有珠郡
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人口2,328人、面積205.01km²、人口密度11.4人/km²。(2024年11月30日、住民基本台帳人口)
以下の1町を含む。
- 壮瞥町(そうべつちょう)
郡域
[編集]1879年(明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、上記1町に伊達市および虻田郡洞爺湖町の一部(川東・岩屋・早月)を加えた区域にあたる。
歴史
[編集]郡発足までの沿革
[編集]平安時代の天長3年(826年)比叡山の僧・円仁(慈覚大師)が開山したと伝わる伊達の有珠善光寺は、江戸時代には蝦夷三官寺のひとつとされた。
江戸時代の有珠郡域は東蝦夷地に属し、松前藩によってウス場所が開かれていた。陸上交通は、渡島国の箱館から道東や千島国方面に至る陸路(国道37号の前身)が東西に通じていた。寛政年間には大臼山神社の前身の弁財天蛭子宮が存在していた。江戸時代後期、国防のため寛政11年有珠郡域は天領とされたが、文政4年には一旦松前藩領に復したものの、安政2年再び天領となり南部藩が警固をおこなった。
有珠郡域にも跨る有珠山は古くから火山活動が盛んで、寛文3年、明和6年、文政5年、嘉永6年と江戸時代だけでも頻繁に噴火しており、付近の集落が全焼したり嘉永6年の噴火では洞爺湖方面に火砕流が流下している。その他、蟠渓温泉が古くから知られている。戊辰戦争(箱館戦争)終結直後の1869年、大宝律令の国郡里制を踏襲して有珠郡が置かれた。
郡発足以降の沿革
[編集]- 明治2年
- 明治4年8月20日(1871年10月4日) - 廃藩置県により再び開拓使の管轄となる。
- 明治5年
- 明治9年(1876年)9月 - 従来開拓使において随意定めた大小区画を廃し、新たに全道を30の大区に分ち、大区の下に166の小区を設けた。
明治9年の大区小区
- 第20大区
- 3小区 : 有珠村、長流村
- 4小区 : 紋鼈村、稀府村、黄金蘂村
- 第20大区
- 明治12年(1879年)7月23日 - 郡区町村編制法の北海道での施行により、行政区画としての有珠郡が発足。
- 明治13年(1880年)3月 - 室蘭郡外三郡役所(室蘭虻田有珠幌別郡役所)の管轄となる。
- 明治15年(1882年)2月8日 - 廃使置県により札幌県の管轄となる。同年紋鼈村が東紋鼈村と西紋鼈村に分村。
- 明治19年(1886年)1月26日 - 廃県置庁により北海道庁札幌本庁の管轄となる。
- 明治22年(1888年)1月 - 室蘭郡外五郡役所(室蘭虻田有珠幌別勇払白老郡役所)の管轄となる。
- 明治30年(1897年)11月5日 - 郡役所が廃止され、室蘭支庁の管轄となる。
- 明治32年(1899年)- 西紋鼈村、長流村、有珠村の各一部が合併し壮瞥村が成立。
- 明治33年(1900年)7月1日 - 北海道一級町村制の施行により、有珠村、稀府村、東紋鼈村、西紋鼈村、長流村、黄金蘂村の区域をもって伊達村(一級村)が発足。(1村)
- 大正4年(1915年)4月1日 - 北海道二級町村制の施行により、壮瞥村(二級村、単独村制)が発足。(2村)同年壮瞥村から徳舜瞥村が分村して成立。
- 大正8年(1919年)4月1日 - 北海道二級町村制施行に伴い、徳舜瞥村(二級村、単独村制)が発足。(3村)
- 大正9年(1920年)6月 - 徳舜瞥村の一部が虻田郡喜茂別村に編入。
- 大正11年(1922年)8月1日 - 室蘭支庁が改称して胆振支庁となる。
- 大正12年(1923年)8月20日 - 壮瞥村の一部(字ピリカベツ以北)が虻田郡洞爺村に編入。
- 大正14年(1925年)8月1日 - 伊達村が町制施行して伊達町(一級町)となる。(1町2村)
- 昭和14年(1939年)4月1日 - 壮瞥村が北海道一級町村制を施行。
- 昭和18年(1943年)6月1日 - 北海道一・二級町村制が廃止され、北海道で町村制を施行。二級町村は指定町村となる。
- 昭和21年(1946年)10月5日 - 指定町村を廃止。
- 昭和22年(1947年)5月3日 - 地方自治法の施行により北海道胆振支庁の管轄となる。
- 昭和25年(1950年)9月1日 - 徳舜瞥村が改称して大滝村となる。
- 昭和37年(1962年)1月1日 - 壮瞥村が町制施行して壮瞥町となる。(2町1村)
- 昭和47年(1972年)4月1日 - 伊達町が市制施行して伊達市となり、郡より離脱。(1町1村)
- 平成18年(2006年)3月1日 - 大滝村が伊達市に編入。(1町)
- 平成22年(2010年)4月1日 - 胆振支庁が廃止され、胆振総合振興局の管轄となる。
参考文献
[編集]- 角川日本地名大辞典 1 北海道