1966年イタリアグランプリ
レース詳細 | |||
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1966年F1世界選手権全9戦の第7戦 | |||
モンツァ・サーキット(1957-1971) | |||
日程 | 1966年9月4日 | ||
正式名称 | XXXVII Gran Premio d'Italia | ||
開催地 |
モンツァ・サーキット イタリア モンツァ | ||
コース | 恒久的レース施設 | ||
コース長 | 5.750 km (3.573 mi) | ||
レース距離 | 68周 391.000 km (242.964 mi) | ||
決勝日天候 | 晴(ドライ) | ||
ポールポジション | |||
ドライバー | フェラーリ | ||
タイム | 1:31.3 | ||
ファステストラップ | |||
ドライバー | ルドビコ・スカルフィオッティ | フェラーリ | |
タイム | 1:32.4 (49周目) | ||
決勝順位 | |||
優勝 | フェラーリ | ||
2位 | フェラーリ | ||
3位 | ブラバム-レプコ |
1966年イタリアグランプリ (1966 Italian Grand Prix) は、1966年のF1世界選手権第7戦として、1966年9月4日にモンツァ・サーキットで開催された。
イタリアグランプリの開催は36回目で、モンツァでの開催は32回目である。レースは全長5.75 km (3.57 mi)のコースを68周する391 km (243 mi)の距離で行われた。
地元イタリア出身のルドビコ・スカルフィオッティがフェラーリ・312でF1世界選手権唯一の勝利を挙げた。スカルフィオッティのチームメイトでイギリス出身のマイク・パークスが5秒差の2位となり、ブラバム・BT20に乗るニュージーランド出身のデニス・ハルムを僅差で下した。
ポイントリーダーのジャック・ブラバムは7周目にブラバム・BT19がオイル漏れに見舞われてリタイアとなったが、ブラバム以外で唯一チャンピオンの可能性を残していたジョン・サーティースも24周後にクーパー・T81が燃料漏れに見舞われてリタイアしたため、ブラバムの6年ぶり3度目のチャンピオンが決定した。
レース概要
[編集]チャンピオン争いを独走するジャック・ブラバムに対し、唯一逆転の可能性を残していたジョン・サーティースであったが、逆転するには残り3戦を全勝することが条件であった。しかし、それはホームグランプリを迎えたサーティースの前所属チームであるフェラーリ勢の素晴らしいパフォーマンスによって阻止された。
苦戦が続いていたフェラーリはホームグランプリを迎えるにあたり、新たに3バルブ(吸気2、排気1)仕様のシリンダーヘッドを開発した[1]。ホンダは400 bhp (300 kW)を発生する新型3L V12エンジンを搭載する新車RA273をようやく投入し[2]、イーグルはウェスレイクV12エンジンを搭載したT1Gが、BRMもH16エンジンを搭載したP83がようやく実戦に登場した。
マイク・パークスがポールポジションを獲得し、チームメイトのルドビコ・スカルフィオッティが2番手、BRM勢とともに同社のH16エンジンが搭載されたロータス・43を使用するジム・クラークが3番手でフロントローを占め[注 1]、サーティースとロレンツォ・バンディーニが2列目を占めた[1]。
バンディーニとパークスがスタートからリードし、グラハム・ヒルのエンジンは1周もたずに力尽きた。2周目にバンディーニが燃料系統のトラブルでピットインを強いられ優勝争いから脱落する[1]。続いて5周目にジャッキー・スチュワートも燃料漏れでリタイアした。ブラバムも8周目にオイル漏れでエンジンが壊れた。クラークのH16エンジンは力強く周回を重ねていった。17周目にリッチー・ギンサーがクルヴァ・グランデに入るところで左リアタイヤがバーストしてコントロールを失い、ガードレールを飛び越えて立木に激しく衝突するアクシデントに見舞われたが[2]、幸いにも鎖骨骨折だけ済んだ[3]。クラークがピットインすると、スカルフィオッティ、パークス、サーティース、デニス・ハルムが先頭集団を形成するが、サーティースの燃料タンクが割れ、マシンをコース外に止めたことでチャンピオン獲得の可能性は潰えた。バンディーニは1周遅れながら先頭集団に迫るも、結局34周目にリタイアした[1]。スカルフィオッティは1952年のアルベルト・アスカリ以来2人目の「フェラーリでイタリアGPを制したイタリア人ドライバー」となった[4]。この偉業を達成したのは、2018年現在においてもアスカリとスカルフィオッティの2人のみである。パークスがハルムを0.3秒差で下して2位となり、フェラーリはホームグランプリで1-2フィニッシュを達成した。エースのバンディーニが勝てずにシーズン途中から加入したスカルフィオッティとパークスが1-2位を占めたのはあまりにも皮肉な結果であった[4]。ティフォシ達が歓喜に沸く中、ブラバムは2戦を残して早々とチャンピオンを獲得した[5]。
エントリーリスト
[編集]- 追記
- ^1 - エントリーしたが出場せず[7]
- ^2 - クラークとジェーキは決勝のみカーナンバーを交換した[8]
- ^3 - ガーニーとP.ヒルは予選のみNo.34のイーグル・クライマックスを使用
- ^4 - エイモンは当初、No.34のマクラーレン・フォードを使用する予定だったが、No.32のブラバム・BRMを使用した[7]
- ^5 - スペンスは決勝のみNo.32を使用[8]
- ^6 - エンジンが準備できず[7]
結果
[編集]予選
[編集]順位 | No. | ドライバー | コンストラクター | タイム | 差 | グリッド |
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1 | 4 | マイク・パークス | フェラーリ | 1:31.30 | - | 1 |
2 | 6 | ルドビコ・スカルフィオッティ | フェラーリ | 1:31.60 | +0.30 | 2 |
3 | 20 | ジム・クラーク | ロータス-BRM | 1:31.80 | +0.50 | 3 |
4 | 14 | ジョン・サーティース | クーパー-マセラティ | 1:31.90 | +0.60 | 4 |
5 | 2 | ロレンツォ・バンディーニ | フェラーリ | 1:32.00 | +0.70 | 5 |
6 | 10 | ジャック・ブラバム | ブラバム-レプコ | 1:32.20 | +0.90 | 6 |
7 | 18 | リッチー・ギンサー | ホンダ | 1:32.40 | +1.10 | 7 |
8 | 16 | ヨッヘン・リント | クーパー-マセラティ | 1:32.70 | +1.40 | 8 |
9 | 28 | ジャッキー・スチュワート | BRM | 1:32.81 | +1.51 | 9 |
10 | 12 | デニス・ハルム | ブラバム-レプコ | 1:32.84 | +1.54 | 10 |
11 | 26 | グラハム・ヒル | BRM | 1:33.40 | +2.10 | 11 |
12 | 38 | ヨアキム・ボニエ | クーパー-マセラティ | 1:33.70 | +2.40 | 12 |
13 | 24 | ピーター・アランデル | ロータス-BRM | 1:34.10 | +2.80 | 13 |
14 | 42 | マイク・スペンス | ロータス-BRM | 1:35.00 | +3.70 | 14 |
15 | 40 | ボブ・アンダーソン | ブラバム-クライマックス | 1:35.30 | +4.00 | 15 |
16 | 44 | ジャンカルロ・バゲッティ | フェラーリ | 1:35.50 | +4.20 | 16 |
17 | 36 | ジョー・シフェール | クーパー-マセラティ | 1:36.30 | +5.00 | 17 |
18 | 48 | ボブ・ボンドゥラント | BRM | 1:36.90 | +5.60 | 18 |
19 | 34 | ダン・ガーニー | イーグル-クライマックス 1 | 1:37.60 | +6.30 | 19 |
20 | 22 | ジェーキ | ロータス-クライマックス | 1:39.30 | +8.00 | 20 |
21 | 34 | フィル・ヒル | イーグル-クライマックス 1 | 1:40.00 | +8.70 | DNQ |
22 | 32 | クリス・エイモン | ブラバム-BRM | 1:40.30 | +9.00 | DNQ |
ソース:[9]
|
- 追記
決勝
[編集]順位 | No. | ドライバー | コンストラクター | 周回数 | タイム/リタイア原因 | グリッド | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 6 | ルドビコ・スカルフィオッティ | フェラーリ | 68 | 1:47:14.8 | 2 | 9 |
2 | 4 | マイク・パークス | フェラーリ | 68 | +5.8 | 1 | 6 |
3 | 12 | デニス・ハルム | ブラバム-レプコ | 68 | +6.1 | 10 | 4 |
4 | 16 | ヨッヘン・リント | クーパー-マセラティ | 67 | +1 Lap | 8 | 3 |
5 | 32 | マイク・スペンス 1 | ロータス-BRM | 67 | +1 Lap | 14 | 2 |
6 | 40 | ボブ・アンダーソン | ブラバム-クライマックス | 66 | +2 Laps | 15 | 1 |
7 | 48 | ボブ・ボンドゥラント | BRM | 65 | +3 Laps | 18 | |
8 | 24 | ピーター・アランデル | ロータス-BRM | 63 | エンジン | 13 | |
9 | 20 | ジェーキ 2 | ロータス-クライマックス | 63 | +5 Laps | 20 | |
NC | 44 | ジャンカルロ・バゲッティ | フェラーリ | 59 | 規定周回数不足 | 16 | |
Ret | 22 | ジム・クラーク 2 | ロータス-BRM | 58 | ギアボックス | 3 | |
Ret | 36 | ジョー・シフェール | クーパー-マセラティ | 46 | エンジン | 17 | |
Ret | 2 | ロレンツォ・バンディーニ | フェラーリ | 33 | イグニッション | 5 | |
Ret | 14 | ジョン・サーティース | クーパー-マセラティ | 31 | 燃料漏れ | 4 | |
Ret | 18 | リッチー・ギンサー | ホンダ | 16 | アクシデント | 7 | |
Ret | 10 | ジャック・ブラバム | ブラバム-レプコ | 7 | オイル漏れ | 6 | |
Ret | 30 | ダン・ガーニー | イーグル-ウェスレイク | 7 | エンジン | 19 | |
Ret | 28 | ジャッキー・スチュワート | BRM | 5 | 燃料漏れ | 9 | |
Ret | 38 | ヨアキム・ボニエ | クーパー-マセラティ | 3 | スロットル | 12 | |
Ret | 26 | グラハム・ヒル | BRM | 0 | エンジン | 11 | |
DNQ | 34 | フィル・ヒル | イーグル-クライマックス | 予選不通過 | |||
DNQ | 32 | クリス・エイモン 1 | ブラバム-BRM | 予選不通過 | |||
ソース:[10]
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- ルドビコ・スカルフィオッティ - 1:32.4 (49周目)
- ラップリーダー[12]
- 1=バンディーニ、2=パークス、3=サーティース、4-7=ブラバム、8-12=パークス、13-26=スカルフィオッティ、27=パークス、28-68=スカルフィオッティ
- 周回数: スカルフィオッティ - 55周、パークス - 7周、ブラバム - 4周、バンディーニ - 1周、サーティース - 1周
- 追記
第7戦終了時点のランキング
[編集]
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- 注: トップ5のみ表示。ベスト5戦のみがカウントされる。ポイントは有効ポイント、括弧内は総獲得ポイント。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 本レースのスターティンググリッドは3-2-3。 “Italy 1966 - Starting grid”. STATS F1. 2019年5月5日閲覧。
出典
[編集]- ^ a b c d (アラン・ヘンリー 1989, p. 221)
- ^ a b (中村良夫 1998, p. 193-194)
- ^ (林信次 1995, p. 21)
- ^ a b (林信次 1995, p. 19)
- ^ (林信次 1995, p. 18)
- ^ “Italy 1966 - Race entrants”. STATS F1. 2019年5月6日閲覧。
- ^ a b c “Italy 1966 - Result”. STATS F1. 2019年5月6日閲覧。
- ^ a b c d (林信次 1995, p. 119)
- ^ “Italy 1966 - Qualifications”. STATS F1. 2019年5月5日閲覧。
- ^ “1966 Italian Grand Prix”. formula1.com. 2 August 2014時点のオリジナルよりアーカイブ。26 September 2015閲覧。
- ^ “Italy 1966 - Best laps”. STATS F1. 2019年5月5日閲覧。
- ^ “Italy 1966 - Laps led”. STATS F1. 2019年5月5日閲覧。
- ^ a b “Italy 1966 - Championship”. STATS F1. 1 March 2019閲覧。
参照文献
[編集]- en:1966 Italian Grand Prix(2019年3月18日 16:24:14(UTC))より翻訳
- 林信次『F1全史 1966-1970 [3リッターF1の開幕/ホンダ挑戦期の終わり]』ニューズ出版、1995年。ISBN 4-938495-06-6。
- アラン・ヘンリー『チーム・フェラーリの全て』早川麻百合+島江政弘(訳)、CBS・ソニー出版、1989年12月。ISBN 4-7897-0491-2。
- 中村良夫『F-1グランプリ ホンダF-1と共に 1963-1968 (愛蔵版)』三樹書房、1998年。ISBN 4-89522-233-0。
外部リンク
[編集]前戦 1966年ドイツグランプリ |
FIA F1世界選手権 1966年シーズン |
次戦 1966年アメリカグランプリ |
前回開催 1965年イタリアグランプリ |
イタリアグランプリ | 次回開催 1967年イタリアグランプリ |