呉軍港空襲
呉軍港空襲 | |
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江田島小用沖で爆撃を受ける戦艦「榛名」(1945年7月28日) | |
戦争:太平洋戦争 | |
年月日:1945年3月19日、7月24日、28日 | |
場所:呉周辺海域 | |
結果:アメリカ軍の勝利 | |
交戦勢力 | |
大日本帝国 | アメリカ合衆国 |
指導者・指揮官 | |
呉鎮守府司令長官金沢正夫中将 | ウィリアム・ハルゼー大将 マーク・ミッチャー中将 ジョン・S・マケイン中将 |
戦力 | |
連合艦隊 第三四三海軍航空隊 |
第58任務部隊 第38任務部隊 |
損害 | |
空母1大破着底、3損傷 戦艦3大破着底 巡洋艦5大破着底、1損傷 駆逐艦4着底 3月の航空機損失25機 7月の航空機損失306機、損傷392機 |
空母2損傷 3月の航空機損失27機 7月の航空機損失133機 |
呉軍港空襲(くれぐんこうくうしゅう)は、太平洋戦争中、1945年の3月19日、7月24日、7月25日、7月28日、7月29日など複数回に渡って行われたアメリカ海軍を中心とした連合国軍空母機動部隊航空隊、及び、沖縄伊江島のアメリカ陸軍航空軍による呉軍港および瀬戸内海西部への空襲作戦。なお、この空襲とは別に、1945年5月5日に隣接地域にある広工廠空襲、6月22日に軍港内の呉工廠造兵部空襲、呉市街地が7月1日深夜から2日未明にかけて戦略爆撃(呉市街空襲)を受けている。
概要
[編集]3月19日はアメリカ海軍のマーク・ミッチャー提督の第58任務部隊約350機、7月両日はウィリアム・ハルゼー提督率いる第38任務部隊約950機による空襲。日本側は高角砲や艦艇の対空射撃により激しく抵抗を行ったがほぼ全ての艦が着底、航行不能などの被害を受けた。
3月19日の第58任務部隊に対しては松山基地の第三四三海軍航空隊が呉を攻撃中のアメリカ海軍艦載機を迎撃し58機(アメリカ海軍側の記録では14機)を撃墜した。更に、銀河1機(艦上爆撃機・彗星三三型という資料もある)が高知県沖に接近していたアメリカ海軍空母「フランクリン」を攻撃し二発の徹甲爆弾が飛行甲板を貫通し格納庫で炸裂し弾薬、火薬に誘爆、甲板上で出撃準備をしていた多数の艦載機へ次々と誘爆した。大損傷を受けた「フランクリン」は懸命の応急処置により辛うじて沈没だけは免れたが、甚大な被害状況のため米本土に帰還し、終戦まで戦線を離脱した。空母「ワスプ」も損傷でしばらく戦線を離脱した。(九州沖航空戦)
7月24日の空襲では第三四三海軍航空隊が再び迎撃に向かい16機を撃墜。 7月28日の空襲では22機を撃墜した。
一連の戦いで日本の乗組員約780人が戦死、約2000人が戦傷した。上記のように連合国軍にも損失を与えたものの、工廠施設が破壊され、戦略爆撃の一環として瀬戸内海の要所にB-29から機雷を投下されたことから、呉軍港は母港としての機能を完全に失った。
主な被害艦
[編集]3月19日
[編集]- 戦艦
- 航空母艦
それ以外、川崎重工で建造中の生駒も小破する
- 巡洋艦
- 潜水艦
7月24日、28日
[編集]呉軍港近郊での被害
[編集]*日付の無いものは両日の被害の結果
- 戦艦
航空母艦
- 天城:横転着底
- 葛城:中破(飛行甲板大破孔)
- 鳳翔:損傷
- 龍鳳:損傷
- 巡洋艦
- 駆逐艦
- 建造中の艦艇
呉軍港以外での被害
[編集]- 摂津:7月24日大破着底(広島湾江田島大須海岸)
- 海鷹:7月28日被爆[1](大分県別府湾)
- 駒橋:7月28日大破着底(三重県尾鷲港)
- 伊号205:建造中、7月28日沈没(倉橋島)
- 萩:7月24日損傷(山口県祝島南方)
- 椿:7月24日損傷(岡山沖)
戦災概況
[編集]呉空襲を描いた作品
[編集]脚注
[編集]- ^ 7月24日に触雷し排水作業のため別府湾岸に擱座する。7月28日の空襲で爆弾1発が命中し発電機損傷、停電のため排水ポンプが作動せず浸水が増大し船体放棄された。
参考文献
[編集]- 雑誌「丸」編集部『写真 日本の軍艦 第14巻 小艦艇II』(光人社、1990年) ISBN 4-7698-0464-4
- 伊達久 編『第二次大戦日本海軍作戦年誌』 p245、またp252~p253