「岡田有希子」の版間の差分
m編集の要約なし |
Masakick08 (会話 | 投稿記録) 編集の要約なし |
||
1行目: | 1行目: | ||
{{Otheruses||[[ファッションモデル]]・[[タレント]]の佐藤かよ(岡田有希子の本名と同音異字)|佐藤かよ}} |
{{Otheruses||[[ファッションモデル]]・[[タレント]]の'''佐藤かよ'''(岡田有希子の本名と同音異字)|佐藤かよ}} |
||
{{女性アイドル |
{{女性アイドル |
||
| アイドル名 = 岡田 有希子 |
| アイドル名 = 岡田 有希子 |
||
45行目: | 45行目: | ||
== 経歴 == |
== 経歴 == |
||
[[1967年]](昭和42年)[[8月22日]]、[[愛知県]][[一宮市]]にて、2人姉妹の次女として生まれる。母親が辺縁性[[胎盤]]による[[帝王切開]]も検討されるほどの難産で、産まれたときは身長47センチ、体重2700グラムの[[未熟児]]だった<ref name="aikudasai78p">『岡田有希子 愛をください』78頁</ref>。命の危険があり、脳に重い[[後遺症]]が残る可能性もあったが、幸いにも胎児に異常はなかった<ref name="aikudasai78p"/>。2歳の時に[[名古屋市]][[熱田区]]に引越し、上京するまでを過ごす。幼少期は、[[言語障害|言語障碍]]ではないものの「[[さ行]]」が全く言えず、先生を「'''て'''ん'''て'''い」、三輪車を「'''た'''んりん'''ち'''ゃ」としか話せなかった<ref>『[[BOMB|BOMB!]]』1984年6月号、14-15頁</ref><ref name="dunk198601p204">『[[DUNK (雑誌)|DUNK]]』1986年1月号、204頁</ref>。親が叱ろうとすると、その前に押入れに逃げ込んでしまい、引っぱり出すのに苦労したという<ref name="aikudasai78p"/>。また、顔の割りに耳が大きく目立つことから「[[ダンボ]]耳」とからかわれたため、耳を隠す髪形 |
[[1967年]](昭和42年)[[8月22日]]、[[愛知県]][[一宮市]]にて、2人姉妹の次女として生まれる。母親が辺縁性[[胎盤]]による[[帝王切開]]も検討されるほどの難産で、産まれたときは身長47センチ、体重2700グラムの[[未熟児]]だった<ref name="aikudasai78p">『岡田有希子 愛をください』78頁</ref>。命の危険があり、脳に重い[[後遺症]]が残る可能性もあったが、幸いにも胎児に異常はなかった<ref name="aikudasai78p"/>。1969年、2歳の時に[[名古屋市]][[熱田区]]に引越し、上京するまでを過ごす<ref name="naze"/>。幼少期は、[[言語障害|言語障碍]]ではないものの「[[さ行]]」が全く言えず、先生を「'''て'''ん'''て'''い」、三輪車を「'''た'''んりん'''ち'''ゃ」としか話せなかった<ref>『[[BOMB|BOMB!]]』1984年6月号、14-15頁</ref><ref name="dunk198601p204">『[[DUNK (雑誌)|DUNK]]』1986年1月号、204頁</ref>。親が叱ろうとすると、その前に押入れに逃げ込んでしまい、引っぱり出すのに苦労したという<ref name="aikudasai78p"/>。また、顔の割りに耳が大きく目立つことから「[[ダンボ]]耳」とからかわれたため、耳を隠す髪形をしていた<ref>『瞳はヒミツ色』102-105頁</ref>。道具を使って[[工作]]や組み立てをすることが大好きで、「プレゼントに何が欲しい?」と聞かれ「[[大工]]道具セット」と答えている<ref>『岡田有希子 愛をください』74頁</ref>。幼稚園に入ると、姉が通っていた[[キリスト教青年会|YMCA]]の体育教室に通い始め、[[器械体操]]、[[キャンプ]]、[[スキー]]、[[スケート]]に専念するが<ref name="dunk198412p84">『[[DUNK]]』1984年12月号、84-85頁</ref>、お転婆になると同時に自身の運動神経のなさを自覚したという<ref name="bomb198406p16">『BOMB!』1984年6月号、16-17頁</ref>。 |
||
小学生になると描く(書く)職業に憧れ、小学3年生の作文では「[[画家]]、[[漫画家]]、[[小説家]]」を挙げている<ref name="bomb198406p16"/>。特に画家に強い憧れを持ち、YMCAをやめて小学4年生から[[水彩画]]を習い始める。このとき母親に「一年経って、先生から才能があると言われたら[[美術学校|芸大]]に進みたい」と話している<ref>『岡田有希子 愛をください』79頁</ref>。小学5年生のとき、[[朝日新聞社]]主催の[[写生]]大会で入選。小学6年生のとき、[[熱田神宮]]の写生大会で[[宮司]]賞(一等賞)を獲る。この頃から[[油彩|油絵]]と[[日本画]]も習い、本格的に[[素描|デッサン]]から学び始める<ref name="bomb198406p16"/>。中学2年生の夏休みの課題では、大[[ファン]]である[[河合奈保子]]の[[肖像画]]を油絵で描き、中学校内の展覧会で金賞を獲っている。その作品を河合に送ろうと、 |
小学生になると描く(書く)職業に憧れ、小学3年生の作文では「[[画家]]、[[漫画家]]、[[小説家]]」を挙げている<ref name="bomb198406p16"/>。特に画家に強い憧れを持ち、YMCAをやめて小学4年生から[[水彩画]]を習い始める。このとき母親に「一年経って、先生から才能があると言われたら[[美術学校|芸大]]に進みたい」と話している<ref>『岡田有希子 愛をください』79頁</ref>。小学5年生のとき、[[朝日新聞社]]主催の[[写生]]大会で入選。小学6年生のとき、[[熱田神宮]]の写生大会で[[宮司]]賞(一等賞)を獲る。この頃から[[油彩|油絵]]と[[日本画]]も習い、本格的に[[素描|デッサン]]から学び始める<ref name="bomb198406p16"/>。中学2年生の夏休みの課題では、大[[ファン]]である[[河合奈保子]]の[[肖像画]]を油絵で描き、中学校内の展覧会で金賞を獲っている。彼女はその作品を河合に送ろうと、本気で考えていた<ref name="idolcomics">『アイドルコミックス・実録まんが岡田有希子』[[学研ホールディングス|学研]]、1984年</ref><ref group="注釈">1985年10月21日放送の[[音楽番組]]『[[ザ・トップテン]]』([[日本テレビ放送網|日本テレビ]]系列)で[[河合奈保子]]と共演したとき、初めて本人の前で作品を披露した。</ref>。 |
||
その一方で、[[芸能]][[タレント]]にも憧れを持つようになる<ref group="注釈">[[トーク番組]]『[[三枝の爆笑美女対談]]』([[フジテレビ系]])1984年12月9日放送では「小学4年生」、[[新書]]『アイドルコミックス・実録まんが岡田有希子』(1984年、[[学研ホールディングス|学研]])では「小学5年生」、[[グラビア雑誌]]『[[BOMB|BOMB!]]』1984年6月号では「小学6年生」と語っている。</ref>。小学2年生から[[合唱]]部に入り、小学6年生の時「部員の一人」として地元のテレビやラジオ番組に出演する<ref name="bomb198406p16"/>。また、同じく小学6年生の時、[[文化祭|学芸会]]の[[音楽劇]] |
その一方で、[[芸能]][[タレント]]にも憧れを持つようになる<ref group="注釈">[[トーク番組]]『[[三枝の爆笑美女対談]]』([[フジテレビ系]])1984年12月9日放送では「小学4年生」、[[新書]]『アイドルコミックス・実録まんが岡田有希子』(1984年、[[学研ホールディングス|学研]])では「小学5年生」、[[グラビア雑誌]]『[[BOMB|BOMB!]]』1984年6月号では「小学6年生」と語っている。</ref>。小学2年生から[[合唱]]部に入り、小学6年生の時「部員の一人」として地元のテレビやラジオ番組に出演する<ref name="bomb198406p16"/>。また、同じく小学6年生の時、[[文化祭|学芸会]]の[[音楽劇]]『[[浦島太郎]]』で乙姫役を演じる<ref>『岡田有希子 愛をください』98頁</ref>。その役作りのために、当時人気があった[[テレビアニメ]]『[[ベルサイユのばら]]』の主人公の1人「[[マリー・アントワネット]]」の話し方や歩き方をつぶさに研究し、さらにマリー・アントワネットの本を買ってきて熱心に読んでいた<ref name="naze"/>。この演劇は、校長が走って見に来たほどだった<ref name="bomb198406p16"/>。これらがきっかけとなり、中学生になると『[[ホリプロタレントスカウトキャラバン]]』や[[テレビドラマ]]など、様々な[[オーディション]]に応募するようになる<ref name="naze"/>。連続テレビドラマ『[[中学生日記]]』([[NHK名古屋放送局|NHK名古屋局]])に[[エキストラ]]として出演するが<ref name="aikudasai107p">『岡田有希子 愛をください』107頁</ref>、ドラマの[[主任|チーフ]][[ディレクター]]が大切な役を任せようと思った矢先に辞めてしまう<ref>『中日新聞 夕刊』2014年4月9日、7頁</ref>。中学2年生の[[1981年]]8月、姉が購読していた[[雑誌]]『高一時代』([[旺文社]])に載っていたオーディション『[[ニコン]] フレッシュギャルコンテスト』に応募し、準グランプリに選ばれる。写真は[[月刊誌]]『[[写楽 (雑誌)|写楽]]』1982年3月号に掲載され、特大[[ポスター]]が各所(地元・名古屋では「[[サカエチカ]]」<ref name="naze"/>)に貼り出されただけでなく、副賞として[[グアム]]旅行も獲得する。中学3年生の[[1982年]]の夏休みには、[[大阪城]]で開催された『ニコン 中・高生のためのカメラ教室』の[[モデル (職業)|写真モデル]]になっている<ref name="aikudasai107p"/>。しかし、いずれも本格的な芸能界入りにはつながらなかった。 |
||
中学3年生の[[1982年]]6月、一年前に応募していたオーディション番組『[[スター誕生!]]』([[日本テレビ]])の予選会通知が、[[中京テレビ放送|中京テレビ]]から届く。彼女は「中学2年生で出場して、中学3年生でデビューする」という計画を立てていたが、1年遅れの通知だった<ref name="dunk198412p84"/>。「出場するなら[[調査書 (進学と就職)|内申書]]を書かない」と担任教諭に反対される中、学校を無断欠席して名古屋地区予選に出場。[[北原佐和子]]の『マイ・ボーイフレンド』を歌い、決戦大会への切符を掴む<ref name="bomb198406p18">『BOMB!』1984年6月号、18-19頁</ref>。しかし、担任教諭だけでなく祖父や家族にも猛反対された<ref name="aikudasai81p">『岡田有希子 愛をください』81頁</ref>ため、12月の決戦大会出場を断念<ref name="bomb198406p18"/>。[[ハンガー・ストライキ|ハンスト]]を起こし、食事をせず自分の部屋に閉じこもる<ref name="aikudasai81p"/>。その4日目、見るに見かねた |
中学3年生の[[1982年]]6月、一年前に応募していたオーディション番組『[[スター誕生!]]』([[日本テレビ]])の予選会通知が、[[中京テレビ放送|中京テレビ]]から届く。彼女は「中学2年生で出場して、中学3年生でデビューする」という計画を立てていたが、1年遅れの通知だった<ref name="dunk198412p84"/>。「出場するなら[[調査書 (進学と就職)|内申書]]を書かない」と担任教諭に反対される中、学校を無断欠席して名古屋地区予選に出場。[[北原佐和子]]の『マイ・ボーイフレンド』を歌い、決戦大会への切符を掴む<ref name="bomb198406p18">『BOMB!』1984年6月号、18-19頁</ref>。しかし、担任教諭だけでなく祖父や家族にも猛反対された<ref name="aikudasai81p">『岡田有希子 愛をください』81頁</ref>ため、12月の決戦大会出場を断念<ref name="bomb198406p18"/>。[[ハンガー・ストライキ|ハンスト]]を起こし、食事をせず自分の部屋に閉じこもる<ref name="aikudasai81p"/>。その4日目、見るに見かねた母親が、芸能界入りの条件として「学内テストで学年1位になること、中部統一[[模擬試験]]で学内5位以内に入ること、第一志望の[[名古屋市立向陽高等学校|向陽高校]]に合格すること」の3つを提示する<ref name="bomb198406p20">『BOMB!』1984年6月号、20-21頁</ref><ref>[[朝倉喬司]]『自殺の思想』2005年7月、[[太田出版]]、386頁。ISBN 978-4872339451</ref>。普段から[[通知表|通信簿]]で「5」並びの成績<ref name="dunk198503p82">「はっきり見せます これがわたしの[[通知表|通信簿]]」『DUNK』1985年3月号、82頁</ref>だったものの、それでもクリア不可能と思われる条件だった。しかし彼女は猛勉強の末、それらの条件を全てクリアする<ref name="bomb198406p20"/>。さらに、地区予選に立ち会っていた[[芸能事務所]]『[[サンミュージックプロダクション|サンミュージック]]』[[専務]]・福田時雄と番組[[プロデューサー]]・[[金谷勲夫]]が家族へ説得したこともあり<ref>[[CD]]/[[DVD]]-BOX『贈りものIII』[[小冊子|ブックレット]]</ref>、[[1983年]](昭和58年)3月の決戦大会への出場を許された<ref>『瞳はヒミツ色』64-65頁</ref>。[[3月30日]]、『スター誕生!』の第46回決戦大会で[[中森明菜]]の『[[スローモーション (中森明菜の曲)|スローモーション]]』を歌う。結果は、後日発表されることとなった{{refnest|group="注釈"|『[[スター誕生!]]』第46回決戦大会は、病気などの理由でいままで出演できなかった、地区予選合格者のための臨時大会として行われた。そのため、1983年1月から始まった7週勝ち抜き制ではなく、出場を断念した1982年12月当時に行われていた「合否判定」方式で結果が決められた<ref name="naze"/>。}}。 |
||
=== 芸能活動 === |
=== 芸能活動 === |
||
[[1983年]](昭和58年)4月、向陽高校に入学。それからしばらくして、『スター誕生!』決戦大会の「合格」通知が電話で伝えられる。彼女は電話口で絶句し、泣いてしまったという<ref name="bomb198406p20"/>。[[芸能事務所]]は『サンミュージック』と『[[研音]]』、[[レコード会社]]は『[[ポニーキャニオン|キャニオンレコード]]』と『[[バップ|VAP]]』の合計4社に指名され、[[桜田淳子]]が長く在籍している『サンミュージック』と、[[田原俊彦]]が在籍している『キャニオンレコード』との契約が決まった<ref name="naze"/>。すぐに東京へ転校することになるため、[[クラブ活動|部活動]]は他の生徒に影響が無い[[マネージャー]]として[[サッカー]]部に所属。しかし[[得点|スコア]]の付け方がわからず、部員のユニフォームを洗うなど雑用の毎日だった<ref name="idolcomics"/>。高校生活の傍ら、5月12日から地元・名古屋を舞台にした[[映画]]『[[アイコ十六歳]]』のオーディションを受けるが、7月11日、最終選考である第五次選考で落選する<ref name="aikudasai155p">『岡田有希子 愛をください』155頁。</ref>。ここでは[[富田靖子]](主演)や[[松下由樹]]、のちに[[堀越高等学校|堀越高校]]で同級生となる[[宮崎萬純]]らが選ばれている。一週間後の7月17日、[[姓名判断]]師の[[沖紘子]]によって、[[芸名]]『'''岡田晴子'''(晴は目へんに青)<ref name="aikudasai155p"/>』『'''岡田佳代子'''』『'''岡田有希子'''』が候補に挙がる。「“晴子”はサンミュージックの先輩・桑田“靖子”と名前が似ている」「“佳代子”は性格的に弱い名前で、厳しい芸能界では負ける」との理由で不採用となり、最終的に「'''希'''望を'''有'''する」ということで『'''岡田有希子'''』に決まった<ref>『岡田有希子 公設[[ファンクラブ]]会報「YUKIKO」創刊号』サンミュージック内ファンクラブ、1984年8月号、8頁</ref><ref>「アイドル一番星 岡田有希子」『月刊[[ラジオマガジン (雑誌)|ラジオマガジン]] 』1985年1月号、26-29頁</ref>。 |
[[1983年]](昭和58年)4月、向陽高校に入学。それからしばらくして、『スター誕生!』決戦大会の「合格」通知が電話で伝えられる。彼女は電話口で絶句し、泣いてしまったという<ref name="bomb198406p20"/>。[[芸能事務所]]は『サンミュージック』と『[[研音]]』、[[レコード会社]]は『[[ポニーキャニオン|キャニオンレコード]]』と『[[バップ|VAP]]』の合計4社に指名され、[[桜田淳子]]が長く在籍している『サンミュージック』と、[[田原俊彦]]が在籍している『キャニオンレコード』との契約が決まった<ref name="naze"/>。すぐに東京へ転校することになるため、[[クラブ活動|部活動]]は他の生徒に影響が無い[[マネージャー]]として[[サッカー]]部に所属。しかし[[得点|スコア]]の付け方がわからず、部員のユニフォームを洗うなど雑用の毎日だった<ref name="idolcomics"/>。高校生活の傍ら、5月12日から地元・名古屋を舞台にした[[映画]]『[[アイコ十六歳]]』のオーディションを受けるが、7月11日、最終選考である第五次選考で落選する<ref name="aikudasai155p">『岡田有希子 愛をください』155頁。</ref>。ここでは[[富田靖子]](主演)や[[松下由樹]]、のちに[[堀越高等学校|堀越高校]]で同級生となる[[宮崎萬純]]らが選ばれている。一週間後の7月17日、[[姓名判断]]師の[[沖紘子]]によって、[[芸名]]『'''岡田晴子'''(晴は目へんに青)<ref name="aikudasai155p"/>』『'''岡田佳代子'''』『'''岡田有希子'''』が候補に挙がる。「“晴子”はサンミュージックの先輩・桑田“靖子”と名前が似ている」「“佳代子”は性格的に弱い名前で、厳しい芸能界では負ける」との理由で不採用となり、最終的に「'''希'''望を'''有'''する」ということで『'''岡田有希子'''』に決まった<ref>『岡田有希子 公設[[ファンクラブ]]会報「YUKIKO」創刊号』サンミュージック内ファンクラブ、1984年8月号、8頁</ref><ref>「アイドル一番星 岡田有希子」『月刊[[ラジオマガジン (雑誌)|ラジオマガジン]] 』1985年1月号、26-29頁</ref>。 |
||
8月25日、上京<ref name="aikudasai155p"/>。サンミュージック社長・[[相澤秀禎]]宅([[東京都]][[世田谷区]][[成城]])に下宿、[[桑田靖子]]や[[滝里美]]と同居する。滝も『スター誕生!』の合格者であり、岡田と[[ルームシェア|ルームメイト]]となる<ref>『岡田有希子 愛をください』84頁</ref><ref name="zadankai">「特別座談会 岡田有希子さん[[中陰法要|四十九日]]忌」『 [[週刊明星]]』No.24.25 合併特大号、1986年6月5日・12日、27-31頁</ref>。芸能界での目標は「'''[[松田聖子]] |
8月25日、上京<ref name="aikudasai155p"/>。サンミュージック社長・[[相澤秀禎]]宅([[東京都]][[世田谷区]][[成城]])に下宿、[[桑田靖子]]や[[滝里美]]と同居する。滝も『スター誕生!』の合格者であり、岡田と[[ルームシェア|ルームメイト]]となる<ref>『岡田有希子 愛をください』84頁</ref><ref name="zadankai">「特別座談会 岡田有希子さん[[中陰法要|四十九日]]忌」『 [[週刊明星]]』No.24.25 合併特大号、1986年6月5日・12日、27-31頁</ref>。芸能界での目標は「'''[[松田聖子]]や[[山口百恵]]のような、日本を代表するトップスターになること'''」だった<ref>『岡田有希子 愛をください』156頁</ref>。9月1日、名古屋の向陽高校から東京の[[堀越高等学校|堀越高校]]へ編入。向陽高校は一学期だけの在籍だった。堀越高校の同級生には、前出の桑田靖子や宮崎萬純のほか、[[石野陽子]]、[[本田美奈子.|本田美奈子]]、[[倉沢淳美]]、[[田中久美]]、[[長山洋子]]、[[南野陽子]]、[[永瀬正敏]]などがいた<ref name="emma19860510">『[[Emma]]』1986年5月10日号 、19頁</ref><ref group="注釈">同級生 [[桑田靖子]]、[[石野陽子]]、[[岡村有希子]]、[[河上幸恵]]、[[菊地陽子]]、[[本田美奈子.|本田美奈子]]、[[倉沢淳美]]、[[柴田くに子]]、[[高部知子]]、[[森奈みはる]]、[[田中久美]]、[[長沢ゆりか]]、[[長山洋子]]、[[松尾久美子]]、[[松本友里]]、[[南野陽子]]、[[宮崎萬純]]、[[片岡孝太郎]]、[[永瀬正敏]](再入学)</ref>。10月16日から、[[ラジオ番組]]『とびだせ!ポップシティ』([[ニッポン放送]])、同『[[滝里美|サトミ]]・ヒトミ・ユキコの何かいいことないか仔猫ちゃん』([[MBSラジオ|毎日放送]])の[[ラジオパーソナリティ|パーソナリティ]]となり、[[タレント]]活動をスタートする。11月18日、[[東京大学]]の学園祭「[[東京大学#駒場祭|東大駒場祭]]」に『アイドルニューフェイス』として出演し、[[チャリティー]][[オークション]]のアシスタントを行う<ref name="bomb198504p26">『BOMB!』1985年4月号、26-29頁</ref><ref group="注釈">雑誌『[[ポパイ]]』No.161(1983年10月25日号)の紙面で「期待の新人」として紹介され、それを見た[[東京大学]]の学生が、[[サンミュージックグループ|サンミュージック]]に出演依頼をしたことによる。</ref>。12月18日、[[バラエティ番組]]『[[ヤンヤン歌うスタジオ]]』([[テレビ東京]])に「[[報道局|報道部]]のお茶汲みおばさん」役として、テレビ番組に初登場する<ref name="bomb198406p32">『BOMB!』1985年4月号、32頁</ref>。 |
||
岡田のタレント活動と並行して、「'''アイドル歌手'''」デビューの準備が進められた。キャニオンレコードの[[ディレクター]]・[[渡辺有三]]は、岡田のデビュー曲の制作を[[竹内まりや]]に依頼。しかし、断られてしまう。竹内が自身のアルバム制作に入っていたことと、ここ数年、他の歌手への楽曲提供をしていなかったためである。そこで岡田が竹内に直談判したところ、竹内はその意気込みを気に入り制作を快諾<ref name="bomb198406p24">『BOMB!』1984年6月号、24頁。</ref>。デビュー曲候補である『[[ファースト・デイト (岡田有希子の曲)|ファースト・デイト]]』『[[リトル プリンセス]]』『[[-Dreaming Girl- 恋、はじめまして]]』の「学園恋愛三部作」、『気まぐれTeenage Love』『さよなら・夏休み』『憧れ』の、テーマが「[[ティーンエイジャー|ティーンエイジ]]・ラブ」である6曲を[[作詞]]・[[作曲]]する<ref name="natalie_2013">{{Cite web | author=鳴田麻未 | year=2013 | url=http://natalie.mu/music/pp/takeuchimariya02/page/2 | title= |
岡田のタレント活動と並行して、「'''アイドル歌手'''」デビューの準備が進められた。キャニオンレコードの[[ディレクター]]・[[渡辺有三]]は、岡田のデビュー曲の制作を[[竹内まりや]]に依頼。しかし、断られてしまう。竹内が自身のアルバム制作に入っていたことと、ここ数年、他の歌手への楽曲提供をしていなかったためである。そこで岡田が竹内に直談判したところ、竹内はその意気込みを気に入り制作を快諾<ref name="bomb198406p24">『BOMB!』1984年6月号、24頁。</ref>。デビュー曲候補である『[[ファースト・デイト (岡田有希子の曲)|ファースト・デイト]]』『[[リトル プリンセス]]』『[[-Dreaming Girl- 恋、はじめまして]]』の「学園恋愛三部作」、『気まぐれTeenage Love』『さよなら・夏休み』『憧れ』の、テーマが「[[ティーンエイジャー|ティーンエイジ]]・ラブ」である6曲を[[作詞]]・[[作曲]]する<ref name="natalie_2013">{{Cite web | author=鳴田麻未 | year=2013 | url=http://natalie.mu/music/pp/takeuchimariya02/page/2 | title=Power Push 竹内まりや×クリス松村「Mariya's Songbook」対談 (2/5) | work=[[ナタリー (ニュースサイト)|ナタリー]] | publisher=ナターシャ | accessdate=2014-05-29}}</ref>。[[1983年]][[12月10日]]、竹内が立ち合う中で初めての[[録音|レコーディング]]が行なわれた<ref name="aikudasai162p">『岡田有希子 愛をください』162頁</ref>。その当時のお互いの印象を、竹内は「お人形さんのようにかわいい子」、岡田は「主婦らしさのない女学生のような、素敵な女性」と語っている<ref name="bomb198406p24"/>。デビュー以降も竹内の楽曲提供は続くこととなり、その数は作詞のみも含めて11曲に及ぶ。それは、岡田が提供を受けた数、および竹内が提供した数、ともに自己最多である。デビュー曲は、[[1984年]]1月11日に[[ミキシング|トラックダウン]]された<ref name="aikudasai169p">『岡田有希子 愛をください』169頁</ref>。 |
||
[[1984年]](昭和59年)1月10日、若年男性向け[[情報誌]]『[[スコラ]]』(スコラ)から、初めての取材を受ける<ref name="aikudasai169p"/>。3月11日、[[東京都区部|東京]]の[[聖徳記念絵画館|明治神宮絵画館]]前でラジオ番組のイベント『とびだせ!ポップシティ お菓子フェア』が開催され、アイドルとして初めて[[舞台|ステージ]]に立つ。岡田は観客の声援に驚き、とても感動したという<ref>『岡田有希子 愛をください』179頁</ref>。3月20日から4月8日まで、交流会『集まれYukikoフレンズ』が[[名古屋市|名古屋]](プリンセスガーデンホテル)を皮切りに全国7都市<ref group="注釈">交流会開催地 [[名古屋市|名古屋]]、[[大阪市|大阪]]、[[仙台市|仙台]]、[[札幌市|札幌]]、[[福岡市|福岡]]、[[広島市|広島]]、[[東京都区部|東京]]</ref>で開催される。これはティーパーティ形式で、[[ファン]]との交流と[[舞台|ステージ]][[興行|ショー]]を行なうものだった。3月25日放送の[[音楽番組]]『[[ザ・ヒットステージ]]』([[TBSテレビ|TBS]])最終回、4月14日放送の[[バラエティ番組]]『[[ヤンヤン歌うスタジオ]]』([[テレビ東京]])と音楽バラエティ番組『[[アイドルパンチ]]』([[テレビ朝日]])で、「歌手」としてテレビ出演する<ref name="bomb198406p32"/>。 |
[[1984年]](昭和59年)1月10日、若年男性向け[[情報誌]]『[[スコラ]]』(スコラ)から、アイドルとして初めての[[報道|取材]]を受ける<ref name="aikudasai169p"/>。3月11日、[[東京都区部|東京]]の[[聖徳記念絵画館|明治神宮絵画館]]前でラジオ番組のイベント『とびだせ!ポップシティ お菓子フェア』が開催され、アイドルとして初めて[[舞台|ステージ]]に立つ。岡田は観客の声援に驚き、とても感動したという<ref>『岡田有希子 愛をください』179頁</ref>。3月20日から4月8日まで、交流会『集まれYukikoフレンズ』が[[名古屋市|名古屋]](プリンセスガーデンホテル)を皮切りに全国7都市<ref group="注釈">交流会開催地 [[名古屋市|名古屋]]、[[大阪市|大阪]]、[[仙台市|仙台]]、[[札幌市|札幌]]、[[福岡市|福岡]]、[[広島市|広島]]、[[東京都区部|東京]]</ref>で開催される。これはティーパーティ形式で、[[ファン]]との交流と[[舞台|ステージ]][[興行|ショー]]を行なうものだった。3月25日放送の[[音楽番組]]『[[ザ・ヒットステージ]]』([[TBSテレビ|TBS]])最終回、4月14日放送の[[バラエティ番組]]『[[ヤンヤン歌うスタジオ]]』([[テレビ東京]])と音楽バラエティ番組『[[アイドルパンチ]]』([[テレビ朝日]])で、「歌手」としてテレビ出演する<ref name="bomb198406p32"/>。 |
||
[[4月21日]]、[[シングル]]『[[ファースト・デイト (岡田有希子の曲)|ファースト・デイト]]』で歌手デビューする。[[キャッチコピー|キャッチフレーズ]]は「'''いつまでも、一緒にいてね。'''」「'''ステキの国からやって来たリトル・プリンセス'''」 |
[[4月21日]]、[[シングル]]『[[ファースト・デイト (岡田有希子の曲)|ファースト・デイト]]』で歌手デビューする。[[キャッチコピー|キャッチフレーズ]]は「'''いつまでも、一緒にいてね。'''」「'''ステキの国からやって来たリトル・プリンセス'''」。[[グラビア雑誌]]『[[BOMB|BOMB!]]』([[学研ホールディングス|学習研究社]])は、名古屋の[[キャンペーン]]活動に10時から23時まで、13時間密着取材する。岡田は[[日産ギャラリー]]のキャンペーン、[[中日スポーツ]]記者からの取材、[[CBCラジオ]]・[[東海ラジオ]]・[[エフエム愛知|FM愛知]]の番組ゲスト出演をこなしている<ref>『BOMB!』1984年6月号、26-27頁</ref>。歌手デビューしてからは、サンミュージックの先輩・[[松田聖子]]と比較され、「岡田有希子は第二の松田聖子」「ポスト聖子の第1候補」と言われるようになる。それに対し「やっぱり自分は自分だから、ホントはあまり言われたくない。松田聖子の真似にはなりたくない」と語っている<ref name="bestofyukiko">『ベスト・オブ 岡田有希子』[[よい子の歌謡曲]]1987年4月増刊号(1984年6月1日に行われたインタビュー)</ref>。また、インタビューで「目標とする歌手は誰か」と問われ、「岡田有希子」と答えている<ref name="bomb198504p26"/>。 |
||
5月31日、[[音楽番組]]『[[ザ・ベストテン]]』のスポットライト・コーナーに[[菊池桃子]]とともに初出演。この時の[[邦楽]][[ランキング]]は21位だった(菊池は22位)。岡田が登場していきなり、司会の[[久米宏]]はデビュー曲「ファースト・'''デイト'''」を「ファースト・'''レディ'''」と間違えて紹介し、[[黒柳徹子]]も芸名「おかだ'''ゆきこ'''」を「おかだ'''うきこ'''」と呼び間違えている<ref name="bestofyukiko"/>。7月29日、サンミュージック公設[[ファンクラブ]]結成。[[京王線]][[新宿駅]]で一日[[駅長]]を務めた後、8両編成の特別列車「リトルプリンセス号<ref group="注釈">[[方向幕#ヘッドマーク|ヘッドマーク]]は[[京王資料館]]に展示されている。通常は一般非公開。</ref>」で、ファン2,500人と会場の[[よみうりランド]]に移動<ref>『DUNK』1984年10月号、36頁</ref>。会場では4,000人のファンと結成式を行った<ref name="bomb198504p26"/>。9月24日に[[大阪市|大阪]]([[オリックス劇場|大阪厚生年金会館]])、9月30日に[[東京都区部|東京]]([[日本青年館]])で、岡田自身初の[[演奏会|コンサート]]『[[-Dreaming Girl- 恋、はじめまして|恋はじめまして]]』が開催される。10月8日から翌1985年10月7日まで、ラジオ番組『ちょっとおあずけ』([[ニッポン放送]])が放送される。この番組は、多くの投稿を紹介したい岡田の希望により、コーナーは設けられていない。また、アイドルが[[ラジオパーソナリティ|パーソナリティ]]を務める番組には珍しく、楽曲選定も岡田自身が全て行なっている<ref name="dunk198503p113">『DUNK』1985年3月号、113頁</ref>。10月15日に音楽番組『[[ザ・トップテン]]』([[日本テレビネットワーク協議会|日本テレビ系列局]])で8位、10月18日に音楽番組『ザ・ベストテン』で10位となる。これらの番組に10位以内で出演する事は、岡田が歌手になっての一番の目標だった<ref name="bomb198504p26"/>。 |
|||
⚫ | この年は、新人賞を[[吉川晃司]]、菊池桃子、[[荻野目洋子]]、[[SALLY]]、田中久美、長山洋子、[[神野美伽]]、[[一世風靡セピア]]らと争い、『[[日本レコード大賞]]』最優秀新人賞をはじめ音楽祭の賞を総なめにした{{refnest|group="注釈"|新人賞受賞者 [[吉川晃司]]、[[菊池桃子]]、[[荻野目洋子]]、[[SALLY]]、[[田中久美]]、[[長山洋子]]、[[神野美伽]]、[[一世風靡セピア]]、[[渡辺桂子]]、[[辻沢杏子]]、[[山本ゆかり]]、小椋幸子、[[清水宏次朗]]、[[青木美保]]、君津旭、[[岸浩太郎]]、出本浩、[[山本陽一]]、椎菜、[[若山かずさ]]、[[芦屋雁之助]]、[[三門忠司]]、[[斎藤誠]]、[[滝里美]]、[[麗美]]、播束和彦、[[松本友里]]、[[鮎川麻弥]]、[[中村あゆみ]]、池田幸司<ref name="bomb198502"/>}}{{refnest|group="注釈"|[[SALLY]]と[[一世風靡セピア]]は『[[日本レコード大賞]]』『[[日本有線大賞]]』 |
||
⚫ | この年は、新人賞を[[吉川晃司]]、菊池桃子、[[荻野目洋子]]、[[SALLY]]、田中久美、長山洋子、[[神野美伽]]、[[一世風靡セピア]]らと争い、『[[日本レコード大賞]]』最優秀新人賞をはじめ音楽祭の賞を総なめにした{{refnest|group="注釈"|新人賞受賞者 [[吉川晃司]]、[[菊池桃子]]、[[荻野目洋子]]、[[SALLY]]、[[田中久美]]、[[長山洋子]]、[[神野美伽]]、[[一世風靡セピア]]、[[渡辺桂子]]、[[辻沢杏子]]、[[山本ゆかり]]、小椋幸子、[[清水宏次朗]]、[[青木美保]]、君津旭、[[岸浩太郎]]、出本浩、[[山本陽一]]、椎菜、[[若山かずさ]]、[[芦屋雁之助]]、[[三門忠司]]、[[斎藤誠]]、[[滝里美]]、[[麗美]]、播束和彦、[[松本友里]]、[[鮎川麻弥]]、[[中村あゆみ]]、池田幸司<ref name="bomb198502"/>}}{{refnest|group="注釈"|[[SALLY]]と[[一世風靡セピア]]は『[[日本レコード大賞]]』『[[日本有線大賞]]』を除く、[[菊池桃子]]は『日本レコード大賞』を除く、全ての新人賞を辞退している<ref name="bomb198502"/>。}}。『[[日本歌謡大賞]]』ほか、5つの音楽祭の最優秀新人賞は、吉川と同時受賞する<ref name="bomb198502">『BOMB!』1985年2月号、172-173頁</ref>。[[休日|オフ]]は1日で、名古屋での仕事が終わったら実家に直行したという<ref>『DUNK』1985年2月号、68-69頁</ref>。 |
||
⚫ | |||
[[1985年]](昭和60年)2月9日・14日・15日、グラビア雑誌『BOMB|BOMB!』と同『[[DUNK (雑誌)|DUNK]]』([[集英社]])が、岡田の1日の芸能活動を密着取材した。2月9日は[[仙台]]で8時から21時まで13時間<ref>『BOMB!』1985年4月号、30-31頁</ref>、14日は東京で10時から22時まで12時間<ref>『DUNK』1985年4月号、176-177頁</ref>、2月15日は9時から23時まで14時間<ref>『DUNK』1985年4月号、178-179頁</ref>、途中に病院で[[風邪]]と[[過労]]と診断され[[点滴]]を打ちながら、イベント出演、テレビやラジオ番組の収録、ドラマ撮影、取材などのタレント活動をこなす。『DUNK』の記者は「その忙しさを毎日こなしてるなんて、偉大さしみじみ実感。ワシらの体力もうあかん。ああ情けねえ」と感想を述べている<ref>『DUNK』1985年4月号、175-179頁</ref>。 |
|||
⚫ | [[1986年]](昭和61年)1月29日、シングル『[[くちびるNetwork]]』が発売され、[[オリコンチャート]]で初登場1位となった。この曲は、当時[[妊娠]]により休業中だった[[松田聖子]]初の提供作品(作詞)であり、作曲は[[坂本龍一]]という、異色のコンビにより誕生した。松田が岡田のために、自身の歌声を吹き込んだ[[デモテープ]]を制作しただけでなく、坂本とともに[[録音スタジオ]]を訪れたことに、岡田はとても感激したという<ref>『DUNK』1986年2月号、204-207頁</ref>。岡田と同じ1984年デビューの[[沢口靖子]]をイメージキャラクターとした『[[カネボウ化粧品|カネボウ]]・春の[[キャンペーン]]』ソングとして使用された。2月11日から3月2日まで、握手会イベント『くちびる・ときめきネットワーク』が全5都市<ref group="注釈">握手会イベント『くちびる・ときめきネットワーク』開催地 [[東京都区部|東京]]、[[大阪市|大阪]]、[[札幌市|札幌]]、[[名古屋市|名古屋]]、[[福岡市|福岡]]</ref>で開催される。初日の東京([[後楽園ホール]])では、二部構成で合計4,000人のファンを動員している<ref>『DUNK』1986年4月号、47-49 |
||
⚫ | 3月25日から5月26日まで、全国コンサート『ハートにキッス』が[[札幌市|札幌]]([[札幌市民ホール|札幌市民会館]])を皮切りに全13都市<ref group="注釈">コンサート『ハートにキッス』開催地 [[札幌市|札幌]]、[[苫小牧市|苫小牧]]、[[仙台市|仙台]]、[[秋田市|秋田]]、[[芝 (東京都港区)|芝]]、[[名古屋市|名古屋]]、[[大阪市|大阪]]、[[福岡市|福岡]]、[[大宮市|大宮]]、[[京都市|京都]]、[[郡山市|郡山]]、[[沼津市|沼津]]、[[磐田市|磐田]]</ref>で開催される。岡田自身の曲だけでなく、[[小泉今日子]]や[[中森明菜]]、[[河合奈保子]]らの[[ヒット曲|ヒット]][[メドレー]]、[[マドンナ (歌手)|マドンナ]]の『[[ライク・ア・ヴァージン]]』を激しい踊りつきで歌う<ref>『DUNK』1985年6月号、103頁</ref>。4月3日の[[名古屋市|名古屋]]([[愛知厚生年金会館]])では、岡田の母親と小学生の恩師が鑑賞している<ref name="naze"/>。6月5日から一週間、堀越高校の[[修学旅行]]で[[北海道]]に滞在<ref>『DUNK』1985年8月号、48-49頁</ref>する予定だったが、3日目の6月8日、[[ヨーロッパ]]へ出発。[[スイス]]の[[チューリッヒ]]から[[アルプス山脈]]の[[ユングフラウヨッホ]]を経由して[[ジュネーヴ|ジュネーブ]]までを鉄道で廻り、[[カペル橋]]([[ルツェルン]])、インターラーケン城([[インターラーケン]])、[[シヨン城]]([[モントルー]])、[[ノートルダム大聖堂]]([[ローザンヌ]])などで、[[ミュージック・ビデオ|プロモーションビデオ]]や[[写真集]]、[[コマーシャルメッセージ|CM]]などの撮影を行なった。ユングフラウヨッホは6月で気温[[氷点下]]10度のため、1分ほど撮影して体を温めることの繰り返しだった<ref>『DUNK』1985年10月号、191-195頁</ref>。6月23日に帰国。7月25日から10月26日まで、全国コンサート『ファンタジアン』が[[新宮市|新宮]](新宮市民会館)を皮切りに全23都市([[芝 (東京都港区)|芝]]([[メルパルク東京|東京郵便貯金会館]])ほか追加の7都市を含む)<ref group="注釈">コンサート『ファンタジアン』開催地 [[新宮市|新宮]]、[[田辺市|紀伊田辺]]、[[名古屋市|名古屋]]、[[鹿児島市|鹿児島]]、[[熊本市|熊本]]、[[都城市|都城]]、[[福岡市|福岡]]、[[金沢市|金沢]]、[[大阪市|大阪]]、[[秋田市|秋田]]、[[遠野市|遠野]]、[[水戸市|水戸]]、[[新宿]]、[[徳島市|徳島]]、[[松山市|松山]]、[[広島市|広島]]。 (追加公演)[[芝 (東京都港区)|芝]]、[[伊勢崎市|伊勢崎]]、[[甲府市|甲府]]、[[小倉市|小倉]]、[[防府市|防府]]、[[千葉市|千葉]]、[[東村山市|東村山]]</ref>で開催される。 |
||
11月5日から翌[[1986年]](昭和61年)1月28日まで放送の連続テレビドラマ『[[禁じられたマリコ]]』([[TBSテレビ|TBS]]系)では、岡田は連続[[テレビドラマ]]で初主演をする。その撮影はコンサート期間中の1985年9月19日から、12月いっぱいまで毎日のように行なわれた。スケジュールの関係で8時間休憩がなかったり<ref name="bomb198512p9">『BOMB!』1985年12月号、9-11頁。</ref>、時には撮影が深夜に及ぶこともあった<ref>『BOMB!』1986年1月号、120-121頁</ref>。それでも岡田は、[[NG (放送用語)|NG]]をほとんど出していなかった<ref name="bomb198512p9"/>。 |
|||
⚫ | [[1986年]](昭和61年)1月29日、シングル『[[くちびるNetwork]]』が発売され、[[オリコンチャート]]で初登場1位となった。この曲は、当時[[妊娠]]により休業中だった[[松田聖子]]初の提供作品(作詞)であり、作曲は[[坂本龍一]]という、異色のコンビにより誕生した。松田が岡田のために、自身の歌声を吹き込んだ[[デモテープ]]を制作しただけでなく、坂本とともに[[録音スタジオ]]を訪れたことに、岡田はとても感激したという<ref>『DUNK』1986年2月号、204-207頁</ref>。岡田と同じ1984年デビューの[[沢口靖子]]をイメージキャラクターとした『[[カネボウ化粧品|カネボウ]]・春の[[キャンペーン]]』ソングとして使用された。2月11日から3月2日まで、握手会イベント『くちびる・ときめきネットワーク』が全5都市<ref group="注釈">握手会イベント『くちびる・ときめきネットワーク』開催地 [[東京都区部|東京]]、[[大阪市|大阪]]、[[札幌市|札幌]]、[[名古屋市|名古屋]]、[[福岡市|福岡]]</ref>で開催される。初日の東京([[後楽園ホール]])では、二部構成で合計4,000人のファンを動員している<ref>『DUNK』1986年4月号、47-49頁</ref>。 |
||
3月3日、堀越高校を卒業。4月4日、世田谷区成城の相澤社長宅を出て、[[港区 (東京都)|港区]][[南青山]]の[[マンション]]で一人暮らしを始める。ここは、[[オートロック]]方式のマンションが見付かるまでの仮住まいだった<ref name="naze"/>。4月5日、全国コンサート『Heart Jack』全5都市([[東京都区部|東京]]、[[名古屋市|名古屋]]、[[豊橋市|豊橋]]、[[鶴岡市|鶴岡]]、[[大阪市|大阪]])がスタートする。4月10日からは、[[テレビ朝日]]のドラマ収録なども控えていた<ref>『[[朝日新聞]]』1986年4月10日、13頁</ref>。 |
|||
=== 急死 === |
=== 急死 === |
||
全国コンサートがスタートして3日後の[[4月8日]]、自宅マンションで[[リストカット]]を行いガス自殺未遂。2階上のマンション住民がガス臭に気づき、管理人が[[110番]]と[[東京ガス]]に通報した。[[特別救助隊|レスキュー隊]]が駆けつけたとき、岡田は押入れの下段でうずくまり、泣いていたという<ref name="naze"/>。現場から程近い[[北青山病院]]にて治療した後、芸能事務所に戻った直後の12時15分、事務所が入居しているビル(東京都[[新宿区]][[四谷]])の屋上から[[飛び降り自殺]]。全身強打で即死した。享年20(満18歳没)<ref name="hanzai"/>。遺書とみられる、鉛筆書きの便箋が残されていた<ref>『[[中日新聞]]』1986年4月9日、18頁。</ref>{{refnest|group="注釈"|「[[峰岸徹|峰岸]]さんにふられた」「もう一度お会いしたかった…勝手なことをしてごめんなさい」といったことが書かれた遺書があり、サンミュージックの金庫に保管されているという<ref name="hanzai"/>。}}。 |
全国コンサートがスタートして3日後の[[4月8日]]、自宅マンションで[[リストカット]]を行いガス自殺未遂。2階上のマンション住民がガス臭に気づき、管理人が[[110番]]と[[東京ガス]]に通報した。[[特別救助隊|レスキュー隊]]が駆けつけたとき、岡田は押入れの下段でうずくまり、泣いていたという<ref name="naze"/>。現場から程近い[[北青山病院]]にて治療した後、芸能事務所に戻った直後の12時15分、事務所が入居しているビル(東京都[[新宿区]][[四谷]])の屋上から[[飛び降り自殺]]。全身強打で即死した。享年20(満18歳没)<ref name="hanzai"/>。[[遺書]]とみられる、鉛筆書きの[[便箋]]が残されていた<ref>『[[中日新聞]]』1986年4月9日、18頁。</ref>{{refnest|group="注釈"|「[[峰岸徹|峰岸]]さんにふられた」「もう一度お会いしたかった…勝手なことをしてごめんなさい」といったことが書かれた遺書があり、サンミュージックの金庫に保管されているという<ref name="hanzai"/>。}}。 |
||
同日夜、真成院(四谷霊廟、同新宿区)で親族のみによる仮[[通夜]]。4月9日、[[太宗寺]](同新宿区)で通夜。4月10日、[[宝仙寺]](同[[中野区]])でサンミュージック社葬として[[葬儀]]・[[告別式]]が営まれた。最優秀新人賞を争った[[吉川晃司]]、番組で多数共演した[[バンド (音楽)|ロックバンド]]・[[SALLY]]の[[杉山洋介]]と岡田尚、岡田が大ファンだった[[舘ひろし]]をはじめ、多くの業界関係者や全国からのファンが参列し |
同日夜、真成院(四谷霊廟、同新宿区)で親族のみによる仮[[通夜]]。4月9日、[[太宗寺]](同新宿区)で通夜。4月10日、[[宝仙寺]](同[[中野区]])でサンミュージック社葬として[[葬儀]]・[[告別式]]が営まれた。最優秀新人賞を争った[[吉川晃司]]、番組で多数共演した[[バンド (音楽)|ロックバンド]]・[[SALLY]]の[[杉山洋介]]と岡田尚、岡田が大ファンだった[[舘ひろし]]をはじめ、多くの業界関係者や全国からのファンが参列している<ref>『[[週刊平凡]]』1986年5月2日号</ref><ref>{{Cite web |url=http://blog.livedoor.jp/katokeach/archives/50592649.html |title=4月8日、ワキタスタジオにて |publisher=A! Blog of [[SALLY]] ([[加藤キーチ]]) |date=2007-02-09 |accessdate=2014-12-27}}</ref>。そして、[[代々幡斎場]](同渋谷区)で[[火葬|荼毘]]に付された<ref>『朝日新聞』1986年4月10日、23頁。</ref>。地元の名古屋でも、4月11日に[[真宗大谷派名古屋別院|東本願寺名古屋別院]](名古屋市[[中区_(名古屋市)|中区]])、[[4月15日]]に観聴寺(同[[熱田区]])で告別式が行われた<ref>「雨空に“さよならユッコ”」『[[中日新聞]]』2014年4月15日、9頁。</ref>。 |
||
[[墓地|墓所]]は'''成満寺'''(じょうまんじ、[[愛知県]][[愛西市]])、[[法名 (浄土真宗)|法名]]は'''侑樂院釋尼佳朋'''(ゆうぎょういんしゃくにかほう)。[[祥月命日]]である4月8日は'''佳桜忌'''(かおうき)と呼ばれている。<ref>『岡田有希子 愛をください』212頁</ref> |
[[墓地|墓所]]は'''成満寺'''(じょうまんじ、[[愛知県]][[愛西市]])、[[法名 (浄土真宗)|法名]]は'''侑樂院釋尼佳朋'''(ゆうぎょういんしゃくにかほう)。[[祥月命日]]である4月8日は'''佳桜忌'''(かおうき)と呼ばれている。<ref>『岡田有希子 愛をください』212頁</ref> |
||
[[1987年]](昭和62年)7月、「サンミュージック代表、[[相澤秀禎]]」名義で[[慰霊碑]]が寄贈され、墓の隣に建立された。そこには岡田有希子の直筆で書かれた詩(題名:プライベートタイム<ref>『岡田有希子 愛をください』103頁。</ref>)、芸歴・受賞歴、相澤の哀悼の意が刻まれている |
[[1987年]](昭和62年)7月、「サンミュージック代表、[[相澤秀禎]]」名義で[[慰霊碑]]が寄贈され、墓の隣に建立された。そこには岡田有希子の直筆で書かれた詩(題名:プライベートタイム<ref>『岡田有希子 愛をください』103頁。</ref>)、芸歴・受賞歴、相澤の哀悼の意が刻まれている。ファンからの[[埋葬式#献花に際して|献花]]が絶えることはなく、毎年の祥月命日には成満寺だけでなく、岡田が倒れた東京・四谷の現場にも全国から[[ファン]]が集まり、献花と[[黙祷]]が行われている<ref>{{citeweb|url=http://ichigaya.keizai.biz/photoflash/18/ |title=岡田有希子さん23回目の命日 |publisher=[[市谷|市ヶ谷]]経済新聞 |date=2008-04-08 |accessdate=2014-11-06}}</ref><ref>{{citeweb|url=http://weblog.hochi.co.jp/tajihouronn/cat4560108/ |title=ブログ報知 甲斐武彦記者の多事報論 |publisher=[[報知新聞]] |date=2012-04-08 |accessdate=2014-11-06}}</ref><ref>{{citeweb|url=http://yukan-news.ameba.jp/20140408-130/ |title=【夕刊アメーバニュース】 歌手・岡田有希子の命日 今年も四谷にファン集結する |publisher=[[Ameba (ネットサービス)|Ameba]] |date=2014-04-08 |accessdate=2014-11-06}}</ref>。東京・四谷では、黙祷が終了したら花を全て回収し、夕刻までに愛知の成満寺へ輸送。改めて墓前の献花が行われた後、[[住職]]によるファンへの[[法話]]が執り行われる。法話は、[[2006年]]([[平成]]18年)から続けられている<ref>「ユッコ・・・生きるよ 没後28年 ファン50人誓い」『中日新聞』2014年4月9日、27頁。</ref>。 |
||
=== 影響とその後 === |
=== 影響とその後 === |
||
84行目: | 92行目: | ||
芸能界では4月8日14時、岡田が初めてレギュラー出演したバラエティ番組『[[ヤンヤン歌うスタジオ]]』([[テレビ東京]])では、4月13日放送分の追悼特集が収録され、司会の[[あのねのね]]が岡田の人柄について語っている<ref>『朝日新聞』1986年4月13日、24頁</ref>。4月15日には4月20日放送分の収録に、岡田を可愛がっていた共演者の[[近藤真彦]] と[[中森明菜]]も出演した。二人は岡田との思い出を語るとともに、視聴者に対して自殺を思いとどまるよう訴えている<ref>『朝日新聞』1986年4月20日、24頁</ref>。4月10日、[[音楽番組]]『[[ザ・ベストテン]]』([[TBSテレビ|TBS]])のエンディングでは[[黒柳徹子]]が、視聴者に向けて涙ながらに語っている。4月19日、[[北極]]に近い[[カナダ]]の[[レゾリュート]]に滞在していた[[和泉雅子]]は、「自分自身の身近な目標と、ガンバルという意思を持てば、毎日がもっと楽しくなる。あなたの“[[北極点]]”を持ってほしい」と呼びかけた<ref>「『ガンバルとの意思を』[[カナダ]]の[[和泉雅子|マコ]]」『朝日新聞』1986年4月19日、19頁</ref>。4月20日放送の[[音楽番組|音楽]][[バラエティ番組]]『[[歌謡ドッキリ大放送]]』([[テレビ朝日]])では、収録の4月4日に岡田が出演している(これが最後のテレビ出演だった)ため、収録日と哀悼の意を表す[[スーパーインポーズ (映像編集)|テロップ]]が表示された。4月21日にはサンミュージックの先輩・[[森田健作]]が、ワイドショー『[[おはよう!ナイスデイ]]』([[フジテレビ]])の緊急特集に出演し、若者に後追い自殺をやめるよう訴えている<ref>『朝日新聞』1986年4月21日、24頁</ref>。 |
芸能界では4月8日14時、岡田が初めてレギュラー出演したバラエティ番組『[[ヤンヤン歌うスタジオ]]』([[テレビ東京]])では、4月13日放送分の追悼特集が収録され、司会の[[あのねのね]]が岡田の人柄について語っている<ref>『朝日新聞』1986年4月13日、24頁</ref>。4月15日には4月20日放送分の収録に、岡田を可愛がっていた共演者の[[近藤真彦]] と[[中森明菜]]も出演した。二人は岡田との思い出を語るとともに、視聴者に対して自殺を思いとどまるよう訴えている<ref>『朝日新聞』1986年4月20日、24頁</ref>。4月10日、[[音楽番組]]『[[ザ・ベストテン]]』([[TBSテレビ|TBS]])のエンディングでは[[黒柳徹子]]が、視聴者に向けて涙ながらに語っている。4月19日、[[北極]]に近い[[カナダ]]の[[レゾリュート]]に滞在していた[[和泉雅子]]は、「自分自身の身近な目標と、ガンバルという意思を持てば、毎日がもっと楽しくなる。あなたの“[[北極点]]”を持ってほしい」と呼びかけた<ref>「『ガンバルとの意思を』[[カナダ]]の[[和泉雅子|マコ]]」『朝日新聞』1986年4月19日、19頁</ref>。4月20日放送の[[音楽番組|音楽]][[バラエティ番組]]『[[歌謡ドッキリ大放送]]』([[テレビ朝日]])では、収録の4月4日に岡田が出演している(これが最後のテレビ出演だった)ため、収録日と哀悼の意を表す[[スーパーインポーズ (映像編集)|テロップ]]が表示された。4月21日にはサンミュージックの先輩・[[森田健作]]が、ワイドショー『[[おはよう!ナイスデイ]]』([[フジテレビ]])の緊急特集に出演し、若者に後追い自殺をやめるよう訴えている<ref>『朝日新聞』1986年4月21日、24頁</ref>。 |
||
岡田の死は、[[国会 (日本)|国会]]でも取り上げられた<ref name="hanzai"/>。4月9日、国会の[[衆議院]][[文教委員会]]で[[江田五月]]が話題として取り上げ、当時の[[文部大臣 (日本)|文部大臣]]・[[海部俊樹]]が所感を述べている<ref>{{citeweb|url=http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/104/0170/10404090170005a.html |title=衆議院会議録『第104回国会 文教委員会 第5号』 |publisher=[[国立国会図書館]] |date=1986-04-09 |accessdate=2014-09-05}}</ref><ref>{{citeweb|url=http://www.eda-jp.com/satsuki/kokkai/1986/860409.html |title=国会会議録『第104回国会 衆議院・文教委員会』 |publisher=江田五月公式サイト |date=1986-04-09 |accessdate=2014-09-05}}</ref>。この時点では、事態をほとんど把握できていなかった。しかし、若者の自殺の連鎖が止まらないことと、去る同年2月1日に『[[中野富士見中学いじめ自殺事件]]』が起こっていたこともあり、[[政府]]は事態を無視できなくなる。4月25日、衆議院文教委員会と[[参議院]][[特別委員会]]で「[[青少年]]問題」として議題に取り上げ、最善策を本格的に審議されることとなった<ref>{{citeweb|url=http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/104/1750/10404251750007a.html |title=参議院会議録『第104回国会 補助金等に関する特別委員会 第7号』 |publisher=国立国会図書館 |date=1986-04-25 |accessdate=2015-03-20}}</ref><ref>{{citeweb|url=http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/104/0170/10404250170010c.html |title=衆議院会議録『第104回国会 文教委員会 第10号』 |publisher=国立国会図書館 |date=1986-04-25 |accessdate=2015-03-20}}</ref>。1986年の若者の自殺は800件を越え |
岡田の死は、[[国会 (日本)|国会]]でも取り上げられた<ref name="hanzai"/>。4月9日、国会の[[衆議院]][[文教委員会]]で[[江田五月]]が話題として取り上げ、当時の[[文部大臣 (日本)|文部大臣]]・[[海部俊樹]]が所感を述べている<ref>{{citeweb|url=http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/104/0170/10404090170005a.html |title=衆議院会議録『第104回国会 文教委員会 第5号』 |publisher=[[国立国会図書館]] |date=1986-04-09 |accessdate=2014-09-05}}</ref><ref>{{citeweb|url=http://www.eda-jp.com/satsuki/kokkai/1986/860409.html |title=国会会議録『第104回国会 衆議院・文教委員会』 |publisher=江田五月公式サイト |date=1986-04-09 |accessdate=2014-09-05}}</ref>。この時点では、事態をほとんど把握できていなかった。しかし、若者の自殺の連鎖が止まらないことと、去る同年2月1日に『[[中野富士見中学いじめ自殺事件]]』が起こっていたこともあり、[[政府]]は事態を無視できなくなる。4月25日、衆議院文教委員会と[[参議院]][[特別委員会]]で「[[青少年]]問題」として議題に取り上げ、最善策を本格的に審議されることとなった<ref>{{citeweb|url=http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/104/1750/10404251750007a.html |title=参議院会議録『第104回国会 補助金等に関する特別委員会 第7号』 |publisher=国立国会図書館 |date=1986-04-25 |accessdate=2015-03-20}}</ref><ref>{{citeweb|url=http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/104/0170/10404250170010c.html |title=衆議院会議録『第104回国会 文教委員会 第10号』 |publisher=国立国会図書館 |date=1986-04-25 |accessdate=2015-03-20}}</ref>。1986年の若者の自殺は800件を越えている<ref name="jtai20120725"/>。 |
||
コンサートは、4月5日の東京([[渋谷公会堂]])と4月6日の名古屋([[名古屋市民会館]])の2都市で行われた |
コンサートは、4月5日の東京([[渋谷公会堂]])と4月6日の名古屋([[名古屋市民会館]])の2都市で行われていた。4月12日の[[豊橋]]公演では、サンミュージックの先輩・[[早見優]]がアメリカでの仕事をキャンセルして代役を務めた<ref name="naze"/>が、[[鶴岡市|鶴岡]]と[[大阪市|大阪]]は公演が中止となる。5月14日に発売予定だった[[シングル]]『[[花のイマージュ]]』と、コンサートの模様を収めた[[ビデオグラム|ビデオ]]は、商品化が中止となった。[[サンミュージックプロダクション|サンミュージック]]側が予定通りの発売を要請したのに対し、[[ポニーキャニオン|キャニオンレコード]]側が難色を示したためである<ref name="zadankai"/>。『花のイマージュ』は13年後の[[1999年]]、[[アルバム|CDアルバム]]『メモリアルBOX』に収録、発売された。その一方、コンサート映像は[[2015年]]8月現在も商品化されていない。 |
||
書籍でも、[[アルバム]]『ヴィーナス誕生』と同名の[[写真集]]が、[[扶桑社]]から1986年4月1日に発売されたばかりだったが、全て回収された(16年後の[[2002年]]、復刻版として発売されている)。また、雑誌『中一時代』([[旺文社]]発行)1986年4月号から、岡田が執筆した小説を連載予定であったが、打ち切りとなった。岡田が小学生の頃から憧れた職業の一つ「[[小説家]]」として、ラジオ番組で共演した青木小織里をモデルとした作品だった。しかし、完成したのは3作品。世に出たのは岡田が死去する前、3月発売の4月号に既に掲載されていた1作品だけだった<ref>「描く ‐小説‐『メロディーラインは夢の中』」『[[Cookie (雑誌)|Cookie]]1986年6月号別冊「さよなら…有希子」』、33-55頁</ref>。作品は全て[[ムック (出版)|ムック]]『[[Cookie (雑誌)|Cookie]]1986年6月号別冊「さよなら…有希子」』(シーズ)に収録された。 |
書籍でも、[[アルバム]]『ヴィーナス誕生』と同名の[[写真集]]が、[[扶桑社]]から1986年4月1日に発売されたばかりだったが、全て回収された(16年後の[[2002年]]、復刻版として発売されている)。また、雑誌『中一時代』([[旺文社]]発行)1986年4月号から、岡田が執筆した小説を連載予定であったが、打ち切りとなった。岡田が小学生の頃から憧れた職業の一つ「[[小説家]]」として、ラジオ番組で共演した青木小織里をモデルとした作品だった。しかし、完成したのは3作品。世に出たのは岡田が死去する前、3月発売の4月号に既に掲載されていた1作品だけだった<ref>「描く ‐小説‐『メロディーラインは夢の中』」『[[Cookie (雑誌)|Cookie]]1986年6月号別冊「さよなら…有希子」』、33-55頁</ref>。作品は全て[[ムック (出版)|ムック]]『[[Cookie (雑誌)|Cookie]]1986年6月号別冊「さよなら…有希子」』(シーズ)に収録された。 |
||
その一方で、岡田の[[ブロマイド|プロマイド]]の販売は続けられ、ランキングの上位5位から落ちたことはない。プロマイド販売の[[老舗]]『'''マルベル堂'''』の[[常務]]・三ツ沢博は、「第二の[[赤木圭一郎]]になるだろう」と語っている<ref name="emma19860510"/><ref group="注釈">『[[週刊現代]]』[[2013年]]6月29日号 |
その一方で、岡田の[[ブロマイド|プロマイド]]の販売は続けられ、ランキングの上位5位から落ちたことはない。プロマイド販売の[[老舗]]『'''マルベル堂'''』の[[常務]]・三ツ沢博は、「第二の[[赤木圭一郎]]になるだろう」と語っている<ref name="emma19860510"/><ref group="注釈">「悲劇のアイドル岡田有希子を語ろう」『[[週刊現代]]』[[2013年]]6月29日号によれば、2013年5月現在もベスト10入りしている。</ref>。 |
||
自殺の原因を巡っての様々な噂が巷で飛び交い、 |
自殺の原因を巡っての様々な噂が巷で飛び交い、「大手芸能プロダクションIの俳優Kが失恋相手だった」「妊娠を苦に自殺した」「本当は殺された」など、[[都市伝説]]として広まったことがあったが<ref name="hanzai"/>、真相は闇の中でよくわかっていない<ref name="hanzai"/>。岡田有希子の死から14年後の2000年(平成12年)には、岡田の元[[主任|チーフ]]マネージャーであった[[取締役]]制作[[部長]]が、同じビルのトイレで首吊り自殺をしている<ref name="hanzai"/>。 |
||
[[2013年]](平成25年)12月10日放送の[[単発特別番組枠]]『[[カスペ!]] 』([[フジテレビ]])では、サンミュージック社長・相澤の死去10日前から没するまでを追った[[ドキュメンタリー]]『独占! 昭和芸能界の真実 アイドル発掘王・相澤秀禎』が特集され、“伝説の美少女アイドル”として岡田の話題も採り上げられた。そこでは、相澤が岡田の死を止められなかったことを生涯悔やんでいたこと、岡田が生前、[[酒井法子]]にプレゼントしていたサイン入り写真パネルを、酒井から譲り受けて芸能事務所の社長室で飾られていること、毎年手帳を新調するごとに |
[[2013年]](平成25年)12月10日放送の[[単発特別番組枠]]『[[カスペ!]] 』([[フジテレビ]])では、サンミュージック社長・相澤の死去10日前から没するまでを追った[[ドキュメンタリー]]『独占! 昭和芸能界の真実 アイドル発掘王・相澤秀禎』が特集され、“伝説の美少女アイドル”として岡田の話題も採り上げられた。そこでは、相澤が岡田の死を止められなかったことを生涯悔やんでいたこと、岡田が生前、[[酒井法子]]にプレゼントしていたサイン入り写真パネルを、酒井から譲り受けて芸能事務所の社長室で飾られていること、毎年手帳を新調するごとに岡田の写真を表紙裏に貼り、絶えず持ち歩いていたことが紹介されている<ref name="aizawa">{{Cite web |url=http://datazoo.jp/tv/%E3%82%AB%E3%82%B9%E3%83%9A%EF%BC%81/687444 |title=カスペ!「独占!昭和芸能界の真実アイドル発掘王・相澤秀禎〜泣いて笑った最後の10日間〜」|2013/12/10 放送 |work=TVでた蔵 |publisher=[[ワイヤーアクション (企業)|ワイヤーアクション]] |accessdate=2015-04-26}}</ref>。 |
||
[[2016年]](平成28年)3月16日、[[東海ラジオ放送|東海ラジオ]]で[[深夜放送]]『'''ドットーレ山口のドキドキラジオ'84'''』が4月2日から放送されることが発表された<ref>{{citeweb|url=https://www.tokairadio.co.jp/topics/kaihen/entry-28219.html |title=2016年春のタイムテーブルをアップしました。 |publisher=[[東海ラジオ放送|東海ラジオ]] |date=2016-03-16 |accessdate=2016-03-20}}</ref>。この番組は、岡田が[[1984年]]4月9日から1985年10月7日まで同放送局で[[ラジオパーソナリティ|パーソナリティ]]を務めた深夜放送『'''奈美子・有希子・小緒里のドキドキラジオ'''』と同じ[[タイトル]]を掲げ、岡田をトリビュートした番組として、岡田関連を中心に取り上げるプログラムとなっている<ref>{{citeweb|url=http://ameblo.jp/gid-supporter/entry-12139885991.html |title=ドキドキラジオ‼︎ |publisher=Ameba |date=2016-03-16 |accessdate=2016-03-20}}</ref>。[[ナビゲーター]]は、[[医師]]でパーソナリティのドットーレ山口(山口悟 ナグモクリニック名古屋 [[院長]]、[[博士(医学)|医学博士]]、日本[[形成外科]][[学会認定専門医]]、など)が務める<ref name="yamaguchi">{{citeweb|url=http://www.nagumo.or.jp/nagoya/doctor.html |title=ナグモクリニック名古屋 ドクター紹介 |publisher=ナグモクリニック(総院長 [[南雲吉則]]) |accessdate=2016-03-26}}</ref>。 |
[[2016年]](平成28年)3月16日、[[東海ラジオ放送|東海ラジオ]]で[[深夜放送]]『'''ドットーレ山口のドキドキラジオ'84'''』が4月2日から放送されることが発表された<ref>{{citeweb|url=https://www.tokairadio.co.jp/topics/kaihen/entry-28219.html |title=2016年春のタイムテーブルをアップしました。 |publisher=[[東海ラジオ放送|東海ラジオ]] |date=2016-03-16 |accessdate=2016-03-20}}</ref>。この番組は、岡田が[[1984年]]4月9日から1985年10月7日まで同放送局で[[ラジオパーソナリティ|パーソナリティ]]を務めた深夜放送『'''奈美子・有希子・小緒里のドキドキラジオ'''』と同じ[[タイトル]]を掲げ、岡田をトリビュートした番組として、岡田関連を中心に取り上げるプログラムとなっている<ref>{{citeweb|url=http://ameblo.jp/gid-supporter/entry-12139885991.html |title=ドキドキラジオ‼︎ |publisher=Ameba |date=2016-03-16 |accessdate=2016-03-20}}</ref>。[[ナビゲーター]]は、[[医師]]でパーソナリティのドットーレ山口(山口悟 ナグモクリニック名古屋 [[院長]]、[[博士(医学)|医学博士]]、日本[[形成外科]][[学会認定専門医]]、など)が務める<ref name="yamaguchi">{{citeweb|url=http://www.nagumo.or.jp/nagoya/doctor.html |title=ナグモクリニック名古屋 ドクター紹介 |publisher=ナグモクリニック(総院長 [[南雲吉則]]) |accessdate=2016-03-26}}</ref>。 |
||
102行目: | 110行目: | ||
{{雑多な内容の箇条書き|date=2016-02|section=1}} |
{{雑多な内容の箇条書き|date=2016-02|section=1}} |
||
* 好きな男性芸能人は、同じ名古屋市出身の[[舘ひろし]]<ref>『[[BOMB|BOMB!]]』1985年4月号、18頁。同1985年5月号、82頁</ref>。テレビドラマ『[[西部警察]]』([[All-nippon News Network|テレビ朝日系列]])を見て「ステキ」と思い、1984年10月15日放送の歌番組『[[ザ・トップテン]]』で初めて会ってから、すっかり大ファンになったという。後に雑誌『[[Myojo|明星]]』([[集英社]])の対談で、岡田は「舘のレコードやカセットテープを買い集めていた」こと、「対談前に[[テレビ朝日]]の[[広報]]に行って、舘主演のテレビドラマ『[[ただいま絶好調!]]』のポスターを貰ってきた」ことを語っている。それを聞いた舘は喜びながらも「僕のレコードなどはあげるから、お金を貯めなさい」と[[預金|貯蓄]]することをすすめ、仕事に関しては「仕事は頑張ると良い所がなくなる。仕事を遊び、わがままを通し、好きなようにやったほうがいい」とアドバイスしている<ref name="myojo198507p107">『[[Myojo|明星]]』1985年7月号、207-211頁</ref>。 |
* 好きな男性芸能人は、同じ名古屋市出身の[[舘ひろし]]<ref>『[[BOMB|BOMB!]]』1985年4月号、18頁。同1985年5月号、82頁</ref>。テレビドラマ『[[西部警察]]』([[All-nippon News Network|テレビ朝日系列]])を見て「ステキ」と思い、1984年10月15日放送の歌番組『[[ザ・トップテン]]』で初めて会ってから、すっかり大ファンになったという。後に雑誌『[[Myojo|明星]]』([[集英社]])の対談で、岡田は「舘のレコードやカセットテープを買い集めていた」こと、「対談前に[[テレビ朝日]]の[[広報]]に行って、舘主演のテレビドラマ『[[ただいま絶好調!]]』のポスターを貰ってきた」ことを語っている。それを聞いた舘は喜びながらも「僕のレコードなどはあげるから、お金を貯めなさい」と[[預金|貯蓄]]することをすすめ、仕事に関しては「仕事は頑張ると良い所がなくなる。仕事を遊び、わがままを通し、好きなようにやったほうがいい」とアドバイスしている<ref name="myojo198507p107">『[[Myojo|明星]]』1985年7月号、207-211頁</ref>。 |
||
* |
* 岡田は、成績向上に繋がった勉強方法として、各教科とも問題集を一冊に絞って丸暗記したことを紹介している。「カメラマンがシャッターを押すように、精神統一して1ページ1ページ真剣に頭に入れていく。そうすれば思い出すとき、不思議と一枚の写真のように頭によみがえる」と語っている<ref>『瞳はヒミツ色』62頁</ref><ref name="dunk198503p82"/>。また、芸能界入りに大反対していたはずの母親が一転して、猛勉強中に毎日欠かさず夜食を持ってきたという。その理由について「夜食で私をブタ並みに太らせ、『[[スター誕生!]]』の決勝を落とそうとする母の魂胆だった」と語っている<ref name="bomb198406p20"/>。 |
||
* 体型を気にしており、「もっと痩せたい。[[バスト]]は発育し過ぎたから、もっと小さくしたい」と考えていた<ref>『BOMB!』1984年6月号、30-31頁</ref>。また、水着撮影の時は腹が出ているのを嫌い、1日1回しか食事をしなかった<ref>『DUNK』1985年3月号、10頁</ref>。 |
|||
* 視力は左右ともに0.1以下のため、プライベートではかなり度の強い[[眼鏡]]を使用していた<ref>『DUNK』1985年1月号、106-107頁(部屋紹介で机の上に眼鏡が2本確認できる)</ref><ref>『明星』1985年3月号、82頁(私物紹介にて必需品であることを説明)</ref>。その様子について、[[小泉今日子]]は「仕事じゃないときはいつも[[牛乳瓶]]の底みたいな分厚い眼鏡をかけていた。レンズを通して小さくなった目がなんとも可愛かった」<ref>「彼女はどうだったんだろう?」『原宿百景』 |
* 視力は左右ともに0.1以下のため、プライベートではかなり度の強い[[眼鏡]]を使用していた<ref>『DUNK』1985年1月号、106-107頁(部屋紹介で机の上に眼鏡が2本確認できる)</ref><ref>『明星』1985年3月号、82頁(私物紹介にて必需品であることを説明)</ref>。その様子について、[[小泉今日子]]は「仕事じゃないときはいつも[[牛乳瓶]]の底みたいな分厚い眼鏡をかけていた。レンズを通して小さくなった目がなんとも可愛かった」<ref>[[小泉今日子]]「彼女はどうだったんだろう?」『原宿百景』2010年7月、[[スイッチ・パブリッシング]]、64-67頁。ISBN 978-4884182946</ref>、親友の[[田中久美]]は「眼鏡はまるで牛乳瓶の底。かけた姿は可愛いというか、面白いというか」<ref name="starcorn20141009">スターコーンほっと!ネットラジオ(1985年10月9日放送、[[東九州コミュニティー放送|スターコーン・エフエム]])</ref>と回想している。逆にタレント活動中は[[コンタクトレンズ]]や眼鏡など矯正具を一切使用していない。そのことについて田中久美は「遠くで手を振っていても知らん顔で、かなり近付いたらやっと気付いてもらえた。コンタクトレンズをするのが怖かったのかもしれない」と回想しており<ref name="starcorn20141009"/>、岡田も「いつもいろんな人が出入りしている所だと、あいさつのこと考えて疲れちゃうの。“あの人には、もうあいさつしたかな?無視しちゃったかな?…”なんて考えちゃうから」と語っている<ref name="dunk198601p204"/>。[[プロモーションビデオ]]撮影のとき、離れたカメラに向かってまっすぐ歩くことが出来ず、ふらつくことが多かったという<ref>『DUNK』1985年10月号、193頁</ref>。 |
||
*[[音楽ユニット]]『[[TM NETWORK]]』のリーダーで[[音楽プロデューサー]]の[[小室哲哉]]が、岡田と同じ[[1984年]][[4月21日]]の[[メジャー・デビュー (音楽家)|メジャーデビュー]]後に初めて手掛けた提供曲は、岡田の[[アルバム]]『十月の人魚』に収録されている『Sweet Planet』『水色プリンセス』(いずれも作曲のみ)である。『水色プリンセス』は[[クラシック]]調の壮麗なメロディーで相当難しい曲だったが、岡田は無事に歌いこなしている<ref>『DUNK』1985年10月号、130頁</ref>。 |
*[[音楽ユニット]]『[[TM NETWORK]]』のリーダーで[[音楽プロデューサー]]の[[小室哲哉]]が、岡田と同じ[[1984年]][[4月21日]]の[[メジャー・デビュー (音楽家)|メジャーデビュー]]後に初めて手掛けた提供曲は、岡田の[[アルバム]]『十月の人魚』に収録されている『Sweet Planet』『水色プリンセス』(いずれも作曲のみ)である。『水色プリンセス』は[[クラシック]]調の壮麗なメロディーで相当難しい曲だったが、岡田は無事に歌いこなしている<ref>『DUNK』1985年10月号、130頁</ref>。 |
||
* 1985年10月16日放送の『[[夜のヒットスタジオ|夜のヒットスタジオDELUXE]]』([[フジテレビ]]系列)に出演した時、急遽番組内で[[阪神タイガース]]の[[セントラル・リーグ]]優勝の瞬間まで生中継をすることとなった。中継が終わるまで司会の[[芳村真理]]や[[古舘伊知郎]]、出演者の[[五木ひろし]]や[[藤井フミヤ]]らと共に野球観戦をすることになり、阪神の優勝を見届けることとなった<ref>{{citeweb|url=http://www.fujitv.co.jp/otogumi/kikchyfactory/sanspo02.html |title=サンスポ連載;きくち伸話・オリジナル原稿 #02『最高視聴率で忘れられぬ思い出』 |publisher=[[サンケイスポーツ]] |date=2002-10-11 |accessdate=2015-01-25}}</ref>。岡田は、優勝した阪神タイガースでも地元・名古屋の[[中日ドラゴンズ]]でもなく、[[読売ジャイアンツ]]のファンだった<ref name="bestofyukiko"/>。 |
* 1985年10月16日放送の『[[夜のヒットスタジオ|夜のヒットスタジオDELUXE]]』([[フジテレビ]]系列)に出演した時、急遽番組内で[[阪神タイガース]]の[[セントラル・リーグ]]優勝の瞬間まで生中継をすることとなった。中継が終わるまで司会の[[芳村真理]]や[[古舘伊知郎]]、出演者の[[五木ひろし]]や[[藤井フミヤ]]らと共に野球観戦をすることになり、阪神の優勝を見届けることとなった<ref>{{citeweb|url=http://www.fujitv.co.jp/otogumi/kikchyfactory/sanspo02.html |title=サンスポ連載;きくち伸話・オリジナル原稿 #02『最高視聴率で忘れられぬ思い出』 |publisher=[[サンケイスポーツ]] |date=2002-10-11 |accessdate=2015-01-25}}</ref>。岡田は、優勝した阪神タイガースでも地元・名古屋の[[中日ドラゴンズ]]でもなく、[[読売ジャイアンツ]]のファンだった<ref name="bestofyukiko"/>。 |
||
109行目: | 118行目: | ||
=== 交友関係 === |
=== 交友関係 === |
||
* 1984年の同期デビューだった[[田中久美]]、[[荻野目洋子]]、[[菊池桃子]]や、堀越高校の同級生(1967年度生まれ)だった[[南野陽子]]、[[石野陽子]]、[[長山洋子]]、[[宮崎萬純]]らと仲が良かった。同期デビューで同級生でもあり、特に仲の良かった田中久美は、[[2012年]]7月より[[福岡県]][[築上郡]][[築上町]]の[[コミュニティFM]]『[[東九州コミュニティー放送|スターコーン・エフエム]]』で[[ラジオパーソナリティ|パーソナリティ]]を務めており、[[ローカルワイド番組]]『'''スターコーンほっと!ネットラジオ'''』では岡田の曲を必ず流している |
* 1984年の同期デビューだった[[田中久美]]、[[荻野目洋子]]、[[菊池桃子]]や、堀越高校の同級生(1967年度生まれ)だった[[南野陽子]]、[[石野陽子]]、[[長山洋子]]、[[宮崎萬純]]らと仲が良かった。同期デビューで同級生でもあり、特に仲の良かった田中久美は、[[2012年]]7月より[[福岡県]][[築上郡]][[築上町]]の[[コミュニティFM]]『[[東九州コミュニティー放送|スターコーン・エフエム]]』で[[ラジオパーソナリティ|パーソナリティ]]を務めており、[[ローカルワイド番組]]『'''スターコーンほっと!ネットラジオ'''』では岡田の曲を必ず流している。きっかけは、岡田の27[[年忌|回忌]]である2012年[[4月8日]]。田中が現場となった東京・四谷3丁目交差点の追悼イベントに赴いて、そこで100人を超すファンが[[埋葬式#献花に際して|献花]]・[[黙祷]]を捧げていたのを目の当たりにし、「ユッコはファンの心の中でまだまだ生きてる」と感激したからだった。番組は[[SimulRadio|サイマルラジオ]]で世界に配信され、海外に在住の熱心なファンからも番組宛てにメール投稿が届いているという<ref>{{citeweb|url=http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/157481 |title=あの人は今こうしている 岡田有希子と同期 花の84年組アイドル田中久美さんの引退後 |publisher=[[日刊ゲンダイ]]DIGITAL |date=2015-03-02 |accessdate=2016-03-23}}</ref>。その模様は[[情報番組|情報]][[バラエティ番組]]『[[爆報! THE フライデー]]』([[2014年]]5月30日放送、[[TBSテレビ]])<ref>{{Cite web |url=http://datazoo.jp/tv/%E7%88%86%E5%A0%B1%EF%BC%81THE+%E3%83%95%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%87%E3%83%BC/756155 |title=爆報!THE フライデー |2014/05/30(金)放送 |work=TVでた蔵 |publisher=ワイヤーアクション |accessdate=2015-01-15}}</ref>、[[ドキュメンタリー番組|ドキュメンタリー]]バラエティ番組『[[明石家さんまの転職DE天職]]』([[2015年]]5月3日放送、[[日本テレビ放送網|日本テレビ]][[日本テレビネットワーク協議会|系列]])<ref>{{Cite web |url=http://datazoo.jp/tv/%E6%98%8E%E7%9F%B3%E5%AE%B6%E3%81%95%E3%82%93%E3%81%BE%E3%81%AE%E8%BB%A2%E8%81%B7DE%E5%A4%A9%E8%81%B7/853349 |title=明石家さんまの転職DE天職|2015/05/03(日)放送 |work=TVでた蔵 |publisher=ワイヤーアクション |accessdate=2015-05-07}}</ref>にも取り上げられた。また、2015年12月15日には名古屋のコミュニティFM『[[MID-FM]]』の音楽番組『Il tempo di passione -情熱の時代-』にゲスト出演。パーソナリティのドットーレ山口(山口悟)<ref name="yamaguchi"/>を相手に、堀越高校での学校生活や仕事の思い出を話し、岡田の曲『[[-Dreaming Girl- 恋、はじめまして|恋はじめまして]]』『ロンサムシーズン』『Believe in you』を歌った<ref>{{citeweb|url=http://ameblo.jp/gid-supporter/entry-12107117523.html |title=ユッコ特集第4弾! |publisher=Ameba |date=2015-12-17 |accessdate=2016-03-26}}</ref>{{refnest|group="注釈"|当初は2015年8月25日に出演予定だったが、台風が九州を直撃したために名古屋へ移動できず、番組に出演することが出来なかった<ref>{{citeweb|url=http://ameblo.jp/gid-supporter/entry-12065616097.html |title=残念ですが、、、 |publisher=Ameba |date=2015-08-25 |accessdate=2016-03-26}}</ref>}}。 |
||
*岡田が引っ越すまで相澤社長宅のルームメイトで 1年後輩の[[橋本美加子]]、ラジオで共演した2年後輩の[[水谷麻里]]、1985年12月に上京して下宿生活を始めたばかりの[[酒井法子]]を可愛がっていた。酒井に関しては1986年4月5日、岡田が引越しの荷物を完全に運び出す時、廃棄処分しようとしていた写真パネルを酒井が欲しがったため、「To のりっぺ Kun」(のりっぺ君へ)とサインを入れてプレゼントしている<ref>『[[酒井法子]] 孤独なうさぎ』 |
*岡田が引っ越すまで相澤社長宅のルームメイトで 1年後輩の[[橋本美加子]]、ラジオで共演した2年後輩の[[水谷麻里]]、1985年12月に上京して下宿生活を始めたばかりの[[酒井法子]]を可愛がっていた。酒井に関しては1986年4月5日、岡田が引越しの荷物を完全に運び出す時、廃棄処分しようとしていた写真パネルを酒井が欲しがったため、「To のりっぺ Kun」(のりっぺ君へ)とサインを入れてプレゼントしている<ref>渡邉裕二『[[酒井法子]] 孤独なうさぎ』2009年10月、[[双葉社]]、35頁。ISBN 978-4575301748</ref>。同日、岡田は相澤社長夫妻に「私の代わりがいるじゃない」と話している。その3日後に岡田は他界。のちに写真パネルは酒井から譲り受け、芸能事務所の社長室で飾られることになった<ref name="aizawa"/>。 |
||
== 音楽 == |
== 音楽 == |
||
209行目: | 218行目: | ||
<table border="1" cellpadding="2" cellspacing="1"> |
<table border="1" cellpadding="2" cellspacing="1"> |
||
<tr><th>曲順<th>曲名<th>作詞<th>作曲<th>編曲 |
<tr><th>曲順<th>曲名<th>作詞<th>作曲<th>編曲 |
||
<tr><th>1 (A-1)<td>風の魔法で…<td> |
<tr><th>1 (A-1)<td>風の魔法で…<td>夏目純<td>[[尾崎亜美]]<td>[[松任谷正隆]] |
||
<tr><th>2 (A-2)<td>Walking In The Moonlight<td>三浦徳子<td>[[堀川まゆみ]]<td>松任谷正隆 |
<tr><th>2 (A-2)<td>Walking In The Moonlight<td>三浦徳子<td>[[堀川まゆみ]]<td>松任谷正隆 |
||
<tr><th>3 (A-3)<td>目をさまして、Darling<td>康珍化<td>[[馬飼野康二]]<td>松任谷正隆 |
<tr><th>3 (A-3)<td>目をさまして、Darling<td>康珍化<td>[[馬飼野康二]]<td>松任谷正隆 |
||
239行目: | 248行目: | ||
<tr><th>1 (A-1)<td>WONDER TRIP LOVER<td>EPO<td>[[坂本龍一]]<td>かしぶち哲郎 |
<tr><th>1 (A-1)<td>WONDER TRIP LOVER<td>EPO<td>[[坂本龍一]]<td>かしぶち哲郎 |
||
<tr><th>2 (A-2)<td>愛…illusion<td>[[松田聖子|Seiko]]<td>[[飛澤宏元]]<td>かしぶち哲郎 |
<tr><th>2 (A-2)<td>愛…illusion<td>[[松田聖子|Seiko]]<td>[[飛澤宏元]]<td>かしぶち哲郎 |
||
<tr><th>3 (A-3)<td>ヴィーナス誕生<td> |
<tr><th>3 (A-3)<td>ヴィーナス誕生<td>前川由佳<td>木下伸司<td>かしぶち哲郎 |
||
<tr><th>4 (A-4)<td>Spring Accident<td>EPO<td>[[大貫妙子]]<td>かしぶち哲郎 |
<tr><th>4 (A-4)<td>Spring Accident<td>EPO<td>[[大貫妙子]]<td>かしぶち哲郎 |
||
<tr><th>5 (A-5)<td>銀河のバカンス<td>高橋修<td>三井一正<td>かしぶち哲郎 |
<tr><th>5 (A-5)<td>銀河のバカンス<td>高橋修<td>三井一正<td>かしぶち哲郎 |
||
565行目: | 574行目: | ||
=== カバーしたアーティスト === |
=== カバーしたアーティスト === |
||
* [[伊能靜]]『-Dreaming Girl- 恋、はじめまして』 |
* [[伊能靜]]『-Dreaming Girl- 恋、はじめまして』(北京語歌『初戀』(初恋)にカバー。1987年デビューアルバム『有我有你』に収録) |
||
* [[尾崎亜美]]『Summer Beach』 |
* [[尾崎亜美]]『Summer Beach』 |
||
* [[酒井法子]]『恋人たちのカレンダー』 |
* [[酒井法子]]『恋人たちのカレンダー』 |
||
578行目: | 587行目: | ||
== 出演 == |
== 出演 == |
||
=== テレビドラマ === |
=== テレビドラマ === |
||
* |
* [[中学生日記]](1983年、[[NHK名古屋放送局|NHK名古屋局]]) |
||
** 芸能界入り前、エキストラ出演 |
** 芸能界入り前、[[エキストラ]]として出演<ref name="aikudasai107p"/>。 |
||
* 『[[ヤンヤン歌うスタジオ]]』内の5分枠ドラマ ([[テレビ東京]]) |
* 『[[ヤンヤン歌うスタジオ]]』内の5分枠ドラマ ([[テレビ東京]]) |
||
** [[近藤真彦|マッチ]]の青春叛逆児<small>(アウトロー)</small> PART2 ([[1983年]]) |
** [[近藤真彦|マッチ]]の青春叛逆児<small>(アウトロー)</small> PART2 ([[1983年]]) |
||
** マッチの青春スクランブル PART1 - PART2 (1984年 - [[1985年]]) |
** マッチの青春スクランブル PART1 - PART2 (1984年 - [[1985年]]) |
||
* 『[[真田太平記 (テレビドラマ)|真田太平記]]』17話、19話、23話、24話、28話(1985年4月3日 - 1986年3月19日、[[NHK総合テレビジョン|NHK]]、「[[大河ドラマ#NHK新大型時代劇|NHK新大型時代劇]]」) - [[於菊]] 役 |
* 『[[真田太平記 (テレビドラマ)|真田太平記]]』17話、19話、23話、24話、28話(1985年4月3日 - 1986年3月19日、[[NHK総合テレビジョン|NHK]]、「[[大河ドラマ#NHK新大型時代劇|NHK新大型時代劇]]」) - [[於菊]] 役 |
||
* |
* かぐや姫・とんで初体験!? (1985年7月1日、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]) - ミル 役 |
||
** 『[[月曜ドラマランド]]』にて放送された単発ドラマ。 |
** 『[[月曜ドラマランド]]』にて放送された単発ドラマ。 |
||
* [[禁じられたマリコ]] (1985年11月5日 - [[1986年]]1月28日(全12話)、[[TBSテレビ|TBS]]) - 杉浦麻里子 役 |
* [[禁じられたマリコ]] (1985年11月5日 - [[1986年]]1月28日(全12話)、[[TBSテレビ|TBS]]) - 杉浦麻里子 役 |
||
595行目: | 604行目: | ||
=== ラジオ === |
=== ラジオ === |
||
* とびだせ!ポップシティ(1983年10月16日 - 1984年3月25日、[[ニッポン放送]]) |
* とびだせ!ポップシティ(1983年10月16日 - 1984年3月25日、[[ニッポン放送]]) |
||
* [[滝里美|サトミ]]・ |
* [[滝里美|サトミ]]・ヒトミ・ユキコの何かいいことないか仔猫ちゃん(1983年10月16日 - 1984年3月9日、[[MBSラジオ|毎日放送]]) |
||
*百万人の英語(1984年2月9日、[[文化放送]]) |
* 百万人の英語(1984年2月9日、[[文化放送]]) |
||
* |
* 奈美子・有希子・小緒里のドキドキラジオ(1984年4月9日 - 1985年10月7日、[[東海ラジオ放送|東海ラジオ]]他) |
||
* ちょっとおあずけ(1984年10月8日 - 1985年10月7日、ニッポン放送) |
* ちょっとおあずけ(1984年10月8日 - 1985年10月7日、ニッポン放送) |
||
** 多くの投稿を紹介したい岡田の希望により、コーナーは設けられていない。アイドルが[[ラジオパーソナリティ|パーソナリティ]]を務める番組には珍しく、楽曲選定も岡田自身が全て行なっている<ref name="dunk198503p113"/>。 |
** 多くの投稿を紹介したい岡田の希望により、コーナーは設けられていない。アイドルが[[ラジオパーソナリティ|パーソナリティ]]を務める番組には珍しく、楽曲選定も岡田自身が全て行なっている<ref name="dunk198503p113"/>。 |
||
632行目: | 641行目: | ||
* 奈美子・有希子・小緒里のドキドキブック「ドキドキ・ラジオ」NYXより愛をこめて(1985年7月、[[旺文社]]) ISBN 978-4010099728 |
* 奈美子・有希子・小緒里のドキドキブック「ドキドキ・ラジオ」NYXより愛をこめて(1985年7月、[[旺文社]]) ISBN 978-4010099728 |
||
* ヴィーナス誕生(1986年4月、[[扶桑社]]) ISBN 978-4893530769 |
* ヴィーナス誕生(1986年4月、[[扶桑社]]) ISBN 978-4893530769 |
||
* 岡田有希子はなぜ死んだか([[上之郷利昭]] 1986年10月、 |
* 岡田有希子はなぜ死んだか([[上之郷利昭]] 1986年10月、新森書房) ISBN 978-4931207011 |
||
* ベスト・オブ岡田有希子([[よい子の歌謡曲]]増刊号 1987年、よい子の歌謡曲編集部) |
* ベスト・オブ岡田有希子([[よい子の歌謡曲]]増刊号 1987年、よい子の歌謡曲編集部) |
||
* 岡田有希子 愛をください(遺稿集 1988年7月、[[朝日出版社]]) ISBN 978-4255880587 |
* 岡田有希子 愛をください(遺稿集 1988年7月、[[朝日出版社]]) ISBN 978-4255880587 |
||
* |
* サクリファイス([[白倉由美]] 1989年11月、[[弓立社]]) ISBN 978-4882399230 |
||
* イイナ 〜Feel for Love〜 上・下([[あすかコミックス]]DX)(原作:[[S-nery Angel]] 作画: |
* イイナ 〜Feel for Love〜 上・下([[あすかコミックス]]DX)(原作:[[S-nery Angel]] 作画:成瀬かおり 1998年10月、[[角川書店]]) ISBN 978-4048529136, ISBN 978-4048529785 |
||
* ヴィーナス誕生([[復刻版]] 2002年12月、扶桑社) ISBN 978-4594037680 |
* ヴィーナス誕生([[復刻版]] 2002年12月、扶桑社) ISBN 978-4594037680 |
||
645行目: | 654行目: | ||
* 人気づくりの法則([[相澤秀禎]] 1998年4月、[[東洋経済新報社]]) ISBN 978-4492553091 |
* 人気づくりの法則([[相澤秀禎]] 1998年4月、[[東洋経済新報社]]) ISBN 978-4492553091 |
||
* レコード・コレクターズ増刊 遺作 ―ミュージシャンの死とラスト・アルバム(1998年、[[ミュージック・マガジン|ミュージック・マガジン社]]) |
* レコード・コレクターズ増刊 遺作 ―ミュージシャンの死とラスト・アルバム(1998年、[[ミュージック・マガジン|ミュージック・マガジン社]]) |
||
* 夭折の系譜-20人のアーチストの死から考える(2001年9月、 |
* 夭折の系譜-20人のアーチストの死から考える(2001年9月、アートブックの森) ISBN 978-4876937738 |
||
* 100万人のアイドルポップス-青春復刻!ときめきアイドルポップス150([[別冊宝島]](690))(2002年9月、[[宝島社]] ) ISBN 978-4796629195 |
* 100万人のアイドルポップス-青春復刻!ときめきアイドルポップス150([[別冊宝島]](690))(2002年9月、[[宝島社]] ) ISBN 978-4796629195 |
||
* 歌謡曲という快楽-雑誌『[[よい子の歌謡曲]]』とその時代(オフサイド・ブックス)( |
* 歌謡曲という快楽-雑誌『[[よい子の歌謡曲]]』とその時代(オフサイド・ブックス)(宝泉薫 ファッシネイション 2002年11月、[[彩流社]]) ISBN 978-4882026235 |
||
* 別冊宝島1009号「音楽誌が書かないJポップ批評~[[尾崎豊]]特集号」(別冊宝島(1009))(2004年4月、[[宝島社]]) ISBN 978-4796640688 |
* 別冊宝島1009号「音楽誌が書かないJポップ批評~[[尾崎豊]]特集号」(別冊宝島(1009))(2004年4月、[[宝島社]]) ISBN 978-4796640688 |
||
* 「おたく」の精神史-1980年代論 ([[大塚英志]] 2004年、[[講談社現代新書]]) |
* 「おたく」の精神史-1980年代論 ([[大塚英志]] 2004年、[[講談社現代新書]]) |
||
* 蘇る!夭折のスター達 (2005年、 |
* 蘇る!夭折のスター達 (2005年、セントラルSOG) |
||
* 昭和・平成日本「怪死」事件史-“疑惑の死”から見える日本の「闇」と「タブー」(別冊宝島 (1324))(2006年6月、[[宝島社]]) ISBN 978-4796653558 |
* 昭和・平成日本「怪死」事件史-“疑惑の死”から見える日本の「闇」と「タブー」(別冊宝島 (1324))(2006年6月、[[宝島社]]) ISBN 978-4796653558 |
||
* 疑惑の最期!非業のカリスマ列伝(2006年1月、[[竹書房]]) ISBN 978-4812463246 |
* 疑惑の最期!非業のカリスマ列伝(2006年1月、[[竹書房]]) ISBN 978-4812463246 |
||
661行目: | 670行目: | ||
* 岡田有希子写真集・あなたとふたりきり…(1985年、近代映画社) |
* 岡田有希子写真集・あなたとふたりきり…(1985年、近代映画社) |
||
* もっと逢いたい…有希子([[野村誠一]] 1985年、[[講談社]]) ISBN 978-4061016217 |
* もっと逢いたい…有希子([[野村誠一]] 1985年、[[講談社]]) ISBN 978-4061016217 |
||
* SWEET LOVE DREAM( |
* SWEET LOVE DREAM(武藤義 1985年、[[音楽専科社]]) |
||
* [[Cookie (雑誌)|Cookie]]1986年6月号別冊「さよなら…有希子」(1986年、 |
* [[Cookie (雑誌)|Cookie]]1986年6月号別冊「さよなら…有希子」(1986年、シーズ) |
||
* SWEET LOVE DREAM(復刻版 2002年12月、音楽専科社) ISBN 978-4872791204 |
* SWEET LOVE DREAM(復刻版 2002年12月、音楽専科社) ISBN 978-4872791204 |
||
673行目: | 682行目: | ||
* 1984年10月:第17回[[新宿音楽祭]] 金賞(吉川晃司と同時受賞) |
* 1984年10月:第17回[[新宿音楽祭]] 金賞(吉川晃司と同時受賞) |
||
* 1984年10月:第11回[[横浜音楽祭]] 新人特別賞 |
* 1984年10月:第11回[[横浜音楽祭]] 新人特別賞 |
||
* 1984年10月:第10回[[全日本歌謡音楽祭|あなたが選ぶ全日本歌謡音楽祭]] 最優秀新人賞(吉川晃司と同時受賞<ref group="注釈">[[吉川晃司]]の単独受賞だったが、優秀新人賞がなかった |
* 1984年10月:第10回[[全日本歌謡音楽祭|あなたが選ぶ全日本歌謡音楽祭]] 最優秀新人賞(吉川晃司と同時受賞<ref group="注釈">[[吉川晃司]]の単独受賞だったが、優秀新人賞がなかったため、岡田有希子にも最優秀新人賞が贈られた。</ref>) |
||
* 1984年11月:第15回[[日本歌謡大賞]] 優秀放送音楽新人賞(吉川晃司と同時受賞) |
* 1984年11月:第15回[[日本歌謡大賞]] 優秀放送音楽新人賞(吉川晃司と同時受賞) |
||
* 1984年12月:[[日本有線大賞]] 有線新人賞 |
* 1984年12月:[[日本有線大賞]] 有線新人賞 |
2016年4月10日 (日) 09:35時点における版
![]() 1984年撮影 | |
プロフィール | |
---|---|
愛称 | ユッコ |
生年月日 | 1967年8月22日 |
没年月日 | 1986年4月8日 |
没年齢 | 18歳(数え20) |
出身地 | 愛知県名古屋市熱田区 |
死没地 | 東京都新宿区 |
血液型 | O |
瞳の色 | 黒 |
公称サイズ(1985年時点) | |
身長/体重 | 155 cm / 44 kg |
BMI | 18.3 |
スリーサイズ | 86 - 58 - 84 cm |
カップサイズ | E |
活動 | |
デビュー | 1983年 |
ジャンル | アイドル歌謡曲 |
活動期間 | 1983年 - 1986年 |
事務所 | サンミュージック |
レーベル | キャニオンレコード |
主な出演作 | 禁じられたマリコ |
主な楽曲 | ファースト・デイト、くちびるNetwork |
受賞歴 | 日本レコード大賞、日本歌謡大賞他、最優秀新人賞多数 |
アイドル: テンプレート - カテゴリ |
岡田 有希子(おかだ ゆきこ、1967年8月22日 - 1986年4月8日)は、日本のアイドル歌手、女優である。本名、佐藤 佳代(さとう かよ)。愛称は「ユッコ」。身長155cm、体重44kg、B86cm(公称84cm)・W58cm・H84cm、血液型O型、視力両目0.1以下[1]。
愛知県名古屋市熱田区出身。名古屋市立高蔵小学校、名古屋市立沢上中学校、名古屋市立向陽高等学校から堀越高等学校へ編入、卒業。サンミュージックに所属していた。1980年代中期に活動したアイドル歌手のひとりであり、「ポスト松田聖子」としても期待されていたが[2]、人気絶頂だった1986年(昭和61年)に飛び降り自殺した。報道に端を発した若者の相次ぐ自殺は、大きな社会問題となった[3]。当時のこの現象を「ユッコ・シンドローム」と呼ぶこともある[4]。
経歴
1967年(昭和42年)8月22日、愛知県一宮市にて、2人姉妹の次女として生まれる。母親が辺縁性胎盤による帝王切開も検討されるほどの難産で、産まれたときは身長47センチ、体重2700グラムの未熟児だった[5]。命の危険があり、脳に重い後遺症が残る可能性もあったが、幸いにも胎児に異常はなかった[5]。1969年、2歳の時に名古屋市熱田区に引越し、上京するまでを過ごす[2]。幼少期は、言語障碍ではないものの「さ行」が全く言えず、先生を「てんてい」、三輪車を「たんりんちゃ」としか話せなかった[6][7]。親が叱ろうとすると、その前に押入れに逃げ込んでしまい、引っぱり出すのに苦労したという[5]。また、顔の割りに耳が大きく目立つことから「ダンボ耳」とからかわれたため、耳を隠す髪形をしていた[8]。道具を使って工作や組み立てをすることが大好きで、「プレゼントに何が欲しい?」と聞かれ「大工道具セット」と答えている[9]。幼稚園に入ると、姉が通っていたYMCAの体育教室に通い始め、器械体操、キャンプ、スキー、スケートに専念するが[10]、お転婆になると同時に自身の運動神経のなさを自覚したという[11]。
小学生になると描く(書く)職業に憧れ、小学3年生の作文では「画家、漫画家、小説家」を挙げている[11]。特に画家に強い憧れを持ち、YMCAをやめて小学4年生から水彩画を習い始める。このとき母親に「一年経って、先生から才能があると言われたら芸大に進みたい」と話している[12]。小学5年生のとき、朝日新聞社主催の写生大会で入選。小学6年生のとき、熱田神宮の写生大会で宮司賞(一等賞)を獲る。この頃から油絵と日本画も習い、本格的にデッサンから学び始める[11]。中学2年生の夏休みの課題では、大ファンである河合奈保子の肖像画を油絵で描き、中学校内の展覧会で金賞を獲っている。彼女はその作品を河合に送ろうと、本気で考えていた[13][注釈 1]。
その一方で、芸能タレントにも憧れを持つようになる[注釈 2]。小学2年生から合唱部に入り、小学6年生の時「部員の一人」として地元のテレビやラジオ番組に出演する[11]。また、同じく小学6年生の時、学芸会の音楽劇『浦島太郎』で乙姫役を演じる[14]。その役作りのために、当時人気があったテレビアニメ『ベルサイユのばら』の主人公の1人「マリー・アントワネット」の話し方や歩き方をつぶさに研究し、さらにマリー・アントワネットの本を買ってきて熱心に読んでいた[2]。この演劇は、校長が走って見に来たほどだった[11]。これらがきっかけとなり、中学生になると『ホリプロタレントスカウトキャラバン』やテレビドラマなど、様々なオーディションに応募するようになる[2]。連続テレビドラマ『中学生日記』(NHK名古屋局)にエキストラとして出演するが[15]、ドラマのチーフディレクターが大切な役を任せようと思った矢先に辞めてしまう[16]。中学2年生の1981年8月、姉が購読していた雑誌『高一時代』(旺文社)に載っていたオーディション『ニコン フレッシュギャルコンテスト』に応募し、準グランプリに選ばれる。写真は月刊誌『写楽』1982年3月号に掲載され、特大ポスターが各所(地元・名古屋では「サカエチカ」[2])に貼り出されただけでなく、副賞としてグアム旅行も獲得する。中学3年生の1982年の夏休みには、大阪城で開催された『ニコン 中・高生のためのカメラ教室』の写真モデルになっている[15]。しかし、いずれも本格的な芸能界入りにはつながらなかった。
中学3年生の1982年6月、一年前に応募していたオーディション番組『スター誕生!』(日本テレビ)の予選会通知が、中京テレビから届く。彼女は「中学2年生で出場して、中学3年生でデビューする」という計画を立てていたが、1年遅れの通知だった[10]。「出場するなら内申書を書かない」と担任教諭に反対される中、学校を無断欠席して名古屋地区予選に出場。北原佐和子の『マイ・ボーイフレンド』を歌い、決戦大会への切符を掴む[17]。しかし、担任教諭だけでなく祖父や家族にも猛反対された[18]ため、12月の決戦大会出場を断念[17]。ハンストを起こし、食事をせず自分の部屋に閉じこもる[18]。その4日目、見るに見かねた母親が、芸能界入りの条件として「学内テストで学年1位になること、中部統一模擬試験で学内5位以内に入ること、第一志望の向陽高校に合格すること」の3つを提示する[19][20]。普段から通信簿で「5」並びの成績[21]だったものの、それでもクリア不可能と思われる条件だった。しかし彼女は猛勉強の末、それらの条件を全てクリアする[19]。さらに、地区予選に立ち会っていた芸能事務所『サンミュージック』専務・福田時雄と番組プロデューサー・金谷勲夫が家族へ説得したこともあり[22]、1983年(昭和58年)3月の決戦大会への出場を許された[23]。3月30日、『スター誕生!』の第46回決戦大会で中森明菜の『スローモーション』を歌う。結果は、後日発表されることとなった[注釈 3]。
芸能活動
1983年(昭和58年)4月、向陽高校に入学。それからしばらくして、『スター誕生!』決戦大会の「合格」通知が電話で伝えられる。彼女は電話口で絶句し、泣いてしまったという[19]。芸能事務所は『サンミュージック』と『研音』、レコード会社は『キャニオンレコード』と『VAP』の合計4社に指名され、桜田淳子が長く在籍している『サンミュージック』と、田原俊彦が在籍している『キャニオンレコード』との契約が決まった[2]。すぐに東京へ転校することになるため、部活動は他の生徒に影響が無いマネージャーとしてサッカー部に所属。しかしスコアの付け方がわからず、部員のユニフォームを洗うなど雑用の毎日だった[13]。高校生活の傍ら、5月12日から地元・名古屋を舞台にした映画『アイコ十六歳』のオーディションを受けるが、7月11日、最終選考である第五次選考で落選する[24]。ここでは富田靖子(主演)や松下由樹、のちに堀越高校で同級生となる宮崎萬純らが選ばれている。一週間後の7月17日、姓名判断師の沖紘子によって、芸名『岡田晴子(晴は目へんに青)[24]』『岡田佳代子』『岡田有希子』が候補に挙がる。「“晴子”はサンミュージックの先輩・桑田“靖子”と名前が似ている」「“佳代子”は性格的に弱い名前で、厳しい芸能界では負ける」との理由で不採用となり、最終的に「希望を有する」ということで『岡田有希子』に決まった[25][26]。
8月25日、上京[24]。サンミュージック社長・相澤秀禎宅(東京都世田谷区成城)に下宿、桑田靖子や滝里美と同居する。滝も『スター誕生!』の合格者であり、岡田とルームメイトとなる[27][28]。芸能界での目標は「松田聖子や山口百恵のような、日本を代表するトップスターになること」だった[29]。9月1日、名古屋の向陽高校から東京の堀越高校へ編入。向陽高校は一学期だけの在籍だった。堀越高校の同級生には、前出の桑田靖子や宮崎萬純のほか、石野陽子、本田美奈子、倉沢淳美、田中久美、長山洋子、南野陽子、永瀬正敏などがいた[30][注釈 4]。10月16日から、ラジオ番組『とびだせ!ポップシティ』(ニッポン放送)、同『サトミ・ヒトミ・ユキコの何かいいことないか仔猫ちゃん』(毎日放送)のパーソナリティとなり、タレント活動をスタートする。11月18日、東京大学の学園祭「東大駒場祭」に『アイドルニューフェイス』として出演し、チャリティーオークションのアシスタントを行う[31][注釈 5]。12月18日、バラエティ番組『ヤンヤン歌うスタジオ』(テレビ東京)に「報道部のお茶汲みおばさん」役として、テレビ番組に初登場する[32]。
岡田のタレント活動と並行して、「アイドル歌手」デビューの準備が進められた。キャニオンレコードのディレクター・渡辺有三は、岡田のデビュー曲の制作を竹内まりやに依頼。しかし、断られてしまう。竹内が自身のアルバム制作に入っていたことと、ここ数年、他の歌手への楽曲提供をしていなかったためである。そこで岡田が竹内に直談判したところ、竹内はその意気込みを気に入り制作を快諾[33]。デビュー曲候補である『ファースト・デイト』『リトル プリンセス』『-Dreaming Girl- 恋、はじめまして』の「学園恋愛三部作」、『気まぐれTeenage Love』『さよなら・夏休み』『憧れ』の、テーマが「ティーンエイジ・ラブ」である6曲を作詞・作曲する[34]。1983年12月10日、竹内が立ち合う中で初めてのレコーディングが行なわれた[35]。その当時のお互いの印象を、竹内は「お人形さんのようにかわいい子」、岡田は「主婦らしさのない女学生のような、素敵な女性」と語っている[33]。デビュー以降も竹内の楽曲提供は続くこととなり、その数は作詞のみも含めて11曲に及ぶ。それは、岡田が提供を受けた数、および竹内が提供した数、ともに自己最多である。デビュー曲は、1984年1月11日にトラックダウンされた[36]。
1984年(昭和59年)1月10日、若年男性向け情報誌『スコラ』(スコラ)から、アイドルとして初めての取材を受ける[36]。3月11日、東京の明治神宮絵画館前でラジオ番組のイベント『とびだせ!ポップシティ お菓子フェア』が開催され、アイドルとして初めてステージに立つ。岡田は観客の声援に驚き、とても感動したという[37]。3月20日から4月8日まで、交流会『集まれYukikoフレンズ』が名古屋(プリンセスガーデンホテル)を皮切りに全国7都市[注釈 6]で開催される。これはティーパーティ形式で、ファンとの交流とステージショーを行なうものだった。3月25日放送の音楽番組『ザ・ヒットステージ』(TBS)最終回、4月14日放送のバラエティ番組『ヤンヤン歌うスタジオ』(テレビ東京)と音楽バラエティ番組『アイドルパンチ』(テレビ朝日)で、「歌手」としてテレビ出演する[32]。
4月21日、シングル『ファースト・デイト』で歌手デビューする。キャッチフレーズは「いつまでも、一緒にいてね。」「ステキの国からやって来たリトル・プリンセス」。グラビア雑誌『BOMB!』(学習研究社)は、名古屋のキャンペーン活動に10時から23時まで、13時間密着取材する。岡田は日産ギャラリーのキャンペーン、中日スポーツ記者からの取材、CBCラジオ・東海ラジオ・FM愛知の番組ゲスト出演をこなしている[38]。歌手デビューしてからは、サンミュージックの先輩・松田聖子と比較され、「岡田有希子は第二の松田聖子」「ポスト聖子の第1候補」と言われるようになる。それに対し「やっぱり自分は自分だから、ホントはあまり言われたくない。松田聖子の真似にはなりたくない」と語っている[39]。また、インタビューで「目標とする歌手は誰か」と問われ、「岡田有希子」と答えている[31]。
5月31日、音楽番組『ザ・ベストテン』のスポットライト・コーナーに菊池桃子とともに初出演。この時の邦楽ランキングは21位だった(菊池は22位)。岡田が登場していきなり、司会の久米宏はデビュー曲「ファースト・デイト」を「ファースト・レディ」と間違えて紹介し、黒柳徹子も芸名「おかだゆきこ」を「おかだうきこ」と呼び間違えている[39]。7月29日、サンミュージック公設ファンクラブ結成。京王線新宿駅で一日駅長を務めた後、8両編成の特別列車「リトルプリンセス号[注釈 7]」で、ファン2,500人と会場のよみうりランドに移動[40]。会場では4,000人のファンと結成式を行った[31]。9月24日に大阪(大阪厚生年金会館)、9月30日に東京(日本青年館)で、岡田自身初のコンサート『恋はじめまして』が開催される。10月8日から翌1985年10月7日まで、ラジオ番組『ちょっとおあずけ』(ニッポン放送)が放送される。この番組は、多くの投稿を紹介したい岡田の希望により、コーナーは設けられていない。また、アイドルがパーソナリティを務める番組には珍しく、楽曲選定も岡田自身が全て行なっている[41]。10月15日に音楽番組『ザ・トップテン』(日本テレビ系列局)で8位、10月18日に音楽番組『ザ・ベストテン』で10位となる。これらの番組に10位以内で出演する事は、岡田が歌手になっての一番の目標だった[31]。
この年は、新人賞を吉川晃司、菊池桃子、荻野目洋子、SALLY、田中久美、長山洋子、神野美伽、一世風靡セピアらと争い、『日本レコード大賞』最優秀新人賞をはじめ音楽祭の賞を総なめにした[注釈 8][注釈 9]。『日本歌謡大賞』ほか、5つの音楽祭の最優秀新人賞は、吉川と同時受賞する[42]。オフは1日で、名古屋での仕事が終わったら実家に直行したという[43]。
1985年(昭和60年)2月9日・14日・15日、グラビア雑誌『BOMB|BOMB!』と同『DUNK』(集英社)が、岡田の1日の芸能活動を密着取材した。2月9日は仙台で8時から21時まで13時間[44]、14日は東京で10時から22時まで12時間[45]、2月15日は9時から23時まで14時間[46]、途中に病院で風邪と過労と診断され点滴を打ちながら、イベント出演、テレビやラジオ番組の収録、ドラマ撮影、取材などのタレント活動をこなす。『DUNK』の記者は「その忙しさを毎日こなしてるなんて、偉大さしみじみ実感。ワシらの体力もうあかん。ああ情けねえ」と感想を述べている[47]。
3月25日から5月26日まで、全国コンサート『ハートにキッス』が札幌(札幌市民会館)を皮切りに全13都市[注釈 10]で開催される。岡田自身の曲だけでなく、小泉今日子や中森明菜、河合奈保子らのヒットメドレー、マドンナの『ライク・ア・ヴァージン』を激しい踊りつきで歌う[48]。4月3日の名古屋(愛知厚生年金会館)では、岡田の母親と小学生の恩師が鑑賞している[2]。6月5日から一週間、堀越高校の修学旅行で北海道に滞在[49]する予定だったが、3日目の6月8日、ヨーロッパへ出発。スイスのチューリッヒからアルプス山脈のユングフラウヨッホを経由してジュネーブまでを鉄道で廻り、カペル橋(ルツェルン)、インターラーケン城(インターラーケン)、シヨン城(モントルー)、ノートルダム大聖堂(ローザンヌ)などで、プロモーションビデオや写真集、CMなどの撮影を行なった。ユングフラウヨッホは6月で気温氷点下10度のため、1分ほど撮影して体を温めることの繰り返しだった[50]。6月23日に帰国。7月25日から10月26日まで、全国コンサート『ファンタジアン』が新宮(新宮市民会館)を皮切りに全23都市(芝(東京郵便貯金会館)ほか追加の7都市を含む)[注釈 11]で開催される。
11月5日から翌1986年(昭和61年)1月28日まで放送の連続テレビドラマ『禁じられたマリコ』(TBS系)では、岡田は連続テレビドラマで初主演をする。その撮影はコンサート期間中の1985年9月19日から、12月いっぱいまで毎日のように行なわれた。スケジュールの関係で8時間休憩がなかったり[51]、時には撮影が深夜に及ぶこともあった[52]。それでも岡田は、NGをほとんど出していなかった[51]。
1986年(昭和61年)1月29日、シングル『くちびるNetwork』が発売され、オリコンチャートで初登場1位となった。この曲は、当時妊娠により休業中だった松田聖子初の提供作品(作詞)であり、作曲は坂本龍一という、異色のコンビにより誕生した。松田が岡田のために、自身の歌声を吹き込んだデモテープを制作しただけでなく、坂本とともに録音スタジオを訪れたことに、岡田はとても感激したという[53]。岡田と同じ1984年デビューの沢口靖子をイメージキャラクターとした『カネボウ・春のキャンペーン』ソングとして使用された。2月11日から3月2日まで、握手会イベント『くちびる・ときめきネットワーク』が全5都市[注釈 12]で開催される。初日の東京(後楽園ホール)では、二部構成で合計4,000人のファンを動員している[54]。
3月3日、堀越高校を卒業。4月4日、世田谷区成城の相澤社長宅を出て、港区南青山のマンションで一人暮らしを始める。ここは、オートロック方式のマンションが見付かるまでの仮住まいだった[2]。4月5日、全国コンサート『Heart Jack』全5都市(東京、名古屋、豊橋、鶴岡、大阪)がスタートする。4月10日からは、テレビ朝日のドラマ収録なども控えていた[55]。
急死
全国コンサートがスタートして3日後の4月8日、自宅マンションでリストカットを行いガス自殺未遂。2階上のマンション住民がガス臭に気づき、管理人が110番と東京ガスに通報した。レスキュー隊が駆けつけたとき、岡田は押入れの下段でうずくまり、泣いていたという[2]。現場から程近い北青山病院にて治療した後、芸能事務所に戻った直後の12時15分、事務所が入居しているビル(東京都新宿区四谷)の屋上から飛び降り自殺。全身強打で即死した。享年20(満18歳没)[4]。遺書とみられる、鉛筆書きの便箋が残されていた[56][注釈 13]。
同日夜、真成院(四谷霊廟、同新宿区)で親族のみによる仮通夜。4月9日、太宗寺(同新宿区)で通夜。4月10日、宝仙寺(同中野区)でサンミュージック社葬として葬儀・告別式が営まれた。最優秀新人賞を争った吉川晃司、番組で多数共演したロックバンド・SALLYの杉山洋介と岡田尚、岡田が大ファンだった舘ひろしをはじめ、多くの業界関係者や全国からのファンが参列している[57][58]。そして、代々幡斎場(同渋谷区)で荼毘に付された[59]。地元の名古屋でも、4月11日に東本願寺名古屋別院(名古屋市中区)、4月15日に観聴寺(同熱田区)で告別式が行われた[60]。
墓所は成満寺(じょうまんじ、愛知県愛西市)、法名は侑樂院釋尼佳朋(ゆうぎょういんしゃくにかほう)。祥月命日である4月8日は佳桜忌(かおうき)と呼ばれている。[61]
1987年(昭和62年)7月、「サンミュージック代表、相澤秀禎」名義で慰霊碑が寄贈され、墓の隣に建立された。そこには岡田有希子の直筆で書かれた詩(題名:プライベートタイム[62])、芸歴・受賞歴、相澤の哀悼の意が刻まれている。ファンからの献花が絶えることはなく、毎年の祥月命日には成満寺だけでなく、岡田が倒れた東京・四谷の現場にも全国からファンが集まり、献花と黙祷が行われている[63][64][65]。東京・四谷では、黙祷が終了したら花を全て回収し、夕刻までに愛知の成満寺へ輸送。改めて墓前の献花が行われた後、住職によるファンへの法話が執り行われる。法話は、2006年(平成18年)から続けられている[66]。
影響とその後
1986年4月8日、事件の直後に現場へ駆けつけた報知新聞記者・細貝武と芸能リポーター・梨元勝の取材に対し、サンミュージック専務・福田時雄は、「岡田が何に悩んでいたかは分からない。でも、躁鬱の激しい子だった」と答えている[2][67]。その模様は同日、梨元がレギュラー出演していたワイドショー『酒井広のうわさのスタジオ』(日本テレビ)で放送された。その一方で朝日新聞は、担当者がみな岡田のことを知らなかったため、自殺未遂発覚の時点では記事にしない予定であった[68]。同日夜に放送された報道番組『ニュースステーション』(テレビ朝日系列)では、岡田の死については一切触れず、番組終了時にメインキャスターの久米宏が「連鎖反応を起こす心配があるので、今日は自殺の報道を控えました」とコメントしている[69]。明けて4月9日、全ての放送局のワイドショー番組で事件が大々的に取り上げられた[70]。報道番組やワイドショーは、現場に横たわった生々しい遺体を撮影したり、動画をテレビのワイドショーで放送するなどしたため、それを目にした多くのファンに大きな衝撃を与えた[4]。これが原因のウェルテル効果とみられ、後に「ユッコ・シンドローム」とも呼ばれる若者の相次ぐ自殺が、この頃から目立つようになる[4][71]。
芸能界では4月8日14時、岡田が初めてレギュラー出演したバラエティ番組『ヤンヤン歌うスタジオ』(テレビ東京)では、4月13日放送分の追悼特集が収録され、司会のあのねのねが岡田の人柄について語っている[72]。4月15日には4月20日放送分の収録に、岡田を可愛がっていた共演者の近藤真彦 と中森明菜も出演した。二人は岡田との思い出を語るとともに、視聴者に対して自殺を思いとどまるよう訴えている[73]。4月10日、音楽番組『ザ・ベストテン』(TBS)のエンディングでは黒柳徹子が、視聴者に向けて涙ながらに語っている。4月19日、北極に近いカナダのレゾリュートに滞在していた和泉雅子は、「自分自身の身近な目標と、ガンバルという意思を持てば、毎日がもっと楽しくなる。あなたの“北極点”を持ってほしい」と呼びかけた[74]。4月20日放送の音楽バラエティ番組『歌謡ドッキリ大放送』(テレビ朝日)では、収録の4月4日に岡田が出演している(これが最後のテレビ出演だった)ため、収録日と哀悼の意を表すテロップが表示された。4月21日にはサンミュージックの先輩・森田健作が、ワイドショー『おはよう!ナイスデイ』(フジテレビ)の緊急特集に出演し、若者に後追い自殺をやめるよう訴えている[75]。
岡田の死は、国会でも取り上げられた[4]。4月9日、国会の衆議院文教委員会で江田五月が話題として取り上げ、当時の文部大臣・海部俊樹が所感を述べている[76][77]。この時点では、事態をほとんど把握できていなかった。しかし、若者の自殺の連鎖が止まらないことと、去る同年2月1日に『中野富士見中学いじめ自殺事件』が起こっていたこともあり、政府は事態を無視できなくなる。4月25日、衆議院文教委員会と参議院特別委員会で「青少年問題」として議題に取り上げ、最善策を本格的に審議されることとなった[78][79]。1986年の若者の自殺は800件を越えている[3]。
コンサートは、4月5日の東京(渋谷公会堂)と4月6日の名古屋(名古屋市民会館)の2都市で行われていた。4月12日の豊橋公演では、サンミュージックの先輩・早見優がアメリカでの仕事をキャンセルして代役を務めた[2]が、鶴岡と大阪は公演が中止となる。5月14日に発売予定だったシングル『花のイマージュ』と、コンサートの模様を収めたビデオは、商品化が中止となった。サンミュージック側が予定通りの発売を要請したのに対し、キャニオンレコード側が難色を示したためである[28]。『花のイマージュ』は13年後の1999年、CDアルバム『メモリアルBOX』に収録、発売された。その一方、コンサート映像は2015年8月現在も商品化されていない。
書籍でも、アルバム『ヴィーナス誕生』と同名の写真集が、扶桑社から1986年4月1日に発売されたばかりだったが、全て回収された(16年後の2002年、復刻版として発売されている)。また、雑誌『中一時代』(旺文社発行)1986年4月号から、岡田が執筆した小説を連載予定であったが、打ち切りとなった。岡田が小学生の頃から憧れた職業の一つ「小説家」として、ラジオ番組で共演した青木小織里をモデルとした作品だった。しかし、完成したのは3作品。世に出たのは岡田が死去する前、3月発売の4月号に既に掲載されていた1作品だけだった[80]。作品は全てムック『Cookie1986年6月号別冊「さよなら…有希子」』(シーズ)に収録された。
その一方で、岡田のプロマイドの販売は続けられ、ランキングの上位5位から落ちたことはない。プロマイド販売の老舗『マルベル堂』の常務・三ツ沢博は、「第二の赤木圭一郎になるだろう」と語っている[30][注釈 14]。
自殺の原因を巡っての様々な噂が巷で飛び交い、「大手芸能プロダクションIの俳優Kが失恋相手だった」「妊娠を苦に自殺した」「本当は殺された」など、都市伝説として広まったことがあったが[4]、真相は闇の中でよくわかっていない[4]。岡田有希子の死から14年後の2000年(平成12年)には、岡田の元チーフマネージャーであった取締役制作部長が、同じビルのトイレで首吊り自殺をしている[4]。
2013年(平成25年)12月10日放送の単発特別番組枠『カスペ! 』(フジテレビ)では、サンミュージック社長・相澤の死去10日前から没するまでを追ったドキュメンタリー『独占! 昭和芸能界の真実 アイドル発掘王・相澤秀禎』が特集され、“伝説の美少女アイドル”として岡田の話題も採り上げられた。そこでは、相澤が岡田の死を止められなかったことを生涯悔やんでいたこと、岡田が生前、酒井法子にプレゼントしていたサイン入り写真パネルを、酒井から譲り受けて芸能事務所の社長室で飾られていること、毎年手帳を新調するごとに岡田の写真を表紙裏に貼り、絶えず持ち歩いていたことが紹介されている[81]。
2016年(平成28年)3月16日、東海ラジオで深夜放送『ドットーレ山口のドキドキラジオ'84』が4月2日から放送されることが発表された[82]。この番組は、岡田が1984年4月9日から1985年10月7日まで同放送局でパーソナリティを務めた深夜放送『奈美子・有希子・小緒里のドキドキラジオ』と同じタイトルを掲げ、岡田をトリビュートした番組として、岡田関連を中心に取り上げるプログラムとなっている[83]。ナビゲーターは、医師でパーソナリティのドットーレ山口(山口悟 ナグモクリニック名古屋 院長、医学博士、日本形成外科学会認定専門医、など)が務める[84]。
人物
エピソード
![]() | この節に雑多な内容が羅列されています。 |
- 好きな男性芸能人は、同じ名古屋市出身の舘ひろし[85]。テレビドラマ『西部警察』(テレビ朝日系列)を見て「ステキ」と思い、1984年10月15日放送の歌番組『ザ・トップテン』で初めて会ってから、すっかり大ファンになったという。後に雑誌『明星』(集英社)の対談で、岡田は「舘のレコードやカセットテープを買い集めていた」こと、「対談前にテレビ朝日の広報に行って、舘主演のテレビドラマ『ただいま絶好調!』のポスターを貰ってきた」ことを語っている。それを聞いた舘は喜びながらも「僕のレコードなどはあげるから、お金を貯めなさい」と貯蓄することをすすめ、仕事に関しては「仕事は頑張ると良い所がなくなる。仕事を遊び、わがままを通し、好きなようにやったほうがいい」とアドバイスしている[86]。
- 岡田は、成績向上に繋がった勉強方法として、各教科とも問題集を一冊に絞って丸暗記したことを紹介している。「カメラマンがシャッターを押すように、精神統一して1ページ1ページ真剣に頭に入れていく。そうすれば思い出すとき、不思議と一枚の写真のように頭によみがえる」と語っている[87][21]。また、芸能界入りに大反対していたはずの母親が一転して、猛勉強中に毎日欠かさず夜食を持ってきたという。その理由について「夜食で私をブタ並みに太らせ、『スター誕生!』の決勝を落とそうとする母の魂胆だった」と語っている[19]。
- 体型を気にしており、「もっと痩せたい。バストは発育し過ぎたから、もっと小さくしたい」と考えていた[88]。また、水着撮影の時は腹が出ているのを嫌い、1日1回しか食事をしなかった[89]。
- 視力は左右ともに0.1以下のため、プライベートではかなり度の強い眼鏡を使用していた[90][91]。その様子について、小泉今日子は「仕事じゃないときはいつも牛乳瓶の底みたいな分厚い眼鏡をかけていた。レンズを通して小さくなった目がなんとも可愛かった」[92]、親友の田中久美は「眼鏡はまるで牛乳瓶の底。かけた姿は可愛いというか、面白いというか」[93]と回想している。逆にタレント活動中はコンタクトレンズや眼鏡など矯正具を一切使用していない。そのことについて田中久美は「遠くで手を振っていても知らん顔で、かなり近付いたらやっと気付いてもらえた。コンタクトレンズをするのが怖かったのかもしれない」と回想しており[93]、岡田も「いつもいろんな人が出入りしている所だと、あいさつのこと考えて疲れちゃうの。“あの人には、もうあいさつしたかな?無視しちゃったかな?…”なんて考えちゃうから」と語っている[7]。プロモーションビデオ撮影のとき、離れたカメラに向かってまっすぐ歩くことが出来ず、ふらつくことが多かったという[94]。
- 音楽ユニット『TM NETWORK』のリーダーで音楽プロデューサーの小室哲哉が、岡田と同じ1984年4月21日のメジャーデビュー後に初めて手掛けた提供曲は、岡田のアルバム『十月の人魚』に収録されている『Sweet Planet』『水色プリンセス』(いずれも作曲のみ)である。『水色プリンセス』はクラシック調の壮麗なメロディーで相当難しい曲だったが、岡田は無事に歌いこなしている[95]。
- 1985年10月16日放送の『夜のヒットスタジオDELUXE』(フジテレビ系列)に出演した時、急遽番組内で阪神タイガースのセントラル・リーグ優勝の瞬間まで生中継をすることとなった。中継が終わるまで司会の芳村真理や古舘伊知郎、出演者の五木ひろしや藤井フミヤらと共に野球観戦をすることになり、阪神の優勝を見届けることとなった[96]。岡田は、優勝した阪神タイガースでも地元・名古屋の中日ドラゴンズでもなく、読売ジャイアンツのファンだった[39]。
- サンミュージック社長・相澤秀禎宅で同居していた先輩の桑田靖子・同期の滝里美・後輩の橋本美加子によると、「ユッコ(岡田有希子)は芸能活動のかたわら勉学にも手を抜かず、テスト時はほとんど寝ていなかった。普段から、仕事で遅く帰ってきた後もダイエット運動や雑用をしており、いつの間にか床の上で寝ていた」という。また、岡田の恋愛について「男の人とおつき合いしたことはないと思う。前の学校(向陽高校)でも憧れの人はいても、おつき合いしたことはないと言っていた」と語っている。さらに、「舘ひろしが大好きで、テレビで見るたびはしゃいだり、雑誌で対談[86]したことをとても嬉しそうに話していた」とのこと。しかし3人とも、岡田が悩んでいることには全く気付かなかったという[28]。
交友関係
- 1984年の同期デビューだった田中久美、荻野目洋子、菊池桃子や、堀越高校の同級生(1967年度生まれ)だった南野陽子、石野陽子、長山洋子、宮崎萬純らと仲が良かった。同期デビューで同級生でもあり、特に仲の良かった田中久美は、2012年7月より福岡県築上郡築上町のコミュニティFM『スターコーン・エフエム』でパーソナリティを務めており、ローカルワイド番組『スターコーンほっと!ネットラジオ』では岡田の曲を必ず流している。きっかけは、岡田の27回忌である2012年4月8日。田中が現場となった東京・四谷3丁目交差点の追悼イベントに赴いて、そこで100人を超すファンが献花・黙祷を捧げていたのを目の当たりにし、「ユッコはファンの心の中でまだまだ生きてる」と感激したからだった。番組はサイマルラジオで世界に配信され、海外に在住の熱心なファンからも番組宛てにメール投稿が届いているという[97]。その模様は情報バラエティ番組『爆報! THE フライデー』(2014年5月30日放送、TBSテレビ)[98]、ドキュメンタリーバラエティ番組『明石家さんまの転職DE天職』(2015年5月3日放送、日本テレビ系列)[99]にも取り上げられた。また、2015年12月15日には名古屋のコミュニティFM『MID-FM』の音楽番組『Il tempo di passione -情熱の時代-』にゲスト出演。パーソナリティのドットーレ山口(山口悟)[84]を相手に、堀越高校での学校生活や仕事の思い出を話し、岡田の曲『恋はじめまして』『ロンサムシーズン』『Believe in you』を歌った[100][注釈 15]。
- 岡田が引っ越すまで相澤社長宅のルームメイトで 1年後輩の橋本美加子、ラジオで共演した2年後輩の水谷麻里、1985年12月に上京して下宿生活を始めたばかりの酒井法子を可愛がっていた。酒井に関しては1986年4月5日、岡田が引越しの荷物を完全に運び出す時、廃棄処分しようとしていた写真パネルを酒井が欲しがったため、「To のりっぺ Kun」(のりっぺ君へ)とサインを入れてプレゼントしている[102]。同日、岡田は相澤社長夫妻に「私の代わりがいるじゃない」と話している。その3日後に岡田は他界。のちに写真パネルは酒井から譲り受け、芸能事務所の社長室で飾られることになった[81]。
音楽
シングル
No. | タイトル | 発売日 | 最高位 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | ファースト・デイト | 1984年4月21日 | 20位 | デビュー曲/グリコ・カフェゼリー」CM曲 |
2 | リトル プリンセス | 1984年7月18日 | 14位 | |
3 | -Dreaming Girl- 恋、はじめまして | 1984年9月21日 | 7位 | 「グリコ・セシルチョコレート」CM曲 |
4 | 二人だけのセレモニー | 1985年1月16日 | 4位 | 「東芝・レッツチャット」CM曲 |
5 | Summer Beach | 1985年4月17日 | 5位 | 「グリコ・カフェゼリー」CM曲 |
6 | 哀しい予感 | 1985年7月17日 | 7位 | |
7 | Love Fair | 1985年10月5日 | 5位 | 「グリコ・セシルチョコレート」CM曲 |
8 | くちびるNetwork | 1986年1月29日 | 1位 | カネボウ化粧品 '86春のイメージソング |
9 | Believe In You(2003 Strings Version) | 2002年12月4日 | 63位 |
発売中止
No. | タイトル | 発売予定日 | 備考 |
---|---|---|---|
1 | 花のイマージュ | 1986年5月14日 | 1999年3月17日発売のアルバム『メモリアルBOX』に初収録 |
オリジナル・アルバム
曲順 | 曲名 | 作詞 | 作曲 | 編曲 |
---|---|---|---|---|
1 (A-1) | さよなら・夏休み | 竹内まりや | 竹内まりや | 清水信之 |
2 (A-2) | リトル プリンセス | 竹内まりや | 竹内まりや | 大村雅朗 |
3 (A-3) | 彼はハリケーン | EPO | 清水信之 | 清水信之 |
4 (A-4) | 丘の上のハイスクール | 康珍化 | 萩田光雄 | 萩田光雄 |
5 (A-5) | 潮風のラブ・レター | 康珍化 | 白井良明 | 清水信之 |
6 (B-1) | 風の中のカフェテラス | 三浦徳子 | 岡田徹 | 清水信之 |
7 (B-2) | 憧れ | 竹内まりや | 竹内まりや | 萩田光雄 |
8 (B-3) | Plastic Girl | 山口美央子 | 山口美央子 | 萩田光雄 |
9 (B-4) | ソネット | 吉沢久美子 | 梅垣達志 | 萩田光雄 |
10 (B-5) | ファースト・デイト | 竹内まりや | 竹内まりや | 萩田光雄 |
曲順 | 曲名 | 作詞 | 作曲 | 編曲 |
---|---|---|---|---|
1 (A-1) | 風の魔法で… | 夏目純 | 尾崎亜美 | 松任谷正隆 |
2 (A-2) | Walking In The Moonlight | 三浦徳子 | 堀川まゆみ | 松任谷正隆 |
3 (A-3) | 目をさまして、Darling | 康珍化 | 馬飼野康二 | 松任谷正隆 |
4 (A-4) | 二人だけのセレモニー | 夏目純 | 尾崎亜美 | 松任谷正隆 |
5 (A-5) | 森のフェアリー | かしぶち哲郎 | かしぶち哲郎 | 松任谷正隆 |
6 (B-1) | おしゃれな雨音 | 吉沢久美子 | 松任谷正隆 | 松任谷正隆 |
7 (B-2) | ストライプのジェラシー | 三浦徳子 | 馬飼野康二 | 松任谷正隆 |
8 (B-3) | Lady Joker | 吉沢久美子 | 堀川まゆみ | 松任谷正隆 |
9 (B-4) | あなたを忘れる魔法があれば | 康珍化 | 松任谷正隆 | 松任谷正隆 |
10 (B-5) | ポップ・アップ・リセエンヌ | かしぶち哲郎 | かしぶち哲郎 | 松任谷正隆 |
曲順 | 曲名 | 作詞 | 作曲 | 編曲 |
---|---|---|---|---|
1 (A-1) | Sweet Planet | 三浦徳子 | 小室哲哉 | 松任谷正隆 |
2 (A-2) | みずうみ | 三浦徳子 | 財津和夫 | 松任谷正隆 |
3 (A-3) | 花鳥図 | 高橋修 | 財津和夫 | 松任谷正隆 |
4 (A-4) | 哀しい予感 | 竹内まりや | 竹内まりや | 松任谷正隆 |
5 (A-5) | ロンサム・シーズン | 竹内まりや | 竹内まりや | 松任谷正隆 |
6 (B-1) | 流星の高原 | 高橋修 | 松任谷正隆 | 松任谷正隆 |
7 (B-2) | Bien | かしぶち哲郎 | かしぶち哲郎 | 松任谷正隆 |
8 (B-3) | ペナルティ | 竹内まりや | 杉真理 | 松任谷正隆 |
9 (B-4) | 十月の人魚 | 高橋修 | 松任谷正隆 | 松任谷正隆 |
10 (B-5) | 水色プリンセス ―水の精― | 三浦徳子 | 小室哲哉 | 松任谷正隆 |
曲順 | 曲名 | 作詞 | 作曲 | 編曲 |
---|---|---|---|---|
1 (A-1) | WONDER TRIP LOVER | EPO | 坂本龍一 | かしぶち哲郎 |
2 (A-2) | 愛…illusion | Seiko | 飛澤宏元 | かしぶち哲郎 |
3 (A-3) | ヴィーナス誕生 | 前川由佳 | 木下伸司 | かしぶち哲郎 |
4 (A-4) | Spring Accident | EPO | 大貫妙子 | かしぶち哲郎 |
5 (A-5) | 銀河のバカンス | 高橋修 | 三井一正 | かしぶち哲郎 |
6 (B-1) | ジュピター | かしぶち哲郎 | かしぶち哲郎 | かしぶち哲郎 |
7 (B-2) | くちびるNetwork | Seiko | 坂本龍一 | かしぶち哲郎 |
8 (B-3) | 眠れぬ夜のAQUARIUS | 麻生圭子 | 坂本龍一 | かしぶち哲郎 |
9 (B-4) | 水晶の家 | 高橋修 | かしぶち哲郎 | かしぶち哲郎 |
10 (B-5) | 愛のコロニー | かしぶち哲郎 | かしぶち哲郎 | かしぶち哲郎 |
ベスト・アルバム
- レコード
曲順 | 曲名 | 作詞 | 作曲 | 編曲 |
---|---|---|---|---|
1 (A-1) | ファースト・デイト | 竹内まりや | 竹内まりや | 萩田光雄 |
2 (A-2) | そよ風はペパーミント | 田口俊 | 大村雅朗 | 大村雅朗 |
3 (A-3) | リトル プリンセス | 竹内まりや | 竹内まりや | 大村雅朗 |
4 (B-1) | -Dreaming Girl- 恋、はじめまして | 竹内まりや | 竹内まりや | 萩田光雄 |
5 (B-2) | 気まぐれ Teenage Love | 竹内まりや | 竹内まりや | 萩田光雄 |
6 (B-3) | 恋のダブルス | 康珍化 | 萩田光雄 | 萩田光雄 |
7 (B-4) | Believe In You[注釈 16] | 吉沢久美子 | 梅垣達志 | 萩田光雄 |
- カセット
曲順 | 曲名 | 作詞 | 作曲 | 編曲 |
---|---|---|---|---|
1 (A-1) | ファースト・デイト | 竹内まりや | 竹内まりや | 萩田光雄 |
2 (A-2) | そよ風はペパーミント | 田口俊 | 大村雅朗 | 大村雅朗 |
3 (A-3) | リトル プリンセス | 竹内まりや | 竹内まりや | 大村雅朗 |
4 (A-4) | 恋のダブルス | 康珍化 | 萩田光雄 | 萩田光雄 |
5 (A-5) | 気まぐれTeenage Love | 竹内まりや | 竹内まりや | 萩田光雄 |
6 (B-1) | -Dreaming girl- 恋、はじめまして | 竹内まりや | 竹内まりや | 萩田光雄 |
7 (B-2) | Believe In You | 吉沢久美子 | 梅垣達志 | 萩田光雄 |
8 (B-3) | ファースト・デイト(オリジナル・カラオケ) | 竹内まりや | 竹内まりや | 萩田光雄 |
9 (B-4) | リトル プリンセス(オリジナル・カラオケ) | 竹内まりや | 竹内まりや | 大村雅朗 |
10 (B-5) | -Dreaming girl- 恋、はじめまして(オリジナル・カラオケ) | 竹内まりや | 竹内まりや | 萩田光雄 |
曲順 | 曲名 | 作詞 | 作曲 | 編曲 |
---|---|---|---|---|
1 (A-1) | 二人だけのセレモニー[注釈 17] | 夏目純 | 尾崎亜美 | 松任谷正隆 |
2 (A-2) | Summer Beach | 尾崎亜美 | 尾崎亜美 | 松任谷正隆 |
3 (A-3) | 哀しい予感 | 竹内まりや | 竹内まりや | 松任谷正隆 |
4 (A-4) | Love Fair | かしぶち哲郎 | かしぶち哲郎 | 松任谷正隆 |
5 (B-1) | PRIVATE RED | 売野雅勇 | 山川恵津子 | 大村雅朗 |
6 (B-2) | 星と夜と恋人たち | 吉沢久美子 | MAYUMI | 松任谷正隆 |
7 (B-3) | 恋人たちのカレンダー | 竹内まりや | 竹内まりや | 松任谷正隆 |
8 (B-4) | 二人のブルー・トレイン | 竹内まりや | 杉真理 | 松任谷正隆 |
9 (B-5) | 小羊NOTE | 康珍化 | 山川恵津子 | 大村雅朗 |
- Disc1 『贈りもの』
曲順 | 曲名 | 作詞 | 作曲 | 編曲 |
---|---|---|---|---|
1 | ファースト・デイト | 竹内まりや | 竹内まりや | 萩田光雄 |
2 | そよ風はペパーミント | 田口俊 | 大村雅朗 | 大村雅朗 |
3 | リトル プリンセス | 竹内まりや | 竹内まりや | 大村雅朗 |
4 | -Dreaming girl- 恋、はじめまして | 竹内まりや | 竹内まりや | 萩田光雄 |
5 | 気まぐれTeenage Love | 竹内まりや | 竹内まりや | 萩田光雄 |
6 | 恋のダブルス | 康珍化 | 萩田光雄 | 萩田光雄 |
7 | Believe In You | 吉沢久美子 | 梅垣達志 | 萩田光雄 |
- Disc2 『贈りものII』
曲順 | 曲名 | 作詞 | 作曲 | 編曲 |
---|---|---|---|---|
1 | 二人だけのセレモニー[注釈 17] | 夏目純 | 尾崎亜美 | 松任谷正隆 |
2 | Summer Beach | 尾崎亜美 | 尾崎亜美 | 松任谷正隆 |
3 | 哀しい予感 | 竹内まりや | 竹内まりや | 松任谷正隆 |
4 | Love Fair | かしぶち哲郎 | かしぶち哲郎 | 松任谷正隆 |
5 | PRIVATE RED | 売野雅勇 | 山川恵津子 | 大村雅朗 |
6 | 星と夜と恋人たち | 吉沢久美子 | MAYUMI | 松任谷正隆 |
7 | 恋人たちのカレンダー | 竹内まりや | 竹内まりや | 松任谷正隆 |
8 | 二人のブルー・トレイン | 竹内まりや | 杉真理 | 松任谷正隆 |
9 | 小羊NOTE | 康珍化 | 山川恵津子 | 大村雅朗 |
- Disc3 『ヴィーナス誕生』
曲順 | 曲名 | 作詞 | 作曲 | 編曲 |
---|---|---|---|---|
1 | WONDER TRIP LOVER | EPO | 坂本龍一 | かしぶち哲郎 |
2 | 愛…illusion | Seiko | 飛澤宏元 | かしぶち哲郎 |
3 | ヴィーナス誕生 | 前川由佳 | 木下伸司 | かしぶち哲郎 |
4 | Spring Accident | EPO | 大貫妙子 | かしぶち哲郎 |
5 | 銀河のバカンス | 高橋修 | 三井一正 | かしぶち哲郎 |
6 | ジュピター | かしぶち哲郎 | かしぶち哲郎 | かしぶち哲郎 |
7 | くちびるNetwork | Seiko | 坂本龍一 | かしぶち哲郎 |
8 | 眠れぬ夜のAQUARIUS | 麻生圭子 | 坂本龍一 | かしぶち哲郎 |
9 | 水晶の家 | 高橋修 | かしぶち哲郎 | かしぶち哲郎 |
10 | 愛のコロニー | かしぶち哲郎 | かしぶち哲郎 | かしぶち哲郎 |
- Disc4 『花のイマージュ/秘密のシンフォニー』
曲順 | 曲名 | 作詞 | 作曲 | 編曲 |
---|---|---|---|---|
1 | 花のイマージュ | かしぶち哲郎 | かしぶち哲郎 | かしぶち哲郎 |
2 | 秘密のシンフォニー | 麻生圭子 | 大貫妙子 | かしぶち哲郎 |
曲順 | 曲名 | 作詞 | 作曲 | 編曲 |
---|---|---|---|---|
1 | さよなら・夏休み | 竹内まりや | 竹内まりや | 清水信之 |
2 | リトル プリンセス | 竹内まりや | 竹内まりや | 大村雅朗 |
3 | 憧れ | 竹内まりや | 竹内まりや | 萩田光雄 |
4 | ソネット | 吉沢久美子 | 梅垣達志 | 萩田光雄 |
5 | ファースト・デイト | 竹内まりや | 竹内まりや | 萩田光雄 |
6 | -Dreaming Girl- 恋、はじめまして | 竹内まりや | 竹内まりや | 萩田光雄 |
7 | 二人だけのセレモニー | 夏目純 | 尾崎亜美 | 松任谷正隆 |
8 | あなたを忘れる魔法があれば | 康珍化 | 松任谷正隆 | 松任谷正隆 |
9 | Sweet Planet | 三浦徳子 | 小室哲哉 | 松任谷正隆 |
10 | ロンサム・シーズン | 竹内まりや | 竹内まりや | 松任谷正隆 |
11 | 水色プリンセス ―水の精― | 三浦徳子 | 小室哲哉 | 松任谷正隆 |
12 | Summer Beach | 尾崎亜美 | 尾崎亜美 | 松任谷正隆 |
13 | Love Fair | かしぶち哲郎 | かしぶち哲郎 | 松任谷正隆 |
14 | くちびるNetwork | Seiko | 坂本龍一 | かしぶち哲郎 |
15 | 恋のエチュード | かしぶち哲郎 | 飛澤宏元 | かしぶち哲郎 |
16 | 花のイマージュ | かしぶち哲郎 | かしぶち哲郎 | かしぶち哲郎 |
17 | Believe In You | 吉沢久美子 | 梅垣達志 | 萩田光雄 |
- 贈りものIII〜岡田有希子CD/DVD-BOX(2002年12月18日)
- 12月30日付週間アルバムランキング、初登場87位。
- CD6枚とDVD1枚がセットになったスペシャルBOX。各スタジオアルバムごとにボーナストラックが収録されている。
- ※「☆」印が付いている楽曲はボーナストラック。
- Disc1 『シンデレラ Plus』
曲順 | 曲名 | 作詞 | 作曲 | 編曲 |
---|---|---|---|---|
1 | さよなら・夏休み | 竹内まりや | 竹内まりや | 清水信之 |
2 | リトル プリンセス | 竹内まりや | 竹内まりや | 大村雅朗 |
3 | 彼はハリケーン | EPO | 清水信之 | 清水信之 |
4 | 丘の上のハイスクール | 康珍化 | 萩田光雄 | 萩田光雄 |
5 | 潮風のラブ・レター | 康珍化 | 白井良明 | 清水信之 |
6 | 風の中のカフェテラス | 三浦徳子 | 岡田徹 | 清水信之 |
7 | 憧れ | 竹内まりや | 竹内まりや | 萩田光雄 |
8 | Plastic Girl | 山口美央子 | 山口美央子 | 萩田光雄 |
9 | ソネット | 吉沢久美子 | 梅垣達志 | 萩田光雄 |
10 | ファースト・デイト | 竹内まりや | 竹内まりや | 萩田光雄 |
11 | そよ風はペパーミント ☆ | 田口俊 | 大村雅朗 | 大村雅朗 |
12 | 恋のダブルス ☆ | 康珍化 | 萩田光雄 | 萩田光雄 |
13 | -Dreaming Girl- 恋、はじめまして ☆ | 竹内まりや | 竹内まりや | 萩田光雄 |
14 | 気まぐれTeenage Love ☆ | 竹内まりや | 竹内まりや | 萩田光雄 |
15 | Believe In You ☆ | 吉沢久美子 | 梅垣達志 | 萩田光雄 |
- Disc2 『FAIRY Plus』
曲順 | 曲名 | 作詞 | 作曲 | 編曲 |
---|---|---|---|---|
1 | 風の魔法で… | 夏目純 | 尾崎亜美 | 松任谷正隆 |
2 | Walking In The Moonlight | 三浦徳子 | 堀川まゆみ | 松任谷正隆 |
3 | 目をさまして、Darling | 康珍化 | 馬飼野康二 | 松任谷正隆 |
4 | 二人だけのセレモニー[注釈 17] | 夏目純 | 尾崎亜美 | 松任谷正隆 |
5 | 森のフェアリー | かしぶち哲郎 | かしぶち哲郎 | 松任谷正隆 |
6 | おしゃれな雨音 | 吉沢久美子 | 松任谷正隆 | 松任谷正隆 |
7 | ストライプのジェラシー | 三浦徳子 | 馬飼野康二 | 松任谷正隆 |
8 | Lady Joker | 吉沢久美子 | 堀川まゆみ | 松任谷正隆 |
9 | あなたを忘れる魔法があれば | 康珍化 | 松任谷正隆 | 松任谷正隆 |
10 | ポップ・アップ・リセエンヌ | かしぶち哲郎 | かしぶち哲郎 | 松任谷正隆 |
11 | PRIVATE RED ☆ | 売野雅勇 | 山川恵津子 | 大村雅朗 |
12 | Summer Beach ☆ | 尾崎亜美 | 尾崎亜美 | 松任谷正隆 |
13 | 星と夜と恋人たち ☆ | 吉沢久美子 | MAYUMI | 松任谷正隆 |
- Disc3 『十月の人魚 Plus』
曲順 | 曲名 | 作詞 | 作曲 | 編曲 |
---|---|---|---|---|
1 | Sweet Planet | 三浦徳子 | 小室哲哉 | 松任谷正隆 |
2 | みずうみ | 三浦徳子 | 財津和夫 | 松任谷正隆 |
3 | 花鳥図 | 高橋修 | 財津和夫 | 松任谷正隆 |
4 | 哀しい予感 | 竹内まりや | 竹内まりや | 松任谷正隆 |
5 | ロンサム・シーズン | 竹内まりや | 竹内まりや | 松任谷正隆 |
6 | 流星の高原 | 高橋修 | 松任谷正隆 | 松任谷正隆 |
7 | Bien | かしぶち哲郎 | かしぶち哲郎 | 松任谷正隆 |
8 | ペナルティ | 竹内まりや | 杉真理 | 松任谷正隆 |
9 | 十月の人魚 | 高橋修 | 松任谷正隆 | 松任谷正隆 |
10 | 水色プリンセス ―水の精― | 三浦徳子 | 小室哲哉 | 松任谷正隆 |
11 | 恋人たちのカレンダー ☆ | 竹内まりや | 竹内まりや | 松任谷正隆 |
12 | Love Fair ☆ | かしぶち哲郎 | かしぶち哲郎 | 松任谷正隆 |
13 | 二人のブルー・トレイン ☆ | 竹内まりや | 杉真理 | 松任谷正隆 |
14 | 小羊NOTE ☆ | 康珍化 | 山川恵津子 | 大村雅朗 |
- Disc4 『ヴィーナス誕生 Plus』
曲順 | 曲名 | 作詞 | 作曲 | 編曲 |
---|---|---|---|---|
1 | WONDER TRIP LOVER | EPO | 坂本龍一 | かしぶち哲郎 |
2 | 愛…illusion | Seiko | 飛澤宏元 | かしぶち哲郎 |
3 | ヴィーナス誕生 | 前川由佳 | 木下伸司 | かしぶち哲郎 |
4 | Spring Accident | EPO | 大貫妙子 | かしぶち哲郎 |
5 | 銀河のバカンス | 高橋修 | 三井一正 | かしぶち哲郎 |
6 | ジュピター | かしぶち哲郎 | かしぶち哲郎 | かしぶち哲郎 |
7 | くちびるNetwork | Seiko | 坂本龍一 | かしぶち哲郎 |
8 | 眠れぬ夜のAQUARIUS | 麻生圭子 | 坂本龍一 | かしぶち哲郎 |
9 | 水晶の家 | 高橋修 | かしぶち哲郎 | かしぶち哲郎 |
10 | 愛のコロニー | かしぶち哲郎 | かしぶち哲郎 | かしぶち哲郎 |
11 | 恋のエチュード ☆ | かしぶち哲郎 | 飛澤宏元 | かしぶち哲郎 |
12 | 花のイマージュ ☆ | かしぶち哲郎 | かしぶち哲郎 | かしぶち哲郎 |
13 | 秘密のシンフォニー ☆ | 麻生圭子 | 大貫妙子 | かしぶち哲郎 |
- Disc5 『OTAKARA マキシシングル』
曲順 | 曲名 | 作詞 | 作曲 | 編曲 |
---|---|---|---|---|
1 | Believe In You (2003 Strings Version) | 吉沢久美子 | 梅垣達志 | 服部隆之 |
2 | Fly Up! Angel[注釈 18] | 竜真知子 | 馬飼野康二 | 馬飼野康二 |
3 | 二人だけのセレモニー (Single Version) | 夏目純 | 尾崎亜美 | 松任谷正隆 |
4 | Believe In You (2003 Present-Mix Version) | 吉沢久美子 | 梅垣達志 | Thank-Mix |
- Disc6 『ALL SONGS REQUEST オリジナルカラオケ』
曲順 | 曲名 | 作詞 | 作曲 | 編曲 |
---|---|---|---|---|
1 | さよなら・夏休み (オリジナルカラオケ) | 竹内まりや | 竹内まりや | 清水信之 |
2 | リトル プリンセス (オリジナルカラオケ) | 竹内まりや | 竹内まりや | 大村雅朗 |
3 | 憧れ (オリジナルカラオケ) | 竹内まりや | 竹内まりや | 萩田光雄 |
4 | ソネット (オリジナルカラオケ) | 吉沢久美子 | 梅垣達志 | 萩田光雄 |
5 | ファースト・デイト (オリジナルカラオケ) | 竹内まりや | 竹内まりや | 萩田光雄 |
6 | -Dreaming Girl- 恋、はじめまして (オリジナルカラオケ) | 竹内まりや | 竹内まりや | 萩田光雄 |
7 | 二人だけのセレモニー (オリジナルカラオケ) | 夏目純 | 尾崎亜美 | 松任谷正隆 |
8 | あなたを忘れる魔法があれば (オリジナルカラオケ) | 康珍化 | 松任谷正隆 | 松任谷正隆 |
9 | Sweet Planet (オリジナルカラオケ) | 三浦徳子 | 小室哲哉 | 松任谷正隆 |
10 | ロンサム・シーズン (オリジナルカラオケ) | 竹内まりや | 竹内まりや | 松任谷正隆 |
11 | 水色プリンセス ―水の精― (オリジナルカラオケ) | 三浦徳子 | 小室哲哉 | 松任谷正隆 |
12 | Summer Beach (オリジナルカラオケ) | 尾崎亜美 | 尾崎亜美 | 松任谷正隆 |
13 | Love Fair (オリジナルカラオケ) | かしぶち哲郎 | かしぶち哲郎 | 松任谷正隆 |
14 | くちびるNetwork (オリジナルカラオケ) | Seiko | 坂本龍一 | かしぶち哲郎 |
15 | 恋のエチュード (オリジナルカラオケ) | かしぶち哲郎 | 飛澤宏元 | かしぶち哲郎 |
16 | 花のイマージュ (オリジナルカラオケ) | かしぶち哲郎 | かしぶち哲郎 | かしぶち哲郎 |
17 | Believe In You (オリジナルカラオケ) | 吉沢久美子 | 梅垣達志 | 萩田光雄 |
18 | 哀しい予感 (オリジナルカラオケ) | 竹内まりや | 竹内まりや | 松任谷正隆 |
- Disc7(DVD) 『YUKKO PV & CM COLLECTION』
曲順 | 曲名 | 作詞 | 作曲 | 編曲 |
---|---|---|---|---|
1 | ファースト・デイト (プロモーション・ビデオ) | 竹内まりや | 竹内まりや | 萩田光雄 |
2 | リトル プリンセス (プロモーション・ビデオ) | 竹内まりや | 竹内まりや | 大村雅朗 |
3 | -Dreaming Girl- 恋、はじめまして (プロモーション・ビデオ) | 竹内まりや | 竹内まりや | 萩田光雄 |
4 | 二人だけのセレモニー (プロモーション・ビデオ) | 夏目純 | 尾崎亜美 | 松任谷正隆 |
5 | Believe In You (2003 Strings Version)(プロモーション・ビデオ) | 吉沢久美子 | 梅垣達志 | 服部隆之 |
6 | グリコ・カフェゼリー (恋する乙女編) | |||
7 | グリコ・カフェゼリー (追加でもう一口編) | |||
8 | グリコ・カフェゼリー (あきれたニュース編) | |||
9 | グリコ・カフェゼリー (そのままでお待ちください編) | |||
10 | グリコ・セシルチョコレート (恋、はじめまして編) | |||
11 | グリコ・セシルチョコレート (今年もヨロシク編) | |||
12 | グリコ・セシルチョコレート (花少女編) | |||
13 | 東芝・パソピアIQ (IQでポエム編) | |||
14 | 東芝・パソピアIQ (キミは夢見てスーパースター編) | |||
15 | 東芝・パーソナルテレビ U-30 | |||
16 | 牛乳石鹸・ラブジュ シャンプー&リンス (キレイになったね編) | |||
17 | 牛乳石鹸・ラブジュ シャンプー&リンス (光ってるネ編) | |||
18 | 旺文社・中一時代 | |||
19 | 旺文社・ハイトップ (大きな星編/目星い編) | |||
20 | エスエス製薬・エスタック顆粒 | |||
21 | エスエス製薬・ブロン液W (A type) | |||
22 | エスエス製薬・ブロン液W (B type) | |||
23 | 尾崎商事・カンコー学生服 (マル アライ編/スキ キライ編) | |||
24 | 尾崎商事・カンコー女子通学服 | |||
25 | 月星化成・ベンチャートランザム | |||
26 | 月星化成・ベンチャーΣ (Fly Up! Angel編) |
- ザ・プレミアムベスト 岡田有希子(2012年11月21日)
- 8枚のシングルAB面16曲と、『花のイマージュ』『Believe In You (2003 Strings Version)』が収録されている。
- 同内容のオリジナルカラオケが同梱されている。
- Disc1 『シングル集』
曲順 | 曲名 | 作詞 | 作曲 | 編曲 |
---|---|---|---|---|
1 | ファースト・デイト | 竹内まりや | 竹内まりや | 萩田光雄 |
2 | そよ風はペパーミント | 田口俊 | 大村雅朗 | 大村雅朗 |
3 | リトル プリンセス | 竹内まりや | 竹内まりや | 大村雅朗 |
4 | 恋のダブルス | 康珍化 | 萩田光雄 | 萩田光雄 |
5 | -Dreaming girl- 恋、はじめまして | 竹内まりや | 竹内まりや | 萩田光雄 |
6 | 気まぐれTeenage Love | 竹内まりや | 竹内まりや | 萩田光雄 |
7 | 二人だけのセレモニー | 夏目純 | 尾崎亜美 | 松任谷正隆 |
8 | PRIVATE RED | 売野雅勇 | 山川恵津子 | 大村雅朗 |
9 | Summer Beach | 尾崎亜美 | 尾崎亜美 | 松任谷正隆 |
10 | 星と夜と恋人たち | 吉沢久美子 | MAYUMI | 松任谷正隆 |
11 | 哀しい予感 | 竹内まりや | 竹内まりや | 松任谷正隆 |
12 | 恋人たちのカレンダー | 竹内まりや | 竹内まりや | 松任谷正隆 |
13 | Love Fair | かしぶち哲郎 | かしぶち哲郎 | 松任谷正隆 |
14 | 二人のブルー・トレイン | 竹内まりや | 杉真理 | 松任谷正隆 |
15 | くちびるNetwork | Seiko | 坂本龍一 | かしぶち哲郎 |
16 | 恋のエチュード | かしぶち哲郎 | 飛澤宏元 | かしぶち哲郎 |
17 | 花のイマージュ | かしぶち哲郎 | かしぶち哲郎 | かしぶち哲郎 |
18 | Believe In You (2003 Strings Version) | 吉沢久美子 | 梅垣達志 | 服部隆之 |
- Disc2 『オリジナルカラオケ』
曲順 | 曲名 | 作詞 | 作曲 | 編曲 |
---|---|---|---|---|
1 | ファースト・デイト (オリジナルカラオケ) | 竹内まりや | 竹内まりや | 萩田光雄 |
2 | そよ風はペパーミント (オリジナルカラオケ) | 田口俊 | 大村雅朗 | 大村雅朗 |
3 | リトル プリンセス (オリジナルカラオケ) | 竹内まりや | 竹内まりや | 大村雅朗 |
4 | 恋のダブルス (オリジナルカラオケ) | 康珍化 | 萩田光雄 | 萩田光雄 |
5 | -Dreaming girl- 恋、はじめまして (オリジナルカラオケ) | 竹内まりや | 竹内まりや | 萩田光雄 |
6 | 気まぐれTeenage Love (オリジナルカラオケ) | 竹内まりや | 竹内まりや | 萩田光雄 |
7 | 二人だけのセレモニー (オリジナルカラオケ) | 夏目純 | 尾崎亜美 | 松任谷正隆 |
8 | PRIVATE RED (オリジナルカラオケ) | 売野雅勇 | 山川恵津子 | 大村雅朗 |
9 | Summer Beach (オリジナルカラオケ) | 尾崎亜美 | 尾崎亜美 | 松任谷正隆 |
10 | 星と夜と恋人たち (オリジナルカラオケ) | 吉沢久美子 | MAYUMI | 松任谷正隆 |
11 | 哀しい予感 (オリジナルカラオケ) | 竹内まりや | 竹内まりや | 松任谷正隆 |
12 | 恋人たちのカレンダー (オリジナルカラオケ) | 竹内まりや | 竹内まりや | 松任谷正隆 |
13 | Love Fair (オリジナルカラオケ) | かしぶち哲郎 | かしぶち哲郎 | 松任谷正隆 |
14 | 二人のブルー・トレイン (オリジナルカラオケ) | 竹内まりや | 杉真理 | 松任谷正隆 |
15 | くちびるNetwork (オリジナルカラオケ) | Seiko | 坂本龍一 | かしぶち哲郎 |
16 | 恋のエチュード (オリジナルカラオケ) | かしぶち哲郎 | 飛澤宏元 | かしぶち哲郎 |
17 | 花のイマージュ (オリジナルカラオケ) | かしぶち哲郎 | かしぶち哲郎 | かしぶち哲郎 |
18 | Believe In You (2003 Strings Version) (オリジナルカラオケ) | 吉沢久美子 | 梅垣達志 | 服部隆之 |
- ゴールデン☆アイドル 岡田有希子(2014年7月30日)
- 8月11日付週間アルバムランキング、初登場79位。初登場TOP100入りは11年7ヶ月ぶり[103]。
- 『花のイマージュ』を含む、9枚のシングルレコード盤AB面を完全収録。CDパッケージは、シングルレコードサイズの見開きダブル紙ジャケット。すべてのシングルレコードジャケットの表紙と歌詞面をほぼ原寸で復元したブックレットが付属されている。
曲順 | 曲名 | 作詞 | 作曲 | 編曲 |
---|---|---|---|---|
1 | ファースト・デイト | 竹内まりや | 竹内まりや | 萩田光雄 |
2 | そよ風はペパーミント | 田口俊 | 大村雅朗 | 大村雅朗 |
3 | リトル プリンセス | 竹内まりや | 竹内まりや | 大村雅朗 |
4 | 恋のダブルス | 康珍化 | 萩田光雄 | 萩田光雄 |
5 | -Dreaming girl- 恋、はじめまして | 竹内まりや | 竹内まりや | 萩田光雄 |
6 | 気まぐれTeenage Love | 竹内まりや | 竹内まりや | 萩田光雄 |
7 | 二人だけのセレモニー | 夏目純 | 尾崎亜美 | 松任谷正隆 |
8 | PRIVATE RED | 売野雅勇 | 山川恵津子 | 大村雅朗 |
9 | Summer Beach | 尾崎亜美 | 尾崎亜美 | 松任谷正隆 |
10 | 星と夜と恋人たち | 吉沢久美子 | MAYUMI | 松任谷正隆 |
11 | 哀しい予感 | 竹内まりや | 竹内まりや | 松任谷正隆 |
12 | 恋人たちのカレンダー | 竹内まりや | 竹内まりや | 松任谷正隆 |
13 | Love Fair | かしぶち哲郎 | かしぶち哲郎 | 松任谷正隆 |
14 | 二人のブルー・トレイン | 竹内まりや | 杉真理 | 松任谷正隆 |
15 | くちびるNetwork | Seiko | 坂本龍一 | かしぶち哲郎 |
16 | 恋のエチュード | かしぶち哲郎 | 飛澤宏元 | かしぶち哲郎 |
17 | 花のイマージュ | かしぶち哲郎 | かしぶち哲郎 | かしぶち哲郎 |
18 | 秘密のシンフォニー | 麻生圭子 | 大貫妙子 | かしぶち哲郎 |
カバーしたアーティスト
- 伊能靜『-Dreaming Girl- 恋、はじめまして』(北京語歌『初戀』(初恋)にカバー。1987年デビューアルバム『有我有你』に収録)
- 尾崎亜美『Summer Beach』
- 酒井法子『恋人たちのカレンダー』
- 竹内まりや『ロンサム・シーズン』(アルバム『Quiet Life』に収録)
- 中嶋美智代『ロンサム・シーズン』
- 坂本龍一『Ballet Mécanique』(「WONDER TRIP LOVER」歌詞違い。アルバム『未来派野郎』『US』に収録)
- 中谷美紀『クロニック・ラヴ』(「WONDER TRIP LOVER」歌詞違い。Remix Versionは映画『ケイゾク/映画 Beautiful Dreamer』主題歌、アルバム『私生活』に収録)
- 中川翔子『くちびるNetwork』
- さんみゅ〜『ファースト・デイト』『くちびるNetwork』
- テンテンコ(元BiS)『花のイマージュ』
出演
テレビドラマ
- 中学生日記(1983年、NHK名古屋局)
- 『ヤンヤン歌うスタジオ』内の5分枠ドラマ (テレビ東京)
- 『真田太平記』17話、19話、23話、24話、28話(1985年4月3日 - 1986年3月19日、NHK、「NHK新大型時代劇」) - 於菊 役
- かぐや姫・とんで初体験!? (1985年7月1日、フジテレビ) - ミル 役
- 『月曜ドラマランド』にて放送された単発ドラマ。
- 禁じられたマリコ (1985年11月5日 - 1986年1月28日(全12話)、TBS) - 杉浦麻里子 役
バラエティー番組
- ヤンヤン歌うスタジオ (1983年 - 1986年、テレビ東京)
- カックラキン大放送!! (1985年 - 1986年、日本テレビ)
ラジオ
- とびだせ!ポップシティ(1983年10月16日 - 1984年3月25日、ニッポン放送)
- サトミ・ヒトミ・ユキコの何かいいことないか仔猫ちゃん(1983年10月16日 - 1984年3月9日、毎日放送)
- 百万人の英語(1984年2月9日、文化放送)
- 奈美子・有希子・小緒里のドキドキラジオ(1984年4月9日 - 1985年10月7日、東海ラジオ他)
- ちょっとおあずけ(1984年10月8日 - 1985年10月7日、ニッポン放送)
- 夜遊びしナイト!(中途より最終回まで「有希子・章子・麻里の―」1985年10月13日 - 1986年4月6日、ニッポン放送系)
CM
- 江崎グリコ セシルチョコレート[注釈 19]
- グリコ協同乳業 カフェゼリー[注釈 19]
- 東芝 パソピアIQ、パーソナルテレビU-30、Let's Chat、つくばEXPO'85東芝館(名誉館長)
- 初代ヤングイメージキャラクター。(2代目は西村知美)
- 牛乳石鹸共進社 ラブジュ シャンプー&リンス
- 旺文社 中一時代、ハイトップ
- エスエス製薬 エスタック顆粒、ブロン液W
- 尾崎商事 カンコー学生服、カンコー女子通学服
- 月星化成 ベンチャートランザム、ベンチャーΣ
- 郵政省(現・日本郵便) 電子郵便(後にレタックスが商品名となる)
ビデオ
- Yukiko in SWISS(1985年8月21日、ポニー)
- Memories of Switzerland(1985年12月5日、ポニー)
DVD
- Memories in Swiss(2002年12月18日、ポニーキャニオン-上記テープ2巻を1枚のDVDに収めた物)
ポスター
書籍
テーマにした書籍
- アイドルコミックス・実録まんが岡田有希子(1984年4月、学研) ISBN 978-4051007072
- 瞳はヒミツ色-あなただけにこの想い(1985年1月、ワニブックス) ISBN 978-4847010293
- 奈美子・有希子・小緒里のドキドキブック「ドキドキ・ラジオ」NYXより愛をこめて(1985年7月、旺文社) ISBN 978-4010099728
- ヴィーナス誕生(1986年4月、扶桑社) ISBN 978-4893530769
- 岡田有希子はなぜ死んだか(上之郷利昭 1986年10月、新森書房) ISBN 978-4931207011
- ベスト・オブ岡田有希子(よい子の歌謡曲増刊号 1987年、よい子の歌謡曲編集部)
- 岡田有希子 愛をください(遺稿集 1988年7月、朝日出版社) ISBN 978-4255880587
- サクリファイス(白倉由美 1989年11月、弓立社) ISBN 978-4882399230
- イイナ 〜Feel for Love〜 上・下(あすかコミックスDX)(原作:S-nery Angel 作画:成瀬かおり 1998年10月、角川書店) ISBN 978-4048529136, ISBN 978-4048529785
- ヴィーナス誕生(復刻版 2002年12月、扶桑社) ISBN 978-4594037680
評論
- 清純少女歌手の研究-アイドル文化論(竹内義和 1987年、プラザ)
- 死よりも遠くへ(吉岡忍 1989年6月、新潮文庫) ISBN 978-4103630029
- 相澤家の愛しき卒業生たち-スターを育てて27年(相澤てる子 1995年5月、近代映画社) ISBN 978-4764817616
- 人気づくりの法則(相澤秀禎 1998年4月、東洋経済新報社) ISBN 978-4492553091
- レコード・コレクターズ増刊 遺作 ―ミュージシャンの死とラスト・アルバム(1998年、ミュージック・マガジン社)
- 夭折の系譜-20人のアーチストの死から考える(2001年9月、アートブックの森) ISBN 978-4876937738
- 100万人のアイドルポップス-青春復刻!ときめきアイドルポップス150(別冊宝島(690))(2002年9月、宝島社 ) ISBN 978-4796629195
- 歌謡曲という快楽-雑誌『よい子の歌謡曲』とその時代(オフサイド・ブックス)(宝泉薫 ファッシネイション 2002年11月、彩流社) ISBN 978-4882026235
- 別冊宝島1009号「音楽誌が書かないJポップ批評~尾崎豊特集号」(別冊宝島(1009))(2004年4月、宝島社) ISBN 978-4796640688
- 「おたく」の精神史-1980年代論 (大塚英志 2004年、講談社現代新書)
- 蘇る!夭折のスター達 (2005年、セントラルSOG)
- 昭和・平成日本「怪死」事件史-“疑惑の死”から見える日本の「闇」と「タブー」(別冊宝島 (1324))(2006年6月、宝島社) ISBN 978-4796653558
- 疑惑の最期!非業のカリスマ列伝(2006年1月、竹書房) ISBN 978-4812463246
- 劇画 死の真相 (2007年5月、ミリオン出版) ISBN 978-4813050612
- 人生に拍手を!(相澤秀禎 2007年11月、講談社) ISBN 978-4062143721
- アイドルと病(メディアファクトリー新書)(前田忠明 2010年、メディアファクトリー)
写真集
- 岡田有希子special(1984年、近代映画社)
- 岡田有希子写真集・あなたとふたりきり…(1985年、近代映画社)
- もっと逢いたい…有希子(野村誠一 1985年、講談社) ISBN 978-4061016217
- SWEET LOVE DREAM(武藤義 1985年、音楽専科社)
- Cookie1986年6月号別冊「さよなら…有希子」(1986年、シーズ)
- SWEET LOVE DREAM(復刻版 2002年12月、音楽専科社) ISBN 978-4872791204
受賞歴
- 1984年7月:日本有線大賞・上半期 有線新人賞
- 1984年7月:第3回メガロポリス歌謡祭 最優秀新人ダイアモンド賞(吉川晃司と同時受賞)
- 1984年9月:第10回日本テレビ音楽祭 最優秀新人賞(吉川晃司と同時受賞)
- 1984年9月:ABCヤング歌謡大賞'84 新人グランプリ グランプリ
- 1984年10月:第14回銀座音楽祭 グランプリ
- 1984年10月:第17回新宿音楽祭 金賞(吉川晃司と同時受賞)
- 1984年10月:第11回横浜音楽祭 新人特別賞
- 1984年10月:第10回あなたが選ぶ全日本歌謡音楽祭 最優秀新人賞(吉川晃司と同時受賞[注釈 20])
- 1984年11月:第15回日本歌謡大賞 優秀放送音楽新人賞(吉川晃司と同時受賞)
- 1984年12月:日本有線大賞 有線新人賞
- 1984年12月:全日本有線放送大賞 新人賞
- 1984年12月:第11回FNS歌謡祭 最優秀新人賞
- 1984年12月:FM東京リスナーズグランプリ 5月期月間グランプリ
- 1984年12月:第26回日本レコード大賞 最優秀新人賞
- 1985年2月:ゴールデン・アロー賞 音楽新人賞
- 1985年8月:第11回日本テレビ音楽祭 金の鳩賞
- 1985年10月:第11回あなたが選ぶ全日本歌謡音楽祭 金賞
- 1985年12月:第12回FNS歌謡祭 優秀歌唱音楽賞
脚注
注釈
- ^ 1985年10月21日放送の音楽番組『ザ・トップテン』(日本テレビ系列)で河合奈保子と共演したとき、初めて本人の前で作品を披露した。
- ^ トーク番組『三枝の爆笑美女対談』(フジテレビ系)1984年12月9日放送では「小学4年生」、新書『アイドルコミックス・実録まんが岡田有希子』(1984年、学研)では「小学5年生」、グラビア雑誌『BOMB!』1984年6月号では「小学6年生」と語っている。
- ^ 『スター誕生!』第46回決戦大会は、病気などの理由でいままで出演できなかった、地区予選合格者のための臨時大会として行われた。そのため、1983年1月から始まった7週勝ち抜き制ではなく、出場を断念した1982年12月当時に行われていた「合否判定」方式で結果が決められた[2]。
- ^ 同級生 桑田靖子、石野陽子、岡村有希子、河上幸恵、菊地陽子、本田美奈子、倉沢淳美、柴田くに子、高部知子、森奈みはる、田中久美、長沢ゆりか、長山洋子、松尾久美子、松本友里、南野陽子、宮崎萬純、片岡孝太郎、永瀬正敏(再入学)
- ^ 雑誌『ポパイ』No.161(1983年10月25日号)の紙面で「期待の新人」として紹介され、それを見た東京大学の学生が、サンミュージックに出演依頼をしたことによる。
- ^ 交流会開催地 名古屋、大阪、仙台、札幌、福岡、広島、東京
- ^ ヘッドマークは京王資料館に展示されている。通常は一般非公開。
- ^ 新人賞受賞者 吉川晃司、菊池桃子、荻野目洋子、SALLY、田中久美、長山洋子、神野美伽、一世風靡セピア、渡辺桂子、辻沢杏子、山本ゆかり、小椋幸子、清水宏次朗、青木美保、君津旭、岸浩太郎、出本浩、山本陽一、椎菜、若山かずさ、芦屋雁之助、三門忠司、斎藤誠、滝里美、麗美、播束和彦、松本友里、鮎川麻弥、中村あゆみ、池田幸司[42]
- ^ SALLYと一世風靡セピアは『日本レコード大賞』『日本有線大賞』を除く、菊池桃子は『日本レコード大賞』を除く、全ての新人賞を辞退している[42]。
- ^ コンサート『ハートにキッス』開催地 札幌、苫小牧、仙台、秋田、芝、名古屋、大阪、福岡、大宮、京都、郡山、沼津、磐田
- ^ コンサート『ファンタジアン』開催地 新宮、紀伊田辺、名古屋、鹿児島、熊本、都城、福岡、金沢、大阪、秋田、遠野、水戸、新宿、徳島、松山、広島。 (追加公演)芝、伊勢崎、甲府、小倉、防府、千葉、東村山
- ^ 握手会イベント『くちびる・ときめきネットワーク』開催地 東京、大阪、札幌、名古屋、福岡
- ^ 「峰岸さんにふられた」「もう一度お会いしたかった…勝手なことをしてごめんなさい」といったことが書かれた遺書があり、サンミュージックの金庫に保管されているという[4]。
- ^ 「悲劇のアイドル岡田有希子を語ろう」『週刊現代』2013年6月29日号によれば、2013年5月現在もベスト10入りしている。
- ^ 当初は2015年8月25日に出演予定だったが、台風が九州を直撃したために名古屋へ移動できず、番組に出演することが出来なかった[101]
- ^ 東芝「パソピアIQ」CM曲、このアルバムのみ収録、のちシングル化。
- ^ a b c シングルヴァージョンとはミキシングが異なる。
- ^ このアルバムのみ収録
- ^ a b 「グリコ・森永事件」発生時は、CMの放送を自粛している。
- ^ 吉川晃司の単独受賞だったが、優秀新人賞がなかったため、岡田有希子にも最優秀新人賞が贈られた。
出典
- ^ 『近代映画 岡田有希子Special』近代映画社、34頁
- ^ a b c d e f g h i j k l 上之郷利昭『岡田有希子はなぜ死んだか』新森書房、1986年[要ページ番号]
- ^ a b “平成24年度 自殺対策ネットワーク協議会 議事次第 資料1”. 自殺予防総合対策センター (2012年7月25日). 2016年3月22日閲覧。資料1、2-3頁
- ^ a b c d e f g h i 「不可解な自殺をした者たち――岡田有希子」(芸能人犯罪 & 2012-09, p. 110)
- ^ a b c 『岡田有希子 愛をください』78頁
- ^ 『BOMB!』1984年6月号、14-15頁
- ^ a b 『DUNK』1986年1月号、204頁
- ^ 『瞳はヒミツ色』102-105頁
- ^ 『岡田有希子 愛をください』74頁
- ^ a b 『DUNK』1984年12月号、84-85頁
- ^ a b c d e 『BOMB!』1984年6月号、16-17頁
- ^ 『岡田有希子 愛をください』79頁
- ^ a b 『アイドルコミックス・実録まんが岡田有希子』学研、1984年
- ^ 『岡田有希子 愛をください』98頁
- ^ a b c 『岡田有希子 愛をください』107頁
- ^ 『中日新聞 夕刊』2014年4月9日、7頁
- ^ a b 『BOMB!』1984年6月号、18-19頁
- ^ a b 『岡田有希子 愛をください』81頁
- ^ a b c d 『BOMB!』1984年6月号、20-21頁
- ^ 朝倉喬司『自殺の思想』2005年7月、太田出版、386頁。ISBN 978-4872339451
- ^ a b 「はっきり見せます これがわたしの通信簿」『DUNK』1985年3月号、82頁
- ^ CD/DVD-BOX『贈りものIII』ブックレット
- ^ 『瞳はヒミツ色』64-65頁
- ^ a b c 『岡田有希子 愛をください』155頁。
- ^ 『岡田有希子 公設ファンクラブ会報「YUKIKO」創刊号』サンミュージック内ファンクラブ、1984年8月号、8頁
- ^ 「アイドル一番星 岡田有希子」『月刊ラジオマガジン 』1985年1月号、26-29頁
- ^ 『岡田有希子 愛をください』84頁
- ^ a b c 「特別座談会 岡田有希子さん四十九日忌」『 週刊明星』No.24.25 合併特大号、1986年6月5日・12日、27-31頁
- ^ 『岡田有希子 愛をください』156頁
- ^ a b 『Emma』1986年5月10日号 、19頁
- ^ a b c d 『BOMB!』1985年4月号、26-29頁
- ^ a b 『BOMB!』1985年4月号、32頁
- ^ a b 『BOMB!』1984年6月号、24頁。
- ^ 鳴田麻未 (2013年). “Power Push 竹内まりや×クリス松村「Mariya's Songbook」対談 (2/5)”. ナタリー. ナターシャ. 2014年5月29日閲覧。
- ^ 『岡田有希子 愛をください』162頁
- ^ a b 『岡田有希子 愛をください』169頁
- ^ 『岡田有希子 愛をください』179頁
- ^ 『BOMB!』1984年6月号、26-27頁
- ^ a b c 『ベスト・オブ 岡田有希子』よい子の歌謡曲1987年4月増刊号(1984年6月1日に行われたインタビュー)
- ^ 『DUNK』1984年10月号、36頁
- ^ a b 『DUNK』1985年3月号、113頁
- ^ a b c 『BOMB!』1985年2月号、172-173頁
- ^ 『DUNK』1985年2月号、68-69頁
- ^ 『BOMB!』1985年4月号、30-31頁
- ^ 『DUNK』1985年4月号、176-177頁
- ^ 『DUNK』1985年4月号、178-179頁
- ^ 『DUNK』1985年4月号、175-179頁
- ^ 『DUNK』1985年6月号、103頁
- ^ 『DUNK』1985年8月号、48-49頁
- ^ 『DUNK』1985年10月号、191-195頁
- ^ a b 『BOMB!』1985年12月号、9-11頁。
- ^ 『BOMB!』1986年1月号、120-121頁
- ^ 『DUNK』1986年2月号、204-207頁
- ^ 『DUNK』1986年4月号、47-49頁
- ^ 『朝日新聞』1986年4月10日、13頁
- ^ 『中日新聞』1986年4月9日、18頁。
- ^ 『週刊平凡』1986年5月2日号
- ^ “4月8日、ワキタスタジオにて”. A! Blog of SALLY (加藤キーチ) (2007年2月9日). 2014年12月27日閲覧。
- ^ 『朝日新聞』1986年4月10日、23頁。
- ^ 「雨空に“さよならユッコ”」『中日新聞』2014年4月15日、9頁。
- ^ 『岡田有希子 愛をください』212頁
- ^ 『岡田有希子 愛をください』103頁。
- ^ “岡田有希子さん23回目の命日”. 市ヶ谷経済新聞 (2008年4月8日). 2014年11月6日閲覧。
- ^ “ブログ報知 甲斐武彦記者の多事報論”. 報知新聞 (2012年4月8日). 2014年11月6日閲覧。
- ^ “【夕刊アメーバニュース】 歌手・岡田有希子の命日 今年も四谷にファン集結する”. Ameba (2014年4月8日). 2014年11月6日閲覧。
- ^ 「ユッコ・・・生きるよ 没後28年 ファン50人誓い」『中日新聞』2014年4月9日、27頁。
- ^ a b 梨元勝、須藤甚一郎「内幕座談会」『Emma』1986年5月10日号、8-13頁。
- ^ 「ユキコ」『朝日新聞』1987年4月18日、25頁。
- ^ 「天声人語“四月の言葉抄録”」『朝日新聞』1986年4月30日、1頁
- ^ 『朝日新聞』1986年4月9日、24頁
- ^ 『朝日新聞』1987年4月16日、15頁
- ^ 『朝日新聞』1986年4月13日、24頁
- ^ 『朝日新聞』1986年4月20日、24頁
- ^ 「『ガンバルとの意思を』カナダのマコ」『朝日新聞』1986年4月19日、19頁
- ^ 『朝日新聞』1986年4月21日、24頁
- ^ “衆議院会議録『第104回国会 文教委員会 第5号』”. 国立国会図書館 (1986年4月9日). 2014年9月5日閲覧。
- ^ “国会会議録『第104回国会 衆議院・文教委員会』”. 江田五月公式サイト (1986年4月9日). 2014年9月5日閲覧。
- ^ “参議院会議録『第104回国会 補助金等に関する特別委員会 第7号』”. 国立国会図書館 (1986年4月25日). 2015年3月20日閲覧。
- ^ “衆議院会議録『第104回国会 文教委員会 第10号』”. 国立国会図書館 (1986年4月25日). 2015年3月20日閲覧。
- ^ 「描く ‐小説‐『メロディーラインは夢の中』」『Cookie1986年6月号別冊「さよなら…有希子」』、33-55頁
- ^ a b “カスペ!「独占!昭和芸能界の真実アイドル発掘王・相澤秀禎〜泣いて笑った最後の10日間〜」|2013/12/10 放送”. TVでた蔵. ワイヤーアクション. 2015年4月26日閲覧。
- ^ “2016年春のタイムテーブルをアップしました。”. 東海ラジオ (2016年3月16日). 2016年3月20日閲覧。
- ^ “ドキドキラジオ‼︎”. Ameba (2016年3月16日). 2016年3月20日閲覧。
- ^ a b “ナグモクリニック名古屋 ドクター紹介”. ナグモクリニック(総院長 南雲吉則). 2016年3月26日閲覧。
- ^ 『BOMB!』1985年4月号、18頁。同1985年5月号、82頁
- ^ a b 『明星』1985年7月号、207-211頁
- ^ 『瞳はヒミツ色』62頁
- ^ 『BOMB!』1984年6月号、30-31頁
- ^ 『DUNK』1985年3月号、10頁
- ^ 『DUNK』1985年1月号、106-107頁(部屋紹介で机の上に眼鏡が2本確認できる)
- ^ 『明星』1985年3月号、82頁(私物紹介にて必需品であることを説明)
- ^ 小泉今日子「彼女はどうだったんだろう?」『原宿百景』2010年7月、スイッチ・パブリッシング、64-67頁。ISBN 978-4884182946
- ^ a b スターコーンほっと!ネットラジオ(1985年10月9日放送、スターコーン・エフエム)
- ^ 『DUNK』1985年10月号、193頁
- ^ 『DUNK』1985年10月号、130頁
- ^ “サンスポ連載;きくち伸話・オリジナル原稿 #02『最高視聴率で忘れられぬ思い出』”. サンケイスポーツ (2002年10月11日). 2015年1月25日閲覧。
- ^ “あの人は今こうしている 岡田有希子と同期 花の84年組アイドル田中久美さんの引退後”. 日刊ゲンダイDIGITAL (2015年3月2日). 2016年3月23日閲覧。
- ^ “爆報!THE フライデー”. TVでた蔵. ワイヤーアクション. 2015年1月15日閲覧。
- ^ “明石家さんまの転職DE天職|2015/05/03(日)放送”. TVでた蔵. ワイヤーアクション. 2015年5月7日閲覧。
- ^ “ユッコ特集第4弾!”. Ameba (2015年12月17日). 2016年3月26日閲覧。
- ^ “残念ですが、、、”. Ameba (2015年8月25日). 2016年3月26日閲覧。
- ^ 渡邉裕二『酒井法子 孤独なうさぎ』2009年10月、双葉社、35頁。ISBN 978-4575301748
- ^ “【オリコン】岡田有希子さん、11年7ヶ月ぶり初登場TOP100”. ORICON STYLE (2014年8月5日). 2014年9月5日閲覧。
参考文献
- 梁瀬敦 編『日本のタブー――芸能人・有名人が過去に起こした犯罪&事件』ミリオン出版〈ミリオンムック67〉、2012年9月。ISBN 978-4813066675。
関連項目
外部リンク
- Little Land - サンミュージック・キャニオンレコード公認ミニコミ誌 バックナンバー