ソニーセミコンダクタマニュファクチャリング山形テクノロジーセンター
種類 | 株式会社 |
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市場情報 | 非上場 |
略称 | SCK 山形TEC |
本部所在地 |
〒997-8522 山形県鶴岡市宝田1丁目11番73号 |
設立 | 2014年3月31日 |
業種 | 電気機器 |
事業内容 | CMOSイメージセンサ |
代表者 |
山口 宜洋(代表取締役社長) 五十嵐 浩(山形TEC長) |
資本金 | 1億円 |
決算期 | 3月31日 |
主要株主 | ソニーセミコンダクタソリューションズ 100% |
主要子会社 | ソニーセミコンダクタエネルギーマネジメント 100% |
外部リンク | ソニーセミコンダクタソリューションズ 拠点一覧 |
ソニーセミコンダクタマニュファクチャリング株式会社 山形テクノロジーセンターは、山形県鶴岡市に所在するソニーセミコンダクタソリューションズグループのCMOSイメージセンサ製造拠点である。
NECの生産子会社(鶴岡東工場)として発足するが、変転を遂げ、ソニーセミコンダクタソリューションズ傘下の生産子会社ソニーセミコンダクタマニュファクチャリングにおける事業所のひとつとなった。NEC山形には2004年4月の段階で他に、山形工場、鶴岡工場、高畠工場があった。
概要
[編集]この節は広告・宣伝活動のような記述内容になっています。 (2023年11月) |
昭和30年代、トランジスタの生産は旺盛な需要の拡大に伴い急伸を遂げていた[1]。そうした中、1964年1月、日本電気(NEC)常務会は繊細な手作業が求められていたトランジスタ生産に関し、玉川半導体工場(神奈川県川崎市)で就労する多数の女性工員を輩出していた東北の山形県米沢市周辺を新規工場の建設地として承認した[2]。
承認にあたってはNECの協力企業であった米沢製作所の[注 1]西梅枝融社長が陰に陽に力を尽くした。同年3月には、NEC常務と同社木下総務部管理係長らが現地調査と交渉のため、米沢に近い高畠町役場を訪れた。しかし、この常務は「雪国に工場を作ってもうまくいく筈はない。もしやるにしても5年で引き揚げてくる程度の投資が限度。無理に(用地)を買わなくても良い。もっとよく調べてきてくれ。」と漏らし、木下係長を残しそそくさと帰社した[4]。
西梅枝米沢製作所社長の肝いりで、当時の新野廣吉高畠町長[注 2]ら町幹部と木下係長が山形県企業誘致対策室職員の立ち会う中、交渉を開始する。席上、町は、「会社の希望は何でも出してください。ここで約束したことは、必ず実行します。」と述べ、必死の覚悟を示し、それを受けた木下係長もなんとしてもNECの地方進出第1号を成功させたいと会社側の要求として、土地価格は整地仕上り坪1,000円以内、土地取引は実測による、樹木は残すことのほか、国鉄糠野目駅(現:JR東日本高畠駅)東口の開設と自動即時電話の米沢局扱いの[注 3]実現からなる19の要望項目を町側に提示した。翌日、新野町長は「議事録よりも町の誠意を知ってもらうため、誓約する覚書の形にしました。もちろん口頭で申し入れられたことは、すべて町は守ります。昨日、常務が今年中に操業したいとあいさつされたが、そのためにも今月中に土地の売買契約をして頂きます。」と告げた。こうした町の熱意を受け止めた木下係長は帰社後、高畠進出の決裁を得るため社内を東奔西走した[5]。
同年4月10日、NECと42名の地権者は売買契約の一括契約を締結する。加えて町は高畠工場の従業員を募るため、町報号外を発行。その呼びかけに女子中卒者100名が応募するなど、工場進出を不安視するNECの懸念を払拭すべく、新野町長を筆頭に町職員や議会さらには、町民もそれぞれにNECの進出に向け協力を惜しまなかった。そして、進出にあたり最大の難関と思われていた糠野目駅東口の設置や米沢電話局加入の特例措置も関係当局の理解に漕ぎつけ実現に至った。こうした町の一連の取り組みに当時の渡辺斌衡NEC社長は、社名に高畠を冠することで謝することとし、新会社名は、「株式会社日電高畠製作所」とすることに決定された。同社は同年6月、資本金2500万円で設立[2]。1965年1月、県内初の交代制勤務制度によって操業を始め[6]、ゲルマニウム・アロイトランジスタの生産を開始した[7]。
その後同社は堅調に業績を伸ばし、1969年には社名を山形日本電気(NEC山形)と改め、1970年には山形市北町にマイクロディスク・トランジスタとモールドトランジスタの増産を目的に山形工場を新設[7]。1976年には鶴岡市宝田の鶴岡中央工業団地内に半導体ウェーハ拡散の専門工場として鶴岡工場を設け[7][8]、同時に山形工場に本社を移転した[9]。
NEC山形は技術力の高さに定評があり、1986年には県内企業としては初のデミング実施賞と半導体業界初であったPM賞[注 4]を授与されたほか、1992年には半導体企業初のISO9002の認証を受けていた[8]。2002年山形工場は閉鎖され[注 5]、2003年には親会社であったNECエレクトロニクスによる600億円を投資を受け、鶴岡工場が最新鋭の量産設備に刷新された[10]。2004年5月31日、高畠工場は分社され台湾の半導体組み立て専業メーカーであるASEグループに売却された[11][12]。2008年には、山形日本電気からNECセミコンダクターズ山形に改称している。
2010年4月1日、NECエレクトロニクスとルネサス テクノロジとの経営統合に伴い[13][14]、社名をルネサス山形セミコンダクタに変更した。これによりNECグループから離脱した。2013年8月2日、ルネサスが生産体制を抜本的に見直すため、今後3年以内に鶴岡工場を閉鎖すると発表した[15][16][17]。しかしその後、同工場の技術力の高さに着目したソニーによって鶴岡工場が買収され[18][19][20]、2014年4月1日、「ソニーセミコンダクタ山形テクノロジーセンター」として操業を開始した[21][22][注 6]。2015年2月には、ソニーが画像センサーを増産する方針を決め、山形テクノロジーセンターに約100億円を投じると発表しているほか、同4月にはさらに約210億円を投じると発表している[25]。
2016年4月1日、ソニーセミコンダクタマニュファクチャリング山形テクノロジーセンターに社名を変更した[26]。
沿革
[編集]- 1964年6月 - 株式会社日電高畠製作所設立。
- 1965年1月 - 操業開始。
- 1969年 - 山形日本電気株式会社に商号変更。
- 1970年 - 山形工場操業開始。
- 1976年 - 鶴岡東工場操業開始。山形工場に本社移転。旧本社工場は高畠工場に呼称変更。
- 1984年 - 鶴岡東工場内にNEC山形サッカー部の前身となる山形日本電気サッカー同好会が創部。
- 1992年 - ISO9002認証取得。
- 1996年 - 鶴岡工場建屋完成(本社機能移転)。
- 1997年 - ISO14001認証取得。QS9000認証取得。
- 1998年 - ISO9001認証取得。
- 2002年 - 山形工場閉鎖、高畠オフィス開設。
- 2004年5月31日 - 高畠工場をASEグループに売却。
- 2008年 - NECセミコンダクターズ山形株式会社に商号変更。
- 2010年4月1日 - NECエレクトロニクスとルネサス テクノロジとの経営統合に伴い、ルネサス山形セミコンダクタ株式会社に社名変更。NECグループから離脱。
- 2014年4月1日 - ソニーの買収により、ソニーセミコンダクタ山形テクノロジーセンターとして発足。
- 2016年4月1日 - ソニーセミコンダクタマニュファクチャリング山形テクノロジーセンターに社名変更。
脚注
[編集]注
[編集]- ^ 東北金属工業(現:トーキン)の分工場である東北金属米沢製作所として開設。1951年米沢製作所として独立。1983年に米沢日本電気(NEC米沢)に改称[3]。
- ^ 初代町長。同町名誉町民。
- ^ 当時、県内における即時通話は、山形局、米沢局のみであった。
- ^ 優れた設備学理活動を認められた企業に授与される賞。
- ^ 山形工場は解体され敷地を売却。その後跡地は住宅街へと変貌を遂げた。
- ^ 鶴岡東工場はソニーによって買収されず、ルネサス セミコンダクタ マニュファクチュアリング鶴岡工場として事業が継続され2016年内の閉鎖が予定されていたが、2015年11月30日、ルネサスがTDKと譲渡契約の基本合意を明らかとし、翌16年4月28日、2017年3月末までに譲渡を完了するとの最終合意を発表した[23][24]。
出典
[編集]- ^ 『山形県地域開発史 続 上巻』p.278
- ^ a b 『日本電気株式会社百年史』p.363
- ^ 『米沢市史 現代編』米沢市、1996年
- ^ 『山形県地域開発史 続 上巻』p.279
- ^ 『山形県地域開発史 続 上巻』p.280
- ^ 『山形県地域開発史 続 上巻』p.281
- ^ a b c 『日本電気株式会社百年史』p.532
- ^ a b 『山形県大百科事典』p.720
- ^ 『山形県地域開発史 続 上巻』p.282
- ^ “山形に最新鋭の量産設備 NECエレ、600億円投資”. 共同通信. (2003年11月6日) 2015年10月18日閲覧。
- ^ “彦根工場閉鎖、高畠は売却 NECエレが半導体再編”. 共同通信. (2004年2月3日) 2015年10月18日閲覧。
- ^ “沿革”. ASEジャパン 2015年10月20日閲覧。
- ^ “NECエレとルネサス合併契約 世界3位の半導体メーカー誕生へ”. 共同通信. (2009年9月16日) 2015年10月20日閲覧。
- ^ “NECエレクトロニクス株式会社と株式会社ルネサス テクノロジの統合基本契約締結について”. NECエレクトロニクス株式会社 株式会社ルネサス テクノロジ 日本電気株式会社 株式会社日立製作所 三菱電機株式会社. (2009年9月16日) 2015年10月18日閲覧。
- ^ “ルネサスが鶴岡工場など閉鎖へ、中間期は400億円の最終赤字予想”. ロイターニュース. (2013年8月2日) 2013年11月4日閲覧。
- ^ “ルネサス・鶴岡工場閉鎖に「待った」地元で再燃した工場独立計画”. 週刊ダイヤモンド. (2013年8月26日) 2013年11月4日閲覧。
- ^ “ルネサス、鶴岡工場閉鎖は本当に妥当なのか”. 東洋経済オンライン. (2013年8月26日) 2013年11月4日閲覧。
- ^ “ルネサス鶴岡工場、ソニー買収後の先行き 収まるところに収まったが不透明要素も多い”. 東洋経済オンライン. (2014年1月30日) 2014年3月31日閲覧。
- ^ “ソニーがルネサス鶴岡工場を買収、総額350億円で積層CMOSセンサーの工場に転換”. 日経テクノロジーオンライン. (2014年1月29日) 2014年3月31日閲覧。
- ^ “山形テクノロジーセンターを新設し、CMOSイメージセンサーの生産能力を増強”. ソニー株式会社. (2014年1月29日) 2014年3月31日閲覧。
- ^ “ソニーセミコンダクタ(株) 山形テクノロジーセンターの新設のお知らせ”. ソニーセミコンダクタ株式会社. (2014年3月31日) 2014年3月31日閲覧。
- ^ “ソニー「山形センター」が開所、国内基幹工場に イメージセンサーで「世界市場」目指す”. 山形新聞. (2014年4月9日) 2014年4月9日閲覧。
- ^ “ルネサス、鶴岡工場をTDKに譲渡で合意 希望者の雇用は維持”. 山形新聞. (2016年4月29日) 2016年4月30日閲覧。
- ^ 『鶴岡工場の譲渡に関する最終契約書の締結について』(プレスリリース)ルネサス エレクトロニクス株式会社 ルネサス セミコンダクタマニュファクチュアリング株式会社、2016年4月28日 。2016年4月30日閲覧。
- ^ “ソニーが山形、長崎工場に450億円追加投資 成長分野のセンサー増産”. 山形新聞. (2015年4月8日) 2015年4月9日閲覧。
- ^ 『社名変更のお知らせ』(プレスリリース)ソニーセミコンダクタ株式会社、2016年3月2日 。2015年4月3日閲覧。
参考文献
[編集]- 山形県地域開発史作成事務局編 『山形県地域開発史 続 上巻』 山形県職員研修所、1998年。
- 山形放送株式会社新版山形県大百科事典発行本部事務局編 『山形県大百科事典』 山形放送、1993年。
- 日本電気社史編纂室編 『日本電気株式会社百年史』日本電気株式会社、2001年。
関連項目
[編集]- 日本電気硝子
- モンテディオ山形 - NECセミコンダクターズ山形時代のユニフォームスポンサー。また同チームは旧山形日本電気鶴岡工場サッカー部が発祥。