歴代の内閣官房長官
表示
(内閣官房長官の一覧から転送)
内閣総理大臣 |
---|
現職 第103代 石破茂 |
第2次石破内閣 就任日 2024年 (令和6年) 11月11日 |
歴代の首相と内閣 |
歴代内閣総理大臣 内閣(歴代) |
首相が使用する施設や機材 |
首相官邸 首相公邸 政府専用機 内閣総理大臣専用車 |
首相を補佐する人々 |
内閣官房長官(歴代) 内閣総理大臣補佐官 内閣総理大臣秘書官 (内閣官房) |
内閣を組織する人々 |
副総理 国務大臣、副大臣 内閣官房副長官 大臣政務官 内閣官房副長官補 内閣法制局長官 内閣法制次長 内閣特別顧問 内閣官房参与 |
首相関連の用語 |
首班指名選挙 内閣総理大臣臨時代理 班列と無任所大臣 内閣総理大臣の辞令 内閣総理大臣夫人 (内閣総理大臣配偶者) 内閣総理大臣夫人秘書 |
首相関連の表彰 |
内閣総理大臣杯 内閣総理大臣顕彰 国民栄誉賞 |
カテゴリ |
内閣官房長官 > 歴代の内閣官房長官
歴代の内閣官房長官(れきだいのないかくかんぼうちょうかん)では、歴代の内閣書記官長と内閣官房長官を列挙する。
内閣書記官長
[編集]代 | 氏名 | 内閣 | 就任日 | 退任日 | 出身 | |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 田中光顯 | 第1次伊藤内閣 | 1885年12月22日 | 1888年4月30日 | ||
2 | 小牧昌業 | 黒田内閣 | 1888年4月30日 | 1889年12月24日 | ||
3 | 周布公平 | 第1次山縣内閣 | 1889年12月24日 | 1891年5月6日 | ||
4 | 平山成信 | 第1次松方内閣 | 1891年6月15日 | 1892年8月8日 | ||
5 | 伊東巳代治 | 第2次伊藤内閣 | 1892年8月8日 | 1896年8月31日 | ||
6 | 高橋健三 | 第2次松方内閣 | 1896年9月20日 | 1897年10月8日 | ||
7 | 平山成信 | 1897年10月28日 | 1898年1月12日 | |||
8 | 鮫島武之助 | 第3次伊藤内閣 | 1898年1月12日 | 1898年6月30日 | 貴族院 | |
9 | 武富時敏 | 第1次大隈内閣 | 1898年6月30日 | 1898年11月8日 | ||
10 | 安廣伴一郎 | 第2次山縣内閣 | 1898年11月8日 | 1900年10月19日 | ||
11 | 鮫島武之助 | 第4次伊藤内閣 | 1900年10月19日 | 1901年6月2日 | ||
12 | 柴田家門 | 第1次桂内閣 | 1901年6月2日 | 1906年1月7日 | ||
13 | 石渡敏一 | 第1次西園寺内閣 | 1906年1月7日 | 1908年1月4日 | ||
14 | 南弘 | 1908年1月4日 | 1908年7月14日 | |||
15 | 柴田家門 | 第2次桂内閣 | 1908年7月14日 | 1911年8月30日 | ||
16 | 南弘 | 第2次西園寺内閣 | 1911年8月30日 | 1912年12月21日 | ||
17 | 江木翼 | 第3次桂内閣 | 1912年12月21日 | 1913年2月20日 | ||
18 | 山之内一次 | 第1次山本内閣 | 1913年2月20日 | 1914年4月16日 | ||
19 | 江木翼 | 第2次大隈内閣 | 1914年4月16日 | 1916年10月9日 | ||
20 | 兒玉秀雄 | 寺内内閣 | 1916年10月9日 | 1918年9月29日 | ||
21 | 高橋光威 | 原内閣 | 1918年9月29日 | 1921年11月13日 | 立憲政友会 | |
22 | 三土忠造 | 高橋内閣 | 1921年11月24日 | 1922年6月12日 | 立憲政友会 | |
23 | 宮田光雄 | 加藤友三郎内閣 | 1922年6月12日 | 1923年9月2日 | 南満州鉄道 | |
24 | 樺山資英 | 第2次山本内閣 | 1923年9月2日 | 1924年1月7日 | ||
25 | 小橋一太 | 清浦内閣 | 1924年1月7日 | 1924年6月11日 | 政友本党 | |
26 | 江木翼 | 加藤高明内閣 | 1924年6月11日 | 1925年8月2日 | ||
27 | 塚本清治 | 第1次若槻内閣 | 1925年8月2日 | 1927年4月20日 | ||
28 | 鳩山一郎 | 田中義一内閣 | 1927年4月20日 | 1929年7月2日 | 立憲政友会 | |
29 | 鈴木富士彌 | 濱口内閣 | 1929年7月2日 | 1931年4月14日 | 立憲民政党 | |
30 | 川崎卓吉 | 第2次若槻内閣 | 1931年4月14日 | 1931年12月13日 | ||
31 | 森恪 | 犬養内閣 | 1931年12月13日 | 1932年5月26日 | 立憲政友会 | |
32 | 柴田善三郎 | 齋藤内閣 | 1932年5月26日 | 1933年3月13日 | 内務省 | |
33 | 堀切善次郎 | 1933年3月13日 | 1934年7月8日 | |||
34 | 河田烈 | 岡田内閣 | 1934年7月8日 | 1934年10月20日 | ||
35 | 吉田茂 | 1934年10月20日 | 1935年5月11日 | |||
36 | 白根竹介 | 1935年5月11日 | 1936年3月9日 | |||
37 | 藤沼庄平 | 廣田内閣 | 1936年3月10日 | 1937年2月2日 | ||
38 | 大橋八郎 | 林内閣 | 1937年2月2日 | 1937年6月4日 | ||
39 | 風見章 | 第1次近衛内閣 | 1937年6月4日 | 1939年1月4日 | ||
40 | 田邊治通 | 平沼内閣 | 1939年1月5日 | 1939年4月7日 | ||
41 | 太田耕造 | 1939年4月7日 | 1939年8月30日 | |||
42 | 遠藤柳作 | 阿部内閣 | 1939年8月30日 | 1940年1月15日 | ||
43 | 石渡荘太郎 | 米内内閣 | 1940年1月15日 | 1940年7月22日 | ||
44 | 富田健治 | 第2次近衛内閣 | 1940年7月22日 | 1941年7月18日 | 内務省 | |
45 | 第3次近衛内閣 | 1941年7月18日 | 1941年10月18日 | |||
46 | 星野直樹 | 東條内閣 | 1941年10月18日 | 1944年7月22日 | ||
47 | 三浦一雄 | 小磯内閣 | 1944年7月22日 | 1944年7月29日 | ||
48 | 田中武雄 | 1944年7月29日 | 1945年2月10日 | |||
49 | 広瀬久忠 | 1945年2月10日 | 1945年2月21日 | |||
50 | 石渡荘太郎 | 1945年2月21日 | 1945年4月7日 | |||
51 | 迫水久常 | 鈴木貫太郎内閣 | 1945年4月7日 | 1945年8月15日 | 大蔵省 | |
52 | 緒方竹虎 | 東久邇宮内閣 | 1945年8月15日 | 1945年10月5日 | 貴族院無所属 | |
53 | 次田大三郎 | 幣原内閣 | 1945年10月9日 | 1946年1月13日 | 貴族院同成会 | |
54 | 楢橋渡 | 1946年1月13日 | 1946年5月22日 | 貴族院同成会 | ||
55 | 林讓治 | 第1次吉田内閣 | 1946年5月29日 | 1947年5月2日 | 日本自由党 |
内閣官房長官
[編集]代 | 氏名 | 内閣 | 就任日 | 退任日 | 出身 | 備考 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|
内閣官房長官(非認証官) | |||||||
1 | 林讓治 | 第1次吉田内閣 | 1947年5月3日 | 1947年5月24日 | 日本自由党 | 旧・親任官待遇 | |
- | (欠員) | 片山内閣 | |||||
2 | 西尾末廣 | 1947年6月1日 | 1948年3月10日 | 日本社会党 | 国務大臣兼内閣官房長官/叙・一級 | ||
3 | 苫米地義三 | 芦田内閣 | 1948年3月10日 | 1948年10月15日 | 民主党 | 国務大臣兼内閣官房長官/叙・一級 | |
- | (欠員) | 第2次吉田内閣 | |||||
4 | 佐藤榮作 | 1948年10月17日 | 1949年2月16日 | 運輸官僚(次官) | 叙・一級
史上唯一、非国会議員として内閣官房長官に就任 | ||
5 | 増田甲子七 | 第3次吉田内閣 | 1949年2月16日 | 1949年6月24日 | 民主自由党 | 叙・一級 | |
6 | 1949年6月24日 | 1950年5月6日 | 国務大臣 | ||||
7 | 岡崎勝男 | 1950年5月6日 | 1950年6月28日 | 自由党 | 叙・一級 | ||
第3次吉田第1次改造内閣 | 1950年6月28日 | 1951年12月26日 | |||||
第3次吉田第2次改造内閣 | |||||||
8 | 保利茂 | 第3次吉田第3次改造内閣 | 1951年12月26日 | 1952年10月30日 | 叙・一級 | ||
9 | 緒方竹虎 | 第4次吉田内閣 | 1952年10月30日 | 1953年3月24日 | 国務大臣/副総理(1952年11月28日以降) | ||
10 | 福永健司 | 1953年3月24日 | 1953年5月21日 | 叙・一級 | |||
11 | 第5次吉田内閣 | 1953年5月21日 | 1954年9月24日 | 叙・一級 | |||
12 | 1954年9月24日 | 1954年12月10日 | 国務大臣 | ||||
13 | 根本龍太郎 | 第1次鳩山内閣 | 1954年12月10日 | 1955年3月19日 | 日本民主党 | 叙・一級 | |
14 | 第2次鳩山内閣 | 1955年3月19日 | 1955年11月22日 | 叙・一級 | |||
15 | 第3次鳩山内閣 | 1955年11月22日 | 1956年12月23日 | 自由民主党 | 叙・一級 | ||
16 | 石田博英 | 石橋内閣 | 1956年12月23日 | 1957年2月25日 | 叙・一級 | ||
17 | 第1次岸内閣 | 1957年2月25日 | 1957年7月10日 | 叙・一級 | |||
18 | 愛知揆一 | 第1次岸改造内閣 | 1957年7月10日 | 1958年6月12日 | 叙・一級 | ||
19 | 赤城宗徳 | 第2次岸内閣 | 1958年6月12日 | 1959年6月18日 | 叙・一級 | ||
20 | 椎名悦三郎 | 第2次岸改造内閣 | 1959年6月18日 | 1960年7月19日 | 叙・一級 | ||
21 | 大平正芳 | 第1次池田内閣 | 1960年7月19日 | 1960年12月8日 | 叙・一級 | ||
22 | 第2次池田内閣 | 1960年12月8日 | 1962年7月18日 | 叙・一級 | |||
第2次池田第1次改造内閣 | |||||||
23 | 黒金泰美 | 第2次池田第2次改造内閣 | 1962年7月18日 | 1963年6月11日 | 叙・一級 | ||
内閣官房長官(認証官) | |||||||
24 | 黒金泰美 | 第2次池田第2次改造内閣 | 1963年6月11日 | 1963年12月9日 | 自由民主党 | ||
第2次池田第3次改造内閣 | |||||||
25 | 第3次池田内閣 | 1963年12月9日 | 1964年7月18日 | ||||
26 | 鈴木善幸 | 第3次池田改造内閣 | 1964年7月18日 | 1964年11月9日 | |||
27 | 橋本登美三郎 | 第1次佐藤内閣 | 1964年11月9日 | 1966年6月28日 | |||
第1次佐藤第1次改造内閣 | |||||||
内閣官房長官(国務大臣) | |||||||
28 | 橋本登美三郎 | 第1次佐藤第1次改造内閣 | 1966年6月28日 | 1966年8月1日 | 自由民主党 | ||
29 | 愛知揆一 | 第1次佐藤第2次改造内閣 | 1966年8月1日 | 1966年12月3日 | |||
30 | 福永健司 | 第1次佐藤第3次改造内閣 | 1966年12月3日 | 1967年2月17日 | |||
31 | 第2次佐藤内閣 | 1967年2月17日 | 1967年6月22日 | 病気による途中退任 | |||
32 | 木村俊夫 | 1967年6月22日 | 1968年11月30日 | 前任者の途中退任に伴う就任(中途入閣) | |||
第2次佐藤第1次改造内閣 | |||||||
33 | 保利茂 | 第2次佐藤第2次改造内閣 | 1968年11月30日 | 1970年1月14日 | |||
34 | 第3次佐藤内閣 | 1970年1月14日 | 1971年7月5日 | ||||
35 | 竹下登 | 第3次佐藤改造内閣 | 1971年7月5日 | 1972年7月7日 | |||
36 | 二階堂進 | 第1次田中角榮内閣 | 1972年7月7日 | 1972年12月22日 | |||
37 | 第2次田中角榮内閣 | 1972年12月22日 | 1974年11月11日 | ||||
第2次田中角榮第1次改造内閣 | |||||||
38 | 竹下登 | 第2次田中角榮第2次改造内閣 | 1974年11月11日 | 1974年12月9日 | |||
39 | 井出一太郎 | 三木内閣 | 1974年12月9日 | 1976年12月24日 | |||
三木改造内閣 | |||||||
40 | 園田直 | 福田赳夫内閣 | 1976年12月24日 | 1977年11月28日 | |||
41 | 安倍晋太郎 | 福田赳夫改造内閣 | 1977年11月28日 | 1978年12月7日 | |||
42 | 田中六助 | 第1次大平内閣 | 1978年12月7日 | 1979年11月9日 | |||
43 | 伊東正義 | 第2次大平内閣 | 1979年11月9日 | 1980年7月17日 | 副総理(1980年6月11日以降) | ||
44 | 宮澤喜一 | 鈴木善幸内閣 | 1980年7月17日 | 1982年11月27日 | |||
鈴木善幸改造内閣 | |||||||
45 | 後藤田正晴 | 第1次中曽根内閣 | 1982年11月27日 | 1983年12月27日 | |||
46 | 藤波孝生 | 第2次中曽根内閣 | 1983年12月27日 | 1985年12月28日 | |||
第2次中曽根第1次改造内閣 | |||||||
47 | 後藤田正晴 | 第2次中曽根第2次改造内閣 | 1985年12月28日 | 1986年7月22日 | |||
48 | 第3次中曽根内閣 | 1986年7月22日 | 1987年11月6日 | ||||
49 | 小渕恵三 | 竹下内閣 | 1987年11月6日 | 1989年6月3日 | 新元号「平成」発表 | ||
50 | 塩川正十郎 | 宇野内閣 | 1989年6月3日 | 1989年8月10日 | |||
51 | 山下徳夫 | 第1次海部内閣 | 1989年8月10日 | 1989年8月25日 | 自身の不祥事による途中辞任 | ||
52 | 森山眞弓 | 1989年8月25日 | 1990年2月28日 | 前任者の途中辞任に伴う就任(閣内移動) 女性初の内閣官房長官 | |||
53 | 坂本三十次 | 第2次海部内閣 | 1990年2月28日 | 1991年11月5日 | |||
第2次海部改造内閣 | |||||||
54 | 加藤紘一 | 宮澤内閣 | 1991年11月5日 | 1992年12月12日 | |||
55 | 河野洋平 | 宮澤改造内閣 | 1992年12月12日 | 1993年8月9日 | |||
56 | 武村正義 | 細川内閣 | 1993年8月9日 | 1994年4月28日 | 新党さきがけ | ||
- | 羽田孜 | 羽田内閣 | 1994年4月28日 | 新生党 | (内閣総理大臣として)内閣官房長官事務取扱 | ||
57 | 熊谷弘 | 1994年4月28日 | 1994年6月30日 | ||||
58 | 五十嵐広三 | 村山内閣 | 1994年6月30日 | 1995年8月8日 | 日本社会党 | ||
59 | 野坂浩賢 | 村山改造内閣 | 1995年8月8日 | 1996年1月11日 | |||
60 | 梶山静六 | 第1次橋本内閣 | 1996年1月11日 | 1996年11月7日 | 自由民主党 | ||
61 | 第2次橋本内閣 | 1996年11月7日 | 1997年9月11日 | ||||
62 | 村岡兼造 | 第2次橋本改造内閣 | 1997年9月11日 | 1998年7月30日 | |||
63 | 野中広務 | 小渕内閣 | 1998年7月30日 | 1999年10月5日 | |||
小渕第1次改造内閣 | |||||||
64 | 青木幹雄 | 小渕第2次改造内閣 | 1999年10月5日 | 2000年4月5日 | 内閣総理大臣臨時代理(2000年4月3日以降) | ||
65 | 第1次森内閣 | 2000年4月5日 | 2000年7月4日 | ||||
66 | 中川秀直 | 第2次森内閣 | 2000年7月4日 | 2000年10月27日 | 自身の不祥事による途中辞任 | ||
67 | 福田康夫 | 2000年10月27日 | 2001年4月26日 | 前任者の途中辞任に伴う就任(中途入閣) | |||
第2次森改造内閣 | |||||||
68 | 第1次小泉内閣 | 2001年4月26日 | 2003年11月19日 | ||||
第1次小泉第1次改造内閣 | |||||||
第1次小泉第2次改造内閣 | |||||||
69 | 第2次小泉内閣 | 2003年11月19日 | 2004年5月7日 | 自身の年金保険料未納の発覚に伴う途中辞任 | |||
70 | 細田博之 | 2004年5月7日 | 2005年9月21日 | 前任者の途中辞任に伴う就任(中途入閣) | |||
第2次小泉改造内閣 | |||||||
71 | 第3次小泉内閣 | 2005年9月21日 | 2005年10月31日 | ||||
72 | 安倍晋三 | 第3次小泉改造内閣 | 2005年10月31日 | 2006年9月26日 | |||
73 | 塩崎恭久 | 第1次安倍内閣 | 2006年9月26日 | 2007年8月27日 | |||
74 | 与謝野馨 | 第1次安倍改造内閣 | 2007年8月27日 | 2007年9月26日 | |||
75 | 町村信孝 | 福田康夫内閣 | 2007年9月26日 | 2008年9月24日 | |||
福田康夫改造内閣 | |||||||
76 | 河村建夫 | 麻生内閣 | 2008年9月24日 | 2009年9月16日 | |||
77 | 平野博文 | 鳩山由紀夫内閣 | 2009年9月16日 | 2010年6月8日 | 民主党 | ||
78 | 仙谷由人 | 菅直人内閣 | 2010年6月8日 | 2011年1月14日 | |||
菅直人第1次改造内閣 | |||||||
79 | 枝野幸男 | 菅直人第2次改造内閣 | 2011年1月14日 | 2011年9月2日 | |||
80 | 藤村修 | 野田内閣 | 2011年9月2日 | 2012年12月26日 | |||
野田第1次改造内閣 | |||||||
野田第2次改造内閣 | |||||||
野田第3次改造内閣 | |||||||
81 | 菅義偉 | 第2次安倍内閣 | 2012年12月26日 | 2014年12月24日 | 自由民主党 | ||
第2次安倍改造内閣 | |||||||
82 | 第3次安倍内閣 | 2014年12月24日 | 2017年11月1日 | ||||
第3次安倍第1次改造内閣 | |||||||
第3次安倍第2次改造内閣 | |||||||
第3次安倍第3次改造内閣 | |||||||
83 | 第4次安倍内閣 | 2017年11月1日 | 2020年9月16日 | ||||
第4次安倍第1次改造内閣 | 新元号「令和」発表 | ||||||
第4次安倍第2次改造内閣 | 歴代最長 | ||||||
84 | 加藤勝信 | 菅義偉内閣 | 2020年9月16日 | 2021年10月4日 | |||
85 | 松野博一 | 第1次岸田内閣 | 2021年10月4日 | 2021年11月10日 | |||
86 | 第2次岸田内閣 | 2021年11月10日 | 2023年12月14日 | ||||
第2次岸田第1次改造内閣 | |||||||
第2次岸田第2次改造内閣 | 安倍派の裏金問題を巡り途中辞任。 | ||||||
87 | 林芳正 | 2023年12月14日 | 2024年10月1日 | 前任者の途中辞任に伴う就任(中途入閣) | |||
88 | 第1次石破内閣 | 2024年10月1日 | 2024年11月11日 | ||||
89 | 第2次石破内閣 | 2024年11月11日 | 現職 |
- 太字は、のちに内閣総理大臣となった人物。
- 初代、林讓治は大日本帝国憲法下の内閣書記官長からの自動的な継続的在任(法令に基づく)であり、1947年5月3日に改めて内閣官房長官に任命するための辞令は発出されていない。第2代以降の非認証官たる長官(原則として一級官吏つまり旧勅任官待遇に叙される)との権衡のため、旧憲法下最後の日である1947年5月2日付けで「特ニ親任官ノ待遇ヲ賜フ」との辞令を受けている。
- 内閣官房長官は日本国憲法施行後1949年5月31日までは行政官庁法に基づく職であり、同法には「国務大臣をもって充てることができる」旨の規定がなかったため、その期間中に就任した第2代・西尾末廣、第3代・苫米地義三、第4代・佐藤榮作及び第5代・増田甲子七のうち国務大臣でもあった前2名は、「国務大臣に任命する」との官記に加え「内閣官房長官に兼ねて任命する」との辞令が出され一級(官吏)に叙されている(後2名の辞令は「内閣官房長官に任命する」)。同法の失効に伴い内閣官房長官の根拠規定は1949年6月1日から内閣法となり、こちらには「国務大臣をもって充てることができる」と規定されたため、以後の「非認証官」時代の内閣官房長官で備考欄に「国務大臣」の記載のある者は、「国務大臣に任命する」との官記に加えて出される辞令は「内閣官房長官を命ずる」となっており一級に叙されていない。「任命して兼ねて任命」の場合は並列の兼任であるため大臣でありながら同時に一級に叙され得るが、「任命して命ずる」場合の「命ずる」はいわゆる補職であって並列ではないためこの適用がない。この表では当該制度上の差異を区別して記載した。なお、第5代、増田甲子七の在任期間のうち1949年5月31日までと同6月1日からでは前述のとおり根拠法が異なるが、これに関して改めて辞令は発されておらずそのまま在任している。