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二宮浩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
二宮 浩
名前
カタカナ ニノミヤ ヒロシ
ラテン文字 NINOMIYA Hiroshi
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1969-04-11) 1969年4月11日(55歳)
出身地 熊本県
身長 176cm
体重 71kg
選手情報
ポジション FW
ユース
1985-1987 日本の旗 国見高校
1988-1991 日本の旗 筑波大学
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1992-1994 日本の旗 浦和レッズ 17 (0)
1992 ウルグアイの旗 ダヌービオ
1995-1997 日本の旗 水戸ホーリーホック[注 1]
通算 17 (0)
監督歴
1999 日本の旗 水戸ホーリーホック
2001 日本の旗 柏レイソル青梅 Y
2002-2007 日本の旗 レイソルSS青梅 JY
2011-2012 日本の旗 FC東京U-15むさし
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

二宮 浩(にのみや ひろし、1969年4月11日 - )は、熊本県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。選手時代のポジションはフォワード(FW)

来歴

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小学校3年生の時にサッカーを始める[1]1985年に進学した国見高校では同期の立石敬之塚本明正村田一弘中尾幸太郎吉田裕幸と共に2年次に高校選手権準優勝、3年次に優勝を経験。

筑波大学を経て、1992年浦和レッドダイヤモンズに入団。Jリーグ開幕年である1993年には故障者が相次いだため出場機会を掴み17試合に出場したが、高校時代に見せた突破力溢れるドリブルからのチャンスメークは影を潜め、Jリーグの屈強なDF相手に苦戦した。

1995年関東リーグ・プリマハムFC土浦(後の水戸ホーリーホック)へと移籍。1997年に水戸で現役を引退後、同チームのコーチに就任し指導者のキャリアをスタート。1999年には水戸で監督に昇格し、旧JFLで3位の成績を残し、チームをJ2に導いた[2]。二宮は指導者S級ライセンスを所持していなかったためにJリーグでの監督資格は無く、翌2000年からのJリーグ加盟に伴いコーチに再任した。

2001年から柏レイソル青梅(現 AZ'86東京青梅)でユース年代の指導も経験し、2008年にはJ1FC東京のトップチームコーチに就任[3]城福浩監督の下、自身初となる国内トップリーグでの指導に当たる事になった。2009年からはFC東京の下部組織となるU-15むさしのコーチを務め、2011年からは同チームの監督に就任[4]

所属クラブ

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ユース経歴
プロ経歴

個人成績

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1993 浦和 - J 17 0 4 0 1 0 22 0
1994 0 0 0 0 0 0 0 0
1995 土浦 関東 -
1996 -
1997 水戸 9 旧JFL 17 4 -
通算 日本 J 17 0 4 0 1 0 22 0
日本 旧JFL 17 4 -
日本 関東 -
総通算 4 0

指導歴

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脚注

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  1. ^ 1996年まではプリマハム土浦

出典

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  1. ^ a b ヘッドコーチ 二宮 浩”. 2013年12月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年12月22日閲覧。 ルーヴェン高崎FC
  2. ^ J.LEAGUE NEWS No.60”. 2004年3月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年12月22日閲覧。 Jリーグ (2000年1月15日)
  3. ^ トップチームスタッフ 新任のお知らせ”. 2008年10月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年3月9日閲覧。 FC東京 (2008年1月20日)
  4. ^ FC東京育成部(U-18・U-15)スタッフ決定のお知らせ FC東京 (2011年1月23日)
  5. ^ 『J.Leagueオフィシャルガイド 1994』小学館、1994年、40頁。 
  6. ^ Raffle瑞穂FC 新アドバイザー就任のお知らせ2021年8月16日 Raffle瑞穂FC
  7. ^ Raffle瑞穂FC監督に就任した二宮氏について 2022年1月11日 Raffle瑞穂FC
  8. ^ スタッフ紹介2023年2月6日 アーゼット'86 東京青梅オフシャルサイト

関連項目

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外部リンク

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