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Portal:スペキュレイティブ・フィクション/人物紹介

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人物紹介

Portal:スペキュレイティブ・フィクション/人物紹介/1

エドガー・アラン・ポー
エドガー・アラン・ポーEdgar Allan Poe1809年1月19日 - 1849年10月7日)は、アメリカ合衆国ボストン市生まれの小説家詩人。身長5フィート8インチ(約172.7cm)。

1841年に発表された小説モルグ街の殺人』には探偵C・オーギュスト・デュパンが登場し、史上初の推理小説と評価されることが多く、その後の推理小説の発展に寄与した。また、ホラー小説の分野でも一時代を代表する作家とみなされている。さらに作品に科学的事実を取り入れる手法はジュール・ヴェルヌによって注目され、近代SF発展の一因ともなった。詩人としては、自らの詩を解説しながら詩の構築を説いた『詩の原理』で、フランスの詩人、ボードレールステファヌ・マラルメなどの象徴派の系譜に多大な影響を与えた。

日本の推理作家江戸川乱歩の名前は、エドガー・アラン・ポーをもじって付けられたものである。


Portal:スペキュレイティブ・フィクション/人物紹介/2

ウィリアム・ギブスン
ウィリアム・ギブスンWilliam Ford Gibson, 1948年3月17日 - )は、アメリカ合衆国サウスカロライナ州コンウェイ生まれの小説家SF作家。ベトナム戦争の際に、徴兵を拒否してカナダに移住し、しばらく路上生活を経験。その後、ブリティッシュコロンビア大学英文科を卒業。

1977年にセミプロ雑誌でデビュー。1982年に発表した短編『クローム襲撃』(Burning Chrome)で一躍脚光を浴びる。

1984年の初長編『ニューロマンサー』(Neuromancer) でサイバーパンクSFというSFの新しいジャンルのけん引役となった。「サイバースペース」は彼の造語である。その日本語訳の「電脳空間」は、本作品の翻訳者、黒丸尚による。彼の『スプロール・シリーズ』と呼ばれる一連のシリーズ(ニューロマンサー、カウント・ゼロモナリザ・オーヴァドライブクローム襲撃記憶屋ジョニィ)は、日本の漫画/アニメ『攻殻機動隊』や映画『マトリックス』に大きな影響を与えたと言われている。


Portal:スペキュレイティブ・フィクション/人物紹介/3 ウィリアム・ハンナWilliam Denby "Bill" Hanna1910年7月14日 - 2001年3月21日)は、アメリカ合衆国ニューメキシコ州出身のアニメーター及びプロデューサーである。

ウィリアム・ハンナはニューメキシコ州アイルランド系アメリカ人の一家に生まれた。7人兄弟を抱える大家族出身であったが、喧嘩一つしない仲のいい兄弟であったという。一方でアイリッシュらしいタフな家風だったとも語っている。3歳の時に一家はオレゴン州へと移住、豊かな自然はハンナにとって貴重な経験となった。その後もユタ州など各地を転々とする生活を送り、1919年にはカルフォルニア州に住んでいた。

学校ではボーイスカウト活動や音楽に熱中する子供だったという。しかし既に漫画好きの気質は育まれており、音楽活動も基本的に「漫画を描く気分になる」というのが理由だった。ちなみにボーイスカウトの方もかなり熱心に取り組んでおり、最上級のイーグルスカウトにまで上り詰め、後にスカウトマスターの称号を協会から与えられている。既にアニメーターとして著名だったハンナだったが、どんな賞よりもこの称号を誇りに思っていたと言われている。


Portal:スペキュレイティブ・フィクション/人物紹介/4

アーシュラ・K・ル=グウィン
アーシュラ・クローバー・ル=グウィンUrsula Kroeber Le Guin1929年10月21日 - )は、アメリカ女性小説家SF作家ファンタジー作家、フェミニスト。SF作家としては、両性具有の異星人と地球人との接触を描いた『闇の左手』で広く認知されるようになった。代表作は他にユートピアを描いた『所有せざる人々』がある。SF界の女王と呼ばれ、「西の善き魔女」とあだ名されている。

ファンタジー作家としての代表作は、『ゲド戦記』(全5巻+外伝1巻)である。他に作家村上春樹訳で、『空とび猫』といった絵本作品(講談社文庫ほか)もある。スタジオジブリ宮崎吾朗監督・脚本)のアニメ映画『ゲド戦記』(2006年夏)の公開後、日本などから問い合わせのメールが多く寄せられたため、この映画が制作されるに至った経緯と映画に対するコメントを彼女自身の公式サイトで公開した。

2007年9月に、大作『西のはての年代記』第三巻Powersを、英・米で出版(邦訳『パワー』は2008年8月に出版)し完結。


Portal:スペキュレイティブ・フィクション/人物紹介/5 C・S・ルイス(C. S. Lewis)、本名クライブ・ステープルス・ルイス(Clive Staples Lewis, 1898年11月29日 - 1963年11月22日)は、アイルランド系イギリスの学者、小説家、中世文化研究者、キリスト教擁護者。3歳の頃に愛犬ジャクシー(Jacksie)を交通事故で喪った直後から自らをジャクシーと名乗り、それが徐々に周囲に受け入れられていき、家族や友人からは生涯を通じてジャックと呼ばれた。その為、敢えてフルネームを Clive Staples "Jack" Lewis と綴る場合もある。

幼少の頃はアイルランド国教会に基づくキリスト教信仰を持っていたが、14歳の時に一度無神論に陥り、神話オカルトに興味を持ち始める。その後様々な書物や大学時代の友人の影響を受け、31歳の時に同じ聖公会系のイングランド国教会の下でキリスト教信仰を取り戻した。『奇跡』(Miracles, 1947)『悪魔の手紙』『キリスト教の精髄』『喜びのおとずれ』などの神学書や自叙伝、ラジオ講演などを通じて、一平信徒としてキリスト教信仰を伝えている。

著作には詩集、神学論文集などがあるが、特に有名なものは『ナルニア国ものがたり』全7巻である。神学者としても著名で、『ナルニア国ものがたり』にもその片鱗が現れているような新プラトン主義的な見解をラジオの連続講義でも披露。スイスの弁証法神学者カール・バルトから、激しい反撥を受けた。1957年には『さいごの戦い』でカーネギー賞を受賞している。


Portal:スペキュレイティブ・フィクション/人物紹介/6

メアリー・シェリー
メアリー・ウルストンクラフト・ゴドウィン・シェリー(Mary Wollstonecraft Godwin Shelley、1797年8月30日 - 1851年2月1日)は、イギリス小説家

ゴシック小説フランケンシュタイン』で名を残したが、SFの先駆者と呼ばれたり、あるいは創始者と見なす者も少なくない。フェミニズムの創始者、あるいは先駆者とも呼ばれるメアリ・ウルストンクラフトを母、無神論者でアナキズムの先駆者であるウィリアム・ゴドウィンを父として生まれた。詩人のパーシー・シェリーは夫。

1816年5月、メアリーはパーシー・シェリーと駆け落ちし、バイロンやバイロンの友人のジョン・ポリドリ(John William Polidori)らと、スイスジュネーヴ近郊のレマン湖畔(ジュネーヴ湖畔)のディオダティ荘に滞在していた。天候不順で長く降り続く雨のため屋内に閉じこめられていた際、バイロンが一人一作ずつ小説を書いてみようと提案(ディオダディ荘の怪奇談義)。バイロンが断片を書き、これに触発されてポリドリがのちに書き上げた小説が『吸血鬼』で、これはバイロン作と宣伝されたため、話題を呼び好評を博することになる。メアリは、その時に得た着想で一年かけて書き上げ、1818年3月11日に匿名で出版された作品が、小説『フランケンシュタイン、あるいは現代のプロメシュース』(Frankenstein: or The Modern Prometheus)である。1831年に改訂された版が今日もなお売れ続けている。また、詩人パーシー・シェリーの妻だったため、日本では単にシェリー夫人と呼ばれることもあった。(→『フランケンシュタイン』邦訳、著者名表記の変遷


Portal:スペキュレイティブ・フィクション/人物紹介/7 ジョン・ロナルド・ロウエル・トールキンJohn Ronald Reuel Tolkien CBE受勲者。1892年1月3日 - 1973年9月2日 )は英国の文献学者、作家詩人大学教授で、なによりも『ホビットの冒険』とその続編『指輪物語』、『シルマリルの物語』の著者として知られている。

オックスフォード大学のローリンソン・ボズワース記念古英語教授(1925年1945年)。同大学のマートン学寮英語英文学教授(1945年1959年)。カトリック教会の敬虔なる信者であった。文学討論グループ「インクリングズ」の会員で、同会所属の英文学者C・S・ルイスの親友であった。1972年3月28日エリザベス2世からCBEを受勲した。

死後残した多量の覚え書きや未発表の草稿をまとめ、息子のクリストファが『シルマリルの物語』をはじめとする一連の作品を出版した。これらは、『ホビットの冒険』、『指輪物語』とあわせ、“アルダ” や "中つ国"と呼ばれる架空の国に関する物語、詩、架空の歴史、人工言語、文学的試論の体系を形作っている。1951年から1955年にかけ、トールキンはこのような書き物の総体を “legendarium” (伝説空間、伝説体系)と呼んでいた。


Portal:スペキュレイティブ・フィクション/人物紹介/8

J・K・ローリング(2006年)
ジョアン・ローリング OBEJoanne Rowling OBE、女性、1965年7月31日 - )はイギリス児童文学作家J・K・ローリング(Joanne Kathleen Rowling)はペンネームで、ファンタジー小説ハリー・ポッターシリーズ』の作者として知られる。

イギリス南西部ブリストルの近くのチッピング・ソドベリーという小さな町の生まれ。エクセター大学卒業後、ロンドンアムネスティ・インターナショナル秘書として働く。この時期に、ハリー・ポッターの構想が生まれた。その後、英語教師としてポルトガル在住中に結婚。一女ジェシカが生まれたが、夫との不和のため夫の元を飛び出しジェシカを連れて帰国後離婚。小説が売れる前の1990年代、離婚後の生活苦と貧困うつ病になり、「自殺も考えた」ことがあると英北部エディンバラ大学の学生誌に明かした。

娘の存在に支えられながら数ヶ月をかけてうつ病を完治させ、貧しいシングルマザーとして生活保護を受けながら『ハリー・ポッターシリーズ』第1作『ハリー・ポッターと賢者の石』を執筆。執筆当初は収入が低く、冷暖房費の節約の為、カフェに居座って執筆していたという。イギリスのブルームズベリー出版社から出版された同書は、「ネスレ・スマーティーズ賞」や「ブリティッシュ・ブック・アウォーズ」など多くの文学賞を受賞するなど、新人作家としては異例の扱いを受け児童文学として高く評価されるとともに、多数の外国語に訳される世界的ベストセラーとなり、子供のみならず広範な大人の読者をも獲得した。

最近のインタビューによると、ハリー・ポッターシリーズが終わっても作家業を続け、作家名も変えないと発言している。


Portal:スペキュレイティブ・フィクション/人物紹介/9 オノレ・ド・バルザックHonoré de Balzac, 1799年5月20日 - 1850年8月18日)は、19世紀フランスを代表する小説家。なおド・バルザックの「ド」は、貴族を気取った自称である。

イギリスの作家サマセット・モームは、『世界の十大小説』のなかで、バルザックを「確実に天才とよぶにふさわしい人物」と述べている。バルザックは90篇の長編・短編からなる小説群『人間喜劇』を執筆した。これは19世紀ロシア文学ドストエフスキーレフ・トルストイ)のさきがけとなった写実的小説群である。

バルザックの小説の特性は、社会全体を俯瞰する巨大な視点と同時に、人間の精神の内部を精密に描くというところにある。高潔な善人が小説のなかに出てくるが、かれらは偽善的な社会のなかで苦悩のうちに死んでいく(『ゴリオ爺さん』、『谷間のゆり』など)。創作の天才で、多作にもかかわらず、死に至るまでアイデアが尽きることはなかった。社会のあらゆる人物、場面を描くことによって、フランス社会史を成す『人間喜劇』を構想したが、未完におわった。

パリの死刑執行人シャルル=アンリ・サンソンと親しく交際があったと言われており、サンソン回想録を執筆している。


Portal:スペキュレイティブ・フィクション/人物紹介/10 アイザック・アシモフ(Isaac Asimov, 1920年1月2日 - 1992年4月6日)はアメリカ作家生化学者。非常に成功した多作の作家であり、その著作は500冊以上を数える。彼の扱うテーマは科学言語歴史聖書等々非常に多岐にわたり、それはアメリカの図書分類法によって分類されたすべてのジャンルに著作があることでも知られているが、特にSF、一般向け科学解説書、推理小説によってよく知られている。

日本では「アシモフ」と「アジモフ」等の表記があり、前者での表記が一般的である。本人の望んでいた英語での発音は後者に比較的近いとされるが、日本語読みの「アジモフ」が英語原音と同一というわけではない。ジュブナイル作品ではポール・フレンチという筆名を用いた。1942年発表のSF短編 "Time Pussy" では George E. Dale という筆名を用いた。1971年の著書 "The Sensuous Dirty Old Man" では Dr. "A" という筆名を用いた。(翌1972年刊のペーパーバック版では Isaac Asimov と印刷されていた。)


Portal:スペキュレイティブ・フィクション/人物紹介/11 桂 正和(かつら まさかず、本名同じ、1962年12月10日 - )は日本の男性漫画家。プロダクション名は STUDIO K2R。福井県生まれの千葉県育ち。阿佐ヶ谷美術専門学校中退。血液型A型

1981年昭和56年)に『週刊少年ジャンプ』(集英社)32号掲載の「転校生はヘンソウセイ!?」でデビューし、1983年(昭和58年)に同誌5・6合併号から連載を開始した『ウイングマン』で連載デビュー。主に『週刊少年ジャンプ』で活躍し、その後『週刊ヤングジャンプ』(同)に移籍。代表作に『ウイングマン』・『電影少女』・『I"s』など。『週刊ヤングジャンプ』誌上において「ZETMAN」を連載中。

評価は日本国内だけには留まらず香港台湾アメリカフランスなど様々な国にファンが居り、支持を受けている。


Portal:スペキュレイティブ・フィクション/人物紹介/12

ヨハネス・ケプラー(1610)
ヨハネス・ケプラーJohannes Kepler1571年12月27日 - 1630年11月15日)は、ドイツ天文学者天体の運行法則に関する「ケプラーの法則」を唱えたことでよく知られている。理論的に天体の運動を解明したという点において、天体物理学者の先駆的存在だといえる。数学者自然哲学者占星術師という顔ももつ。

1611年頃、ケプラーは、彼の死後『ケプラーの夢』として出版される小説の原稿を公表、回覧した。『ケプラーの夢』の趣旨のひとつは、天文学を実践したらどうなるのかを他の星からの視点で描写し、地球のシステムとは異なるものの可能性を示そうとしたことであった。月への旅行を空想的に描いた原稿は、何人もの人の手に渡っていくあいだに何度か行方不明になった。原稿の内容は、寓意的、自伝的、そして宇宙旅行の論文といった要素から成っており、本書を最初の SF小説と評する人もいる。後年、小説の語り手の母親が悪魔に宇宙旅行の方法を教わったという内容を曲解され、それがケプラーの母親に対する魔女裁判につながった可能性があるといわれている。母親が無罪になったあと、ケプラーは本編の数倍の長さにもなる223項目の注釈を小説に書き加えて、寓意的側面、及び膨大な科学情報、特に月面の地理についての説明をした。


Portal:スペキュレイティブ・フィクション/人物紹介/13

ロバート・E・ハワード
ロバート・アービン・ハワードRobert Ervin Howard,1906年1月22日 - 1936年6月11日)は、アメリカSF作家ファンタジー作家。テキサス州ピースター出身。子供の頃は虚弱であったが体質を克服しようとボクシングを始め、逞しい青年になる。しかし常に自分は何者かに狙われているのではないかという不安に取り付かれ、護身用の拳銃を手放さなかった。

1924年、怪奇小説専門のパルプ・マガジンウィアード・テイルズ」(Weird Tales)に"Spear and Fang" が売れ、翌1925年にデビュー。以後400編近い作品を次々に執筆し、さまざまなパルプ誌に発表。その内容はヒロイック・ファンタジー、幻想怪奇小説から、冒険小説、ハードボイルド、歴史冒険小説、西部劇、スラップスティック小説まで、非常な広範囲に及ぶ。

1932年、『英雄コナン』シリーズの第一作「不死鳥の剣」(The Phoenix on the Sword)がウィアード・テイルズ誌に掲載される。


Portal:スペキュレイティブ・フィクション/人物紹介/14

レイ・ブラッドベリ
レイ・ブラッドベリRaymond Bradbury, 1920年8月22日 - )は、アメリカ合衆国小説家SF作家幻想文学作家、怪奇小説作家)、詩人1938年から1942年まで新聞の販売をしており、その間にヘンリー・ハースとの共作の「振り子」が『スーパー・サイエンス・ストーリーズ』に掲載され、プロ作家になった。1945年、『ベスト・アメリカン・ショート・ストーリーズ』に作品が収録される。

1947年、処女短編集『黒いカーニバル』(Dark Carnival)をアーカム・ハウスから刊行した。続いてダブルディから刊行された『火星年代記』『刺青の男』で名声を得る。1947年、1948年にO・ヘンリー賞を2年連続して受賞した。1954年アメリカ芸術文学協会賞、カリフォルニア・コモンウェルズ・クラブのゴールド・メダル賞を受賞した。またハーマン・メルヴィル原作、ジョン・ヒューストン監督の映画『白鯨』の脚本を担当した。優れて叙情的な作風が特徴で、日本にもファンが多い。現在はロサンゼルスに在住し、著作活動を続けている。

特撮監督のレイ・ハリーハウゼンとは高校時代からの友人である。


Portal:スペキュレイティブ・フィクション/人物紹介/15

ロバート・シルヴァーバーグ
ロバート・シルヴァーバーグ(Robert Silverberg, 1935年1月15日 - )はアメリカ合衆国作家SF作家)。ニューヨーク出身。18歳でデビュー以来、SF、犯罪小説、西部劇ジュブナイルノンフィクションなどの分野で多数の作品を書き小説工場とも呼ばれるが、1960年代後半からシリアスで野心的な傑作を発表しニュー・シルヴァーバーグと呼ばれるようになる。代表作に『夜の翼』『大地への下降』『禁じられた惑星』など。

コロンビア大学卒、英文学を専攻。在学中の1954年に短編Gorgon Planetでデビュー。1955年スコットランドのSF誌「ネビュラ」に処女長編『第四惑星の反乱』を発表。大学を卒業する頃には毎月数十編の作品をこなす売れっ子作家となり、1956年にはヒューゴー賞の最優秀新人賞を受賞。エンターテイメントに徹した作風を揶揄する意味も込めて小説工場と呼ばれ、1955年からの10年間で450冊の単行本を書いた。

1959年頃からSFブームが冷え込み、多くのペンネームでSF以外のジャンルの作品も書くようになる。この年に書いたジュブナイル小説『生きていた火星人』 がニューヨーク・タイムズの優良児童書100選に選ばれる。続いて1962年に書いた遺跡発掘についてのノンフィクションLost Cities and Vanished Civilizationsは、優良児童図書賞の候補、子供向けブッククラブの推薦図書となる。


Portal:スペキュレイティブ・フィクション/人物紹介/16 コードウェイナー・スミスCordwainer Smith, 1913年7月11日 - 1966年8月6日)は、アメリカ合衆国生まれの、SFを中心として活躍した小説家。正体を明かさないSF作家として有名だったが、本名をポール・マイロン・アンソニー・ラインバーガー (Paul M. A. Linebarger)といい、ジョンズ・ホプキンス大学の教授としてアジア政策の教鞭を執っており、また軍人としても陸軍情報部の大佐を務めていた。本名でも著作活動を行っており、そのうち『心理戦争』(原題:Psychological Warfare)がみすず書房から翻訳刊行されている。

別名にKarloman Jungahrなど多数。中国名である「林白楽」は、それを元にしたフェリックス・C・フォレストという名前でSFとはまったく関係のない作品を発表している。アンソニー・ビアデンという名前も使い、またカーマイクル・スミスという筆名でスパイ小説を書いている。最も有名な筆名は、このカーマイクル・スミスを変形させたものらしい。

フェリックス・C・フォレスト名義で書かれたものは、女性の一人称視点で語る実験的な作品で、当初彼は女性名義で出版しようと試みたが、当時は受け容れられなかったために自身の中国名をベースとしたこの名での出版となったらしい。この作品で注目されたものの、そこで読者と直接に会い、それを意識したためか却って同種の作品を書けなくなった彼は、その後は正体を隠すことにした。それが仮面の作家コードウェイナー・スミスの始まりである。


Portal:スペキュレイティブ・フィクション/人物紹介/17 アルフレッド・ベスター(Alfred Bester、1913年12月18日 - 1987年9月30日)は、アメリカ合衆国SF作家。テレビやラジオの脚本家、雑誌編集者、コミック原作者もつとめた。どの分野でも成功を収めたがSF作家として一番知られており、長編『分解された男』で1953年の第一回ヒューゴー賞を受賞した。

大学院中退後ベスターは広告関係で働いていたが、25歳のときSFの創作を始めた。1939年に『スリリング・ワンダー』誌のSFコンテストに送った短編 "The Broken Axiom" でデビュー。このコンテストは同誌の編集者がベスターの才能に惚れ、彼を世に出すために画策したものだと伝えられている。優勝賞金は50ドルだった。賞金が安すぎるため、ロバート・A・ハインラインは7000語の作品をこのコンテストに応募せず、アスタウンディング誌に持ち込んで1語1セントで70ドルを得たという。後にベスターとハインラインは友人になり、よくこの出来事をジョークにしていた。

その後数年間、ベスターは主にジョン・W・キャンベルアスタウンディング誌に短編を発表した。1942年、知り合いの編集者2人がDCコミックスに移り、ベスターにコミック原作を書かないかと誘った。そのためベスターはSF短編の執筆をやめ、DCコミックスで「スーパーマン」や「グリーンランタン」などの原作を書くようになった。また、「ザ・ファントム」の作者リー・フォークが第二次世界大戦で徴兵されていた期間には代わりの原作者をつとめていた。


Portal:スペキュレイティブ・フィクション/人物紹介/18

スタニスワフ・レム
スタニスワフ・レム Stanisław Lem, 1921年9月12日 - 2006年3月27日)は、ポーランド小説家SF作家思想家。ポーランドSFの第一人者であるとともに、20世紀SF最高の作家の一人とされる。代表作に、2度映画化もされた『ソラリスの陽のもとに』など。日本での翻訳初期にはロシア語版からの重訳での出版が多かったためか、ロシア語読みのスタニスラフ・レムと紹介されることが多かった。

1951年、『金星応答なし』で本格的にSF作家としてデビュー。この時期の作品は社会主義リアリズム影響下にあり、レム自身その価値を否定している。1955年に金十字功労賞受賞。1957年、クラクフ市文学賞受賞。1959年、ポーランド復興十字勲章受章。1965年、ポーランド文化芸術大臣賞第二席。1959年から64年に書かれた『エデン』『ソラリスの陽のもとに』『砂漠の惑星』は後にファーストコンタクト三部作と呼ばれ、異星人とのコミュニケーション不可能性がテーマとなっている。『ソラリスの陽のもとに』は代表作の一つとされ、『惑星ソラリス』(1972年、監督アンドレイ・タルコフスキー)および『ソラリス』(2003年、監督スティーブン・ソダーバーグ)として2度映画化された。

1969年、外務省から外国でのポーランド文学普及に対して表彰状を受ける。1970年代になると、研究書『SFと未来学』や、メタフィクション『完全な真空』『虚数』などを発表。1976年、文化芸術大臣賞第一席。1979年、ポーランド復興上級十字勲章受章。


Portal:スペキュレイティブ・フィクション/人物紹介/19 ジョン・W・キャンベルJohn Wood Campbell Jr., 1910年6月8日 - 1971年7月11日)は、アメリカ合衆国小説家SF作家編集者SF雑誌『アスタウンディング・サイエンスフィクション』(後の『アナログ』誌)の編集長を1937年から亡くなる直前まで務め、いわゆるSF黄金時代を築いた立役者の1人とされている。

アイザック・アシモフはキャンベルについて「SF界で最も強力な力を振るった人物で、特に編集長としての最初の10年間は完全にSF界を支配した」と評した。作家としては、スペースオペラを本名で発表し、パルプ雑誌的でない小説はドン・A・スチュアート (Don A. Stuart) の名で発表した。しかし、アスタウンディング誌の編集長となってからは創作をほとんどやめている。

19歳のときアメージング・ストーリーズ誌1930年1月号にて "When the Atoms Failed" という短編で作家デビューした。実はそれ以前に "Invaders from the Infinite" という作品もアメージング誌に売れていたが、編集者が原稿を紛失してしまい、掲載されなかった。初期作品にはスペース・オペラの「アーコット、モーリー&ウェード」シリーズなどがある。科学性の強い作風は1930年代のアメリカSF界において高く評価された。キャンベルは宇宙冒険ものの作家としてまず地位を確立した。1934年に違った傾向の作品を書き始めたとき、妻の旧姓 (Stewart) から考案したペンネームを使った。


Portal:スペキュレイティブ・フィクション/人物紹介/20 アルフレッド・エルトン・ヴァン・ヴォークトAlfred Elton van Vogt, 1912年4月26日 - 2000年1月26日)は、カナダマニトバ州グレトナ出身の小説家で、20世紀中頃のSF黄金期を代表するSF作家の一人。「Vogt」の「g」は発音しないが、日本ではヴォークトやヴォクトと表記されることが多い。最初の配偶者は作家のE・メイン・ハル(Edona Mayne Hull)。日本フランスといった諸外国でも人気を博し、フランスでは作家ボリス・ヴィアンらに愛読された。その作品は、SFの古典として、様々な作品に多大な影響を及ぼした。「ワイドスクリーン・バロック」と呼ばれる作風を確立した。

カナダマニトバ州グレトナの東にあるロシア系メノナイトのコミュニティで生まれた。実話風の告白ものを低俗雑誌に書いていたが、後にSF作家に転向。1939年アスタウンディング』誌7月号の、凶暴な宇宙生物クァールと人類との遭遇を描いた「黒い破壊者」(Black Destroyer)(『宇宙船ビーグル号の冒険』に収録)でSF界にデビュー。デビュー作がその号の巻頭を飾り、この号からSF黄金時代が始まったと言われることがある。この小説は即座に一種の古典となり、いくつかのSF映画に着想を与えた。この作品に「神経の戦い」(1950)、「緋色の不協和音」(1939)、「M-33星雲」(1943) を組み合わせて長編『宇宙船ビーグル号の冒険』(1950) に仕立てている。

1941年、専業作家となることを決めカナダ国防省を退職した。その後数年間、大量の短編小説を書いた。1950年代になると、それらを後から繋ぎ合わせて長編に仕立て上げた(これを自身では "fixup" と呼んでいた)。


Portal:スペキュレイティブ・フィクション/人物紹介/21 ロジャー・ゼラズニイRoger Joseph Christopher Zelazny, 1937年5月13日 - 1995年6月14日)はアメリカ合衆国小説家SF作家ファンタジー作家ゼラズニイ(早川書房東京創元社サンリオ)の表記はセラズニイ(サンリオ)、セラズニィ(角川書店)、ゼラズニーとも。ネビュラ賞を3度、ヒューゴー賞を6度受賞し、長編では『我が名はコンラッド』(1965) と『光の王』(1967) で受賞している。

神話をモチーフにした華麗なスタイルとアクションが人気を呼ぶ。1960年代に、サミュエル・R・ディレイニーハーラン・エリスンらとともにアメリカン・ニュー・ウェーブとも呼ばれた。1970年代以降は、ファンタジーSFを融合させた作品を多く書いた。また、ジョージ・R・R・マーティンらと共に、多数の作家が競作形式で小説を書くシェアード・ワールドSF小説「ワイルド・カード」にも参加した。

1962年から1969年までクリーブランド社会保障局(社会保険局オハイオ支局)に勤め(後にボルチモアに転勤)、帰宅してからSFを書くという生活を開始した。1962年に短編「受難劇」(Passion Play)が「アメージング・ストーリーズ」誌に、「騎士が来た!」(Horseman!)が「ファンタスティック」誌に掲載されて作家デビュー。翌1963年にF&SF誌に発表した「伝道の書に捧げる薔薇」がヒューゴー賞候補となって脚光を浴びる。ショートショートから徐々に長い作品を書くようになっていき、1965年に長編を書くようになった。1966年、最初の長編「わが名はコンラッド」(This Immortal)を出版。1969年5月1日に仕事を辞め、専業作家となった。このころの彼は Baltimore Science Fiction Society の主要な会員であり、ほかにジョー・ホールドマンらも会員だった。


Portal:スペキュレイティブ・フィクション/人物紹介/22

アーサー・C・クラーク
アーサー・チャールズ・クラークSir Arthur Charles Clarke1917年12月16日 - 2008年3月19日)は、イギリス出身のSF作家20世紀を代表するSF作家の一人であり、科学解説者としても知られている。

1960年代から1970年代にはロバート・A・ハインラインアイザック・アシモフと並んでビッグ・スリーと称されるSF界の大御所として活躍した。他の2人がエンターテイメント、SF叙事詩を志向したのに対して、クラークは豊富な科学的知識に裏打ちされた近未来を舞台にしたリアルなハードSF作品群と仏教思想に共鳴した「人類の宇宙的進化」を壮大に描く作品群とに特色がある。代表作は『幼年期の終わり』、『2001年宇宙の旅』。作品のほとんどが邦訳されている。短編では『太陽系最後の日』や『星』などが有名。SF以外の小説はイギリス空軍時代の体験を基にした1963年の『Glide Path』(日本語未訳)の一作のみ。

多くの科学者や宇宙飛行士らと親交があり、何人かは小説に登場している。他にもしばしば作中で現実とのクロスオーバーを行っており、『2010年宇宙の旅』で登場人物が遺棄宇宙船の中である有名SFホラー映画を話題にしたり、『2061年宇宙の旅』ではモノリス調査隊が映画『2001年』の撮影用プロップを発見したエピソードが登場している。

アシモフともし「最高のSF作家は誰か?」と聞かれたら互いの名を答える「アシモフ - クラーク協定(Asimov-Clarke Treaty of Park Avenue)」を結んでいたと言われている。後年はスリランカに住んだ。『スリランカから世界を眺めて』というスリランカでの暮らしに触れたエッセイ集もある。ダイビング[要曖昧さ回避]などを趣味にしていた。晩年まで小説を執筆した。


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ロバート・A・ハインライン
ロバート・アンスン・ハインラインRobert Anson Heinlein1907年7月7日 - 1988年5月8日)はアメリカSF作家。アンスン・マクドナルド(Anson MacDonald)、ライル・モンロー(Lyle Monroe)などの名義で執筆していた時期もある(いずれも中・短編)。SF界を代表する作家のひとり。アイザック・アシモフアーサー・C・クラークと並んで、世界SF界のビッグスリーとも呼ばれている。ハインラインに影響を受けたSF作家も数多い。

1939年4月、4日間で書き上げた第一作『生命線』を「アスタウンディング」誌に送り、デビューを果たす。1943年、技術士官(航空工学)として海軍に復帰。戦争終結後、1946退役、著述を再開する。以後『宇宙の戦士』、『ダブル・スター(太陽系帝国の危機)』、『異星の客』、『月は無慈悲な夜の女王』でヒューゴー賞を計4回受賞(いずれも長編小説部門)。

ロマンティックなタイム・トラベル物『夏への扉』は特に人気の高い作品であり、日本でのSFファンのオールタイム・ベスト投票では、度々ベスト1作品になっている。


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ジュール・ヴェルヌ
ジュール・ヴェルヌJules Verne, 1828年2月8日 - 1905年3月24日)は、フランスの小説家H・G・ウェルズとともにSFの開祖として知られ、SFの父とも呼ばれる。ヴェルヌの日本への紹介は、1878年(明治11年)、川島忠之助が『八十日間世界一周』の前編を翻訳刊行したのが最初である(標題は『新説八十日間世界一周』。後編は1880年(明治13年)に刊行)。同書はまた、日本における最初のフランス語原典からの翻訳書であった。

1883年(明治16年)には、黒岩涙香が『月世界旅行』を翻案(翻案途上で中断、出版もされていないという説がある)。1896年(明治29年)、森田思軒が英訳からの重訳であったが『二年間の休暇』を翻訳して「十五少年」という標題で雑誌『少年世界』に連載し、単行書として刊行した。同書は、少年文学の傑作として評価され、多くの読者を獲得した。翻訳されたヴェルヌの作品は、翻訳文学史において大きな位置を占めた。

ヴェルヌの作品の多くは、子供用の物語として書き直されたり、映画やアニメのような映像作品の原作になったりと、広い人気を誇る。これは21世紀にまで続いており、ヴェルヌ作品は一種の共通認識になっていると言っても良い。


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ハーバート・ジョージ・ウェルズ
ハーバート・ジョージ・ウェルズHerbert George Wells, 1866年9月21日 - 1946年8月13日)は、イギリスの著作家。小説家としてはジュール・ヴェルヌとともに「SFの父」と呼ばれる。社会活動家や歴史家としても多くの業績を遺した。H・G・ウエルズH.G.ウェルズ等の表記あり。

ウェルズは教員をめざすが、教育界の保守的な体質と病気が原因で道を閉ざされ、文筆活動へ進む。やがてジャーナリストとなり、『ベル・メル・ガゼット』や『ネイチャー』に寄稿する。1890年代から1900年代初頭にかけて、『タイム・マシン』(1895年)をはじめ、『モロー博士の島』、『透明人間』、『宇宙戦争』など現在でも有名な作品を発表する。これら初期の作品には、科学知識に裏打ちされた空想小説が多く、ウェルズ自身は「科学ロマンス」と呼んだ。

1900年、ケント州のサンドゲイトに邸宅を購入し、執筆活動と文士との交際を行なう。未来について考察した『予想』の発表などが転機となり、文明批評色の濃い作品や風俗小説を発表するようになる。やがて社会主義に傾倒し、1902年にはバーナード・ショーの紹介で社会主義団体であるフェビアン協会に参加。その後も人類への憂慮を背景にした作品を発表し続け、第一次世界大戦の前に原爆を予見した『解放された世界』を発表。終戦後に出された歴史書『世界史大系』は幅広く読まれた。


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桂冠詩人 A・テニスン
初代テニスン男爵アルフレッド・テニスンAlfred Tennyson, 1st Baron Tennyson, 1809年8月6日 - 1892年10月6日)はヴィクトリア朝時代のイギリス詩人。美しい措辞と韻律を持ち、日本でも愛読された。1832年に学友のハラム(Arthur Henry Hallam)と大陸を旅行するがその翌年にハラムが急死し、強い衝撃を受けて彼を弔う長詩『イン・メモリアムIn Memoriam A.H.H.を書き始め、十数年にわたる自己の思想の成長をも織りこんで1849年に完成させた。友人の死と進化論によって揺れ動く信仰をうたった詩であり、序詩は「つよき神の子、朽ちぬ愛よ」として讃美歌275番に収録されている。1842年『Poems by Alfred Tennyson』で名をなし1845年に年金を授与された。1847年に叙事詩『The Princess』を発表し、1850年ウィリアム・ワーズワースの後継者として桂冠詩人となった。この年に結婚している。

1855年『Maud』、1859~64年にかけてアーサー王伝説に取材した『国王牧歌』や、哀れな水夫の物語詩『イノック・アーデン Enoch Arden』(1864年)、『Locksley Hall Sixty Years After』(1886年)を発表し、1884年にはテニスン男爵に叙せられた。1889年の短詩『砂州を越えて Crossing the Bar』は辞世の歌として名高い。


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肖像画(1718年)
ジョナサン・スウィフト(Jonathan Swift、1667年11月30日 - 1745年10月19日)は、イングランドアイルランド人司祭諷刺作家、随筆家、政治パンフレット作者、そして『ガリヴァー旅行記』・『穏健なる提案』・『ステラへの消息』・『ドレイピア書簡』・『書物合戦』・『桶物語』などの作品で知られる詩人である。スウィフトは恐らく英語で第一流の散文による諷刺作家であろうが、その詩文によってはあまり知られていない。スウィフトの作品は、いずれもレミュエル・ガリヴァー、アイザック・ビッカースタッフ、M・B・ドレイピアのような筆名の下に(あるいは匿名で)発行された。

『外科医にして諸船の船長レミュエル・ガリヴァーによる世界の諸僻地への四部から成る旅行記』、むしろ『ガリヴァー旅行記』として知られている。ほとんどの題材は、前の10年間における彼の政治的経験が反映されている。例えば、巨大なガリヴァーがリリパットの宮殿の火災を小便で消し止める挿話は、不適切な作法で善い事を行うという、トーリー党の違法な和平条約の隠喩と見ることができる。1726年、彼は『ガリヴァー旅行記』の原稿を携えて、長く延期されていたロンドン訪問を行った。訪問中、彼は旧友アレクサンダー・ポープ、ジョン・アルバスノット、そしてジョン・ガイのもとに滞在した。彼らはスウィフトの本を匿名で発行する準備を手伝った。最初に1726年11月発行され、その年と翌1727年の早いうちに合計3つの版が出て即座に成功を収めた。1727年にはフランス語、ドイツ語やオランダ語の翻訳も現れ、アイルランドでは海賊出版もなされた。


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オルダス・ハクスリー
オルダス・レナード・ハクスリー(Aldous Leonard Huxley, 1894年7月26日 - 1963年11月22日)は、イギリス作家。後にアメリカ合衆国に移住。彼はヨーロッパにおいて著名な科学者を多数輩出したハクスリー家の一員であった。祖父のトーマス・ハクスリーダーウィン進化論を支持した有名な生物学者、父は文芸雑誌を担当する文人、兄のジュリアン・ハクスリーもまた進化論で有名な生物学者で評論家。ジュリアンは1946年から1948年までユネスコ事務局長を務めている。 彼は小説、エッセイ、詩、旅行記など多数発表したが、小説によってその名を広く知られている。

第一次世界大戦後に20代で作家としてデビューした。1932年の『すばらしい新世界』では、胎児の頃から生化学的に管理され、洗脳的な教育によって欲求が満たされ管理されていることに疑問すら抱かない市民が生きる管理社会であるディストピアを風刺した。1937年に、眼の疾患の治療のためにアメリカ合衆国カルフォルニア州に移住する。なお彼の著書 The Art of Seeing によると、彼の視力の回復には、ベイツ・メソッドの実践と、アレクサンダー・テクニークのレッスンを創始者フレデリック・マサイアス・アレクサンダーから受けたことが大いに役立ったそうである。その後、神秘主義の傾向を強めていく。


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2007年現在のスタン・リー
スタン・リーStan Lee, 1922年12月28日 - )は、アメリカン・コミックスの第一人者の漫画原作者マーベル・コミックで多くの原作を手がけた一方で、実写映画版のキャラクターデザインや製作総指揮なども務める。本名スタンリー・マーティン・リーバーStanley Martin Lieber)。代表作に、『スパイダーマン』『X-メン』『ハルク』など。

1962年からマーベル・コミックから刊行をはじめた『スパイダーマン』で、「悩める等身大のヒーロー」を創造し、それまで「万能のヒーロー」しか存在しなかったアメリカン・コミックスのヒーロー物の世界を、よりリアルに革新させた。ユーモアに溢れておりファンサービスもよくする。映画にカメオ出演もすることがある。『ジャンプスクエア』2009年3月号より、日本の漫画家武井宏之との合作『機巧童子ULTIMO』の連載が開始された。


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ラヴクラフトの肖像画とその被造物達
ハワード・フィリップス・ラヴクラフト: Howard Phillips Lovecraft1890年8月20日 - 1937年3月15日)は、アメリカ合衆国小説家詩人。「宇宙的恐怖(コズミック・ホラー)」などと呼ばれるSF的なホラー小説で有名である。「H・P・ラブクラフト」と表記されることも多い。また文通仲間の間では「HPL」と呼ばれていた。ラヴクラフトの死後、彼の小説世界は、年少の友人の作家オーガスト・ダーレスによりダーレス独自の善悪二元論的解釈とともに体系化され、クトゥルフ神話として発表された。そのため、ラヴクラフトはクトゥルフ神話の創始者とも言われる。ただし、ラヴクラフトの宇宙的恐怖を主体とする小説世界を原神話ラヴクラフト神話と呼び、クトゥルフ神話と区別することもある。

生前はパルプ作家としてそれなりの人気はあったものの、文学的に高い評価は受けておらず、出版された作品も極めて少なかった。しかし死後、ダーレスの創立した出版社「アーカム・ハウス」から彼の作品群が出版されたことをきっかけに再評価される。エドガー・アラン・ポーと並んで現在も世界中の怪奇幻想小説界に多大な影響を与え続ける存在であり、スティーヴン・キング菊地秀行など人気作家にも愛読者は多く、アメリカ怪奇・幻想文学の巨匠の一人として数えられる。


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アラン・ムーア(2008年)
アラン・ムーアAlan Moore1953年11月18日- )はイギリスノーザンプトン出身の漫画原作者であり、『ウォッチメン』『Vフォー・ヴェンデッタ』『フロム・ヘル』等のアメリカン・コミックグラフィックノベルの原作で有名。ムーアはまた、小説『Voice of the Fire』の執筆や、舞台でのパフォーマンス活動も行っている。ムーアは実践マジシャンでもあり、古代ローマの蛇神グリュコーンを崇拝していると主張している。

アメリカン・コミック原作者としてのムーアは、子供向けでつまらないものとして退けられがちなこのジャンルに、成熟した文学的な感覚を持ち込んだ功績により評価されている。ムーアの実験は、文学からの影響や成人向けのテーマ、挑戦的な題材などの作品内容にとどまらず、独特な効果の採用や、文字と絵の異なる組み合わせなどの表現形式にまで及ぶ。ムーアの作品は、ウィリアム・S・バロウズトマス・ピンチョンイアン・シンクレアなどの文学者や、ニューウェーブSF作家のマイケル・ムアコック、ホラー作家のクライヴ・バーカー、映像作家のニコラス・ローグなど、幅広いジャンルからの影響を受けている。コミックに成人向けのテーマを持ち込んだ先駆的作品『The Adventures of Luther Arkwright(ルーサー・アークライトの冒険)』で知られるイギリスの漫画家ブライアン・タルボットは、間違いなくムーアの作品に最も大きな影響を与えている。


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