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値嘉島

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

値嘉島(ちかのしま、値嘉嶋、値賀嶋とも表記)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つである。西海道に所属し、領域は現在の平戸島彼杵郡所属であった江島平島を除く五島列島、及びその附属島嶼にあたる。貞観18年(876年)に肥前国から分立されたが、10世紀初頭までに廃止された。

壱岐島対馬島多禰島と同じように、国と同格の地方行政区分であるの字を用いた。

沿革

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日本三代実録」によると、大宰権帥在原行平の建言により貞観18年(876年3月9日肥前国松浦郡の庇羅郷(ひらごう)と値嘉郷(ちかごう)の2郷が郷長の権力が弱まっていることや、外交上重要な島であることからそれぞれ庇羅郷を上近郡(かみつちかのこおり)、値嘉郷を下近郡(しもつちかのこおり)として昇格させ肥前国から分立させ島司を置くことを建議し、許可された。

領域は上近郡(庇羅郷)が現在の旧田平町を除く平戸市全域、下近郡(値嘉郷)が小値賀町新上五島町五島市と現在佐世保市である旧宇久町の全域である。島府と上近郡郡衙の所在地は平戸と推測されているが、一宮や下近郡郡衙の所在地等は不明。

その後半世紀足らずの10世紀始めに編纂された「延喜式」には値嘉島の記載はなく、それまでに値嘉島は2郡共に廃され肥前国松浦郡に復したものとみられる[1]

脚注

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  1. ^ 「図説長崎県の歴史」外山幹夫責任編集、河出書房新社刊(1996年)

関連項目

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