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ミエと良子のおしゃべり泥棒

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ミエと良子のおしゃべり泥棒
ジャンル トーク番組
演出 小西敬太郎
出演者 中尾ミエ
森山良子
製作
プロデューサー 大竹彰
制作 テレビ東京
放送
音声形式モノラル放送
放送国・地域日本の旗 日本
放送期間1980年4月18日 - 1987年3月27日
放送時間当該節参照
放送分30分
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ミエと良子のおしゃべり泥棒』(ミエとりょうこのおしゃべりどろぼう)は、1980年4月18日から1987年3月27日までテレビ東京(1981年9月までは東京12チャンネル)で放送されたトーク番組である。

概要

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中尾ミエ森山良子が司会を務めた番組で、毎回彼女たちが男性ゲストを迎えてトークを繰り広げていた。それまでのトーク番組はゲストのプライベートにはあまり踏み込まないお飾りトークがメインであったが、この番組ではゲストのプライベートから趣味嗜好までをも深く掘り下げていたのが特徴で、女性遍歴や初体験の話、風俗経験の話や嫌いな芸能人の話など、一歩足を踏み込んだ際どいトークを展開していた。主に中尾がゲストに対して深く突っ込んでいき、それを森山が宥めたり、さらに突っ込んだりすることでトークを深めていった。ゲストのプライベートに踏み込み、本音を聞き出していくこの手法は、後に様々なトーク番組に影響を与えることになった。テーブルには(主にウィスキーやブランデーなどの洋酒)が用意されており、2人が酔った勢いでゲストに際どい事を聞いたり、酔ってテンションが上がったゲストから爆弾発言が出たりすることも多かった。

現在のテレビ東京とは違って完全に東京ローカル局、NHKや先発4局と比べて明らかに格下という扱いをされていた東京12チャンネルであったが、ゲストは非常に多彩で豪華であり、超一流俳優から人気の若手芸人、作家、現役スポーツ選手と幅広かった。放送第1回目のゲストは勝新太郎だった。

番組開始以来長らくヤマギワの一社提供だった。

放送時間

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いずれもJST、テレビ東京での放送時間。

  • 金曜 22時00分 - 22時30分(1980年4月 - 1983年9月)
  • 土曜 22時00分 - 22時30分(1983年10月1日 - 1986年9月27日)
  • 金曜 22時30分 - 23時00分(1986年10月3日 - 1987年3月27日)

出演者

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構成

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セットは高級マンションの一室のような造りで、手前はテーブルに椅子が2つ並んだエリアで、奥はソファーが並んだエリアとなっていた。オープニングおよびエンディングトークは椅子の席で、ゲストとのトークはソファーの席で行っていた。

オープニングでは、中尾と森山のフリートークと視聴者からのお便りの紹介、そしてその日のゲストの触り紹介を行っていた。チャイムが鳴り、ゲストが玄関のドアを開けて登場すると、中尾たちが歌うオープニングテーマが流れ、CM移行前に提供クレジットが表示された。

CM明けにはソファー席へ移動し、ゲストとのトークがスタート。合間には、視聴者からのお便りなどの紹介を行っていた。ゲストが中尾たちへの土産を持参してくるのも恒例となっており、このゲストがMCに対して土産を持ってくるという演出は、後にスタートする『森田一義アワー 笑っていいとも!』のテレフォンショッキングや『さんまのまんま』、『とんねるずのみなさんのおかげでした』の食わず嫌い王決定戦などでも定番となった。

エンディングでは、中尾たちが遠くのソファー席にゲストを残した状態でまとめのトークを行った後、スタッフロールが流れて終了するというのが主な流れだった。

テーマ曲

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スタッフ

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  • 構成:山崎博史
  • ピアノ演奏:宮浦章啓
  • プロデューサー:大竹彰
  • ディレクター:小西敬太郎
  • 製作著作:テレビ東京

ネット局

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リメーク版

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この番組終了から27年後の2014年8月9日「ミエと良子のおしゃべり泥棒RETURNS」と題した2時間の単発特番が、BSジャパンで放映された。以後、半年ごとに新作が放送されている(新作の放送直前、以前の番組が再放送されている)。3人のゲスト(80年代の放送時に出演した者もいる)を迎え新しく収録したトークを中心に、80年代の傑作トークを交えて放送される。新収録分では、以前と同様にゲストと酒を酌み交わしながら、きわどいトークを展開する。テレビ東京とBSジャパンの共同製作、製作協力はEAST ENTERTAINMENT

脚注

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  1. ^ a b 『テレビ東京20年史』テレビ東京、1984年4月12日、25頁。NDLJP:12275747/17 
  2. ^ 最終回は放送時間を25分繰り下げて放送。
  3. ^ 北海道新聞』(縮刷版) 1981年(昭和56年)4月 - 1987年(昭和62年)7月、テレビ欄。
  4. ^ 岩手日報』1983年12月テレビ欄
  5. ^ 秋田魁新報』1983年9月テレビ欄
  6. ^ 山形新聞』1983年9月テレビ欄
  7. ^ a b 福島民報』1983年9月テレビ欄
  8. ^ 新潟日報』1983年9月テレビ欄
  9. ^ 1981年4月5日、1987年4月26日 信濃毎日新聞 テレビ欄
  10. ^ 山梨日日新聞』1983年9月テレビ欄
  11. ^ 『北國新聞』1980年10月1日付朝刊テレビ欄
  12. ^ 北國新聞』1983年10月テレビ欄
  13. ^ 『北國新聞』1982年1月23日付朝刊テレビ欄
  14. ^ a b 北國新聞』1983年9月テレビ欄
  15. ^ 京都新聞』1983年9月テレビ欄
  16. ^ 徳島新聞』1983年9月テレビ欄
  17. ^ a b 山陽新聞』1983年10月テレビ欄
  18. ^ 山陽新聞』1983年9月テレビ欄
  19. ^ 山陰中央新報』1983年9月テレビ欄
  20. ^ a b c 愛媛新聞』1983年9月・10月テレビ欄
  21. ^ a b c 熊本日日新聞』1983年9月テレビ欄
  22. ^ 沖縄タイムス』1983年9月テレビ欄

外部リンク

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東京12チャンネル→テレビ東京 金曜22時台前半枠
前番組 番組名 次番組
Mr.チョンボ危機乱発
ミエと良子のおしゃべり泥棒
(1980年4月 - 1983年9月)
おーわらナイト
テレビ東京 土曜22時台前半枠
テレビ商法
ミエと良子のおしゃべり泥棒
(1983年10月 - 1986年9月)
テレビ東京 金曜22時台後半枠
ミエと良子のおしゃべり泥棒
(1986年10月 - 1987年3月)