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2020年7月11日 (土) 12:25時点における版

みやこし ウィキデータを編集
宮古市
宮古市旗 宮古市章
宮古市旗 宮古市章
1942年6月20日制定
日本の旗 日本
地方 東北地方
都道府県 岩手県
市町村コード 03202-6
法人番号 6000020032026 ウィキデータを編集
面積 1,259.18km2
総人口 45,224[編集]
推計人口、2024年12月1日)
人口密度 35.9人/km2
隣接自治体 盛岡市花巻市遠野市下閉伊郡岩泉町山田町上閉伊郡大槌町
市の木 アカマツ[1]
市の花 ハマギク[1]
市の鳥
市の魚
ウミネコ[1]
サケ[1]
宮古市役所
市長 山本正徳
所在地 027-8501
岩手県宮古市宮町1丁目1番30号北緯39度38分23秒 東経141度56分46秒 / 北緯39.63972度 東経141.94611度 / 39.63972; 141.94611座標: 北緯39度38分23秒 東経141度56分46秒 / 北緯39.63972度 東経141.94611度 / 39.63972; 141.94611
地図
市庁舎位置

外部リンク 公式ウェブサイト

宮古市位置図

― 市 / ― 町 / ― 村

ウィキプロジェクト
宮古市中心部周辺の空中写真。1977年撮影の10枚を合成作成。
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。
宮古湾(ランドサット衛星画像
月山山頂からの宮古市街

宮古市(みやこし)は、岩手県三陸海岸に面する本州最東端の地である魹ヶ崎を擁する。

概要

三陸海岸を代表する都市の一つであり、「本州最東端のまち」を掲げ、世界三大漁場の一つ三陸沖の豊かな漁業資源と、三陸復興国立公園浄土ヶ浜早池峰国定公園を代表とする森・川・海の豊かな自然環境を背景に、漁業と観光に力を入れている。

1941年に市制を敷き、盛岡市釜石市に次いで県内で三番目に市制移行した自治体となった。2005年田老町新里村を編入し、2010年川井村の編入によって県内一の面積を有する自治体となった。市域は山間部の川井・新里地区と、北部の田老地区、旧・宮古市部に大きく分けられる。人口は岩手県の太平洋沿岸部の市町村の中では最も多い。面積は岩手県内で1位の大きさ、全国の市町村でもランキング11位の大きさを有する。

県庁所在地である盛岡市からは北上山地を隔てて約100 km離れているため、盛岡を初めとする北上盆地とは独立した地域圏を形成している。

2011年3月11日に発生した東日本大震災では津波により大きな被害を受けた。市内中心部の被害はある程度抑えられたものの、沿岸集落は壊滅的被害となった。

地理

位置

宮古市は三陸海岸におけるリアス式海岸の北端に位置しており、宮古を境にして南がリアス式海岸、北が海岸段丘になっている。また、内陸や対岸との位置関係では、盛岡市(北上盆地)と秋田県秋田市日本海沿岸)から真東に位置している。

2010年1月の川井村の編入により、市の面積は696.82 km2から1,259.89 km2に拡大し、一関市を抜いて岩手県の市町村で最大の面積を有することとなった[2]。これは2015年時点で、日本の市の面積では東北では山形県鶴岡市に次いで2番目、全国でも8番目の大きさである。しかしその9割は山林であるため、可住地面積は約117 km2と、総面積の約9%に止まり、少ない平地に人家が密集している状態である。そのため総面積当たりの人口密度は低いものの、可住地面積当たりの人口密度は約480(人/km2)と県内平均を上回る。

市域中央部を西から東に閉伊川が貫流し、市街地のある宮古湾へと注いでいる。西部の川井地区は平地はほとんどなく、川沿いに人家が密集する地区が多い。周囲には早池峰山青松葉山がある。北部の新里地区には刈屋川が南へ流れ、茂市(もいち)で閉伊川に合流する。閉伊川と刈屋川に沿って、国道106号(旧・閉伊街道)と国道340号がそれぞれ並走する。市の南東部から北に向かって津軽石川が流れ、宮古湾に注いでいる。

市街地を覆うように重茂半島が南から延び、宮古湾を形成している。重茂半島には、月山(標高455.9 m)があり、市街地への見通しが良い関係から、テレビ・ラジオの中継塔が設置されている。山道口まではバスで行くことができる。太平洋に突き出る重茂地区の魹ヶ崎は本州の最東端であり、観光協会が「本州最東端訪問証明書」を発行するなど「最東端の市」として観光にも力を入れている。南に隣接する山田町との境に位置する十二神山には、航空自衛隊レーダーサイトがあるため、入山に制限が設けられている。

自然

閉伊川
区界高原(兜明神岳)
  • 山地:早池峰山、青松葉山(あおまつばやま)、十二神山(じゅうにじんざん)、月山(がっさん、別名:御殿山)
  • 河川系:閉伊川、刈屋川、津軽石川(つがるいしがわ)
  • 沿岸地形:宮古湾、重茂半島、魹ヶ崎、浄土ヶ浜、真崎海岸(まさきかいがん)

隣接する自治体

主要都市までの概算距離

北方向(沿岸)
南方向(沿岸)
西方向(山側)
  • 盛岡市 - 100 km
  • 秋田県大仙市(角館) - 165 km
  • 秋田市 - 220 km

地名の由来

以下の諸説がある。

  • 「港」の転訛
  • 貿易物としての「都物」が収められる場所
  • 「宮」のある「処」であること
  • 閉伊郡の政治、経済の中心地で都のように栄える場所
  • ミヤ(野原)コ(土地)

また、京の「都」と同訓異字の「宮古」を天皇から賜ったとする、和泉式部源義経に関連する伝説が存在する。

いずれにしても中世文書においては「宮古」と地名を記している文献は見受けられない。鎌倉時代においては「閉河」や「閉崎」という特定の地名で呼ばれている。公的な文献で初めて宮古の文字が登場するのは、元和4年(1618年)に、盛岡藩の船員の名前を記した『浜田家文書』(岩手大学所蔵)であり、船員の一人に「宮古衛門二郎」という人物の名が見られる。これ以前の中世の時代に、地名及び集落としての「宮古」が存在したかは不明である。少なくとも宮古という地名が公的に認知されるのは、領内を統一した南部氏が新たに町を開いた慶長年間以後のことである。

気候

ケッペンの気候区分では温暖湿潤気候だが、最暖月の平均気温が22.2度と日本ではかなり涼しく、西岸海洋性気候に近い気候である。

宮古市(宮古)(1981-2010)の気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
平均最高気温 °C°F 4.9
(40.8)
5.1
(41.2)
8.3
(46.9)
14.3
(57.7)
18.4
(65.1)
20.5
(68.9)
23.9
(75)
26.4
(79.5)
23.1
(73.6)
18.5
(65.3)
13.2
(55.8)
7.2
(45)
15.4
(59.7)
日平均気温 °C°F 0.3
(32.5)
0.4
(32.7)
3.3
(37.9)
8.7
(47.7)
13.0
(55.4)
16.0
(60.8)
19.8
(67.6)
22.2
(72)
18.8
(65.8)
13.3
(55.9)
7.8
(46)
3.1
(37.6)
10.6
(51.1)
平均最低気温 °C°F −3.8
(25.2)
−3.8
(25.2)
−1.1
(30)
3.8
(38.8)
8.5
(47.3)
12.7
(54.9)
17.0
(62.6)
19.2
(66.6)
15.2
(59.4)
8.7
(47.7)
2.8
(37)
−1.2
(29.8)
6.5
(43.7)
降雪量 cm (inch) 33
(13)
55
(21.7)
40
(15.7)
3
(1.2)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
16
(6.3)
148
(58.3)
平均月間日照時間 161.0 152.9 178.6 189.3 181.2 149.4 133.8 160.6 128.0 155.2 147.3 147.4 1,882.6
出典1:気象庁[3]
出典2:気象庁[4]

歴史

廻船問屋・質屋を兼ねた旧東屋酒造店(国登録有形文化財)
宮古湾海戦の一場面を描いた挿絵。旧幕府軍の旗艦回天丸」が、明治政府甲鉄艦へ接舷攻撃する場面

盛岡藩の外港

現在の宮古市の発祥は、盛岡藩主・南部利直によって盛岡藩(盛岡城下町)の外港として宮古の町が開かれたことに由来する[5]。また現在の普代村から山田町豊間根までの行政を管轄する代官所[注 1]が置かれ、周辺地域の政治、経済の中心地であった。江戸時代に三陸沿岸と江戸関東とを結ぶ海運が盛んになると、沿岸漁村で産出される諸色俵物を集荷し江戸へ移出するための拠点となり、前川善兵衛や鍬ヶ崎の和泉屋などの長崎俵物を扱う御用商人や、盛合家などの三陸の水産物を扱う有力商人や交易に携わる廻船問屋の活動が活発となった。また宮古は東廻海運の要港であり、海産物などの交易船や松前・東北諸藩が江戸へ参勤交代で必要な物資や米などを輸送するための廻船の重要な寄港地として、料亭や遊廓が軒を連ねる奥州でも有数の商港として賑わった。

宮古湾海戦

戊辰戦争においては、蝦夷地にて独立を図る榎本武揚土方歳三らの旧幕府海軍艦隊(蝦夷共和国軍艦隊。総司令官:荒井郁之助。旗艦「回天丸」[艦長:甲賀源吾])が、宮古湾の鍬ヶ崎湊(くわがさきみなと。現在の宮古港の前身)に停泊する新政府軍艦隊の主力艦である装甲艦「CSS Stonewall」(ストーンウォール[日本名:甲鉄艦]。1871年12月に「東艦」と改称)を奪取すべくアボルダージュ(接舷攻撃)作戦を決行した、いわゆる宮古湾海戦が勃発した[6]

沿革

縄文時代 - 中世

江戸時代

1611年(慶長16年)、慶長三陸地震の大津波で流された常安寺は、1625年(寛永2年)に現在地に移転再建された。

明治 - 大正時代

昭和戦前期

開業時の宮古駅
昭和三陸津波後に建立された大津浪記念碑。「髙き住居は児孫の和樂 / 想へ惨禍の大津浪 / 此処より下に家を建てるな」

戦後

震災前の田老地区。家々を取り囲むように、巨大な防潮堤が聳え立っていた。

平成時代

宮古駅に停車する岩泉線の車両(2005年12月)。岩泉線は落石事故をきっかけに2014年に廃線となった。
2003年に開業した「シートピアなあど」(道の駅みやこ)。津波により全壊したが、タラソ施設のみ解体して2013年に再開した。
津波の痕跡が残るたろう観光ホテルは震災遺構として整備され、2016年より震災学習などに利用されている。

行政区域の変遷(市町村制施行以後)

旧・宮古市の県内位置図
  • 1889年(明治22年)4月1日:東閉伊郡町村制が施行される[注 2][注 3]
    • 宮古村と浦鍬ケ崎村(うらくわがさきむら)がそれぞれ単独で町制を施行し、宮古町と鍬ケ崎町(くわがさきちょう)が成立。
    • 旧制度の山口村・近内村(ちかないむら)・田代村が合併した上で村制を施行し、新生の山口村が成立。
    • 旧制度の千徳村(せんとくむら)・根市村(ねいちむら)・花原市村(けばらいちむら)が合併し、新生の千徳村が成立。
    • 旧制度の磯鶏村(そけいむら)・高浜村・金浜村(かねはまむら)・小山田村(こやまだむら)・八木沢村が合併し、新生の磯鶏村が成立。
    • 旧制度の崎山村と崎鍬ケ崎村(さきくわがさきむら)が合併し、新生の崎山村が成立。
    • 旧制度の津軽石村と赤前村(あかまえむら)が合併し、新生の津軽石村が成立。
    • 旧制度の重茂村(おもえむら)と音部村(おとべむら)が合併し、新生の重茂村が成立。
    • 旧制度の花輪村・老木村(ろうきむら)・田鎖村(たくさりむら)・松山村・長沢村が合併し、新生の花輪村が成立。
    • 旧制度の田老村(たろうむら)・乙部村(おとべむら)・末前村(すえまえむら)・摂待村(せったいむら)が合併し、新生の田老村が成立。
    • 旧制度の茂市村(もいちむら)・蟇目村(ひきめむら)・腹帯村(はらたいむら)が合併し、新生の茂市村が成立。
    • 旧制度の刈屋村と和井内村(わいないむら)が合併し、新生の刈屋村が成立。
  • 1889年(明治22年)4月1日:中閉伊郡で町村制が施行される。
    • 旧制度の門馬村(かどまむら)・田代村・平津戸村(ひらつとむら)が合併し、新生の門馬村が成立。
    • 旧制度の小国村(こぐにむら)と江繋村(えつなぎむら)が合併し、新生の小国村が成立。
    • 旧制度の川井村・川内村(かわうちむら)・箱石村(はこいしむら)・片巣村(かたすむら)・夏屋村(なつやむら)・鈴久名村(すずくなむら)・古田村(ふったむら)が合併し、新生の川井村が成立。
  • 1889年(明治22年)3月29日:東閉伊郡・北閉伊郡中閉伊郡が合併し、下閉伊郡となる。
  • 1924年大正13年)4月1日:宮古町と鍬ケ崎町が合併し、新生の宮古町が成立。
  • 1941年(昭和16年)2月11日宮古町山口村千徳村磯鶏村が合併した上で市制を施行し、宮古市が誕生。
  • 1944年(昭和19年)4月1日:田老村が町制を施行し、田老町が成立。
  • 1955年(昭和30年)2月1日茂市村刈屋村が合併し、新里村が成立。
  • 1955年(昭和30年)4月1日:崎山村津軽石村重茂村花輪村編入
  • 1955年(昭和30年)7月1日:川井村、小国村、門馬村が合併し、新生の川井村が成立。
  • 2005年(平成17年)6月6日:宮古市、田老町、新里村が合併した上で市制を施行し、新生の宮古市が成立。
  • 2010年(平成22年)1月1日:川井村を編入。

行政

歴代市長
氏名 就任日 退任日 備考
初代 熊坂義裕 2005年7月3日 2009年7月2日 旧宮古市長
2-4代 山本正徳 2009年7月3日 現職

姉妹都市・友好都市

日本国内
日本国外

人口

宮古市(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年) 79,805人
1975年(昭和50年) 79,214人
1980年(昭和55年) 78,617人
1985年(昭和60年) 77,024人
1990年(平成2年) 72,538人
1995年(平成7年) 69,587人
2000年(平成12年) 66,986人
2005年(平成17年) 63,588人
2010年(平成22年) 59,430人
2015年(平成27年) 56,676人
2020年(令和2年) 50,369人
総務省統計局 国勢調査より

平成22年国勢調査から平成27年調査にかけての人口増減率は4.63%の減少で、岩手県全体の3.80%減を少し上回った。なお平成の大合併以前の区分では旧宮古市が東日本大震災に伴う津波で甚大な被害を受けながら2.23%減と県全体を下回った一方で、同じく津波被害を受けた旧田老町が26.27%減と、平成27年時点の自治体区分で県内最大である大槌町の23.02%減も上回る対照的な結果となった。また直接津波被害を受けていない旧川井村は10.62%減と、田老町ほどではないにしろ大きく減少した[14]

経済

産業

入港する底引網漁船

古来、水産業で栄え、名産品としては、イクラウニアワビ毛ガニワカメなどが挙げられる。特にサケやサンママダラは全国屈指の水揚げを誇る。ウニは、生のまま牛乳用の瓶に入れて、型崩れ防止用の明礬を加えない「瓶ウニ」が長く名物であった。東日本大震災後の2018年から、様々な魚介類海藻薬味野菜などを入れて、にかけて食べる「瓶ドン」をご当地グルメとして展開するなど、水産は観光客誘致にも寄与している[15]

工業では、ヒロセ電機や関連企業などによる電子部品の製造、ラサ工業宮古工場によるガリウムの生成、製造と同NCRI事業部による石油精製触媒の再生事業、片倉コープアグリ宮古工場による化学肥料製造やホクヨープライウッドによる合板加工などが主産業である。宮古税関管内(宮古港)の平成28年の輸出入貿易額は、輸出が387億9千6百万円で、ドイツベルギーアメリカ向けのポンプ遠心分離機等の一般機械がその8割を占める。輸入は食料品や木材が多く、貿易額ではロシアがその半分を占める。平成26年の製造品出荷額は7,475(千万円)で、岩手県内で8位である。

平成26年度の一人当たり市町村民所得は276万円(県調査統計課)で、復興需要により震災前より急上昇しており、県南を上回り盛岡市などの県央部に匹敵する額になっている。平成28年の観光客入込数は1,117,932(単位・人回、県観光統計概要)で、県沿岸部の市町村ではトップの数字となっている。

震災による影響

東日本大震災で津波被害を受けた宮古市の中心街(国道45号・築地交差点付近)

宮古市の東日本大震災による被害総額は2457億円と推計されており、このうち住宅被害が1496億円と全体の約61%を占めている。また市内では1,078の事業所が被災し、業種別ではサービス業が547事業所(51%)、商業が334事業所(31%)、製造業125事業所(12%)などとなっている。

市内金融機関

市内に支店、営業所等を置く主な企業

商業

市内の主な宿泊施設

市内の主なチェーン店など

市内の主な外食産業

娯楽施設など

漁港

早朝の宮古港
日出島と周辺で操業する漁船

田老漁港と重茂漁港は第2種漁港、他は全て第1種漁港である。()内の読みは「ぎょこう」を省略。

  • 田老地区の漁港
    • 小堀内漁港(こぼりない)
    • 青野滝漁港(あおのたき)
    • 小港漁港(こみなと)
    • 田老漁港(たろう):田老地区の中心部にある、岩手県でも有数の漁港。周囲には田老の防潮堤が築かれ、津波防災において先進的な地域であったが、東日本大震災の津波は防ぎきれなかった。
    • 樫内漁港(かしない)
  • 宮古地区の漁港
    • 宿漁港(やど)
    • 日出島漁港(ひでしま)
    • 蛸の浜漁港(たこのはま):鍬ケ崎(くわがさき)平松に所在。宮古港(旧・鍬ケ崎湊)の基礎となった鍬ケ崎地区にあり、古くから磯漁業を行う。
    • 白浜漁港(しらはま)
    • 津軽石漁港(つがるいし):津軽石川が注ぐ宮古湾最奥部の、赤前地区・小堀内地区・堀内地区に所在。
  • 重茂地区の漁港
    • 浦の沢漁港(うらのさわ)
    • 仲組漁港(なかくみ)
    • 音部漁港(おとべ)
    • 重茂漁港(おもえ)
    • 姉吉漁港(あねよし)
    • 千鶏漁港(ちけい)
    • 石浜漁港(いしはま)
    • 川代漁港(かわしろ)

公的機関

官公庁等

復興庁

警察

消防

防衛省

法務省

地方検察庁

厚生労働省

財務省

国税庁

国土交通省

海上保安庁

林野庁

環境省

特殊法人

独立行政法人

岩手県

  • 沿岸広域振興局(宮古合同庁舎)
    • 宮古地域振興センター
    • 宮古保健福祉環境センター・宮古保健所
    • 宮古農林振興センター
    • 宮古農業改良普及センター
    • 宮古水産振興センター
    • 宮古土木センター
  • 岩手県宮古児童相談所
  • 岩手県立宮古高等技術専門校
  • 岩手県立宮古高等看護学院
  • 岩手県立宮古病院地域医療支援病院
  • 救護施設 松山荘

主な市の施設

  • 田老総合事務所
  • 新里総合事務所
  • 川井総合事務所
  • 宮古市民総合体育館
  • 宮古市民文化会館
  • 宮古市立図書館
  • 宮古市総合福祉センター
  • 宮古運動公園
  • 姉ヶ崎サン・スポーツランド
  • 湯ったり館
  • へいがわ老木公園

メディア

テレビ・ラジオ等

郵便

宮古郵便局
川井郵便局

郵便局

  • 宮古郵便局(集配局)
  • 川井郵便局(集配局)
  • 門馬郵便局(集配局)
  • 鍬ヶ崎郵便局
  • 磯鶏郵便局
  • 岩手花輪郵便局
  • 宮古小山田郵便局
  • 千徳郵便局
  • 宮古田の神郵便局
  • 宮古市役所前郵便局
  • 宮古新町郵便局
  • 宮古日の出郵便局
  • 重茂郵便局
  • 津軽石郵便局
  • 田老郵便局
  • 新里郵便局
  • 刈屋郵便局
  • 和井内郵便局
  • 箱石郵便局
  • 小国郵便局
  • 陸中川内郵便局

簡易郵便局

  • 高浜簡易郵便局
  • 崎山簡易郵便局
  • 攝待簡易郵便局
  • 蟇目簡易郵便局
  • 腹帯簡易郵便局

学校

日本の水産系高校の中で最も長い歴史を持つ、宮古水産高等学校
国立宮古海上技術短期大学校

短期大学

高等学校

岩手県立杜陵高等学校の宮古分室が宮古高校内に設置されている。

中学校

  • 宮古市立第一中学校
  • 宮古市立第二中学校
  • 宮古市立河南中学校
  • 宮古市立宮古西中学校
  • 宮古市立花輪中学校
  • 宮古市立津軽石中学校
  • 宮古市立重茂中学校
  • 宮古市立崎山中学校
  • 宮古市立田老第一中学校
  • 宮古市立新里中学校
  • 宮古市立川井中学校

小学校

  • 宮古市立宮古小学校
  • 宮古市立山口小学校
  • 宮古市立千徳小学校
  • 宮古市立磯鶏小学校
  • 宮古市立鍬ヶ崎小学校
  • 宮古市立花輪小学校
  • 宮古市立重茂小学校
  • 宮古市立藤原小学校
  • 宮古市立崎山小学校
  • 宮古市立高浜小学校
  • 宮古市立津軽石小学校
  • 宮古市立赤前小学校
  • 宮古市立亀岳小学校
  • 宮古市立田老第一小学校
  • 宮古市立田老第三小学校
  • 宮古市立新里小学校
  • 宮古市立川井小学校

特別支援学校

学校教育以外の施設

交通

三陸鉄道宮古駅
106急行バス
宮古港フェリーターミナル
三陸自動車道宮古南IC

宮古市は三陸沿岸の交通の拠点であり、2020年度には三陸自動車道・三陸北縦貫道路の開通により、北は青森県八戸市から南は宮城県仙台市まで接続される予定である。公共交通機関では県庁所在地である盛岡市への急行バスが発着しており、鉄路ではJR山田線が宮古駅 - 盛岡駅間を運行している。また三陸鉄道リアス線が久慈駅久慈市) - 盛駅大船渡市)間を運行している。海路では北海道室蘭市へのフェリー航路が就航している。

鉄道

東日本旅客鉄道(JR東日本)

三陸鉄道

航路

都市間バス

路線バス

道路

自動車専用道路

一般国道自動車専用道路 (B路線)
地域高規格道路

一般国道

道の駅

都道府県道

主要地方道
一般県道

港湾

名所・旧跡・観光施設など

景勝

浄土ヶ浜
本州最東端の碑と魹ヶ埼灯台
三王岩
沢尻海岸
三陸復興国立公園の中心的な名勝1955年指定)。岩手県指定名勝(第1号)(1954年指定)であり、日本の白砂青松100選1987年)、およびかおり風景100選環境省2001年)の選定地でもある。浄土ヶ浜海水浴場については後述する。
森の巨人たち百選に「『森林浴の森』の木」名義で選定されている。cf.

旧跡

江戸期の豪商の邸宅。盛岡藩主の他、伊能忠敬も滞在。国の登録有形文化財
1824年文化7年)創業の酒屋・廻船問屋質屋。店舗兼主屋、酒蔵、質蔵が国の登録有形文化財
  • 宮古港海戦記念碑
明治2年3月25日1869年5月6日)に起こった宮古湾海戦記念碑
1933年(昭和8年)の昭和三陸地震による津波の後で建てられた災害記念碑で、「此処より下に家を建てるな」との先人訓が東日本大震災の津波から現地・姉吉地区の住民の命を守った。

観光施設・多目的施設

  • 土産物
    • 宮古魚菜市場
  • 海水浴場
    • 浄土ヶ浜海水浴場:浄土ヶ浜内にある海水浴場で、2001年(平成13年)に日本の水浴場88選環境省)、2006年(平成18年)には「浄土ヶ浜の潮のかおり」名義で快水浴場百選(環境省)の選定地となった。
    • 女遊戸海水浴場
    • 真崎海岸海水浴場
    • 蛸の浜海水浴場
    • 藤の川海水浴場
    • 大須賀海水浴場
  • 展示館など
    • 岩手県立水産科学館
    • 崎山貝塚縄文の森ミュージアム
    • 宮古市北上山地民俗資料館:cf.
    • 薬師塗漆工芸館
    • 西塔幸子記念館
    • 寄生木展示室(山口公民館)
  • みなとオアシスみやこ:cf.
    • シートピアなあど:cf.
  • 浄土ヶ浜ビジターセンター
  • 浄土ヶ浜マリンハウス
  • 浄土ヶ浜レストハウス
ラサの煙突

他の名所・施設

ラサ工業宮古工場構内にある高さ160 mの煙突。小山田地区にある標高90 mの山上に建ち、煙突本体と併せて250 mの高さとなる。1939年(昭和14年)6月の操業開始以来、長らく宮古のランドマークである。
田老地区の沖合いに建設された防潮堤cf. 田老の防潮堤は時代を追って巨大かつ堅牢なものとなり、海抜10 m・長さ2.4 kmにも及ぶに至り、中国万里の長城になぞらえて「田老万里の長城」「田老の万里の長城」などと雅称されるようになった。海側と陸側の二重構造になっている、日本最大規模の防潮堤であったが、東日本大震災では地震直後に20m級の津波が押し寄せたため、海側に面した堤防の半分が崩壊した。
かつてホテルとして営業していたが、2011年(平成23年)3月11日に発生した東日本大震災による津波で被災・損壊した後、津波の脅威を伝えるための震災遺構として整備された。

イベント・祭り

  • 宮古毛ガニまつり(3月、毛ガニを割安で販売)
  • 浄土ヶ浜まつり(4~5月の大型連休中に開催)
  • 宮古夏祭り(7月、花火大会など)
  • 重茂味まつり(8月、ウニやアワビなどを割安で販売)
  • みやこ秋まつり(9月、横山八幡宮の例祭)
  • 新里まつり(10月、の塩焼きや豆腐田楽など郷土料理を販売)
  • 川井村郷土芸能祭(10月)
  • 田老鮭・あわびまつり(11月、鮭やアワビを割安販売)
  • 宮古鮭まつり(12月、鮭のつかみ取りイベントなど)

伝統芸能

宮古を舞台とした作品

映画
漫画

出身著名人

江戸時代
明治生まれ
大正生まれ
昭和生まれ
平成生まれ
生年非公表

その他の関連事象

目黒のさんま祭り(2010年9月5日撮影)
  • 義経北行伝説
三陸沿岸では古来、源義経の末路について、「平泉にて自刃したのは臣下の将であって、義経自身は逃げ延び、沿岸を北上していった」と語り継がれてきた[17]cf. 源義経#不死伝説)。岩手県から青森県の沿岸にはこの言い伝えを残す寺社が多く存在し、史実はどうあれ、郷土史研究家の好奇心をくすぐる格好の材料となっている。
  • 目黒のさんま祭り
宮古市は、東京都品川区で開催される「目黒のさんま祭り」に、第4回の1999年(平成11年)以降、水揚げされたサンマ数千匹を無償提供している[18]
  • 宮古列島の「宮古市」命名問題
2004年(平成16年)12月、沖縄県宮古列島の5市町村の合併協議会は、合併後の新たな市の名称を「宮古市」に決めたが、これを受けて岩手県宮古市は、同じ市名が存在する[19]と混乱すること、事前に照会がなかったことを理由に猛反発し、合併協議会に抗議した。その後、宮古列島では住民アンケートの結果、「宮古島市」を希望する意見が多かったため、協議会はこの市名を採用した。cf. 宮古島市#合併の経緯

脚注

  1. ^ 北閉伊代官所。寛文年間(1661年 - 1673年)からは宮古代官所。小本 - 豊間根に管轄区域も変更。
  2. ^ 宮古市(岩手県)の住所・地名の読み仮名”. 市町村.com. 2011年5月14日閲覧。
  3. ^ 川井村(下閉伊郡)(岩手県)の住所・地名の読み仮名”. 市町村.com. 2011年5月14日閲覧。
  4. ^ 宮古街道”. いわての街道. 2011年5月20日閲覧。

出典

  1. ^ a b c d 宮古市の花、木、鳥、魚”. 宮古市ホームページ. 2019年1月18日閲覧。
  2. ^ 県内市町村の合併状況”. 岩手県. 2019年1月18日閲覧。
  3. ^ 平年値(年・月ごとの値)”. 気象庁. 2011年6月22日閲覧。
  4. ^ 観測史上1~10位の値(年間を通じての値)”. 気象庁. 2010年4月23日閲覧。
  5. ^ 宮古港の開港”. 宮古市 (2018年11月28日). 2019年1月18日閲覧。
  6. ^ 戊辰戦争・宮古港海戦”. 宮古市 (2011年6月9日). 2019年1月18日閲覧。
  7. ^ a b 崎山貝塚の時代”. 宮古市 (2012年8月14日). 2015年1月10日閲覧。
  8. ^ 図典 日本の市町村章 p32
  9. ^ 浄土ヶ浜”. 宮古市 (2018年10月18日). 2019年1月18日閲覧。
  10. ^ 北上山地川井村の山村生産用具コレクション(文化遺産オンライン)2015年1月10日閲覧
  11. ^ 黒森神楽”. 宮古市 (2010年4月14日). 2019年1月18日閲覧。
  12. ^ 岩手県発行 岩手県東日本大震災津波の記録 p.43
  13. ^ 「平成二十八年八月十六日から九月一日までの間の暴風雨及び豪雨による災害についての激甚災害並びにこれに対し適用すべき措置の指定に関する政令」について (PDF) -内閣府
  14. ^ 平成27年国勢調査”. 総務省統計局 (2016年10月26日). 2017年7月22日閲覧。
  15. ^ 【仰天ゴハン】瓶ドン(岩手県宮古市)山と海の恵み ぎゅぎゅっ読売新聞』朝刊別刷り「よみほっと」1面(2019年7月7日)2019年7月20日閲覧。
  16. ^ 黒森神楽(文化遺産オンライン)2019年1月18日閲覧
  17. ^ 義経北行伝説”. 宮古市 (2018年11月30日). 2019年1月18日閲覧。
  18. ^ 「目黒のさんま祭り」の公式ホームページ”. 目黒駅前商店街振興組合 (2010年8月). 2011年5月14日閲覧。
  19. ^ 当時は東京都広島県には『府中市』が存在しており、また2006年には福島県に『伊達市』(既に北海道に存在)が誕生した

外部リンク