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2016年11月13日 (日) 03:16時点における版
渡辺 喜美 わたなべ よしみ | |
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生年月日 | 1952年3月17日(72歳)[1] |
出生地 | 日本 栃木県那須郡西那須野町[1](現那須塩原市) |
出身校 |
早稲田大学政治経済学部 中央大学法学部[1] |
前職 |
衆議院議員渡辺美智雄秘書 みんなの党代表 |
現職 | 日本維新の会副代表 |
所属政党 |
(自由民主党→) (無所属→) (みんなの党→) (無所属→) (おおさか維新の会→) 日本維新の会 |
称号 |
政治学士(早稲田大学) 法学士(中央大学) |
親族 |
父・渡辺美智雄 甥・渡辺美知太郎 |
公式サイト | 渡辺喜美 |
内閣 |
第1次安倍改造内閣 福田康夫内閣 |
在任期間 | 2007年8月27日 - 2008年8月2日 |
内閣府特命担当大臣(規制改革) | |
内閣 | 第1次安倍内閣 |
在任期間 | 2006年12月28日 - 2007年8月27日 |
選挙区 | 栃木3区 |
当選回数 | 6回 |
在任期間 | 1996年10月21日 - 2014年11月21日 |
選挙区 | 参議院比例区 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 2016年7月26日 - 現職 |
渡辺 喜美(わたなべ よしみ、1952年3月17日[1] - )は、日本の政治家。日本維新の会所属の参議院議員(1期)、日本維新の会副代表。
衆議院議員(6期)、内閣府特命担当大臣(規制改革)、内閣府特命担当大臣(金融)、みんなの党代表(初代)を務めた。
父は元衆議院議員で副総理、外務大臣、大蔵大臣、通商産業大臣等を歴任した渡辺美智雄。
来歴・人物
栃木県那須郡西那須野町(現那須塩原市)生まれ[1]。栃木県立大田原高等学校[1]、早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。その後中央大学法学部に学士入学し、卒業。1983年から父・渡辺美智雄の秘書を務める。のちに美智雄が通商産業大臣、外務大臣に就任した際はそれぞれ政務秘書官に就任。
1995年9月、父・美智雄が死去。父の地盤を継承し、1996年の第41回衆議院議員総選挙に栃木3区から自由民主党公認で出馬し、初当選した(当選同期に河野太郎・菅義偉・平沢勝栄・大村秀章・河本三郎・桜田義孝・下地幹郎・下村博文・新藤義孝・滝実・棚橋泰文・谷畑孝・田村憲久・戸井田徹・松本純など)。当選後、美智雄がかつて会長を務めた旧渡辺派に入会。1990年代後半の金融危機では「政策新人類」の1人とされ[2][3]、金融再生法の成立に尽力。
2000年11月、加藤の乱をきっかけに江藤・亀井派を退会し、同党離党まで無派閥。
2006年、第1次安倍内閣で内閣府副大臣に就任。同年12月、事務所費架空計上問題で辞任した佐田玄一郎の後任の内閣府特命担当大臣(規制改革)に、副大臣から昇格して初入閣した。内閣府特命担当大臣に加え国・地方行政改革担当、公務員制度改革担当、地域活性化担当、道州制担当のポストを担当。在任中は国家公務員の再就職を一元的に管理する「人材バンク」や「中央省庁幹部の1割の公募制」導入を提唱。
2007年8月、第1次安倍改造内閣で内閣府特命担当大臣(金融)に横滑りし、引き続き国・地方行政改革担当、公務員制度改革担当の大臣ポストを担当。同年9月発足の福田康夫内閣でも留任、翌2008年の内閣改造時に退任。
2008年12月24日、民主党提出の首相・麻生太郎に対する衆議院の解散総選挙を要求する決議案に与党議員でただ1人賛成し、自民党から戒告処分を受ける。その後も麻生内閣や党執行部への批判を繰り返し、自民党離党の意向を表明[4]。
2009年1月9日、国家公務員のワタリ斡旋に関する公開質問状を、事前のアポイントを取らずに首相官邸に持参するが、首相秘書官から公開質問状の受け取りを拒否された[5]。1月13日、自民党に離党届を提出、2月11日に「国民運動体」を発足させ、5月1日に団体名を「国民運動体 日本の夜明け」に改める。この組織を母体に、総選挙前の8月8日にみんなの党を結党。無所属の江田憲司に加え、自民党離党組の山内康一・広津素子、民主党を離党した浅尾慶一郎が参加し、所属国会議員5名を集めて政党要件を満たした。
第45回衆議院議員総選挙にはみんなの党公認で栃木3区から出馬し、5選。当初、自民党は栃木3区に元法務大臣の森山眞弓を擁立する方向で調整していたが、自民党栃木県連の反対により撤回。栃木3区は日本共産党も候補を擁立しない共産空白区となり、他に候補が立候補する気配を見せなかったため、戦後衆議院選挙初の無投票当選の可能性があったが、幸福実現党の斎藤克巳が立候補したため無投票当選とはならなかった。選挙結果は渡辺が14万2482票・得票率95.3%で圧勝。渡辺の得票率は、小選挙区制導入後現在に至るまでの最高記録である。
2011年2月、第22回参議院議員通常選挙後初めて行われた党首討論において党首討論への参加を希望したが、渡辺が国家基本政策委員会の委員ではないことを理由に拒否された。同年4月11日に自民党から国家基本政策委員会委員ポストを借りる形で出席して、党首討論に参加した。
2014年に、後述の8億円借入問題が発生し、4月にみんなの党の代表の辞任を余儀なくされる。これを契機にみんなの党は離党者が相次ぐなど、内部対立が激しくなり、第47回衆議院議員総選挙を前に解党に至る。渡辺本人は無所属で出馬するも、落選した。
2015年3月、自身を支持する石崎英幸・市川市議会議員らが設立した地域政党「闘う改革の会千葉」の顧問に就任した[6]。同年12月、8億円借入金問題(後述)について最終的に不起訴(嫌疑不十分)となったことから政治活動を再開、国政復帰への動きを見せ始めた。
2016年4月、同年7月の第24回参議院議員通常選挙比例区に出馬する意向を表明した。また衆議院解散・衆参同日選となった場合は衆議院議員総選挙に再び栃木3区から出馬、比例代表北関東ブロックにも重複立候補する考えを示した[7]。渡辺は「複数の政党から出馬要請がある」と述べ、また渡辺自身が再び新党を結成することも検討していたが、結局5月14日おおさか維新の会(現・日本維新の会)に入党。7月10日、参議院議員として初当選した[8]。
政策・主張
- 安倍内閣・同改造内閣・福田内閣で約1年半にわたり行政改革・公務員制度改革に取り組み、みんなの党結党後も党是に行政改革・公務員制度改革の推進を掲げている。大臣在任中、補佐官は経済産業省から、改革派の原英史を起用した。天下り規制に対する官僚側の猛烈な抵抗を受けながらも、2008年6月に国家公務員制度改革基本法を成立にこぎつけている。
- 小泉構造改革の推進派である。
- 永住外国人への地方選挙権付与には反対の立場を取り[9]、民主党を中心に法案提出が検討された際は、東京都内で行われた反対派の集会に出席した[10]。
- 選択的夫婦別姓制度導入に賛成[11]。
- 道州制に賛成[12]。
政治活動
日本郵政前社長の顧問退任に関与
2014年2月、日本郵政顧問に前社長の坂篤郎が就任し報酬を得ていることを内閣官房長官の菅義偉に伝え、坂が顧問を退任するきっかけを作った[13]。坂の勤務実態は週2日よりも少なく、年間報酬は1千万円だった[14]。
米金融機関向けの支援を検討
米政府系住宅金融公社二社(フレディマックとファニーメイ)が経営不安を迎えていた2008年7月、これらの金融公社二社の経営不安を憂慮するとして、当該公社の債券について、日本政府の保有分だけでなく民間の保有分の売却も禁止することを検討していた[15]。さらに、自身の私的懇談会である「金融市場戦略チーム」が、日本の外貨保有高から資金を拠出して米政府による資金注入を援助するよう、報告書に盛り込む方向だったという[16]。フィナンシャル・タイムズによれば小池百合子・石破茂・田村耕太郎も外貨準備高を使うべきと主張していた[17]。また渡辺の金融庁チームだけでなく、財務省側からも外貨準備高から数兆円を使う支援策がでていたが[18]、これらの支援策は福田康夫の首相辞任により実現しなかった。同盟国とはいえ他国の金融機関を公的資金で援助することは極めて異例であり、当時財務大臣だった伊吹文明が「米国の経済危機が目前に迫る中、日本の外貨準備で損失が出かねない資産を購入すべきでないという当たり前の判断だ」と述べるなど、日本の外貨準備の損失につながりかねない海外の危険資産の購入には、自民党内から反対意見があった[19]。
政治資金
- 消費者金融(サラ金)など貸金業界の政治団体「全国貸金業政治連盟」(全政連)から政治献金を6年間で5億円を受けていると日本共産党の機関紙「しんぶん赤旗」は伝えている[20]。
- 道路特定財源を資金源とする道路運送経営研究会(道路特定財源の一般財源化に反対している)から献金を受けている[21]。
- 父親の秘書時代にリクルート事件で未公開株譲渡の名義人として5000株を受け取っており[22]、かつて父・美智雄が「アタシの知らないうちにウチのせがれが5000株もらったばっかりにこっちは総理大臣がパーになっちゃたよ」と自嘲気味に語っている。
- 商品先物取引会社であるオリエント貿易および関連4社から、渡辺が総務省に後援団体として届け出ていた団体「政経政策研究会」(政経会)を通じて1995年から2005年にわたって計3540万円の迂回献金を受け取っていた。5社は幹部約250人の給与から天引きして政経会に寄付させており、寄附金控除を受けさせていた[23]。
- 後述の8億円借り入れ問題の判明後にも、渡辺が代表を務める政治団体名義の口座から、2013年参院選前に渡辺に対し約9,000万円の貸付があったことが判明している。貸付金はその後返済されたが、当該団体の政治資金収支報告書には記載されておらず、政治資金規正法に抵触する疑いが出ている[24]。
8億円借入問題
2010年参院選と2012年衆院選の直前に、化粧品会社DHCの吉田嘉明会長から計8億円を借り入れ、5億円超が現在も返済されていないとする吉田の手記が2014年3月26日発売の週刊新潮に掲載された。渡辺が衆院に提出した2012年12月時点の資産報告書には、借入金は2億5000万円と記載されており、食い違いが存在する[25]。
吉田からの資金借入が選挙資金であった場合、それが他者からの借入金だとしても選挙運動費用の収支報告書に記載がなければ、公職選挙法違反に問われる可能性があるほか、政治活動の費用だった場合、政治資金収支報告書に記載がないと政治資金規正法違反にあたる可能性がある。さらに、使途が選挙や政治活動に無関係だったとしても、担保や返済期限が設定されず、借用書もなかったとすれば、贈与と認定されて税務上の問題が指摘される可能性もある[26]。
渡辺は3月27日、借り入れを認めた上で、「純粋に個人として借り、選挙資金や政治資金としては使っていない」と述べたが、それに対して吉田は「言い訳で通そうとしている。選挙のためだったとはっきりしている」と話しており、渡辺が2012年12月の衆院選前に選挙情勢を説明した上で「あと5億円必要です。何とぞご融資お願いします」と記したメールを吉田に送っていたことを明かした[27]。3月28日に東京都の市民団体代表が[28]、また6月2日には弁護士や憲法学者で作るグループが、公職選挙法・政治資金規正法両法違反などで東京地検特捜部に告発[29]。
4月7日、緊急記者会見を行い、借入金の使用用途について「党勢拡大のために、個人として借り入れたもの」「妻の口座で保守的に管理してもらっていた」「選挙関連費や情報収集や意見交換のため」と説明。3月27日の会見の時には自らの引責辞任などを否定していたものの、党内から渡辺に対する代表辞任要求などの声が広がったことを受け、「党に迷惑をかけた」として代表を辞任することを表明した[30][31]。この問題が発覚して以降、第186回国会を全て欠席した[32]。
各政党の反応
- みんなの党の浅尾慶一郎幹事長は、速やかな辞任を促し[33]、辞任後には「辞任の決断を評価している」と語った[34]。
- 結いの党の小野次郎幹事長は、「代表辞任は苦渋の決断だったと思う。」とした上で、説明責任を果たすように促した[35]。
- 維新の会の橋下徹代表は、「いろんな意味で国政に刺激を与えている。説明責任を果たした上で戻ってきてもらいたい」と、確執のあった渡辺喜美に対して、エールを送った[36]。
不起訴処分と検察審査会での議決
2015年1月に東京地検特捜部は嫌疑不十分で不起訴としたが、11月2日に東京第一検察審査会は不起訴不当と議決した[37]。同年12月、東京地検特捜部は再度、嫌疑不十分で不起訴とした。
エピソード
- 身長164cm、体重68kg。
- 趣味は読書。
- 家族は妻と子供3人。
- 愛称はヨッシー、またはミッチー(父・美智雄に風貌が似ているため。ミッチーは美智雄の愛称)。
- 弟1人(産科医の渡辺美千明)。他にやはり医師の妹1人。
- 「繁栄した国家や文明は数あれど繁栄し続けたものは一つもない」という父の言葉を肝に銘じている。
- 高校生時代にエーリヒ・フロムの『自由からの逃走』をもとに弁論を行い、栃木県の弁論大会で優勝している。また、政治を志した時期(中学生時代)に永井陽之助『平和の代償』を読み、これを「政治思想の原点」としている。渡辺は大学生時代、永井の授業を受けるため、天ぷら学生として東工大に通っていた[38]。
所属団体・議員連盟
- 日本会議国会議員懇談会
- 神道政治連盟国会議員懇談会
- みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会
- 日本の前途と歴史教育を考える議員の会
- 親学推進議員連盟
- 速やかな政策実現を求める有志議員の会
- 例外的に夫婦の別姓を実現させる会
- 四騎の会
著書
- 『反資産デフレの政治経済学-戦略型資本主義を構築するために-』東洋経済新報社、2001年3月
- 『日本起死回生トータルプラン』光文社、2001年6月 (石原伸晃、塩崎恭久、根本匠との共著)
- 『日本はまだまだ捨てたものじゃない-ニッポン経済最強の法則-』徳間書店、2001年7月
- 『シナリオ 日本経済と財政の再生』日刊工業新聞社、2001年7月 (伊吹文明との共著)
- 『金融商品取引法』文春新書、2007年3月
- 『脱・官僚政権樹立宣言』講談社、2009年4月
- 『絶対の決断』PHP研究所、2009年5月
- 『公務員制度改革が日本を変える』飛鳥新社、2009年8月
- 『民主党政治の正体』角川SSC新書、2010年1月
- 『みんなの力』宝島社新書、2010年6月
- 『いつまで官僚の「日本破壊」を許すのか』徳間書店、2010年10月
- 『霞が関がなくなる日』主婦の友社、2010年11月
脚注
- ^ a b c d e f 渡辺 喜美 | GLOBIS 知見録 2014年12月1日
- ^ asahi.com:新行革担当相の渡辺氏 行動派の「政策新人類」 2006年12月28日12時37分
- ^ (魚拓)asahi.com:新行革担当相の渡辺氏 行動派の「政策新人類」 2006年12月28日12時37分
- ^ 渡辺・元行革相、自民離党の意向固める…後援会などで明言読売新聞、2009-01-05閲覧。
- ^ 渡辺元行革相、官邸で門前払い…公開質問状も不発読売新聞、渡辺元行革相が首相に公開質問状 首相秘書官が門前払いMSN産経ニュース(産経新聞)など
- ^ みんなの党「残党」 “復活”模索も前途多難の様相 夕刊フジ、2015年3月16日
- ^ 渡辺喜美氏、参院比例選出馬へ…複数党から要請読売新聞、2016年4月8日
- ^ “渡辺喜美氏が政界復帰 おおさか維新から比例当選”. 日本経済新聞 (2016年7月10日). 2016年7月11日閲覧。
- ^ “なぜ今、参政権法案?与野党に波紋、暗躍する推進派 党議拘束外しで急進展も (2/2ページ)”. 産経新聞. (2009年11月6日) 2010年3月26日閲覧。[リンク切れ]
- ^ “外国人選挙権反対集会に与党議員 亀井氏「拒否権発動」”. 47NEWS(共同通信社). (2010年4月17日) 2010年4月18日閲覧。
- ^ 野田聖子「選択的夫婦別姓制度」2001年11月6日
- ^ 衆議院議員 渡辺喜美 地域主権型道州制国民協議会
- ^ 郵政顧問・坂氏の退任劇 渡辺代表が菅長官に「通報」きっかけ 産経新聞 2014年3月7日
- ^ 週2日以下で1000万円、日本郵政顧問の高額報酬 菅長官「国民に理解されないことするな」 産経新聞 2014年3月10日
- ^ 2008.7.17産経新聞
- ^ 2008.10.2時事通信
- ^ 2008年9月19日フィナンシャル・タイムズ Japan may put money in global rescue fund
- ^ (魚拓)2009年10月6日毎日新聞 外貨準備:政府が米金融2社救済案 08年8月に支援検討
- ^ 2009.10.6毎日新聞
- ^ パーティ券リストの面々 しんぶん赤旗 2003年9月12日
- ^ 衆議院議員鈴木宗男君提出社団法人全日本トラック協会への補助金のあり方に関する質問に対する答弁書
- ^ (魚拓)2006年12月29日(金)「しんぶん赤旗」 渡辺行革相政治資金 一晩で5千500万円稼ぐ 先物業界団体から献金
- ^ “迂回献金:先物会社が与謝野氏、渡辺喜氏に ダミー通じ”. 毎日新聞. (2009年6月24日) - http://web.archive.org/web/20090625044549/http://mainichi.jp/select/jiken/news/20090624k0000m040158000c.html
- ^ みんな・渡辺前代表団体、9千万円貸し付け不記載か 朝日新聞 2014年10月4日
- ^ 国政選前に8億円「借り入れ」=渡辺喜美氏、資産報告と違い-週刊誌報道 時事通信2014年3月25日
- ^ 選挙資金なら違法の恐れ 渡辺氏への貸付金、識者ら指摘朝日新聞デジタル2014年3月27日
- ^ 【みんなの党渡辺代表】選挙情勢伝え「5億必要」DHC会長にメール 2012年衆院選前 共同通信2014年3月29日
- ^ 【8億円借金問題】渡辺代表を東京地検に告発 公選法や政治資金規正法違反罪 東京の市民団体 MSN産経ニュース2014年3月28日
- ^ 渡辺喜美“みんなの党”元党首・夫人の口座は裏口座だ!(告発状を東京地検に送付!) 上脇博之ブログ「ある憲法研究者の情報発信の場」
- ^ 渡辺氏、説明クルクル…唯一の具体例は「熊手」 読売新聞 2014年4月8日閲覧
- ^ 渡辺喜美代表辞任 みんなの声に屈す 日刊スポーツ 2014年4月8閲覧
- ^ 本会議ドロン2カ月 渡辺 みんな前代表 欠席理由語らずしんぶん赤旗2014年6月4日
- ^ 時事通信2014年4月7日 みんな・渡辺代表が辞任=8億円借り入れで引責-議員辞職否定、残債を返済
- ^ 神奈川新聞2014年4月7日 みんな渡辺代表辞任:浅尾幹事長、「速やかな決断を評価」
- ^ 日テレNEWS24 2014年4月7日 渡辺代表の辞任めぐる各党の反応
- ^ 毎日新聞2014年4月7日 みんなの党:統一地方選の影響を不安視 渡辺代表辞任で
- ^ “検察審査会 渡辺喜美元代表の不起訴不当の議決”. NHK. 2015年11月2日閲覧。
- ^ 『政治家の本棚』 朝日新聞社 (2002年04月) p.374
外部リンク
- 渡辺喜美公式サイト
- ヨッシー日記(公式ブログ 2014年1月30日より ココログと二重運用 最終更新2015年6月5日)
- ヨッシー日記[リンク切れ](公式ブログ 最終更新2014年4月7日。これはDHC借入問題発覚により記者会見を行なった日 のち閉鎖)
- 渡辺喜美旧公式ブログ[リンク切れ](2012年5月15日を以ってココログへ移転)
公職 | ||
---|---|---|
先代 山本有二 |
特命担当大臣(金融) 第10・11代:2007年 - 2008年 |
次代 茂木敏充 |
先代 佐田玄一郎 |
特命担当大臣(規制改革) 第9代:2006年 - 2007年 |
次代 岸田文雄 |
先代 嘉数知賢 櫻田義孝 山口泰明 |
内閣府副大臣 平沢勝栄、林芳正と共同 2006年 |
次代 平沢勝栄 大村秀章 林芳正 |
党職 | ||
先代 結成 |
日本維新の会副代表 今井豊と共同 初代:2016年 - |
次代 (現職) |
先代 結成 |
みんなの党代表 初代:2009年 - 2014年 |
次代 浅尾慶一郎 |