「桑田佳祐」の版間の差分
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2016年11月11日 (金) 00:31時点における版
桑田 佳祐 | |
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出生名 | 桑田 佳祐 |
生誕 | 1956年2月26日(68歳) |
出身地 | 日本・神奈川県茅ヶ崎市 |
学歴 | 青山学院大学経営学部除籍 |
ジャンル |
ロック[1] J-POP[1] |
職業 |
シンガーソングライター 作詞家 作曲家 編曲家 慈善活動家 |
担当楽器 |
ボーカル ギター ベース ドラムス キーボード ピアノ シンセサイザー パーカッション タンバリン マラカス カウベル ウインドチャイム ホイッスル ブルースハープ シンセベース ウクレレベース ウクレレ |
活動期間 |
1978年 - ソロ活動 1986年(KUWATA BAND) 1987年 - 1988年 1991年(SUPER CHIMPANZEE) 1993年 - 1995年 2001年 - 2002年 2007年 - 2008年 2009年 - 2013年 2016年 - |
レーベル | タイシタレーベル |
事務所 | アミューズ |
共同作業者 |
サザンオールスターズ KUWATA BAND SUPER CHIMPANZEE |
公式サイト | sas-fan.net |
くわた けいすけ 桑田 佳祐 | |||||
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本名 | 桑田 佳祐 | ||||
別名義 |
嘉門 雄三[2] 桑竹 居助 JOHN PAUL MacLENNON[2] 夷撫 悶汰[2] 古賀 紅太[2] | ||||
生年月日 | 1956年2月26日(68歳) | ||||
出生地 | 日本・神奈川県茅ヶ崎市 | ||||
身長 | 170cm[1] | ||||
血液型 | A型 | ||||
職業 |
シンガーソングライター 作詞家 作曲家 編曲家 慈善活動家 | ||||
ジャンル |
ロック J-POP | ||||
活動期間 | 1978年 - | ||||
配偶者 | 原由子(1982年 - ) | ||||
著名な家族 |
岩本えり子(姉) 桑田祐宜(長男) | ||||
事務所 | アミューズ | ||||
公式サイト | sas-fan.net | ||||
主な作品 | |||||
音楽 「悲しい気持ち (JUST A MAN IN LOVE)」(1987年) 「波乗りジョニー」(2001年) 「白い恋人達」(2001年) 「明日晴れるかな」(2007年) 製作音楽 「いとしのエリー」(1978年) 「真夏の果実」(1990年) 「TSUNAMI」(2000年) 監督映画 『稲村ジェーン』(1990年) | |||||
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桑田 佳祐(くわた けいすけ、1956年2月26日 - )は、日本の男性ミュージシャン、慈善活動家[3]。神奈川県茅ヶ崎市出身。所属事務所はアミューズ、所属レコード会社はSPEEDSTAR RECORDS内のタイシタレーベル。鎌倉学園高等学校卒業、青山学院大学経営学部除籍。愛称は、ケイちゃん、すけちゃん、桑っちょなどである。
シンガーソングライターであり、またロックバンド・サザンオールスターズのリーダーで、楽曲の作詞・作曲・ボーカル・ギターを担当している[1]。妻は同バンドのメンバーの原由子[1]。
人物
この節の内容の信頼性について検証が求められています。 |
青山学院大学在学中よりバンド活動を行いバンド名の変更とメンバーチェンジを繰り返した後、サザンオールスターズとしてデビューした。 1987年のソロ活動開始以降、サザンとソロ、それぞれの活動を数年毎のローテーションで行っている。
1982年に、サザンのキーボーディスト・原由子と結婚し、これまでに2男をもうける。長男はインディーズバンド・READ ALOUDのボーカル、桑田祐宜[5]。
生い立ち
父親が茅ヶ崎で映画館を経営していた。桑田が音楽に興味を持ったのは、姉・えり子の影響が大きい。姉の岩本えり子は後年、いくつかサザン、桑田ソロの曲で英語補作詞として参加している。桑田によると、作詞に行き詰った際に電話で相談し、参考にしていた。学生時代は、姉が集めていたビートルズ等のレコードを聴き入っていた。
学生時代 影響を受けたアーティストは、上記のビートルズ以外に、エリック・クラプトンやリトル・フィート、ボブ・ディランなどがいる。また、フィラデルフィアポップスや筒美京平の作品にも影響を受け[6]、それらは後の音楽活動(演奏、作曲等)の下地になっている。
中学校時代は野球部に所属していた[7]。
中学生から高校生にかけ、今は無きパシフィックホテル茅ヶ崎のボウリング場でジュニアボウラーとして鳴らしていた。アベレージは200以上あり、クイズ番組『カルトQ』でも問題として出題された、アマチュアのボウリング大会に出た時の公式記録は297(10フレーム目の3投目だけは7本倒し、それまでの11投は全てストライク)とのこと。昭和40年代、大ブームだったプロボウラーを目指してもいたという。当時ジュニアボウラーはあまり多くなく、パシフィックボウル茅ヶ崎で一緒にしのぎを削っていたのが、同い年で友人の扇一平(文化放送アナウンサー)である。その扇の娘で、ロックシンガーソングライターの扇愛奈は、桑田の長男と同級生で、高校時代バンドを組んでかなりの人気があった。また、桑田について中・高校時代の友人達は、後にワイドショーのインタビューに応じ「桑田は昔、歌手じゃなくてプロボウラーになりたがっていた」と語っている。
青山学院大学時代〜メジャーデビュー
高校は、鎌倉学園高等学校に通う。在学中は英語のみ成績が良く、明治学院大学と青山学院大学に合格し、青山学院大学を選択する。大学の音楽サークル“Better Days”(ベター・デイズ)に所属し、本格的にバンド活動を開始。「温泉あんまももひきバンド」「脳卒中」「ピストン桑田とシリンダーズ」「青学ドミノス」など、頻繁にバンド名の変更やメンバーチェンジを繰り返していた[8]が、1976年頃から自身のバンドに“サザンオールスターズ”の名を使用。これが定着し、メンバーも固定されるようになる。1978年6月25日、ビクター音楽産業より、サザンオールスターズとして「勝手にシンドバッド」でメジャーデビュー。ちなみに、大学は一度留年した後に、学費滞納により4年在学した後、1978年に除籍になったとのこと(サザンのメンバーで青学に在学していた桑田と大森・関口・原のうち、卒業出来たのは関口と原の2人だけである)。
- 20代であるにもかかわらず、合宿先などでステテコ・ももひき・サングラスといういでたちであったために、サークル仲間に30代だと言われていた。最も初期に付けられていたバンド名「温泉あんまももひきバンド」は、この時の桑田の風貌から来ている。
- サザンのメンバーで、後に妻となる原由子とは「Better Days」で知り合う。当初、桑田は原の友達の女の子が目当てで原に近づいていたため、原のことは容姿を嘆いたり散々な軽口を叩いていたが、エリック・クラプトンなどの洋楽の好みで気が付けば意気投合、デビューまでの間に完全に付き合っており、サザンのメンバーやサークル仲間の間でも公認の仲であったという。詳細は、原の著書『娘心にブルースを』で語られている。
- デビュー当時はコミックバンド扱いされていたこともあり、当初桑田も芸名を「桑田K助」にする話もあった。本意では無いものの、芸人的な立ち振る舞いで、特に長門裕之に顔が似ていることを売りにしていた。また、三遊亭圓生や稲川淳二、大橋巨泉などの物真似も披露しており、現在でも度々ネタにしている。
- デビュー当時サザンは、本人達にとっては強制的な形で『8時だョ!全員集合』や『スターどっきり㊙報告』などのバラエティ番組にも度々出演し、コントやモノマネなどの芸をしていた。ちょうどその頃、ザ・ドリフターズのリーダーいかりや長介が、ドリフ脱退を希望していた高木ブーに代わる新しい人材を探していたところで、TBSプロデューサー居作昌果を通して、桑田にドリフ加入を打診していたという。桑田は、いかりやとは会うだけ会ったが、具体的なやり取りについては明かされていない。
パフォーマンス
歌唱法
独特の歌唱法は、日本人からは高校時代より大ファンだった前川清から来ており、洋楽ではボブ・ディラン等の影響を受け、学生時代は声質をより近付けるため、ウォッカで喉をうがいし、自宅の部屋にこもって枕に顔を押し付けて大声を出し続ける等などの荒行も行っていたという。その結果、1982年頃までの楽曲にしゃがれ声が際立っている作品が多い。しかし、声帯への悪影響も強く、声が出なくなって出血することもあった。その後は、声帯を酷使する極端な歌唱を控えるようになり、しゃがれ声が際立った曲は一部に留まっている。作品の発表時期によって歌声が異なって聴こえるのはこのためである。
また、サザンオールスターズは、テレビの音楽番組における歌詞の字幕スーパー(テロップ)が流される端緒を作ったとされる。これは、桑田の早口の歌い方に視聴者が「歌詞が判らない」と苦情を寄せたため、テレビ局が桑田の歌い方に対応するために歌番組でのテロップ表示を行ったとのことである。
プレイヤーとして
レコーディングなどではギターを担当することがほとんどだが、時にベース・ブルースハープやドラムス・キーボード・パーカッションなども演奏するマルチプレイヤーでもある。特に、ソロ名義の「素敵な未来を見て欲しい」や「MUSIC TIGER」などは、桑田1人ですべての楽器が演奏されている。
ギタリストとしてクローズアップされることは比較的少ないが、ボトルネックによるスライドギターのプレイヤーとしても知られ、サザンやKUWATA BANDのライブでは曲の間奏で度々その姿を披露、さらに泉谷しげるのアルバム「吠えるバラッド」では「JHON PAUL MacLENNON」名義でスライドギター奏者としてレコーディングに参加。しかし、本人によると「コードとかはよくわからない」という。
ライブパフォーマンス
1980年代から1990年代まで、ライブや音楽番組などでは時にステージに寝転がったり、飛び跳ねたりの激しいパフォーマンスが特徴であった。MCや曲中の煽りなども、所謂「縦ノリ」の男臭いロックミュージシャンらしい姿が見られていたが、近年では激しい動きは少なくなった反面、ギターのソロプレイを魅せる割合が多くなっている。サザンで活動の際は、ライブ終盤での客席への紙コップ(エスカレートした場合は消防用のホースでの放水)の水撒きも定番であった。これは、2005年『ミュージックステーション』出演の際に「花火や火薬等は制限があるが、水は制限は無い。これ以上スケールの大きいものは水しか考えられない」と桑田は語っている。
マイクを性器に見立ててマスターベーションを思わせるパフォーマンスは定番となっており、「イエローマン」や「BOHBO No.5」のプロモーションビデオでも確認できる。
曲作り
曲作りは、ほとんどが曲先(作曲された曲に詞を当てはめる)である。デタラメ英語などの仮歌段階のまま、編曲までほぼすべてを終わらせた後、仮歌の語感を崩さない言葉を選んで、そこから歌詞全体のテーマ・世界観を決める。そのため、日本語・英語ともに文法的には間違っている歌詞も多々あり、間違いを指摘されたり「意味が分からない」などと批判される事がしばしばある。これは、文章の正確さよりも、語呂の良さ・符割などを優先させるが故の結果であり、そのためには古文・方言・都々逸も用い、メロディに合う言葉がないのなら造語を自分で作ってしまうこともある。
作詞の際には、作品中やタイトルに人名を登場させることも多い。特定の人物を讃えた曲もあるが、名前のみを身近な人物または縁の人物の中などから、歌詞全体とメロディに合う語感として引用し、特定の人物は指していない場合が多い。前者は『吉田拓郎の唄』『星空のビリー・ホリデイ』『Dear John』『唐人物語』など。後者は『いとしのエリー』『チャコの海岸物語』『そんなヒロシに騙されて』『MARIKO』『シュラバ★ラ★バンバ』『可愛いミーナ』ほか多数の曲で使われている。
また、英語と日本語とのダブル・ミーニングを取り入れ、日本語の中でも縁語、掛詞など和歌における修辞技法がよく見られる。本人曰く「楽曲は歌詞カードも含めての作品なので、歌詞カードもじっくり読んで欲しい」との思いも込められている。
自身の音楽観については「言い訳が許されない音楽っていうのが一番正しい」とし、桑田にとってそれはポップスだとしている[9]。
サザンとソロ活動の両立
サザンとソロとの活動の違いが分かりづらいと指摘されることも多い。この疑問に対して桑田は、サザンのメンバーやサザンとしての活動は家族・家庭であり、ソロ時のサポートメンバーおよびソロとしての活動は愛人と逢っているようなものと例え、サザンの楽曲やソロの楽曲はそれぞれの間で生まれた子供達だと表現をしている。また、プロレスラーの武藤敬司にも例え、サザンの時は素顔の武藤として戦い、ソロの時はペイントをしてグレート・ムタとして戦うとも表現している。
また、ソロ名義で出演するライブやフェスティバル、単独名義で行っている自身のラジオ番組のライブなどでは、サザン名義の楽曲も演奏されることがある。この点に関してファンからは「ソロのライブでサザンの曲を唄わないで欲しい」との意見もあったが、その意見に対して桑田は「ファンの気持ちも分かるんですけど、『唄ったっていいじゃん、どっちでもいいじゃん』て思う時も実はあるんですよね」とインタビューで答えている。ソロ名義で行うワンマンライブやツアーでは、基本的にサザン名義の楽曲が歌われることは少ない。1986年のKUWATA BANDのときは、ライブでサザンの曲を封印していたが、1988年のサザン復活ライブでは、途中に桑田ソロコーナーを設け、「スキップ・ビート」も歌っていた。
交流関係
この節の加筆が望まれています。 |
- T-BOLANのボーカル森友嵐士は桑田佳祐の父がやっていた店でアルバイトをしていたことから、桑田佳祐の子供のベビーシッターのアルバイトをすることになり、桑田の自宅に出入りしていたことがある。また、サザンオールスターズのコンサート前のリハーサルを見せてもらったりもしていた。
- 元落語家、笑福亭笑光こと鳥飼達夫は1981年12月、桑田のソロ名義のライブ「嘉門雄三&Victor Wheels」のライブに前座として出演。翌1982年にはアミューズのスタッフとして「チャコの海岸物語」の宣伝活動に回りながら、サザンのライブの打ち上げにも毎回顔を出し、次第に桑田に気に入られる。そして鳥飼は「芸名をつけて欲しい」と桑田に頼み、嘉門雄三から苗字を取り、嘉門達夫と名乗るようになる。その後も現在に至るまで、桑田は嘉門の替え歌を容認し続けるなどの仲である。
- 同じアミューズの後輩である福山雅治のことを「マサジ」と呼んでいる。福山に対しては、ラジオや共演したライブの際に極端にイジり倒す場面も見られるが、実際にはプライベートでも一緒に飲みに行ったりビリヤードをやったりする等の仲である。桜坂を「あんないい曲、マサジに作れるわけがない」との発言は、逆に福山の才能を讃えての言葉とも言える。
- サザンのファンを公言する平井堅は、学生時代は「NO-NAME(サザンのシングル「EMANON」の逆さ読み)」というコピーバンドを組んでおり、また、桑田の自宅の門の上に「コーラスでいいので雇ってください」と、メッセージを添えたデモテープを置いて行った。なお、このテープは桑田の自宅で2012年にも保管されており、その後、自身のFM番組『桑田佳祐のやさしい夜遊び』に平井堅がゲスト出演した回にテープの音源が流された。2003年の『FNS27時間テレビ〜みんなのうた』内の『桑田佳祐の音楽寅さん 〜MUSIC TIGER〜サザンオールスターズスペシャル』では、桑田・原と共にサザンの「栞のテーマ」をハモり、共演を果たした。さらに、平井の2ndシングル「片方ずつのイヤフォン」の歌詞には“Southern All Stars”が登場し、アルバム『Ken's Bar』ではKUWATA BANDの「ONE DAY」、『Ken's Bar II』では「白い恋人達」、『Ken's Bar III』ではサザンオールスターズの「いとしのエリー」をカバーしている。
人柄・エピソード
- 生まれも育ちも湘南であり、楽曲でも湘南のイメージが強いものの、桑田自身は湘南という呼称に否定的であり、自身が監督した映画『稲村ジェーン』に出てくる「地元の人間は湘南なんて誰も言わない」というセリフは桑田自身の言葉でもある。しかし、「勝手にシンドバッド」の歌詞には「いつになれば湘南 恋人に会えるの」というフレーズがある。サーフィンも、中学生時代に友人の板を借りて数回やったことがある程度で、その時はまったく立てなかったという。青学時代は「バンドマンとサーファーは敵対関係」と考えていた。デビューしてからも長い間サーフィンには目もくれず、泉谷しげるに丘サーファーなどとネタにされることもあったが、1993年、37歳にしてサーフィンを始め、現在も続けている。
- 振り付け師、南流石の芸名の名付け親である。南は流石組を率いて、サザンの1988年のライブ「大復活祭」や、原の1991年のソロライブ「花咲く旅路」にも振付師・ダンサーとして出演し、原がライブでダンスを披露する際にも振り付けを担当した。
- オカマのことを「男と女のハーフだからニューハーフだね」と、大阪のラジオ番組で「Bettyのマヨネーズ」のママに名付け、『ニューハーフ』という言葉を世間に広めた[10][11]。しかし本人は、自分が広めた訳ではないと否定している[12]。
- プライベートでは良きマイホームパパであり、ラジオ番組では度々「息子とサーフィンをした」「ギターを教えた」などの話題を話している。特に2000年春、次男の小学校の卒業式に行った際、教室で卒業生の前で当時ヒット中の『TSUNAMI』を生ギターで唄い、この時の様子が雑誌「FRIDAY」に写真入りで掲載された。桑田が唄っている最中、原は教室の後方から桑田の姿をビデオカメラで撮影していたという。
- 度々髪型を変えたり髭を伸ばすこともあり、CDのジャケット毎にイメージが異なる。特に桑田が四十路を迎え、アルバム『Young Love』リリースの1996年頃はそれまでになかった程、髪をロングヘア・茶髪にしてメディアに登場していた。本人は気に入っていたのだが概ね不評で、抗議のファンレターまで届いたほどだという。翌年には元の短髪に戻していた。1999年秋 - 冬頃にはパーマもあてていたが、その期間も短く、1999年末の年越しライブ「晴れ着DEポン」の時にはすぐに戻していた。このパーマに失敗したらしく、「TSUNAMI」の大ヒットで、特にメディア出演が多かったこと故、この時の髪型にはかなり後悔していた。また、「HOTEL PACIFIC」のPVでは金髪にしていたが、「茅ヶ崎ライブ 〜あなただけの茅ヶ崎〜」の時にはすぐに元の黒髪に戻していた。
- ラジオなどで度々、エリック・クラプトンやレイ・チャールズをリスペクトする発言が目立つものの、本人に会ったことは一度も無いという(会えるチャンスは何度もあったとのこと)。これは「心底惚れたミュージシャンの普段の姿は見たくない」というファン心理からであるという。
- お笑いが好きで自身のラジオやライブ中のMCでは自分がその時気にいっているお笑い芸人のフレーズや、流行しているものを多様する(2004年の波田陽区、2006年に斎藤佑樹のパロディで「アミューズのハンカチ爺ィ」など)。これは、サザンのメンバーやサポートメンバーもその年に流行した芸人などをネタにしている(松田弘が、自分と同じ名前であるヒロシや猫ひろしのネタを拝借するなど)。
- コスプレも好きであり、第2期の『音楽寅さん』ではしばしばコスプレを披露した。また、『マンピーのGスポット』を披露する際は、「マンヅラ」と呼ばれるハゲヅラが定番となっており、年々ヴァージョンアップしている。
- ドラマ『赤い霊柩車』にハマってる。子供や動物を使って涙を誘おうとするような番組、映画は嫌ってる。
- プロレスファンでアントニオ猪木を敬愛している。猪木とは、幾度か共演も果たしている。ライブの煽りではスタン・ハンセンの決め台詞「ウィー!」や、猪木の決め台詞「1、2、3、ダー!」を叫ぶのが定番。2007年、「WONDA」(アサヒ飲料)のCMで(合成映像の)ジャイアント馬場と“共演”した際に馬場から“十六文キック”を浴びせられた。
- 料理が得意であり、ラジオでもリスナーからお手軽な料理のレシピを投稿してもらうことがある。レコーディング中は鍋料理をよく作る。自分の著作に、本格的なカレーのレシピを載せたこともある[13]。
- かつてはヘビースモーカー(銘柄はハイライト)だったが、1999年10月23日から禁煙を開始[14]。以降は「口元が寂しくなるとチュッパチャプスを舐める」とラジオで語ったほか、レコーディング中に禁煙パイポを吸っている姿も度々映っている[15]。また1994年に母、2004年に父、2008年には姉をそれぞれがんで亡くしてしまったことにより、健康に対しての意識が強くなり、そのことが自らの食道癌の早期発見に繋がったともみられている[16][17]。
下ネタ好き
本人は一貫して、下ネタ好きの三枚目なキャラクターを通している。サザン・ソロ名義問わず「経験 II」や「ボディ・スペシャルII」「マンピーのG★SPOT」「EARLY IN THE MORNING」等放送禁止用語を狙って作詞するケースも多い。特に、近年のライブでは、客席に向けての「ヤらせろ!!」や、「乳首見せろ!」「パンツ脱げ!」などの、セクハラ発言は恒例で、テレビ番組に出演の際に放送禁止用語を言ってしまうこともある。
- 『THE 夢人島 Fes.2006』では、WOWOWの生放送にもかかわらず、放送禁止用語を言ってしまった。
- 2008年9月24日に生放送された『CDTVスペシャル!15周年プレミアライブ』にサザンオールスターズとして出演。サザン無期限活動休止前の最後のテレビ出演であるが、同年8月に行われたライブ『大感謝祭』後半と同一のピーマンを模したヅラをかぶり全4曲の最後の曲として「マンピーのG★SPOT」を披露。最後のサビにおいて生放送にもかかわらず「マンピーの・・・」の部分で「マンコの・・・」と叫んでしまった。
- 自身のラジオ番組『桑田佳祐のやさしい夜遊び』(TOKYO FM製作)では、放送禁止用語を交えた替え歌を歌うなど下ネタを連発している。
- 自身のテレビ番組『音楽寅さん』でもしばしば下ネタやセクハラネタ(最悪は放送コードギリギリの行為)をするのがお約束になっている。(実際、2009年2期放送開始当初スポンサーだった花王は途中でクレジットから外れてしまった。)
- 事務所のアミューズ内でのサザンや桑田関係のスタッフは「全裸になることが多い」と桑田がラジオでコメントしている。
これらの言動は、アミューズ後輩・福山雅治や岡野昭仁(ポルノグラフィティ)にも影響を与えている。なお福山と同じく、大のアダルトビデオ好きであり、AV女優の夏目ナナや及川奈央、Rioの大ファンだと、自身のラジオなどで公言している。2003年の桑田の誕生日で、福山から及川奈央の2枚組DVDをプレゼントで貰ったことも、ラジオで発言している。
ライブ演出上のトラブル
2014年12月31日、年越しライブ『ひつじだよ!全員集合!』にて、同年11月3日に秋の叙勲にて受賞した紫綬褒章を披露した際に、今上天皇のものまねをし、褒章をジーンズのポケットから取り出し[18]、その直後に客に向けてオークションを意識し、「5000円から行きましょう」[19]と冗談を述べたところ、ネット上で「天皇陛下を侮辱している」「不敬だ」といった批判が寄せられ、これに合わせた抗議デモも発生した[20]。年が明けて2015年1月15日にアミューズは桑田との連名で前述の発言に対する謝罪文を発表し[21]、桑田本人も同年1月17日放送の「桑田佳祐のやさしい夜遊び」の冒頭にて謝罪を行った[22]。ただ、NHK紅白歌合戦で歌った「ピースとハイライト」の歌詞がメディアで政権批判、反日と批判されたことには真っ向から否定した。「『反日だ』『お前は日本人じゃない』と言い出す方がいるのは本当に残念ですし、明確に否定させていただきます。」と述べた[23]。 そして「たかが歌なのでたいした力はないかもしれませんが、私は日本を愛する者ですし、平和を願う者として、“希望の苗を植えていこうよ、地上に愛を植えていこうよ”というメッセージをお伝えしたい」と紅白で歌った「ピースとハイライト」の歌詞になぞらえて思いを語った。[24]
音楽活動
ここではソロ活動を中心に記す。サザンオールスターズなど、バンドとしての活動は各ページを参照のこと。
バンド活動と並行したり休業しつつ、ソロ活動を行っているが、活動期によりテーマやコンセプトを大きく異なることで、サザンオールスターズとしての活動とは特に一線を画している。
1986年のKUWATA BAND結成時には、桑田が「ロックを唄うのは英語しかない」と考えが行き着いた頃で、英語詞の洋楽テイストにこだわっていたこともある。その結果、KUWATA BAND唯一のスタジオアルバム『NIPPON NO ROCK BAND』は、日本語詞中心に構成されたシングル曲は一切収録せず、全曲新曲の全英語詞アルバムになった。しかし発売後しばらくは、自身も完成度に満足していない旨の発言が目立っていた。その後、考え方に変化が見られたのか、現在ではソロ名義のコンサートでKUWATA BANDの楽曲(シングル曲のみ)が演奏されることも多くなっている。
1987年 - 88年の第1期ソロ活動では、前年のKUWATA BANDの方向性とはうって変わって、ミュージックシーケンサープログラミングや打ち込み中心のポップス路線を展開した。小林武史との共同作業によって築かれたこの方向性は、後年のサザンでの活動にも影響を与えた。また、ダリル・ホール&ジョン・オーツとの共演も話題となった。
1993年 - 94年の第2期ソロ活動は、それまでの活動とはさらに異なり、期間中に母親が亡くなったことの影響による内省的な世界観や、辛辣な風刺を前面に押し出した歌詞は、サザンでの活動とはかけ離れた、ソロならではの方向性を打ち出した。サウンド面でも、小倉博和との共同作業による、楽器本来の音に着目したアコースティック(アンプラグド)・フォーク路線を展開した。
2001年 - 2002年の第3期ソロ活動は、前半と後半でさらに方向性が異なった。前半の2001年は、サザンとの差別化にはこだわらなくなった。この時はサザンでのメンバー脱退による移行があったため、もともとサザン名義で発表する予定だった楽曲を、ソロ名義で発売したものもある。また、逆にソロワークとして製作していた楽曲を、のちにサザンとしてカラーやアレンジを加えて発表した曲も生まれている(恋するレスポールなど)。後半の2002年は、斎藤誠らサポートメンバーで結成されたTHE BALDING COMPANYとの共同作業による、バンド形態の本格派ロック路線を展開した。ここでもサザンでの活動との差が色濃く出ている。CMタイアップとの関係で、思い切りポップ寄りな曲に挑戦した2001年に対し、2002年に発売された作品は、シングル・アルバムともに歴然とテーマの違いが出ている。2001年に発表された楽曲はアルバムに収録されることなく、ソロ活動の集大成として発表されたベストアルバムに収録された。
2007年の第4期ソロ活動は、楽曲的にはサザンとの差別化は特に図られていない。この4期目のソロ活動について桑田は、ラジオ番組や音楽雑誌インタビューなどの各メディアにおいて、『来年のサザン30周年に向けての足懸かりとしての期間』という旨のコメントをしている。なお、この時期のソロ活動でオリジナルアルバムは発表されていない。
2009年より第5期ソロ活動に入った。この時期も楽曲的にはサザンとの差別化は特に図られていない。2010年にはソロとしては4枚目となるオリジナルアルバムの制作に着手していたが、初期の食道癌を患っていることが発覚。治療に専念するため暫く音楽活動を休止していたが、退院後体調を考慮しながら再開し、12月26日付けで公式ホームページから完成されたことが報告された。2010年のNHK紅白歌合戦で特別枠として出演(ソロ名義では初、サザンオールスターズを含めると1983年以来となる出場)し、回復と復帰をアピールした。
変名
数多くの変名を使用しているがこれらの名前の由来は以下のとおり。いずれも桑田の遊び心に由来した名前である。
- 嘉門 雄三(かもん ゆうぞう)[2]
- 1981年ライブ「嘉門雄三&Victor Wheels」等で使用。英語の「COME ON(カモン)」と、同郷で桑田が敬愛する加山雄三から。
- 桑竹 居助(くわたけ いすけ)
- 1988年、RCサクセションのアルバム『COVERS』等で使用。名前の区切りを変えたぎなた読み。漢字は当て字である。
- JOHN PAUL MacLENNON(ジョン ポール マッカレノン)[2]
- 1988年、泉谷しげるのアルバム「吠えるバラッド」にスライドギター奏者として参加した際に使用。The Beatlesのジョン・レノンとポール・マッカートニーより。
- 夷撫 悶汰(いヴ もんた)[2]
- 1996年のAAAライブで使用。フランスの俳優イヴ・モンタンより。
- 古賀 紅太(こが こうた)[2]
- 2001年、シングル「波乗りジョニー」PV等で使用。桑田がCMソングを担当した「コカ・コーラ」のもじり[2]。
略歴
ここでは桑田佳祐のソロ活動に重点を置いて説明する。サザンオールスターズなどバンドとしての活動は各ページを参照のこと。
誕生〜1980年代
- 1956年
- 1977年
- 1978年
- 1979年
- 『オールナイトニッポン』(ニッポン放送などNRN全国ネット)木曜1部を担当。
- 1980年
- 10月24日、フジテレビ『ゴールデン洋画劇場』で放送された映画『アメリカン・グラフィティ』で、桑田の敬愛するラジオDJ、ウルフマン・ジャックの吹き替えを担当。
- スペクトラムのギタリスト・西慎嗣のソロアルバム『NISHI』をプロデュース。
- 1981年
- 生理用品アンネナプキンのCMに出演。
- タモリのシングル曲『狂い咲きフライデイ・ナイト』を楽曲提供。
- Egg-man(現・Shibuya eggman)のオープニングアクトとして、3月21日・22日の2日間に渡り「桑田バンド」としてライブを行う。メンバーは桑田・関口和之・斎藤誠・国本佳宏・宮田茂男。
- 12月11日・12日、Egg-manで桑田の別名・「嘉門雄三」によるユニット『嘉門雄三&Victor Wheels』として、洋楽のカバーライブを開催。メンバーは3月のライブに今野多久郎が加わったもので、原由子もゲストとして数曲参加した。
- 自身がプロデュースした原由子初のソロシングル『I Love Youはひとりごと』が卑猥な歌詞のため、放送禁止曲に。ビクタービル屋上にて抗議のゲリラライブを行うが、警察が出動するなどの騒ぎとなる。
- 1982年
- 2月26日、原由子と入籍。28日には東京プリンスホテルで結婚披露宴を行う。会場にはファン3000人を招待し、タモリ、ラッツ&スターなどの芸能人も出席した。
- 小林克也率いる「ザ・ナンバーワン・バンド」の1stアルバム『もも』にて曲を提供。また『六本木のベンちゃん』ではボーカルも担当。
- 中村雅俊に『恋人も濡れる街角』を提供。
- 12月31日、NHK紅白歌合戦での三波春夫パフォーマンスが物議を醸す。『チャコの海岸物語』でサザンとして2度目の紅白出場を果たした際のものであり、当時の「紅白=厳粛な雰囲気」という等式を打ち破るきっかけとなった。この時の間奏での桑田の発言は以下のとおり。
「国民の皆様、ありがとうございます。私たち放送禁止もたくさんございますが、こうしていけしゃあしゃあとNHKに出演させて頂いております。とにかく、受信料は払いましょう!裏番組はビデオで見ましょう!!」 - 研ナオコが歌った「夏をあきらめて」で第24回日本レコード大賞作曲賞受賞。
- 1983年
- 親交ある明石家さんまが「オレたちひょうきん族」(フジテレビ系)で演ずるアミダばばあのために、『アミダばばあの唄』を提供する。レコーディングでは桑田と原がコーラスを担当した。レコード会社が異なったため、長年この事実は伏せられていたが、2008年のサザン30周年を機にさんまが「もういいやろ」と言って話してしまった。
- 高田みづえがカバーした『そんなヒロシに騙されて』が第25回日本レコード大賞・金賞を受賞。
- 1984年
- 「オールナイトニッポン」に復帰。火曜1部を担当する。
- 1985年
- ラッツ&スターのメンバー全員の合同結婚式において媒酌人を務める。このときリーダー・鈴木雅之の父との会話が、後1996年のアルバム(サザン名義)『Young Love』に収録される『心を込めて花束を』を生むきっかけとなる。
- 6月15日、佐野元春なども参加したイベントライブ『ALL TOGETHER NOW』に飛び入り出演。段取り無視のパフォーマンスに佐野元春はあっけに取られたが、怒ってはいなかったという。
- 10月、サザンのツアー『KAMAKURA TO SENEGAL』で共演したトゥレ・クンダへのお礼の為、アフリカ・セネガルへ渡りトゥレ一家の元を訪れる。この模様はドキュメンタリー番組としてテレビでも放映された。
- 1986年
- 原の産休に伴い、サザンは最初の休業期間に入り、各メンバーのソロ活動がはじまる。
- 4月、1年限定のソロプロジェクト「KUWATA BAND」結成、『BAN BAN BAN』でデビュー。桑田は音楽番組やライブで度々「新人です!」と強調していた。
- 12月24日、クリスマス・イヴの夜の生放送番組「メリー・クリスマス・ショー」 (日本テレビ系)をプロデュース。同番組で松任谷由実との共作『Kissin' Christmas (クリスマスだからじゃない)』を出演者一同で唄う。
- 1987年
- 10月6日、ソロデビューシングル『悲しい気持ち (JUST A MAN IN LOVE)』発売。以降、ソロでの活動が続く。
- ダリル・ホール&ジョン・オーツと「SHE'S A BIG TEASER」(シングル『いつか何処かで (I FEEL THE ECHO)』収録)・『REALOVE』(ホール&オーツのアルバム『Oh Yeah!』収録)を共同レコーディング。
- 12月24日、前年に続き「メリー・クリスマス・ショー」プロデュース・出演。
- 1988年
- 3月16日、2ndシングル『いつか何処かで (I FEEL THE ECHO)』発売。
- 4月21日、河内淳一のアルバム『One Heart』に収録されている『Day After』と『恋に落ちた日 〜ANYDAY YOU LOVE ME〜』にコーラスで参加。
- 6月25日、『みんなのうた』で、サザンでの活動を再開させる。
- 7月9日、1stソロアルバム『Keisuke Kuwata』発売。
- 8月、RCサクセションの問題作アルバム『COVERS』に参加。この時には桑竹居助なる変名でクレジットされている。この名義は1984年にサザンのファンクラブ会報『代官山通信』の署名でも使用されていた。
- 10月、山下達郎のアルバム『僕の中の少年』収録の『蒼氓』に原由子と共にコーラスで参加。
- 10月14日、ダリル・ホール&ジョン・オーツの東京ドームでのライブに飛び入り出演。
- 12月31日、『Keisuke Kuwata』で第30回日本レコード大賞・優秀アルバム賞を受賞。
- 1989年
1990年代
- 1990年
- 4月、NHK-FMにてラジオ番組『ミュージック・スクエア』スタート。火曜日のDJを担当。民放での番組とは違い、下ネタなどの過激な発言は無かったものの(寸前まで行ったことはある)、リスナーからの投稿ハガキを読む『日本四方山話のコーナー』『句会のコーナー』、洋楽を1曲ピックアップし和訳を読み上げる『訳詞のコーナー』、テーマに添ってベスト3の楽曲を紹介する『My Count Down』などのコーナーが人気であった。また、1週おきにゲストミュージシャンを迎えてのトークも繰り広げた。この番組には、同じサザンの野沢秀行や渡辺美里・奥居香・高橋幸宏・杉真理・嘉門達夫・アン・ルイス・松尾和子、河内淳一といったミュージシャンのほか、プロレスラーの前田日明も出演した。毎年年始には原由子も出演。1993年4月で担当を終了。
- 7月、『稲村ジェーン』クランク・アップ。映画公開までに、宣伝を兼ねて歌番組のほか、ワイドショー・ニュース・トーク番組などに積極的に出演。また、試写会を藤沢市の海岸で行い、桑田も会場に登場して『恋はお熱く』を唄う。
- 9月7日、『稲村ジェーン』を公開した。興業的成功を収める。
- 第32回日本レコード大賞のポップス・ロック部門において、ロック・ゴールド・ディスク賞、最優秀ロック・ボーカル賞、作曲賞を受賞。大賞にノミネートした「真夏の果実」は、最終選考で「おどるポンポコリン」との一騎討ちに敗れる。
- 1991年
- 3月24日 - 26日、新宿のライブハウス「日清パワーステーション」で、洋楽ロックのスタンダードナンバーをアンプラグドで演奏する『アコースティック・レボリューション』を行う。メンバーは小倉博和、小林武史、キース、など多彩な顔ぶれ。
- 6月、小林武史・小倉博和・今野多久郎と共にゲリラライブを兼ねて中国・北京へと渡り、天安門広場にてボブ・ディランの「風に吹かれて」、SUPER CHIMPANZEEのオリジナル曲「クリといつまでも」、北京の某ライブハウスにてビートルズの「アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア」などを演奏した。この模様は後に桑田が出演した筑紫哲也 NEWS23などで放送された。この旅行は翌年のサザンの北京ライブへと繋がる。
- 9月26日、SUPER CHIMPANZEE名義で『クリといつまでも』発売。
- 10月2日、3月の『アコースティック・レボリューション』を収録したライブビデオ『Acoustic Revolution Live at Nissin Power Station 1991.3.26』発売。
- 1992年
- 6月27日、企画アルバム『フロム イエスタデイ』発売。KUWATA BAND時代のシングル4作が初CD化での収録となる。
- 1993年
- 10月6日、3rdシングル『真夜中のダンディー』を発売。サザン活動中のソロ名義でのリリース。
- 12月1日、世界エイズデーであるこの日、多数のアーティストを集めた「AAA〜アクト・アゲインスト・エイズ」武道館公演を選曲・プロデュースし自らも出演。出演は泉谷しげる・大友康平・アン・ルイス・渡辺美里・福山雅治・原由子など、著名な顔ぶれが揃った。バックバンドとして小林武史・小倉博和・根岸孝旨・小田原豊・今野多久郎が集い、昭和歌謡曲を中心に多彩なアレンジで参加者がリレー形式で唄った。また、桑田・奥田民生・宮田和弥(当時JUN SKY WALKER(S))・奥居香(当時プリンセス・プリンセス)をメインボーカルに、このライブのために作られたチャリティーソング『光の世界』が唄われた。この後、様々なアーティストが集う形式はAAAで恒例化していくが、桑田がプロデュースしたのはこの1度きりである。昭和歌謡を多彩なアレンジで唄う形は、後々の活動の原形となった。特にこのライブで初めて唄われた「ヨイトマケの唄」は、その後のソロライブや自身のテレビ番組などでも度々唄われることとなる。
- 1994年
- サザン2度目の休業期間に入る。
- 8月24日、4thシングル『月』発売。CD店などの告知ポスターには「桑田佳祐、今年は一人で歌います」とのコピーの煽りがあった。後年香港で張学友によるカバー広東語の曲が発売され、大ヒット。
- 9月23日、2ndアルバム『孤独の太陽』発売。収録曲『すべての歌に懺悔しな!!』が、矢沢永吉と長渕剛を揶揄しているとされ問題となり、桑田が「あれは自分を含めた芸能ロックミュージシャンを歌ったもの」と釈明し、2人に対して謝罪。矢沢は「まったく気にしてない。それより桑田君の方は大丈夫か?」と大人の対応をするが、長渕は『views』誌上にて「俺は桑田佳祐を許さない!」などとコメントし、ファン、マスコミを巻き込んでの一大論争に発展した。翌年に、長渕が大麻の不法所持で逮捕されたことで、なし崩し的に沈静化する。詳しくはすべての歌に懺悔しな!!による論争を参照のこと。
- 9月 - 12月、初のソロ名義全国ツアー『さのさのさ』開催。全国29都市35公演を敢行。サザンでは長らく行われていなかった、ホール・市民会館などの小規模の会場でのライブを行う。ツアー期間中の10月28日には母校である青山学院大学において「帰って来た青山のダンディー」と題し、学園祭ライブも行う。この日は通常のセットリストに加え、原・関口とともに、母校の思い出を綴った『Ya Ya (あの時代を忘れない)』を唄う。
- 10月31日、5thシングル『祭りのあと』発売。
- 12月1日、AAA武道館公演に出演者の1グループとしてサザンが登場し、オリジナル曲5曲を演奏。ソロ活動中の同年において、久々にバンドとして、更に休養中の関口和之も復帰し、6人揃って登場した。また、桑田佳祐&Mr.Childrenとして発表する『奇跡の地球(ほし)』を初披露。
- 12月21日、『さのさのさ』ツアーを収録したライブビデオ『すべての歌に懺悔しな!! -桑田佳祐 LIVE TOUR'94-』発売。ツアーが終了する前の発売であった。
- 12月31日、「月」で第36回日本レコード大賞・優秀賞を受賞、『孤独の太陽』でアルバム大賞受賞。ソロツアー「さのさのさ」最終日、横浜アリーナにおいて年越しカウントダウンライブ。
- 1995年
- 1月23日、共に編曲などで交流のあった小林武史との縁により、Mr.Childrenと桑田佳祐&Mr.Children名義で『奇跡の地球(ほし)』をチャリティーシングルとしてリリース。
- 4月、「桑田佳祐のキヤノンFMワンダーランド 〜やさしい夜遊び〜」(現・桑田佳祐のやさしい夜遊び、TOKYO FMなどJFN全国ネット)スタート。自身がパーソナリティを務め、現在も続く長寿番組になっている。
- 4月 - 5月、Mr.Childrenと共演のライブツアー『LIVE UFO '95桑田佳祐&Mr.Children“Acoustic Revolution with Orchestra”奇跡の地球(ほし)』開催。『奇跡の地球』のほかにビートルズなどの洋楽も披露した。
- 12月1日、Act Against AIDS'95をタイのバンコクにて開催。小林武史や小倉博和らとともに「真夏の果実」「悲しい気持ち (JUST A MAN IN LOVE)」のほか、ビートルズやジョン・レノンのナンバーなど、計7曲を歌う。
- 12月31日、横浜アリーナで行われた岸谷五朗主催のアミューズのイベント『THE VARIETY III 異業種共演 大晦日の宴 〜FOR AAA』に出演。サザンとしての年越しライブに替わる出演で、桑田はカウントダウンの直前に登場。爆風スランプの演奏で「勝手にシンドバッド」を唄い、1996年を迎えた。また、出演者の石橋貴明・唐沢寿明・岸谷五朗とともに「ゴロー&センズリッターズ」として、桑田の書き下ろしの曲『長嶋は教祖なんかと違います』を唄い、唐沢は本業とは違うコミカルな一面を見せた。カウントダウンの瞬間は、年が明けるよりも数十秒も早く曲が終わってしまい、年が明けるまで出演者がMCのみで会場を煽ったが、かなり間の悪いものになってしまった。
- 1996年
- 1997年
- 3月5日、昨年のAAAライブを収録したライブビデオ『夷撫悶汰レイト・ショー〜長距離歌手の孤独 in Jazz Cafe〜』発売。
- 9月、サザンが影響を受けたバンドであるリトル・フィートのギタリスト、ローウェル・ジョージのトリビュート・アルバム『ROCK AND ROLL DOCTOR』のレコーディングのため渡米。「日本人でリトル・フィートのカバーを任せられるのはこの人だけ」と、唯一の日本人ボーカリストとして抜擢され「LONG DISTANCE LOVE」を歌った。10月には、同アルバムが日本でもリリース。
- 10月、桑田がAAAで『サルビアの花』などをカバーしたこともある早川義夫に、書き下ろしの新曲『アメンボの唄』を提供。作詞曲のほか、ギター・コーラスでレコーディングに参加。テレビ朝日系バラエティ番組『人気者で行こう!』エンディングテーマに起用され、早川とともに桑田も番組のエンディングに出演していた。
- 11月28日 - 12月1日、『Act Against AIDS '97 桑田佳祐 歌謡サスペンス劇場』開催。昭和の歌謡曲を全30曲披露し、長らく放送禁止曲とされてきた岡林信康の『チューリップのアップリケ』も熱唱。その模様は深夜とはいえ,テレビで放映された。
- 1998年
- 1999年
- 11月30日 - 12月2日、『Act Against AIDS '99 桑田佳祐 エリック・クラプトソ 横浜公演』開催。クリーム、ブラインド・フェイスの曲やエリック・クラプトンソロの曲など全26曲を披露。途中原由子もアコースティックギター・コーラスで参加し、12月1日公演のアンコールには関口和之も飛び入り参加した。
2000年代
- 2000年
- 1月29日 - 2月5日、FC会員限定ライブ『伊豆だらけのローラ』開催。
- 5月、山下久美子のデビュー20周年記念セルフカバーアルバム「THE HEARTS」に収録される『バスルームから愛を込めて』にコーラスで参加。アルバムは6月25日に発売。歌詞カードには山下と桑田が一緒に写ったポラロイド写真も載っている。
- 8月、自身の故郷・神奈川県茅ヶ崎市でサザンとして凱旋コンサート『茅ヶ崎ライブ』を行い話題を呼ぶ。
- 10月、「桑田佳祐の音楽寅さん 〜MUSIC TIGER〜」(フジテレビ系、第1期)放送開始。
- 11月30日 - 12月2日、『Act Against AIDS 2000 桑田佳祐が選ぶ20世紀ベストソング』開催。「21世紀に残したい曲」をテーマに、桑田が選曲した全28曲を熱唱した。
- 12月31日、サザンの大ヒット曲『TSUNAMI』で第42回日本レコード大賞を受賞。「やっと、ひばりさんの背中が見えました」とコメント。
- 2001年
- サザン3度目の休業期間に入り、各メンバーソロ活動を開始。
- 7月4日、6thソロシングル『波乗りジョニー』発売。発売に合わせ、地方都市でFMラジオ公開生放送と、ライブ『古賀紅太 No Reason! ライブハウスツアー』とを同時進行の形で行う。ラジオ放送は各地で数千人もの観客を集めた。ライブはサザンとしての全国ツアーに替わる企画で、佐賀・青森・奈良など、それまでツアーで行くことが少なかった土地でも行われた。
- 8月7日、ラジオ番組内で、大森隆志のサザン脱退を発表。「プロになる気は無かったメンバーをまとめ、プロの世界に導いたのは大森。彼がいなければ自分達は世に出ることはなかった」と語る。
- 10月24日、7thシングル『白い恋人達』発売。桑田ソロ名義のシングル最高売上を記録。
- 11月30日 - 12月2日、『Act Against AIDS 2001 桑田佳祐 plays "The Beatles" クワガタムシ対カブトムシ』開催。ビートルズの曲を全38曲熱唱。ライブ初日にはビートルズのギタリスト・ジョージ・ハリスン逝去の訃報が報じられ、ステージで黙祷を捧げた。
- 12月6日、やまだひさしのラジアンリミテッドの企画でGLAYと競演。この模様は「桑田佳祐 meets GLAY スーパーFM」としてOAされた。最後はジョン・レノンの『Happy Xmas (War Is Over)』をGLAY、番組スタッフを交えて全員でセッション。
- 12月22日 - 12月24日、札幌市の月寒グリーンドームで『桑田佳祐 Xmas LIVE in 札幌』開催。当初は札幌ドームを借りるつもりでいたが、計画したときにはすでに埋まっており、ライブのMCで月寒ドームになってしまったことをぼやいていた。ライブではサザン・ソロ・KUWATA BANDの楽曲のほか、『サンタが街にやってくる』『赤鼻のトナカイ』などのクリスマスソングも唄われた。また、24日のライブ終了後にはフジテレビ系『HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP』のクリスマス特番の生中継も入り、会場の外で一面の雪とライブを見ていたファンに囲まれて『白い恋人達』をピアノ弾き語りで唄った。
- 12月31日、「白い恋人達」が第43回日本レコード大賞金賞受賞。最有力候補だったが、授賞式を欠席。大賞は浜崎あゆみに。
- 2002年
- 『波乗りジョニー』『白い恋人達』の2作で、第16回日本ゴールドディスク大賞 ソング・オブ・ザ・イヤー受賞。
- 6月26日、8thシングル『東京』発売。ファンクラブ誌上にて「石原慎太郎に物申すみたいな気持ちで作った」とコメント。
- 8月10日、茨城県ひたちなか市で行なわれた邦楽ロックの音楽祭・ROCK IN JAPAN FESTIVALに参戦。2日目のトリを務める。未発表の新曲『BLUE MONDAY』『東京ジプシー・ローズ』(翌月発売のアルバムに収録)他、全14曲を熱唱。
- HOUND DOGのSHIBUYA-AXでのライブに飛び入り出演。大友康平とサザン初期の楽曲、『熱い胸さわぎ』収録の『恋はお熱く』を歌う。
- 9月22日、スペースシャワーTVの日比谷野外音楽堂でのライブイベント『SWEET LOVE SHOWER』にトップバッターで出演。当日までシークレット扱いで一般には一切知らされておらず、観客を驚かせた。桑田はプロレスの覆面を被って登場し、全5曲を歌唱。
- 9月26日、3rdアルバム『ROCK AND ROLL HERO』発売。
- 11月 - 12月、コンサートツアー『けいすけさん、色々と大変ねぇ。』開催。ソロアーティストとして初めて全国5大ドームツアーを開催。
- 11月27日、初のソロベストアルバム『TOP OF THE POPS』発売。ソロ名義で1980年代、1990年代、2000年代と3世代に渡ってオリコンアルバムチャート1位を達成。3世代以上での1位は男性ソロでは長渕剛(1970年代を含め4世代)、井上陽水(3世代)に次ぐ3人目の快挙。
- 12月11日、ビデオクリップ集『桑田佳祐ビデオクリップス2001〜2002 D.V.D. WONDER WEAR』発売。
- 2003年
- 『東京』で第17回日本ゴールドディスク大賞 ソング・オブ・ザ・イヤー受賞、『ROCK AND ROLL HERO』と『TOP OF THE POPS』の2作がロック & ポップ・アルバム・オブ・ザ・イヤーを受賞。
- 2月、『東京』が「SPACE SHOWER Music Video Awards 03」BEST VIDEO OF THE YEARを受賞。
- 3月26日、『けいすけさん、色々と大変ねぇ。』を収録したライブビデオ『桑田佳祐ライブビデオ「けいすけさん、ビデオも色々と大変ねぇ。」』発売。
- 7月23日、『涙の海で抱かれたい 〜SEA OF LOVE〜』をリリースし、サザンでの活動を再開。
- 11月、桑田の息子が通う高校の学園祭でシークレットライブを行い、『勝手にシンドバッド』『涙の海で抱かれたい』などを歌った。この模様は女性週刊誌で報じられた。バンドメンバーは桑田の他に原や小倉博和・三沢またろう。4人とも学校の制服を衣装としていた。
- 12月2日 - 12月4日、『桑田佳祐 Act Against AIDS 2003 栄光のDISCO & SOUL』開催。ディスコ&ソウルをテーマに1960 - 70年代のディスコナンバー全34曲を披露。原由子・野沢秀行もゲスト出演した。
- 2004年
- 2006年
- 7月17日、ゆかりのある小林武史、Mr.Childrenの桜井和寿らが主催する「ap bank fes'06」にソロとして出演。最終日となるこの日は、桜井と1995年に発売された『奇跡の地球』を11年ぶりにセッションし、話題となった。ソロでの出演であったが、サザン名義での楽曲『いとしのエリー』『真夏の果実』も披露した。
- 8月26・27日の2日間、桑田がサザンを中心としてアミューズ所属のアーティストに呼びかけ、初の自身主催となる野外フェスティバル「THE 夢人島 Fes.2006」を開催。アミューズ外からもGLAY、Mr.Children、Dragon Ash、さらには加山雄三など、桑田とゆかりのあるアーティストがスペシャルゲストとして出演。
- 11月30日 - 12月2日、『桑田佳祐 Act Against AIDS 2006「星条旗よ永遠なれ!? 〜私のアメリカン・ヒーローズ」』開催。桑田が影響を受けた1960 - 70年代のアメリカンミュージック37曲を熱唱した。
- 2007年
- 2008年
- 3月12日、ツアー『呼び捨てでも構いません!!「よっ、桑田佳祐」SHOW』の12月31日のファイナル公演の模様を収めたライブDVDと、2007年発表のソロ楽曲9曲に、新曲1曲と原由子のソロ曲「大好き!ハッピーエンド」を加えたCDのセット『桑田さんのお仕事 07/08 〜魅惑のAVマリアージュ〜』を発売。
- 3月23日、『全国民放 FM53局 & KDDI presents 桑田佳祐 アコースティックライブ in 石垣島』が開催され、全国の民放FM局53社に同時ネットで生中継された。
- 5月19日、同日付でサザンオールスターズとしてのバンド活動再開を発表。同時に、翌2009年以降バンド活動の無期限休止を発表(すなわち5度目の休業。ただし期限を設けない休業はKUWATA BAND等の活動を行った1985〜88年以来2度目)。第4期ソロ活動はこの年の3月まででいったん終了した。
- 10月19日、かねてから療養中の病気により姉・えり子逝去。享年56。
- 11月30日 - 12月2日、『桑田佳祐 Act Against AIDS 2008「昭和八十三年度! ひとり紅白歌合戦」』を開催。往年の歌謡曲から近年のJ-POP楽曲まで全61曲を熱唱。原由子・松田弘もゲスト出演した。
- 2009年
- 3月25日、前年に行われた「昭和八十三年度! ひとり紅白歌合戦」のライブDVD発売。同時に、桑田のソロ作品では初のBlu-ray Discでも発売。
- 4月20日、『桑田佳祐の音楽寅さん〜MUSIC TIGER〜』(フジテレビ系列、第2期)開始。
- 5月30日、大阪城ホールにて行われたFM802の開局20周年イベント『FM802 STILL20 SPECIAL LIVE RADIO MAGIC』にユースケとともに飛び入り出演。桑田はトラの気ぐるみを着て登場し、上田正樹の「悲しい色やね」のカバーを含め全4曲を歌唱した。
- 8月30日、山梨県山中湖村でスペースシャワーTV開局20周年を記念して開催された野外フェスティバル『SPACESHOWER SWEET LOVE SHOWER 2009』に最終日に大トリをつとめる形で登場。この日のために1夜限りのスペシャルバンド「桑田佳祐 & SUPER MUSIC TIGERS」を結成し、サザンオールスターズと自身のソロ曲合わせ、全10曲を披露した。同イベントへの参加は2002年以来2回目となる。
- 11月30日 - 12月2日、『桑田佳祐 Act Against AIDS 2009 映画音楽寅さん チャラン・ポランスキー 監督・脚本・主演 「男はしたいよ」』開催。映画音楽をテーマに全42曲を歌唱。途中では自身初めてとなるフライングも披露した。原由子・渡辺直美もゲスト出演。
- 12月9日、12thシングル『君にサヨナラを』発売。
2010年代
- 2010年
- 3月13日、『桑田佳祐の音楽寅さん』のDVD-BOX発売記念イベント『音楽寅さんDVD発売記念 〜DVD収録映像炎上! これぞ蔵出し“巨大上映会”@武道館〜』を日本武道館で開催。DVDの総集編の上映会や桑田によるミニライブが行われた。
- 3月31日、DVD-BOX『「桑田佳祐の音楽寅さん 〜MUSIC TIGER〜」あいなめBOX』発売。
- 5月3日深夜、「桑田佳祐のやさしい夜遊び」15周年×TOKYO FM開局40周年記念特別番組『桑田佳祐の激しい夜遊び 〜真夜中の生歌オール・リクエスト・ショー 途中疲れたらCDかけるんでゴメンねスペシャル〜』をJFN全国38局ネットで生放送。
- 7月12日、初期の食道癌であることが発覚[25]。7月28日にその治療による音楽活動の休養を発表。後者に関しては10月20日に予定されていたアルバムの発売延期、およびライブツアー『桑田佳祐 LIVE TOUR 2010 全国への階段 〜Stairway to Nippon〜』の中止が決定[26]。その後、8月2日に手術を無事終了させ、22日に退院したことが公表された[27]。
- 8月25日、13thシングル『本当は怖い愛とロマンス』発売。
- 12月31日、第61回NHK紅白歌合戦に特別出演し、音楽活動を再開。ビクタースタジオ・401スタジオからの中継で『それ行けベイビー!!』『本当は怖い愛とロマンス』の2曲を歌唱した。
- 2011年
- 2月1日、4thアルバム『MUSICMAN』発売記念試聴会『プレミアム・リスニングパーティ2011』が全国のZeppで開始。初日のZepp Fukuoka、最終日となる19日の茅ヶ崎市民文化会館では桑田がサプライズ出演し、復帰後初となるファンの前でのパフォーマンスを行った。
- 2月23日、4thアルバム『MUSICMAN』を発売。
- 4月20日、3月11日に発生した東日本大震災へのチャリティとして、所属事務所アミューズのタレント・ミュージシャンで構成されたユニット「チーム・アミューズ!!」のために製作、自身も参加した楽曲『Let's try again』が配信開始。
- 5月25日、『Let's try again』がCDシングルで発売。
- 6月25日、『三井住友銀行Presents 桑田佳祐のやさしい夜遊び 33回目のデビュー記念日に勝手にひとりで生歌スペシャル』放送。サザンオールスターズ結成33周年の節目の日に通常より1時間拡大して生歌ライブの公開収録を行った。
- 8月17日、14thシングル『明日へのマーチ/Let's try again 〜kuwata keisuke ver.〜/ハダカ DE 音頭 〜祭りだ!! Naked〜』発売。
- 9月10日・11日、宮城県利府町のセキスイハイムスーパーアリーナにてライブ「宮城ライブ 〜明日へのマーチ!!〜」を開催。復帰後初の大型ライブであり、東日本大震災の被害を受けた同アリーナの利用再開後初のイベントとなる。
- 10月8日、風邪のため、自身のラジオ番組「桑田佳祐のやさしい夜遊び」を欠席。代行DJとして後輩の斎藤誠が起用される。
- 11月16日、DVD・Blu-ray『宮城ライブ 〜明日へのマーチ!!〜』を発売。
- 12月8日、「Dream Power ジョン・レノン スーパー・ライヴ 2011」にスペシャル・ゲストとして参加。バンドメンバーはビートルズに扮し、初期のビートルズ時代のジョンがボーカルを務めた楽曲を歌唱。
- 12月24日・25日・30日・31日、ライブ「ライブ in 神戸&横浜 2011 〜年忘れ!! みんなで元気になろうぜ!!の会〜」開催。神戸・横浜においてそれぞれ2公演を行い、最終日となる4年ぶりの横浜アリーナでの年越しライブは全国(台湾・香港・韓国含む)の映画館でライブビューイングが行われた。
- 2013年
- 3月2日、この週の「やさしい夜遊び」にて「充電」・「年度末調整」と称し3月いっぱいの出演の休止を発表(実際はサザンに関する協議と活動再開に伴う新曲の制作)。この日共演していた斎藤誠が4回とも代行を務める。
- 3月13日、15thシングル『Yin Yang/涙をぶっとばせ!!/おいしい秘密』とDVD・Blu-ray『桑田佳祐 LIVE TOUR & DOCUMENT FILM 「I LOVE YOU -now & forever-」完全盤』発売。
- 4月7日、この週の「やさしい夜遊び」で復帰したものの、翌週から直前の6月23日まで、「仕事がない」「大里会長との間に確執がある」「自宅でAVばかり見ている」などと発言していた。
- 6月25日、8月7日のシングル『ピースとハイライト』にてサザンの活動再開を発表。
- 8月3日、この週の「やさしい夜遊び」にてライブに専念するため、8月・9月のライブ時での出演の休止を発表。同じアミューズ所属の岸谷五朗・寺脇康文が代行を務める。
- 8月31日 - 9月1日、サザンとして地元・茅ヶ崎で13年ぶりのライブを実施。初日の31日には、ステージ上で服部信明市長より市民栄誉賞の授与を受けた。
- 11月30日 - 12月4日、『桑田佳祐 Act Against AIDS 2013「昭和八十八年度! 第二回ひとり紅白歌合戦]』を開催。2008年以来5年ぶりとなる企画で、過去の名曲から現代にいたるまで、選りすぐりの“流行歌”全55曲を紅白歌合戦形式で熱唱した。
- 2014年
- 3月12日、DVD・Blu-ray『昭和八十八年度! 第二回ひとり紅白歌合戦』発売。
- 11月3日、秋の叙勲にて紫綬褒章を受章。
- 2016年
- 2月26日、自身の還暦を迎え、同時に自身のソロ曲やKUWATA BAND、SUPER CHIMPANZEEの全211曲の配信が解禁された[28]。
- 3月26日、女川さいがいFMにてレギュラーラジオ番組「桑田佳祐のやさしい夜遊び」を公開生放送。
- 6月25日、WOWOW開局25周年特別番組『偉大なる歌謡曲に感謝 〜東京の唄〜』を放送。桑田の音楽的ルーツとなった歌謡曲の中から「東京」をテーマとした曲を原曲に忠実にした島健によるビッグバンドアレンジによって歌唱。未発表の新曲「悪戯(いたずら)されて」の初披露もされた。同番組は編集版として8月26日にフジテレビでも放送されている。
- 6月29日、16thシングル『ヨシ子さん』を発売[29]。また、このシングル発売記念イベントの「ULTRAヨシ子デラックス!ナイト」が7月19日に東京、22日に大阪で行われた[30]。
- 11月23日、17thシングル『君への手紙』が発売(予定)[31]。
- 11月30日、上記番組の新編集版となるDVD・Blu-ray『THE ROOTS 〜偉大なる歌謡曲に感謝〜』が発売(予定)。
- 12月27日、28日、30日、31日、年越しライブ『ヨシ子さんへの手紙 〜悪戯な年の瀬〜』を開催(予定)[31]。4年ぶりとなる年越しライブは、ライブビューイングも行われる予定である。
出自・思想について
Template:Cleanup デビュー当時サザンは「勝手にシンドバッド」のイメージからメンバーの意図しない形でコミックバンドとして評されたり[32]、湘南サウンドと評されたりしたこともある[33]。また現在も、ライブパフォーマンスや社会風刺・反戦歌・郷土音楽に関しては賛否が分かれたり、それらの楽曲についてネット上で論争が起き「左翼」「反日」「反日本政府」「反自民党」と書かれたり、桑田自身の生い立ちや出自についてもデマが流れたりすることがある[34][35][36][37]。しかし、桑田自身は「今までもいろんなことを言われ書かれましたが、全然事実と違うこととか、語られたことがあるんですけど、語られ続けると思うんですけど、大衆音楽や大衆芸能を生業にしていると誤解や曲解とか、そこは避けて通れないし、我々は腹を決めなければいけない」[38]と割り切っている。
出自について桑田は自身のラジオで「『反日だ』『お前は日本人じゃない』と言い出す方がいるのは本当に残念です」と述べている[38]。著書「ただの歌詩じゃねえか、こんなもん」(1984年、新潮社、p214)で「僕の中にあるのは、当然、日本人の情緒そのもの」と述べたり、『週刊文春』2014年9月18日号でのインタビュー特集(p15)で「やはり僕は日本人」と発言したりしている。
出自に関するデマの火種にもなった「LOVE KOREA」[36]が作られたきっかけについてはたまたま見つけ立ち寄った韓国料理店の雰囲気に触発されたものであり、特別な意味や意図はないことが「WHAT's IN?」1995年8月号で語られている。
桑田自身の思想については「僕には何か特定の主義もなければ思想もありませんし、右でも左でもリベラリストでもなけりゃ、聖人君子でも何でもない」[39]と述べている。事実、サザンの楽曲には桑田の地元茅ヶ崎市やその周辺が歌詞に登場し、同市の知名度・経済に貢献している[40]。2014年秋に紫綬褒章を受賞した際にファンや自身の音楽性に影響を与えた音楽家に感謝の念を述べている[41]。天皇陛下に対する尊敬の念を述べ、褒章を神棚に保管し、ライブでの褒章の取り扱いやオークションを意識した冗談がネット上やファンから問題視された際には素直に自らの非を認め謝罪している[42]。北朝鮮による日本人拉致問題の解決を訴える楽曲をCD・ライブなどで複数発表し[注 1] 、日本政府の解決に関する基本方針と同様の主張も歌詞に含める[43]。映画版「永遠の0」の主題歌のオファーを受けラッシュ(仮制作のフィルム)を見て、その内容に共感した上で主題歌の「蛍」を書き下ろした[44]。ライブやラジオで自らの意志で国歌「君が代」を原曲通りに歌唱する[45][46]。ソロ曲「漫画ドリーム09」で新疆ウイグル自治区騒乱を取り上げ中国当局を批判する歌詞を披露した[注 2]。ビートルズの「Sun King」の歌詞を北朝鮮のミサイル発射実験・核実験や主体思想を批判する内容に変えて歌った[注 3]。「桑田佳祐の音楽寅さん 〜MUSIC TIGER〜」で与野党・イデオロギー問わず複数の政党を風刺する[注 4]。ソロアルバム「MUSICMAN」で民主党政権下を風刺した楽曲[注 5]が存在する。日本人スポーツ選手の功績を称賛する[47]、チーム・アミューズ!!名義の「Let's try again」及びソロ曲の「明日へのマーチ」「Let's try again 〜kuwata keisuke ver.〜」といった東日本大震災の被災者への応援歌が制作され、前者の収益金については「アミューズ募金」を通じて全額寄付が行われ、後者についてもCD、「宮城ライブ 〜明日へのマーチ!!〜」本公演及びDVDの収益の一部が義捐金として日本赤十字社及び地方公共団体に対して寄付され[48][49]、同ライブで演奏された「月光の聖者達」のアウトロで罰マークのついていない正式な日章旗がバックモニターに投影される、宮城ライブ以後も宮城県を中心に被災地を訪れ記念樹としてソメイヨシノを植樹[50][51]したり、ライブ活動をしている[52][53]。「日本に生まれて良かった」と発言している[54]など、左派、反自民党、反日本政府とは一概には言い切れない発言も行っている。
東日本大震災によって甚大な津波被害が発生して以降はライブで同災害を連想させる可能性がある「TSUNAMI」を演奏していないなど、被災者の感情に配慮した一面も持っている[55]。
「ピースとハイライト」や年越しライブの騒動の影響から一時期、桑田のソロアルバム「MUSICMAN」の日本庭園に体を赤くペイントされた女性がうずくまっている内容のジャケットに対しても「日の丸(女性)が中国と韓国(ジャケットの左奥の石)に土下座している」といったデマも流れた[56]、なお、このタイトルとジャケットが決定したいきさつについてはアルバムタイトルを考える会議で「明日への夜明け」、「男と女」、「光と影」といったイメージを持っていた桑田に対し、デザイナーの山口健司がアルバムジャケットのデザイン案を提示し、その中にすでに「MUSICMAN」と書かれており、結果的に「面白い」という理由で採用され、ジャケットも桑田が2010年4月上旬に京都を訪れていたこと[57]が影響し山口の案が採用され[58]、桑田は「うずくまっているのは女性だけど、胎児にも見えるし、太陽にも見えるんですよね」[59]と政治とは関係のないことを述べている。
評価
桑田はチーフマネージャーから若手まで幅広いスタッフに意見を募ったり、食事に連れて行ったりするなど面倒見がいい事でも知られており[60]、2015年のサザンの全国ツアー「おいしい葡萄の旅」の日本武道館公演で、前年の紅白歌合戦で着用した付け髭を注文したマネージャーを「彼のせいではない」とかばう発言をしたことがある。桑田のラジオやライブのMCで極端にイジられたりするのも、このような強固な信頼関係があっての上のものである。また「サザンは5人だけじゃない、スタッフを含めた総力戦」とも述べている[61]。亀田誠治は桑田について「僕らに対してもスタッフさんに対しても偉そうにしている姿なんて見たことない」と評している[62]。また、2014年にビクタースタジオを取材した『週刊文春』はサザンを「日本一のおもてなしバンド」と評している[63]。
ファンに対しての対応も評価されており、チーフマネージャーの話によると、桑田をはじめとしたサザンのメンバー全員はファンレターにはすべて目を通しており、返信ハガキが同封されたものは時間が許す限り返信を書いているという[60]。
10代から70代まで幅広い年齢層にファンが存在しており、桑田は「ファンレターや掲示板(公式BBS)を通じて、ファンの皆さんから教えられることも年々多くなってきた」と述べている[64]。
安倍晋三[65]・橋下徹[66]・北村晴男[67]といった保守的姿勢の人物から有田芳生[68]・辻元清美[69]・後藤正文[70]といった革新的姿勢の人物、実際に桑田と親交を持っている太田光のような「右でも左でもない中道」と自称する人物[71][72]まで、政治を風刺した楽曲が存在するものの政治思想を問わず各界に幅広いファンが存在する。なお橋下は「ピースとハイライト」の新聞広告に有田をはじめとした橋下を批判する人物が多数寄稿していたことについて「サザンが好きということで一致しているなら、それはそれでいい」といった見解を残している[73]。桑田は基本的にファンに対して政治思想を問わず分け隔てなく対応しており、コメンテーター時代の有田の場合のように「いつも見てますよ」と声をかけたり[68]、橋下の場合のようにライブへ来たことへの感謝の言葉や、そこでの橋下の行動を批判するマスコミへの苦言などを述べたり[74]、安倍の場合のように楽曲の風刺のネタにしたことをその際のエピソードを交えて詫びたうえで感謝の言葉を述べるなどといったエピソードが存在する[75]。一方の安倍も記者団にライブの感想を聞かれ「楽しみました」と述べた[65]。
ビートたけしはミュージシャンとしてのサザンおよび桑田を「大した天才だと思う」と述べ[76]、カラオケのレパートリーとしてサザンの「真夏の果実」「マンピーのG★SPOT」「SEA SIDE WOMAN BLUES」を挙げており、付き人にこうした楽曲を歌わせることもある[77]。ただし、桑田が監督を務めた映画『稲村ジェーン』[78]や前述の2014年の年越しライブでの紫綬褒章に関連するトラブル[79]に関しては批判的な発言を述べていた。また、桑田も芸人としてのたけしを認めている[80]。
立川志の輔はサザンのデビュー当時からのファンであることを公言している。なお、桑田は好きな落語家として志の輔を挙げており、よく志の輔の落語会にも訪れていることが語られている[81]。2016年1月30日に開催された「志の輔らくご in PARCO 2016」では終演時の音楽にサザンの楽曲「東京VICTORY」が使用された[82]。林家たい平[83]、立川キウイ[84]、桂吉弥[85]などの落語家もサザンのファンであることを述べている。
aiko[86]・平井堅[87]・JUJU[88]・亀田誠治[89]・ハマ・オカモト[90]・ファンキー加藤[91]・後藤正文(ASIAN KUNG-FU GENERATION)[70]・斉藤和義[92]・清水依与吏(back number)[93]・コブクロ[94]・鬼龍院翔 (ゴールデンボンバー)[注 6]・桜井和寿(Mr.Children) [95]・NAKAJIN(SEKAI NO OWARI) [96]・家入レオ[97]のようにサザンおよび桑田のファンもしくは音楽性に影響を与えたミュージシャンも多く、その理由は「ポップス歌手としての桑田に影響を受けた」「社会風刺をする桑田に影響を受けた」「ミュージシャンとしての先輩として尊敬している」など、さまざまである。
主な記録
※この記録は全てオリコンによるものである。
順 位 |
曲名 | 発売日 | 売上枚数 |
---|---|---|---|
-[100] | 奇跡の地球 | 1995年1月23日 | 172万枚 |
1 | 白い恋人達 | 2001年10月24日 | 123万枚 |
2 | 波乗りジョニー | 2001年7月4日 | 111万枚 |
3 | 祭りのあと | 1994年10月31日 | 81万枚 |
4 | 真夜中のダンディー | 1993年10月6日 | 71万枚 |
5 | 東京 | 2002年6月26日 | 55万枚 |
6 | 明日晴れるかな | 2007年5月16日 | 36万枚 |
7 | 悲しい気持ち (JUST A MAN IN LOVE) | 1987年10月6日 | 35万枚 |
8 | 月 | 1994年8月24日 | 35万枚 |
9 | いつか何処かで (I FEEL THE ECHO) | 1988年3月16日 | 26万枚 |
10 | 風の詩を聴かせて | 2007年8月22日 | 18万枚 |
順 位 |
タイトル | 発売日 | 売上枚数 |
---|---|---|---|
1 | TOP OF THE POPS | 2002年11月27日 | 170万枚 |
2 | フロム イエスタデイ | 1992年6月24日 | 110万枚 |
3 | 孤独の太陽 | 1994年9月23日 | 87万枚 |
4 | I LOVE YOU -now & forever- | 2012年7月18日 | 79万枚[102] |
5 | Keisuke Kuwata | 1988年7月9日 | 65万枚 |
6 | ROCK AND ROLL HERO | 2002年9月26日 | 64万枚 |
7 | MUSICMAN | 2011年2月23日 | ?万枚 |
- 4つの年代(1980年代 - 2010年代)でアルバム首位獲得(歴代2位タイ)[103][104]
- 1980年代:『Keisuke Kuwata』
- 1990年代:『孤独の太陽』
- 2000年代:『TOP OF THE POPS』
- 2010年代『MUSICMAN』『I LOVE YOU -now & forever-』
- グループとソロプロジェクトの両方ともシングル・アルバム総売上が1000万枚を超えているのは桑田のみである。(ただし桑田のソロプロジェクトは桑田佳祐、KUWATA BAND、チーム・アミューズ!!、SUPER CHIMPANZEE、嘉門雄三名義の作品の売上も合算しての計算である。また、桑田単独名義の総売上でも1000万枚は突破している。)[105]。
- ボーカリスト別売上では、B'zの稲葉浩志(8523万枚)に次いで2位(6525万枚)を記録している[105]。
受賞
日本レコード大賞
年 | 作品 | カテゴリー |
---|---|---|
1988 | Keisuke Kuwata | 優秀アルバム賞 |
1994 | 月 | 優秀賞 |
孤独の太陽 | ベストアルバム賞・アルバム大賞 | |
2001 | 白い恋人達 | 金賞 |
日本ゴールドディスク大賞
年 | 作品 | カテゴリー |
---|---|---|
2002 | 波乗りジョニー | ソング・オブ・ザ・イヤー |
白い恋人達 | ソング・オブ・ザ・イヤー | |
2003 | 東京 | ソング・オブ・ザ・イヤー |
ROCK AND ROLL HERO | ロック&ポップ・アルバム・オブ・ザ・イヤー | |
TOP OF THE POPS | ロック&ポップ・アルバム・オブ・ザ・イヤー | |
2008 | 明日晴れるかな | シングル・オブ・ザ・イヤー |
SPACE SHOWER Music Video Awards
年 | 作品 | カテゴリー |
---|---|---|
2002 | 白い恋人達 | BEST MALE VIDEO |
2003 | 東京 | BEST VIDEO OF THE YEAR |
2010 | - | 特別賞 |
その他
- ミュージック・ジャケット大賞
- ザテレビジョンドラマアカデミー賞
- 日本プロ音楽録音賞[106]
- 最優秀賞「ハダカ DE 音頭 〜祭りだ!! Naked〜」(2011年)
作品
※サザンオールスターズ・KUWATA BAND・SUPER CHIMPANZEE・桑田佳祐&Mr.Children・桑田佳祐&His Friends・チーム・アミューズ!!の楽曲は各項目を参照。
リリースリスト | ||
---|---|---|
↙スタジオ・アルバム | 4 | |
↙ベスト・アルバム | 3 | |
↙シングル | 17 | |
↙映像作品 | 11 | |
↙ミュージック・ビデオ | 1 |
シングル
発売日 | タイトル | 形態 | 規格品番 | |
---|---|---|---|---|
1st | 1987年10月6日 | 悲しい気持ち (JUST A MAN IN LOVE) | EP | VIHX-1725 |
CT | VST-10325 | |||
1988年2月21日 | 8cmCD | VDRS-1001 | ||
2001年6月25日 | 12cmCD | VICL-35305 | ||
2nd | 1988年3月16日 | いつか何処かで (I FEEL THE ECHO) | EP | VIHX-1731 |
8cmCD | VDRS-1010 | |||
CT | VST-10347 | |||
2001年6月25日 | 12cmCD | VICL-35306 | ||
3rd | 1993年10月6日 | 真夜中のダンディー | 8cmCD | VIDL-170 |
CT | VISL-280 | |||
2001年6月25日 | 12cmCD | VICL-35308 | ||
4th | 1994年8月24日 | 月 | 8cmCD | VIDL-201 |
CT | VISL-311 | |||
2001年6月25日 | 12cmCD | VICL-35309 | ||
5th | 1994年10月28日 | 祭りのあと | 8cmCD | VIDL-202 |
CT | VISL-312 | |||
2001年6月25日 | 12cmCD | VICL-35310 | ||
6th | 2001年7月4日 | 波乗りジョニー | EP | VIZL-60 |
12cmCD | VICL-35300 | |||
7th | 2001年10月24日 | 白い恋人達 | EP | VIJL-60090 |
12cmCD | VICL-35330 | |||
8th | 2002年6月26日 | 東京 | EP | VIJL-60095 |
12cmCD | VICL-35380 | |||
9th | 2007年5月16日 | 明日晴れるかな | EP | VIJL-60600 |
12cmCD | VICL-36600 (初回盤) | |||
VICL-36601 (通常盤) | ||||
10th | 2007年8月22日 | 風の詩を聴かせて | EP | VIJL-60800 |
12cmCD | VICL-36800 | |||
11th | 2007年12月5日 | ダーリン | EP | VIJL-60900 |
12cmCD | VIZL-371 (初回盤) | |||
VICL-37100 (通常盤) | ||||
12th | 2009年12月9日 | 君にサヨナラを | EP | VIJL-62000 |
12cmCD | VIZL-380 (初回盤) | |||
VICL-37200 (通常盤) | ||||
13th | 2010年8月25日 | 本当は怖い愛とロマンス | EP | VIJL-60500 |
12cmCD | VIZL-550 (初回盤) | |||
VICL-37300 (通常盤) | ||||
14th | 2011年8月17日 | 明日へのマーチ/ Let's try again 〜kuwata keisuke ver.〜/ ハダカ DE 音頭 〜祭りだ!! Naked〜 |
EP | VIJL-61000 |
12cmCD | VIZL-570 (初回盤) | |||
VICL-37500 (通常盤) | ||||
15th | 2013年3月13日 | Yin Yang/涙をぶっとばせ!!/おいしい秘密 | EP | VIJL-61200 |
12cmCD | VICL-37400 (初回盤) | |||
VICL-37400 (通常盤) | ||||
16th | 2016年6月29日 | ヨシ子さん | 12cmCD | VICL-37900 (初回盤) |
VICL-37901 (通常盤) | ||||
2016年7月27日 | EP | VIJL-61600 | ||
17th | 2016年11月23日 | 君への手紙 | 12cmCD | VICL-38200(初回盤) |
VICL-38201 (通常盤) | ||||
EP | VIJL-61700 |
アルバム
オリジナルアルバム
発売日 | タイトル | 規格 | 規格品番 | |
---|---|---|---|---|
1st | 1988年7月9日 | Keisuke Kuwata | LP | VIH-28333 |
CT | VCF-10360 | |||
CD | VDR-1520 | |||
1992年6月27日 | VICL-8061 | |||
2001年6月25日 | VICL-60804 | |||
2nd | 1994年9月23日 | 孤独の太陽 | CT | VITL-132 |
CD | VICL-555 | |||
2001年6月25日 | VICL-60806 | |||
3rd | 2002年9月26日 | ROCK AND ROLL HERO | LP (2枚組) | VIJL-60101〜60102 |
CD | VICL-60920 | |||
4th | 2011年2月23日 | MUSICMAN | LP (2枚組) | VIJL-60700〜60701 |
CD | VIZL-560(初回限定盤) | |||
VICL-63600(通常盤) |
ベストアルバム
発売日 | タイトル | 規格 | 規格品番 | |
---|---|---|---|---|
1st | 1992年6月27日 | フロム イエスタデイ | CT | VITL-107 |
CD | VICL-300 | |||
2001年6月25日 | VICL-60805 | |||
2nd | 2002年11月27日 | TOP OF THE POPS | CD (2枚組) | VICL-61006〜61007 |
3rd | 2012年7月18日 | I LOVE YOU -now & forever- | CD (3枚組) | VIZL-640(完全生産限定盤) |
CD (2枚組) | VICL-64000〜64001(通常盤) |
その他
発売日 | タイトル | 規格 | 規格品番 | |
---|---|---|---|---|
ライブ盤 | 1982年3月2日 | 嘉門雄三 & VICTOR WHEELS LIVE! | LP | VIX-1001 |
映像作品
発売日 | タイトル | 規格 | 規格品番 | |
---|---|---|---|---|
ライブビデオ | 1991年10月2日 | Acoustic Revolution Live at Nissin Power Station 1991.3.26 | VHS | VIVL-49 |
LD | VILL-43 | |||
2001年12月5日 | DVD | VIBL-44 | ||
ライブビデオ | 1994年12月21日 | すべての歌に懺悔しな!! -桑田佳祐 LIVE TOUR '94- | VHS | VIVL-140 (初回盤) |
VIVL-141 (通常盤) | ||||
LD | VILL-99 (初回盤) | |||
VILL-100 (通常盤) | ||||
2001年12月5日 | DVD | VIBL-45 | ||
ライブビデオ | 1997年3月5日 | 夷撫悶汰(いヴもんた)レイト・ショー 〜長距離歌手の孤独 in Jazz Cafe〜 | VHS | VIVL-200 |
DVD | VIBL-6 | |||
2001年12月5日 | VIBL-46 | |||
ミュージック・ビデオ | 2002年12月11日 | D.V.D. WONDER WEAR 桑田佳祐ビデオクリップス2001〜2002 | VHS | VIVL-270 |
DVD | VIBL-67 | |||
ライブビデオ | 2003年3月26日 | 桑田佳祐ライブビデオ 「けいすけさん、ビデオも色々と大変ねぇ。」 | VHS | VIVL-286 |
DVD | VIBL-109 | |||
ライブビデオ+CD | 2008年3月12日 | 桑田さんのお仕事 07/08 〜魅惑のAVマリアージュ〜 | DVD+CD | VIZL-500 (初回盤) |
VIZL-501 (通常盤) | ||||
ライブビデオ | 2009年3月25日 | 昭和八十三年度! ひとり紅白歌合戦 | DVD (2枚組) | VIBL-700〜701 |
Blu-ray | VIXL-200 | |||
ライブビデオ | 2011年11月16日 | 宮城ライブ 〜明日へのマーチ!!〜 | DVD (通常盤) | VIBL-800 |
DVD (完全生産限定盤) | VIBL-580 | |||
2011年11月23日 | Blu-ray | VIXL-300 | ||
ライブビデオ | 2013年3月13日 | 桑田佳祐 LIVE TOUR & DOCUMENT FILM 「I LOVE YOU -now & forever-」完全盤 |
DVD (通常盤) | VIBL-900〜901 |
DVD (完全生産限定盤) | VIZL-900 | |||
Blu-ray (通常盤) | VIXL-400〜401 | |||
Blu-ray (完全生産限定盤) | VIZL-901 | |||
ライブビデオ | 2014年3月12日 | 昭和八十八年度! 第二回ひとり紅白歌合戦 | DVD(2枚組) | VIBL-1200〜1201 |
Blu-ray | VIXL-600 | |||
イメージビデオ | 2016年11月30日 | THE ROOTS 〜偉大なる歌謡曲に感謝〜 | DVD (通常盤) | VIBL-1000 |
DVD (初回限定盤) | VIZL-1501 | |||
Blu-ray (通常盤) | VIXL-800 | |||
Blu-ray (初回限定盤) | VIZL-1500 |
映画
参加楽曲
プロデュース
- 西慎嗣&ロード・ロード・ローディ・ミス・クローディ・グループ
- アルバム『NISHI.』
楽曲提供(作詞・作曲)
- 高田みづえ
- 『私はピアノ』(1980年)
- 『蒼いパリッシュ』『そんなヒロシに騙されて』(1983年)
- 中村雅俊
- 『マーマレードの朝』(1980年)
- 『恋人も濡れる街角』『おまかせください(ナカムラ・エレキ音頭)』(1982年)
- スペクトラム
- 『MOTION』(1980年)
- Lord,Lord,Lawdy Miss Clawdy Group
- 『すてきなトランスポーテイション』『Spin Love』『シュールなるなぎさ1963』(1980年)
- タモリ
- 『狂い咲きフライデーナイト』『スタンダード・ウイスキーボンボン』(1981年)
- 高樹澪
- 『恋の女のストーリー』『MIO-SUN』(1981年)
- 小林克也&ザ・ナンバーワンバンド
- 『六本木のベンちゃん』『ブルースだ〜れ!』『My Peggy Sue』(1982年)
- 『茅ヶ崎は今日も黄色い』『プロレスを10倍楽しく見る方法 〜今でも豊登を愛しています』(1983年)
- 研ナオコ
- 『夏をあきらめて』(1982年)
- 上田正樹
- 『Miss You Baby』(1983年)
- アミダばばあ&タケちゃんマン
- 『アミダばばあの唄』(1983年、コーラス参加)
- キンヤ
- 『Let It Boogie』『タバコロードにセクシーばあちゃん』(1984年)
- ジューシーフルーツ
- 『萎えて女も意志をもて』『海』(1984年)
- 増田恵子
- 『女優』(1984年)
- 長山洋子
- 『シャボン』(1984年)
- 宮本典子
- 『海』(1984年)
- 明石家さんま
- 『さんまのまんま』(1987年)
- 古舘伊知郎
- 『夢見る頃を過ぎても』(1988年)
- 芳本美代子
- 『海』(1990年)
- 村田陽一
- 『クロス・タウン・トラフィック』(1993年)
- おおたか静流
- 『月(ZENTARO WATANABE MIX)』(1997年)
- 早川義夫
- 『アメンボの唄』(1997年)
- YUKIKO
- 『真夏の果実〜Slow Dance Version〜』『真夏の果実〜Ragga Mix Version〜』(1998年)
メインヴォーカル(デュエット含む)
- ザ・ナンバーワンバンド
- 『六本木のベンちゃん』『茅ヶ崎は今日も黄色い』
- Real fish featring 桑田佳祐・いとうせいこう
- 『ジャンクビート東京』
- 村上"ポンタ"秀一
- 『ホワイト・ルーム~サンシャイン・オブ・ユア・ラヴ~天国への扉』
- 村田陽一
- 『クロス・タウン・トラフィック』
ライブ・コンサートツアー
年 | タイトル | 公演規模・会場 |
---|---|---|
1981年 | 嘉門雄三 & Victor Wheels | |
1991年 | アコースティック・レボリューション | 全3公演
3月24日 日清パワーステーション |
1994年 | 桑田佳祐 LIVE TOUR '94 -さのさのさ- | 全35公演
9月29日 静岡市民文化会館 |
帰ってきた青山のダンディー | ||
1995年 | IBM PC & OS/2 Warp PRESENTS LIVE UFO '95 桑田佳祐 & Mr.Children "Acoustic Revolution with Orchestra" 奇跡の地球 |
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1996年 | Act Against AIDS '96 夷撫悶汰(いヴもんた)レイト・ショー 〜長距離歌手の孤独 in Jazz Cafe〜 |
全3公演
12月1日 パシフィコ横浜 国立大ホール |
1997年 | Act Against AIDS '97 桑田佳祐 歌謡サスペンス劇場 |
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1998年 | Act Against AIDS '98 桑田佳祐 オールリクエストショー |
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1999年 | Act Against AIDS '99 桑田佳祐 エリック・クラプトソ 横浜公演 |
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2000年 | 伊豆だらけのローラ | 全5公演
1月29日 Zepp Sapporo |
Act Against AIDS 2000 桑田佳祐が選ぶ20世紀ベストソング |
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2001年 | 古賀紅太 No Reason! ライブハウスツアー | 全7公演
7月5日 岐阜モダンカフェクラブ |
Act Against AIDS 2001 桑田佳祐 plays "The Beatles" クワガタムシ対カブトムシ |
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No Reason Coca-Cola Presents 桑田佳祐 Xmas LIVE in 札幌 |
全3公演
12月22日 北海道立産業共進会場 | |
2002年 | No Reason Coca-Cola Presents 桑田佳祐全国ドームツアー2002 「けいすけさん、色々と大変ねぇ。」 |
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追加公演!! No Reason Coca-Cola Presents 桑田佳祐年越しライブ2002 「けいすけさん、年末も色々と大変ねぇ。」 |
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2003年 | 桑田佳祐 Act Against AIDS 2003 栄光のDISCO & SOUL |
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2004年 | 桑田佳祐 Act Against AIDS 2004 「THE GOLDEN AGE OF BRITISH ROCK 〜愛と青春の英国ロック〜」 |
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2006年 | 桑田佳祐 Act Against AIDS 2006 「星条旗よ永遠なれ!? 〜私のアメリカン・ヒーローズ」 |
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2007年 | WONDA presents 桑田佳祐 LIVE TOUR 2007 呼び捨てでも構いません!! 「よっ、桑田佳祐」SHOW supported by ショコライフ |
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2008年 | Meet the Music 2008! 全国民放FM53局 & KDDI present 桑田佳祐 アコースティックライブ in 石垣島 |
全1公演
3月23日 石垣市民会館 |
桑田佳祐 Act Against AIDS 2008 「昭和八十三年度! ひとり紅白歌合戦」 |
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2009年 | 桑田佳祐 Act Against AIDS 2009 「映画音楽寅さん チャラン・ポランスキー 監督・脚本・主演 『男はしたいよ』」 |
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桑田佳祐 LIVE TOUR 2010 全国への階段 〜Stairway to Nippon〜 | 10月28日 愛媛県武道館
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2011年 | 桑田佳祐 宮城ライブ 〜明日へのマーチ!!〜 | 全2公演
9月10日 セキスイハイムスーパーアリーナ |
マウントレーニアダブル presents 桑田佳祐 ライブ in 神戸&横浜 2011 〜年忘れ!! みんなで元気になろうぜ!!の会〜 |
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2012年 | NTT docomo presents 桑田佳祐 LIVE TOUR 2012 I LOVE YOU -now & forever- |
全22公演
9月15日 セキスイハイムスーパーアリーナ |
2013年 | Act Against AIDS 2013 桑田佳祐 「昭和八十八年度! 第二回ひとり紅白歌合戦」 |
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2016年 | 桑田佳祐 年越しライブ2016「ヨシ子さんへの手紙 〜悪戯な年の瀬〜」 Supported by UCC |
出演
※すべて桑田佳祐個人での出演によるもの。グループでの出演などはサザンオールスターズ#CMの節を参照。
※太字は、現在放送中の番組である。
ラジオ番組
- 桑田佳祐のオールナイトニッポン(1979年 - 1980年、1984年 - 1985年、ニッポン放送)
- サタデーアドベンチャー(1981年 - 1982年、FM東京)
- ミュージック・スクエア(1989年 - 1993年、NHK-FM)
- ニッポンハム ムーンライト・ミーティング 桑田佳祐のやさしい夜遊び(1995年 - 現在担当、TOKYO FM)
テレビ番組
- ミエと良子のおしゃべり泥棒(1980年10月24日、テレビ東京)
- 桑田佳祐の音楽寅さん 〜MUSIC TIGER〜(2000年 - 2001年、2003年、2006年、2009年、2012年、フジテレビ)
- プロポーズ大作戦(2007年、フジテレビ)※エンディングのみ
- ちびまる子ちゃん(2012年 - 、フジテレビ)※エンディングのみ、アニメーション出演
- 最高の離婚(2013年、フジテレビ)※エンディングのみ、第8話以降
- 桑田佳祐「偉大なる歌謡曲に感謝 〜東京の唄〜」(2016年8月26日、フジテレビ)[107]
映画
CM
- アンネット、アンネシャンテS(1981年)
- 雪印乳業、スライスチーズ(1982年)
- TDK、カセットテープSF46・AD46(1986年)
- フジフイルム、フジカラー(1989年)
- 日本生命、ロングラン(1989年 - 1991年)
- キヤノン、ビデオi(1991年 - 1992年)
- 角川書店、角川文庫(1994年)
- キリン、缶コーヒー「JIVE」(1993年 - 1995年)
- キリンビール、キリン・ラガー(1996年)
- ヤナセ、キャデラック・セヴィル(1996年)
- 三菱電機、「デジタル・ムーバ D207」「Pedion」(1998年)
- WOWOW、サマーキャンペーン(2000年、2016年 -)
- 日本コカ・コーラ、コカ・コーラ「No Reason!」キャンペーン(2001年 - 2002年)
- JAL、「FLY! JAL!」キャンペーン(2003年 - 2004年)
- トヨタ自動車、「MORE THAN BEST」キャンペーン(2004年 - 2005年)
- 明治製菓、ショコライフ(2006年 - 2007年)
- アメリカン・エキスプレス、「MORE THAN JUST A CARD」キャンペーン(2007年)
- ダンディハウス、「ニッポン ダンディ?」キャンペーン(2007年)
- アサヒ飲料、WONDA「モーニングショット」「アフターショット」「圧力仕立て ブラック」(2007年)「金の微糖」(2008年)
- 大塚製薬、UL・OS(ウル・オス)(2009年 - 2010年)
- NTTドコモ、「walk with you 2011 SUMMER」キャンペーン(2011年 - 2012年)
- 森永乳業、マウントレーニア ダブル(2011年)
- サッポロビール、サッポロ プレミアムアルコールフリー(2013年)
- JTB、JTBの春旅・JTBの夏旅 (2016年 -)
- UCC、UCC BLACK無糖 (2016年 -)
タイアップ曲
※桑田佳祐名義で発表された曲のタイアップを記載している
タイトル | タイアップ先 |
---|---|
SHE'S A BIG TEASER | コカ・コーラ「I feel Coke & Sound Special」CMソング |
いつか何処かで (I FEEL THE ECHO) | JAL '88沖縄キャンペーン CMソング |
遠い街角 (The wanderin' street) | 富士フイルム「フジカラー」CMソング |
Blue 〜こんな夜には踊れない | 松竹富士映画『ラッフルズホテル』主題歌 |
真夜中のダンディー | キリンビバレッジ「JIVE」CMソング |
すべての歌に懺悔しな!! | |
祭りのあと | 日本テレビ系ドラマ『静かなるドン』主題歌 |
キリンビバレッジ「JIVE」CMソング | |
MUSIC TIGER | フジテレビ系『桑田佳祐の音楽寅さん 〜MUSIC TIGER〜』オープニングテーマ |
波乗りジョニー | コカ・コーラ「No Reason! キャンペーン」CMソング |
白い恋人達 | |
夏の日の少年 | Town&Country CMソング |
可愛いミーナ | コカ・コーラ「No Reason! キャンペーン」CMソング |
ROCK AND ROLL HERO | |
影法師 | |
こんな僕で良かったら | アメリカン・エキスプレス「MORE THAN JUST A CARD」CMソング |
こんな僕で良かったら (Trumpet & Jazz Piano Trio:CM Version) | |
明日晴れるかな | フジテレビ系ドラマ『プロポーズ大作戦』主題歌 |
男達の挽歌(エレジー) | ダンディハウス「ニッポン ダンディ?」CMソング |
風の詩を聴かせて | 東宝系映画『Life 天国で君に逢えたら』主題歌 |
KDDI・沖縄セルラー電話「au LISTEN MOBILE SERVICE」キャンペーンCMソング | |
NUMBER WONDA GIRL 〜恋するワンダ〜 | アサヒ飲料「WONDA」CMソング |
ダーリン | |
DEAR MY FRIEND | |
現代東京奇譚 | ゴー・シネマ映画『闇の子供たち』主題歌 |
HONKY JILL 〜69(あいなめ)のブルース〜 | フジテレビ系『桑田佳祐の音楽寅さん 〜MUSIC TIGER〜』オープニングテーマ |
君にサヨナラを | 大塚製薬「UL・OS」(ウル・オス)CMソング |
EARLY IN THE MORNING | フジテレビ系『めざましテレビ』2010年度テーマソング |
大塚製薬「UL・OS」(ウル・オス)CMソング | |
月光の聖者達(ミスター・ムーンライト) | 三井住友フィナンシャルグループ CMソング |
銀河の星屑 | フジテレビ系ドラマ『CONTROL〜犯罪心理捜査〜』主題歌 |
明日へのマーチ | NTT docomo「walk with you 2011」キャンペーンソング |
CAFÉ BLEU | 森永乳業「マウントレーニア ダブル」CMソング |
幸せのラストダンス | 三井住友銀行 CMソング |
100万年の幸せ!! | フジテレビ系アニメ『ちびまる子ちゃん』エンディングテーマ |
愛しい人へ捧ぐ歌 | NTT docomo「ドコモthanksキャンペーン」CMソング |
NTT docomo20周年記念スペシャルドラマ 夢の扉 特別編『20年後の君へ』テーマソング | |
MASARU | フジテレビ主催イベント『お台場合衆国2011〜ぼくらがNIPPON応援団!〜』テーマソング |
涙をぶっとばせ!! | NTT docomo「ドコモ2012冬」キャンペーンソング |
Yin Yang | フジテレビ系ドラマ『最高の離婚』主題歌 |
フジテレビ系土曜プレミアム『最高の離婚Special 2014』主題歌 | |
おいしい秘密 | サッポロ「プレミアム アルコールフリー」CMソング |
愛のプレリュード | JTB TVCMソング |
大河の一滴 | UCC BLACK無糖 TVCMソング |
百万本の赤い薔薇 | フジテレビ系情報番組『ユアタイム〜あなたの時間〜』テーマソング |
ヨシ子さん | WOWOW 開局25周年CMソング |
君への手紙 | 映画『金メダル男』主題歌[108] |
WOWOW 25周年記念CMソング [109] |
書籍
著書
- 『ただの歌詩じゃねえかこんなもん』(エッセイつき歌詞集、1984年、新潮社)ISBN 4101353018
- 『ケースケランド』(1984年、集英社)ISBN 4087800792
- 『ロックの子』(1985年、講談社)ISBN 4062017172
- 『ONGAKU BAKADAISHO NO BOKEN』(1987年、扶桑社)ISBN 4893531255
- 『ブルーノート・スケール』(1987年、ロッキング・オン)ISBN 4947599138
- 『ただの歌詩じゃねえかこんなもん'84-'90』(上の同名作品の続編、1990年、新潮社)ISBN 4101353026
- 『桑田佳祐の「平成NG日記」』(映画「稲村ジェーン」の撮影日誌、1990年、講談社)ISBN 4061723375
- 『素敵な夢を叶えましょう』(1999年、角川書店)ISBN 4048836021
- 『やっぱり、ただの歌詩じゃねえか、こんなもん 桑田佳祐 言の葉大全集』(上の同名作品の続編、2012年、新潮社)ISBN 9784103328315
関連書籍
- 『総力特集桑田佳祐』(カドカワムック 別冊カドカワ)(2002年、角川書店) ISBN 4047213896
- 『クワタを聴け!』(中山康樹著、集英社新書、2007年) ISBN 4087203808
脚注・出典
- ^ a b c d e キューブミュージック
- ^ a b c d e f g h i 押井守、桑田佳祐、浜崎あゆみ……知らなかった! 別名義でも活動をしている著名人 excite 2016年2月18日配信・閲覧
- ^ 桑田佳祐、今年はグッズ制作&販売で「Act Against AIDS 2014」に参加 2016年3月31日閲覧
- ^ 『桑田佳祐のやさしい夜遊び』2010年3月27日放送分。
- ^ サザン桑田長男がバンド!詞も曲も歌も - 日刊スポーツ、2013年8月8日
- ^ 朝日新聞夕刊インタビュー記事、2005年10月12日
- ^ 『桑田佳祐の音楽寅さん 〜MUSIC TIGER〜』2000年11月24日放送分
- ^ 『地球音楽ライブラリー サザンオールスターズ 改訂版』TOKYO FM 出版、2005年。
- ^ 「ROCKIN'ON JAPAN FILE」、p.269、ロッキング・オン、1988年。
- ^ Bettyのマヨネーズ
- ^ 渡辺周 (2010年9月16日). “ニューハーフ薩摩へ帰る” (日本語). 朝日新聞(夕刊) (朝日新聞社): p. 1. "桑田が言う。「ねえ、ベティはどこの国のハーフなの?」ベティが言い返す。「ばかねえ、男と女のハーフじゃないの」"
- ^ サザンオールスターズ会報 代官山通信 vol.133 11ページより
- ^ 桑田佳祐『素敵な夢を叶えましょう』角川書店、1999年、p.95
- ^ SASダイヤリー サザンオールスターズラボラトリー 1999年10月(Internet Archive)
- ^ 『桑田佳祐の音楽寅さん 〜MUSIC TIGER〜』2000年10月20日放送回など。
- ^ “サザン桑田 食道がんで8月中に手術へ”. デイリースポーツ. (2010年7月29日) 2010年8月24日閲覧。
- ^ “がん公表の桑田にエール続々…新曲予約は50倍” (日本語). スポーツニッポン. (2010年7月30日) 2012年3月17日閲覧。
- ^ 12月27日 - 12月28日、12月30日までの3日間は、褒章を木箱に入れ、手袋を着用したスタッフが桑田に渡していた。
- ^ 桑田佳祐さん、紫綬褒章「5千円から」でおわび,読売新聞,2015年1月15日
- ^ サザン桑田に右翼抗議 ライブでの不敬パフォーマンス問題に,東スポweb,2015年1月14日
- ^ サザンオールスターズ年越しライブ2014に関するお詫び
- ^ 桑田ラジオで謝罪、演出他意ないと説明,デイリースポーツ,2015年1月18日
- ^ 桑田さん発言要旨 朝日新聞デジタル2015年1月18日02時50分
- ^ サザン桑田、「反日」批判に反論「それこそ都合のいい解釈」 zakzak by夕刊フジ
- ^ MUSICMAN初回限定盤は「“MUSICMAN” Perfect Box」より
- ^ “桑田佳祐、初期の食道がんを公表 手術・治療専念で新作発売延期、全国ツアー中止”. ORICON STYLE (2010年7月28日). 2014年2月25日閲覧。
- ^ “桑田佳祐無事退院!新作レコーディング再開にも意欲”. ナタリー (2010年8月24日). 2014年2月25日閲覧。
- ^ 桑田佳祐“還暦記念” ついにソロ全211曲配信解禁 オリコン 2016年2月26日配信・閲覧
- ^ 桑田佳祐、ソロ約3年振りシングル「ヨシ子さん」発売決定。「平成のロバート・ジョンソンともいうべき曲になりそうだ。 BARKS 2016年5月25日閲覧。
- ^ 桑田佳祐 ニューシングル「ヨシ子さん」スペシャルサイト
- ^ a b 桑田佳祐「君への手紙」リリース、年越し含む横アリ公演も決定 Yahoo!ニュース(音楽ナタリー)2016年9月27日閲覧。
- ^ 『ブルー・ノート・スケール』P106、ロッキン・オン、1987年
- ^ 『ただの歌詩じゃねえかこんなもん』P218、新潮社、1984年
- ^ “政治色”の強さが仇に!? サザン復帰作「ピースとハイライト」の売上枚数が…… ライブドアニュース 2013年8月8日
- ^ サザンが歌った「拉致問題」 有田議員が絶賛した理由 ライブドアニュース 2015年4月6日
- ^ a b 「アサヒ」が駄目なら「クワタ」がある 韓国の対日工作を読む 日経ビジネスオンライン 2015年1月22日
- ^ 2015/1/8 (2015年1月8日). “紅白の安倍批判で「反日」と炎上の桑田佳祐 じゃあ『永遠の0』主題歌提供はなぜ!?”. リテラ. 2016年1月2日閲覧。
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- ^ サザン桑田佳祐、茅ケ崎市民栄誉賞へ 日刊スポーツ
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- ^ 桑田佳祐のやさしい夜遊び 2010年5月 TOKYO FM
- ^ 規制だらけの音楽業界への挑戦 桑田佳祐「AKBの姐ちゃんとおっぴろげ」歌詞の裏事情 ライブドアニュース
- ^ アミューズ (2012年4月9日). “アミューズ募金と義援金に関して 「アミューズ募金」のご報告”. 東日本大震災に対するアミューズグループの取り組みについて. AMUSE Inc.. 2012年4月22日閲覧。
- ^ 桑田佳祐 宮城ライブ 〜明日へのマーチ!!〜 スペシャルサイト
- ^ 復興への願い込め…桑田佳祐、宮城に桜を植樹 オリコンスタイル
- ^ サザンオールスターズ official @sasfannet 2016年3月10日 7:06のツイート
- ^ サザンオールスターズ、宮城公演で野外スタジアムツアーファイナル BARKS
- ^ サザン桑田佳祐が被災地女川でサプライズFM生放送 日刊スポーツ
- ^ 桑田佳祐と吉田拓郎との隠された過去。今日までそして明日から。 - Techinsight 2011年3月
- ^ 桑田佳祐さん「TSUNAMI、歌える日がきたら」 - 朝日新聞デジタル・2012年3月11日
- ^ サザン・桑田が「40周年記念本」を自ら封印した理由 ライブドアニュース
- ^ 「BRUTUS」2011年3月1日号より。
- ^ 【エンタがビタミン♪】桑田佳祐が復帰第一弾アルバム『MUSICMAN(ミュージックマン)』に込めた思いとは? Techinsight
- ^ 「別冊カドカワ 総力特集 桑田佳祐 」P23 - 24より。
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- ^ a b 有田芳生 @aritayoshifu 2015年1月1日23:25のツイート
- ^ 辻元清美 @tsujimotokiyomi 2013年8月9日23:20のツイート
- ^ a b アジカン後藤「サザンがここまで謝らないといけないのは、いかにも弾力がなさすぎでしょう、日本社会」 J-CASTニュース
- ^ 太田光・中沢新一共著『憲法九条を世界遺産に』より。
- ^ 2015/1/14 (2015年1月14日). “爆笑問題太田がサザン桑田のパフォーマンス擁護 「あれがなぜ安倍政権批判?」「どんだけ日本を明るくしてくれたんだ」”. ジェイ・キャスト. 2015年12月12日閲覧。
- ^ 橋下市長「座ってサザン」報道にキレた - 日刊スポーツ 2013年8月
- ^ 「桑田佳祐のやさしい夜遊び」2013年8月24日放送分
- ^ 「桑田佳祐のやさしい夜遊び」2015年1月3日放送分
- ^ ビートたけし 桑田佳祐は「大した天才だと思う」と発言 livedoor NEWS 2015年10月27日閲覧
- ^ ビートたけしの意外な一面を付き人が語る「テンションが高い時はエロい歌」 ライブドアニュース
- ^ ビートたけし『仁義なき映画論』1991年、太田出版のち文春文庫 ISBN ISBN 9784167578022
- ^ 東京スポーツ連載『たけしの世相斬り』2015年1月19日分
- ^ 太田光が桑田佳祐からのメールに驚き「偽ベッキーを連れて行きます」,ライブドアニュース , 2016年2月17日
- ^ 落語家・立川志の輔が「化け物」と言った桑田佳祐のスター性とは CINRA.NET
- ^ 桑田佳祐 志の輔らくごを鑑賞「落語は人間の色気」 エキサイトニュース
- ^ 林家たい平が選ぶ「カラオケで、車のなかで、桑田佳祐と一緒に歌いたい」20曲
- ^ 立川キウイ@tatekawa91 2015年5月2日23:03 のツイート
- ^ 桂吉弥ホームページ
- ^ aiko、28000人が酔いしれた茅ヶ崎の一夜 BARKS
- ^ 文:原由子 連載 あじわい夕日新聞,朝日新聞デジタル, 2012年6月4日
- ^ 【エンタがビタミン♪】桑田佳祐が若手マネージャーに世代間ギャップ感じる。タモリも「パない」を理解できず。 Techinsight
- ^ 桑田佳祐へのメッセージ 第3回 亀田誠治 ナタリー
- ^ ハマ・オカモト @hama_okamoto 2013年8月10日6:27のツイート
- ^ ファンキー加藤 @fmb_funkykato 2013年8月10日7:13のツイート
- ^ 「別冊カドカワ 総力特集 桑田佳祐」p64 - 67より。
- ^ Roots!,HBCラジオ
- ^ 「別冊カドカワ 総力特集 桑田佳祐」P76 - 77より。
- ^ 「別冊カドカワ 総力特集 桑田佳祐」P78より。
- ^ Nakajin_SEKAINOOWARI @Nakajin_sekaino 2015年5月24日21:22 のツイート
- ^ 真夜中のダンディー|家入レオ オフィシャルブログ Powered by Ameba
- ^ 桑田佳祐のシングル売上ランキング オリコン 2015年11月25日閲覧
- ^ a b 桑田佳祐 オリコンスタイル 2015年11月25日閲覧
- ^ 桑田佳祐&Mr.Children名義のためランキングには含まない。
- ^ 桑田佳祐 アルバム売上ランキング オリコン 2016年2月2日閲覧。
- ^ いま聞くべきベストアルバムはコレ 新定番36 NIKKEI STYLE 2016年3月17日配信・閲覧
- ^ “桑田佳祐、完全復活! ソロ新作が16年半ぶり首位”. オリコン (2011年3月1日). 2011年3月1日閲覧。
- ^ 【オリコン】ユーミン、40周年ベスト首位 ソロ初のアルバム総売上3000万枚! オリコン 2015年12月5日閲覧
- ^ a b 祝還暦! 桑田佳祐のスゴさが分かる5つのヒット分析 日経トレンディネット 2016年2月19日配信・閲覧
- ^ 「第18回日本プロ音楽録音賞」受賞作品一覧 2016年9月25日閲覧
- ^ 桑田佳祐 謎の音楽評論家も登場!? 未発表新曲「悪戯されて」地上波初披露の音楽特番8/26オンエア Billboard JAPAN 2016年8月25日閲覧
- ^ “桑田佳祐、内村光良監督の映画に主題歌提供「喜劇の傑作だと思いました」”. 音楽ナタリー. (2016年7月27日) 2016年7月27日閲覧。
- ^ “桑田佳祐「君への手紙」がWOWOW25周年CMソングに、来月特番オンエアも決定”. 音楽ナタリー. (2016年11月8日) 2016年11月8日閲覧。
関連項目
- サザンオールスターズ
- KUWATA BAND
- SUPER CHIMPANZEE
- 桑田佳祐&Mr.Children
- アミューズ
- ビクターエンタテインメント
- タイシタレーベル
- アクト・アゲインスト・エイズ
外部リンク
- sas-fan.net
- 桑田佳祐 official YOUTUBE channel - YouTubeチャンネル
- SAS応援団 サザンオールスターズ Official Fan Club Site(ファンクラブ公式サイト 一部コーナーは会員以外利用不可)
- アミューズ オフィシャル ウェブサイト -AMUSE OFFICIAL WEBSITE-(CD・出版物情報)
- 桑田佳祐のやさしい夜遊び(TOKYO FM)
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