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1965年の中日ドラゴンズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
1965年の中日ドラゴンズ
成績
セントラル・リーグ2位
77勝59敗4分 勝率.566[1]
本拠地
都市 愛知県名古屋市
球場 中日スタヂアム
球団組織
オーナー 与良ヱ
経営母体 中日新聞社
監督 西沢道夫
« 1964
1966 »

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1965年の中日ドラゴンズでは、1965年の中日ドラゴンズの動向をまとめる。

この年の中日ドラゴンズは、西沢道夫監督の2年目(途中就任の前年含む)のシーズンである。

概要

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杉浦清監督時代の1963年から使用されたスカイブルーのユニフォームが廃止され、前年途中から就任した西沢監督の意向により紺色主体(赤の縁取り[2])に変更。ユニフォームが一新されたチームは開幕から投打ともに好調で、投手陣では前年途中入団の小川健太郎がエースとして勝ち星を重ね、山中巽柿本実河村保彦水谷寿伸もそれなりの成績を残し、この年から抑え専任となった板東英二はリリーフながら2ケタ勝利を挙げる活躍を見せ、この6人で77勝のうち69勝を稼ぎチーム防御率2.60はリーグ3位。打撃陣でも前年から高木守道が先輩の中利夫と俊足コンビを形成。それ以外もジム・マーシャルや不動の4番・江藤慎一も打撃好調でチーム打率・盗塁数でリーグ1位を記録し、タイトルでも江藤が巨人王貞治の三冠王を阻止して2年連続の首位打者に、高木が盗塁王を獲得するなど充実した1年となった。チームは対サンケイ戦同一カード13連勝という明るい話題はあったものの7月までBクラスに甘んじ、8月以降は14連勝もあって前年優勝の阪神大洋を蹴落としてAクラスに浮上したが、時すでに遅く優勝争いにからめず巨人と13ゲーム差の2位で終わった。チームはサンケイに22勝3敗3分、広島に19勝9敗と勝ち越したが、巨人・阪神・大洋には負け越した。この年、西沢監督の盟友である坪内道典ヘッドコーチが就任した。

チーム成績

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レギュラーシーズン

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開幕オーダー
1 高木守道
2 中利夫
3 マーシャル
4 江藤慎一
5 葛城隆雄
6 アスプロ
7 伊藤竜彦
8 高木時夫
9 柿本実
1965年セントラル・リーグ順位変動
順位 4月終了時 5月終了時 6月終了時 7月終了時 8月終了時 9月終了時 最終成績
1位 大洋 -- 大洋 -- 巨人 -- 巨人 -- 巨人 -- 巨人 -- 巨人 --
2位 広島 0.5 巨人 0.5 阪神 4.0 阪神 2.5 阪神 5.5 中日 7.5 中日 13.0
3位 阪神 1.0 阪神 2.0 大洋 4.5 大洋 5.0 中日 6.5 阪神 10.5 阪神 19.5
4位 巨人 1.0 中日 4.0 中日 6.0 中日 9.0 大洋 10.0 大洋 17.5 大洋 23.0
5位 中日 5.0 広島 5.0 広島 11.0 広島 10.5 広島 16.5 広島 25.0 広島 31.0
6位 サンケイ 7.5 サンケイ 9.5 サンケイ 11.5 サンケイ 24.0 サンケイ 30.5 サンケイ 38.5 サンケイ 45.5


1965年セントラル・リーグ最終成績
順位 球団 勝率
1位 読売ジャイアンツ 91 47 2 .659 優勝
2位 中日ドラゴンズ 77 59 4 .566 13.0
3位 阪神タイガース 71 66 3 .518 19.5
4位 大洋ホエールズ 68 70 2 .493 23.0
5位 広島カープ 59 77 4 .434 31.0
6位 サンケイスワローズ 44 91 5 .326 45.5

[1]

オールスターゲーム1965

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ファン投票 江藤慎一
監督推薦 柿本実 マーシャル

できごと

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選手・スタッフ

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[3][4]

表彰選手

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リーグ・リーダー
選手名 タイトル 成績 回数
江藤慎一 首位打者 .336 2年連続2度目
高木守道 盗塁王 44個 2年ぶり2度目
山中巽 最高勝率 .857 2年ぶり2度目
ベストナイン
選手名 ポジション 回数
高木守道 二塁手 3年連続3度目
江藤慎一 外野手 3年連続4度目
中暁生 5年ぶり2度目

ドラフト

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順位 選手名 守備 所属 結果
1位 豊永隆盛 投手 八代第一高 入団
2位 新宅洋志 捕手 駒澤大学 入団
3位 広野功 内野手 慶應義塾大学 入団
4位 平松政次 投手 岡山東商業高 拒否・日本石油入社
5位 平野年明 投手 八幡製鐵 拒否
6位 高岡英司 投手 富士製鐵広畑 入団
7位 小弓場保 投手 日本生命 拒否
8位 永江健一 投手 鹿児島実業高 拒否
9位 仲子隆司 投手 日本楽器 拒否
10位 松井猛 外野手 電電北海道 拒否
11位 鳥谷元 投手 築上中部高 入団

松井猛は、アマ復帰前の1958年 - 1959年に大毎オリオンズ(現:千葉ロッテマリーンズ)に在籍したことに加え、、1999年の社会人野球における元プロ選手の受け入れ再開後は、プロ復帰時にドラフトにかける必要がないことから、結果的にドラフト指名された唯一の元日本プロ野球(NPB)選手となった。

出典

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  1. ^ a b 年度別成績 1965年 セントラル・リーグ”. 日本野球機構. 2017年8月2日閲覧。
  2. ^ 『日本プロ野球ユニフォーム大図鑑』ベースボール・マガジン社、135頁。 
  3. ^ ベースボールマガジン2002夏季号, ベースボールマガジン社, (2002), p. 108 
  4. ^ 『日本プロ野球80年史 1934-2014』 【記録編】、ベースボール・マガジン社、2014年12月24日。ISBN 978-4-583-10668-7