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橘為義

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

橘 為義(たちばな の ためよし、生年不詳 - 寛仁元年10月26日1017年11月17日[1])は、平安時代中期の公卿正四位下但馬守、丹波守。

略歴

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近江掾・橘道文の子。子の義通、孫の為仲らも勅撰集に名を残す歌人である[2] [3]

藤原道長の家司で、長保5年(1003年)の「左大臣(道長)家歌合」に出詠している[4]

寛弘8年(1011年)6月に摂津守に任ぜられる[5]

又、今上天皇の直系祖先であるとされている[6]

系譜

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参考文献

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  • 『太山寺本後拾遺和歌集とその研究』(桜楓社、1971年、731p)
  • 『国司補任 4』(続群書類従完成会 、2000年、34p)

脚注

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  1. ^ 『大日本史料 第2編之12』(東京大学、1961年)p.305
  2. ^ 橘為義”. 2023年12月16日閲覧。
  3. ^ 桜楓社 1971, p. 731.
  4. ^ 橘為義”. 2023年12月16日閲覧。
  5. ^ 続群書類従完成会 2000, p. 34.
  6. ^ 橘為義【今上天皇の直系祖先】”. 歴史ディレクトリ (2019年7月9日). 2024年11月22日閲覧。

外部リンク

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