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「広島市」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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輝元の祖父・[[毛利元就]]の時代には、完全に臣従したもの([[吉川元春]]、[[天野元貞]]、[[出羽元祐]]など)には、「元」を一字書出として与えたが、そうでない国人衆([[平賀広相]]、[[阿曽沼広秀]]など)には、明白に傘下に組み入れられたと示す「元」の字を避け、「広」の字を与え始めたとされる。この慣習は「広島」の命名者である毛利輝元にも引き継がれ(輝元が「広」を一字書出として与えた者には、[[吉川広家]]、[[山内広通]]、[[益田広兼]]などがいる)、輝元が命名に関与する場合、「広」はこのような重要な意味合いをもった。-->
輝元の祖父・[[毛利元就]]の時代には、完全に臣従したもの([[吉川元春]]、[[天野元貞]]、[[出羽元祐]]など)には、「元」を一字書出として与えたが、そうでない国人衆([[平賀広相]]、[[阿曽沼広秀]]など)には、明白に傘下に組み入れられたと示す「元」の字を避け、「広」の字を与え始めたとされる。この慣習は「広島」の命名者である毛利輝元にも引き継がれ(輝元が「広」を一字書出として与えた者には、[[吉川広家]]、[[山内広通]]、[[益田広兼]]などがいる)、輝元が命名に関与する場合、「広」はこのような重要な意味合いをもった。-->

===「広島へ行く」===
西日本の[[方言]]で、「広島へ行く」「ヒロシマにゆく」という表現が、「[[死|死ぬ]]」を婉曲に表す[[忌み言葉]]として使われることがある。この「広島」が本来広島城下を指したかどうかは不明だが、実際には広島市を念頭に置いて使用されている。1741年([[寛保]]元年)の『夏山雑談』に記述があり、起源は[[近世]]以前までさかのぼる。

[[柳田國男]]は『廣島へ煙草買ひに』という著作の中で、「ヒロシマ」は「[[会津]][[檜枝岐村|檜枝岐]]などの狩詞で人里のことであった」、「ヒロシマへユク」は「[[壱岐島|壱岐]]では死ぬの[[隠語]]に代用して居ることが最近刊行せられた山口君の続方言集<ref>[[山口麻太郎]]「続壱岐島方言集」春陽堂、1927</ref> に見えて居る、ヒロシマといふ語にもし斯ういふ感覚が伴なふことを知って居たら、藝州の殿様も是を御城下の名にはしなかったかも知れない。」と記し、さらに「[[タバコ]]」を「[[近畿地方|関西地方]]は殆ど一般に、休息の同義語に用いられている」とし、「廣島へ煙草買ひに行く」というのは、[[伊予国|伊予]]の内海側では「死ぬ」という代わりに時々使われる気のきいた忌み言葉になっている、と説明している。

[[南海日日新聞_(八幡浜市)|南海日日新聞]]の2000年12月16日付記事「ヒロシマへ行くこと<ref>[http://blog.goo.ne.jp/uchikonotemae/e/29a03bc7e9a7be7097cbb84fbf04256f 愛媛の伝承文化〜単なる備忘録〜「ヒロシマへ行くこと」採録]</ref>」では、[[愛媛県]][[八幡浜市]]周辺で現在も使われ、『八幡浜市誌』に採録されているといい、起源については死の穢れを極端に避けた[[厳島]](安芸の宮島)の風習に由来する可能性を指摘している(島全体が神聖とされた厳島では、死者が出ると島外で葬儀・埋葬を行い=「ヒロシマに行き」、遺族は服喪期間が明けるまで島に戻れなかった)。


===広島市の地名===
===広島市の地名===

2018年12月27日 (木) 10:53時点における版

ひろしまし ウィキデータを編集
広島市
広島市旗 広島市章
広島市旗 広島市章
日本の旗 日本
地方 中国地方山陽地方
都道府県 広島県
市町村コード 34100-2
法人番号 9000020341002 ウィキデータを編集
面積 906.69km2
総人口 1,179,915[編集]
推計人口、2024年10月1日)
人口密度 1,301人/km2
隣接自治体 呉市東広島市安芸高田市廿日市市
安芸郡熊野町海田町府中町坂町
山県郡北広島町安芸太田町
(海を隔てて)江田島市
市の木 クスノキ
市の花 キョウチクトウ
市の歌 広島市歌(1965年制定)
広島市役所
市長 松井一實
所在地 730-8586
広島県広島市中区国泰寺町一丁目6番34号
北緯34度23分6.9秒 東経132度27分19.1秒 / 北緯34.385250度 東経132.455306度 / 34.385250; 132.455306座標: 北緯34度23分6.9秒 東経132度27分19.1秒 / 北緯34.385250度 東経132.455306度 / 34.385250; 132.455306
広島市役所
外部リンク 広島市

広島市位置図

― 政令指定都市 / ― 市 / ― 町

広島市行政区画図

特記事項 市章は1896年5月19日制定
ウィキプロジェクト
おりづるタワー原爆ドーム
広島城から見た広島駅周辺の高層ビル
広島市都心部袋町停留場鯉城通り
広島市都心部遠景

広島市(ひろしまし)は、日本広島県都市政令指定都市であり、同県の県庁所在地中国地方の中南部、広島県西部(安芸国)に位置し、中国・四国地方で最大の人口を有するでもある。

概要

中心部から南
中心部から北

世界史上初めて核兵器原子爆弾)で爆撃された都市として、世界的に知名度が高い。それ故に、「国際平和文化都市」としても一定の影響力を持っており、広島市長の発案で創設された「平和市長会議」には150を超える国から4600以上の自治体が加盟している[1]第二次世界大戦以前には「軍事都市」であった歴史とは対照的である。

古代中世には現在の広島市街地がある太田川デルタは形成されておらず、安芸国の中心としては国府が現在の安芸郡府中町または東広島市西条にあったと推定され[2]、太田川中下流域の祇園[3]・戸坂[4]から可部[5]にかけて荘園、郷が広がっていた。16世紀末、戦国武将の毛利輝元が太田川デルタを干拓して築城を開始したのをきっかけに地域の中枢機能が太田川デルタへ移り、都市としての広島の発展が始まった。江戸時代には、広島藩42万石の城下町として浅野氏のもとで発展した。明治時代に入ると、陸海軍の拠点が集中する軍事都市となり、特に日清戦争時には広島大本営が置かれて明治天皇が行在し、第7回帝国議会は広島市で開かれるなど、臨時の首都機能を担った[6]

第二次世界大戦末期の1945年8月6日、アメリカ軍戦略爆撃機B-29エノラ・ゲイ」によって広島市中心部の相生橋上空に原子爆弾「リトルボーイ」が投下され、きのこ雲が立ち上り、市街地は一瞬にして破壊された。投下当日中に数万人、1945年末までに推計13万人の人命が奪われ、生存者も火傷痕(ケロイド)、放射線後遺症、精神的後遺症(PTSD等)、遺伝への不安に生涯苦しむなど、市民が経験した苦痛は人類史上類を見ないものであった。

原爆投下後は一時的に人口が20パーセント減少したが、戦後重工業自動車産業を中心に復興し、現在では日本の主要な工業都市となっている。1980年4月1日には札幌市川崎市福岡市(3市とも1972年4月に指定)に続いて全国で10番目となる政令指定都市に指定された。1985年3月に人口が100万人を突破し、現在では全国の市で10番目の人口を抱える(→日本の市の人口順位)。

地理的には山陽地方のほぼ中南部に位置しており、太平洋ベルトを構成する広島都市圏の核となっている。京阪神福岡都市圏のほぼ中間に位置しているため、中国地方あるいは中国・四国地方を統括する政府機関や、全国規模で展開している企業の地方拠点も多く置かれている(支店経済都市)。また、瀬戸内工業地域を構成する西日本有数の工業都市でもあり、沿岸部は工業地帯となっている。また、沿岸漁業も盛んである。

近年では西風新都などの郊外のニュータウンでの人口増加も引き続き見られる一方で、平和大通りに新たに高層ビル群が生まれるなど都心回帰の傾向も見られる。

中区以外においても、広島駅周辺を始め、宇品緑井段原などの開発・再開発が進み、既存の商工センターや西風新都と併せて、都市拠点機能が活性化している。交通インフラ面では都市高速道路である広島高速道路の整備のほか、広島電鉄による市内線路面電車LRT整備や、1994年の広島アジア大会の開催に合わせて開通した広島高速交通アストラムライン」の延伸、およびJR山陽本線とのアクセス改良計画が進むなど多方面から都市機能の充実が進められている。

同市は別名、「3Bの街」とも言われている[7]。これは、

バス(bus
市内にはバス路線が多い。
支店(branch
東京、大阪等に本社を持つ企業の支店が多い(支店経済都市)。
橋(bridge
市街地がデルタ地帯にあるため、長さ2メートル以上の橋が約2,600もある。

ということに由来する。またこれに加えて、

銀行(bank
全国の地方銀行都市銀行が支店を置いていることが多い。
バー(bar
市内にある流川は中四国最大の歓楽街であり、同地区にはバーやスナック、キャバレーなどが多くある。

などを含めて、「4Bの街」「5Bの街」と言われる場合もある[要出典]

地理

南は瀬戸内海に面し、広島湾となっている。市の中心部を流れる太田川の河口に開けた三角州上に市街地が形成されている。太田川デルタを中心に広島平野が形成されているが、それを取り囲むように市の西部・北部・東部は丘陵地帯となっている。

市域の80%は丘陵部であり、平地部は太田川デルタの海抜ゼロメートル地帯と北の祇園大橋(海抜5m)から可部(海抜22m)にかけての河谷平野部がほぼ平地部であるが[8]、その周辺の山腹は宅地化が進んでおり安佐南区の伴南は標高約220m、山本新町は約197m、西区の己斐大迫は173m、古田台196mなどで造成地は山の中腹あたりまで広がっている[9]。もちろんデルタ地帯からの連続では無い地域では佐伯区湯来町の杉並台ように標高400m 近いところもある。広島市の最高地点は佐伯区湯来町と廿日市市玖島にまたがる大峯山(おおみねやま)で標高1040mである[10]

以上の広島市の造成地などを含めた可住地面積率は3割ほどで市域の7割は山林である[11]

気候

広島市
雨温図説明
123456789101112
 
 
45
 
10
2
 
 
67
 
11
2
 
 
124
 
14
5
 
 
142
 
20
10
 
 
178
 
24
15
 
 
247
 
27
19
 
 
259
 
31
24
 
 
111
 
33
25
 
 
170
 
29
21
 
 
88
 
23
14
 
 
68
 
17
9
 
 
41
 
12
4
気温(°C
総降水量(mm)
出典:気象庁
インペリアル換算
123456789101112
 
 
1.8
 
49
35
 
 
2.6
 
51
36
 
 
4.9
 
57
41
 
 
5.6
 
67
50
 
 
7
 
75
58
 
 
9.7
 
81
67
 
 
10
 
87
75
 
 
4.4
 
91
77
 
 
6.7
 
84
69
 
 
3.5
 
74
58
 
 
2.7
 
63
47
 
 
1.6
 
54
39
気温(°F
総降水量(in)

沿岸部から中山間地域までを市域にもつため気候は複雑である。市域北部(安佐北区、安佐南区、佐伯区北部)は日本海側気候瀬戸内海式気候の境界に当たるが、市域南部は瀬戸内海式気候で晴天の日が多く温暖である。は暑く、瀬戸内海特有のも発生する。しばしば摂氏35度以上の猛暑日を記録する。には空気が乾燥して晴天になる日が多いが、冬型の気圧配置が強まると北西の季節風の影響で雪が降ることもある。山間部の気温緯度の割に低く、冬にはよく氷点下まで下がる。降雪日数は瀬戸内海沿岸都市の中では多いが、積雪は市北部を除けばそれ程多くはならない。しかし、稀に雪雲が絶えず日本海より供給され続け市内中心部でも10から15センチ程度の大雪に見舞われることもある。路面凍結も起こり、国道488号のように冬期は閉鎖される道路もある。冬からにかけては、中国大陸由来の黄砂が飛来して視界が霞んだり、うっすら積もることもある。広島気象台は1987年12月22日に中区の江波山公園から繁華街の中区上八丁堀に移転したため、気温などがデータ上大幅に上昇した。旧広島気象台は広島市江波山気象館として保存されている。

広島市の年降雨量は1349mm[12] で全国平均(1596mm)より少ないが、瀬戸内でも顕著な少雨地域である岡山市(921mm)や高松市(872mm)よりは多い。年間降水日数は90日で、全国5番目に降水日の少ない県庁所在地である[13]

広島地方気象台(中区、平年値:1981-2010)の気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
最高気温記録 °C°F 18.8
(65.8)
21.5
(70.7)
23.7
(74.7)
29.0
(84.2)
31.5
(88.7)
34.4
(93.9)
38.7
(101.7)
37.9
(100.2)
36.9
(98.4)
31.2
(88.2)
26.3
(79.3)
22.3
(72.1)
38.7
(101.7)
平均最高気温 °C°F 9.7
(49.5)
10.6
(51.1)
14.0
(57.2)
19.7
(67.5)
24.1
(75.4)
27.2
(81)
30.8
(87.4)
32.5
(90.5)
29.0
(84.2)
23.4
(74.1)
17.4
(63.3)
12.3
(54.1)
20.9
(69.6)
日平均気温 °C°F 5.2
(41.4)
6.0
(42.8)
9.1
(48.4)
14.7
(58.5)
19.3
(66.7)
23.0
(73.4)
27.1
(80.8)
28.2
(82.8)
24.4
(75.9)
18.3
(64.9)
12.5
(54.5)
7.5
(45.5)
16.3
(61.3)
平均最低気温 °C°F 1.7
(35.1)
2.1
(35.8)
4.8
(40.6)
9.9
(49.8)
14.7
(58.5)
19.4
(66.9)
23.8
(74.8)
24.8
(76.6)
20.8
(69.4)
14.2
(57.6)
8.5
(47.3)
3.7
(38.7)
12.4
(54.3)
最低気温記録 °C°F −8.5
(16.7)
−8.3
(17.1)
−7.2
(19)
−1.4
(29.5)
1.8
(35.2)
6.6
(43.9)
14.1
(57.4)
13.7
(56.7)
8.6
(47.5)
1.5
(34.7)
−2.6
(27.3)
−8.6
(16.5)
−8.6
(16.5)
降水量 mm (inch) 44.6
(1.756)
66.6
(2.622)
123.9
(4.878)
141.7
(5.579)
177.6
(6.992)
247.0
(9.724)
258.6
(10.181)
110.8
(4.362)
169.5
(6.673)
87.9
(3.461)
68.2
(2.685)
41.2
(1.622)
1,537.6
(60.535)
降雪量 cm (inch) 5
(2)
4
(1.6)
1
(0.4)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
3
(1.2)
12
(4.7)
平均月間日照時間 137.2 139.7 169.0 190.1 206.2 161.4 179.5 211.2 165.3 181.8 151.6 149.4 2,042.3
出典1:気象庁[14]
出典2:気象庁[15]
広島(広島地方気象台・江波山公園)・1961 - 1990年平均の気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
平均最高気温 °C°F 8.3
(46.9)
9.1
(48.4)
12.6
(54.7)
18.2
(64.8)
22.5
(72.5)
25.3
(77.5)
29.3
(84.7)
30.9
(87.6)
27.1
(80.8)
22.0
(71.6)
16.4
(61.5)
11.2
(52.2)
19.4
(66.9)
日平均気温 °C°F 4.0
(39.2)
4.5
(40.1)
7.7
(45.9)
13.4
(56.1)
17.8
(64)
21.4
(70.5)
25.7
(78.3)
26.9
(80.4)
22.8
(73)
17.0
(62.6)
11.4
(52.5)
6.5
(43.7)
15.0
(59)
平均最低気温 °C°F 0.4
(32.7)
0.7
(33.3)
3.3
(37.9)
8.9
(48)
13.4
(56.1)
18.0
(64.4)
22.7
(72.9)
23.6
(74.5)
19.2
(66.6)
12.7
(54.9)
7.2
(45)
2.5
(36.5)
11.1
(52)
出典:理科年表
三入(安佐北区)の気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
最高気温記録 °C°F 16.6
(61.9)
20.4
(68.7)
23.0
(73.4)
29.8
(85.6)
33.7
(92.7)
35.0
(95)
38.9
(102)
37.8
(100)
36.9
(98.4)
30.2
(86.4)
24.9
(76.8)
19.9
(67.8)
38.9
(102)
平均最高気温 °C°F 8.4
(47.1)
9.6
(49.3)
13.5
(56.3)
19.8
(67.6)
24.5
(76.1)
27.6
(81.7)
31.0
(87.8)
32.7
(90.9)
28.4
(83.1)
22.7
(72.9)
16.6
(61.9)
11.1
(52)
20.49
(68.89)
平均最低気温 °C°F −0.4
(31.3)
0.0
(32)
2.5
(36.5)
7.4
(45.3)
12.4
(54.3)
17.6
(63.7)
22.1
(71.8)
22.7
(72.9)
18.6
(65.5)
11.8
(53.2)
6.1
(43)
1.5
(34.7)
10.19
(50.35)
最低気温記録 °C°F −8.1
(17.4)
−8.6
(16.5)
−5.0
(23)
−1.2
(29.8)
3.2
(37.8)
8.8
(47.8)
14.8
(58.6)
15.3
(59.5)
8.0
(46.4)
1.7
(35.1)
−2.7
(27.1)
−6.0
(21.2)
−8.6
(16.5)
降水量 mm (inch) 60.3
(2.374)
75.2
(2.961)
127.8
(5.031)
138.9
(5.469)
182.9
(7.201)
256.7
(10.106)
291.4
(11.472)
143.1
(5.634)
196.0
(7.717)
92.9
(3.657)
74.9
(2.949)
56.7
(2.232)
1,696.8
(66.803)
平均降水日数 (≥1.0 mm) 9.9 10.0 11.1 10.0 10.0 11.6 11.9 8.5 10.2 7.1 7.6 9.0 116.9
平均月間日照時間 96.9 110.0 146.2 174.9 183.7 138.0 149.4 180.7 147.0 161.3 131.3 109.2 1,728.6
出典:気象庁

水害

市域では豪雨・台風に伴う太田川の氾濫・洪水が歴史上何度も起きている。台風被害は1943年9月、1945年9月(枕崎台風)、1950年9月など9月・10月に集中している。特に原爆投下1ヶ月後に襲った枕崎台風では原爆で建造物がダメージを受けていたところに太田川の堤防決壊が加わり、数百人の死者・行方不明者を出す惨事となった。1960年代以降、太田川放水路開通や高瀬堰大芝水門設置などの治水対策により下流デルタにおける決壊・洪水は起きていない。一方でデルタ地帯では近年でも高潮による浸水被害が起きている[16]

1991年9月の台風19号(りんご台風)では、広島市で最大瞬間風速58.9メートルなど猛烈な風による高潮被害・塩害が広がり、長時間停電したり、街路樹や柑橘類などの果樹が枯死したりする被害が起きた。中国電力はこれをうけて管内の電柱に塩害対策を施したが、2004年9月6日の台風18号接近では市内で最大瞬間風速60.2メートル(広島地方気象台観測史上1位)の暴風が吹いて再び大きな被害を出し、対策不足が指摘された。

1999年6月末の集中豪雨(6.29豪雨災害)では広島市と呉市に被害が集中し、市内では佐伯区と安佐北区を中心に死者19名・家屋全半壊100棟を超す被害があったため、災害救助法および被災者生活再建支援法の適用を受けている。

2014年8月20日未明には市北部で3時間雨量が204mm(安佐北区三入)などの猛烈な雨が降り、安佐北区可部・安佐南区八木・同山本・同緑井などで同時多発的に大規模な土石流が発生し、死者74名、重軽傷者44名、家屋の全半壊255棟などの甚大な被害が生じた(→平成26年8月豪雨による広島市の土砂災害)。

2018年7月の西日本豪雨では、安芸区矢野東で土砂崩れにより約20棟の住宅が倒壊。安佐北区では土砂崩れにより3人が死亡したほか、東区でも土砂災害が発生した。23人が死亡、2人が行方不明、全壊129棟、半壊233棟[17]となった。

土砂災害危険箇所

広島市は土砂災害危険箇所を合計6040か所指定している。内訳は安佐北区2085か所、佐伯区1019か所、安佐南区985か所、安芸区843か所などとなっている[18]高度経済成長期の人口増に伴い宅地開発が進んだが[19]、造成対象地域は多くが平野部周縁の傾斜地・谷あいであったため、土砂災害の危険が指摘された。特に1999年の6.29豪雨災害の後に調査・研究が進み、指定数が増えた。

地震

市域の多くを占める太田川デルタは中国山地から流出した真砂土による沖積平野のため地盤は軟弱で[20]、地震ハザードステーションの地震動予測地図では市北部の低地部(長束〜可部)では「30年以内に震度6弱以上の地震」が起きる確率は26%以上としている[21]。沿岸部の確率はこれより小さい。

太田川デルタでは江戸時代以降に6回の大地震に遭遇している[22]。2001年3月24日には安芸灘を震源とする芸予地震マグニチュード6.4)が発生し、広島市でも震度5強(西区、安佐南区)を観測した。市内では死者は出なかったが、多数の負傷者が出たほか宅地造成区域の法面が崩れたり(安佐南区相田町)、道路法面が沈下・亀裂を起こしたりした(西区己斐上)。また草津港(広島港草津地区)では岸壁が崩れる被害があった[23]

地名

市名の由来

広島という名称は、戦国時代末期の1589年、この地を支配した戦国大名の毛利輝元が築城に際して命名した。第二次世界大戦後に新字・現代かなづかいになる以前は「廣島(廣嶋)」と表記した。

輝元の時代、この地は太田川河口デルタの形成途上にあり、箱島(今の白島地区)や日地島(比治山)などの中洲が点在する五箇庄(ごかのしょう)と呼ばれていた。これらの中で最も広い島(実際には2番目)に築城したことから「広島」と命名したとされるが、輝元には別の意図もあった。広島築城事業は、当時120万石の「西国の雄」毛利家が、本拠地をそれまでの吉田郡山城から移して新たに築こうという大事業であり、城の名称には家運長久の願いが込められた。毛利氏は代々、大江広元の末裔であることを誇りとしており、「元」のほか「広」もに使用する字の一つとしていたことや「広大」「末広」の良縁起から「広」の字を冠することとし、「島」については城普請案内を務めた普請奉行の福島元長の名字からとって命名した。

広島市の地名

旧広島市には海や干拓に関連した地名、太田川下流域には古代からの水運に由来する地名がある。

  • 島 - 江波(江波島)、白島(はくしま・箱島)、仁保仁保島)、比治山(日地島)、吉島(古くは葭島と書き、葭の茂っている中州の意味とされる)
  • 川 - 打越(洪水の冠水を堤防を壊して排水する「内越」から)、流川町(縮景園の排水路として開かれた流川に由来)、薬研堀(通りに沿う水道の名に由来)、川内(太田川と古川に挟まれた中州に由来)、天神川(尾長天満宮から流れる天神川に由来)、横川(太田川がここから西に分流)、広瀬(天満川がカーブする内側に広い瀬が広がっていたことに由来)、可部(河戸、河の口。太田川の合流点であったことに由来)
  • - 草津(神武天皇の「軍津」=いくさつ)、古江(「古ヘ天子ノ御船着シ古キ入江之故事」に由来)、向洋(向い灘)
  • - 加古町(藩船の水主「かこ」が由来)、舟入(船舶の停泊した入り江)、船越(沖合いを行きかう船に由来)、帆立(祇園)
  • 漁業 - 江波(漁場の餌場)、小網町(網を打つ漁民が多く居住し、網打小路と呼ばれたため)、蟹屋町(蟹売りが歩いていた町)
  • 商業 - 紙屋町(伊予国から広島に移り住んだ紙商、伊予屋九郎左衛門に由来)、十日市町(安芸高田市吉田の十日市場を移したといわれる)
  • 神社寺院 - 胡町(1603年建立の胡子神社に由来)、住吉町(航海の神、住吉神社)、国泰寺町安国寺恵瓊が開基した新安国寺が国泰寺と改称された)、寺町(寺院が多く集まっていることに由来)、袋町(大黒天の袋をとって「袋町」と命名)
  • 藩政関連 - 基町(毛利氏時代以来の広島開基地という意による)、幟町(藩主の旗印をまかされていた御旗の士が居住していたことによる)、八丁堀(広島城の外堀の1辺の長さが約八丁(約880メートル)であったことに由来)、大手町(広島城の大手門に由来)、京橋町(西国街道京橋
  • その他 - 堀越(平清盛が向洋半島に娘を埋葬した際、遺体を荒らされないため半島を島にするために堀を掘ったことによる)

人口

広島市(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年) 798,540人
1975年(昭和50年) 923,588人
1980年(昭和55年) 992,736人
1985年(昭和60年) 1,051,748人
1990年(平成2年) 1,093,707人
1995年(平成7年) 1,117,117人
2000年(平成12年) 1,134,134人
2005年(平成17年) 1,154,391人
2010年(平成22年) 1,173,843人
2015年(平成27年) 1,194,304人
2020年(令和2年) 1,200,754人
総務省統計局 国勢調査より

1889年に日本最初の市(31市)の一つになって以来、一貫して中国・四国地方の市で最大の人口を有する。市制施行当時の人口は88,820人で、国内9番目の人口を有していた(現在は国内11番目)。

城下町広島の人口は、江戸時代中期の正徳5年(1715年)には7万人ほどであったと推定されている。明治維新後の1869年には8万8607人であったが、1871年の廃藩置県の際には藩士や奉公人などの転出により7万2715人に減少した。1889年の市制施行時には8万3387人に回復し、日清戦争以降に人口が本格的に増加した。1920年の第1回国勢調査では約16万人となった。1929年に周辺7町村を編入するなど戦前を通して人口は増加し、1942年には戦前最高の約42万人となったが、第二次世界大戦の激化により減少し、1945年の原爆投下で壊滅的な被害をうけた(1945年11月時点の人口は13万7197人)。その後疎開者・避難者や出征者の帰還等に伴い1950年 には約29万人まで回復し、1965年頃には50万人に達した。その後は安芸郡、安佐郡、佐伯郡など周辺町村との合併に伴い市域が10倍近くに拡張し1985年に人口が100万人を突破した[24]

広島県内で2013年の人口が2000年比で増加した地域は広島市(4.4%)、安芸郡坂町(7.2%)、東広島市(9.3%)、福山市(1.2%)の4地域のみであった。

広島市の外国人居住者数は1万2976人で、減少傾向にある[25]

現広島市域の人口の推移[26]
調査年次 人口(人) 世帯数(戸) 世帯規模 備考
総数 増減 [27] 総数 増減 [27] 人/戸
大正9年 1920 305,773 67,420 4.54
昭和5年 1930 382,697 76,924 25.2% 83,728 16,308 24.2% 4.57
15年 1940 463,670 80,973 21.2% 100,489 16,761 20.0% 4.61
(22年) 1947 387,477 -76,193 -16.4% 93,504 -6,985 -7.0% 4.14 増減は1940年比である
25年 1950 447,174 -16,496 -3.6% 105,742 5,253 5.2% 4.23 増減は1940年比である
35年 1960 590,972 143,798 32.2% 155,939 50,197 47.5% 3.79
45年 1970 798,540 207,568 35.1% 247,941 92,002 59.0% 3.22
55年 1980 992,736 194,196 24.3% 346,718 98,777 39.8% 2.86
平成2年 1990 1,093,707 100,971 10.2% 407,899 61,181 17.6% 2.68
12年 2000 1,134,134 40,427 3.7% 463,135 55,236 13.5% 2.45
22年 2010 1,174,209 40,075 3.5% 512,946 49,811 10.8% 2.29
2020

近年の状況

自然増(出生-死亡)は1994年には5852人であったが、減少し続けており2012年には1930人となった。社会増(転入-転出)は2003年まではマイナスであったが2004年からプラスに転じ、1千人台の増加がある[28][29]

広島市域の大半を占める山間部や山間部・島嶼部の隣接自治体では人口減および少子化・高齢化が急速に進んでいる。太田川下流デルタ(中区・南区・西区・東区など)と下流部(安佐南区他)では、60歳以上の人口比率は23%、20歳未満は20%であったが、安芸太田町では60歳以上の人口比率は50%、20歳未満は13%であった(平成17年国勢調査)[16]

区ごとの人口の推移

広島市の人口は微増しているが、中区は1960年代、南区は70年代に減少に転じている。人口増加の大きい地区は安佐南区で合併後の1975年から2010年にかけて人口は10万人増加し178%となった。同じ期間に中区は約1万8千人減少し88%、南区は約3万人減少し82%となった[30]。中区と南区では20世紀後半に継続的な人口流出があったが、21世紀に入り増加に転じている(都心回帰)。

地域別人口推移 (現市域、単位:人)
行政区 昭和40年 昭和45年 昭和55年 平成2年 平成12年 平成22年
1965年 1970年 1980年 1990年 2000年 2010年
全市 696,845 798,540 992,736 1,093,707 1,134,134 1,173,843
中区 167,682 155,914 138,486 134,651 124,719 130,482
東区 61,527 88,580 117,286 122,715 123,258 120,751
南区 164,177 171,615 151,534 143,938 135,467 138,190
西区 119,067 139,293 155,424 178,486 179,519 186,985
安佐南 56,060 83,779 157,728 175,211 204,636 233,733
安佐北 49,016 55,978 113,238 144,446 156,387 149,633
安芸区 39,837 51,128 65,775 70,039 75,435 78,789
佐伯区 39,479 52,253 93,265 124,221 134,713 135,280

人口と社会環境

太田川の河口デルタにある西区、中区、南区の地域(旧広島市域にほぼ相当)の面積は現市域の9%を占め、市の人口の39%が居住している。第2次・第3次産業の経済活動はこの3区に集中しており、製造品出荷額の70%、商品販売額の82%をこの地域が占める。農業など第1次産業就業者は88%がこの3区以外の市民で、安佐北区(2479人)、安佐南区(1876人)、佐伯区(991人)に多い。

都市機能も旧市街に集中しており、昼間人口は中区で平方kmあたり5万人以上、西区と南区で1万人以上となっている。同5千人以上の地域は、東が海田町、西が廿日市、北が安佐南区大町まで連なっている。広島都市圏の機能の分散が進展し、中心部への昼間人口流入は減少する一方で佐伯区、廿日市市、広島IC周辺、広島大学が立地する東広島市などで増加傾向にある。この状況に対し交通インフラ、特に道路整備が遅れており、広島市の人口百万人あたりの自動車専用道の長さは11kmと、札幌市(21 km)・仙台市(27 km)・福岡市(30 km)と比較して短い[31]

広島市の各種統計(2012年)[32]
広島市 中区 東区 南区 西区 安佐南 安佐北 安芸区 佐伯区
総面積[33] 905.4 15.3 39.4 26.1 35.7 117.2 353.4 94.0 224.4
可住地[33] 283.5 15.3 17.9 22.9 29.2 43.8 84.2 26.0 44.4
可住地比率 31% 100% 45% 88% 82% 37% 24% 28% 20%
人口(万人)
総人口 117.4 13.0 12.1 13.8 18.7 23.4 15.0 7.9 13.5
15歳未満 16.8 1.3 1.8 1.8 2.7 4.1 2.0 1.2 2.0
(比率) 14% 10% 15% 13% 14% 18% 14% 15% 14%
65歳以上 23.1 2.7 2.5 2.8 3.4 3.9 3.6 1.6 2.7
(比率) 20% 20% 21% 20% 18% 17% 24% 20% 20%
昼間人口 117.4 24.4 10.2 15.6 18.8 18.5 12.8 6.4 10.7
人口/可住地
人/km2
4,141 8,534 6,753 6,040 6,415 5,342 1,777 3,034 3,049
社会基盤
1住宅当たり
延べ面積 m2
79.5 56.94 83.81 69.84 70.24 83.67 103.64 90.25 93.29
医師数 3156 919 184 1016 274 232 234 101 196
1千人あたり 2.69 7.04 1.52 7.35 1.47 0.99 1.56 1.28 1.45
歯科医師数 1177 239 67 377 137 152 81 36 88
小学校数 147 16 13 19 18 26 27 9 19
中学校数 80 7 7 12 13 15 11 5 10
高校数 45 8 5 6 9 6 6 1 4
経済基盤 - 人口・就業者(人)、額(億円)
労働力人口 593,489 67,072 60,946 72,511 95,067 110,880 79,117 39,954 67,942
第1次就業者 7,186 207 313 261 408 1,876 2,479 651 991
第2次 124,063 9,324 11,796 14,732 17,516 23,797 21,561 10,960 14,377
第3次 420,128 51,953 44,510 52,039 70,413 77,763 49,586 25,783 48,081
耕地面積[33] 30
事業所数 58,049 17,097 3,982 8,092 9,232 7,533 5,070 2,167 4,876
製造品出荷額 18,683 690 120 9,489 2,974 1,251 1,893 1,804 462
商品販売額 76,967 33,467 1,668 13,051 16,313 4,591 1,840 1,813 2,223
広島市 中区 東区 南区 西区 安佐南 安佐北 安芸区 佐伯区

人口集積率

広島県の市町村数(参考)
年月 政令市
(政令市除く)
町村 備考
1960年10月 0 12 98 110 昭和の大合併
1980年10月 1 11 75 87 1980年4月、広島市が政令市に指定
2000年10月 1 12 73 86 平成の大合併
2015年10月 1 13 9 23

広島県の人口は1998年の288万5617人をピークに減少しているが[34]、広島市の人口は増加が続いている。2009年時点では、2015年以降人口減少に転ずると予想されていた[35]。そのため、広島市の広島県における人口比(人口集積率)は上昇傾向にある。

当時の市域をもとにした過去および現在の広島市の人口、広島県に占める人口集積率は次の通り[36]。なお、1960年から1980年の間には沼田町安佐町・可部町・祇園町安古市町佐東町高陽町瀬野川町白木町熊野跡村安芸町矢野町船越町を、1985年には五日市町を、2005年には湯来町を合併している[37]

歴史

古代から中世

古代には太田川デルタは未だ形成されておらず、可部付近まで海が入り込んでいたと考えられている[38]。太田川下流域の長束から可部にかけて古墳群が存在することから、下流域にはある程度の規模の集落が形成されていたと思われる。7-8世紀の律令の時代には古安芸郡(現在の広島県の西半分)には11ヶ郷があり可部近辺が漢弁郷と呼ばれ、太田川、根之谷川三篠川の合流地点であり出雲往還および石見往還の分岐点として栄えていた[39]

平安時代には可部、中野、四日市、水落、大毛寺、今井田柳瀬、勝木などの地域が可部荘で、南原川と根之谷川の間が三入荘、三篠川の中流域に三田郷、戸坂あたりが田門荘があり、祇園近辺に佐東倉敷が置かれていた。太田川下流部の流路は江戸時代初期に福島正則が流路を東に移すまでは古河(佐東川)が本流であり、下流部では 左岸(東側)は現在よりかなり広かった。当時はまだ太田川デルタが形成されておらず、海田に開田荘があり、国府は現在の安芸郡府中町または東広島市西条に置かれたと推定される[40]。 この時期には平安海進(8世紀から12世紀)があり、可部付近の河川水位と海水位の差は現在より小さかった。

平安時代後半(1100年頃)には、湾頭は長束付近[41]牛田村、長束、三篠が河口を囲んでおり、山陽道戸坂村で太田川を渡河していた。1371年(応安4年)に当地を通った今川了俊は紀行文『道ゆきぶり』の中で「かひた」から「佐西の浦」(現廿日市市あたり)にかけては「しほひ (潮干)の浜」であったと記述している[42]

室町時代中期(1400年頃)にデルタが形成され始め、戦国時代(1500年頃)には現在の平和大通りあたり(長束から約4km)までに広がっ た。この急速な土砂堆積は当時太田川中流域で盛んであったたたら製鉄の為の砂鉄採取で行なわれた鉄穴(かんな) 流し[43] の影響が考えられている。室町時代に武田山 に佐東銀山城を築いた安芸武田氏の基盤は未開発の太田川デルタ以北の長束より上流であり、下流域の当時の中洲(川内・中筋・東野・東原一帯)に本拠を持つ土豪である川内衆(かわのうちしゅう)と府中を本拠とした安芸白井氏の水軍を擁していた。これら両水軍は武田氏滅亡後は毛利氏に仕えた[44]。川内衆は毛利氏の指示によりデルタの干拓に携わった[42]

安土桃山時代から江戸時代まで

謀神と称される戦国時代最高の知将の一人、毛利元就
正保年間に書かれた『安芸国広島城所絵図』。

安土桃山時代の開府以降、山陽道沿線の行政の中心地として、広島市は発展した。

毛利氏による 広島城築城開始後は福島氏や淺野氏によりデルタの開発は継続された。広島デルタの開発は1589年毛利輝元が開始し、1601年福島正則が入城したが、城内の建物やその周辺の補修や普請は継続し福島氏改易の原因となる1617年の普請まで城下の整備が継続された。1619年に 浅野氏の入城後はほぼ洪水や火災などの補修に留まっているので、少なくとも1619年には城内の工事は完了していたと思われる[45]。毛利氏により10年、福島氏により約20年が城およびデルタ開発に費やされ、干拓事業などにより広島市道霞庚午線(長束から約6km)のあたりまでデルタが拡大した。デルタ形成に寄与した「鉄穴流し」ではあるが、治水の為に1628年寛永5年)に禁止された[46]。江戸時代には、それまで猿猴川京橋川の河口の島であった比治山黄金山一帯が埋め立てられた[47]

(特徴:地方王国たる広島藩の首府

  • 毛利元就中国地方一円の戦国大名となった時、小盆地である吉田(郡山城)は手狭であり、交通の便も悪かった。そこで、山陽道(西国街道)が通り、太田川瀬戸内海の水運を利用できる、太田川下流デルタの寒村・五箇庄に注目した。元就の死後、毛利輝元によってその着想を現実化し、広島の開発が始まった。
  • 1589年(天正17年):毛利輝元が、五箇庄の箱島(現在の白島)を中心とした干拓と、広島城の築城とを命じる。
  • 1591年(天正19年):毛利輝元が、未完成ながらも広島城に入府し、地名を「広島」と命名する。
  • 1599年(慶長4年):広島城の完成
  • 1600年(慶長5年):関ヶ原の戦いで敗北し、長門国・移封された毛利氏の替わりに福島正則が城主となる。
  • 山陽道が、福島正則によって城下町を通るように南寄りに付け替えられる。また、同時期に出雲街道石見街道も整備される。干拓により新開地も増え続け、江波や草津が港として整備される。
  • 1619年(元和5年):広島城石垣の無届け改修を理由として福島正則が改易となり、浅野長晟が城主となる。以降、浅野氏の広島藩が明治維新まで続く。

江戸時代を通して広島の人口は拡大し続け、幕末には武家・町人併せて7万人あまりの規模に達していたと言われる。これは日本三都(江戸・大坂・京)および名古屋金沢に次ぐ水準で、この当時から日本屈指の都市となっていた。

明治時代から第二次世界大戦勃発まで

1878年郡区町村編制法後、廣島市として想定された範囲の地図。

(特徴:中央集権国家での地方統治の拠点・軍事都市) 明治に入り軍港の整備や、産業誘致の為の埋め立てでデルタはさらに拡大していった [48]。現在の空港通り最南端は長束より約9kmの距離である。

  • 1871年
    • 8月29日:廃藩置県により、旧広島藩領は全域「廣島縣」となる。
    • 10月12日:「鎮西鎮台第一文営」が広島城に設置される。徴兵制が始まっていないので旧藩兵からなる部隊であった。
  • 1873年1月9日:「第五軍管広島鎮台」が第一文営跡に設置される。
  • 1884年9月:千田貞暁県令知事)により広島県営として宇品港の建設に着工。
  • 1888年5月14日:第五軍管広島鎮台が第五師団司令部に昇格する。
  • 1889年
    • 4月1日:開府300周年。市制施行により広島市となり、広島県の県庁所在地とされた。
    • 11月:宇品築港及び干拓工事の終了。当初の計画では氏族殖産補助金(旧藩主浅野氏)、氏族殖産金(国庫)と埋め立てによりできる新開地を担保とした。災害と計画変更により、更に二回に渡り国庫の補助を受けて私財も投じたため、千田県令は工事の完成を見ず新潟県に左遷されてしまう。漁民に抵抗を受け、県民に負担をかけ、当時の広島には不釣合いな大規模港湾であり県令の功名心による土木工事であるとの批判も受けた。しかし、日清戦争において臨時の首都となった要因は、前線に近い点だけでなく、鉄道が開通しており、近代港湾を持ち、物資の生産・集積・貯蔵に必要な十分な土地を持つという理由であり、宇品港と宇品干拓と共に、近代における広島の発展の原動力となった千田県令は、後に再評価されて勲三等旭日章を受け、男爵に叙せられ、千田廟公園(千田神社)が建てられた。
  • 1893年5月:広島電燈株式会社設立。
楊斎延一『広島県御安着之図』
  • 1894年
    • 6月10日:山陽鉄道(現山陽本線)が広島まで開通。
    • 8月4日:陸軍省の山陽鉄道への依頼により、広島駅から宇品港への宇品線の建設着工、2週間の突貫工事により同月20日完成。
    • 9月15日:日清戦争に伴い、大本営や帝国議会が臨時に広島に移る。以来、広島は軍都として発展する。(→首都機能移転
    • 10月:市初の発電所(火力、30キロワット)が大手町に建設され、市内に電灯がともる[49]
  • 1896年5月19日:市章を制定する。[50]
  • 1899年1月1日:広島市内で上水道の給水開始。
  • 1903年12月27日:海田市駅から呉軍港を結ぶ呉線、官設により開通。
  • 1905年2月:府中煙草製造所(元JT府中工場、及び同廣島分工場(元JT広島工場)が煙草製造開始。
1930年頃(昭和初頭)の廣島市地図。
1930年頃(昭和初頭)の廣島市地図。
1945年米軍作成の広島市地図。赤い斜線(濃い赤)の部分が原爆による全壊地域、赤い点(薄い赤)の部分が半壊地域である。地図の升目は1000ヤード(914.4メートル)である。一部1930年代の情報で書かれている[51]。
1945年米軍作成の広島市地図。赤い斜線(濃い赤)の部分が原爆による全壊地域、赤い点(薄い赤)の部分が半壊地域である。地図の升目は1000ヤード(914.4メートル)である。一部1930年代の情報で書かれている[51]
  • 1909年
  • 1910年10月1日:市内にガス供給開始。
  • 1911年:広島城の外堀が埋められる。
  • 1912年(明治45年/大正元年)
    • 広島市歌(初代)を制定
    • 7月8日亀山発電所(水力、2100キロワット)が送電開始[49]
    • 西堂川(西塔川)(現在の鯉城通り・一部千田通り)が埋め立てられる。これが御幸橋方面への市内電車通りとなる。
    • 11月:広島電気軌道(現広島電鉄)による市内電車の運転始まる、広島駅-紙屋町-御幸橋八丁堀-白島など4路線。
  • 1915年
    • 4月28日:芸備鉄道が東廣島(現在の東広島駅とは別)-志和地間を(現芸備線)開業。
    • 6月1日:芸備鉄道志和地-三次(現在の西三次)間が開業。
  • 1920年7月15日:芸備鉄道広島-東広島(現在の東広島駅とは別)間が開業。国鉄廣島駅へ乗り入れ。
  • 1922年8月22日:広島電気軌道宮島線(己斐-草津)が開業。
  • 1925年7月15日:宮島線廿日市-地御前間が開業。
  • 1926年7月15日:宮島線地御前-新宮島(後に廃止)間が開業。
  • 1929年:昭和産業博覧会開催。4月18日、博覧会開催を記念して中国新聞社より広島市歌(2代目)を市に寄贈。
  • 1931年2月1日:宮島線新宮島-電車宮島(現在の広電宮島口)間が開業し、宮島線全通。
  • 1932年:太田川の山手川と福島川の改修工事(太田川放水路)が帝国議会で決定。工事は第二次世界大戦で一時中断。

第二次世界大戦中

原爆投下前。
投下後。
広島市中央部
同心円の中心が爆心地。すぐ左上に目標の相生橋。画面右上の矩形は広島城

(特徴:中央集権国家での地方統治の拠点・戦時体制下の軍事都市)

  • 1944年11月18日:広島市で第一次建物疎開が実施される。原爆投下まで計6回実施される。
  • 1945年
    • 2月:造幣局廣島支局の仮工場が完成。貨幣の製造を開始。
    • 4月3日:広島市で学童疎開が始まる。
    • 6月: 廣島文理科大学内に中国地方総監府が設置される。
    • 8月6日:アメリカ軍により世界初の核攻撃。原子爆弾が市中心部に投下された。

第二次世界大戦終結から現在まで

広島に行幸した昭和天皇を歓迎する市民(1947年)

(特徴:中央集権国家での地方統治の拠点・平和記念都市としての都市整備・工業都市)

比治山から広島市内を望む。1955年頃。
1950年代後半頃より、社会福祉資産の充実
戦後復興の対象が生活や産業基盤などの基礎インフラの再建・整備から文化・体育関連へと移っていった。1958年(S33)に広島復興大博覧会開催、1960年(S35)に広島県立図書館開館、広島港1万トンバース完成、1962年(S37)広島県立体育館が開館、1965年(S40)広島女子大学開学、1968年(S43)広島県立美術館開館[52]
比治山から広島市内を望む。2007年。
2016年G7広島外相会合
2016年バラク・オバマの広島訪問
  • 2009年3月28日:広島東洋カープの新しい本拠地となるMAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島(略称『マツダスタジアム』)完成。
  • 2010年4月26日:広島高速2号線開通。広島高速3号線広島南道路吉島出入口まで開通。
  • 2012年
    • 11月15日:広島西飛行場としての供用廃止。ヘリポートとして存続し、広島ヘリポートとしての供用開始。
    • 11月24日:サンフレッチェ広島が初のJリーグ年間王者に輝く。
  • 2013年4月19日 - 5月12日:全国菓子大博覧会・ひろしま菓子博2013が広島市中央公園および広島市民球場跡地で開催。
  • 2014年
    • 3月23日:広島高速3号線(広島南道路)全線開通。
    • 8月20日:19日深夜に降り続いた局地的豪雨の影響により、安佐北区、安佐南区で大規模な土石流、土砂崩れが発生(平成26年8月豪雨による広島市の土砂災害)。このように旧広島市は太田川の開口部に干拓して作られた土地の上にあり、多くの地名に海や干拓にまつわる字句が入っている[53]。またデルタ開発以前の長束から可部にかけての太田川下流域には古代からの水運に因んだ地名(大字・字)が残っている。
  • 2015年3月14日:JR西日本アストラムラインの「新白島駅」がそれぞれ開業。
  • 2016年
    • 4月10日 - 4月11日:G7広島外相会合開催。
    • 5月27日:オバマ第44代アメリカ合衆国大統領広島訪問。
    • 9月10日:広島東洋カープが7度目のリーグ優勝を果たす。
    • 9月23日:HIROSHIMA ORIZURU TOWERグランドオープン。

行政

市長

市長松井一實(2011年4月10日- 2期目)[54]

歴代市長

議会

平和記念都市

原子爆弾が投下された歴史を踏まえ、広島市は自らを平和記念都市として、平和の確立と核兵器の廃棄を求める活動を活発に行っている。

爆心地周辺は、広島平和記念公園として整備され、原爆ドームは1996年ユネスコの世界遺産に登録された。

核被爆地としての意味を強調する場合、カタカナでヒロシマと表記することがある。これは長崎ナガサキ)も同様である。

行政区画の変遷

併合地域名の後の括弧内の数字は編入時の人口と面積である。

  • 1889年4月1日- 市制施行。同年12月31日現在の現住人口は8万8820人で、全国9位、中国地方1位 [3]
  • 1904年9月15日- 安芸郡仁保島村字宇品(現在の元宇品)を編入。
  • 1929年4月1日- 安芸郡仁保村・矢賀村・牛田村、佐伯郡己斐町草津町古田村安佐郡三篠町を編入。
  • 1955年4月10日- 安芸郡戸坂村を編入。
  • 1956年4月1日- 安芸郡中山村を編入。
  • 1956年11月1日- 佐伯郡井口村を編入。
  • 1971年4月1日 - 安佐郡沼田町(6,285人、67.09km2)を編入。
  • 1971年5月20日 - 安佐郡安佐町(8,679人、107.93km2)を編入。
  • 1972年4月1日 - 安佐郡可部町(29,854人、91.74km2)を編入。
  • 1972年8月27日 - 安佐郡祇園町(42,505人、15.07km2)を編入。
  • 1973年3月20日 - 安佐郡高陽(12,932人、51.55km2)・佐東(16,441人、16.04km2)・安古市(25,717人、19.25km2)各町及び安芸郡瀬野川町(19,844人、58.21km2)を編入(安佐郡消滅)。
  • 1973年10月22日 - 高田郡白木町(8,988人、99.78km2)を編入。
  • 1974年11月1日 - 安芸郡安芸町(20,763人、22.66km2)及び熊野跡村(1506人、19.98km2)を編入。
  • 1975年3月20日 - 安芸郡船越(14,412人、3.25km2)・矢野(20,190人、11.91km2)両町を編入。
  • 1980年4月1日 政令指定都市に移行。安芸・安佐北・安佐南・中・西・東・南の7行政区設置。
  • 1985年3月20日 - 佐伯郡五日市町(96,411人、59.85km2)を編入。佐伯区設置。広島市の人口が100万人を超える。
  • 1989年6月1日 - 廿日市市と境界変更。
  • 2005年4月25日 - 佐伯郡湯来町(7,796人、162.87km2)を編入。佐伯区の一部になる。

広島市と周辺町村

広島市は1889年4月1日の市制制度制定時に市制が施行された全国31都市の1つで、それ以後は周辺の郡に所属する町村を吸収合併していった。その中で安佐郡は1971年から1973年までの3年間で全域が広島市に編入され(なお、当該地域は、1980年の政令指定都市移行で安佐北・安佐南の2区を設置)、佐伯郡も広島市・大竹市・廿日市市・江田島市となり消滅した。(このうち、廿日市市は単独市制施行前は広島市への編入協議もあった。)

安芸郡も広島市や呉市への編入が進んだが、現存する府中町、海田町、熊野町、坂町は、現在に至るまで単独町制を維持している。このうち、府中町は人口5万人を維持し続けており、単独市制移行も視野に入れている。

この背景には、これら4町は広島市のベッドタウンとして機能し人口の流出が留まっていることや、財政基盤が強く、特に府中町にはマツダの本社、海田町には同社の関連企業及び陸上自衛隊第13旅団司令部があり、法人税や基地交付金などによってこの傾向が顕著であることが挙げられる。しかし、住民の日常生活や社会基盤整備では広島市との関係が深く、広域での水道や交通網の整備が進められている。

行政区

安佐北区
安佐南区
東区
中区

広島市は以下の8区で構成される(自治体コード順)。

当初は7区だったが、1985年、合併した佐伯郡五日市町を佐伯区とし8区となった。

旧市内

おおむね1970年代以前から広島市だった区域。

  •   中区
  •   東区 - 1974年合併の旧安芸町域も含まれる。
  •   南区
  •   西区

新市内

おおむね1970年代以降合併により広島市となった区域。

  •   安佐南区
  •   安佐北区
  •   安芸区
  •   佐伯区

インフラ整備の状況

下水道普及率:92.8%(平成19年度末)

姉妹都市・提携都市

「国際平和都市・ヒロシマ」の歴史や知名度を背景として、第二次世界大戦で大規模な被害を受けた都市と姉妹都市・友好都市関係を締結する例が多い[独自研究?]。以下、<>内にその都市が受けた戦災の項目へのリンク、ないしその被害状況を示す。 なお、ハワイのホノルルに関しては、広島県が日本有数の日系人移民送出県だったという関係も持っている。

日本国外

姉妹都市
友好都市

国内

提携都市

国際機関

国際連合機関
  • 国際連合の旗国連訓練調査研究所広島事務所
総領事館
  • 大韓民国の旗在広島大韓民国総領事館
名誉領事館
通商事務所など

国家機関

裁判所

地域間関係

瀬戸内海を挟んで対岸に位置する松山市とは相互往来も盛んで、松山市周辺から広島市へ買物に訪れる人々もいる[要出典]

松山市 - 広島市(市役所同士直線距離 67.1 km)

  • 旅客(大人1人、片道)
    • 高速船:直通68分、呉経由77分、6900円、14往復/日
    • フェリー:直通145分、呉経由160分、3500円、10往復/日
    • 高速バス:なし
  • 自家用車(片道)

又山口県の岩国市周南市とは山陽道・山陽新幹線・山陽本線等を通じて相互往来は盛んである。

拠点性

広島市は中国地方もしくは中国・四国地方を管轄する国の出先機関や企業の支社が集中し、中四国地方の中で最も高い拠点性を有することから、有力な支店経済都市の一つとなっている。なお中国地方を1つの地方区分とする場合は、広島市がほぼ全ての拠点機能を独占しているが、大阪市が近畿・中国・四国の拠点性をまとめて有すること、また、北九州市が九州北部と山口県西部地区の拠点性を有する場合もあり、広島市が同等の拠点性を独占するまでには至っていない。中国・四国地方を企業の1つの営業エリアとした場合、岡山市を拠点とする企業も一定数存在することから、広島市を拠点とする割合は、2007年12月末時点で、77.1%に留まっており、ほぼ100%に近い割合の北海道の札幌市、東北の仙台市、中部の名古屋市、九州の福岡市とは異なっている。

瀬戸内海沿岸部の各地に工場を持つ有力企業が瀬戸内工業地域を構成し、各地域・自治体の工業出荷額に大きく影響している。七大都市圏の中心都市の比較では、卸売および小売の年間販売額[62] において広島市は6番目となっているが、中国地方とほぼ同じ面積の南東北(域内人口や域内県民総生産合計が中国地方の3/4以下)と比べると、中国地方の中心都市・広島市の年間販売額は、南東北の中心都市・仙台市をやや上回っているが、南東北とほぼ同じ域内人口・域内GDP北海道の中心都市・札幌市よりは卸売および小売の年間販売額が下回っている。

広島を最大志向先とする高速道路流動は、鳥取西部、島根岡山山口東部であり、鳥取東部は大阪を、山口西部は北九州市をそれぞれ志向する。そのため、広島を最大志向先とする地域は実際の中国地方の範囲よりも小さくなっている。また、広島市は地理的・経済的に中国地方の中心地として志向される一方で東京大阪、名古屋や福岡を中心に志向する考えが在住者にも常識的に存在している。このように日本全体から見た広島市は必ずしもプライメイトシティとなっていないが、「日本の縮図」や「日本の平均値県・地域」という語に代表されるように、平均的な人口世代分布を持ち、経済・社会・文化・商業・工業の様々な要素をバランスよく保持した「万能型都市・地域」となっている。

経済

広島市は人口集積と同時に経済活動の集中も見られ、広島県の年間商品販売額(卸・小売)の2/3を占め、中国5県の1/3に達する。広島市の第三次産業(卸・小売業、情報サービス・情報通信業等)の従事者の数は広島県の総数の7-8割を占める[16]

主な商業施設・商店街

紙屋町・八丁堀の夜景
本通ヒルズ
広島ZERO GATE
パセーラ
お好みやき村
京橋川屋台
エールエール

中区

紙屋町地区
広島センタービル(そごう広島店本館・アクア広島センター街
基町クレド(そごう広島店新館・パセーラ)
サンモール
エディオン広島本店
広島本通商店街
紙屋町シャレオ(地下街)
八丁堀地区
広島三越
福屋八丁堀本店
天満屋八丁堀ビル
広島パルコ
東急ハンズ広島店
えびす通り商店街
広島金座街商店街
宝町
フジグラン広島
鷹野橋地区
鷹野橋商店街

南区

広島駅地区
ひろしま駅ビル ASSE
エールエール福屋広島駅前店
ひろしまMALL
宇品地区
ベイシティ宇品(エディオン・スポーツオーソリティ・フレスタ)
イオン宇品ショッピングセンター
段原地区
広島イースト
皆実町地区
ゆめタウン広島

西区

観音地区
マリーナホップ
商工センター地区
アルパーク

東区

温品地区
フォレオ広島東

佐伯区

五日市地区
広電ファミリータウン楽々園(マックスバリュ楽々園店、ナイスディ、ホームセンターDCMダイキ楽々園店、ヤマダ電機テックランド佐伯店)

安佐南区

緑井地区
フジグラン緑井[63]
天満屋緑井店[64]
祇園地区
イオンモール広島祇園[65]
ゆめタウン祇園[66]

安佐北区

高陽地区
フジグラン高陽[67]

企業

広島市に本社を置く企業

製造業、卸売・建設業
小売
食品
金融機関
ライフライン
運輸
サービス
消滅した企業

広島市に拠点を置く企業

広島市発祥の企業

漁港

  • 草津漁港 - カキの養殖も盛んである。
  • 井口漁港
  • 五日市漁港

マスメディア

新聞社

テレビ局・ラジオ局兼営

テレビ局

ラジオ局

ケーブルテレビ局

教育

小学校・中学校

下記のそれぞれの記事を参照のこと。

高等学校

国立

県立

市立

私立

大学・短期大学

大学

国立
  • 広島大学(霞キャンパス・東千田キャンパス夜間主コース)
県立
市立
私立

短期大学

私立

特別支援学校

県立

市立

学校教育以外の施設

研修機関

職業能力開発短期大学校

職業能力開発促進センター

  • 広島職業能力開発促進センター

指定自動車教習所

広島労働局長登録教習機関

登録小型船舶教習所

施設

博物館

美術館

広島県立美術館

研究機関

放射線影響研究所

図書館

広島市は、高知市新潟市などと列んで、漫画家の多い都市となっている[独自研究?]。広島市出身の漫画家については、出身有名人の項目へ。

公園・庭園

展示施設

多目的ホール(1000人以上)

スポーツ施設

医療機関

高度救命救急センターを併設する病院
広島県災害拠点病院
広島県災害拠点病院かつ夜間・休日診療に対応する病院
夜間・休日診療に対応する病院

交通

広島電鉄 広島市はLRTの整備を進めている。
広島市内のJR在来線路線図
広島電鉄系統図
鯉城通り

鉄道・軌道

広島市の都市内交通の中核は路面電車が担っている。このため広島は「路面電車(LRT)の街」として有名であり、広島電鉄の運行する路面電車の路線長や車両保有数・乗降客数は日本一の規模を誇る。世界的に路面電車に注目が集まるなか、「路面電車からLRTへ」と、人と環境に優しい交通機関へと変化しつつある。また、原爆で被害を受けた車輌(被爆電車)を営業運行したり、平和学習の貸切にも用いている[108]。さらに、他都市の車両を塗り替えず、そのまま使用したり、旧型車の運行を行うなど観光客誘致にも力を入れている。 なお広島電鉄の名が示すとおり鉄道線も保有している。宮島線がこれにあたり、市内線と同様の車両が使用されるものの運賃体系の違いや専用軌道であるなど若干趣きが異なる。

この他、市街地と北部のニュータウンを結ぶ路線としてアストラムラインが存在する。このうち、本通駅 - 県庁前駅間は地下線で、鉄道事業法に基づく免許と地下鉄の建設補助を受けて建設されている。そのため国土交通省の統計資料でも地下鉄に分類されており、中国・四国地方では唯一の地下鉄となっている。なお地下線そのものは県庁前駅からさらに城北駅手前付近まで続くが、この区間は新交通システムの建設補助と軌道法の適用を受けており、通常地下鉄には分類されない。

現在は、路面電車の一部高架化や路線変更、アストラムラインの広域公園前駅から西広島駅までの延伸が計画されている。

主なターミナル駅

バス

広島市中心部(市街地)は、路面電車とともに路線バスが多く運行している。概ね中区・東区・西区・南区は広電バス(緑色の車体,通称:青バス)と広島バス(赤色の車体、通称:赤バス)の2社が運行している。また西区の一部ではエイチ・ディー西広島が運行している。郊外路線では、安佐南区は広電バス、広島交通中国JRバスの3社、安佐北区は広島交通と広島バス、中国JRバス、備北交通の4社、安芸区では広電バスと芸陽バス、佐伯区では広電バスが運行し広島バスセンターなどに乗り入れている。

2017年11月1日、市中心部については、路線バス6社の運賃が180円均一に統一された。路面電車の市内線と同額にして分かりやすくして、利用増や負担減を図る[109]

乗車方法は後乗り前降り後払いで、運賃は整理券による区間制である。2008年1月26日から非接触型ICカード方式による乗車カードPASPY」の導入が始まった。また、2008年3月よりJR西日本のICOCAでもPASPY利用可能なバス路線を利用できるようになっている。利用可能路線は「PASPY」を参照。PASPYは、バスの他にも、広島電鉄の電車、宮島松大汽船、宮島ロープウェー、JR西日本宮島フェリー、瀬戸内海汽船などでも利用できる。

運行会社

  • フォーブル - フォーブルは、広島電鉄から移管した路線(安佐南区)を受け持っている。
  • エンゼルキャブ - 広島交通から移管した路線(安佐南区)を受け持っている。

中心となるバスのりば

高速バス

広島バスセンターおよび広島駅前を拠点に、中国・四国地方の各地ならびに関西、九州北部と広島とを結ぶ昼行高速バス、関東・中京・関西の各地と広島とを結ぶ夜行高速バスが運行されている。路線の一覧は広島バスセンター#高速バスならびに広島駅のバスのりば#高速バスを参照のこと。

道路

広島市の主要道路は、従来からの中心市街部を網羅する国道2号などの一般道路と、市の北部から西部にかけて通る都市間高速道路、それに中心市街地と郊外にできた高速道路インターチェンジとを結ぶ都市高速道路である広島高速道路などによって成り立っている。

一般道路は太田川の三角州地帯に発展した従来の中心市街地を通り、中国地方の中心都市である広島市と他地域の都市を結ぶ。また、中心市街地はおおむね平坦な地形であり、国道や県道などの主要道路を軸とした市道などが整備され、一般道路の整備状況は概ね良好である。第二次世界大戦中に空襲対策で行われた防火帯整備、それに原爆投下がもたらした旧市街の壊滅と焦土化により、戦災復興事業として広幅員の道路が整備された。これは広島電鉄による路面電車網の存続と高頻度・定時運転の継続(軌道敷への自動車進入禁止の維持)にも寄与している。特に爆心地付近を通る平和大通りは名古屋市の若宮大通久屋大通と並ぶ「100m道路」として整備された。その一方、軟弱な地盤などを理由にして高架橋の整備などを伴う都市高速道路の建設は遅れ、各国道などでの自動車交通は都市間(中長距離)輸送と都市内(短距離)交通が未分離の状態にある。また広域合併により広島市に編入された湯来温泉(旧湯来町)などの山間地域では地形の制約を大きく受け、川の谷筋に沿って一般道路が整備されている。その幅員は中心市街地と比較すると狭く、国道であっても国道433号七曲峠の大型車通行不可区間、国道488号の冬季閉鎖区間なども存在する。ただし、安佐南区の西風新都地区をはじめ、佐伯区内や安芸区内などでは山を崩しながら傾斜地に建設されたニュータウンが点在し、その内部では住民の自動車利用を前提とした地区内道路の整備が行われている。

1980年代後半に中国自動車道との連絡道路である広島自動車道、継いで山陽自動車道の同市内区間が完成すると、山陽自動車道の各インターチェンジと広島の中心市街地とを結ぶ連絡道路が整備された。広島東インターチェンジに直結する広島高速1号線(安芸府中道路)、広島インターチェンジと結ばれてアストラムラインと一体で整備された国道54号、五日市インターチェンジにほど近い西風新都地区から西風トンネルで都心部につながる広島高速4号線(広島西風新都線)などの広島高速道路や一般道路などがこれに該当し、広島市は1975年開業の山陽新幹線に続いて自動車交通でも高速化時代に入った。しかし、広島高速道路は従来の中心市街地を貫通するものではない。特に広島空港との連絡機能も担っている1号線については5号線(東部線)建設などでの利便性向上が求められている。また、南部の臨海部では広島高速3号線(広島南道路)が建設され、広島呉道路と接続している。広島高速2号線(府中仁保道路)を介した広島高速1号線とも接続されているが、廿日市市方面への整備による市域の東西横断はまだ計画段階である。

高速道路

  • 中国自動車道
  • 山陽自動車道
  • 広島自動車道
  • 広島高速道路
    • 広島高速1号線(安芸府中道路)・2号線(府中仁保道路)・3号線(広島南道路)・4号線(広島西風新都線)・5号線(東部線)

一般有料道路

国道

県道

主な市道

広島市内の通りCategory:広島市道も参照。

  • 広島港:松山方面の連絡口ともなる。船舶乗降人員数は全国4位。内国航路に限ると3位。(2007年度国土交通省港湾統計年報による)

航路

空港

  • 広島ヘリポート:旧広島西飛行場、1993年10月28日までは広島空港。2010年10月31日に定期便が全廃された。2012年11月15日からヘリポート機能のみが運用されている。
  • 広島空港:三原市に所在する。東京便やソウル便などが就航する、中国地方最大の空港。エアポートリムジンが広島市や周辺自治体へ運行されている。

スポーツ・芸術・娯楽

プロスポーツチーム

社会人野球

スポーツイベント

過去のイベント

実現しなかったイベント

競輪・競馬

音楽楽団

観光

原爆ドーム
国宝 不動院金堂
世界平和記念聖堂

史跡・歴史的建造物

広島市の文化財(1) 有形文化財:建造物広島市の文化財(10) 記念物:史跡広島市の文化財(11) 記念物:名勝広島市の文化財(12) 記念物:天然記念物広島市の文化財(13) 登録文化財 より。県指定・市指定は各区の記事を参照。

世界遺産
原爆ドーム(被爆建造物・国指定の史跡でもある)
国宝
不動院(「金堂」が指定、被爆建造物でもある)
重要文化財(国指定)
国前寺(「本堂」「庫裏」が指定、被爆建造物でもある)
世界平和記念聖堂
広島平和記念資料館(「本館」が指定)
不動院(「鐘楼」「楼門」「木造薬師如来坐像」「梵鐘」が指定、被爆建造物でもある)
三瀧寺(三滝観音)(「木造阿弥陀如来坐像」が指定)
国指定の史跡
広島城
頼山陽史跡資料館(頼山陽居室)
原爆ドーム
中小田古墳群
登録文化財(国指定)
広島大学附属中学校・高等学校講堂
国指定の名勝
広島平和記念公園
縮景園
特別天然記念物
オオサンショウウオ

祭事

名産品

広島焼。奥には大量のキャベツが準備されている。広島市中区新天地

温泉

広島市を舞台とした作品

テレビドラマ

漫画

映画

アニメ

音楽

広島市出身・ゆかりの有名人

広島市出身の人物一覧を参照。

発行物

広島平和記念都市建設記念切手
  • 1949年8月6日に広島平和記念都市建設記念の額面8円の切手が発行された。
  • 2003年3月20日に世界遺産シリーズ切手として原爆ドームおよび平和切手コンクール入賞作の80円切手10種が発行された。
  • 2005年4月22日にふるさと切手で「平和記念公園50周年」の50円切手2種が発行された。

市外局番

広島市の市外局番は以下の通りとなっている。

  • 佐伯区のうち湯来町下の一部:0826(加計MA。市内局番は20 - 39)、安芸太田町・北広島町(旧芸北町)と同一MA。
  • 佐伯区のうち杉並台・湯来町(下の一部を除く):0829(廿日市MA。市内局番は20、30 - 40、44 - 59、70 - 89)、廿日市市と同一MA。
  • 上記以外の区域:082(広島MA。市内局番は200 - 299、500 - 599、800 - 909、921 - 929、941 - 943、960 - 969、990 - 999)、府中町・海田町・熊野町・坂町と同一MA。

同一市外局番であっても、下記の区域の相互通話はそれぞれMAが異なるため、市外局番が必要である。

  • 082:広島MAと東広島MA(東広島市(黒瀬・黒瀬町・安芸津町を除く)。市内局番は400 - 409、420 - 439、490 - 499)
  • 0826:加計MAと千代田MA(北広島町(旧芸北町を除く)。市内局番は60 - 89)と安芸吉田MA(安芸高田市。市内局番は40 - 59)

脚注

  1. ^ 平和市長会議公式サイト 加盟都市分布図/加盟都市数、2011年4月1日現在。
  2. ^ 岸田裕広 編『広島県の歴史』(山川出版社 1999年)33~34頁
  3. ^ 右岸、現安佐南区
  4. ^ 左岸、現東区
  5. ^ 安佐北区
  6. ^ この外にも、出征拠点であった宇品港(現広島港)や三菱重工業などの軍需工場が集積し、大日本帝国陸軍第5師団(第二次世界大戦末期には第2総軍も)の本拠地になった。近隣の呉市には、大日本帝国海軍呉鎮守府・呉軍港・海軍工廠が置かれ、ここでは世界最大の戦艦でもある大和が造られた。広島湾には江田島に海軍兵学校(現在は主要施設が海上自衛隊幹部候補生学校海上自衛隊第1術科学校に継承使用されている)があり、戦前における軍事拠点としての重要性は日本有数だったといってよい。
  7. ^ 日本銀行広島支店 「県内経済の特徴」
  8. ^ kotobank - 日立ソリューションズ・世界大百科事典 「広島平野」
  9. ^ 「Google Maps 標高」 注意、Googleのサイトでは無い。
  10. ^ 広島県庁 「大峯山県自然環境保全地域」
  11. ^ [1]
  12. ^ e-Statの2000年2005年2010年の平均
  13. ^ 社会生活統計指標, 総務省統計局 e-Stat
  14. ^ 広島 1981-2010年”. 気象庁. 2012年1月6日閲覧。
  15. ^ 広島 観測史上1〜10位の値”. 気象庁. 2012年2月6日閲覧。
  16. ^ a b c 河川維持管理計画 - 太田川水系, 国土交通省・中国地方整備局・太田川河川事務所, 2013年3月.
  17. ^ 平成30年7月豪雨災害による被害等について(第49報)”. 広島県. 2018年12月22日閲覧。
  18. ^ 土砂災害危険箇所一覧表, 広島県庁砂防課
  19. ^ 危険箇所図, 広島県庁・土砂災害ポータルひろしま
  20. ^ 表層地盤, 地震ハザードステーション J・SHIS
  21. ^ 確率論的地震動予測地図, 地震ハザードステーション J・SHIS
  22. ^ 太田川水系河川整備基本方針(案)(PDF), 国土交通省中国地方整備局太田川河川事務所
  23. ^ 2001年3月24日芸予地震被害調査報告、社団法人土木学会芸予地震被害調査団
  24. ^ 広島市 「2. 人口・世帯」
  25. ^ 広島県・広島の統計 「市区町別推計人口の推移(外国人)」
  26. ^ 広島市役所 「平成22年国勢調査結果の概要(速報)」
  27. ^ a b 増減率は10年毎。
  28. ^ 広島市役所 「人口移動」
  29. ^ 「人口世帯」
  30. ^ 広島市役所 「平成22年国勢調査結果の概要(速報)」
  31. ^ 広島都市圏の機能分担と連携をどう図るべきか(PDF), 国土交通省・中国地方整備局
  32. ^ 広島県庁 広島市の統計 ,「統計でみる市区町村のすがた2012」,総務省統計局
  33. ^ a b c 平方キロメートル
  34. ^ 広島県の人口移動, 広島県統計
  35. ^ 広島市の都市づくりの方向(PDF)が、2017年以降も増加し続けている。, 広島市
  36. ^ a b c d 国勢調査 - 広島県ホームページ
  37. ^ 広島市の合併への取組
  38. ^ 広島市・亀山公民館 「亀山の歴史」
  39. ^ 広島文教女子大・角重 始 「源平争乱記の可部周辺」
  40. ^ 岸田裕広 編『広島県の歴史』(山川出版社 1999年)33~34頁
  41. ^ 太田川河川事務所 太田川水運の成立
  42. ^ a b 広島城の歴史 「築城前の広島」
  43. ^ 山肌を切り崩し水路に流して砂鉄を選別していた。
  44. ^ 戦国日本の津々浦々 「安芸武田氏」
  45. ^ 広島城の歴史 「浅野氏の治世」
  46. ^ 国土交通省 「太田川の歴史」
  47. ^ 国土交通省・中国地方整備局・広島国道事務所 「海へ広がる広島デルタ」 時代別の干拓状況の地図がある。
  48. ^ "太田川水系河川整備計画" (PDF) (Press release). 国土交通省・中国地方整備局・太田川河川事務所. 2011. 2013年5月13日閲覧
  49. ^ a b 広島市亀山公民館 「亀山発電所」
  50. ^ 日本に市町村章 p182
  51. ^ 1930年代の大日本帝国陸軍の陸地測量部他の各種刊行物と1945年の米軍による航空写真をもとに米国陸軍が作成した地図である。
  52. ^ 広島県 「県のプロフィール・歴史」
  53. ^ 広島市 「海に関係した地名を探してみよう」 その他多くの地名についての記述がある。
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  108. ^ 広電電車 電車のご利用方法 - 団体・貸切 - 広島電鉄
  109. ^ 「路線バス運賃180円均一に」読売新聞オンライン(地域ニュース)

関連項目

外部リンク

行政

観光