大牟田空襲
大牟田空襲 | |||||
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衝突した勢力 | |||||
大日本帝国 | アメリカ合衆国 | ||||
戦力 | |||||
高射第4師団独立高射砲第21大隊 |
第20航空軍第20爆撃集団・第21爆撃集団 第7航空軍 | ||||
被害者数 | |||||
死傷者 約3,000人[1] 被災戸数 12,000戸以上[1] |
航空機3喪失 死傷者不明 |
大牟田空襲[1][2][3](おおむたくうしゅう)は、第二次世界大戦(太平洋戦争)中の1944年から1945年にかけてアメリカ軍によって福岡県大牟田市へ行われた空襲である[4]。九州北西部に位置し島原湾に面する同地は石炭、石炭製品、化学肥料、爆薬などを生産する重要な化学工業地帯や、国内最大級の石炭港を有していたことから攻撃目標となった[5]。度重なる空襲により市街地が焼失するなど約4万人の市民が被害を受け[6]、工場機能も停止した[7]。
経緯
[編集]1944年11月21日の空襲
[編集]アメリカ陸軍第20爆撃集団隷下の第58爆撃団は11月21日、中国成都の基地から出撃すると有明海北西より大牟田上空に飛来、B-29爆撃機7機が午前10時14分から32分にかけて市内東北部工業地帯を爆撃した[8]。
大牟田の空襲を記録する会によれば本空襲は臨機目標への空襲であり、日本側は死者31人、負傷者7人、アメリカ側では1機が墜落する被害を出した[8][注釈 1]。
この1機はB-29爆撃機アシッド・テスト(機体番号42-26278) である。
1966年刊行の『大牟田市史 中巻』によれば空襲の日付は11月15日で、死傷者33人、被災家屋33戸、被災者182人などの被害を出したと記されているが[6]、この日付については『戦史叢書』をはじめとした資料と一致せず、誤記と考えられている[10]。
1945年6月18日の空襲
[編集]1945年6月、アメリカ陸軍第21爆撃集団司令部は隷下の第58、第73、第313、第314、第315爆撃団に対し、6月17日から6月18日にかけて鹿児島市、大牟田市、浜松市、四日市市への攻撃命令を下した[11]。大牟田への空襲には第58爆撃団所属のB-29爆撃機116機が参加することになり、テニアン島の基地を出撃すると種子島方面から日本本土へと侵入し、鹿児島を攻撃した第314爆撃団の航路を迂回するように下島や島原半島を経由して大牟田へと飛来した[11]。
本空襲は市街地を対象に1時0分から3時9分にかけて行われ、約700トンの焼夷弾を投下し[8]、作戦終了後は阿蘇山を抜けて延岡市方面から日本本土を離脱し、テニアン基地へと帰投した[11]。大牟田の空襲を記録する会によれば日本側は死者260人、負傷者362人、被災戸数2,620戸、被災者13,841人[8]、『大牟田市史』によれば被災戸数2,551戸、被災者12,700人以上、死傷者360人以上の被害を出した[6]。一方、アメリカ軍側にとっては、攻撃目標とした市街地のうち4.1パーセントを焼失させるに留まり、再度空襲が行われることになった[11][12]。
1945年7月27日の空襲
[編集]1945年7月27日0時13分から1時31分にかけて、アメリカ陸軍第21爆撃集団隷下の第314爆撃団により大牟田市に対する空襲が実施された[13]。本空襲には第314爆撃団所属のB-29爆撃機124機が参加し、約875トンという焼夷弾を投下した[8][14]。この焼夷弾の投下量は6月18日の空襲の1.25倍に相当するものであり、2度の空襲により大牟田の市街地はほぼ焼失した[8]。大牟田の空襲を記録する会によれば死者602人、負傷者1,038人、被災戸数9,331戸、被災者46,634人[8]、『大牟田市史』によれば被災戸数8,230戸、被災者41,088人、死傷者867人の被害を出した[6]。
一方、アメリカ軍の報告書によれば、本作戦中に日本軍の25から30機の戦闘機による迎撃を受け、1機が撃墜されたと記している[13]。この機体は八女郡横山村(後の八女市)に墜落し、11人の搭乗員のうち2人が死亡、生存者のうち1人が山狩りを行っていた警防団員によって撲殺され、残りの8人は西部軍に収容されたのち同年8月に処刑された[15]。
1945年8月の空襲
[編集]8月7日の空襲
[編集]1945年3月から6月にかけての沖縄戦終結後に同島に移駐した第7航空軍は、8月7日に大牟田の工業地帯を対象とした空襲を実施した[8]。本空襲には第7航空軍隷下の第507戦闘機群団および第11爆撃機群団所属のB-24 リベレイター23機、P-47 サンダーボルト18機の合計41機が参加[8]。島原半島方面より大牟田上空に飛来すると[6]、12時5分より爆撃を開始した[8][16]。
大牟田の空襲を記録する会によれば死者240人、負傷者300人、被災戸数245戸、被災者1,320人[8]、『大牟田市史』によれば被災戸数245戸、被災者1,320人、死傷者23人の被害を出した[6]。なお、本空襲中に日本軍の高射砲部隊が1機のB-24を撃墜したが、爆弾を搭載した機体が市内の藤田町周辺に墜落し、大きな人的被害をもたらした[8]。
8月8日の空襲
[編集]8月8日19時30分から20時ごろ、市東北部に所属不明のアメリカ軍機が飛来し、八本町・亀甲町・平原町の境界付近に1発の爆弾を投下した[8]。大牟田の空襲を記録する会によれば死者27人または58人、被災戸数23戸、被災者120人[8]、『大牟田市史』によれば被災戸数23戸、被災者120人、死傷者8人の被害を出した[6]。
主な被災建造物
[編集]- 出典[6]
慰霊
[編集]普光寺、藤田天満神社、延命公園に供養碑がある[1][17][18]。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d “大牟田空襲の碑”. 総務省. 2017年11月10日閲覧。
- ^ “特集「核兵器廃絶平和都市宣言」から30年 戦争の記憶を未来へ戦争の記憶を未来へ”. 広報おおむたweb. 大牟田市 (2015年12月1日). 2017-11-10[リンク切れ]閲覧。
- ^ 大牟田市の「広報おおむた」(2015年12月1日号)に特集記事 大牟田の空襲を記録する会
- ^ 平和展2024 「兵士たちの記憶」戦場からのメッセージ 大牟田市立三池カルタ・歴史資料館
- ^ “Nos. 293 through 295, Matsuyama, Tokuyama and Omuta, 26-27 July 1945. Report No. 2-b(66), USSBS Index; Section 7”. Records of the U.S. Strategic Bombing Survey. 国立国会図書館. 2017年11月15日閲覧。
- ^ a b c d e f g h 大牟田市史編集委員会 編『大牟田市史 中巻』大牟田市、1966年、880-883頁。
- ^ “1933-1945 石炭化学コンビナートの成立”. 大牟田工場100年のあゆみ. 三井化学株式会社. 2024年9月22日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n “大牟田空襲の概要”. 大牟田の空襲を記録する会 (2014年7月18日). 2024年9月22日閲覧。
- ^ Mission 17, Omura, 21 November 1944 Mission 17大村空襲 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ “大牟田市史編さん事業への意見提出と市の対応”. 大牟田の空襲を記録する会 (2015年1月21日). 2024年9月22日閲覧。
- ^ a b c d 奥住喜重『B-29 64都市を焼く 1944年11月より1945年8月15日まで』揺籃社、2006年、104頁。ISBN 978-4897082356。
- ^ Nos. 206 through 209, Kyushu and Honshu targets, 17-18 June 1945. このうちMission207が58thによる大牟田空襲 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ a b 小山仁示『米軍資料 日本空襲の全容 マリアナ基地B29部隊』東方出版、1995年、216-217頁。ISBN 978-4885914348。
- ^ Nos. 293 through 295, Matsuyama, Tokuyama and Omuta, 26-27 July 1945. このうちMission295が314thによる大牟田空襲 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ “本土空襲の墜落米軍機と捕虜飛行士 西部軍管区”. POW研究会 POW Research Network Japan. 2017年11月15日閲覧。
- ^ Memorandum report on evaluation of 7 August 1945, 1, 000 pound general-purpose raid on Omuta industrial plants and 11 August 1945 incendiary attack on Kurume, Kyushu. 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ “藤田町 被爆戦没者之碑”. 総務省. 2017年11月15日閲覧。
- ^ “大牟田市 慰霊塔”. 総務省. 2017年11月15日閲覧。
参考文献
[編集]- 奥住喜重『B-29 64都市を焼く 1944年11月より1945年8月15日まで』揺籃社、2006年、104頁。ISBN 978-4897082356。
- 小山仁示『米軍資料 日本空襲の全容 マリアナ基地B29部隊』東方出版、1995年。ISBN 978-4885914348。
- 大牟田市史編集委員会 編『大牟田市史 中巻』大牟田市、1966年。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 大牟田の空襲を記録する会のブログ - ウェイバックマシン(2019年11月1日アーカイブ分) - 大牟田の空襲を記録する会
- 大牟田の空襲を記録する会 (2014年7月4日). “大牟田の空襲を記録する会”. 2024年9月22日閲覧。