Portal:スペキュレイティブ・フィクション/人物紹介/26
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初代テニスン男爵アルフレッド・テニスン(Alfred Tennyson, 1st Baron Tennyson, 1809年8月6日 - 1892年10月6日)はヴィクトリア朝時代のイギリス詩人。美しい措辞と韻律を持ち、日本でも愛読された。1832年に学友のハラム(Arthur Henry Hallam)と大陸を旅行するがその翌年にハラムが急死し、強い衝撃を受けて彼を弔う長詩『イン・メモリアム』In Memoriam A.H.H.を書き始め、十数年にわたる自己の思想の成長をも織りこんで1849年に完成させた。友人の死と進化論によって揺れ動く信仰をうたった詩であり、序詩は「つよき神の子、朽ちぬ愛よ」として讃美歌275番に収録されている。1842年『Poems by Alfred Tennyson』で名をなし1845年に年金を授与された。1847年に叙事詩『The Princess』を発表し、1850年ウィリアム・ワーズワースの後継者として桂冠詩人となった。この年に結婚している。
1855年『Maud』、1859~64年にかけてアーサー王伝説に取材した『国王牧歌』や、哀れな水夫の物語詩『イノック・アーデン Enoch Arden』(1864年)、『Locksley Hall Sixty Years After』(1886年)を発表し、1884年にはテニスン男爵に叙せられた。1889年の短詩『砂州を越えて Crossing the Bar』は辞世の歌として名高い。