佐藤義則 (棋士)
佐藤義則 九段 | |
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名前 | 佐藤義則 |
生年月日 | 1949年2月17日(75歳) |
プロ入り年月日 | 1970年10月1日(21歳) |
引退年月日 | 2014年6月18日(67歳) |
棋士番号 | 106 |
出身地 | 東京都 |
所属 | 日本将棋連盟(関東) |
師匠 | 芹沢博文九段 |
段位 | 九段 |
棋士DB | 佐藤義則 |
戦績 | |
通算成績 | 488勝641敗(0.4322) |
竜王戦最高クラス | 3組 |
順位戦最高クラス | B級2組 |
2022年2月16日現在 |
佐藤 義則(さとう よしのり、1949年2月17日 - )は、将棋棋士。棋士番号は106。東京都出身。芹沢博文九段門下。2014年引退[1]。
経歴
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
中学3年の時に、将棋雑誌に掲載されていた将棋連盟会館道場の広告をたまたま目にしたことで、会館道場に通うようになる[2]。
道場では3級から指し始めたが、めきめきと力をつけ、わずか1年足らずで道場三段となる。
プロになりたいと思うようになったのは道場初段の頃。当時新進気鋭の四段だった米長邦雄から二枚落ちでの指導対局を受ける機会があり、負かされても普段と同じように(当時の会館道場は同じ対局相手と続けて2局指す決まりだった)そのまま盤の前に座っていたところ、米長はもう1局指してくれた。2局目は1局目に教わった定跡通り指して勝つことが出来、そこではじめてプロを意識したという。
1964年の夏に道場の手合い係から奨励会の受験を薦められる。当時連盟の総務部で仕事をしていた芹沢博文を介して奨励会を受験し、6級で奨励会入り。当時は奨励会の受験者はきわめて少なく、この時の受験者も佐藤1人だけであった。
奨励会に入ってからは高校を中退し、連盟住み込みの塾生となる。塾生は地方出身者がなるのが常だったが、晩学のハンディを埋めるべく、将棋に集中する時間を持たせようという芹沢の配慮もあった[2]。
入会後の出世は比較的順調で、1年あまりで初段となり、18歳の時には三段に昇段。優勝すればプロ入りのチャンスが与えられる奨励会A組に入る。
奨励会A組在籍7期目となった1970年前期の関東リーグで優勝。関西リーグ優勝の淡路仁茂とプロ入りを賭けた東西決戦を戦い勝利。1970年10月プロ入り。
順位戦の初参加となった1971年度第26期順位戦では、6勝2敗の成績でC級2組1期抜けを果たす。
1980年度第36期棋聖戦本戦トーナメントで二上達也、大山康晴、内藤國雄とタイトル経験者3人を破り挑戦者決定戦に進出。しかし米長邦雄に敗れ、惜しくもタイトル挑戦を逃す。
1980年度、1981年度と2年続けて超難関といわれた十段戦の予選決勝まで進むが、それぞれ田中魁秀、安恵照剛に敗れてリーグ入りを逃している。
人物
[編集]- 日本将棋連盟理事を務めた経験がある。
- 父親は警視庁捜査二課の元刑事。芹沢は後年「お父さんが刑事だったから君を弟子に取ったんだ(笑)」とよく口にした[2]。
- パイプを愛用している。また、師匠の芹沢博文と一緒に競輪場にも足を運んだ。現在は将棋連盟の囲碁部に所属[3]。
- あだなは「ムジナ」[4]。
昇段履歴
[編集]- 1964年奨励会入会 : 6級 =
- 1967年奨励会A組入り : 三段 =
- 1970年10月 1日 : 四段 = プロ入り
- 1972年 4月 1日 : 五段(順位戦C級1組昇級)
- 1974年 4月 1日 : 六段(順位戦B級2組昇級)
- 1984年 4月 1日 : 七段(勝数規定/六段昇段後公式戦150勝〈制度新設・同年5月25日総会で決定〉、六段で180勝)[5][6]
- 1998年 8月18日 : 八段(勝数規定/七段昇段後公式戦190勝)
- 2014年 6月18日 : 引退(フリークラス棋士引退規定)[1]
- 2019年 4月 1日 : 九段(退役棋士昇段規定)[7]
主な成績
[編集]通算成績
[編集]- 1129局 488勝641敗(勝率.432)
在籍クラス
[編集]開始 年度 |
順位戦 出典[8]
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竜王戦 出典[9]
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期 | 名人 | A級 | B級 | C級 | 期 | 竜王 | 1組 | 2組 | 3組 | 4組 | 5組 | 6組 | 決勝 T |
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1組 | 2組 | 1組 | 2組 | |||||||||||||||
1971 | 26 | C212 | ||||||||||||||||
1972 | 27 | C116 | ||||||||||||||||
1973 | 28 | C103 | ||||||||||||||||
1974 | 29 | B215 | ||||||||||||||||
1975 | 30 | B211 | ||||||||||||||||
第31-35期は回次欠番/第30期の翌期は36期 | ||||||||||||||||||
1976 | 36 | B204 | ||||||||||||||||
1978 | 37 | B202 | ||||||||||||||||
1979 | 38 | B213 | ||||||||||||||||
1980 | 39 | B205 | ||||||||||||||||
1981 | 40 | B211 | ||||||||||||||||
1982 | 41 | B220 | ||||||||||||||||
1983 | 42 | C101 | ||||||||||||||||
1984 | 43 | C104 | ||||||||||||||||
1985 | 44 | C111 | ||||||||||||||||
1986 | 45 | C104 | ||||||||||||||||
1987 | 46 | C102 | 1 | 3組 | -- | |||||||||||||
1988 | 47 | C112 | 2 | 4組 | -- | |||||||||||||
1989 | 48 | C112 | 3 | 4組 | -- | |||||||||||||
1990 | 49 | C116 | 4 | 4組 | -- | |||||||||||||
1991 | 50 | C112 | 5 | 4組 | -- | |||||||||||||
1992 | 51 | C109 | 6 | 4組 | -- | |||||||||||||
1993 | 52 | C123 | 7 | 4組 | -- | |||||||||||||
1994 | 53 | C115 | 8 | 4組 | -- | |||||||||||||
1995 | 54 | C202 | 9 | 4組 | -- | |||||||||||||
1996 | 55 | C238 | 10 | 4組 | -- | |||||||||||||
1997 | 56 | C227 | 11 | 4組 | -- | |||||||||||||
1998 | 57 | C241 | 12 | 4組 | -- | |||||||||||||
1999 | 58 | F宣 | 13 | 4組 | -- | |||||||||||||
2000 | 59 | F宣 | 14 | 5組 | -- | |||||||||||||
2001 | 60 | F宣 | 15 | 5組 | -- | |||||||||||||
2002 | 61 | F宣 | 16 | 6組 | -- | |||||||||||||
2003 | 62 | F宣 | 17 | 6組 | -- | |||||||||||||
2004 | 63 | F宣 | 18 | 6組 | -- | |||||||||||||
2005 | 64 | F宣 | 19 | 6組 | -- | |||||||||||||
2006 | 65 | F宣 | 20 | 6組 | -- | |||||||||||||
2007 | 66 | F宣 | 21 | 6組 | -- | |||||||||||||
2008 | 67 | F宣 | 22 | 6組 | -- | |||||||||||||
2009 | 68 | F宣 | 23 | 6組 | -- | |||||||||||||
2010 | 69 | F宣 | 24 | 6組 | -- | |||||||||||||
2011 | 70 | F宣 | 25 | 6組 | -- | |||||||||||||
2012 | 71 | F宣 | 26 | 6組 | -- | |||||||||||||
2013 | 72 | F宣 | 27 | 6組 | -- | |||||||||||||
順位戦、竜王戦の 枠表記 は挑戦者。右欄の数字は勝-敗(番勝負/PO含まず)。 順位戦の右数字はクラス内順位 ( x当期降級点 / *累積降級点 / +降級点消去 ) 順位戦の「F編」はフリークラス編入 /「F宣」は宣言によるフリークラス転出。 竜王戦の 太字 はランキング戦優勝、竜王戦の 組(添字) は棋士以外の枠での出場。 |
将棋大賞
[編集]- 第42回(2014年度) 東京将棋記者会賞[10]
その他表彰
[編集]- 1995年 現役勤続25年
脚注
[編集]注記
[編集]出典
[編集]- ^ a b “佐藤義則八段が引退|将棋ニュース|日本将棋連盟”. 日本将棋連盟 (2014年6月19日). 2017年8月26日閲覧。
- ^ a b c “佐藤義則八段が師匠と交わした最初の約束/NHKテキストビュー”. 株式会社NHK出版. 2015年6月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年3月22日閲覧。
- ^ 中原誠十六世名人も参加、将棋連盟囲碁部の活動に潜入 - 日本将棋連盟・2016年10月7日
- ^ 能智映『愉快痛快 棋士365日」(日本将棋連盟)P.147
- ^ 『近代将棋 1984年7月号「棋界ニュース・日本将棋連盟 新昇段者決まる」(1984年5月25日総会)』217頁。 - 国立国会図書館デジタルコレクション収蔵
- ^ 『近代将棋 1984年8月号「棋界パトロール・新昇段制度」』183頁。 - 国立国会図書館デジタルコレクション収蔵
- ^ “昇段・引退棋士のお知らせ|将棋ニュース|日本将棋連盟”. 日本将棋連盟 (2019年4月1日). 2019年4月2日閲覧。
- ^ 「名人戦・順位戦」『日本将棋連盟』。
- ^ 「竜王戦」『日本将棋連盟』。
- ^ “第42回将棋大賞が決まる!|将棋ニュース|日本将棋連盟”. 日本将棋連盟 (2015年4月2日). 2017年8月26日閲覧。