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雨竜郡

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

北海道雨竜郡の位置(1.妹背牛町 2.秩父別町 3.雨竜町 4.北竜町 5.沼田町 6.幌加内町 黄:明治期)

雨竜郡(うりゅうぐん)は、北海道石狩国空知総合振興局上川総合振興局管内の

人口12,432人、面積1,496.06km²、人口密度8.31人/km²。(2024年11月30日、住民基本台帳人口)

以下の6町を含む。

空知管内

上川管内

郡域

1879年明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、上記6町に深川市の大部分(概ね石狩川以北)を加えた区域にあたる。

歴史

郡発足までの沿革

江戸時代の雨竜郡域は西蝦夷地に属し、石狩場所に含まれ松前藩領となっていた。江戸時代後期になると、国防上の理由から文化4年雨竜郡域は公儀御料(幕府直轄領)とされた。

文化5年には留萌支配人山田屋文右衛門によって留萌からニセバルマ(現増毛郡増毛町御料)、エタイベツを経て樺戸郡と雨竜郡の境界にあたるオシラリカに出る約25里(98.2km)の道が開削され、この道は雨竜越と呼ばれていた。

文政4年には一旦松前藩領に復したものの、安政2年再び公儀御料となり庄内藩が警固を行った。戊辰戦争箱館戦争)終結直後の1869年大宝律令国郡里制を踏襲して雨竜郡が置かれた。

郡発足以降の沿革

北海道一・二級町村制施行時の雨竜郡の町村(19.深川村 20.一已村 21.秩父別村 22.雨竜村 23.北竜村 24.上北竜村 25.幌加内村 青:区域が発足時と同じ町村 水色:分立して現存する町村 34.妹背牛村)
明治9年の大区小区
  • 第2大区
    • 3小区

備考

場合によっては、深川市とともに道北エリアに属される場合もある。また、NTTの各電話帳のうち、タウンページは、雨竜町が滝川市岩見沢市などと同じ「空知地方版」に掲載されている以外は、深川市とともに「旭川市・上川・北空知地方版」に掲載されている。ハローページ(企業名・個人名とも)は、雨竜町が「滝川地方版」、幌加内町が「士別地方版」に掲載されている以外は、「深川地方版」に掲載されている。また天気予報では、雨竜町が中空知エリアである他は、深川市とともに北空知エリアに属している。

参考文献

  • 角川日本地名大辞典 1 北海道
  • 内務省衛生局保健衛生調査室編『各地方ニ於ケル「マラリア」ニ関スル概況』1919年(大正8年)発行(2008年1月21日現在、国立国会図書館の『近代デジタルライブラリー』で閲覧可能)

関連項目