瑞穂村開拓団集団自決
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瑞穂村開拓団集団自決(みずほむらかいたくだんしゅうだんじけつ)とは、1945年(昭和20年)9月17日、満州国北安省(現中華人民共和国黒龍江省)瑞穂村開拓団(満蒙開拓団)が集団自決した事件[1]。自決者は495人とされている[1]。なお、生き残った人も辛酸をなめ、約半年後の1946年5月、ハルピンで生存が確認されたのはわずか71人だったとされている[2]。
概要
[編集]瑞穂村は日本全国22県からの出身者で構成されていた。東京都多摩市にある拓魂公苑に碑が建立されている。
脚注
[編集]- ^ a b 神奈川新聞社(2005: 131)
- ^ 新聞うずみ火 (2012年9月18日). “「満州」瑞穂村開拓団集団自決/沈黙を超え 家族の「物語」紡ぐ(1) [うずみ火通信]”. アジアプレス・ネットワーク. 2023年9月17日閲覧。
参考文献
[編集]- 神奈川新聞社編集局報道部『満州楽土に消ゆ - 憲兵になった少年』神奈川新聞社、2005年。ISBN 4876453667。