那加前野町
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那加前野町 | |
---|---|
国 | 日本 |
都道府県 | 岐阜県 |
市町村 | 各務原市 |
地区 | 那加地区 |
人口 | |
• 合計 | 1,507人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
504-0026[2] |
市外局番 | 058 (岐阜MA)[3] |
ナンバープレート | 岐阜 |
那加前野町(なかまえのちょう)は、岐阜県各務原市の地名。現行行政町名は那加前野町一丁目から那加前野町四丁目。
地理
[編集]各務原市の那加地区に属する。町域の東部は那加前洞新町、那加東野町、西部は那加西市場町、那加野畑町、南部は那加前洞新町、那加野畑町、北部は那加山下町、那加御屋敷町に接する。
地名は、明治8年まで存在した前野村に因む[4]。
町域の北部には境川が東西に流れる。
- 道路
- いちょう通り
- 那加中通り
歴史
[編集]この地域は江戸時代は美濃国各務郡前野村。1875年(明治8年)に北洞村と合併し、前洞村となる。1889年(明治22年)に 西市場村、更木新田、桐野村、岩地村、山後村、長塚村、前洞村、影野新田、新加納村が合併し、那加村が発足すると那加村大字前洞の一部となる。
1963年(昭和38年)、蘇原町、鵜沼町、稲羽町と合併し各務原市が発足すると那加前洞町に改称[5]し、那加前洞町の一部となる。
1979年(昭和54年)1月20日にこの地域で区画整理が行われ、那加前洞町の大部分と那加西市場町の一部をもって、那加前野町が成立[6]。那加前洞町の残りは那加前洞新町[7]、那加東野町[8]、那加山下町[6]、那加北洞町[9]、那加野畑町[8]、那加巾下町[8]、那加山崎町などの一部または全域となり、那加前洞町は消滅している。
世帯数と人口
[編集]2024年(令和6年)10月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[10]。
丁目 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
那加前野町一丁目 | 128世帯 | 355人 |
那加前野町二丁目 | 150世帯 | 354人 |
那加前野町三丁目 | 202世帯 | 472人 |
那加前野町四丁目 | 125世帯 | 326人 |
計 | 605世帯 | 1,507人 |
小・中学校の学区
[編集]市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[11][12]。
番・番地等 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|
全域 | 各務原市立那加第一小学校 | 各務原市立那加中学校 |
主な施設
[編集]- 八幡神社
- 済縁寺
- 覚王寺
脚注
[編集]- ^ “町名別人口・世帯数” (PDF). 各務原市 (2024年10月1日). 2024年11月17日閲覧。
- ^ “郵便番号”. 日本郵便. 2024年10月11日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2024年10月6日閲覧。
- ^ 各務原市歴史民俗資料館 1991, p. 66.
- ^ “各務原市の町区域の画定及び名称の変更(県告示第246号)” (日本語1). 岐阜県. 2024年10月11日閲覧。
- ^ a b 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1980, p. 871.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1980, p. 872.
- ^ a b c 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1980, p. 870.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1980, p. 868.
- ^ “町丁目別人口・世帯数” (PDF). 各務原市 (2024年10月1日). 2024年11月17日閲覧。
- ^ “小学校就学区域”. 各務原市. 2024年10月11日閲覧。
- ^ “中学校就学区域”. 各務原市. 2024年10月11日閲覧。
参考文献
[編集]- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 21 岐阜県』角川書店、1980年。ISBN 4-04-001210-0。
- 各務原市歴史民俗資料館 編『各務原市の地名(各務原市資料調査報告書第十四号)』各務原市歴史民俗資料館、1991年。