1967年の中日ドラゴンズ
1967年の中日ドラゴンズ | |
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成績 | |
セントラル・リーグ2位 | |
72勝58敗4分 勝率.554[1] | |
本拠地 | |
都市 | 愛知県名古屋市 |
球場 |
中日スタヂアム |
球団組織 | |
オーナー |
与良ヱ →小山武夫 |
経営母体 | 中日新聞社 |
監督 |
西沢道夫 近藤貞雄(代行。5月18日〜5月28日) |
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1967年の中日ドラゴンズでは、1967年の中日ドラゴンズの動向をまとめる。
この年の中日ドラゴンズは、西沢道夫監督の4年目(途中就任の1964年含む)のシーズンである。
概要
[編集]4月18日に中日新聞社の与良ヱ社長が急逝したことにより、小山武夫(小山龍三社主・元オーナーの養弟)がオーナー職を引き継ぎ球団社長を兼務することになった。
ここ数年の外国人選手が不振であったことから、この年は1962年前半以来の「純血主義」で行うことに。4月は首位の巨人と2ゲーム差で終えるが、「純血主義」の弊害が出た5月以降成績が伸び悩んで、5月18日には西沢監督が病欠するハプニングまで起こった。その後近藤貞雄投手コーチが監督代行で指揮を執った後、西沢監督が復帰。7月終了時点では巨人と6.5ゲーム差で逆転優勝の可能性を残したが、8月に巨人が12連勝含めて20勝5敗と勝ち越したのに対し、中日は9勝15敗と負け越して差が広がった。最後は阪神との2位争いには勝ったが、3年連続の2位で優勝の巨人に12ゲームもつけられた。投手陣は29勝で最多勝の小川健太郎と14勝の板東英二を中心に、水谷寿伸・山中巽・佐藤公博・門岡信行などがそれなりの成績を残したがチーム防御率が前年から低下し3.31のリーグ4位。打撃陣では中利夫が王貞治(巨人)・近藤和彦(大洋)と争い、自身初の首位打者を獲得するなど終始好調でリーグ2位の148本塁打を記録したほか、チーム打率.248もリーグ2位だったが、エラーも目立ち136失策で、優勝の巨人と45個差の最下位。対戦成績では優勝の巨人をはじめ4球団に勝ち越したが、5位のサンケイに12勝14敗と負け越し全球団勝ち越しはならなかった。西沢監督は1968年も指揮を取る予定ではあったが1月に病気のため辞任、杉下茂が復帰した。
チーム成績
[編集]レギュラーシーズン
[編集]1 | 右 | 島野育夫 |
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2 | 中 | 中利夫 |
3 | 二 | 高木守道 |
4 | 左 | 江藤慎一 |
5 | 一 | 広野功 |
6 | 遊 | 一枝修平 |
7 | 捕 | 木俣達彦 |
8 | 三 | 伊藤竜彦 |
9 | 投 | 小川健太郎 |
順位 | 4月終了時 | 5月終了時 | 6月終了時 | 7月終了時 | 8月終了時 | 9月終了時 | 最終成績 | |||||||
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1位 | 巨人 | -- | 巨人 | -- | 巨人 | -- | 巨人 | -- | 巨人 | -- | 巨人 | -- | 巨人 | -- |
2位 | 阪神 | 阪神 | 6.5 | 中日 | 6.0 | 中日 | 6.5 | 中日 | 17.0 | 中日 | 15.0 | 中日 | 12.0 | |
3位 | 大洋 | 1.0 | 中日 | 7.5 | 阪神 | 8.0 | 阪神 | 10.0 | 阪神 | 17.5 | 阪神 | 15.5 | 阪神 | 14.0 |
4位 | 中日 | 2.5 | サンケイ | 10.0 | サンケイ | 13.0 | サンケイ | 13.0 | 大洋 | 22.5 | 大洋 | 23.0 | 大洋 | 25.0 |
5位 | 広島 | 3.5 | 大洋 | 13.5 | 大洋 | 16.0 | 大洋 | 17.0 | サンケイ | 24.0 | サンケイ | 26.0 | サンケイ | 26.0 |
6位 | サンケイ | 8.0 | 広島 | 16.5 | 広島 | 17.0 | 広島 | 19.5 | 広島 | 30.0 | 広島 | 34.5 | 広島 | 37.0 |
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | 読売ジャイアンツ | 84 | 46 | 4 | .646 | 優勝 |
2位 | 中日ドラゴンズ | 72 | 58 | 4 | .554 | 12.0 |
3位 | 阪神タイガース | 70 | 60 | 6 | .538 | 14.0 |
4位 | 大洋ホエールズ | 59 | 71 | 5 | .454 | 25.0 |
5位 | サンケイアトムズ | 58 | 72 | 5 | .446 | 26.0 |
6位 | 広島カープ | 47 | 83 | 8 | .362 | 37.0 |
オールスターゲーム1967
[編集]コーチ | 西沢道夫 | |||
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ファン投票 | 江藤慎一 | |||
監督推薦 | 小川健太郎 | 新宅洋志 | 高木守道 | 中暁生 |
補充選手 | 板東英二 |
できごと
[編集]選手・スタッフ
[編集]表彰選手
[編集]リーグ・リーダー | |||
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選手名 | タイトル | 成績 | 回数 |
中暁生 | 首位打者 | .343 | 初受賞 |
小川健太郎 | 最多勝利 | 29勝 | 初受賞 |
沢村賞 | 初受賞 |
ベストナイン | ||
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選手名 | ポジション | 回数 |
小川健太郎 | 投手 | 初受賞 |
高木守道 | 二塁手 | 5年連続5度目 |
中暁生 | 外野手 | 3年連続4度目 |
ドラフト
[編集]順位 | 選手名 | 守備位置 | 所属 | 結果 |
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1位 | 土屋紘 | 投手 | 電電東京 | 入団 |
2位 | 江島巧 | 外野手 | 平安高 | 入団 |
3位 | 若生和也 | 投手 | 立正佼成会 | 入団 |
4位 | 村上真二 | 内野手 | 今治南高 | 入団 |
5位 | 皆木敏夫 | 投手 | 日本大学櫻丘高 | 拒否 |
6位 | 工藤真 | 投手 | 豊橋東高 | 拒否・慶應義塾大学進学 |
7位 | 佐々木辰夫 | 投手 | 四国電力 | 拒否 |
8位 | 星野秀孝 | 投手 | 沼田高武尊分校 | 入団 |
9位 | 金博昭 | 外野手 | 立正佼成会 | 入団 |
出典
[編集]- ^ a b “年度別成績 1967年 セントラル・リーグ”. 日本野球機構. 2017年8月2日閲覧。
- ^ ベースボールマガジン2002夏季号, ベースボールマガジン社, (2002), p. 109
- ^ 『日本プロ野球80年史 1934-2014』 【記録編】、ベースボール・マガジン社、2014年12月24日。ISBN 978-4-583-10668-7。
セントラル・リーグ | パシフィック・リーグ | ||||||
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優勝 | 読売ジャイアンツ | 2位 | 中日ドラゴンズ | 優勝 | 阪急ブレーブス | 2位 | 西鉄ライオンズ |
3位 | 阪神タイガース | 4位 | 大洋ホエールズ | 3位 | 東映フライヤーズ | 4位 | 南海ホークス |
5位 | サンケイアトムズ | 6位 | 広島カープ | 5位 | 東京オリオンズ | 6位 | 近鉄バファローズ |
:日本一 :日本シリーズ出場 | |||||||