作間一介
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作間 一介(さくま いちすけ[1]、1846年(弘化3年1月[2])- 1884年(明治17年)9月20日[2])は、幕末の長州藩士、明治期の官僚・政治家。元老院議官。諱・正臣[3]。旧名・直養、正之助[2]。号・介堂、蕭生[1]。
経歴
[編集]明治維新後、新政府に出仕し、慶応4年5月18日(1868年7月7日)御雇・行政官史官試補となる[2]。以後、京都府御用掛、徴士・議政官史補、太政官権大史、少史、少外史、権大外史・記録課副課長、兼印刷局副長、少史、太政官権大書記官・調査局専務、征討費総理事務局御用掛、会計部勤務、内閣権大書記官、同大書記官、詮考委員などを歴任[2][3]。
1884年9月19日、元老院議官に任じられたが、翌日に病で死去した[2]。墓所は青山霊園(1イ6-7)。