1964年アメリカグランプリ
レース詳細 | |||
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1964年F1世界選手権全10戦の第9戦 | |||
ワトキンズ・グレン(1956–1970) | |||
日程 | 1964年10月4日 | ||
正式名称 | VII United States Grand Prix | ||
開催地 |
ワトキンズ・グレン・グランプリ・サーキット アメリカ合衆国 ニューヨーク州 ワトキンズ・グレン | ||
コース | 恒久的レース施設 | ||
コース長 | 3.701 km (2.300 mi) | ||
レース距離 | 110周 407.110 km (252.966 mi) | ||
決勝日天候 | 晴 (ドライ) | ||
ポールポジション | |||
ドライバー | ロータス-クライマックス | ||
タイム | 1:12.65 | ||
ファステストラップ | |||
ドライバー | ジム・クラーク | ロータス-クライマックス | |
タイム | 1:12.7 (81周目) | ||
決勝順位 | |||
優勝 | BRM | ||
2位 | フェラーリ | ||
3位 | ブラバム-BRM |
1964年アメリカグランプリ (1964 United States Grand Prix) は、1964年のF1世界選手権第9戦として、1964年10月4日にワトキンズ・グレン・グランプリ・サーキットで開催された。
レースは110周で行われ、BRMのグラハム・ヒルが4番手スタートから優勝、フェラーリのジョン・サーティースが2位、ロブ・ウォーカー・レーシングチームでブラバムを駆るジョー・シフェールが3位となった。
レース概要
[編集]BRMのグラハム・ヒルが2年連続でアメリカGPを制し、1964年のチャンピオン争いでジョン・サーティースとジム・クラークをリードした。フェラーリのサーティースは30.5秒遅れの2位となった。
フェラーリはサーティースとロレンツォ・バンディーニのために4台のマシンを持ち込んだ。しかし、カラーリングはレースプログラムで宣伝された通常の「燃えるような赤」ではなかった。エンツォ・フェラーリは、スポーツカーの250LMをGTカーとしてFIAの公認を受けられなかったことに怒り、参加者ライセンスを返上していたので、ルイジ・キネッティ率いるフェラーリの北米代理店「ノース・アメリカン・レーシング・チーム(NART)」によってエントリーされ[1]、マシンはアメリカ合衆国のナショナルカラーである青と白に塗装された[2]。本レースには20台のエントリーがあったが、BRMから3台目のマシンで出走する予定だった地元出身のA.J.フォイトのみ欠場した。
サーキット運営会社のワトキンズ・グレン・グランプリ・コーポレーションは、再舗装された路面にとても満足していたため、120mph(約193km/h)のラップタイム(1分8秒9)が可能であると信じ、120mphを超えた最初のドライバーには120本のシャンパンを贈呈することになっていた。チャンピオンを争う3人と地元出身のダン・ガーニーがポールポジション争いを繰り広げ、前年のヒルの予選最速タイム(1分13秒4)を上回ることはできたが、120mphを超えることはできなかった。
チーム・ロータスのコーリン・チャップマンは、クラークのために古い25と新しい33を用意した。しかし、クラークは33で練習する時間がほとんどなく、信頼できる古い25でポールポジションを獲得する最速タイム(1分12秒65)をマークしたため、彼は決勝で25を使用することにした。サーティース、ガーニー、ヒルも1分13秒を切り、続いてブルース・マクラーレンとクラークのチームメイトのマイク・スペンスが続いた。
日曜日は冷たい風と明るい日差しの下、次戦が最終戦となる緊迫したチャンピオン争いを65,000人が観戦した。ヒルはクラークを2点差でリードし、サーティースは過去3戦のうち2戦で優勝し、クラークと2点差の3位であった。ディフェンディングチャンピオンのクラークはスタートでラインを外れてしまい、サーティーズとスペンスに抜かれて3位に下がった。1周目を終えた時点で、サーティース、スペンス、ヒル、クラーク、ジャック・ブラバム、イネス・アイルランド、ガーニー、マクラーレンの順となった。
ガーニーはすぐにアイルランドとブラバムを抜き、スタートでの出遅れを取り戻した。ヒルはスペンスを抜いて一時的に2位へ上がったが、クラークがスペンスとヒルを抜いて一気に2位に上がり、サーティースに迫る。クラークは13周目にピット手前の右コーナーでサーティースを抜いてトップに立った。それから18周の間、クラークはサーティースから逃げ続けた。ガーニーはスペンスを抜き、3位のヒルを追う。ヒルは31周目にサーティースを抜いて2位に上がった。
40周目、クラークのロータスは燃料噴射装置にトラブルが発生して失火し始めた。サーティース、ヒル、ガーニーは、44周目にピットインする前にクラークを追い抜いた。クルーがインジェクションシステムを調整するために2周をロスしてコースへ復帰したが、6周後に再び止まってしまった。チャップマンは4位を走行していたチームメイトのスペンスをピットへ呼び、クラークがヒルとサーティースを上回り、両者が獲得できるポイントを減らすことができると期待して、クラークとマシンを交換した。スペンスはクラークのマシンでレースを続けたが、5周後にリタイアした。なお、F1世界選手権で車両をシェアしたのは本レースが最後である[3]。
その間、ヒルは45周目にサーティースからリードを奪い返した。61周目にヒルのチームメイトである地元出身のリッチー・ギンサーに近づき、ギンサーはヒルをパスさせ、サーティースとガーニーを抑えた。サーティースとガーニーは1周後にギンサーを抜いたが、それまでにヒルは50ヤード(約46m)のリードを築いていた。2周後、サーティースは別のバックマーカーをパスする際にスピンを喫し、これで2位に上がったガーニーだったが、70周目にエンジントラブルでリタイアした。
3位を走るクラークは、ヒルより1周で2秒速いタイムで追撃し、予選タイムに匹敵するファステストラップ(1分12秒7)を81周目に記録したが、燃料ポンプのトラブルでガス欠状態となったため、102周でリタイアした(7位完走扱い)。ヒルとサーティースは最後まで順調に周回し、ヒルが今シーズン2勝目を収め、サーティースが2位でとなった。ドライバーズチャンピオン争いは、ヒルがサーティースより5点、クラークより9点リードして最終戦メキシコGPを迎えることになった。ロブ・ウォーカーからブラバムを走らせたジョー・シフェールが初の3位表彰台を獲得した。以下、ギンサーが4位、チーム・ロータスからスポット参戦した地元出身のウォルト・ハンスゲンが5位、BRPのトレバー・テイラーが6位となった。ハンスゲンはF1最後のレースでF1キャリア唯一のポイントを、テイラーは今シーズン唯一となるポイントをそれぞれ獲得した。
エントリーリスト
[編集]チーム | No. | ドライバー | コンストラクター | シャシー | エンジン |
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チーム・ロータス | 1 | ジム・クラーク | ロータス | 25 1 | クライマックス FWMV 1.5L V8 |
2 | マイク・スペンス | 33 1 | |||
17 | ウォルト・ハンスゲン | 33 | |||
オーウェン・レーシング・オーガニゼーション | 3 | グラハム・ヒル | BRM | P261 | BRM P60 1.5L V8 |
4 | リッチー・ギンサー | ||||
24 | A.J.フォイト 2 | P61 | BRM P56 1.5L V8 | ||
ブラバム・レーシング・オーガニゼーション | 5 | ジャック・ブラバム | ブラバム | BT11 | クライマックス FWMV 1.5L V8 |
6 | ダン・ガーニー | BT7 | |||
ノース・アメリカン・レーシングチーム | 7 | ジョン・サーティース | フェラーリ | 158 3 | フェラーリ 205B 1.5L V8 |
8 | ロレンツォ・バンディーニ | 1512 4 | フェラーリ 207 1.5L F12 | ||
クーパー・カー・カンパニー | 9 | ブルース・マクラーレン | クーパー | T73 | クライマックス FWMV 1.5L V8 |
10 | フィル・ヒル | ||||
ブリティッシュ・レーシング・パートナーシップ | 11 | イネス・アイルランド | BRP | Mk2 | BRM P56 1.5L V8 |
12 | トレバー・テイラー | ||||
レグ・パーネル・レーシング | 14 | マイク・ヘイルウッド | ロータス | 25 | BRM P56 1.5L V8 |
15 | クリス・エイモン | ||||
R.R.C. ウォーカー・レーシングチーム | 16 | ヨアキム・ボニエ | ブラバム | BT7 | クライマックス FWMV 1.5L V8 |
22 | ジョー・シフェール | BT11 | BRM P56 1.5L V8 | ||
23 | ハップ・シャープ | ||||
ホンダ・R&D・カンパニー | 25 | ロニー・バックナム | ホンダ | RA271 | ホンダ RA271E 1.5L V12 |
ソース:[4] |
- 追記
- タイヤは全車ダンロップ
- ^1 - クラークは練習走行でカーナンバー1の25とカーナンバー2の33を走らせた。決勝はカーナンバー1の25でスタートし、49周目にスペンスとマシンを交換した
- ^2 - エントリーしたが出場せず[5]
- ^3 - サーティースは練習走行でカーナンバー7の158と156 Aeroを走らせ、決勝は158でスタートした
- ^4 - 1512はサーティースとバンディーニの両者のためにカーナンバー8で登録され、バンディーニが練習走行から決勝までドライブした
結果
[編集]予選
[編集]順位 | No. | ドライバー | コンストラクター | タイム | 差 | グリッド |
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1 | 1 | ジム・クラーク | ロータス-クライマックス | 1:12.65 | — | 1 |
2 | 7 | ジョン・サーティース | フェラーリ | 1:12.78 | +0.13 | 2 |
3 | 6 | ダン・ガーニー | ブラバム-クライマックス | 1:12.90 | +0.25 | 3 |
4 | 3 | グラハム・ヒル | BRM | 1:12.92 | +0.27 | 4 |
5 | 9 | ブルース・マクラーレン | クーパー-クライマックス | 1:13.10 | +0.45 | 5 |
6 | 2 | マイク・スペンス | ロータス-クライマックス | 1:13.33 | +0.68 | 6 |
7 | 5 | ジャック・ブラバム | ブラバム-クライマックス | 1:13.63 | +0.98 | 7 |
8 | 8 | ロレンツォ・バンディーニ | フェラーリ | 1:13.85 | +1.20 | 8 |
9 | 16 | ヨアキム・ボニエ | ブラバム-クライマックス | 1:14.07 | +1.42 | 9 |
10 | 11 | イネス・アイルランド | BRP-BRM | 1:14.35 | +1.70 | 10 |
11 | 15 | クリス・エイモン | ロータス-BRM | 1:14.43 | +1.78 | 11 |
12 | 22 | ジョー・シフェール | ブラバム-BRM | 1:14.65 | +2.00 | 12 |
13 | 4 | リッチー・ギンサー | BRM | 1:14.67 | +2.02 | 13 |
14 | 25 | ロニー・バックナム | ホンダ | 1:14.90 | +2.25 | 14 |
15 | 12 | トレバー・テイラー | BRP-BRM | 1:15.30 | +2.65 | 15 |
16 | 14 | マイク・ヘイルウッド | ロータス-BRM | 1:15.65 | +3.00 | 16 |
17 | 17 | ウォルト・ハンスゲン | ロータス-クライマックス | 1:15.90 | +3.25 | 17 |
18 | 23 | ハップ・シャープ | ブラバム-BRM | 1:18.23 | +5.58 | 18 |
19 | 10 | フィル・ヒル | クーパー-クライマックス | 1:19.63 | +6.98 | 19 |
ソース:[6]
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決勝
[編集]順位 | No. | ドライバー | コンストラクター | 周回数 | タイム/リタイア原因 | グリッド | ポイント |
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1 | 3 | グラハム・ヒル | BRM | 110 | 2:16:38.0 | 4 | 9 |
2 | 7 | ジョン・サーティース | フェラーリ | 110 | +30.5 | 2 | 6 |
3 | 22 | ジョー・シフェール | ブラバム-BRM | 109 | +1 Lap | 12 | 4 |
4 | 4 | リッチー・ギンサー | BRM | 107 | +3 Laps | 13 | 3 |
5 | 17 | ウォルト・ハンスゲン | ロータス-クライマックス | 107 | +3 Laps | 17 | 2 |
6 | 12 | トレバー・テイラー | BRP-BRM | 106 | +4 Laps | 15 | 1 |
7 | 2 | マイク・スペンス ジム・クラーク |
ロータス-クライマックス | 102 | 燃料切れ/燃料ポンプ | 6 | |
8 | 14 | マイク・ヘイルウッド | ロータス-BRM | 101 | オイルポンプ | 16 | |
Ret | 6 | ダン・ガーニー | ブラバム-クライマックス | 69 | 油圧低下 | 3 | |
NC | 23 | ハップ・シャープ | ブラバム-BRM | 65 | 規定周回数不足 | 18 | |
Ret | 8 | ロレンツォ・バンディーニ | フェラーリ | 58 | エンジン | 8 | |
Ret | 1 | ジム・クラーク マイク・スペンス |
ロータス-クライマックス | 54 | 燃料噴射 | 1 | |
Ret | 25 | ロニー・バックナム | ホンダ | 50 | エンジン/シリンダーヘッドガスケット | 14 | |
Ret | 15 | クリス・エイモン | ロータス-BRM | 47 | スターター | 11 | |
Ret | 16 | ヨアキム・ボニエ | ブラバム-クライマックス | 37 | リアアクスル | 9 | |
Ret | 9 | ブルース・マクラーレン | クーパー-クライマックス | 27 | エンジン/バルブ | 5 | |
Ret | 5 | ジャック・ブラバム | ブラバム-クライマックス | 14 | エンジン | 7 | |
Ret | 10 | フィル・ヒル | クーパー-クライマックス | 4 | イグニッション | 19 | |
Ret | 11 | イネス・アイルランド | BRP-BRM | 2 | ギアボックス | 10 | |
ソース:[7]
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- ラップリーダー[8]
第9戦終了時点のランキング
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- 注: トップ5のみ表示。ベスト6戦のみがカウントされる。ポイントは有効ポイント、括弧内は総獲得ポイント。
脚注
[編集]- ^ (林信次 1997, p. 89)
- ^ (林信次 1997, p. 74)
- ^ “The Nostalgia Forum”. Autosport Forums. 25 February 2010閲覧。
- ^ “USA 1964 - Race entrants”. statsf1.com. 2019年1月24日閲覧。
- ^ “USA 1964 - Result”. statsf1.com. 2019年1月24日閲覧。
- ^ “USA 1964 - Qualifications”. statsf1.com. 2019年1月22日閲覧。
- ^ “1964 United States Grand Prix”. formula1.com. 12 November 2014時点のオリジナルよりアーカイブ。20 September 2015閲覧。
- ^ “USA 1964 - Laps led”. statsf1.com. 2019年1月27日閲覧。
参照文献
[編集]- en:1964 United States Grand Prix(2018年6月17日 16:12:10(UTC))より翻訳
- de:Großer Preis der USA 1964(2017年6月23日 16:05(UTC))より翻訳 - エントリーリスト節
- 林信次『F1全史 1961-1965』ニューズ出版、1997年。ISBN 4-938495-09-0。
- Doug Nye (1978). The United States Grand Prix and Grand Prize Races, 1908-1977. B. T. Batsford. ISBN 0-7134-1263-1
- Tony Hogg (December, 1964). "Grand Prix of the United States". Road & Track, 61-67.
外部リンク
[編集]前戦 1964年イタリアグランプリ |
FIA F1世界選手権 1964年シーズン |
次戦 1964年メキシコグランプリ |
前回開催 1963年アメリカグランプリ |
アメリカグランプリ | 次回開催 1965年アメリカグランプリ |