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元老院議官(げんろういんぎかん)は、明治時代初期に存在した日本の立法機関・元老院(1875年 - 1890年)を組織した議員。華族・官吏・学識者の中から勅任された。明治後期以降、天皇の諮問を受けて首相推奏を行った元老との直接の関係はない。
元老院は1890年に帝国議会開設に伴って廃止されたが、廃止時の元老院議官定員91名のうち、27名が貴族院の勅選議員になり、引き続き立法機関を構成した。
任官者
- 後藤象二郎:1875年4月25日 - 1875年4月28日(元老院副議長就任)
- 福岡孝弟:1875年4月25日 - 1875年5月19日
- 加藤弘之:1875年4月25日 - 1875年11月28日
- 河野敏鎌:1875年4月25日 - 1875年11月28日(元老院幹事就任)
- 陸奥宗光:1875年4月25日 - 1875年11月28日(元老院幹事就任)
- 勝安芳:1875年4月25日[1] - 1875年11月29日[2]
- 鳥尾小弥太:1875年4月25日 - 1876年1月8日
- 由利公正:1875年4月25日 - 1876年12月18日
- 三浦梧楼:1875年4月25日 - 1876年6月7日
- 吉井友実:1875年4月25日 - 1877年8月29日
- 松岡時敏:1875年4月25日 - 1877年11月6日(死去)
- 山口尚芳:1875年4月25日 - 1880年3月8日(元老院幹事就任)
- 津田出:1875年4月25日 - 1890年10月20日
- 熾仁親王:1875年7月2日 - 1876年5月18日(元老院議長就任)
- 壬生基修:1875年7月2日 - 1877年1月15日
- 柳原前光:1875年7月2日 - 1878年6月7日(元老院幹事就任)
- 佐野常民:1875年7月2日 - 1880年2月28日
- 佐々木高行:1875年7月2日 - 1880年3月13日(元老院副議長就任)
- 秋月種樹:1875年7月2日[3] - 1880年8月18日[4]
- 斎藤利行:1875年7月2日 - 1881年5月26日(死去)
- 黒田清綱:1875年7月2日 - 1882年11月22日(元老院幹事就任)
- 大給恒:1875年7月2日 - 1890年10月20日
- 長谷信篤:1875年7月8日[5] - 1877年1月15日
- 福羽美静:1875年7月22日 - 1881年10月21日
- 井上馨:1875年12月27日 - 1878年7月29日
- 中島信行:1876年3月28日 - 1880年10月5日[6]
- 細川潤次郎:1876年4月8日 - 1880年3月8日(元老院幹事就任)
- 水本成美:1876年4月8日 - 1881年10月31日
- 楠田英世:1876年4月8日 - 1884年4月30日
- 津田真道:1876年4月8日 - 1890年10月20日
- 神田孝平:1876年9月3日 - 1877年2月6日
- 宍戸璣:1877年1月16日 - 1879年3月8日
- 大久保一翁:1877年1月16日 - 1888年7月31日(死去)
- 東久世通禧:1877年8月29日 - 1881年7月12日(元老院幹事就任)
- 山田顕義:1878年3月5日 - 1879年9月10日
- 前島密:1878年3月5日 - 1880年2月28日
- 山尾庸三:1878年3月5日 - 1880年2月28日
- 田中不二麿:1878年3月5日 - 1880年3月12日
- 吉井友実(再任):1878年5月9日[7] - 1882年1月10日[8]
- 岩下方平:1878年5月9日[7] - 1890年10月20日
- 伊集院兼寛:1878年6月3日 - 1890年10月20日
- 河田景与:1878年7月2日 - 1890年10月20日
- 伊丹重賢:1878年8月22日[9] - 1890年10月20日
- 河瀬真孝:1879年3月15日 - 1882年11月22日(元老院幹事就任)
- 玉乃世履:1879年11月17日 - 1881年7月27日
- 楠本正隆:1879年12月12日 - 1889年12月27日(元老院副議長就任)
- 神田孝平(再任):1880年2月28日 - 1890年10月20日
- 林友幸:1880年2月28日 - 1890年10月20日
- 安場保和:1880年3月8日 - 1881年10月31日
- 柳原前光(再任):1880年3月8日 - 1883年6月25日
- 柴原和:1880年3月8日 - 1886年7月19日
- 鶴田皓:1880年3月11日 - 1881年10月21日
- 中村弘毅:1880年4月10日 - 1881年10月31日
- 箕作麟祥:1880年4月10日 - 1888年11月9日
- 本田親雄:1880年4月10日 - 1890年7月9日[10]
- 渡辺驥:1880年4月10日 - 1890年10月20日
- 渡辺昇:1880年5月4日 - 1881年10月31日
- 福岡孝弟(再任):1880年5月14日 - 1881年4月7日
- 岩村通俊:1880年6月28日 - 1881年10月21日
- 九鬼隆一:1880年11月30日[11] - 1884年5月14日
- 野村素介:1880年11月30日[11] - 1890年10月20日
- 浅野長勲:1880年12月27日[12] - 1882年3月20日
- 槙村正直:1881年1月19日 - 1890年6月30日
- 四条隆謌:1881年2月12日 - 1883年6月26日
- 関口隆吉:1881年2月12日 - 1884年9月27日
- 海江田信義:1881年4月19日 - 1890年10月20日
- 鍋島直彬:1881年5月18日 - 1890年10月20日
- 山口尚芳(再任):1881年5月28日 - 1881年10月21日
- 鍋島幹:1881年6月27日 - 1886年7月24日[13]
- 税所篤:1881年7月12日 - 1887年11月9日
- 細川潤次郎(再任):1881年7月27日 - 1883年6月5日(元老院幹事就任)
- 渡辺清:1881年7月29日 - 1890年10月20日
- 渡辺洪基:1882年5月24日 - 1884年7月19日
- 西周:1882年5月24日 - 1890年10月20日
- 三浦安:1882年5月24日 - 1890年10月20日
- 鍋島直大:1882年5月31日 - 1886年2月15日
- 長岡護美:1882年6月30日 - 1890年10月20日
- 鷲尾隆聚:1882年9月9日 - 1887年3月3日
- 福原実:1882年12月28日 - 1887年4月14日
- 大鳥圭介:1882年12月28日 - 1889年6月3日
- 西村貞陽:1883年2月23日 - 1886年9月6日(死去)
- 上杉茂憲:1883年4月24日 - 1890年10月20日
- 岸良兼養:1883年6月5日[14] - 1883年11月15日(死去)
- 田中芳男:1883年6月25日 - 1890年10月20日
- 井田譲:1883年9月19日 - 1889年11月29日(死去)
- 田辺太一:1883年9月19日 - 1890年10月20日
- 宮本小一:1883年9月19日 - 1890年10月20日
- 清岡公張:1883年10月29日 - 1884年8月5日
- 橋口兼三:1883年11月14日 - 1890年10月20日
- 神山郡廉:1884年1月21日 - 1890年10月20日
- 籠手田安定:1884年7月9日 - 1885年9月4日
- 岩村定高:1884年7月10日 - 1890年10月20日
- 楫取素彦:1884年7月30日 - 1890年10月20日
- 長松幹:1884年9月4日 - 1890年10月20日
- 作間一介:1884年9月19日 - 1884年9月20日(死去)
- 青山貞:1884年9月30日 - 1886年2月25日
- 中島錫胤:1884年12月4日 - 1889年2月27日
- 安藤則命:1884年12月4日 - 1890年10月20日
- 小畑美稲:1884年12月4日 - 1890年10月20日
- 何礼之:1884年12月4日 - 1890年10月20日
- 壬生基修(再任):1885年1月13日 - 1890年10月20日
- 由利公正(再任):1885年1月13日 - 1890年10月20日
- 上野景範:1885年2月14日 - 1885年10月30日
- 町田久成:1885年3月10日 - 1889年12月26日
- 久我通久:1885年4月2日 - 1890年10月20日
- 村田保:1885年4月2日 - 1890年10月20日
- 吉井友実(再々任):1885年4月4日 - 1886年2月5日
- 永山盛輝:1885年4月18日 - 1890年10月20日
- 橋本実梁:1885年6月13日[15] - 1885年9月16日(死去)[16]
- 林清康:1885年12月22日 - 1886年1月29日
- 安場保和(再任):1885年12月22日[17] - 1886年2月25日[18]
- 高崎五六:1885年12月22日 - 1886年3月9日
- 大迫貞清:1885年12月22日[17] - 1886年4月27日
- 土方久元:1885年12月22日 - 1886年9月2日
- 中村弘毅(再任):1885年12月22日 - 1887年7月3日
- 鶴田皓(再任):1885年12月22日 - 1888年4月16日
- 田中光顕:1885年12月22日 - 1889年12月24日
- 尾崎三良:1885年12月22日 - 1890年7月7日
- 清岡公張(再任):1885年12月22日 - 1890年10月20日
- 宍戸璣(再任):1885年12月22日 - 1890年10月20日
- 福羽美静(再任):1885年12月22日 - 1890年10月20日
- 山口尚芳(再々任):1885年12月22日 - 1890年10月20日
- 渡正元:1885年12月22日 - 1890年10月20日
- 鳥尾小弥太(再任):1885年12月28日[19] - 1888年6月14日[20]
- 伊東祐麿:1885年12月28日[19] - 1890年10月20日
- 加藤弘之(再任):1886年1月11日 - 1890年5月19日
- 安田定則:1886年1月26日 - 1886年5月8日
- 調所広丈:1886年1月26日 - 1889年6月8日
- 長谷部辰連:1886年1月26日 - 1889年12月26日
- 原田一道:1886年2月5日 - 1890年10月20日
- 石田英吉:1886年2月25日 - 1888年11月20日
- 中村正直:1886年2月26日 - 1890年10月20日
- 黒田清綱(再任):1886年3月29日 - 1890年10月20日
- 細川潤次郎(再々任):1886年3月29日 - 1890年10月20日
- 長与専斎:1886年4月27日 - 1890年10月20日
- 島惟精:1886年5月8日 - 1886年5月11日(死去)
- 阪本政均:1886年5月10日[21] - 1890年1月15日(死去)[22]
- 岡内重俊:1886年5月10日 - 1890年10月20日
- 岩山敬義:1886年12月21日 - 1887年5月18日
- 綿貫吉直:1886年12月27日 - 1889年6月24日
- 石井忠亮:1887年3月10日 - 1889年12月26日
- 大迫貞清(再任):1887年4月14日 - 1890年10月20日
- 時任為基:1887年5月18日 - 1888年2月29日
- 吉田清成:1887年7月26日 - 1888年5月10日
- 平岡通義:1887年12月22日 - 1890年10月20日
- 森山茂:1887年12月28日 - 1890年7月25日
- 田辺良顕:1888年2月29日 - 1890年10月20日
- 金井之恭:1888年3月6日 - 1890年10月20日
- 四条隆平:1888年3月6日 - 1890年10月20日
- 柳楢悦:1888年4月18日 - 1890年10月20日
- 中島佐衡:1888年6月7日 - 1889年6月13日
- 蜂須賀茂韶:1888年6月7日 - 1890年5月19日
- 五条為栄:1888年6月7日[23] - 1890年10月20日
- 千家尊福:1888年6月7日 - 1890年10月20日
- 中島永元:1888年6月7日 - 1890年10月20日
- 藤井希璞:1888年6月7日 - 1890年10月20日
- 岩村通俊(再任):1888年6月15日[20] - 1888年11月20日
- 奈良原繁:1888年7月4日(任命同日辞職)
- 福原実(再任):1888年9月18日 - 1890年10月20日
- 重野安繹:1888年10月29日 - 1890年10月20日
- 船越衛:1888年11月20日 - 1890年5月21日[24]
- 国司順正:1888年11月20日 - 1890年10月20日
- 堀江芳介:1888年11月20日 - 1890年10月20日
- 巌谷修:1888年12月19日 - 1890年10月20日
- 前田献吉:1889年3月15日 - 1890年10月20日
- 建野郷三:1889年3月16日 - 1890年10月20日
- 石井邦猷:1889年12月24日 - 1890年10月20日
- 税所篤(再任):1889年12月26日 - 1890年6月5日
- 青山貞(再任):1889年12月26日 - 1890年10月20日
- 木梨精一郎:1889年12月26日 - 1890年10月20日
- 浜尾新:1889年12月26日 - 1890年10月20日
- 沖守固:1890年1月7日 - 1890年10月20日
- 岩崎小二郎:1890年3月25日 - 1890年5月21日[24]
- 高崎五六(再任):1890年5月19日 - 1890年10月20日
- 中井弘:1890年5月21日 - 1890年10月20日
- 前田正名:1890年5月31日 - 1890年10月20日
- 井上廉:1890年6月10日 - 1890年10月20日
- 谷森真男:1890年6月10日 - 1890年10月20日
- 秋月種樹(再任):1890年6月12日 - 1890年10月20日
- 石丸安世:1890年6月12日[25] - 1890年10月20日
- 河鰭実文:1890年6月12日 - 1890年10月20日
- 児玉少介:1890年6月12日 - 1890年10月20日
- 小原重哉:1890年6月12日 - 1890年10月20日
- 醍醐忠敬:1890年6月12日 - 1890年10月20日
- 立木兼善:1890年6月12日 - 1890年10月20日
- 辻維岳:1890年6月12日 - 1890年10月20日
- 寺島秋介:1890年6月12日 - 1890年10月20日
- 土肥実匡:1890年6月12日[25] - 1890年10月20日
- 中村孝禧:1890年6月12日 - 1890年10月20日
- 中村博愛:1890年6月12日 - 1890年10月20日
- 南郷茂光:1890年6月12日 - 1890年10月20日
- 平松時厚:1890年6月12日 - 1890年10月20日
- 穂波経度:1890年6月12日 - 1890年10月20日
- 松本鼎:1890年6月12日 - 1890年10月20日
- 丸山作楽:1890年6月12日 - 1890年10月20日
- 湯地定基:1890年6月12日 - 1890年10月20日
脚注
- ^ 『太政官日誌』明治8年第62号、6頁。
- ^ 『太政官日誌』明治8年第142号、4頁。
- ^ 『太政官日誌』明治8年第86号、3頁。
- ^ 『東京日日新聞』第2609号、1880年8月20日、1面。
- ^ 『太政官日誌』明治8年第92号、5頁。
- ^ 『東京日日新聞』第2649号、1880年10月7日、1面。
- ^ a b 『東京日日新聞』第1929号、1878年5月11日、1面。
- ^ 『東京日日新聞』第3025号、1882年1月14日、1面。
- ^ 『東京日日新聞』第2018号、1878年8月24日、1面。
- ^ 『官報』第2108号、1890年7月10日、106頁。
- ^ a b 『東京日日新聞』第2694号、1880年12月1日、1面。
- ^ 『東京日日新聞』第2717号、1880年12月28日、1面。
- ^ 『官報』第921号、1886年7月27日、293頁。
- ^ 『東京日日新聞』第3444号、1883年6月6日、1面。
- ^ 『官報』第585号、1885年6月15日、3頁。
- ^ 『官報』第668号、1885年9月19日、251頁。
- ^ a b 『官報』号外、1885年12月22日、4頁 。
- ^ 『官報』第793号、1886年2月26日、295頁 。
- ^ a b 『官報』号外、1885年12月29日。
- ^ a b 『官報』第1488号、1888年6月16日、161頁。
- ^ 『官報』第856号、1886年5月12日、118頁。
- ^ 『官報』第1963号、1890年1月17日、143頁。
- ^ 『官報』第1482号、1888年6月9日、89頁。
- ^ a b 『官報』第2067号、1890年5月23日、286頁。
- ^ a b 『官報』第2086号、1890年6月14日、159頁。