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== エピソード ==
== エピソード ==
*横浜FMへのライバル心が強く、試合後の会見で「[[1993年Jリーグ開幕節]]で負けたときのことを今でも覚えている。その時の悔しさが少しでも晴れたのかと」とコメントしている<ref>{{cite web|url=http://www.jsgoal.jp/news/jsgoal/00064515.html|title=J1:第10節 東京V vs 横浜FM|work=J's Goal|accessdate=2013-6-30}}</ref>。
*横浜FMへのライバル心が強く、試合後の会見で「[[1993年Jリーグ開幕節]]で負けたときのことを今でも覚えている。その時の悔しさが少しでも晴れたのかと」とコメントしている<ref>{{cite web|url=http://www.jsgoal.jp/news/jsgoal/00064515.html|title=J1:第10節 東京V vs 横浜FM|work=J's Goal|accessdate=2013-6-30}}</ref>。
*2012年4月8日の千葉戦ではレフェリーの判定に対して納得がいかず、ペットボトルを叩きつけたことによって退席処分、1試合のベンチ入り禁止処分を受けている<ref>[http://web.archive.org/web/20120422071451/http://blogola.jp/p/26408 [水戸]柱谷監督「レフェリーに問題がある」] - サッカー専門新聞エル・ゴラッソweb版 BLOGOLA、2012年4月18日。(2012年4月22日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])</ref>。
*2012年4月8日の千葉戦ではレフェリーの判定に対して納得がいかず、ペットボトルを叩きつけたことによって退席処分、1試合のベンチ入り禁止処分を受けている<ref>[http://web.archive.org/web/20120422071451/http://blogola.jp/p/26408 [水戸]柱谷監督「レフェリーに問題がある」] - サッカー専門新聞エル・ゴラッソweb版 BLOGOLA、2012年4月18日。(2012年4月22日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])</ref>。


== 所属クラブ ==
== 所属クラブ ==

2017年9月4日 (月) 14:38時点における版

柱谷 哲二
名前
愛称 闘将、テツ
カタカナ ハシラタニ テツジ
ラテン文字 HASHIRATANI Tetsuji
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1964-07-15) 1964年7月15日(60歳)[1]
出身地 京都府京都市
身長 182cm
体重 70kg
選手情報
ポジション MF/DF
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1987-1992 日産自動車 97 (2)
1992-1998 ヴェルディ川崎 183 (13)
代表歴
1988-1995 日本の旗 日本 72 (6)
監督歴
2002 コンサドーレ札幌
2008 東京ヴェルディ
2011-2015 水戸ホーリーホック
2016 ガイナーレ鳥取
2017- ヴァンラーレ八戸
1. 国内リーグ戦に限る。2006年12月1日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

柱谷 哲二(はしらたに てつじ、1964年7月15日 - )は、京都市出身の元サッカー選手、サッカー指導者・解説者。Jリーグ選手協会初代会長。現役時代のポジションはディフェンダー、守備的ミッドフィールダー。元サッカー選手、サッカー指導者の柱谷幸一は実兄である。

来歴

選手として

日産自動車サッカー部ヴェルディ川崎日本代表等でセンターバック、守備的MFを務め長年活躍した。出場時の多くはキャプテンとしての出場であり、チームを激しく鼓舞するその姿から「闘将」と呼ばれた。

V川崎の黄金期ならびにオフトジャパン時代にはラモス瑠偉とともに指揮官に呼ばれ、先発メンバーについての相談も受けるなどした。

1998年のシーズン終了後、高年俸だったことと、チームの若返りを図る意図からV川崎から「0円提示」。現役続行の意思を表明していたが、他チームからオファーが来ずそのまま現役を引退した。

引退後

その後NHKなどで解説者を務めていた。

2002年岡田武史の後任としてコンサドーレ札幌監督に就任。J1リーグ戦と Jリーグヤマザキナビスコカップを含めた公式戦13試合でわずか2勝と低迷し、2002 FIFAワールドカップ開催中の6月に解任された。柱谷の札幌就任が濃厚となった時点では、Jリーグの監督を務めるために必要なS級ライセンスを有していなかった(前年に講習を受けてはいた)。なお、札幌は16チーム中最下位でJ2へ降格した。

2001年から2002年まで国士舘大学サッカー部のコーチに就任したが、天皇杯国見高校に敗れた。

2003年浦和レッドダイヤモンズのコーチに就任し、主にサテライトを中心に指導。

2005年にJ2・東京Vのコーチに就任。2006年から監督であるラモス瑠偉をサポートし2年がかりでのJ1復帰を果たした。

2008年からラモスの監督退任にともない東京Vの監督に就任。札幌時代以来、6年ぶりとなるJ1チームの指揮を執ることになった。最終節の敗戦を受けて、18チーム中17位と降格が決定。シーズン終了後に監督を退任した。

2009年Jリーグ選手OB会初代会長に就任した。

2011年シーズンより、水戸ホーリーホック監督に就任。2015年6月、成績不振により解任された[2]

2016年シーズンより、ガイナーレ鳥取監督に就任[3]したが、同シーズン限りでの退任が11月に発表された[4]

2017年シーズンより、ヴァンラーレ八戸監督に就任[5]

エピソード

  • 横浜FMへのライバル心が強く、試合後の会見で「1993年Jリーグ開幕節で負けたときのことを今でも覚えている。その時の悔しさが少しでも晴れたのかと」とコメントしている[6]
  • 2012年4月8日の千葉戦ではレフェリーの判定に対して納得がいかず、ペットボトルを叩きつけたことによって退席処分、1試合のベンチ入り禁止処分を受けている[7]

所属クラブ

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 JSL杯/ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
1987-88 日産 JSL1部 12 0
1988-89 22 0
1989-90 4 21 2 4 0
1990-91 5 20 0 4 0
1991-92 22 0 3 0
1992 V川崎 - J - 11 0 5 0 16 0
1993 31 3 1 0 2 0 34 3
1994 40 2 3 0 2 0 45 2
1995 46 5 - 2 0 48 5
1996 22 2 10 0 0 0 32 2
1997 5 16 0 3 0 2 0 21 0
1998 28 1 2 0 3 0 33 1
通算 日本 J 183 13 30 0 16 0 229 13
日本 JSL1部 97 2
総通算 186 0

その他の公式戦

個人タイトル

代表歴

試合数

  • 国際Aマッチ 72試合 6得点[1]


日本代表国際Aマッチ
出場得点
1988 5 1
1989 10 0
1990 6 1
1991 2 1
1992 11 0
1993 14 2
1994 9 1
1995 15 0
通算 72 6

得点数

# 月日 開催地 対戦相手 スコア 試合概要
1 1988年 1月27日 アラブ首長国連邦の旗 アラブ首長国連邦ドバイ アラブ首長国連邦の旗 アラブ首長国連邦 1-1 国際親善試合
2 1990年 9月26日 中華人民共和国の旗 中国北京 バングラデシュの旗 バングラデシュ 3-0 1990年アジア競技大会
3 1991年 6月2日 日本の旗 日本山形 タイ王国の旗 タイ 1-0 キリンカップサッカー
4 1993年 4月15日 日本の旗 日本、東京 スリランカの旗 スリランカ 5-0 1994 FIFAワールドカップ・アジア予選
5 4月18日 アラブ首長国連邦の旗 アラブ首長国連邦 2-0
6 1994年 10月5日 日本の旗 日本尾道 ミャンマーの旗 ミャンマー 5-0 1994年アジア競技大会

指導歴

監督成績

年度 所属 クラブ リーグ戦 カップ戦 備考
順位 勝点 試合 Jリーグカップ 天皇杯
2002 J1 札幌 - 3 7 1 0 6 予選リーグ敗退 - 途中解任
2008 東京V 17位 37 34 10 7 17 予選リーグ敗退 4回戦敗退
2011 J2 水戸 17位 42 38 11 9 18 - ベスト16
2012 13位 56 42 15 11 16 - 3回戦敗退
2013 15位 55 42 14 13 15 - 3回戦敗退
2014 15位 50 42 12 14 16 - 3回戦敗退
2015 21位 13 17 3 4 10 - - 途中解任
2016 J3 鳥取 15位 30 30 8 6 16 - 2回戦敗退
2017 JFL 八戸 -
J1通算 - - 41 11 7 23 - - -
J2通算 - - 177 55 51 75 - - -
J3通算 - - 30 8 6 16 - - -
JFL通算 - - - - -
総通算 - - 248 74 70 114 - - -

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n "柱谷 哲二氏 来季監督就任のお知らせ" (Press release). 水戸ホーリーホック. 10 November 2010. 2013年6月29日閲覧
  2. ^ "柱谷 哲二監督 解任のお知らせ" (Press release). 水戸ホーリーホック. 2015-6-7. 2015-6-7閲覧 {{cite press release2}}: |accessdate=|date=の日付が不正です。 (説明)
  3. ^ "柱谷 哲二氏 監督就任のお知らせ" (Press release). ガイナーレ鳥取. 13 December 2015. 2015年12月13日閲覧
  4. ^ "柱谷哲二監督 来季の契約について" (Press release). ガイナーレ鳥取. 2016-11-1. 2016-11-1閲覧 {{cite press release2}}: |accessdate=|date=の日付が不正です。 (説明)
  5. ^ "監督就任のお知らせ" (Press release). ヴァンラーレ八戸. 7 December 2016. 2016年12月7日閲覧
  6. ^ J1:第10節 東京V vs 横浜FM”. J's Goal. 2013年6月30日閲覧。
  7. ^ [水戸]柱谷監督「レフェリーに問題がある」 - サッカー専門新聞エル・ゴラッソweb版 BLOGOLA、2012年4月18日。(2012年4月22日時点のアーカイブ

外部リンク