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'''純碁'''(じゅんご)とは、[[囲碁]]の入門用として[[王銘エン]]が提唱した、[[囲碁のルール]]を母体としたゲームである。囲碁のゲーム性を保ったままルールを簡明化したものであり、これから囲碁を覚えようとする者にとって、より理解しやすいものとなっている。9路盤や、それより小さい碁盤を用いることが想定されているが、ルール自体は盤の大きさを制限するものではない。
'''純碁'''(じゅんご)とは、[[囲碁]]の入門用として[[王銘]]が提唱した、[[囲碁のルール]]を母体としたゲームである。囲碁のゲーム性を保ったままルールを簡明化したものであり、これから囲碁を覚えようとする者にとって、より理解しやすいものとなっている。9路盤や、それより小さい碁盤を用いることが想定されているが、ルール自体は盤の大きさを制限するものではない。


現在の囲碁のルールの原型に近いものであるとされており、日本ルールよりも中国ルールのほうに近い。
現在の囲碁のルールの原型に近いものであるとされており、日本ルールよりも中国ルールのほうに近い。
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* [[ポン抜き囲碁]]
* [[ポン抜き囲碁]]
* [[切り賃]]
* [[切り賃]]
* [[王銘エン]]
* [[王銘]]


== 外部リンク ==
== 外部リンク ==

2020年8月8日 (土) 07:39時点における版

純碁(じゅんご)とは、囲碁の入門用として王銘琬が提唱した、囲碁のルールを母体としたゲームである。囲碁のゲーム性を保ったままルールを簡明化したものであり、これから囲碁を覚えようとする者にとって、より理解しやすいものとなっている。9路盤や、それより小さい碁盤を用いることが想定されているが、ルール自体は盤の大きさを制限するものではない。

現在の囲碁のルールの原型に近いものであるとされており、日本ルールよりも中国ルールのほうに近い。

純碁のルール

基本的なルールは通常の囲碁に準ずるが、次に挙げるような違いがある。

石の数を競う
通常の囲碁では、それぞれの大きさからアゲハマを引いた目数を比較して勝負を決するが、純碁では、最終的に盤上に置かれている石の数だけを比較する。盤上の石が置かれていない空所や、アゲハマの数は勝負の判定材料にならない。
地の概念がない
前項と関係するが、終局時における盤上の空所は勝負に直接関係しない。そのため、通常の囲碁とは異なり地をいくら囲っていてもそれだけでは点数にはならない。点数にするためには、(通常の囲碁で言う)自分の地を埋めていく作業が必要である。
死活の判定がない
死んでいる相手の石は、終局前に明示的に打ち上げる必要がある。終局時に盤上に残っている石は、どのような形であれ点数に数えられる。
両者連続パスで終局する
一方の対局者がパスをし、次いでもう一方もパスをすれば、それをもって終局とする。通常の囲碁と異なり、終局において何らかの合意が必要となることはなく、終局後の手入れなども発生しない。なお、パスは任意に何度でも行うことができる。

その他、同形反復の禁止、自殺手の禁止などは、通常の囲碁と同じである。

特徴

以下のような長所と短所がある。

長所

ルールが明快である
初心者同士が通常の囲碁を打つ場合において、終局時にはしばしば問題が発生する。死活の判定を両対局者が正しく認識するというのは、初心者にとってはときに難題になるからである。第三者に判定を仰ぐことができればいいが、必ずしもそれが可能であるとも限らない。また、セキの概念を知らず、お互いに相手が先に共通のダメに打つことを期待して自陣を埋め続けるような事態も発生することがある。
純碁においては、このようなトラブルは発生しない。お互いがパスして終局となったら、あとは盤上にある石を単純に数え上げるだけである。ルール上、死活やセキの判定が存在しないため、それらの見解が分かれるといった問題は起こらない。
結果が通常の囲碁とほぼ一致する
純碁の勝負の結果は、大抵の場合、通常の囲碁に切り賃のルールをつけた場合の結果とほぼ一致する。このため、通常の囲碁と純碁とではその最終目的が異なっていても、ゲーム性が大きく変わるようなことがない。これは、純碁を覚えた者が通常の囲碁にスムーズに移行できることにつながる。純碁と同じく囲碁への導入を目的としたポン抜き囲碁は、囲碁とのゲーム性の差が大きい。
対局者が本来死んでいる石(取ることができた石)を活き石(取ることができない石)だと見なし、打ち上げずに終局した場合は、通常の囲碁の正しい結果とは大きな差が生まれる。しかし、純碁はそれを容認するルールであり、指導する立場にあるものは終局後に本当は取ることができたことを教えてあげればよい。

短所

終局前に自陣を埋める必要がある
純碁では、地もそのままではただの空所であり点数にならないため、終局前に、活きるために最低限必要な眼を残して自分の地を埋めていく作業が必要である。これはやらなくてもルール上は問題ないが損であり、純碁のコツをある程度理解した者にとっては退屈な作業である。また、7路盤や9路盤では手間はさほど多くないが、19路盤ともなると、地を埋め尽くす作業量が増え、その後で石を数えるのも大変である。したがって、純碁を覚えた者は、19路盤で打つようになる前にまず普通の囲碁のルールを理解し移行する必要がある。
通常の囲碁と結果が異なる場合がある
純碁と通常の囲碁とで、結果が大きく異なる場合がある。例えば、形の上では死んでいる石を、実際には取りに行けないような場合である。

合理性の側面

純碁は、囲碁のルールの本質のみを、そのままルール化したものだと捉えることができる。このため、ルールに例外が極めて少なく、実用性は別としても非常に合理的なものとなっている。このことは、入門者の理解を容易にする以外にも様々な利点があり、例えばゲーム一般のルールを分析するような研究における囲碁のモデルとして優れている。また、コンピュータに囲碁を打たせる研究においても、判定や処理の容易さや明確さなどの理由から、ルールとして純碁を採用することがある。

終局と計算を合理化した純碁に並んで、同形再現の処理を合理化した超コウというルールがある。通常の囲碁においては、盤面を直前の状態に戻す同形反復はコウの規定で禁止されているが、もっと前の状態に戻すことは禁止されていない。これに対し、超コウは一旦現れた全ての盤面の再現を禁ずるものである。これを採用すると、「合意の上無勝負」という規定を排除できるだけでなく、常に盤面が進行するため、いつか必ず終局することが理論的に保証される。この超コウを純碁と組み合わせると、一種の理想的なゲームルールとなり、例えば2路盤においてもゲームとして意味のある考察を行うことができるようになる。

関連項目

外部リンク