小山仁示
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小山 仁示(こやま ひとし、1931年(昭和6年)1月23日[1] - 2012年(平成24年)5月26日[2])は、日本の歴史学者。専門は日本近現代史。関西大学名誉教授。
略歴
[編集]和歌山県生まれ[3]。大阪府立生野中学校および大阪府立生野高等学校を経て[3]、1953年に大阪大学文学部史学科を卒業[3]。大阪府立園芸高等学校教諭をしながら、大阪大学大学院日本史学専攻修士課程に進学[3]。1960年、同課程修了[3]。大阪府立市岡高等学校教諭を経て[3]、1966年に関西大学文学部講師に就任[3]。2001年に定年退職[3]、名誉教授となった。
2012年5月26日、肺炎のため死去[1]。
妻の節子(旧姓岸田)は大学の同窓生で、大阪市消費者リーダー協議会初代会長、吹田市消費者相談室コンサルタントを務めた[3]。3児をもうけた[4]。
著作
[編集]単著
[編集]- 『日本社会運動思想史論』(ミネルヴァ書房、1965年)
- 『大阪大空襲―大阪が壊滅した日』(東方出版、1985年)
- 『西淀川公害―大気汚染の被害と歴史』(東方出版、1988年)
- 『戦争 差別 公害』(部落解放研究所、1995年)
- 『現代史を見る目―戦争・差別・公害』(部落解放・人権研究所、2001年)
- 『空襲と動員―戦争が終わって60年』(部落解放・人権研究所、2005年)
共著
[編集]- (楡林達夫・金谷嘉郎)『病気と人間』(三一書房、1966年)
- (田村浩一・水谷博)『公害と環境問題』(法律文化社、1975年)
- (芝村篤樹)『大阪府の百年』(山川出版社、1991年)
- (高橋理喜男・本多俊之)『淀川・中津の野鳥と自然』(東方出版、1993年)
編著
[編集]- 『田淵豊吉議会演説集(1)―哲人政治家の帝国議会での活動』(関西大学出版・広報部、1973年)
- 『田淵豊吉議会演説集(2)―哲人政治家の帝国議会での活動』(関西大学出版・広報部、1974年)
- 『田淵豊吉議会演説集(3)―哲人政治家の帝国議会での活動』(関西大学出版・広報部、1975年)
- 『大正期の権力と民衆』(法律文化社、1980年)
- 『太平洋戦争下の防空資料―小松警部補の書類綴から』(大阪市史料調査会、1981年)
共編著
[編集]- (楡林達夫)『日本の医者』(三一書房、1963年)
- (山口光朔)『近代日本の考え方』(法律文化社、1971年)
翻訳
[編集]- 『米軍資料 日本空襲の全容―マリアナ基地B29部隊』(東方出版、1995年)