コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

各務原空襲

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

各務原空襲(かかみがはらくうしゅう)は、第二次世界大戦大東亜戦争)中アメリカ軍により行われた岐阜県稲葉郡那加町蘇原町鵜沼町西部(現各務原市)に対する空襲。この地には陸軍各務原飛行場があり、岐阜県の空襲で唯一1t(2,000ポンド)通常爆弾及び2t(4,000ポンド)肉薄爆弾等、焼夷弾以外の爆弾による空襲が行なわれている。

現在の各務原市域は数十回空襲を受けている。特に被害の大きかったのは1945年(昭和20年)6月22日6月29日7月12日である。通常、6月22日の空襲を各務原空襲とし、各務原市の平和の日としている。

空襲の概要

[編集]
  • 陸軍各務原飛行場、及び、川崎航空機(現川崎重工業)岐阜工場、三菱重工業名古屋航空機製作所各務原格納庫、陸軍航空廠といった軍需工場が多数あり、空襲の対象地となっていた。1944年(昭和19年)11月23日、B-29が各務原に初めて飛来する。飛行場及び工場などの周辺施設の偵察(航空写真撮影)が目的であった。

各務原空襲以前

[編集]
  • 1945年(昭和20年)4月12日、B-29爆撃機1機が、蘇原町に爆弾を投下。これは東京都の中島飛行機へ向かうB-29が偶然落としたものと考えられている。
  • 6月9日、8機のP-51により、陸軍航空廠が銃撃を受ける。

6月22日の空襲

[編集]
  • 1945年(昭和20年)6月22日、午前9時頃、44機のB-29が各務原の西方より飛来。 各務原飛行場、航空廠、川崎航空機、三菱重工業といった軍事、軍需施設の爆撃が目的であった為1t(2,000ポンド)通常爆弾及び2t(4,000ポンド)肉薄爆弾による昼間中高度爆撃が行なわれる。空襲時間は約20分。
  • 1t爆弾が川崎航空機本館に命中するなど、川崎航空機や三菱重工業の施設はほぼ壊滅し、陸軍航空廠も大きな被害を受ける。被害は那加駅周辺にも及ぶ。
  • 死者は169人。このうち63人は川崎航空機の従業員、動員学徒などからである。川崎航空機の従業員、動員学徒の被害が多かったのは、空襲時に近くの川崎山(現存 各務原市蘇原東島町)と赤星山(現存せず 各務原市民会館各務原警察署などのある蘇原中央町に該当)の防空壕や木曽川に避難したが、アメリカ軍は赤星山などに飛行機の掩体壕や燃料貯蔵施設があると考えており、その破壊の為赤星山に1t爆弾が投弾されてしまい、防空壕に避難していた人々が犠牲になったからである。

6月26日の空襲

[編集]
  • 1945年(昭和20年)6月26日、午前9時10分、101機のB-29が各務原に飛来。 6月22日は大型爆弾による主要施設大規模破壊が目的であったが、6月26日は500ポンド爆弾(約225kg)による残存施設の徹底的破壊を目的とした。各務原飛行場、航空廠、川崎航空機、三菱重工業といった軍事、軍需施設に対して昼間中高度爆撃が行なわれる。空襲時間は約1時間30分。
  • この爆撃により各務原の軍事、軍需施設は壊滅する。死者は58人。

7月12-13日の空襲

[編集]
  • 1945年(昭和20年)7月12日夜半、47機のB-29が各務原に飛来。蘇原駅各務ケ原駅周辺などに焼夷弾による空襲が行なわれる。
  • この7月12-13日の空襲は、アメリカ軍の資料によると、各務原地域を第一目標とする爆撃命令は下されていないという。この日は愛知県一宮市一宮空襲)と福井県敦賀市敦賀空襲)で大規模な空襲が行われており、いずれかのB-29が焼夷弾を落したと推測される。
  • この空襲では、蘇原駅、各務原駅周辺の他、羽島郡中屋村川島村(いずれも現・各務原市)などにも焼夷弾が投下され、被害を受けている。

7月13日以降の空襲

[編集]
  • 戦闘機による銃撃が多く行なわれ、各務原飛行場、軍需工場のみならず、周辺地域、交通機関まで及ぶ。
  • 行なわれたのは、7月15日、17日、19日、20日、24日、28日、30日、8月2日、14日の計9回に及ぶ。50-100機の戦闘機によるものであった。使用された戦闘機は、P-51F6Fである。

爆発の瞬間とされた写真

[編集]

この空襲でB-29が投下した爆弾が爆発する瞬間として長年使われてきた写真が、実はB-29を撃墜しようと日本軍の戦闘機が投下したリン爆弾三号爆弾)が命中せず空中で爆発した写真であったことが判明した[1]

脚注

[編集]
  1. ^ 「空襲」実は「日本軍爆弾」 各務原の戦火物語る資料写真”. 岐阜新聞. 2016年11月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年12月2日閲覧。

参考

[編集]
  • 『岐阜も「戦場」だった 岐阜・各務原・大垣の空襲』(岐阜市平和資料室友の会 岐阜県歴史教育者協議 2005年)
  • 『各務原市民の戦時記録 平和な21世紀をめざして』(各務原市教育委員会 各務原市戦時記録編集委員会編 1999年)
  • 『岐阜空襲誌-岐阜・各務原・大垣熱き日の記録』(岐阜空襲誌編集委員会編 1978年)
  • 『米軍資料 日本空襲の全容 マリアナ基地B29部隊』(小山仁示訳 東方出版 1995年)
  • 『わが町朝日町 朝日町70年の歩み』(朝日町自治会連合会編 株式会社イナバ印刷社 2017年3月31日)[1][2][3]
  • 木曽川文化史料館内「各務原空襲資料室」各種展示物

関連項目

[編集]