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山田隆裕

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
山田 隆裕
名前
カタカナ ヤマダ タカヒロ
ラテン文字 YAMADA Takahiro
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1972-04-29) 1972年4月29日(52歳)
出身地 大阪府高槻市
身長 175cm
体重 80kg
選手情報
ポジション FW / MF
利き足 右足
ユース
1988-1990 日本の旗 清水商業高校
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1991-1997 日本の旗 日産/横浜マリノス 159 (18)
1998-1999 日本の旗 京都パープルサンガ 29 (1)
1999 日本の旗 ヴェルディ川崎 27 (1)
2000-2003 日本の旗 ベガルタ仙台 65 (3)
通算 280 (23)
代表歴
1992-1994 日本の旗 日本 1 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2007年10月10日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj
山田 隆裕
YouTube
チャンネル
活動期間 2020年3月8日
ジャンル サッカー
登録者数 2640人
総再生回数 約35万回
チャンネル登録者数・総再生回数は
2020年7月19日時点。
テンプレートを表示

山田 隆裕(やまだ たかひろ、1972年4月29日 - )は、日本の元サッカー選手実業家。選手時代のポジションはFW(ウイング)、MF(サイドハーフ)。

来歴・人物

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大阪府高槻市で生まれる。小学校3年生の時、静岡県清水市(現在の静岡市清水区)に転居。転入した市立高部東小でサッカーに出会う。6年生の時に清水FCの一員として全日本少年サッカー大会に出場しベスト8進出。中学3年生の時には東海選抜に選出され、全日本選抜中学生サッカー大会で優勝を経験した。

1988年に清水市立商業高校(後の静岡市立清水商業高等学校)へ進学すると1年次からレギュラーに定着し、同年の全国高等学校サッカー選手権大会決勝の市立船橋高校戦では決勝点をあげる活躍で優勝に貢献した[1]。スピードとテクニックを活かした快速フォワード(ウインガー)として1989年と1990年に2年連続高校総体全日本ユース選手権制覇などに貢献するなど注目を集めた[2]

また高校2年次から日本ユース代表に選出されるなど、当時は同期のチームメイト名波浩よりも知名度は高く、将来も嘱望されていた。

高校卒業後の1991年日本サッカーリーグ1部の日産自動車サッカー部(現横浜F・マリノス)に入部。日産でもスピードとドリブルを武器にサイドからのチャンスメイクで[3]、早々にほぼレギュラーポジションを掴む活躍を見せ、木村和司がスタメンに居ない時は10番を与えられた。同年の天皇杯決勝・読売クラブ戦では途中出場からダメ押しとなる4点目のゴールを決め優勝に貢献した[4](このゴールが公式戦初ゴールとなった。)。

1992年にはハンス・オフト監督の指揮する日本代表に選出。1993年Jリーグ開幕節は怪我で欠場した[2]。6月9日の清水戦ではJリーグ初ゴール[5] を含む2ゴールを決めた[6]。1995年には1stステージ優勝、年間では43試合7得点、Jリーグチャンピオンシップ第1戦では右サイドから入れたクロスのこぼれ球からビスコンティの決勝ゴールが生まれた。第2戦でも勝利し、ヴェルディを破って優勝を果たした[7]。Jリーグ黎明期から活躍し、甘いマスクで女性人気を獲得するなど若手スターであった[2]

しかし日本代表では出場機会に恵まれず、日本が初優勝したアジアカップW杯アジア1次予選にメンバーとして参加するも未出場。1993年、日本代表の控え選手たちで構成された日本選抜のメンバーとして香港遠征において、1月23日のスイス戦では先発フル出場[8]、またアジア最終予選直前のスペイン遠征ではヘレス戦でもプレーした[9]。10月にカタールのドーハで開催された94年米国W杯最終予選メンバーに選出されたが、「使ってもらえないし給料は減るから代表に行きたくない」と参加を辞退[10]。1994年のファルカン監督時代には、アジア大会のメンバーとして再び日本代表に参加したが、大会を通して出場機会は一度も訪れることはなかった。アジア大会の壮行試合として開催された、1994年9月27日のオーストラリア戦が、唯一の国際Aマッチ出場となった。

その後1998年に京都パープルサンガに移籍後、1999年は期限付き移籍によりヴェルディ川崎でプレーし、移籍期間終了後は京都を退団[11]。その後一度は引退したが、2000年、横浜M時代に指揮を受けた清水秀彦監督に誘われベガルタ仙台に加入[7]、ここではチャンスメーカーとしてのプレーでJ1昇格に貢献した[7]。仙台時代の応援歌の原曲はBOØWYの「Dreamin'」。2003年シーズン途中で現役引退した。J1では通算224試合20得点、J2では通算47試合出場3得点。

引退後は全国でサッカースクールや講演活動などを精力的に行う傍ら日本サッカー協会こころのプロジェクトで夢先生としても数多く登壇している。

所属クラブ

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個人成績

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 JSL杯/ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
1990-91 日産 31 JSL1部 0 0 - - 0 0
1991-92 22 9 0 1 0
1992 横浜M - J - 9 1 4 0 13 1
1993 27 3 1 1 3 0 31 4
1994 32 1 3 1 1 0 36 2
1995 43 7 - 1 0 44 7
1996 23 1 9 2 1 0 33 3
1997 22 25 6 5 0 0 0 30 6
1998 京都 8 29 1 0 0 1 0 30 1
1999 V川崎 7 J1 27 1 2 0 3 0 32 1
2000 仙台 32 J2 19 0 0 0 1 1 20 1
2001 28 3 2 0 3 0 33 3
2002 J1 18 0 2 0 2 0 22 0
2003 0 0 1 0 - 1 0
通算 日本 J1 224 20 32 5 16 0 272 25
日本 J2 47 3 2 0 4 1 53 4
日本 JSL1部 9 0 1 0
総通算 280 23 35 5

その他の公式戦

代表歴

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出場大会など

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試合数

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  • 国際Aマッチ 1試合 0得点(1994)


日本代表国際Aマッチ
出場得点
1994 1 0
通算 1 0

出場

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No. 開催日 開催都市 スタジアム 対戦相手 結果 監督 大会
1. 1994年09月27日 日本の旗東京都 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場  オーストラリア △0-0 パウロ・ロベルト・ファルカン 国際親善試合

書籍

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著書

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出演

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脚注

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  1. ^ “早熟の天才・山田隆裕が輝いた時代“史上最強”清水商から稼げるJリーグへ”. yahool. https://sports.yahoo.co.jp/column/detail/201912090003-spnavi 17 April 2020閲覧。 
  2. ^ a b c 山田隆裕”. VICTORY. 2023--3-22閲覧。
  3. ^ 別冊サッカーマガジン秋季号 平成5年11月1日号 サッカーカタログ p.158 ベースボールマガジン社
  4. ^ サッカーマガジン 1992年3月号 no.395 p.5-11 壮絶120分日産延長のゴールラッシュで2年ぶり栄冠 ベースボールマガジン社
  5. ^ “山田隆弘”. data.jleague. https://data.j-league.or.jp/SFIX04/?player_id=164 17 April 2020閲覧。 
  6. ^ “1993サントリーシリーズ8節”. https://data.j-league.or.jp/SFMS02/?match_card_id=86 17 April 2020閲覧。 
  7. ^ a b c 早熟の天才・山田隆裕が輝いた時代 “史上最強”清水商から稼げるJリーグへ”. SPORTSNAVI (2019年12月26日). 2023年3月22日閲覧。
  8. ^ サッカーストライカー 1993年2月18日号 p.7-11 学研
  9. ^ “ヘレスvs日本 1993年9月23日”. samuraiblue.jpl. http://samuraiblue.jp/timeline/19930923/ 17 April 2020閲覧。 
  10. ^ “山田隆裕選手 J2のベガルタ仙台に移籍”. 京都新聞. (2000-06014). オリジナルの2000年7月11日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20000711025415/http://www.kyoto-np.co.jp:80/sanga/topics/0614yamada.html 2017年10月30日閲覧。 
  11. ^ “新入団選手と退団選手の移籍先”. 京都新聞. (2000年3月16日). オリジナルの2000年6月20日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20000620161315/http://www.kyoto-np.co.jp:80/sanga/topics/iseki.html 

関連項目

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外部リンク

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