲覧。
  2. ^ a b c d 蔡星慧 (2005-03). “日本の出版取次構造の歴史的変遷と現状 --取次機能の分化と専門化の観点から--” (PDF). コミュニケーション研究 (上智大学コミュニケーション学会) (35): 117-133. http://dept.sophia.ac.jp/human/journalism/Communications/CR-no35-che.pdf 2019年7月28日閲覧。. 
  3. ^ 『植物図鑑』は約1300頁以上程の頁数で、巻頭に模式花図5頁・名称図解5頁、植物品目(2300種)1216頁、植物網目9頁、学名検索88頁、分科索引36頁、五十音検索36頁となっており、図鑑としてはかなりの分量であった。また、2300種に及ぶ植物については、絵図・和名・学名・生育地や特徴などが表記されていた。
  4. ^ 岡島吉昭「昭和53年 商事判例回顧」『信州大学経済学論集』第13巻、信州大学経済学部、1979年、77-96頁、ISSN 0288-04662015年9月22日閲覧 

関連項目

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