太平洋戦争の年表
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アジア太平洋戦争の年表(あじあたいへいようせんそうのねんぴょう)では、3年9ヶ月に及ぶ日本、満洲国、タイ王国、南京国民政府、イタリア王国とアメリカ合衆国、イギリス帝国、オランダ、ソビエト連邦など連合国との太平洋戦争(国家総力戦)の経緯と経過を年表で示す。中華民国との間の戦争・事変は日中戦争を参照。
開戦までの経緯(簡略)
[編集]1937年(昭和12年)7月7日に始まった日中戦争(支那事変)によって、日本の満州事変以来の日本の中国進出を警戒する英米仏と、日中戦争の長期化は欧米の対中軍事支援によるとする日本の関係は急速に悪化、アメリカ合衆国が航空機用燃料・鉄鋼資源の対日輸出を制限するなど、日本の締め上げが図られた。それでも中国から撤退しない日本は、ヨーロッパにおいて第二次世界大戦を繰り広げるドイツ・イタリアと1940年に日独伊三国軍事同盟を締結し、ヴィシーフランスとの合意のもと仏領インドシナへ進駐し事態を打開しようとするが、アメリカは石油輸出全面禁止などの経済封鎖を以て、これに応えた。その後、数度にわたる日米交渉も難航し、アメリカは1941年(昭和16年)11月26日、ハル・ノートを日本側に提出した。これを最後通牒と受け止めた日本は、12月1日の御前会議で日米交渉の打ち切りと日米開戦を決定、択捉島単冠湾からハワイ真珠湾へ向けて出撃していた日本海軍機動部隊に12月8日の戦闘行動開始命令が伝達された。
開戦までの年表
[編集]1929年(昭和4年)
[編集]1930年(昭和5年)
[編集]- 1930年から1931年(昭和6年)にかけて昭和恐慌、昭和農業恐慌。
- ソ連のスパイ・リヒャルト・ゾルゲ、1932年まで上海で活動。尾崎秀実や川合貞吉らも参加するゾルゲ諜報団結成。
- 4月22日 イギリス、日本、フランス、イタリア、米国の間で、ロンドン海軍軍縮条約が締結。
- 5月6日 日華関税協定
- 5月11日 中国、中原大戦開始。
- 5月30日 間島共産党暴動。満州事変の一因。
- 7月29日 上海にコミンテルン極東局
- 8月1日 八一吉敦暴動
- 11月14日 統帥権干犯問題を原因とする濱口首相遭難事件発生。当時の大日本帝国憲法は統帥権の独立が謳われ、文民統制が確立できない欠陥を抱えていた。
- 12月 第1次囲剿
1931年(昭和6年)
[編集]- 日本、婦人参政権を条件付で認める法案が衆議院を通過
- 3月6日 大日本連合婦人会設立。
- 4月14日 濱口内閣総辞職。
- 6月15日 ヌーラン事件
- 6月27日 中村大尉事件。満州事変の一因。
- 7月2日 万宝山事件。満州事変の一因。翌日、朝鮮排華事件も発生。間島問題も参照。
- 8月から9月 リンドバーグ夫妻の北太平洋航路調査と来日
- 9月18日 柳条湖事件(満州事変)。同日、コミンテルン指令1931年。
- 11月 瑞金で第一回全中国ソビエト代表者大会。中華ソビエト共和国臨時政府樹立。
- 12月10日 リットン調査団発足。
- 12月13日
1932年(昭和7年)
[編集]- 1月28日から3月3日 第一次上海事変。
- 2月9日 血盟団事件。
- 2月末 尾崎秀実帰国、日本国内でゾルゲ諜報団活動開始。
- 3月1日 満洲国建国宣言。満蒙開拓移民も開始される。
- 3月 リットン調査団、派遣。
- 5月15日 五・一五事件(要人暗殺テロ)。犬養毅暗殺、大正デモクラシー以来続いた政党内閣の終焉。
- 5月26日 齋藤内閣成立(挙国一致内閣)。
- 7月24日 社会大衆党結成。
- 10月24日 国防婦人会設立。
- 1934年(昭和9年)まで、時局匡救事業。
1933年(昭和8年)
[編集]- 2月24日 国際連盟総会、「支日紛争に関する国際連盟特別総会報告書」勧告案の採決。
- 3月4日 フランクリン・ルーズベルトがアメリカ合衆国大統領に就任、民主党政権成立。1937年までニューディール政策。
- 3月27日 日本、国際連盟脱退通告。
- 5月31日 日中間で塘沽停戦協定締結。
1934年(昭和9年)
[編集]1935年(昭和10年)
[編集]- 1月8日 哈爾哈廟事件(日ソ間紛争)
- 1月15日から1月17日 中共、遵義会議
- 2月18日 日本、天皇機関説事件。1935年ころから、八紘一宇などのスローガンが掲げられるようになった(国家神道も参照)。また、御真影と教育勅語の神聖化(現人神も参照)や奉安殿の建設が盛んになる。
- 6月1日 ラジオ東京放送開始
- 6月10日 梅津・何応欽協定
- 6月27日 土肥原・秦徳純協定
- 7月25日 第七回コミンテルン大会(人民戦線戦術および統一戦線も参照)。
- 8月1日 中共、八・一宣言
- 11月1日 汪兆銘狙撃事件(藍衣社も参照)
- 11月9日 中山水兵射殺事件
- 11月25日 河北省に冀東防共自治政府成立。
1936年(昭和11年)
[編集]- ソ連、1936年から1938年にわたり大粛清
- 1月15日 日本、ロンドン軍縮会議脱退。
- 1月29日 金廠溝事件(日ソ間紛争)
- 2月26日 二・二六事件(クーデター未遂)発生、戒厳の宣告。世界恐慌から日本経済を世界最速で脱出させた高橋是清らが犠牲となった。事件後、統制派(革新派も参照)が軍部の実権を握った。
- 3月12日 ソ蒙相互援助議定書締結
- 5月 南満州に朝鮮祖国光復会(抗日民族統一戦線)結成。
- 5月18日 軍部大臣現役武官制、復活。
- 6月3日-11月15日 満洲里会議
- 6月19日 乾岔子島事件(日ソ間紛争)
- 8月24日 成都事件
- 9月3日 北海事件
- 9月19日 漢口邦人巡査射殺事件
- 9月23日 上海日本人水兵狙撃事件
- 9月-11月 内蒙古・綏遠事件(内蒙古独立戦争)
- 11月25日 前年の第七回コミンテルン大会を受け、日独防共協定調印。
- 12月12日 西安事件。
1937年(昭和12年)
[編集]- 1937年 コミンテルン指令。
- 2月15日から同月21日まで 中国国民党第五期第三次中央執行委員全体会議
- 2月21日 日本無産党結成。
- 3月30日 文部省・教学局が国体の本義発行。
- 4月~8月 ヘレン・ケラー初来日
- 4月5日 防空法公布、空襲警報の基本規定。
- 5月6日 ヒンデンブルク号爆発事故
- 6月4日 第1次近衛内閣、成立。
- 7月7日 盧溝橋事件発生、この事件が日中戦争の開始とされる。
- 7月13日 大紅門事件。
- 7月下旬 宮崎工作
- 7月25日 郎坊事件。
- 7月26日 広安門事件。
- 7月29日 通州事件。朝鮮人を含む日本人居留民多数が暴徒に惨殺され、対中感情が極度に悪化。
- 8月9日
- 8月13日 第二次上海事変、日中戦争が本格化。招集の増加(病院船、病客車、傷痍軍人も参照)。召集令状を受けた出征者に千人針を贈る風習は1945年8月の敗戦まで続いた。また、国防献金も終戦まで盛んに行われた。
- 8月21日 中ソ不可侵条約締結。その後、在華ソビエト軍事顧問団が派遣され、国民革命軍の対日作戦に影響を与えた。
- 9月 国民精神総動員。このころから日本における検閲の強化や報道が加熱(大陸の花嫁・暴支膺懲)、同調圧力も強まる(非国民およびレッテル貼りも参照)。露営の歌など、軍歌もさかんに流れるようになった。
- 9月4日 内蒙古(察哈爾省南部)に察南自治政府成立。チャハル作戦も参照。
- 9月23日 第二次国共合作
- 10月5日 ルーズベルト大統領の隔離演説。
- 10月15日 内蒙古(山西省北部)に晋北自治政府成立。
- 10月28日 内蒙古(綏遠省)に蒙古聯盟自治政府成立。
- 11月22日 蒙疆聯合委員会設立。
- 11月
- 12月 南京戦。
- 12月5日 上海市大道政府成立。
- 12月13日 日本軍、中華民国の首都・南京占領。蒋介石政権、降伏せず武漢市に遷都。
- 12月14日 華北に日本の支援による北京中華民国臨時政府成立。
- 12月15日 日本、人民戦線事件発生(〜1938年2月1日)。1937年以降、革新官僚の主導で戦時統制経済開始、戦時体制に移行。
1938年(昭和13年)
[編集]- 1月11日 第一回御前会議、支那事変処理根本方針。厚生省設置。
- 1月16日 第一次近衛声明、トラウトマン工作の打ち切り。背景にソ連のスパイ・尾崎秀実らの積極工作(アクティブ・メジャーズ)。
- 1月 満蒙開拓青少年義勇軍の募集開始。
- 2月1日 冀東政府が中華民国臨時政府に合流
- 2月23日 ソ連空軍志願隊などによる日本領土(松山飛行場)への攻撃。
- 3月28日 華中に中華民国維新政府成立。
- 4月1日 国家総動員法公布、配給制。国民健康保険法。
- 4月2日 陸上交通事業調整法公布。
- 5月 宇垣工作
- 5月19日 日本軍、徐州占領。
- 7月 汪兆銘工作。尾崎秀実の謀略工作も参照。また、1940年東京オリンピックの中止が決定。
- 7月29日 張鼓峰事件(日ソ間紛争)。
- 9月30日 国際連盟加盟国、対日経済制裁(ABCD包囲網)を開始。
- 10月21日 日本軍、広東占領。
- 11月3日 近衛内閣、東亜新秩序声明。
- 同年、蒋介石政権が重慶市に遷都。
1939年(昭和14年)
[編集]- 1月 姜豪工作
- 1月 天津事件の勃発。
- 2月10日 日本軍、海南島占領。
- 4月6日 日本、船員保険法
- 5月11日 ノモンハン事件(日ソ間紛争)。
- 5月26日-5月27日 東安鎮事件(日ソ間紛争)
- 7月 有田・クレーギー協定の締結(日英間協定)。
- 7月8日 日本、国民徴用令公布。銃後の守りも参照。
- 7月26日 アメリカ、日米通商航海条約廃棄。背景にアメリカ共産党による反日工作。
- 9月 米国共産党調書発行。
- 9月1日 察南・晋北・蒙古聯盟の3自治政府を統合し蒙古聯合自治政府成立。
- 9月30日 日本、産めよ殖やせよ。
- 11月18日 日本、太平洋問題調査会から事実上の脱退。
- 11月 日本、企画院事件(〜1941年4月)。
- 12月 桐工作。ステュアート工作も参照。
1940年(昭和15年)
[編集]- 1月26日 日米通商航海条約失効。
- 2月1日 陸運統制令公布
- 3月30日 中華民国維新政府と中華民国臨時政府を統合し、南京で汪兆銘を首班とする汪兆銘政権成立。
- 4月1日 日本、戦費の安定確保を目的に源泉徴収開始。
- 7月22日 第2次近衛内閣成立。
- 8月1日「ぜいたくは敵だ」。節約資金は、国債購入に充てられた。
- 9月以降 銭永銘・周作民工作
- 9月11日 日本、部落会町内会等整備要領。
- 9月13日 第二次日蘭会商。日本側は小林一三商工大臣を団長にし、オランダ領東インド(蘭印)と交渉を開始。
- 9月27日 日独伊三国軍事同盟。
- 9月28日 日本軍、北部仏印進駐を実施し援蔣ルートを遮断。
- 10月 大政翼賛会発足。
- 10月22日 第二次日蘭会商、日本側は団長の小林一三商工大臣を召還。小林団長の帰国後も日蘭会商は事務レベルの交渉を継続。[1]
- 11月1日 日本、国民服制定。
- 11月11日 紀元二千六百年記念式典。
- 11月下旬 第二次日蘭会商、オランダ領東インド(蘭印)が日本へ石油200万トンを供給することに合意し調印する。[1]
- 11月23日 大日本産業報国会
- 11月30日
- 12月7日 日本、経済新体制確立要綱
1941年(昭和16年)
[編集]- 1月4日 皖南事変
- 1月7日 日本全軍に、戦陣訓示達。これはバンザイ突撃や玉砕の原因となり、さらに兵士に対し捕虜となった際の対処法の教育を怠ったことから情報漏洩も招いた。
- 1月15日 第二次日蘭会商、団長を芳澤謙吉元外務大臣に変えて再交渉を開始。
- 3月1日 国民学校令公布、翌月1日小学校を国民学校に改組。
- 3月11日
- 4月 日米交渉開始。
- 4月25日 日ソ中立条約調印。ソ連による対中支援の停止。
- 6月6日 大本営政府連絡会議、対南方施策要綱。
- 6月11日 大本営政府連絡懇談会で日蘭会商の芳澤謙吉団長の引き上げの方針が提出される。使節団はオランダ領東インド(蘭印)と最後の交渉を行い、オランダ領東インド(蘭印)側は日本へ輸出可能であると回答した重要資源の対日輸出を行うことを約束した。[1]
- 6月17日 日蘭会商の芳澤謙吉団長はオランダ領東インド(蘭印)へ交渉の打ち切りを通告。[1]
- 6月22日 独ソ戦勃発
- 7月 文部省教学局より臣民の道が刊行された。
- 7月7日 関東軍特種演習の大動員令
- 7月11日 戦時情報局
- 7月24日 米国のラジオが「日本の輸送船12隻が海南島を出航して南下しつつある」と報じた。[1]
- 7月26日
- イギリス、日英通商航海条約破棄。
- アメリカ、在米の日本資産を凍結。
- 7月27日 オランダ領東インド(蘭印)、在蘭印の日本資産を凍結して、日蘭会商で調印した石油協定を停止。[1]
- 7月28日 日本軍、南部仏印進駐開始(南進論も参照)。背景に尾崎秀実の誘導工作。
- 8月1日 アメリカ、「全侵略国」への石油の輸出を全面禁止(対日石油禁輸措置)。ABCD包囲網の完成。
- 8月14日 大西洋憲章。
- 8月30日 不足する金属資源を補うため金属類回収令制定。
- 9月6日 第六回御前会議、帝国国策遂行要領。
- 9月27日 日本、ゾルゲ事件発生(〜1942年4月)。
- 10月18日 東條英機内閣成立。統制派も参照。
- 11月22日 国民勤労報国協力令公布。
- 11月26日 アメリカ、ハル・ノートを提示。
- 12月1日 第八回御前会議、対英米蘭開戦を決定。
戦中の年表
[編集]1941年(昭和16年)
[編集]- 12月8日
- マレー作戦の開始。日本軍、英領マレー半島のコタバル、タイ南部のパタニとシンゴラ(ソンクラ)に上陸。1942年5月18日、終了。
- ワード号事件。
- ハワイ空襲作戦。いわゆる、真珠湾攻撃。
- 香港の戦い。日本軍、広東省から英領香港攻撃開始。1941年12月25日、終了。
- ウェーク島の戦い。ウェーク島の攻略作戦を開始。1941年12月23日、終了。
- 太平洋戦争開戦。開戦の詔書(米國及英國ニ對スル宣戰ノ詔書)が発せられ、日本の対米英宣戦布告。
- アメリカ合衆国の対日宣戦布告、イギリスの対日宣戦布告
- ミッドウェー島砲撃。真珠湾攻撃に呼応して駆逐艦により実施したミッドウェー島に対する砲撃。
- フィリピンの戦いの開始。米領フィリピン上空での航空戦。1942年6月9日、終了。
- アメリカ、対日無制限潜水艦作戦を宣言。[要出典]
- 中華民国国民政府、日独伊に宣戦布告。
- 12月10日
- 12月11日
- 日本軍、ウェーク島攻略失敗(ウェーク島の戦い)。
- ドイツとイタリアが対米宣戦布告
- 12月12日 日本軍、香港九龍市を制圧、英軍は香港島へ逃走。
- 12月15日 日本軍、ペナン島占領。
- 12月16日
- 12月20日 日本軍、フィリピンミンダナオ島ダバオに上陸。
- 12月21日 日本政府、タイと攻守同盟を締結(日泰同盟)。
- 12月23日 日本軍、ウェーク島占領。
- 12月25日 日本軍、香港島を制圧、香港のイギリス軍降伏。
1942年(昭和17年)
[編集]- 1月1日 連合国共同宣言。
- 1月2日 日本軍、ルソン島マニラを無血占領。
- 1月8日 連合軍、タイ攻撃開始。
- 1月11日
- 日本軍、マレー半島クアラルンプール占領。
- 日本、オランダに宣戦布告。
- 1月15日 日本軍、英領ビルマ(現ミャンマー)攻撃部隊がタイに集結。
- 1月23日 日本軍、ニューブリテン島ラバウル占領。
- 1月24日 バリクパパン沖海戦。
- 1月25日 タイ、英米に宣戦布告。日本軍、バリクパパン占領。
- 1月27日 エンドウ沖海戦。
- 1月31日 日本軍、タイからビルマ侵攻開始。マレー半島ジョホールバル占領。
- 2月 アメリカ人スティルウィルが中国国民党軍参謀となる。
- 2月1日 日本軍、シンガポールの石油施設を砲撃。米機動部隊、マーシャル諸島来襲。
- 2月2日
- 2月4日 ジャワ沖海戦。
- 2月7日 日本軍、シンガポール北東のウビン島に牽制上陸。
- 2月8日 日本軍、シンガポール北西海岸より上陸(シンガポールの戦い)。
- 2月14日 日本軍、蘭領東インド(現インドネシア)スマトラ島パレンバンを落下傘部隊で占領。
- 2月15日 シンガポールの英豪軍が降伏。
- 2月19日 日本軍、オーストラリアのポートダーウィン空襲。
- 2月20日 バリ島沖海戦。ニューギニア沖海戦。
- 2月21日 日本、食糧管理法
- 2月24日
- 2月下旬 日系人の強制収容。日本での敵国人の抑留も併せて参照。
- 2月26-28日 スラバヤ沖海戦。
- 3月
- フィリピン統一抗日人民軍(フク団)結成。
- 米、中国に5億ドル借款成立。
- 3月1日 バタビヤ沖海戦。日本軍、蘭領東インドジャワ島スランに上陸。
- 3月4日 米機動部隊、南鳥島来襲。
- 3月5日 日本軍、ジャワ島バタビア(現ジャカルタ)を占領。
- 3月7日 東インドのオランダ軍降伏。
- 3月8日 日本軍、英委任統治領ニューギニア島ラエとサラモアに上陸、占領(東部ニューギニアの戦い)。ビルマ(現ミャンマー)ラングーン(現ヤンゴン)占領。
- 3月13日 アメリカ軍フィリピン司令官マッカーサー、フィリピンから逃亡。
- 4月5-9日 日本軍、セイロン(現スリランカ)コロンボの英軍基地を空襲。セイロン沖海戦。
- 4月18日 米空母から発進したB-25爆撃機によるドーリットル空襲(東京初空襲)。
- 5月 残留外交官と残留民間人の交換に関する協定(交換船の運行が決まった。)
- 5月1日 日本軍、ビルマ中部マンダレー占領。
- 5月3日 日本軍、ソロモン諸島ツラギ島占領(MO作戦始まる)。
- 5月4日 日本軍、英領ビルマのアキャプ占領、ビルマ制圧完了。南方作戦完遂。
- 5月7-8日 米領フィリピン・コレヒドール島の米軍降伏。珊瑚海海戦(日本軍、ポートモレスビー攻略作戦を放棄)。
- 5月10日 日本軍、ミンダナオ島を占領。
- 5月26日 日本文学報国会設立。
- 5月29日 日本軍の特殊潜航艇、マダガスカル島のディエゴ・スアレスのイギリス軍基地を攻撃(マダガスカルの戦い)。
- 5月31日 日本軍の特殊潜航艇、オーストラリアのシドニーのイギリス軍艦艇を攻撃(特殊潜航艇によるシドニー港攻撃)。
- 6月5-7日 ミッドウェー海戦。米軍に暗号解読(シギントも参照)されており、日本軍は赤城、加賀、蒼龍、飛龍の4空母と艦載機390機を失う大敗。戦況の転換点。
- 6月7日 日本軍、米アリューシャン列島キスカ島に上陸、占領(AL作戦)。
- 6月8日
- 6月16日 日本軍、ニューギニア島ポートモレスビーの連合軍基地を空襲。
- 6月20日 伊26潜、バンクーバーのカナダ軍基地を砲撃。
- 6月21日 伊25潜、オレゴン州アストリアの米軍基地を砲撃。
- 7月 日本軍、フィリピン全土占領。
- 8月 イギリス領インドで反英暴動。
- 8月7日 米軍、ソロモン諸島のガダルカナル島、ツラギ島、ガブツ島、タナンボゴ島に上陸(ガダルカナル島の戦い、連合軍の本格的反攻始まる)。
- 8月8日 第一次ソロモン海戦
- 8月17日 アメリカ軍、マキン奇襲上陸
- 8月24日 第二次ソロモン海戦
- 9月9日 伊25潜より発進した艦載機がアメリカ本土のオレゴン州を空襲。
- 9月15日 伊19潜、米空母ワスプ撃沈。
- 9月29日 伊25潜より発進した艦載機、アメリカ本土のオレゴン州を再度空襲
- 10月
- 英米、中国における治外法権撤廃を声明、不平等条約を廃止。
- 重慶で英米中ソ対日作戦会議。
- 10月11日 サボ島沖海戦
- 10月13日 戦艦金剛と同榛名によるヘンダーソン基地艦砲射撃が行われる
- 10月26日 南太平洋海戦。米軍の稼動空母が0隻になる。しかし、日本軍も真珠湾攻撃以来の熟練搭乗員を多数失う。
- 11月1日 大東亜省設置と拓務省廃止。
- 11月12日 第三次ソロモン海戦始まる。
- 11月13日 戦艦比叡沈没。
- 11月15日
- 11月30日 ルンガ沖夜戦
- 12月8日 ニューギニア島バサプアの日本軍全滅。
- 12月23日 大日本言論報国会設立。
1943年(昭和18年)
[編集]- 日本、実質旅行制限となる。
- 1月29日 レンネル島沖海戦
- 1月 中等学校令公布。
- 1月-3月 カサブランカで英米首脳会談。
- 2月1日 ヴェノナ・プロジェクト開始。
- 2月1-7日 日本軍、ガダルカナル島撤退。
- 2月10日-3月下旬 日本軍、第一次アキャブ作戦開始(三一号作戦)。
- 3月 東京ローズ
- 3月2日 ビスマルク海海戦
- 3月26日 アッツ島沖海戦
- 4月1日 樺太施行法律特例(大正9年5月3日勅令第124号)廃止。いわゆる南樺太の内地編入(共通法も参照)。
- 4月7-16日 い号作戦
- 4月18日 山本五十六連合艦隊司令長官、ブーゲンビル島上空で戦死(海軍甲事件)。
- 5月 日本、学徒戦時動員体制の発表(学徒出陣)。
- 5月12日 米軍、アッツ島上陸(アッツ島の戦い)、同29日、日本軍全滅(アッツ島玉砕)し「玉砕」の語の使用始まる。
- 6月8日 長門型戦艦2番艦の陸奥が第三砲塔爆発により柱島泊地にて沈没。
- 7月6日 クラ湾夜戦
- 7月12日 コロンバンガラ島沖海戦
- 7月29日 日本軍キスカ島から撤退(キスカ島撤退作戦)。
- 8月1日 日本軍、バー・モウを首班としてビルマ独立を宣言。ビルマ国成立。
- 8月17-24日 カナダ・ケベックで英米首脳会談。
- 8月6日 ベラ湾夜戦
- 9月8日 イタリア、連合国に降伏(詳細はイタリアの降伏を参照)。
- 9月10日 鳥取地震が発生。鳥取市が壊滅し1083名(1100名以上とも)が死亡。情報統制の中、国内外から支援。
- 9月17日 連合軍、ラエを占領。
- 9月30日 御前会議で絶対国防圏構想を決定。
- 10月 教育ニ関スル戦時非常措置方策。日本軍、フィリピン独立を許可。
- 10月5日 崑崙丸被雷沈没、衆議院議員の助川啓四郎と加藤鯛一および三重県議会副議長の福島吉三郎が殉職。
- 10月6日 ベララベラ海戦
- 10月11日 ワフー撃沈。
- 10月14日 フィリピン第二共和国
- 10月21日 東京・明治神宮外苑にて出陣学徒壮行式開催(学徒出陣のはじまり)。
- 10月24日 スバス・チャンドラ・ボースがシンガポールで自由インド仮政府の成立を宣言。
- 10月26日 自由インド、英米に宣戦布告。
- 11月 東京で大東亜会議を開催、大東亜共同宣言を発表。
- 11月1日
- ブーゲンビル島沖海戦
- 逓信省と鉄道省を統合し運輸通信省発足。
- 11月下旬 ギルバート諸島沖航空戦
- 11月21日 米軍、マキン島・タラワ島上陸(11月23日 日本軍玉砕)。
- 11月22-26日 エジプト・カイロで英米中首脳会談(カイロ会談)。
- 11月24日 セント・ジョージ岬沖海戦
- 11月25日 新竹空襲
- 11月28日-12月1日 イラン・テヘランで英米ソ首脳会談(テヘラン会談)。
- 12月1日 カイロ宣言。
- 12月5日 マーシャル諸島沖航空戦
1944年(昭和19年)
[編集]- 1944年 労働者年金保険を厚生年金保険に改称。
- 1月 イラン、英ソと軍事同盟を結び対日断交。
- 2月3日 日本軍、第二次アキャブ作戦開始。
- 2月6日 クェゼリン島の日本軍玉砕。
- 2月17日 トラック島空襲
- 2月22日 エニウェトク環礁(ブラウン環礁)の日本軍玉砕。
- 2月25日 決戦非常措置要綱を閣議決定
- 2月26日 日本軍、第二次アキャブ作戦を中止。
- 3月8日 日本軍、インパール作戦開始。
- 3月31日 古賀峯一連合艦隊司令長官が殉職(海軍乙事件)
- 4月17日-12月10日 大陸打通作戦
- 5月25日 日本軍、洛陽占領。
- 6月15日 米軍、サイパン上陸(サイパンの戦い。7月7日日本軍玉砕、在住日本人1万人死亡)。
- 6月16日 八幡空襲。米軍、中国大陸から北九州への初空襲。
- 6月19日 マリアナ沖海戦。日本軍は旗艦大鳳以下空母3隻と搭載機400機を失い、西太平洋の制海権と制空権を喪失。絶対国防圏を破られ、その後の日本本土空襲や通商破壊の激化に繋がった。また、国民(銃後)も疎開を強いられるようになった。
- 7月4日 日本軍、インパール作戦を中止。
- 7月18日 東條英機内閣総辞職。
- 7月22日 小磯国昭内閣成立。
- 8月2日 テニアン島の日本軍玉砕。(テニアンの戦い)
- 8月11日 グアム島の日本軍玉砕。(グアムの戦い)
- 8月22日 対馬丸事件
- 9月 女子挺身隊結成。
- 9月11日 米軍、ペリリュー島上陸。(ペリリューの戦い)
- 10月11日 ソ連、トゥヴァ人民共和国を併合しトゥヴァ自治州とする。
- 10月10日 米軍、沖縄、台湾を空襲(十・十空襲)。
- 10月12日 台湾沖航空戦
- 10月20日 米軍、フィリピン・レイテ島に上陸(レイテ島の戦い)。
- 10月23日 レイテ沖海戦始まる。
- 10月24日 戦艦武蔵沈没(シブヤン海)。
- 10月25日
- 11月10日
- 11月21日 熊本空襲
- 11月24日 米軍の新型爆撃機B-29、マリアナ諸島より東京を初空襲。本土空襲では、事前に伝単が撒かれることもあった。
- 11月29日 空母信濃撃沈。
- 12月7日 東南海地震が発生し、家屋倒壊と津波で1223名が死亡。情報統制によってほとんど報道されず。
- 12月10日 日本軍、大陸打通作戦を完了。
- 12月26日 礼号作戦(ミンドロ島沖海戦)
1945年(昭和20年)
[編集]- 1月6日 京都空襲
- 1月6日-8月15日 ルソン島の戦い
- 1月13日 三河地震が発生し、家屋倒壊と津波で2306名が死亡。情報統制により、ほとんど報道されず。
- 1月14日 宇治山田空襲
- 1月24日 イギリス海軍、スマトラの製油施設を空襲(メリディアン作戦)。
- 2月 クリミア半島ヤルタで英米ソ首脳会談(ヤルタ会談、英米ソの政府の首脳間で密約)。冷戦も参照。
- 2月10日 北号作戦
- 2月14日 早期終戦を訴えた近衛上奏文。
- 2月15日 浜松空襲
- 2月18日-3月22日 硫黄島の戦い
- 3月 イラン・トルコが対日宣戦布告。トルコでは市民が宣戦布告に反対してデモ。
- 3月2日 大垣空襲
- 3月3日 米軍、マニラ占領。
- 3月6日 日本、国民勤労動員令公布。
- 3月10日 東京大空襲
- 3月11日 明号作戦発動、ベトナム帝国成立。
- 3月12日
- 3月14日 大阪大空襲
- 3月16日 神戸空襲
- 3月18-21日 九州沖航空戦
- 3月19日 呉軍港空襲
- 3月23日 日本、国民義勇隊創設、本土決戦に備える。6月には、大政翼賛会・大日本翼賛壮年団・大日本婦人会・女子挺身隊などを吸収・統合。
- 3月25日 名古屋大空襲
- 3月26日-6月23日 沖縄戦
- 3月27日 飢餓作戦開始。
- 3月から4月 繆斌工作
- 4月4日 立川空襲
- 4月5日 ソ連、日本に対して翌年期限切れとなる日ソ中立条約を延長しないと通達。小磯国昭内閣が総辞職。
- 4月6日 菊水作戦発令
- 4月7日 戦艦大和沈没(坊ノ岬沖海戦)。 鈴木貫太郎内閣成立。
- 4月8日 ラオス王国
- 4月12日
- アメリカ大統領のルーズベルト大統領急逝、後継に副大統領ハリー・S・トルーマンが就任。
- 郡山空襲
- 4月13-14日 城北大空襲
- 4月15日 川崎大空襲
- 4月25日 大本営陸軍部により、『国民抗戦必携』と題した冊子が発行された。当時は非科学的かつ非合理的な精神論を信奉する向きもあり、竹槍訓練も実施された。
- 4月30日 浜松空襲
- 4月以降 何柱国工作
- 5月7日 ドイツ無条件降伏(詳細はドイツの降伏を参照)。
- 5月10日 徳山大空襲
- 5月16日 ペナン沖海戦
- 5月17日-6月2日 九州大学生体解剖事件
- 5月19日
- 5月22日 戦時教育令公布。
- 5月29日 横浜大空襲
- 5月31日 台北大空襲
- 6月1日 奈良空襲
- 6月9日 熱田空襲
- 6月10日 日立空襲、千葉空襲、土浦海軍航空隊空襲
- 6月17日 鹿児島大空襲
- 6月18日 四日市空襲、浜松空襲
- 6月19日 八幡空襲
- 6月19-20日 豊橋空襲、福岡大空襲、静岡大空襲
- 6月22日 姫路空襲、水島空襲、各務原空襲
- 6月23日
- 6月26日
- 6月28-29日 佐世保大空襲
- 6月29日 下関空襲、岡山大空襲、延岡大空襲
- 7月1-2日 熊本大空襲、呉市街空襲
- 7月2日 下関空襲
- 7月3日 姫路空襲
- 7月4日 徳島大空襲、高松大空襲
- 7月5日 第1次横手空襲[要出典]
- 7月6日 甲府空襲
- 7月7日 岐阜空襲、千葉空襲、明石空襲
- 7月9-10日 和歌山大空襲
- 7月10日 仙台空襲、岐阜空襲
- 7月12日 宇都宮空襲、敦賀空襲
- 7月12-13日 一宮空襲
- 7月14日 釜石艦砲射撃
- 7月14-15日 函館空襲、北海道空襲
- 7月15日 室蘭艦砲射撃、多治見空襲、小樽空襲
- 7月16日 アメリカがトリニティ実験に成功し、原子爆弾完成(マンハッタン計画も参照)。
- 7月16-17日 平塚空襲
- 7月17日 沼津大空襲、桑名空襲、日立艦砲射撃、大分空襲
- 7月19日 銚子空襲
- 7月19-20日 福井空襲、岡崎空襲、日立空襲
- 7月24日 呉軍港空襲、津空襲、大津空襲、大垣空襲、半田空襲
- 7月25日
- 保戸島空襲
- 米国、原爆使用を決定し投下命令を下す。
- 7月26日
- 7月27日 大牟田空襲
- 7月28日 大山口列車空襲、一宮空襲、呉軍港爆撃(呉軍港空襲)、青森大空襲(米軍、青森へ新型焼夷弾を投下)
- 7月28-29日 宇治山田空襲
- 7月29日 大垣空襲
- 7月30日 那賀川鉄橋空襲、鎌倉空襲
- 8月1日 富山大空襲(原爆投下を除く地方都市への空襲被害としては最大)
- 8月1-2日 長岡空襲
- 8月2日 水戸空襲、八王子空襲
- 8月5日 前橋空襲、佐賀空襲
- 8月5-6日 今治空襲
- 8月6日 米軍、広島に史上初の原子爆弾を投下。
- 8月7日 豊川空襲
- 8月8日
- 8月8-9日 大湊空襲
- 8月9日
- 8月10日
- 花巻空襲、第2次横手空襲
- 日本、連合国にポツダム宣言受諾(降伏)を打電により通告。
- 8月11日
- 8月12日 麻山事件、牡丹江の戦い(〜16日)
- 8月13日 大月空襲、長野空襲、小山克事件
- 8月14日
- 終戦の詔が出される。日本、中立国を通じ連合国に対しポツダム宣言の受諾(降伏)を通告。中ソ友好同盟条約締結。
- 葛根廟事件
- 8月14-15日 土崎空襲
- 8月15日午前 伊勢崎空襲、熊谷空襲、小田原空襲
日本のポツダム宣言受諾(降伏)以降の経緯
[編集]1945年(昭和20年)
[編集]- 8月15日(終戦の日)正午 日本国民へ玉音放送(大東亜戦争終結ノ詔書)。連絡の行き渡らない局地戦を除き、停戦(日本の降伏)。終戦までに、日本だけで約310万人が犠牲になったとされる。鈴木貫太郎内閣総辞職。南方軍これに抗議し戦闘続行。
- 8月16日 ソ連軍、恵須取郡に上陸し南樺太西岸北部に侵攻開始(樺太の戦い)。大本営は一旦停戦命令を出すも、ソ連軍による日本側停戦軍使の射殺が多発し、後に自衛戦闘を許可。
- 8月17日
- 8月18日
- 8月19日
- 8月20日 ソ連軍、真岡に上陸し南樺太西岸南部に侵攻開始。真岡郵便電信局事件が発生(樺太の戦い)。
- 8月21日 占守島の日ソ両軍、停戦する。
- 8月22日未明 樺太における日ソ停戦合意。その後、ソ連軍による小笠原丸撃沈および豊原市空襲(三船殉難事件、樺太の戦いも参照)。
- 8月24日 浮島丸事件
- 8月25日
- 8月26日 満州国での戦闘が終わる。
- 8月27日 敦化事件、佐渡開拓団跡事件
- 8月28日
- ソ連軍、択捉島および南樺太の占領完了。
- 8月29日
- ソ連軍、千島列島のウルップ島を占領。
- 米軍第一陣150名が横浜に上陸。
- 戦後混乱期(終戦処理費、闇市、戦災孤児、戦後インフレ、航空機産業の禁止)。連合国軍最高司令官総司令部も参照。地域別の状況は連合国軍占領下の日本(間接統治)、アメリカ合衆国による沖縄統治(軍政)、ソ連軍占領下地域を参照。
- 8月30日 連合国軍最高司令官マッカーサー、厚木飛行場に到着。
- 9月1日
- 9月2日
- 9月3日 ルソン島の日本軍降伏。ソ連・中国は対日勝利の日と主張。
- 9月4日 ラジオ・トウキョウ、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の指令により、世界向け外国語放送を停止
- 9月5日
- 9月9日 支那派遣軍総司令官岡村寧次が南京で降伏文書に署名した。image
- 9月10日
- ラジオ・トウキョウ、GHQの指令により、全世界向け日本語放送停止
- DDT散布開始
- 9月17日 瑞穂村開拓団集団自決
- 9月 昭和天皇・マッカーサー会見
- 10月 北緯38度以南の朝鮮からの引き揚げ開始(引揚者も参照)。
- 10月1日 京城日本人世話会罹災民救済病院
- 10月4日 治安警察法と特高警察廃止、公職追放開始。
- 10月11日 日本の戦後改革、リンゴの唄
- 10月15日 本土の日本軍、武装解除完了。
- 10月25日 台湾接収。その後、軍人から日本への引き揚げが開始された(台湾からの引き揚げおよび引き揚げも参照)。
- 11月1日 栄丸遭難事件
- 11月2日 日本社会党結党。前身は社会大衆党および日本無産党、後身は新社会党や社会民主党および立憲民主党左派(近藤G、吉田G、菅Gなど)
- 11月9日 戦後開拓
- 11月23日 財閥解体
- 12月1日 陸軍省、海軍省をそれぞれ第一復員省と第二復員省に改組(復員も参照)
- 12月15日 GHQは神道指令
- 12月19日 公安警察
1946年(昭和21年)
[編集]- 1月1日 昭和天皇、人間宣言
- 1月 尋ね人の時間
- 2月
- 2月3日 通化事件(残留日本兵#中国および残留日本人も参照)。
- 2月12日 文部省、GHQ指令を受け修身・国史・地理教科書の回収について通達。(墨塗り教科書も参照)
- 2月16日 新円切替と預金封鎖
- 5月 満洲からの引き揚げ開始(葫芦島在留日本人大送還も参照)。
- 5月3日から1948年(昭和23年)11月12日 極東国際軍事裁判
- 5月19日 飯米獲得人民大会
- 6月15日 第一復員省と第二復員省を統合して復員庁を設置した。日本商船管理局、在外同胞援護会救療部、在外父兄救出学生同盟も参照。
- 7月1日
- 7月4日 フィリピン第三共和国
- 10月3日 在日本朝鮮居留民団成立。
- 10月 農地改革
- 11月3日 日本国憲法公布。
- 11月 ララ物資
- 12月19日 第一次インドシナ戦争
1947年(昭和22年)
[編集]1948年(昭和23年)
[編集]- 1月1日 国家地方警察設置
- 1月4日 ビルマ連邦
- 1月31日 マラヤ連邦
- 3月6日 旧警察法施行、自治体警察も設置された。
- 3月25日 漢奸容疑の川島芳子に銃殺刑執行
- 3月31日 米下院で16か国に対する53億ドルの支援を含む対外援助法案(マーシャル・プラン)可決
- 4月3日 済州島四・三事件
- 4月15日 東宝争議
- 8月15日 大韓民国成立。
- 8月30日 ヘレン・ケラー来日
- 9月9日 朝鮮民主主義人民共和国成立。
- 10月19日 麗水・順天事件
1949年(昭和24年)
[編集]脱脂粉乳をはじめ、国際連合児童基金(ユニセフ)による対日支援。
- 1月25日 中国共産党が北京を攻略。
- 1月31日 中国共産党の人民解放軍が北京入城。
- 2月 ドッジ・ライン
- 4月23日 中国共産党の人民解放軍、中華民国の首都南京を制圧。
- 5月20日 中国国民党、台湾に戒厳令施行。
- 6月1日
- 6月14日 フランス連合内でベトナム国カンボジア独立
- 6月30日 朝鮮労働党結成。日本社会党は友好関係にあった。
- 7月5日から翌7月6日 下山事件
- 7月15日 三鷹事件
- 7月19日 フランス連合内でラオス王国独立
- 8月17日 松川事件
- 8月27日 シャウプ勧告
- 8月29日 ソ連が初の核実験(RDS-1)に成功。ベノナ及びローゼンバーグ事件、ジョルジュ・コワリも参照。
- 10月1日 中華人民共和国成立
- 12月8日 この日までに蔣介石率いる中華民国政府の台湾への移転が完了。
- 12月16日 スカルノ尼大統領就任。
- 12月25日から12月30日 ソ連、一方的にハバロフスク裁判開催。
- 12月29日 インドネシアの独立が確定。
1950年(昭和25年)
[編集]- 1月 岸壁の母
- 5月30日 人民広場事件
- 6月6日 人民広場事件を受け、レッドパージ開始
- 6月25日 朝鮮戦争勃発。朝鮮特需
- 7月 ソ連から969人の日本人捕虜が中国側に引き渡され、合計982人の日本人戦犯が撫順戦犯管理所に抑留された。
- 8月10日 朝鮮戦争勃発を受け、警察予備隊成立。
1951年(昭和26年)
[編集]- 1月 在日朝鮮統一民主戦線
- 9月8日 サンフランシスコ平和条約(ソ連・現ロシアは調印拒否)および旧日米安保条約調印。
- 10月 日本共産党の51年綱領。中核自衛隊、山村工作隊の活動により選挙で全議席を失い、後に武装闘争の放棄を主張(敵の出方論、新左翼も参照)
- 12月26日 練馬事件
1952年(昭和27年)
[編集]- 1月18日 李承晩ライン設定。竹島問題
- 1月21日 (夜) 白鳥事件発生
- 2月1日 海外向け放送を、「ラジオ日本(ラジオニッポン、Radio Japan)」として再開。
- 4月28日
- 日華平和条約
- サンフランシスコ平和条約発効、日本は独立を回復。ただし、ソ連・現ロシアは調印拒否していることから、日露二国間の外交問題に効力は及ばない。
関連項目
[編集]- ^ a b c d e f 岩間敏「戦争と石油(3) ー『日蘭会商』から石油禁輸へー」独立行政法人 石油天然ガス・金属鉱物資源機構,2010年3月19日,NAID 40017030605,2024年11月16日閲覧