北隆館
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北隆館 | |
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正式名称 | 株式会社 北隆館 |
英文名称 | Hokuryukan co.,ltd. |
現況 | 事業継続中 |
種類 | 株式会社 |
市場情報 | 非上場 |
出版者記号 | 8326 |
取次会社 | 日本出版販売,トーハン |
取次コード | 7733 |
法人番号 | 8010401027468 |
設立日 | 1891年10月1日 |
代表者 | 代表取締役社長 福田久子 |
本社郵便番号 | 〒153-0051 |
本社所在地 | 東京都目黒区上目黒3-17-8 |
資本金 | 1200万円 |
定期刊行物 | アグリバイオ |
関係する人物 | 福田金次郎(創業者) |
外部リンク | http://www.hokuryukan-ns.co.jp/[1] |
北隆館(ほくりゅうかん)は、日本の出版社。1891年(明治24年)創立[1]。
概要
[編集]1891年(明治24年)に新聞取次店として創業し、1894年(明治27年)に「北隆館」と改称した[2]。1895年(明治28年)には雑誌取引に進出する[2]。明治期においては雑誌を主力商品としていたが、大正時代になると書籍にも注力するようになる[2]。1925年(大正14年)には四大取次店とまで称された[2]。明治末には『少国民』や『少年倶楽部』といった少年雑誌を創刊。明治時代から昭和初期に『植物図鑑』や『日本動物図鑑』、並びに『日本昆蟲図鑑』などの図鑑を発行しており、これら自然科学書が現在の源流とされる。戦時下で取次が集約された後は出版専業となり、現在は図鑑や辞典などの自然科学書や介護などの福祉関係・医学関連などを主とした出版を行っている。平成12年にはデジタル化に伴い『CD-ROM版原色牧野植物大図鑑』を刊行している。
沿革
[編集]- 1891年(明治24年)10月、福田金次郎により創立[1]。北陸を中心に新聞・雑誌・書籍の卸売業務を行う。
- 1897年(明治30年)、少年雑誌「少国民」を創刊。
- 1908年(明治41年)10月、東京博物学研究会編纂、牧野富太郎校訂の『植物図鑑』を参文社と共に発行[3]。
- 1919年(大正8年)10月、株式会社へ改組。
- 1932年(昭和7年)、『日本昆蟲図鑑』を発行。
- 1941年(昭和16年)6月、戦時下統制で配本の供給安定のために企業整備となり、取次業務を日本出版配給統制株式会社に移譲統合。
- 1981年(昭和56年)、月刊医学誌「アレルギーの臨床」(The Allergy in Practice)を発行。
- 1986年(昭和61年)、ヒューマンサイエンス財団の研究誌として、バイオテクノロジーの応用をテーマとした月刊医学誌「BIO Clinica」を創刊。
商号の使用
[編集]株式会社北隆館は、類似する商号を用いる「株式会社図鑑の北隆館」に対して、商号の使用禁止及び商号変更請求を求める裁判を行い、1976年12月、東京地裁は、北隆館の商号使用差止請求を認めた(東京地裁 昭和51年12月24日、判タ353号・255頁)[4]。
ニュー・サイエンス社
[編集]ニュー・サイエンス社は北隆館の姉妹会社[1]。1965年(昭和40年)設立[1]。
出典
[編集]- ^ a b c d e “会社沿革”. 北隆館/ニュー・サイエンス社. 2015年9月22日閲覧。
- ^ a b c d 蔡星慧 (2005-03). “日本の出版取次構造の歴史的変遷と現状 --取次機能の分化と専門化の観点から--” (PDF). コミュニケーション研究 (上智大学コミュニケーション学会) (35): 117-133 2019年7月28日閲覧。.
- ^ 『植物図鑑』は約1300頁以上程の頁数で、巻頭に模式花図5頁・名称図解5頁、植物品目(2300種)1216頁、植物網目9頁、学名検索88頁、分科索引36頁、五十音検索36頁となっており、図鑑としてはかなりの分量であった。また、2300種に及ぶ植物については、絵図・和名・学名・生育地や特徴などが表記されていた。
- ^ 岡島吉昭「昭和53年 商事判例回顧」『信州大学経済学論集』第13巻、信州大学経済学部、1979年、77-96頁、ISSN 0288-0466、2015年9月22日閲覧。