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但馬国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
但馬守から転送)
但馬国

-但馬国
-山陰道
別称 但州(たんしゅう)
所属 山陰道
相当領域 兵庫県北部
諸元
国力 上国
距離 近国
8郡59郷
国内主要施設
但馬国府 1. 未詳
2. 兵庫県豊岡市
但馬国分寺 兵庫県豊岡市(但馬国分寺跡
但馬国分尼寺 兵庫県豊岡市
一宮 出石神社(兵庫県豊岡市)
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但馬国(たじまのくに、古文書では「儋馬國」と表記)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。山陰道に属する。

「但馬」の名称

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古事記』には「多遅摩国」と記載される。但馬の歴史的仮名遣いは「たぢま」。

領域

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明治維新の直前の領域は現在以下のようになっている。太字の自治体及び郡は全域が、通常体は一部が国土にあたる。

  • 兵庫県
    • 豊岡市
    • 養父市
    • 朝来市(生野町真弓・生野町川尻・生野町栃原および生野町口銀谷の一部は播磨国) - 生野は古来より播磨国と但馬国を結ぶ交通の要衝であった。現在の生野は但馬地域に含まれるが、古代の生野は播磨国の神崎郡または神西郡に属し、両国の国境は現在の生野市街地の北、市川水系と円山川水系の分水界に沿っていた。
    • 美方郡

当該地域の2010年国勢調査による人口は17万9530人(男8万5568人/女9万3962人)、世帯数は6万1880世帯、面積は2099.01km2、人口密度は85.5人/km2[1]

沿革

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のちに但馬国となる地域には以下の2つの国造が置かれていた。

こののち、のちの丹波国丹後国・但馬国の3国にあたる地域は丹波国造の支配地域である丹波国となった。但馬国は7世紀後半に丹波国より8郡を分割して成立したとする説もあるが確証はない。『日本書紀天武天皇4年(675年)条に国名がみえるので、この頃成立したと推定されている。

近世以降の沿革

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国内の施設

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全ての座標を示した地図 - OSM
全座標を出力 - KML

国府

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祢布ヶ森遺跡
兵庫県豊岡市

和名抄』および『拾芥抄』によると、国府は気多郡にあった。

初期の国府の所在地には、豊岡市出石町の袴狭(はかざ)遺跡とする説、気多郡(現在の豊岡市日高町)内とする説があるが、明らかでない。『日本後紀』によると、延暦23年(804年)に気多郡高田郷に国府が移されたという[注釈 2]。豊岡市役所日高振興局(旧日高町役場)の付近で発掘された祢布ヶ森遺跡(豊岡市日高町祢布)がこれに比定される(北緯35度28分11.02秒 東経134度46分14.78秒 / 北緯35.4697278度 東経134.7707722度 / 35.4697278; 134.7707722 (但馬国府(後期):祢布ヶ森遺跡))。

国分寺・国分尼寺

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但馬国分寺跡 石碑
(兵庫県豊岡市)
但馬国分尼寺跡 石碑
(兵庫県豊岡市)

神社

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延喜式内社

延喜式神名帳』には、大社18座10社・小社113座106社の計131座116社が記載されている(「但馬国の式内社一覧」参照)。大社10社は以下に示すもので、全て名神大社である。
出石神社(兵庫県豊岡市)

総社一宮以下

『中世諸国一宮制の基礎的研究』に基づく一宮以下の一覧[4]

地域

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  • 朝来郡 - 朝来市
  • 養父郡 - 養父市、朝来市(大蔵・糸井地区)、豊岡市(日高町赤崎・日高町朝倉地区)
  • 出石郡 - 豊岡市(出石地域、但東地域、神美地区)
  • 気多郡 - 豊岡市(日高地域、竹野町南地区)
  • 城埼郡 - 豊岡市(城崎地域、豊岡・八条・三江・田鶴野・五荘・新田・奈佐・港地区)
  • 美含郡 - 美方郡香美町(香住区)、豊岡市(竹野町竹野・竹野町中地区)
  • 七美郡 - 美方郡香美町(村岡区、小代区)、養父市(熊次地区)
  • 二方郡 - 美方郡新温泉町

※郡名は『延喜式』による。

江戸時代の藩

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  • 出石藩:小出家(6万石→5万石)→松平(藤井)家(4万8千石)→仙石家(5万8千石→3万石)
  • 豊岡藩:杉原家(2万石→2万5千石→1万石)→天領→京極家(3万5千石→1万5千石)
  • 八木藩:別所家(1万5千石→2万石)
  • 清富藩:宮城家(1万3千石)
  • 竹田藩:

明治時代の藩

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  • 村岡藩:山名家(6700石→1万1千石)

人物

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国司

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但馬守

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但馬介

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守護

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鎌倉幕府

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室町幕府

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国人

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戦国大名

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織豊大名

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  • 宮部継潤 豊臣秀吉の側近。豊臣政権の五奉行の一人。城崎豊岡と改め、城を改築した。このとき城下町も整備され、これが現在の豊岡の町の基礎となった。後の鳥取城城主
  • 山名氏政 - 豊臣政権の大名。居城は有子山城。播磨に転封。
  • 前野長康(5万3千石→11万石)
  • 明石則実(2万2千石):四国征伐の功により豊岡城に入封。文禄4年(1595年)、豊臣秀次に連座して切腹・改易。
  • 小出吉政(6万石):文禄4年(1595年)から有子山城城主。西軍についたものの、弟・小出秀政が東軍に付いたために安堵され、後に但馬出石藩初代藩主。

武家官位の但馬守

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江戸時代以前

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江戸時代

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但馬国の合戦

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現代的用法

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但馬は、現代でも兵庫県北部を指す地域名として用いられ、但馬地域とは、具体的には豊岡市養父市朝来市香美町新温泉町の3市2町で構成される地域を表す意味で用いられるのが一般的である[5][6]

また、そのうち北部を北但(ほくたん)、南部を南但(なんたん)として二分することがある。(北但を、北但東部〈豊岡市〉、北但西部〈香美町・新温泉町〉と二分して、但馬全体を三分することもある。)北但を兵庫県北部として、南但を播磨北西部・北播磨・丹波地域と合わせて「中部」に分類する考え方もある。

気象予報区域

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脚注

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注釈

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  1. ^ 旧高旧領取調帳」は但馬国分が欠けているため、木村礎の手により「天保郷帳」をもとに作成され、「日本史料選書11 旧高旧領取調帳 近畿編」(近藤出版社、1975年)に掲載されたデータが国立歴史民俗博物館によりデータベース化されている。
  2. ^ 『日本後紀』では「但馬の国治(国府)を気多郡高田郷に遷す」とあり、それまでは別の場所にあったと推測されている。

出典

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  1. ^ 平成22年国勢調査、小地域集計、28兵庫県”. 総務省統計局(e-Stat) (2010年10月1日). 2014年5月28日閲覧。
  2. ^ 『国造制の研究 -史料編・論考編-』(八木書店、2013年)p. 223。
  3. ^ 二方国造 ( 但馬 ) - 日本辞典(2017年9月25日 午前8時55分(JST)閲覧)
  4. ^ 『中世諸国一宮制の基礎的研究』 中世諸国一宮制研究会編、岩田書院、2000年、pp. 406-409。
  5. ^ 但馬(豊岡市・養父市・朝来市・香美町・新温泉町)”. 兵庫県. 2023年5月14日時点のオリジナルよりアーカイブ2023年5月14日閲覧。
  6. ^ 但馬と市町について”. たじまUIターン情報サイト. たじま田舎暮らし情報センター. 2023年5月14日時点のオリジナルよりアーカイブ2023年5月14日閲覧。

参考文献

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関連項目

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外部リンク

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