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1985年、35期[[王将戦]]リーグ入り(在籍は35-38、44期)。
1985年、35期[[王将戦]]リーグ入り(在籍は35-38、44期)。


1986年度に、公式戦22連勝という前人未到の記録を樹立する(塚田の連勝を止めたのは[[谷川浩司]])。この連勝には、第17回[[新人王戦 (将棋)|新人王戦]]の準々決勝から決勝[[番勝負|三番勝負]]までが含まれており、優勝している。そのほか、[[中原誠]]に2回、[[米長邦雄]]、[[羽生善治]]、[[森けい二|森雞二]]に各1回勝っている。なお、この連勝記録は、僅か約半年後に[[神谷広志]](28連勝)によって塗り替えられた。
1986年度に、公式戦22連勝という前人未到の記録を樹立する(塚田の連勝を止めたのは[[谷川浩司]])。この連勝には、第17回[[新人王戦 (将棋)|新人王戦]]の準々決勝から決勝[[番勝負|三番勝負]]までが含まれており、優勝している。そのほか、[[中原誠]]に2回、[[米長邦雄]]、[[羽生善治]]、[[森二]]に各1回勝っている。なお、この連勝記録は、僅か約半年後に[[神谷広志]](28連勝)によって塗り替えられた。


[[1987年]]、第35期[[王座戦 (将棋)|王座戦]]でタイトル初挑戦。中原誠王座とのフルセットの戦いの末に3-2で奪取([[1987年]][[10月21日]])。いわゆる「[[55年組 (将棋)|55年組]]」の中で、[[高橋道雄]]、[[中村修 (棋士)|中村修]]に次ぐ3人目のタイトルホルダーとなる<ref>その後、間もなく、[[南芳一]]、[[島朗]]もタイトルを獲得して、55年組のタイトル経験者は5名となる。</ref>。塚田が中原の二冠の一角を崩したことにより、この時点で、7つのタイトルを7人の棋士が1つずつ持ち合うという、極めて珍しい状態が発生した<ref>同年[[11月25日]]に、高橋が福崎から十段位を奪取して二冠となったため、「完全戦国時代」は僅か1ヶ月で終わる。</ref>。この年度は、A級昇級(前述)を決めた年度でもある。
[[1987年]]、第35期[[王座戦 (将棋)|王座戦]]でタイトル初挑戦。中原誠王座とのフルセットの戦いの末に3-2で奪取([[1987年]][[10月21日]])。いわゆる「[[55年組 (将棋)|55年組]]」の中で、[[高橋道雄]]、[[中村修 (棋士)|中村修]]に次ぐ3人目のタイトルホルダーとなる<ref>その後、間もなく、[[南芳一]]、[[島朗]]もタイトルを獲得して、55年組のタイトル経験者は5名となる。</ref>。塚田が中原の二冠の一角を崩したことにより、この時点で、7つのタイトルを7人の棋士が1つずつ持ち合うという、極めて珍しい状態が発生した<ref>同年[[11月25日]]に、高橋が福崎から十段位を奪取して二冠となったため、「完全戦国時代」は僅か1ヶ月で終わる。</ref>。この年度は、A級昇級(前述)を決めた年度でもある。

2020年7月16日 (木) 23:04時点における版

 塚田泰明 九段
名前 塚田泰明
生年月日 (1964-11-16) 1964年11月16日(60歳)
プロ入り年月日 1981年3月5日(16歳)
棋士番号 148
出身地 東京都
師匠 大内延介九段
段位 九段
棋士DB 塚田泰明
戦績
タイトル獲得合計 1期
一般棋戦優勝回数 3回
2013年4月20日現在
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塚田 泰明(つかだ やすあき、1964年11月16日 - )は、将棋棋士大内延介九段門下。棋士番号は148。東京都出身。

1980年度(昭和55年度)にプロ入り(四段に昇段)した強豪グループ、いわゆる「55年組」の一人。「王座」のタイトルを獲得。名人戦A級通算7期、竜王戦1組通算9期。

棋歴

1978年、中学2年のとき、第32回アマ名人戦で準優勝。同年11月に4級で奨励会に入会。そこからわずか2年4ヶ月後の1981年3月5日に四段に昇段するという記録的なスピードでのプロ入りを果たす。

順位戦では参加2年目の1982年度から好成績を連発する。第41期(1982年度)C級2組順位戦で10戦全勝し、C級1組へ昇級。第42期(1983年度)C級1組順位戦では8勝2敗で4位。第43期(1984年度)C級1組順位戦では10戦全勝でB級2組へ昇級。第44期(1985年度)B級2組順位戦では、トップと同星の8勝2敗で4位。第45期(1986年度)B級2組順位戦では、8勝2敗で2位となりB級1組へ昇級。そして、第46期(1987年度)B級1組順位戦では10勝2敗で1位となり、2年連続昇級でA級八段となる。

この間、若手の登竜門の棋戦で3回優勝する。1983年、第2回早指し新鋭戦で棋戦初優勝。同棋戦では、4年後にも優勝。

1985年、35期王将戦リーグ入り(在籍は35-38、44期)。

1986年度に、公式戦22連勝という前人未到の記録を樹立する(塚田の連勝を止めたのは谷川浩司)。この連勝には、第17回新人王戦の準々決勝から決勝三番勝負までが含まれており、優勝している。そのほか、中原誠に2回、米長邦雄羽生善治森雞二に各1回勝っている。なお、この連勝記録は、僅か約半年後に神谷広志(28連勝)によって塗り替えられた。

1987年、第35期王座戦でタイトル初挑戦。中原誠王座とのフルセットの戦いの末に3-2で奪取(1987年10月21日)。いわゆる「55年組」の中で、高橋道雄中村修に次ぐ3人目のタイトルホルダーとなる[1]。塚田が中原の二冠の一角を崩したことにより、この時点で、7つのタイトルを7人の棋士が1つずつ持ち合うという、極めて珍しい状態が発生した[2]。この年度は、A級昇級(前述)を決めた年度でもある。

1987年10月21日時点のタイトルホルダー
名人 十段 棋聖 王位 王座 棋王 王将
中原誠 福崎文吾 桐山清澄 谷川浩司 (中原誠)

塚田泰明
高橋道雄 中村修

次年度、王座の防衛戦では中原の返り討ちに遭い、1期で王座のタイトルを失う。

第41回(1991年度)NHK杯戦森下卓郷田真隆、高橋道雄らを破り準優勝(優勝者は羽生善治)。

第8回(1992年度)天王戦で羽生善治、南芳一らを破り準優勝(優勝者は高橋道雄)。

1997年、第10期竜王戦で1組優勝。

2008年12月16日、史上38人目となる通算600勝(将棋栄誉賞)を達成。

2009年、第17回「達人戦」(非公式棋戦)で準優勝(優勝者は南芳一)。

2013年4月13日、第2回将棋電王戦にて将棋ソフト"Puella α(プエラ・アルファ)"と持ち時間4時間にて対局。相入玉となり持将棋により引き分けとなった。出場理由は、前回の電王戦で入念に準備していた米長が敗れたのを見て悔しかったからだと話している[3]

棋風

攻め100%」「昇天流」といわれる豪快な攻めの棋風で知られる。その攻めは「塚田が攻めれば道理が引っ込む」と評されたほどである。

相がかりの先手番の超急戦戦法である「塚田スペシャル」を開発し、この戦法で公式戦22連勝するなど活躍した。しかし、その後この戦法には有力な対抗策が現れ、今では使われることは少なくなっている。電王戦での二つ名は「攻め十割の昇天流」。

人物

  • 左利きであり、左手で駒を持つ。
  • 妻は女流棋士高群佐知子、娘は女流棋士かつ弟子の塚田恵梨花。高群との結婚の前、二人で極秘に沖縄旅行に行ったが台風で久米島から帰れなくなり、テレビ収録の仕事を二人ともキャンセルした[4]。交際が公になっていなかったため二人は連盟に別々に連絡し、高群が電話で沖縄にいる旨を伝えた一方、塚田は沖縄と言うとバレてしまうので「いま南の島にいます」と電話したが、結局交際が発覚した。このエピソードは「南の島事件」と呼ばれ、棋界の人間を招いた結婚式でも披露された。
  • 弟子の藤森哲也が、2011年10月1日付で四段に昇段した。

昇段履歴

昇段規定は、将棋の段級 を参照(ただし、四段昇段は旧規定)。

  • 1978年 4級 = 奨励会入会
  • 1979年 初段
  • 1981年3月5日 四段 = プロ入り
  • 1983年4月1日 五段(順位戦C級1組昇級)
  • 1985年4月1日 六段(順位戦B級2組昇級)
  • 1987年4月1日 七段(順位戦B級1組昇級)
  • 1988年4月1日 八段(順位戦A級昇級)
  • 2000年12月15日 九段(勝数規定[5]

主な成績

獲得タイトル

  • 王座 1期(1987年度 = 第35期)
登場回数2、獲得1

一般棋戦優勝

優勝合計 3回

在籍クラス

竜王戦と順位戦のクラスは、将棋棋士の在籍クラス を参照。

将棋大賞

  • 第13回(1985年度) 技能賞
  • 第14回(1986年度) 連勝賞・技能賞
  • 第15回(1987年度) 技能賞
  • 第42回(2014年度) 升田幸三賞特別賞(塚田スペシャル

著書

出演

ゲーム

  • 将棋風林火山(スーパーファミコン用ソフト、1993年10月発売、ポニーキャニオン)5名の連名で監修

脚注

  1. ^ その後、間もなく、南芳一島朗もタイトルを獲得して、55年組のタイトル経験者は5名となる。
  2. ^ 同年11月25日に、高橋が福崎から十段位を奪取して二冠となったため、「完全戦国時代」は僅か1ヶ月で終わる。
  3. ^ 「棋士に聞く本音対談 塚田泰明九段×中村修九段 55年組とは何だったのか?」『将棋世界』、日本将棋連盟、2013年8月、100頁。 
  4. ^ コラムの森 早指し将棋妙手奇手・アナウンサー島田良夫氏(2012年7月12日付アーカイブ)”. NIKKEI NET 将棋王国 (2003年3月20日). 2012年7月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年10月17日閲覧。
  5. ^ 36歳0ヶ月での九段昇段は、勝数規定によるものに限定すると、2013年現在最年少記録である。

関連項目

外部リンク