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* 佐田の山が横綱に昇進するまでは「平幕優勝の力士は大成しない」というジンクスがあったという<ref>[http://www.excite.co.jp/News/sports_g/20161123/Postseven_468190.html 相撲のジンクス 平幕優勝力士に大関なし、ほか] エキサイトニュース 2016年11月23日 07時00分 (2016年11月23日 07時33分 更新){{リンク切れ|date=2017年9月}}</ref>。なお、平幕優勝を達成し、最終的に横綱昇進を達成したのは2020年1月場所現在までで男女ノ川・佐田の山・貴花田(後の貴乃花)の3人である。 |
* 佐田の山が横綱に昇進するまでは「平幕優勝の力士は大成しない」というジンクスがあったという<ref>[http://www.excite.co.jp/News/sports_g/20161123/Postseven_468190.html 相撲のジンクス 平幕優勝力士に大関なし、ほか] エキサイトニュース 2016年11月23日 07時00分 (2016年11月23日 07時33分 更新){{リンク切れ|date=2017年9月}}</ref>。なお、平幕優勝を達成し、最終的に横綱昇進を達成したのは2020年1月場所現在までで男女ノ川・佐田の山・貴花田(後の貴乃花)の3人である。 |
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* 2000年3月場所の貴闘力忠茂と2020年1月場所の |
* 2000年3月場所の貴闘力忠茂と2020年1月場所の德勝龍誠は幕尻(幕内最下位)での優勝。ただし2000年3月場所は西14枚目が存在したため、貴闘力は厳密な意味での幕内最下位ではない。 |
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* 新入幕での平幕優勝は1914年5月場所の両國勇治郎ただ1人。 |
* 新入幕での平幕優勝は1914年5月場所の両國勇治郎ただ1人。 |
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* 返り入幕での平幕優勝は2020年1月場所の |
* 返り入幕での平幕優勝は2020年1月場所の德勝龍誠ただ1人。 |
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* 関取の1場所15日制定着以降の平幕での全勝優勝は1953年5月場所の時津山仁一(東前頭6枚目)・1957年11月場所の玉乃海太三郎(東前頭14枚目)の2名。 |
* 関取の1場所15日制定着以降の平幕での全勝優勝は1953年5月場所の時津山仁一(東前頭6枚目)・1957年11月場所の玉乃海太三郎(東前頭14枚目)の2名。 |
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* 新入幕での全勝優勝は2020年1月場所現在まで実例がない。 |
* 新入幕での全勝優勝は2020年1月場所現在まで実例がない。 |
2020年6月23日 (火) 21:01時点における版
前頭(まえがしら)とは、大相撲の力士の地位の一つ。幕内力士のうち、横綱と三役(大関・関脇・小結)を除いた力士をさす。役についていない幕内力士という意味で、平幕(ひらまく)と呼ばれることもある。幕内力士なので本場所では15日間毎日取組が組まれる。
概要
江戸時代の前相撲の「頭」が語源であるため、正確には「役力士」と「前相撲」の両極端に位置する力士以外の全力士の格付けは前頭である。したがって番付表では十両・幕下・三段目・序二段・序ノ口の力士も「前頭」の格付けと四股名が記載される。なお、幕下以下の力士の場合は簡素化のため、数名ないし数十名ごとに横長の「同」の字が冠される。現在の番付では、幕下で「同」8個、三段目で簡略化された「同」8個、序二段で簡略化された「同」6個、序ノ口で簡略化された「同」1個ないし2個となっている。したがって、平幕筆頭の力士は「幕内前頭筆頭」、幕下二枚目なら 「幕下前頭二枚目」のように呼ぶ方が正しいが、煩を避けて、それぞれ「前頭筆頭」「幕下二枚目」のように言うことが一般的になっている。これらのことから、一般的な用法としては「前頭=平幕力士」で問題はない。ただし、三役から平幕に落ちることを「前頭に落ちる」と言うことは出来ても、十両力士が入幕することを「前頭に上がる」と言うことはできない。以降の記述では単に「前頭」といった場合、「狭義の前頭(=平幕)」を指し、「広義の前頭(=番付表上の前頭)」は含まないこととする。
前頭は上から前頭筆頭(一枚目とは呼ばない[注釈 1])、前頭二枚目、前頭三枚目……と呼ばれ、それぞれ東西一人ずついる。前頭としての定員は定まっておらず、幕内力士全体の定員は現行では42人(2004年1月場所以降)と決められており、横綱や三役の人数を除いた人数が、前頭となる。大関(あるいは横綱大関)・関脇・小結は最低でも2人ずつ置かねばならないため、現行制度では理論上は前頭は最大で36人(東西18枚ずつ)在籍できる計算になる。幕内の定員が42人となる以前については、前頭の最多人数は1957年(昭和32年)の3月場所と9月場所の46人(東西23枚ずつ)、戦後の最少人数は1967年(昭和42年)の22人(東西11枚ずつ)である。
前頭の地位で横綱を破ることを金星(きんぼし)といい、獲得するごとに給金が上がる。これに対し大関を破ることを銀星(ぎんぼし)、または殊勲の星(しゅくんのほし)ということもあるが、これは給金に影響しない。但し、金星は当然の事、銀星(若しくは三役力士が大関や横綱に勝った場合でもだが)でもアナウンサーからのインタビューは受ける。
記録
平幕で優勝した力士
前頭の優勝は三役以上での優勝に比べて実例が少ないため、単に「前頭優勝」ではなく、「平幕優勝」と表現される。おおむね数年に1度のペースで発生している。
場所 |
地位 |
四股名 |
成績 |
翌場所 |
最高位 |
---|---|---|---|---|---|
1909年(明治42年)6月場所 | 東前頭7 | 高見山酉之助 | 7勝3分 | [注 1]) | 東関脇(1勝6敗2分1休関脇 |
1914年(大正3年)5月場所 | 東前頭14 | 両國勇治郎 | 9勝1休 [注 1] | 東前頭3(7勝2敗1分) | 関脇 |
1922年(大正11年)1月場所 | 東前頭4 | 鶴ヶ濱増太郎 | 9勝1敗 | 西前頭1(4勝6敗) | 小結 |
1926年(大正15年)5月場所 | 西前頭8 | 大蛇山酉之助 | 10勝1敗 | 東前頭2(6勝5敗) | 前頭1 |
1930年(昭和5年)5月場所 | 東前頭5 | 山錦善治郎 | 11戦全勝 | [注 2] (5勝6敗) | 東前頭5関脇 |
1931年(昭和6年)10月場所 | 東前頭4 | 綾櫻由太郎 (のち綾川五郎次) |
10勝1敗 | [注 3] (春秋園事件で脱走) |
西小結 関脇 |
1933年(昭和8年)1月場所 | [注 4] |
幕内格別席男女ノ川 (のち男女ノ川登三) |
11戦全勝 | 西小結(8勝3敗) | 横綱 |
1939年(昭和14年)1月場所 | 西前頭17 | 出羽湊利吉 | 13戦全勝 | 西小結(5勝10敗) | 関脇 |
1945年(昭和20年)6月場所 | 東前頭1 | 備州山大八郎 | 7戦全勝 | 東関脇(5勝5敗) | 関脇 |
1953年(昭和28年)5月場所 | 東前頭6 | 時津山仁一 | 15戦全勝 | 東小結(8勝7敗) | 関脇 |
1957年(昭和32年)11月場所 | 東前頭14 | 玉乃海太三郎 | 15戦全勝 | 東小結(5勝10敗) | 関脇 |
1960年(昭和35年)5月場所 | 東前頭4 | 若三杉彰晃 (のち大豪久照) |
14勝1敗 | 東張出関脇(7勝8敗) | 関脇 |
1961年(昭和36年)5月場所 | 西前頭13 | 佐田の山晋松 | 12勝3敗 | 東前頭2(11勝4敗) | 横綱 |
1964年(昭和39年)7月場所 | 西前頭9 | 富士錦猛光 | 14勝1敗 | 東小結(4勝11敗) | 小結 |
1968年(昭和43年)3月場所 | 東前頭8 | 若浪順 | 13勝2敗 | 東小結(2勝13敗) | 小結 |
1972年(昭和47年)1月場所 | 西前頭5 | 栃東知頼 | 11勝4敗 | 東小結(3勝9敗3休) | 関脇 |
1972年(昭和47年)7月場所 | 東前頭4 | 高見山大五郎 | 13勝2敗 | 西張出関脇(5勝10敗) | 関脇 |
1975年(昭和50年)7月場所 | 東前頭1 | 金剛正裕 | 13勝2敗 | 東関脇(6勝9敗) | 関脇 |
1976年(昭和51年)9月場所 | 西前頭4 | 魁傑將晃 [注 6][注 7] | 14勝1敗 | 西関脇(11勝4敗) | 大関 |
1984年(昭和59年)9月場所 | 西前頭12 | 多賀竜昇司 | 13勝2敗 | 西小結(6勝9敗) | 関脇 |
1991年(平成3年)7月場所 | 東前頭13 | 琴富士孝也 | 14勝1敗 | 東張出小結(4勝11敗) | 関脇 |
1991年(平成3年)9月場所 | 東前頭5 | 琴錦功宗 | 13勝2敗 | 西小結(12勝3敗) | 関脇 |
1992年(平成4年)1月場所 | 東前頭2 | 貴花田光司 (のち貴乃花光司) |
14勝1敗 | 西関脇(5勝10敗) | 横綱 |
1992年(平成4年)7月場所 | 西前頭1 | 水戸泉政人 | 13勝2敗 | 西張出関脇(8勝7敗) | 関脇 |
1998年(平成10年)11月場所 | 西前頭12 | 琴錦功宗 [注 7] | 14勝1敗 | 東小結2枚目(6勝9敗) | 関脇 |
2000年(平成12年)3月場所 | 東前頭14 | 貴闘力忠茂 | 13勝2敗 | 西小結2枚目(2勝13敗) | 関脇 |
2001年(平成13年)9月場所 | 東前頭2 | 琴光喜啓司 | 13勝2敗 | 西関脇(9勝6敗) | 大関 |
2012年(平成24年)5月場所 | 西前頭7 | 旭天鵬勝 | 12勝3敗 | 東前頭1(2勝13敗) | 関脇 |
2018年(平成30年)1月場所 | 西前頭3 | 栃ノ心剛史 | 14勝1敗 | 西関脇(10勝5敗) | (現役) |
2019年(令和元年) 5月場所 | 西前頭8 | 朝乃山英樹 | 12勝3敗 | 東前頭1(7勝8敗) | (現役) |
2020年(令和2年) 1月場所 | 西前頭17 | 德勝龍誠 | 14勝1敗 | 西前頭2(4勝11敗) | (現役) |
- デフォルトでは時代順に配列。場所の欄のソートボタンで元の順序に戻る。
- 四股名は優勝当時の四股名。
- 四股名の欄は50音順ソート。地位・翌場所・最高位の3欄は東西を考慮せず番付順ソート。
- 「小結2枚目」のようにある表記は、張出ではなく枠内に書き出されたもの。
- 以下は注釈。
- 佐田の山が横綱に昇進するまでは「平幕優勝の力士は大成しない」というジンクスがあったという[1]。なお、平幕優勝を達成し、最終的に横綱昇進を達成したのは2020年1月場所現在までで男女ノ川・佐田の山・貴花田(後の貴乃花)の3人である。
- 2000年3月場所の貴闘力忠茂と2020年1月場所の德勝龍誠は幕尻(幕内最下位)での優勝。ただし2000年3月場所は西14枚目が存在したため、貴闘力は厳密な意味での幕内最下位ではない。
- 新入幕での平幕優勝は1914年5月場所の両國勇治郎ただ1人。
- 返り入幕での平幕優勝は2020年1月場所の德勝龍誠ただ1人。
- 関取の1場所15日制定着以降の平幕での全勝優勝は1953年5月場所の時津山仁一(東前頭6枚目)・1957年11月場所の玉乃海太三郎(東前頭14枚目)の2名。
- 新入幕での全勝優勝は2020年1月場所現在まで実例がない。
- ただし、1914年5月場所に新入幕で優勝した両國の「1休」は相手力士の休場に伴って自身も休場扱いになったものであり、不戦勝が制度化された現在であれば「10戦全勝」であり、実質的に新入幕で全勝優勝した唯一の実例といえる。また、関取の1場所15日制定着以降に限れば2020年1月場所現在まで完全に実例が無い。
通算前頭在位
(2020年1月場所現在)
順位 | 前頭在位 | 四股名 |
---|---|---|
1位 | 87場所 | 旭天鵬勝 |
2位 | 83場所 | 豪風旭 |
3位 | 82場所 | 安美錦竜児 |
4位 | 81場所 | 琴ノ若晴將 |
5位 | 80場所 | 寺尾常史 |
6位 | 73場所 | 栃乃洋泰一 |
7位 | 71場所 | 嘉風雅継 |
8位 | 70場所 | 高見山大五郎 |
9位 | 69場所 | 隆三杉太一 |
10位 | 68場所 | 水戸泉政人 |
脚注
注釈
- ^ 略称などで「前頭1」「前1」といった表記は多く用いられている。
出典
- ^ 相撲のジンクス 平幕優勝力士に大関なし、ほか エキサイトニュース 2016年11月23日 07時00分 (2016年11月23日 07時33分 更新)[リンク切れ]
関連項目