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作間一介

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

作間 一介(さくま いちすけ[1]1846年弘化3年1月[2])- 1884年明治17年)9月20日[2])は、幕末長州藩士明治期の官僚政治家元老院議官。諱・正臣[3]。旧名・直養、正之助[2]。号・介堂、蕭生[1]

経歴

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長州藩士・作間直守の長男として生まれる[1][3]

明治維新後、新政府に出仕し、慶応4年5月18日1868年7月7日)御雇・行政官史官試補となる[2]。以後、京都府御用掛、徴士・議政官史補、太政官権大、少史、少外史、権大外史・記録課副課長、兼印刷局副長、少史、太政官権大書記官・調査局専務、征討費総理事務局御用掛、会計部勤務、内閣権大書記官、同大書記官、詮考委員などを歴任[2][3]

1884年9月19日、元老院議官に任じられたが、翌日に病で死去した[2]。墓所は青山霊園(1イ6-7)。

栄典

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脚注

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  1. ^ a b c 『増補 近世防長人名辞典』123頁。
  2. ^ a b c d e f 『国立公文書館所蔵 勅奏任官履歴原書 上巻』457-460頁。
  3. ^ a b c 『明治過去帳』新訂初版、192-193頁。
  4. ^ 『太政官日誌』 明治7年 第1-63号 コマ番号109
  5. ^ 『官報』第371号「叙任」1884年9月20日。

参考文献

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  • 大植四郎編『明治過去帳』新訂初版、東京美術、1971年(原著私家版1935年)。
  • 吉田祥朔『増補 近世防長人名辞典』マツノ書店、1976年。
  • 我部政男・広瀬順晧編『国立公文書館所蔵 勅奏任官履歴原書 上巻』柏書房、1995年。
  • 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。