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佐藤公博

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
佐藤 公博
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 北海道
生年月日 (1936-07-13) 1936年7月13日(88歳)
身長
体重
175 cm
78 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1961年
初出場 1961年
最終出場 1969年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

佐藤 公博(さとう きみひろ、1936年7月13日 - )は、北海道函館市出身の元プロ野球選手投手)。

来歴・人物

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函館工業では1954年夏の甲子園道予選準々決勝に進むが、札幌北高に延長10回サヨナラ負け。卒業後は東洋高圧砂川に入社し、1955年から都市対抗の常連として活躍する[1]

1961年阪急ブレーブスへ入団[2]、同年は4月から先発陣に加わり4勝をあげる。その後は一時低迷するが、1965年には先発、中継ぎとして幅広く起用され42試合に出場。1966年には柿本実との交換トレードで、中日ドラゴンズに移籍[2]。ここでは主として救援に回るが、9月26日には巨人戦で先発し、1点リードの9回2死までノーヒットノーランに抑える。しかし柴田勲に初安打を許し、その後森昌彦に逆転サヨナラ3点本塁打を打たれ、敗戦投手になる[2]1967年には開幕から先発に回り4勝、7月19日には因縁の巨人からの初完封勝利を記録した。

1968年途中島野育夫とともに、堀込基明との交換トレードで南海ホークスに移籍した[2]1969年黒い霧事件に関わったとしてこの年に引退。暴力団が送り込んだヒットマンによって殺されたと噂されたが生存が確認され、球界からは事実上の永久追放となった。引退後は岐阜県土岐市で焼肉店を経営していた[2]

現在は故郷の函館市にて余生を送っている。

球種はスライダーカーブシュート

詳細情報

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年度別投手成績

[編集]




















































W
H
I
P
1961 阪急 47 12 1 1 0 4 7 -- -- .364 549 135.1 115 14 40 2 7 94 2 1 57 54 3.57 1.15
1963 9 0 0 0 0 0 0 -- -- ---- 67 17.1 11 1 2 0 0 12 0 0 3 3 1.50 0.75
1964 7 1 0 0 0 0 0 -- -- ---- 54 13.0 11 2 3 0 1 3 0 0 3 2 1.38 1.08
1965 42 11 2 1 1 3 6 -- -- .333 495 118.0 117 8 30 1 2 48 1 0 57 49 3.74 1.25
1966 中日 42 4 2 1 0 3 4 -- -- .429 333 86.2 56 3 26 2 2 30 1 1 28 23 2.38 0.95
1967 29 19 2 2 1 4 5 -- -- .444 415 95.2 102 6 35 2 2 44 1 0 45 36 3.38 1.43
1968 4 0 0 0 0 0 0 -- -- ---- 33 7.2 9 2 2 0 0 4 0 0 6 6 6.75 1.43
南海 30 3 0 0 0 0 4 -- -- .000 284 67.0 58 10 30 2 2 32 1 0 29 25 3.36 1.31
'68計 34 3 0 0 0 0 4 -- -- .000 317 74.2 67 12 32 2 2 36 1 0 35 31 3.72 1.33
1969 22 1 0 0 0 0 1 -- -- .000 171 39.2 46 6 7 1 3 17 0 0 24 22 4.95 1.34
通算:8年 232 51 7 5 2 14 27 -- -- .341 2401 580.1 525 52 175 10 19 284 6 2 252 220 3.41 1.21
  • 各年度の太字はリーグ最高

背番号

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  • 13 (1961年 - 1962年途中)
  • 26 (1962年途中 - 1965年)
  • 17 (1966年 - 1969年)

脚注

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  1. ^ 「都市対抗野球大会60年史」日本野球連盟 毎日新聞社 1990年
  2. ^ a b c d e プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、252ページ

関連項目

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外部リンク

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