伊達康夫
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伊達康夫 八段 | |
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名前 | 伊達康夫 |
生年月日 | 1936年7月22日 |
没年月日 | 2003年1月6日(66歳没) |
プロ入り年月日 | 1959年4月1日(22歳) |
引退年月日 | 1989年3月31日(52歳) |
棋士番号 | 78 |
出身地 | 大阪府大阪市 |
所属 | 日本将棋連盟(関西) |
師匠 | 岡崎史明八段 |
弟子 | 伊藤博文 |
段位 | 八段 |
棋士DB | 伊達康夫 |
戦績 | |
竜王戦最高クラス | 5組 |
順位戦最高クラス | C級1組 |
2017年8月24日現在 |
伊達 康夫(だて やすお、1936年7月22日 - 2003年1月6日)は、将棋棋士、八段。岡崎史明八段門下。棋士番号は78。大阪府大阪市出身。
棋歴
[編集]1959年、参加3期目の予備クラスにおいて11勝2敗で優勝、これにより四段昇段(プロ入り)。 第24期(1969年度)順位戦C級2組で3勝3敗からの6連勝で、9勝3敗・2位の成績を収め、C級1組へ昇級。苦節11年での快挙であった。
名人戦・順位戦の主催紙が朝日新聞社から毎日新聞社に移行して再開された第36期(1977年度)C級1組順位戦(昇降級リーグ戦3組)の最終10回戦で、伊達(7勝2敗)と真部一男(8勝1敗だがリーグ表順位は伊達より下)との直接対決があり、お互い、勝った方が2位でB級2組に昇級するという状況で迎えた。伊達はこの一局で敗れて昇級を逃し、以降、順位戦で昇級することはなかった。
棋風
[編集]振り飛車も指したが、相掛かり系、矢倉、対振り飛車急戦を得意とした居飛車党で、軽快な攻めに特徴がある棋風。
不利な局面になると、早々と投了することが多かった。
人物
[編集]- 日本将棋連盟の運営に尽力し、1981年から理事に就任。1989年(現役引退した年)から1992年までは常務理事、1993年からは理事会参与を務める。
- 神吉宏充の証言[1]によると、対局中に「えっ、えっ。」と発する癖があったという。
- 弟子に伊藤博文がいる。
昇段履歴
[編集]- 1951年[2] : 8級 = 入門
- 1959年 4月 1日 : 四段 = プロ入り
- 1970年 4月 1日 : 五段(順位戦C級1組昇級)
- 1973年11月 3日 : 六段(贈六段/「表彰感謝の日」表彰)
- 1986年10月21日 : 七段(勝数規定/六段昇段後150勝)
- 1989年 4月 1日 : 引退
- 2003年 1月 6日 : 死去 [2]
- 2003年[2] 1月 7日 : 八段(追贈)
主な成績
[編集]在籍クラス
[編集]→竜王戦と順位戦のクラスについては「将棋棋士の在籍クラス」を参照
開始 年度 |
順位戦 出典[3]
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竜王戦 出典[4]
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期 | 名人 | A級 | B級 | C級 | 期 | 竜王 | 1組 | 2組 | 3組 | 4組 | 5組 | 6組 | 決勝 T |
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1組 | 2組 | 1組 | 2組 | |||||||||||||||
1959 | 14 | C214 | ||||||||||||||||
1960 | 15 | C205 | ||||||||||||||||
1961 | 16 | C208 | ||||||||||||||||
1962 | 17 | C206 | ||||||||||||||||
1963 | 18 | C210 | ||||||||||||||||
1964 | 19 | C205 | ||||||||||||||||
1965 | 20 | C210 | ||||||||||||||||
1966 | 21 | C210 | ||||||||||||||||
1967 | 22 | C202 | ||||||||||||||||
1968 | 23 | C202 | ||||||||||||||||
1969 | 24 | C211 | ||||||||||||||||
1970 | 25 | C114 | ||||||||||||||||
1971 | 26 | C104 | ||||||||||||||||
1972 | 27 | C104 | ||||||||||||||||
1973 | 28 | C110 | ||||||||||||||||
1974 | 29 | C109 | ||||||||||||||||
1975 | 30 | C101 | ||||||||||||||||
順位戦の第31-35期は回次欠番/第30期の翌期は36期 | ||||||||||||||||||
1976 | 36 | C107 | ||||||||||||||||
1978 | 37 | C104 | ||||||||||||||||
1979 | 38 | C112 | ||||||||||||||||
1980 | 39 | C119 | ||||||||||||||||
1981 | 40 | C109 | ||||||||||||||||
1982 | 41 | C120 | ||||||||||||||||
1983 | 42 | C113 | ||||||||||||||||
1984 | 43 | C202 | ||||||||||||||||
1985 | 44 | C216 | ||||||||||||||||
1986 | 45 | C233 | ||||||||||||||||
1987 | 46 | C224 | 1 | 5組 | -- | |||||||||||||
1988 | 47 | C244 | 2 | 6組 | -- | |||||||||||||
順位戦、竜王戦の 枠表記 は挑戦者。右欄の数字は勝-敗(番勝負/PO含まず)。 順位戦の右数字はクラス内順位 ( x当期降級点 / *累積降級点 / +降級点消去 ) 順位戦の「F編」はフリークラス編入 /「F宣」は宣言によるフリークラス転出。 竜王戦の 太字 はランキング戦優勝、竜王戦の 組(添字) は棋士以外の枠での出場。 |
表彰
[編集]- 現役勤続25年表彰(1983年[5])